黄玉の絆(6)
 羽扇を叩き折り、男は憤慨した。
 己の領域を何人たりとて侵せぬようにと用意した仕掛けは、次々と突破されてゆく。一体、我が平穏を犯すのは何奴か、とまだ見ぬ侵入者に苛立ちを感じていた。
「ええい、忌々しい!! 我が唐に赴きし折、貰い受けた悪魔の花を全部燃やすなぞ!! おのれ……!!」
 激昂する男は、自身が座っていた豪奢な金の椅子も蹴り倒した。素足に傷がついて血が垂れようともお構いなしの様子だ。
 破壊した羽扇と椅子を何度も踏みつけ、血が飛び散った。
 あまりの男の怒りように、紅梅はじっと静観していた。気がかりなのは、ハーマイオニーの恐れようである。機嫌が悪かったらしい客が、何かの拍子で切れ、怒鳴る姿を目撃したことはある。それと似ているなと感じた。
「――――そこな娘!」
 怒鳴り声で紅梅を呼んだ男の怒気を感じ取り、行っては駄目だとハーマイオニーは紅梅の手を掴んだ。
 けれど、「大丈夫え」と微笑みを浮かべ、音もなくすーっと紅梅は男に近づく。
 肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返して座り込んだ男は、紅梅を前にした途端、その瞳の激情を押さえ込んだ。
「……そなた、白梅の香でも焚いているのか」
 何の脈絡もなく訊ねられたものだから、一瞬、答えに詰まってしまったが、「どうなのだ」と急かされ、紅梅は頭を振った。
「では、匂い袋でもあるのか」
 続いて問われ、「へえ」と応じる。
 すると、男は「寄越せ」と言った。ここで拒否することで何か事態が悪化しては不味いので、紅梅は素直に男の要求に従い、懐に入れていた匂い袋を取り出した。
 奪い取るようにして、男は紅梅の手から匂い袋を取り上げた。そうして、じっくりと眺め、匂いを嗅ぐ。肺いっぱいに白梅の香りを吸い込むように。
「……梅、お好きどすのん?」
 あれほど怒り狂っていたはずの男が、香りを嗅いだだけで大人しくなった。
 それが不思議でならなかったので、思ったことを聞いてみた。すると、傍若無人な男はコクリと素直に首肯して見せたものだから、ますます紅梅は驚いた。
「……白梅が、我は好きだ。千余年も前のことよ。我が京に居た頃、好きになった」
「白梅ゆうたら天神はんが――――」
「北野天満宮のことか」
 言い差した紅梅の言葉を遮り、目を瞠った男が言った。
 きょとんとしながらも、「へえ」と答える。すると、男は溜息を零すように「そうか」とだけ言った。
「あそこの白梅は、見事であろう」
「へえ。それはもう」
「当然よ。我が術を掛けた。美しくなるように、どの梅の花よりも綺麗になるように願ったゆえ」
「……梅んこと、そない好いてはりますのん?」
「好きだ。だが、ただ好きだからではない。我の友が梅を愛した。それゆえよ」
 冷たい男が寂しそうにポツリと呟く。
 傍若無人に振る舞ったかと思えば、怒り狂い、かと思えばこうして親に捨てられた子供のような姿も覗かせる。紅梅は、男はまるで小さな子どものようだと思った。癇癪を起こすしかしらない子ども。
 一方、離れて二人の会話を眺めるハーマイオニーはというと、気が気ではなかった。この高飛車な美人が次に何をしでかすか、予測できないからである。
「うちも、梅のお花は大好きどすえ」
「……ふ。それでこそ我の花嫁に相応しい」
 まだ忘れてへんかった、と肩を落としかけたが、落とすように微笑んだ男の笑みが、あまりにも美しかったので、思っていたよりも落ち込まなかった。
 この笑みを普通の女人が目にすれば、下手をすればその女性の人生を狂わしかねない。それほどの魔性の頬笑みであった。
 その微笑みを前にしても動じないのは、美しい女の世界で鍛えられたゆえかもしれない。
 それに――――。ちら、と浮かぶ彼の横顔を思い出せば、たとえ目の前の麗人がどれほど美しくても、紅梅の心は動かされなかった。
「梅の花の、白い花びらがこぼれる折が、せつなくかなしく好きだと言った男がいる。まるで雪のような、降るような白さがかなしくて好きなのだと。我も、そう思う」
「へえ」
「男は梅の花のように白い男であった。潔白であった。ゆえに妬まれ、讒訴(ざんそ)され、遠き場所への左遷を命じられた」
 紅梅は、じっと男の話に耳を傾け続けた。
 予感が、したのだ。この男の友だと言う「男」の話を、自分は知っているという、そんな予感が。
「屋敷を離れし時、我は男の愛でておった三本の木のすべてを運んでやろうと思った。だが、桜はみるみるうちに葉を落とし、枯れた。仕方なく梅と松を運ぶことにした。しかし、次いで松が力尽きた。我が友に届けられたのは梅のみよ。ゆえに桜と松を我は好かぬ。梅しか、男に渡せなかった」

