悪戯の行方、授業の成果9
「あ、榊監督」

 弦一郎たちがトロールを倒すために奮闘している頃、ひとり校舎に戻った貞治は、移動式の階段を渡る途中で、太郎に遭遇した。
「──乾か」
 いつものように淡々と言う太郎の足元には、氷漬けになったトロールが転がっている。一人で難なくトロールを戦闘不能にしたらしい彼に、さすがだなあ、と貞治は感心し、こんな時だというのに、眼鏡を光らせ、ノートに素早くデータを書きつける。
「後にしなさい」
 呆れたように、太郎はため息をついた。
「校舎の中に現れたトロールは、我々教諭たちで対応している。しかしまだ全滅できてはいないので、乾も早く避難しなさい。近いので、闇の魔術に対する防衛術の教室がいい」
「了解です──、が、監督、その前に報告です」
「何だ」
「城の外に出現したトロールが、上杉さん目当てに中庭に集まっていました」
「……何」
 太郎の目つきが、剣呑な光を帯びる。しかし貞治は怯むことなく、いつもどおりに理路整然とした口調で続けた。
「でも、手塚と蓮二、真田、千石が対応しています。俺がいた時点では四匹のトロールがいましたが、おそらく真田が中心となって全て倒せる確率100パーセント」
「四匹全て、100パーセント? 大きく出たな」
「データに基づいた確率です。データは嘘をつきません」
 にや、と笑う貞治には、微塵の不安も感じられない。かといって奢りも感じられず、本当に単なる事実を言っているらしい彼に、太郎は肩の力を抜いて、やれやれと軽く首を振った。
 ホグワーツに入学したばかりの子供たちが、数人がかりとはいえ、トロール四体を倒してしまうなど、とんでもないことだ。しかし太郎もまた、冷静になればなるほど彼らがそれを成し遂げてしまうのだろうことを確信して、教え子たちの有能すぎるヤンチャぶりにため息をついた。

「それと、トロールの出処ですが」
「……わかるのか」
「こちらは未確定ですが。トロールの移動経路からして、三階の女子トイレ付近である確率82パーセント」
 以前のピーブズ騒動の際、ホグワーツ場内のナビゲーションを完璧に行った貞治の言うことは、異様な説得力があった。
「三階の女子トイレというと、今は使われていない所か。確かに人気のない所だが、あそこはトロールが入ってこられるような規模の出入口はないはずだが」
「ええ、その通りです。ですからトロールが召喚魔法によって場内に喚び出された確率、76パーセント。俺は召喚魔術に詳しくないので、この数値です」
「召喚か……。なるほど」
 太郎は、納得して頷いた。

 召喚魔法は特化して注目されにくい分野だが、他の魔術に細々と組み込まれ、移動魔法とも関わりが深い。つまるところ、全く別の離れたところの存在を、定めた所にワープさせる魔法である。
「ええ。俺が目撃したトロールは全部で八匹ですが、どれも岩山に住む山トロールです」
「ああ、こちらでも山トロールしか目撃されていない」
「そうですか。ならばなおさら確率が上がりますね。──要するに、この辺りで一番近くとも、野生の山トロールがいるだろうところからの距離は概ね二十キロメートル以上はあります。しかしその距離を来たのなら必ず警報が発令されているはずですが、ありませんでした」
 確かに、と、太郎は頷く。

「それと、ここに来る間にトロールを一匹捕獲して観察してみたのですが」
「今なんと言った」
「ここに来る間にトロールを一匹捕獲して観察してみたのですが」
 貞治は、一言一句間違えず、淡々と復唱した。
「……どうやって」
「いえ、たまたま巨大な魔法生物に即効性で効く“汁”を持っていまして。それを口の中に投げ入れました。口径投与なら即効性で立てなくなりますので」
 千石が試験的に作ったフェリックス・フェリシスがあったので、百発百中です、と貞治はちょっとどや顔で言った。
 ゾウより巨大なトロールを即効性で戦闘不能にする“汁”とか何だその危険物は、とか、作るのに六ヶ月はかかると言われ、魔法薬学と占い学の最高峰にして謎が多く作り方が解明されていないフェリックス・フェリシスをもう作ったとかどういうことだとか、太郎は色々と突っ込みたいことがあった。
 しかし非常時であるし、この子供たちのやることがいかに非常識か最近良く分かり始めていたので、例の“苦悩する哲学者顔”でこめかみを揉むだけで、とりあえず今は流すことにした。

