乙女の髪と子供の悪戯5
ちゃんの髪は、すごく魔力が篭ってるの。きれいな髪だけど、それ以上に魅力的に見えるのは、その魔力のせいだよ。今日は髪を結ってなかったから、その魔力が垂れ流しになって、撒き散らかされてたの。みんな見とれてたでしょ?」

 紫乃は、はきはきと説明した。

「ピーブズは幽霊じゃなくて、どっちかっていうと妖怪に近い存在なんだと思う。そういう存在にとって、ちゃんの髪は、生きてる人間が思う以上に、物凄く魅力的に見えるんだよ。魔力の塊だから、触ろうと思えば触れるしね」
 ああなるほど、と、その場にいた全員が納得した。

 紅梅本人は不思議がっていたが、彼女や歩いたり動いたりする度にさらさらと揺れる髪に、すれ違う誰もが見とれていた。
 思わず目を惹くだけの髪ではあるが、それ以上に意識に働く“なにか”があったのだ。
 そしてピーブズが紅梅の髪に触れた理由もまた、納得の行くものだった。ピーブズがゴーストたちと決定的に違うところは、例えば杖など、何らかの魔力の篭ったものなら、ある程度触ったり、動かしたりすることが出来るということだ。
 だからこそ、彼は生徒たちに悪さをすることが出来ていたのである。

「しかも、ちゃん、すっごく“陰”の気が強いから……」
「“陰”の気、というのは、陰陽の“陰”か?」
 蓮二が尋ねると、紫乃は頷いた。

 陰陽の概念は、古代中国の思想に端を発し、森羅万象、宇宙のありとあらゆる事物をさまざまな観点から『陰』と『陽』の二つのカテゴリに分類する思想のことである。字面そのもののとおり、陰陽道の基本でもある。

「女の子は基本的に“陰”の気が多いんだけど、ちゃんは特にそうなの。生まれつきもあるかもしれないけど、普段から女の人に囲まれて生活してるのとかもあると思う。私はよくわからないけど、芸妓さんの世界は女の人の世界だから、自然に“陰”の力がすごく強くなるんじゃないかな。巫女さんが独身の女の人にしか出来ないのも、そのほうが“陰”の気が強くて、神様に同調しやすいっていうか、好かれやすいからだし」

 紅梅は顔から手を外し、紫乃の話を黙って聞いている。

「陰陽は常にバランスをとるようになってるから、普通、ちゃんみたいな人は、“陽”のものや人を好んだり、好かれたりすることが多いよ。でも、ピーブズみたいな、理から外れたのは──同じ“陰”を取り込んで、自分だけが大きくなろうとするところがあるの。ちゃん、心当たりない?」
「……たぶん……」

 紅梅は一度鼻をすすってから、ぽつぽつと話しだした。
 曰く、似たようなことを祖母の紅椿から言われているらしい。だが例によって言いつけられただけで理由は説明されていないし、今までそれを律儀に厳守してきたので、今回のような目にあったのは初めてだという。

「絶対、一人で伏見稲荷は行ったらあかんて言われとって……」
「伏見稲荷って、京都の、千本鳥居のところやっけ?」
 蔵ノ介が、テレビで見たことあるわ、と言うと、紅梅は頷いた。
「“嫁に持ってかれるえ”て」
「は? 嫁?」
「……狐は、人間の娘を嫁に取るという言い伝えがある。神隠し、ともいわれるが」
 蓮二が言った。

「そして、伏見稲荷大社は、全国に約三万社ある、稲荷神社──、稲荷大神の総本社だ。そして、稲荷大神といえば狐だ。稲荷大神、もしくは主神である宇迦之御魂大神そのものを「三狐神」の字を当て、狐の姿で描くこともある」
「えーと、むつかしいことはようわからんけど、いわゆる、お稲荷さんやろ?」
「そうだ。だが特徴的なのは、神社本庁に属さない単立神社である、というところだ。つまり稲荷大社は数ある神社のうちの一種なのではなく、稲荷大社として独立している」
「……それぐらい、力があるってことだよ」