 ――――飛梅伝説て、みんな知ってるか?
 昔、酒宴の席で上客の一人が舞妓たちに話していた言葉が、蘇る。

「梅しか、我は届けられなんだ。ゆえに男は梅の花のようにこぼれたのだ。我は許せなかった。京の都に豪雨のように落雷を落としてやった。それで我は陰陽師に追われた。そうして都を追われ千年――――ゆえに、白梅の香りが、千年ぶりよ」
 匂い袋をそっと撫で、満足したのか男は袋を紅梅に付き返した。
 受け取り、紅梅はもう一度、男を見つめる。
 長い睫毛は音がしそうなほど長く、金色の瞳を覆っている。そこに憂いを帯び、男をより一層に美しく魅せていた。

 ――――たしか、天神はんの……
 ――――それや、それや。天神はんの祟りは有名やろ?
 ――――京都に雷落とさはった話やろ? ひゃあ怖い
 ――――それとは別の伝説があるんやで?

「我の美しさの前に、女は皆、恋に落ちたが、男だけは落ちなかった。我はそれが面白くなかった。男でも女でも我を前にすれば、全てを捨てて我に捧げる。それが当然よ」
 けれど、男は落ちなかったのだ。
 そう零して、男は言った。
「男は、友だから落ちぬと言った。そうして我に対してあろうことかあれこれと指図してきた。無礼者よ。だが、なぜか嫌いになれなんだ。我に意見はする、我に従わぬ……常であれば我が嫌う人であったというのに」
 「貴様のようにな」と紅梅を見て、男は言った。
 紅梅も、男の要求を突っぱねたからだろう。
「女に飽いた我には束の間の余興であった。男が我に全てを捧げれば、男を殺すつもりであった。だというのに、よりにもよって男は我の手で殺されなかったどころか、我の知らぬ地で我の知らぬ間に、儚くなったのだ」
 その瞬間、紅梅はこの男の言う「男」の正体が、誰であるかを理解した。
「あれから千年。何をしてもつまらぬ。飽いたのだ。だが、我の領域に、貴様が現れた」
 玩具を見つけた子どものように、男は微笑を口の端に刻む。
「娘よ。そなたはそやつに似ておる。我は貴様が気に入ったゆえ、貴様を傍に置いてやろう。誇りに思うが良い。ゆえに、我に尽くせ。何もかもがつまらぬのだ」
 愛を失った子どもを前に、紅梅は途方に暮れたのだった。


 うっ、と小さく呻く。凄絶な氣と怨念の奔流を感じ取り、その力の凄まじさに圧迫された。息苦しくなり、呼吸もままならない。紫乃の異変を感じ取った真田はびくりと身体を強張らせた。恐る恐る肩越しに振り返り、背の存在を見た。
「ふ、藤宮、どうしたのだ?」
 霊力の半減に続き、蔓に絞め殺されそうになった紫乃の疲労は半端ではない。ハリーの箒で逃げ延びた彼女は、箒から降りた途端に気を失った。
 テニス部とハリーとロンの中では、真田が誰よりも体格がガッシリしていたので、気絶した紫乃をおんぶすることにしたのだ。
 しかし紫乃の異常を察し、真田は硬直してしまった。
「だ、大丈夫……っ」
 過呼吸に陥っているような忙しない息遣いに、「大丈夫」がまったく信用できないことを理解した。
「大丈夫なわけがあるか!」
 言って、すぐさま紫乃をその背から下ろせば、顔色が悪い。
 「馬鹿者」と怒鳴りそうになったが、幸村が紫乃の頬に触れたので、タイミングを逃してしまった。
紫乃ちゃんの疲労が激しい。ごめん、気付かなくて」
「ち、違うの」
「そんな状態で、汗臭い真田の背中なんて……全然、配慮が足りなかった。ほんとにごめん」
「幸村ァ!」
 申し訳ない表情でさらっと言った幸村に、イラっとした真田が叫ぶ。しかし、意に介した風もなく「降りる? 俺がおんぶしようか?」なんて言うものだから、余計に腹が立つ。
 すると、より一層に険しい表情で「本当に違うの」と紫乃が制止する。
「神気に、あてられたみたい……」
「神気?」
 「ごめんね」と何度も謝る紫乃に、真田は怒りの刃をおさめた。幸村の物言いは癪に障るが、この少女に罪はないのだ。
 それよりも、幸村の顔色が変わったことに白石もハリーも気付いた。
「シンキ、って……?」
「簡単に言えば力の名称だ。俺たちの力が魔法力というように。神の力だから、神気。神にしか持ちえない力」
 簡潔な答えに、白石は息を呑む。
 「どういうことや?」と双眸が訴えていた。
「鏡の結界を破った時から、ずっと……感じてた」
 やっと呼吸が整ったらしく、正常な息遣いが真田の耳に届く。
「此処に来てからずっと……気のせいかと思ってたけど、気のせいじゃない、と思うの」
 小さな囁きにも似た声だったけれど、何者をも黙らせる力があった。