「観察の結果、トロールの足の指の間に、岩山でしか咲かない高山植物が挟まっていました。山を降りて一時間もしないうちに萎れるはずのそれが、実に瑞々しい状態で」
 トロールたちが“いきなりここに現れた”証拠です、と貞治は確信を持って言った。
「それに、移動魔法や召喚魔法は榊監督のご専門でしょう?」
「そのとおりだ」
 太郎は地球の裏側にも一瞬で移動できる、世界で最高峰ともいうべき移動魔法の使い手である。専門家といえば、太郎以上の者はなかなかいないだろう。

「了解した、そのあたりに行ってみよう。巨大なトロールをこれほどの数招き入れたのだ、召喚魔法だとすれば大掛かりな魔法陣か何かが設置されているはず」
 そしてその魔法陣を見つければ、犯人の大きな手がかりになるはずだ、と太郎は言った。

「……それで、乾」
「はい」
「お前は何をどうする気だ? 無茶はするなよ」
「嫌だなあ、無茶なんかしませんよ。データマンは常に真理を追い求めるのみ」
 貞治は笑みを浮かべたが、にやあ、としたその笑顔に、太郎はあまりいい予感はしなかった。太郎が数年間受け持つことになった留学生らは誰もかれも個性派揃いで、才能に溢れ、そしてどこまでも問題児揃いである。
 特にこの乾貞治は、マッドサイエンティストそのものの素質をもって、ある時は意図的に、ある時は全く自覚なく色々と“やらかす”第一人者である。先ほどの対トロール薬や、先日の脱狼薬の件がいい例だ。
 だがしかし、彼らの個性を潰さず大きく受け止めるのが教育者たる己たちの仕事である、と、太郎は当然のように思ってもいたので、ただ小さくため息をついただけだった。

「……まあ、いい。危ないことはなるべくしないように」
「はい、しません。なるべく」

 こういうところが懐深くていい先生だなあ、と、貞治は、踵を返して去っていく太郎の優雅な後ろ姿を見送る。
 その瞬間、ドォン!! と大きな音が外から響き、貞治は友人たちがデータ通りの仕事を成し遂げたことを確信して、軽い足取りで廊下を小走りに駆け抜けていった。



「こんにちはー、データマンでーす」
「出前かい」
 闇の魔術に対する防衛術の教室。
 呑気な声を上げて入ってきた貞治に、蔵ノ介が呆れ半分の声でツッコミを入れた。他の生徒は、まるで緊張感なくいきなり現れた貞治に、ぽかんとした表情をしているが。

「乾君! みっちゃんや、ちゃんたちは……!?」
「あ、大丈夫大丈夫」
 心配そうな顔で駆け寄ってきた紫乃に、貞治はけろりと言った。
「トロールは外に四匹か五匹いるけど」
 全員、ぎょっとした。しかし貞治は、いつもどおりの調子で続ける。
「作戦は全部蓮二が立てるだろうし、上杉さんが危険な目に遭う確率は非常に低いよ。真田がやる気満々だったし、手塚とタッグ組んでたしね。サポートは千石がいるし。完璧な布陣だと思うよ」
 確かに、と、貞治が挙げた名前を聞いた面々は、納得して頷いた。

「あ、校内のトロールは先生たちが順調に退治してるみたいだよ。途中で榊監督に会ったけど、一人で軽々トロール一匹戦闘不能にしてたし。今はトロールの発生場所を突き止めに向かったから、もう新しいトロールが出てくることはないんじゃないかな」
「さすが」
 誰かが言った言葉に、全員が頼もしげにうんうんと頷いた。