 紫乃が、重々しく言った。

「伏見のお稲荷様は、力がすっごく強いから、力を貸してもらえれば物凄く頼りになるんだけど……。そのぶん“陰”の気の塊だし、神様だけど、眷属のお狐さまたちはやっぱりお狐さまだから、接し方がすごく難しいの。えーと、つまり……」
「神でありながら、妖かしでもある。相当の実力者でないと、早々手を出すべきではない、ということか」
 蓮二が言うと、紫乃はこくこくと頷いて、「そう、そういうこと!」と言った。そして、「伏見のお稲荷さまは、私もちょっと行けないなあ。怖くて」と、ぼそりと言った。

「確かに、ちゃんぐらい“陰”の気が強い人がひとりであんなところに行ったら、すぐにお狐さまたちに気に入られて、攫われちゃうかもしれない」
「行かんわ。絶対」

 紅梅は、強く言った。
 何しろ言いつけを守って行ったことがないので稲荷に対する悪印象はないが、今回のピーブズの一件から、何か理不尽な目に合うかもしれないということは重々学んだからだ。

「私もそのほうがいいと思うよ。……それで、ええと。気持ち悪い話をするけど、ごめんね? ……つまりピーブズは、ちゃんの“陰”の魔力を自分に取り込みたいって思って近づいたの。だからピーブズの魔力が、ちゃんの魔力にこんなにべったりくっついてるんだよ」
「うええ」

 紫乃の話を聞いて、全員が、気色の悪そうな顔をした。
 弦一郎は更に険しい顔になっており、紅梅本人は、再び泣きそうである。

「えっと、それで、この符は、ちゃんの魔力と混ざろうとしてるピーブズの魔力を、分けるためのものなの。急ごしらえだから、効果は薄いんだけど……」
「でも、見えるってことは、別物として認識されたってことだよね?」
「うん、そう」
 精市の指摘に、紫乃はこくりと頷いた。
 つまり先ほどまでは、紅梅の魔力に混ざろうとしていたため目に見えなかったが、別物と認識させることによって目に見えるようになった、というわけだ、と、訳のわからなそうな顔をしている面々に、精市は説明した。

「ああ、でも、たしかにこれは気持ちが悪いわ。切りたいっていうのもわかるもの」
「気のせいなんて言ってごめんなさいね、コウメ
「ううん……」
 申し訳無さそうな顔をする同室の先輩に、紅梅は首を振った。髪についたヘドロのような魔力が飛び散りそうな気がしたので、ごく控えめにだが。

「それにしても、これはひどいわ。さっさと取ってしまえないの?」
「うーん、部屋に帰って、ちゃんとしたものを作れば……。あの、正直、ここまでひどいと思ってなくって……」
 紫乃が、難しい顔で首をひねる。しかし紅梅が不安そうな顔をしたので、「だいじょうぶだよ! 時間はかかるかもしれないけど、絶対綺麗に取れるからね!」と、必死に言った。

「……いや、すぐに取れるかもしれないぞ?」
「どういうことだ、蓮二」
 ずっと黙っていた弦一郎が、立ち上がった。
 紅梅を直接的に助けた弦一郎であるが、何を言っても紅梅が泣き止まないので、まったく途方に暮れていたところだった。
 そして紫乃によって可視化したひどい有様に、なぜこうなる前に助けてやれなかったのか、という思いを強くしていたので、すぐに取ってやれるというなら、今すぐにでもそうしてやりたかったのだ。

「弦一郎、お前、ピーブズを直接殴れたらしいが、なぜだ?」
「何故と言われても……」
 質問を質問で返され──、しかも先程から何度も聞かれている質問に、弦一郎は困った顔をした。
 あの時は無我夢中でピーブズを蹴り飛ばし、それが普通に効いたのでそのまま続けてぶん殴っただけだ。ピーブズがゴーストと同じように何もかもをすり抜けるもので、触れたり、あろうことかぶん殴るなど誰も出来ないことだと聞いたのも、ついさっきなのである。

「予想だが、お前は“陽”の気がかなり強いのではないか? ……どうだ? 藤宮」
「えっ、あ、う、うん。……た、確かに、真田君は、“陽”の気がものすごく強いよ。えっと、ちゃんの“陰”の気の強さと同じぐらい、かな」
 もともと弦一郎に苦手意識があった上、今回の騒動で彼がしたこと、そして更に精市が鼻の骨を折っただのと過去の余計なことを言ったせいで完全に弦一郎にびびっている紫乃は、先程までの頼れる感じはどこへやら、びくびくと目を泳がせながら、たどたどしく言った。

