嵐の懇親会 - 一方その頃
初めての魔法薬学の授業が、予想以上に波乱に満ちたものになってしまったハリーは、ハグリッドからのお茶の誘いがあって本当に良かった、と思った。
ハリー自身は、あれほど絡まれた割には一点も減点されることはなかったものの、精市が30点も減点されるという結果になったことには、ハリー自身、少なからずショックを受けていた。
今までの彼の行動を鑑みるに、精市としては、おそらく、目の前で起きた気に入らないことに、真っ向から口を出しただけなのかもしれない。
しかし、イビリに近いような絡まれ方をしていたハリーを助けたとも見受けられる行動の結果、30点の減点とあっては、どうしても気になる。
スネイプ教諭は精市の態度で相当腹が煮えくり返っていたようだが、それでもあまりに理不尽なことばかりしてきたのには違いない。
だから授業の後、思わずスネイプの背を追いかけて何か言おうともしたのだが、「やめたほうがいい」とロンに諭され、しゅんと肩を落とし、地下牢の階段を力なく上がった。
──気が滅入る。一体どうして、スネイプは、僕のことをあんなに嫌いなんだろうか。
「元気出せよ」
ロンが言った。
一度は、精市が強気極まる態度の結果、グリフィンドールから30点も減点されたことにいい顔をしていなかったロンだが、ハリーがあまりにしょんぼりしているのと、またやはり、精市の行動がハリーへのイビリ自体を止めたことも事実なので、それ以上は何も言わなくなっていた。
そのかわり、彼はひたすらハリーを励まそうと、ずっと声をかけている。
「フレッドもジョージも、スネイプにはしょっちゅう減点されてるんだ。──ねえ、一緒にハグリッドに会いに行ってもいい?」
もちろん、ハリーに否やはなかった。
昼食を食べて、嵐の勢いが少し弱まった頃を見計らい、二人はローブを被って校庭を横切り、“禁じられた森”の端にある、ハグリッドの住まいである小屋に向かった。
皆が小屋、小屋と言うので小さい建物を想像してしまっていたが、あのハグリッドが住む家が、単なる小屋なわけがなかった。大きな丸太をたくさん使って建てられたそれは頑丈なログハウスといったほうがふさわしく、この嵐でも、ちっともびくともしなさそうだ。
ハグリッドが悠々通れる大きさの戸口の前には、石弓と、防寒用の巨大な長靴が置いてあった。扉を殴るようにノックすると、中から扉をめちゃくちゃに引っかく音と、唸るような吠え声が数回聞こえてきた。
「退がれ、ファング、退がれ」
ハグリッドの大声が聞こえる。
少し戸が開けられ、ハグリッドのひげもじゃの顔が現れる。しかし、小さな二人の客のお出ましに興奮しきっている、巨大な黒いボアーハウンド犬──、ファングの首輪を押さえるのに必死になりすぎて、挨拶もままならぬまま、それでもなんとか二人を中に迎え入れた。
中は一部屋だけだったが、やはりハグリッドの体躯に比例して大きい。
ハムや雉鳥が天井からぶら下がり、ストーブの上の銅のやかんにはお湯が湧いている。部屋の隅、壁際にはとてつもなく大きなベッドがあって、パッチワーク・キルトのカバーがかかっていた。
全体的にごちゃごちゃした部屋だが、小屋と言っても、非常に実用的な山小屋のような感じで、男っぽくワイルドな道具がひしめいているせいか、男の子二人は、この小屋がなかなか気に入った。
「くつろいでくれや」
そう言ってハグリッドがファングを離すと、ファングは一直線にロンに跳びかかり、ロンの耳を舐めまくり、よだれでべとべとにした。
ファングは後ろ足で立ち上がったら明らかにロンより大きい犬で、名前の由来なのだろう、大きな牙が口からはみ出ていて非常に厳ついが、全力で客を歓迎している姿は気の良さが全面に現れていて、全く怖くない。
ハグリッドと同じだなあ、と思ったハリーは、笑いながら、自分の頭と同じぐらいの大きさのファングの頭を撫でる。大喜びしたファングは、ハリーのほっぺたをべろんとひと舐めしてから、ハリーの膝に人懐っこく顎を乗せた。
招待していないロンがついてきたことに、ハグリッドはもちろん嫌な顔など一切せず、快くもてなしてくれた。