「……で、お前はわざわざ校舎に入ってきて、何しに来たんだ。アーン?」
「原因の原因、真理を突き止めるのがデータマンさ」
 景吾の訝しげな視線をさらりと避けるようにして、貞治は一番前の席と教卓の間のスペースで拘束されている、水浸し、もとい聖水浸しの姿を覗き込み、満足そうな顔をした。

 ちょっと失礼、と生徒たちをかき分けて前までやってきた貞治は、紫乃たちから、ここで起きた出来事の一部始終を聞き、興味深そうに頷く。

「なるほど、ビンゴだね」
「何がだよ」
 胡散臭そうに言う景吾に、貞治が眼鏡のブリッジを押し上げた。
「何って、トロールの大量出現に、魔法界いちの有名犯罪者潜伏の発覚。無関係なわけ無いだろ」
「まあ、そうだろうね」
 確かに、と周助が頷いた。

「ハ〜イ、ここで登場、新作乾汁〜」

 パンパカパーン、と、棒読みの効果音まで付けて貞治がローブの下から出してきたそれに、ここにいる全員が微妙な顔をした。体験入部の際、罰ゲームで彼の“汁”を飲んだ者達がどんなことになったかは、全校生徒が知っているからだ。
 しかし、いつもコッブやドリンクボトルなどに入っている“汁”と違い、それはいかにも薬品という感じの、蓋のついた小さな小瓶に入っていた。
「ちょっとビリっとしますよ〜」
「注射か! って、ちょっ!?」
 蓋を開けた瓶をひっくり返し、中身をクィレルの口の中にぞんざいにぶち込んだ貞治に、蔵ノ介がぎょっとして声を上げた。しかし驚いたのはもちろん彼だけではなく、全員が目を丸くして貞治の行為に注目していた。
 ビクン、と、痙攣するようにクィレルの体がわずかに跳ねる。

「ミスター・イヌイ! 何をしているのですか!?」
「あ、先生、どうも」
 驚いて声がひっくり返っているマクゴナガルであるが、貞治はその剣幕に怯えるどころかへらりと笑っただけで、ろくな答えも返さなかった。
「そうだ幸村、カメラ、まだ録画できるよね?」
「ああ、大丈夫だけど」
 悪戯録画のために持参していたビデオカメラを取り出し、精市はそれを貞治に手渡す。そして貞治はクィレルの傍らにしゃがみこみ、カメラを構えてRECボタンを押した。

「ご機嫌いかがですか、クィレル教諭」
「……最悪だ」

 全員が、今度こそ驚愕のあまり目を見開いた。マクゴナガルや精市たちは警戒して杖を構え、他の生徒達は叫び声を上げて後ずさっている。
 無理もない。つい先程、クィレルはハリーによってとどめをさされて意識を失い、紫乃によって何重にも拘束され、周助によって反魔の術を施され、精市から厳重に五感を奪われたのだから。口もきけないどころかかろうじて息ができるくらいのはずのクィレルがはっきりと口を利いたことに、驚いていない者はいなかった。

「それはそれは。で、あなたがトロールをホグワーツに入れたのですか?」
「さよう。私はトロールについては特別な才能がある」
 クィレルは、とてもはきはきと話した。しかし口以外のところはぴくりとも動かず、今までの吃音癖とのギャップを抜きにしても、妙に早口で不自然に息継ぎをしない喋り方だった。
「それはつまり、トロールを召喚できる? 場所は三階の女子トイレの近く?」
「さよう。トロール限定の召喚術である。発動させたが最後設置した魔法陣を閉じるまでトロールは魔法陣に吸い込まれ無限に出現する。場所は三階の女子トイレの近く。三階と四階の間のデッドスペースだ」
「天井裏かあ。榊監督、気がつくかな」
「待ちなさい、ミスター・イヌイ。どういうことです」
 呑気にウーンと唸る貞治の後ろに立ったのは、無論、マクゴナガルである。彼女は激怒しているような、ものすごく心配しているような、更に限界まで困惑しているような顔で、つんつんとした貞治の黒髪を見下ろしていた。

「それは──、その薬は、真実薬ではないですか!