「“陰陽師の視る夢には、意味がある”」
 静かに、告げる。

「今朝、私は夢を視たの。その夢と、ちゃんやハーちゃんのことは無関係であって欲しいって思ってた。……でも、もうそうは思えない」
「……何の夢を視たの?」
 ハリーが問うた。
「京都の北野天満宮に行った時のこと。その時のことを、夢に視たの」
「北野天満宮? 学問の神様のか?」
「知ってるの?」
「ああ」
 言いながら、真田はごそごそと制服のポケットに手を突っ込み、「これだ」と紫乃に見せた。
 それは、黒い小さな布袋。――――お守り袋だった。
 左右にそれぞれ、梅花と松の図柄が描かれ、その下には、的に向かって弓を引く、烏帽子を被った平安的な貴人――――菅原道真公の姿が、金色をベースにした刺繍で描かれている。
 中央には、同じく金色で『技芸上達守』という文字が刺繍され、上部分には、真っ白な飾り紐がついていた。
「学業だけではなく、武芸やスポーツ、その他の芸事においてもご利益があると聞いた」
「うん、そうなの。道真公は、努力だけで右大臣までのし上がった努力の人で有名だよ」
 にこり、と背後で笑う気配があった。
 このお守りを誰からもらったのか、紫乃も幸村も、誰も質問しなかったので、真田はちょっぴり安心した。紅梅からもらったということは秘密というわけではなかったのだが、けれど二人の秘密にしておきたかったからだ。
 「ハーマイオニーみたいなやつが神様になったってことだよね?」とロンがハリーに耳打ちするのが聞こえた。
「それと何がどう関係するのだ……?」
「それは、わからない。でも、上手く説明できないけど、何か関係してる、と思う」
「……曖昧すぎるな」
 歯切れの悪い紫乃の言葉に、真田の表情は険しい。
 けれど、「いや」と幸村は否定した。
紫乃ちゃんの言葉を信じろ、真田。必ず何かある」
「なぜそう言い切れる」
紫乃ちゃんが、藤宮家の陰陽師だからだ。紫乃ちゃんが言っただろ。必ず意味があるんだよ」
 陰陽師の視る夢には、意味があるというその言葉。
 「それに」と幸村が続ける。
「この地下で感じる俺と似た力の気配。ちゃんたちを攫ったのは、神に近い何かかもしれないよ」
「えっ、神!?」
 すっとんきょうな白石の叫びが木霊した。
 地下道に鳴動する神気の奔流。力の一部に禍々しい邪気のようなものが混ざり合っているようだが、滂沱の如く流れる気配の大部分は神通力に近しい。
 人ではない、何か。
 「人ですらないのか」と青ざめるロンの表情が悲観していた。罠を仕掛け、侵入者を阻み、これほどの力を有する存在。そして――――。
「……その夢が関係しているとしたら、」
 真剣な幸村の言葉に、真田も紫乃を信じることにした。そもそも、紫乃が変なことを言わないことは真田もよくよく理解している。
「北野天満宮に、縁ある者が犯人だと?」
「…………たぶん、だけど」
 言っている紫乃だって自信はない。
 春を届けてくれと、泣き崩れた貴人の姿が蘇る。陰陽師の視る夢、白梅香、一人ぼっちの男、白いお兄さん。
 まっ白く細長い糸が、繋がりそうで繋がらない。
(もしかして、白いお兄さん……?)
 考えて、そんなまさかと激しく頭を振るう。
「……先を急ごう。犯人が何処の誰かなんて、二人に会えばわかることだよ」
 落ち着いたハリーの声に、全員が従った。
 臆することなく真っ先に歩き始めたハリーの背中を、誰もが見つめた。
 勇猛果敢なグリフィンドール。その姿をまさに体現しているような彼の姿勢に、誰よりもロンが胸を打たれていたのだった。