燃えるような赤毛とそばかすを見て、ロンがウィーズリー家の子だとすぐに理解したハグリッドは、「お前さんの双子の兄貴達を追っ払うのに、俺は人生の半分を費やしてるようなもんだ」と言いながら、お茶と、ロックケーキをごちそうしてくれた。
「ロックケーキが硬けりゃ、お茶をミルク・ティーにして、浸けて食べるといい」
ハグリッドはそう言って、ミルクポットにしては大きいポットを出してきて、二人の前に置いた。
実際、ロックケーキは味はなかなかいけるものの歯が折れるほど固かったので、その提案に、二人はありがたく乗った。しかも、そのとおり、濃厚なミルクたっぷりのお茶に固いロックケーキを浸すと、柔らかくなって食べやすく、大きなチョコチップがいい感じに溶けて、お世辞抜きにおいしかった。
「おいしいよ、ハグリッド」
「そうかいそうかい、そりゃ良かった」
ロックケーキ、今となっては普通のケーキを頬張ってハリーがにっこりすると、ハグリッドも、嬉しそうににっこりした。
「この間ここへ来た、コウメっちゅうお嬢さんにこれを出したら、こうして食べてな。硬いんでこのままは無理だが、こうして食べると美味いっちゅうてくれた。それをダンブルドアにも話したら、確かに美味いってんで、三切れも持って帰りなすったんだ。俺のロックケーキは美味いのにいまいち人気がないんで悩んどったんだが、硬さがネックだったんだな」
俺にはちょうどいいんだがね、と言って、ハグリッドは、そのままのロックケーキを口に放り込み、ゴリゴリと音を立てて噛み砕いた。
だがハリーは、ハグリッドがあの岩のようなケーキを平気で食べていることよりも、その口から出た名前にびっくりして、目を丸くした。
「コウメって──、ミス・ウエスギ? 留学生の? ハッフルパフの?」
「おお、そうだ、そうだ。長い黒髪の。蛇女帝殿の孫だそうだなァ」
俺は会ったことがないが、と言いつつ、ハグリッドはブランデーを少し垂らしたお茶を飲んだ。
「どうして、ウエスギがハグリッドのところに?」
ロンが尋ねた。
あの、いかにもお淑やかそうな少女が、わざわざハグリッドを尋ねる理由が、全く思い当たらなかったからだ。しかもロンは、紅梅が組み分け帽子に「スリザリンだが」と言われたことから、ろくに口を利いていないながらも、なんとなく苦手意識がある。
「いやな、ペットに蛇を飼いたいらしいんだが、世話の仕方がよくわからんとかで、俺に聞きに来たんだ。入学式の前、引率の時に、俺が動物に詳しいと言ったのを覚えとったんだなあ」
「蛇……」
「でっかい蛇らしい。俺はでっかい生き物が好きだから、ペットにできたらぜひ会わせてくれと約束してなあ。楽しみだ」
ハグリッドは、嬉しそうに言った。巨大な生き物に会えるのが嬉しいのか、それとも得意分野で頼られたのが嬉しいのか──、多分両方だろう。
蛇女帝の孫ならば、ペットはやはり蛇なのか、と、ハリーとロンは納得したような、していないような顔をした。
「へえ。じゃあサナダもここに来た?」
「サナダ? いや、嬢ちゃん一人だったぞ。誰だ、サナダっつーのは」
「それがさ──」
ハリーとロンは、入学初日の朝、弦一郎が、ハッフルパフを侮辱したドラコを完膚なきまでに叩きのめした一件を、熱っぽく語った。
そしてその流れで、話は日本人留学生らの事に及ぶ。
誰がどの寮で、どんな人物であるのか。
特に同じグリフィンドールの精市、蔵ノ介、紫乃については話題も多く、そしてハリーは、つい先程の魔法薬学の授業のことを話した。
その話になると途端にしょんぼりしたハリーに、ハグリッドはロンと同じように「気にするな、スネイプは生徒という生徒はみんな嫌いなんだから」と言った。
「でも、僕のこと、本当に憎んでるみたい」
「馬鹿な。なんで憎まなきゃならん」
そう言いつつも、ハグリッドはまともにハリーの目を見なかった。──と、少なくとも、ハリーにはそう感じられてならなかった。
「そう、そう、留学生といえば、アトベの、ケイゴっちゅうのも会ったぞ。校庭でペットの犬を走らせてたんだが、そりゃあもう、見たことのないほど綺麗な犬でなあ。雌で、ファングは一目惚れだった──、なあ、ファング」