 Veritaserum、真実薬。
 無色無臭、透明の薬で、高度な魔法薬の代表格である。三滴ほど飲ませるだけで、その人物が持っている秘密を全て話させることができるという効果と、「闇の帝王ですら深い闇の秘密を明かしてしまう」とまで言われる効き目の強力さから、魔法省が所持や使用を制限しているものだ。
「ご禁制の品ですよ! どうやって──」
「もちろん、俺が作りましたが」
 ホヨッとした顔でけろりと言った貞治に、マクゴナガルは絶句した。マクゴナガルが絶句したところなど、このホグワーツで見たことがある者はどれだけいるだろうか。
「それにこれは、真実薬ではありませんよ」
「真実薬ではないですって?」
「ええ、効果は確かに似ているかもしれませんけど、魔法省が禁止している真実薬とは、材料も調合方法もまるで違う別物です。レシピをお渡ししてもいい。これは真実薬じゃない、俺の作った“汁”ですよ」
 いけしゃあしゃあと、貞治は言った。

 ──屁理屈である。
 しかしまず真実薬自体、生徒が、しかも入学して間もない一年生が作れるなどありえないレベルの魔法薬である上、全く違う材料を使って同じようなものを作り出すなど、誰が考えつくだろうか。
 そして貞治の言うとおり、材料も調合方法もまるで違うというのが本当ならば、彼を罪に問うのは非常に難しいだろう。なぜなら魔法省による魔法薬の規制は、厳密にはレシピにかかっているからだ。これは材料から規制することで調合自体規制するという目的からくるものだ。
 そして、ここまでレベルの高い魔法薬をまるで違う材料と調合方法で同じようなものを作りあげるなど、誰も想定していない。

 あまりのことに呆然とし、次いで頭痛をこらえるようにこめかみを揉みながら天を仰いだマクゴナガルをスルーして、貞治はカメラを構え直した。

 そして貞治が色々なことを質問した結果、クィレルの正体に感づいていた唯一の人物がセブルス・スネイプであったことや、かつての世界旅行中にヴォルデモートと出会い、魔法で洗脳されたか本当に意気投合したのかは分からないが、とにかくその時に彼の下僕となったこと、またグリンゴッツから何かを盗もうとしたというあの事件もまた、ヴォルデモートの命令でクィレルがやったことだということがあきらかになった。

「なるほど、色々わかったねえ」

 貞治はビデオカメラを構えつつもノートに書きつけるという器用なことをしながら、淡々と言った。
「誰か、他に聞きたいことある? そろそろ効き目が切れるよ」
 その呼びかけに立ち上がったのは、ハリーだった。疲れでよろめきながら、ハリーはクィレルのそばに立つ。

「……ヴォルデモートは、どこへ? 死んだの?」

 震えているような、しかし水の底に重く沈むような声で、ハリーは尋ねた。

「あの方は亡くなられてはいない。いなくなったわけではない。どこかに行ってしまっただけ」
「他の手段で、また戻ってくる?」
「そのとおり。そして本当に生きていらっしゃるわけではないから殺すことなど出来ない。自分の家来を敵と同じように情け容赦なく扱うあの方。私の代わりに乗り移る身体を探していらっしゃることだろう。お前たちがやったのはご主人様が再び権力を手にするのを遅らせただけにすぎない」
 クィレルの無機質な言葉に、生徒たちは震え上がり、マクゴナガルや、留学生たちは表情を険しくした。

 ──僕は、真実を知りたい。

 ハリーは、強くそう思った。どんなに恐ろしくてもいいから、本当のことを。
 それは、本心からの気持ちだった。

「ヴォルデモートが母を殺したのは、僕を彼の魔手から守ろうとしたからだと言っていた。でも、そもそもなんで僕を殺したかったの?」
「知らぬ」

 それっきり、クィレルは口を閉ざした。
 薬の効き目が切れたのである。