「ごめんね、真田君。もう、いいよ。歩けるよ」
 歩き始めた一同に続き、真田は紫乃を背負って歩き出そうとしたので、紫乃が声を掛けた。
 だが、真田は「構わん」ともう一度、紫乃を背負い、下ろすこともなく歩いた。
「で、でも、真田君、」
「いま一番体力を消耗しているのは藤宮だろう」
 口調は怒っているかのように聞こえるのに、紫乃はもうちっとも真田が怖くなくなった。
 それは、厳めしくてもその中に確かな優しさを感じたからだ。だから、ポロリと本音が洩れる。
「……真田君って、優しいよね。ちゃんの言う通り」
「い、いきなり言い出すのだ!?」
 全く話の見えない紫乃の発言に、驚いたのと同時に羞恥から真田の耳がほんの少し赤く染まった。
 近くを歩く幸村は、全く目が笑っていない笑顔を真田に向けた。視線を受けとめ、ゴホンと咳をして紛らわせる。

「……なぜ、そう思う」

 歩き続けながら、真田は静かに問うた。
 あの悪魔の花が燃やしつくされてから、今のところ、特に問題は起きていないので、話す余裕も出てきたのだ。
「真田君、身体もおっきいし、声もおっきいし、顔もおっかなかったから……ちゃんは優しいしカッコいいよって言うけど、私からしたら考えられないと言うか、もうほんと怖かったんだけど……」
 紫乃に怖がられていることは知っていたが、素直に告白されると胸にグサリとくる。しかも地味に攻撃力が高いものをぶつけてきた。
 苦り切った顔をしている真田の顔は、背中の紫乃には見えないので紫乃は気にせずに続けた。
「……でも、不動明王様みたいだなって、思ったの。神様や仏様にはとても優しい方々ばかりで、笑顔でいてくださるけれど、不動明王様は優しいのに、怖いの。悪い人を懲らしめて、二度と悪さをしないように改心させるために、とにかく厳しいから。でも、厳しいのは……優しいから。だから、どんな悪い人も見捨てない」
 不動明王は、悪魔を降伏するために恐ろしい姿をし、すべての障害を打ち砕き、おとなしく仏道に従わないものを無理矢理にでも導き救済する、という役目を持つ。真言宗の教主「大日如来」の使者だ。
 その姿は、目を怒らせ、右手に宝剣を持ち左手に縄を持つ大変恐ろしい姿をしている。だが、その御心は人々を救済しようとする厳しくも優しい慈悲に満ちている。
「『梵天丸もかくありたい』」
「……独眼竜か」
「うん」
 祖父が見ていた戦国チャンネルの再放送で、大河ドラマ「独眼竜政宗」が放映されていた。紫乃は、祖父が大好きだと言うものだから、チャンバラは苦手だったが興味を持った。
 その第二話の「不動明王」にて、主人公・伊達政宗の幼少期、梵天丸時代の話を観た。梵天丸の父・輝宗が、梵天丸の師として虎哉宗乙を招いた回の話である。梵天丸は乳母であり教育係の喜多と訪れた寺で「不動明王は、なぜ怖い顔をしているのか」と虎哉に訊ねた。  紫乃も、たくさんの御寺や神社を訪れたことがあるが、不動明王を前にするのが一番怖かった。仏像だから何も怖れることはないのに、どうしても、あのおっかない顔が怖かったので、梵天丸の気持ちがよくわかった。
 不動明王は外見とは異なり、慈悲深い優しい仏であると答えた虎哉に、梵天丸は、
 ――――梵天丸もかくありたい。人の上に立つ者は、不動明王のようでなくてはならぬ
 と、こう答えた。
 「怖いのに優しい人なんて、居るのかなあ?」と当時の紫乃は、ずっと疑問だった。
 怖いのに、優しい。そんな真反対の性格を両方持ち合わせた人なんてきっと居やしないと思っていた。