わぉう、と、ファングが、悩ましげにも聞こえる、弱気な吠え声を出す。
ハリーには、ハグリッドがわざと話題を変えたようにも感じた。
「アトベ? ああ、スリザリンの──、威張り散らした奴」
アンチ・スリザリン主義のロンは、ふたつ目のロックケーキをミルクティーに浸けながら、嫌そうに言う。
だがハグリッドはきょとんとして、
「そうか? 見た目はいかにも貴族っぽかったが、えらく気のいい奴だったぞ。ファングにもよくしてくれて、一緒に泥だらけになって走り回ってたしな。ありゃあ本物の犬好きだよ──、いや、アトベの人間は基本的に動物が好きだと聞いてたが、本当だった」
と言った。
ハグリッド曰く、『跡部』は魔法界でもマグル界でも、動物に関するNGO活動に熱心であるらしい。とはいっても、アトベが係る方面は非常に多岐に渡るので、その一環ということだろうが。
「ほれ、お前さんの兄貴の、ドラゴンの仕事をしとる、チャーリー。あいつもアトベの魔法生物NGOの、ドラゴン課に就職したいっつっててな──」
それからハグリッドとロンが、チャーリーの仕事に関する話をし始めたので、ハリーはお茶のおかわりをもらおうと、ポットを持ち上げた。
しかしふつうのものよりはるかに大きなポットに、ハリーは目測を誤り、近くにあったミルクのポットを倒してしまった。
「うわあ! ハグリッド、ごめん!」
「ああ? なんだ、倒したのか。いや、なんてこたぁない、そんなに中身も入っとらん」
ハグリッドは本当になんでもなさそうに言って、近くにあったこれまた大きな雑巾で、さっとこぼれたミルクを拭いた。
雑巾は新しかったが縫い目が荒く、不慣れな者が作ったのがまるわかりのものだ。変身術で、マッチを針に変身させられなかった時に課される課題だ、と、同じ課題をやった二人はすぐに分かった。
出来上がったものは学校で活用するとマクゴナガルが言っていたが、こうしてハグリッドのところにも分けられているようだ。
ハリーは、こぼれたミルクが他のところに染み込んでいないか軽くチェックした。ティーポット・カバーがだめになっていたので、もう一度ハグリッドに謝る。
「ハグリッド、これ、何かのメモじゃないの?」
ティーポットカバーの下にあった紙切れをつまみ上げ、ハリーは言った。
掌からはみ出すぐらいのサイズのそれは、何かが印刷されていて、新聞か雑誌の切り抜きであることがわかる。
しかし、ミルクでびしゃびしゃになったそれはひどくインクが滲んでいて、何が書いてあるのかは、もうまるで判読できなかった。
「ああ──、それな。大したもんじゃない。ゴミだよ。捨てていい」
ハグリッドはそう言うと、ミルクが滴らないように塵紙でそれをくるんで、本当にくずかごに捨ててしまった。
その後、三人はまたおしゃべりをした。
お茶とお菓子を囲んで、友達と楽しくお喋りをする、ということも今までなかったハリーは、その時間で、魔法薬学でのことをいくらかは気にしないようにすることが出来た。
ハグリッドはお土産にロックケーキを山ほど持たせてくれたので、ハリーはふと思いついて──、ロックケーキを、小さめに切り分けてもらった。
何しろ岩のように硬いので、切り分けるのも、ハグリッドぐらい力がないと難しいのだ。
そしてハリーは一般的なパウンドケーキぐらいの大きさに切ってもらったロックケーキを持って、夕食の時に、精市たちに近づいた。
「ユキムラ、君はそういうつもりじゃなかったかもしれないけど、ありがとう。本当言うと、スネイプの嫌味には、ほとほとうんざりしていたところだったんだ」
精市はきょとんとしていたが、すぐに笑顔になり、「わざわざありがとう」と言って、ロックケーキを受け取ってくれた。
ミルクティーやカフェオレに浸して食べると美味しいよ、と渡したロックケーキは、精市だけでなく、蔵ノ介や紫乃、ネビルやシェーマス、ハーマイオニーにも好評だった。かなり薄く切って、カリッとなるまで焼いても美味しいかもしれない、という意見も飛び出す。