「……どういうことだ?」
「つまり、ピーブズみたいな穢れの塊みたいな妖怪は“陰”の気と同化するししたがるけど、お前みたいな“陽”の気の塊とは思い切り反発するし、嫌うってこと」
 精市が説明した。
「あー! なるほどね! 真田君がピーブズ殴ってる時、殴ってるような音はしないのに、バチバチ電気が弾けるみたいな音してたよね。あれってそういうこと?」
 清純が、ピンときた、という感じに言う。精市が頷いた。

「女の子が“陰”なら、男は“陽”。生まれつきね。でも、ここまで極端なのはそうそういないよ。ちなみに“陽”に属するのは、圧力、密、頑強、火、乾燥、肉体的、とかなんだけど」
「そして“陰”は、真空、空洞、柔らかさ、水、湿潤、精神的、といったところだ。普通、男は“陽”が強く、女は“陰”が強い。しかしあくまで強いというだけで、全部が全部当てはまるわけではないし、男らしさ、女らしさといった概念とはまた別だ」

 蓮二が続ける。
 そして皆が紅梅と弦一郎を見比べ、二人がそれぞれ今出たキーワードにあからさまに当てはまりすぎることを実感し、全員が「あー……」と、心から納得する声を出して頷いた。

「そう、それで、今日は雨だから。特に“陰”の気が強くなるんだよね」
 紫乃が言った。
 雨の日になると、紅梅の髪は、いつもよりまっすぐになり、濡れたような輝きを増す。今までは単に湿気のせい、髪質のせいだと思っていたが、もしかしたらそうではなかったのかもしれない、と紅梅は思った。

「俺がピーブズを殴れた理由はわかったが、……それで? 紅梅の髪についたアレは、どうやったら取れるのだ?」
 真剣な顔で、弦一郎が言う。蓮二は頷いた。
「藤宮が言うように、同化しようとしてべったりくっついている魔力を、ゆっくりでも引き剥がす方法がひとつ。あとは、聖水などで無理やり浄化する方法だな。しかし、どちらにしろ、少し時間が掛かる」
「……うむ」
「しかし、そこで、お前だ」

 蓮二は、最近常に手に持つようになっている白い扇子で、弦一郎の胸を軽く小突いた。
 弦一郎は、きょとんとして、自分の胸に突き立てられた扇子を見ている。

「俺が?」
「あの“穢れ”は、ピーブズの“陰”の魔力だ。そしてお前は、それを殴り飛ばせるほどの強い“陽”の魔力の持ち主。また、陰と陽の気は、万物の理の中で生きている物同士であれば、本来バランスを取ろうとして和合するものなのだ。つまり──」
「なるほど。ピーブズの魔力は“陰”で、同じ“陰”の紅梅さんの魔力と同化しようと働くが、真田の“陽”の気は、ピーブズの“陰”は弾き、しかし紅梅さんの“陰”とはまっとうな形で同化する。そういうことかな、教授?」
「その通りだ、博士」

 ずっと黙っていたが、ずっとノートにメモを取り付けていた貞治が言うと、蓮二は微笑んで頷いた。

「お、今、櫛を持っているか?」
「へぇ……」
 言われ、紅梅はローブの内側をごそごそやって、柘植の櫛を取り出した。
 身だしなみ用の小さいものだが、かなりの年代もので、髪を梳く時はこれを使うように、と言い含められている品である。

 蓮二はそれを受け取ると、弦一郎に橋渡しした。

「弦一郎、髪を梳いてやれ」
「……む」
 本当にそんなことでいいのか、と、弦一郎は半信半疑の様子だったが、櫛を受け取ると、紅梅の側に寄った。
 上級生の女生徒がスペースを開けてくれたので、そこに座る。すると、斜めに座った紅梅の斜め後ろが見える位置になった。
 目の前にある紅梅の髪に、ヘドロともカビともつかぬ、とにかく気持ちの悪いねとねとしたものが絡まっているのを目前にして、弦一郎は眉を顰める。

「杖にするように、なるべく櫛に魔力を通せ」

 蓮二の助言通りにすると、年代物だからか、それとも京の魔女の品だからか、思いの外、櫛はスムーズに弦一郎の魔力を通した。
 そして、おそるおそる、弦一郎は櫛を紅梅の髪に当てる。

 ──バチバチバチッ!