 だが、藤宮紫乃は、ホグワーツで上杉紅梅と真田弦一郎に出会った。
 そして、紅梅を通して真田弦一郎という少年の人柄を知ったのだ。

 確かに真田は見た目が怖いし、怒鳴るとおっかない。ドラコ・マルフォイとの一件は、どう考えてもドラコが悪いと思っているけれど、あの吠えメールよりも恐ろしい怒号だけは恐ろしくてたまらなかった。
 けれど、彼は無暗に人を傷つけないし、人の努力を馬鹿にしない。紫乃がどんな失敗をしても、からかったり蔑んだりしなかった。彼は、常に前を見据え、己がすべきことを成し、努力を続けていた。人を貶すのではなく、自分自身を磨く清廉な人だった。これは、紫乃に酷いことを言っていた男の子たちとは、決定的に違っていて、そして手塚と何処か似ていた。
 真田は、絶対に、紫乃を傷つけなかった。紫乃が怖がっていることを理解して、近づこうとはしなかったし、一定の距離を保ってくれた。
 そんな真田の気遣いを知って、だから真田に近づこうと紫乃は思ったのだ。
「――――だって、ちゃんが大好きな真田君だもん。だから、怖いだけの人じゃないのかなって思えたんだよ」

 さて、不動明王様のようだと言われた側の真田は、こそばゆいやら気恥ずかしいやら、とにかく例えようがないのだが背中が痒いような感じがした。だいたい紅梅紫乃に「優しいしカッコいい」と話していたとは、どういうことだろう。不快なわけではないのだが、気になって仕方ない。
 怯えられてきた少女から、いわゆる賞賛のような言葉を聞かされたものだから、要するに照れたのだ。
 きっと、ここに紅梅が居れば、我がことのように「良ぅおしたなあ、弦ちゃん」と喜んでくれるに違いなかった。
 紅梅のことを考えて、ますます気恥ずかしくなる。思考を絶ち切るかのように、真田は話題を押し黙った。



「なんか、また変な仕掛けがあるで……」
 しばらく歩き続け、広いスペースへと来てみれば、そこは石板のような何かが3つ並べられている場所だった。
 げんなりとした白石の声に、紫乃は真田の背から降りた。
「文字が書いてある」
 周囲を探っていたハリーが、文字を見つけた。壁面にはこう書かれている。