初めて出来た友人でもあるハグリッドのロックケーキが好評で、ハリーも嬉しくなった。この一週間は自分のことに追われて無精をしてしまったが、ぜひこのことを、手紙でもいいからハグリッドに報告しなければ、と思う。
そしてその後、かなり勇気を出して、ハリーは景吾にもロックケーキを渡しに行った。
というのも、ハグリッドから、「あの坊主にも渡しておいてくれ」と頼まれたからである。あまり想像できないが、犬のことで、相当話が合ったらしい。
スリザリンのテーブルに近づいた時、グリフィンドールの、しかもあのハリー・ポッターがアトベ様に、という視線は凄まじく、特に景吾の取り巻きの女性との視線といったら、すくみ上がるほどだった。
しかし景吾は、ハグリッドからだという、油紙に包んだロックケーキを心よく、どころか、非常に嬉しそうに受け取ってくれた。
「食いたいと思っていたんだ」
とまで言う景吾の表情は輝くほどの笑顔で、近くにいた女生徒の何人かが、熱に浮かされたようなぽーっとした顔のまま、後ろにゆっくり倒れていくのを、ロンは呆然と見た。
「……硬いから、カフェオレとか、ミルクティーに浸して食べるといいよ」
ロックケーキを食べるのに必須の言葉も、ハリーはちゃんと添えた。
任務はこれで完了だが、ロックケーキの包みを開け、アイスブルーの目をキラキラさせて覗きこんでいる景吾に少し興味が湧いたハリーは、なんとなく口を開いた。
「ねえ、君、すごく綺麗な犬を飼ってるって本当?」
「マルガレーテか。ああ、ものすごい美女だぜ。会わせてやろうか?」
実に気軽な景吾の提案に、ひい、と、スリザリンの生徒の多くが、引きつった声を上げた。同じスリザリン生でも“抜け駆け”と表されるに十分なことだというのに、相手はよりにもよってグリフィンドールで、しかもあのハリー・ポッターである。
この光景には、既にスリザリンだけでなく、他の寮の生徒も、ひどく注目していた。
「うん──、ぜひ。でもスリザリンに行くと障りがありそうだから、ハグリッドのところのほうがいいかな」
そう言ったハリーは、なんだか、驚くほど気軽な気分だった。
周りの強い視線も、あまり気にならない。あの跡部景吾が、ごく気軽に話してくれているせいかもしれない。すぐ後ろにいるロンは、あわあわしているが。
「お前がそう言うなら、それでいいぜ。ファングにも会いたいしな。──まあ、マルガレーテはまだあまり乗り気じゃねえようだが」
「ファングは一目惚れだったって言ってたよ。ハグリッドの意見だけど」
「ハッ! 俺様のマルガレーテだ。当然だろ!」
「あはは」
笑い声すら発したハリーに、もはや驚き顔でない者の方が少ない。
「そうだ、月曜はテニス部の体験入部がある。マルガレーテも部員になったんで連れてくるから、それに参加すりゃいい。お前は体力ありそうだしな」
「うん、まあ──、普通よりはあるかもね」
ハリーは、苦笑気味に頷いた。
何しろ、毎日ダドリーとその取り巻きに追い回され、時に数人がかりで殴られたり、重いものを持たされたりといったことを、物心付く前からやっていたのだ。あまり食べさせてもらえずに痩せっぽちのハリーだが、その割には、かなり体力はある方だという自信はある。
「なら来い」
「うん、わかった」
ハリーは頷いて、「じゃあ」と軽く手を振り、スリザリンのテーブルから離れた。
景吾も、軽く、そして妙にキマッた仕草で手を上げ、返してくれたのを尻目に、ハリーはグリフィンドールのテーブルに戻る。
「ハリー、君、……すごいな」
追いかけてきたロンが、呆然と言う。
「スリザリンの、アトベの、いや……」と、ぶつぶつと続けているところからして、どうも若干混乱しているらしい。
ハリーはその様子に明るく笑うと、グリフィンドールの席に着いた。
「いや、……すごいよ。勇気がある」
「そんなことないさ」
ハリーの目線の先には、デザートのロックケーキを頬張っている神の子がいる。こちらも、相当気に入ったようだ。
「僕は普通だよ」
だって火が吹けるわけじゃないもの、と小さくつぶやいたハリーの心は、とても穏やかだった。