「うお!」
「……あ! すごい、取れた!」

 真冬の静電気のような音が上がったかと思いきや、櫛を通したところの“穢れ”が、どろりと剥がれ落ちた。ソファの上にぼとりと落ちそうだったそれを、紫乃が慌てて紙を敷いて防ぐ。無論、術を施した紙である。

「上手く行ったようだな。これならすぐに綺麗になるだろう」
「ああ、ありがとう、蓮二」
「なに、実際やっているのはお前だ、弦一郎」

 蓮二は、ゆったりと微笑んだ。

「えっ、取れたん? ほんま?」
「取れてるよ、ちゃん!」
 ぽかんとしている紅梅に、紫乃が、喜色の滲んだ声で言った。
「良かったわねえ、コウメ」と、ずっとそばについていたハッフルパフ生の女生徒らも、皆喜びの声を上げる。

「ほんまに……? おおきに……」

 じわり、と紅梅の目にまた涙が滲んだが、表情は笑顔だ。
 まだ目が赤いのが痛ましいが、「真田君に取ってもらって、念のため聖めた水で洗えば全部きれいになるよ」と紫乃が太鼓判を押したので、紅梅はやっと安心したのか、肩の力を抜いた。

「まあ、そのかわり、弦一郎の魔力が染み付くが」
「むっ」
 蓮二が言った言葉に、せっせと紅梅の髪を梳いていた弦一郎の手が、ぴたりと止まる。
 ピーブズの魔力で穢れた髪にあれほど嘆いていた紅梅なので、もしやまた泣くのではないか、と不安になったのだ。しかし紅梅はきょとんとして、

「ぅん? ほうなん? それはよろしおすけど」

 と、けろりと言った。

「い、いいのか?」
「へぇ、弦ちゃんやったら、べつに」
「そうか……」

 弦一郎はほっとして、再び髪を梳き始めた。
 そのやりとりに、全員が生ぬるい顔をする。

「……弦ちゃん」
「何だ」
 後ろで髪を梳いているので、お互い、顔は見えない。弦一郎は手を止めないまま、返事をした。

「……助けてくれて、おおきに」

 すぐ言えんで堪忍なあ、と、紅梅は言った。
 ずっ、と鼻をすする音がしたが、声色からしてもう泣いていないことはわかり、弦一郎はほっとして、緩く笑った。

「うむ、気にするな」
「うん……」

 紅梅はこくりと頷き、黙って髪を梳かれている。
 その間に、誰かが掃除用具のバケツを持ってきたので、落とした“穢れ”はその中に落とすようにした。また、女生徒らが、紅梅の目を冷やすためのタオルを作ったり、皆の昼食を取り分けて、飲み物の用意をしたりし始める。

ちゃん、俺、聖水作るの得意だから、晩御飯のあとぐらいに届けるようにしておくね」
 それで洗えば一発だよ、と、精市がパイを頬張りながら、にっこりした。
「なら、俺はシャンプーとトリートメントでも作っておくか」
 物理的な汚れ以外の物も落とす石鹸があるので、それを改良して──と計画を立て始めたのは、もちろん貞治である。材料に魔法草が数種必要だということで、その調達と調合に、蔵ノ介が「俺も協力するで!」と名乗りを上げた。
 その間、紫乃は“穢れ”をより剥がれやすくするために追加で符を作り、弦一郎がそれをどんどん落とし、国光はバケツを持って、落とした“穢れ”を受け止める手伝いをする。

 午後一番で授業がある者は食事をしはじめているが、もともと授業数が少ないこともあり、今日は一年生全員、午後は授業がないので、急がず、のんびりとしたものだった。

「みんな、ほんまに、おおきに……」

 ここにいる一人残らずが、終始、紅梅のために動いてくれたのだ。
 感動した紅梅は今度こそにっこりと微笑み、皆に対し、深く礼を言う。

 きっちりと頭を下げると、綺麗になった端の髪が、さらりと揺れた。