 ――――三本勝負に勝った者のみ、先へ進め

「三本勝負ぅ?」
 「はあ?」と言いたげな表情で、顔を顰めた神の子に、ハリーもまた項垂れた。
 足場が崩れたり、とんでもない食虫花に追われたり――――今度は三本勝負と来た。
「……しかもどうやら、カードゲームのようだぞ」
 石板に描かれたのは何かの枠だった。何かを置くための枠だろうか思っていると、すぐ脇にあったのは、掌のサイズの小さな石板。めくってみれば、文字が書かれている。
 ――――玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする
「小倉百人一首……?」
 心底、理解できないといった声音だった。
「こっちは花札やで」
 言って、真田の手にあるサイズと同じサイズの石板を見せながら白石が言う。
 桐に鳳凰の光札が、描かれている。
「……こっちはトランプだよ」
 そう言う幸村の前には、これまた二人と同じようなサイズの石板。違うのは、図柄だった。見知ったハートのエースだった。
「なにこれ、カードゲームをしろって?」
 僕たちのこと、馬鹿にしてるだろ、とやや憤慨しているロンは、一連の出来事ですでに疲労困憊なのか、怒鳴る気力はもう残っていなかったらしかった。
 それでも不快感を露わにすることを考えると、まだまだ元気はある。
 反対に、クィデッチ選手としてテニス部と朝練を共にしているハリーは、体力がかなりついたのかケロリとしている。とはいっても、ロンと同じように機嫌が良いわけではない。
 紅梅とハーマイオニーを攫って、こんな罠までご丁寧に設置しているのだ。敵は、とてもいい趣味をしている相手である。
「……じゃあ、僕がトランプをやるよ」
 不機嫌な声とは打って変わって、冷静な声で言ったのはロンだった。
 これにはハリーだけではなく、誰もが驚いた。
「でもロン、此処に“勝負に挑む者は、その代価として己の魔力を支払うこと”って」
 壁画に記された文字の続きをハリーが読んだ。
 いま此処にはいない千石のように、魔力を奪われるのだ。危険だと訴えるハリーに、ロンは凛とした眼差しで告げた。
「ハリー。此処はきっと僕じゃなきゃダメだ。僕は日本人じゃないから、ハナフダもヒャクニンなんとかもわからない。でもトランプならわかる。僕のチェスの実力、ハリーは知ってるだろう?」
 ロンのチェスの腕は、誰よりもハリーが知っていたので、こくりと頷く。
 誇らしげに鼻をふくらませ、ロンは胸を張った。
「実は、トランプも得意なんだ。パパ以外には負けたことないよ」
 チェスならパパにも負けないんだけど、と笑う。
「気を悪くしないでくれよ? みんな、トランプは得意?」
 ロンの質問に、みんな首を縦には振らなかった。
 得意かどうかはわからない。たとえば、学校の休み時間で友達と遊ぶ楽しみくらいで、強いかどうかなんてわからない。
 そして、ハリーと真田に至ってはトランプ遊びなんてしたことがない。
 ハリーは、トランプで遊ぶなんて“楽しい時間”を小学校で過ごせるはずがなかったし、真田はトランプ遊びよりも、休み時間は一人で読書や次の授業の予習をして真面目に過ごしていたからだ。
「僕はきっと、この中で一番トランプが……ポーカーが得意だ」
 チェスという日本の将棋や囲碁のように、何手先も見越して仕掛ける戦略ゲームが強い彼ならそうだろう、とハリーは思った。
 でも、とハリーは食い下がる。
「魔力を奪われるんだよ、ロン」
「わかってる」
「でも、」
「犠牲は払わなくちゃいけない! キヨだって、払った! 僕たちのために!」
 食い下がるハリーに、焦れたロンが叫んだ。
「キヨだって悔しかったはずさ! でもあいつはそれをやってのけた! 僕はグリフィンドールだ、ハリー! ハッフルパフのキヨが出来たのに、ここで僕がやらなきゃ、僕はグリフィンドールじゃない!!」
 ロンの叫びに、誰もがロンの印象を改めた。
 良くも悪くも素直で、思ったことをずけずけと言ってしまう彼は、この中では一番子どもらしかった。けれど、けっして愚かなわけではない。
 ちゃんと反省して、ちゃんと考えることができる。そうして、千石が見せた「最善を選ぶ」姿勢を、彼は見習ったのだ。
「キヨだって言ってたじゃないか。僕はユキムラやシライシ、フジミヤ、そしてサナダみたいにむちゃくちゃすごい奴じゃない。ハリー。君みたいにクィディッチだって上手くない。でも、このゲームなら、僕は勝てる。だから、僕がやるんだ」
「ロン……」
「早く進まなきゃ、ハーマイオニーもウエスギも危ないかもしれない! 進むんだろう!? だったらやるしかないじゃないか!」
 親友の言葉に、ハリーは深く頷き、「わかった」とだけ言った。
「……そしたら、俺は百人一首やるわ」
「え、得意なの?」
「得意なわけやないんやけど、ねーちゃんの勉強に去年、さんっざん付き合わされてん。なんや中学の古典の課題で、百人一首全部覚えなあかんっちゅーのがあってんて。せやし、巻き込まれてなぁ、無理やり覚えさせられたわ」
 当時の苦労を思い出したらしい白石は、疲れたような表情だったが、「けど、その苦労をしてよかった思うわ」と切り替える。
 ハリーとロンは当然、日本の百人一首を知らない。そして、紫乃も幸村も、真田も、百人一首が得意ではない。正月遊びの余興として定番とはいえ、すべての札を暗記しているわけではないのだ。
 思わぬ強力な戦士の存在に、心強いと感じた。
 白石のことだ――――それこそ“完璧に”暗記しているにちがいない。
「じゃあ、俺は花札」
「いいのか? 俺でも構わんぞ」
「私も出来るよ、ゆきちゃん」
 最後の花札に関しては、真田も紫乃も理解しているし、対戦も出来る。二人とも祖父母が家族に居たから、自然と教わっていたし、百人一首と比べたら絵札を暗記するのは容易い。
 しかし、幸村は応じなかった。
「千石には劣るけど、俺は強運なら真田と紫乃ちゃん以上だよ、きっと。こいこいは、札の引きが肝心だからね」
 不敵に笑う“神の子”に、二人はおおいに納得した。
「さあ、戦ろうか」
 幸村の言葉に、白石とロンは頷き、三人は石板に魔力を込めた。
「――――ゲーム!」