嵐の懇親会2
「じゃあ、次は僕かな」
 カチャ、と紅茶のカップを置いて、景吾の横のソファ、隣に位置するところに座った周助が言った。

「僕の家は、黒魔術の使い手──とよく言われてるけど、実際には、黒魔術を返す技に優れた一族、といったほうが正しいね」

 黒魔術、というのは、とても広義的な言葉である。
 大前提として、他人に危害を加えるための技や、自己の欲求、欲望を満たすために行われる魔術。不道徳な魔術に対する蔑称であり、闇の魔術と同一視されることもある。

「黒魔術の効果の多くは、何かに危害を加えたりする、容赦の無い、残酷なものが多い。そういうものを防ぎ、時に数倍にして返す技を持っているのが、うちの家だよ。返すには、そのものをより理解しなければいけないから、僕らも黒魔術を使おうと思えばもちろん使えるけど」
 すう、と、周助の目が開いた。
「それは我が家にとって、一番の恥とされている。やったら勘当、追放は免れないね」
「……で、具体的には、どういうことするん?」
 重厚な空気をあえて和らげるように、蔵ノ介が言った。するとその態度に呼応するように、周助も柔らかく微笑む。

「そうだね、仕事としては、呪いの解除とか、呪いをかけてきた人を突き止めるとか、そういうところかな。やり方は、人によって得意分野が違うけど。姉さんなんかは占いが得意だから、それに基づいて術を使う。日本でも、占い師として活動してるよ。不二由美子っていうんだけど」
「──マジで!?」

 清純が、素っ頓狂な大声を上げて立ち上がった。

「マ、ママママママジで!? 不二由美子!?」
「あん、うん。もしかして知ってる?」
「超ファンなんだけど! 毎月ファンレター出してて……!」
「へ〜、そうなんだ。偶然だなあ」
「不二君……ダメ元で言うけど、おねがい! サ、サイン貰ってきて……!」
「いいよ」
「ラッキィイイイイイイイイエエエエエアアアアア!!」

 天に向かって拳を突き上げて咆哮を上げた清純に、全員が目を点にしている。
 清純は興奮冷めやらぬ感じで騒いでいたが、隣にいた弦一郎にがっしと頭を掴まれて座らされ、何とか静かになった。しかしまだ顔は赤く、挙動がそわそわしている。

「……まあ、こんな感じかな。魔を払うのでも滅するのでもなく、返すことに特化してるのが、うちの特徴だ。闇の魔術を含む黒魔術全般、呪いに関しては、普通より知識があると思うよ」
「なるほど、興味深い……」
 貞治が、ノートに何か書きつけながら言った。

「そういう乾は、完全にマグルなの? 親戚や祖先に魔法使いがいたとか?」
「うーん、それなんだがな。前から家系を調べているんだが、それらしいことは全くわからなかった。もともとうちは親戚づきあいがあまりなくて、古い家というわけでもないしな」
 残念だ、と、貞治は眉を下げて言った。“調べる”、“究明する”ということにすべてを費やしている彼にとっては、本当に残念なことなのだろう。

「元々俺は理系の学問にとても興味があって、小学校に入る前から、数学、物理、科学化学を遊び道具にしていた。小学校に上がってから、部屋にこもりっきりなのを心配した両親からテニスクラブに入れられて、そこで蓮二に出会ったんだ。最初はテニスにあまり興味がなかったが、蓮二からデータテニスを教えてもらい、それから魔法の世界があると知って、この二つにのめり込むようになったんだ」
「理系分野においては、俺は貞治にかなわない」
 蓮二が、静かに言った。

「データテニスを教えたのは確かに俺だが、データを完全に数字で捉えて分析するやり方は、俺とはもう別物だ。──だからこそ、俺達がダブルスを組んだ時、二人の方向性の違うデータがお互いを補強しあうのだがな」
 ふふふ、と不敵、いや不穏に微笑む“レイブンクローの博士と教授”に、皆が冷や汗を流す。

「俺がホグワーツでやりたいことは、現代科学と魔法技術の融合による新技術だ。──重力装置に浮遊呪文をかけた場合の反応は? 魔法薬と化学薬品を調合した際の効果は? 変身術における質量保存の法則の瓦解については──?」
 貞治は、うきうき、うっとり、とした風に言った。
「興味のあることは山ほどあるが、特に専攻しているのが経口薬品かな」

 ──あの“汁”か。と、全員が察した。

「今は蓮二と共同で、脱狼薬の新薬の開発を進めている」
「脱狼薬ぅ? ちょ、最近出来たばっかりの薬やん。しかもだいぶ調合が難しい……」
「白石、だつろうやくとは何だ?」
「人狼のための経口薬だよ」
 弦一郎が首を傾げると、蔵ノ介が答えるより早く、得たり、という様子の貞治が、眼鏡をずり上げながら言った。

「ウェアウォルフ、人狼。普段は普通の人間だが、気性は荒く、一ヶ月に一度、満月の日に理性を失った凶暴な狼人間に変身し、人間を餌食にしようと暴れる。魔法生物、亜人の一種と思われていることが多く、人間を襲うので害獣扱いで差別を受けることが多いが、実は人狼は病気だ」
「病気……?」
 皆が怪訝な顔で首を傾げる。貞治は頷いた。
「最初に発症したのがどこの誰かは今だ不明だが、ヒトが人狼に噛まれると人狼になる。だが必ずしもそうなるわけでもなく、人によって症状が浅かったりもする。治療方法は現在皆無。だがダモクレス・ベルビィが近年開発したトリカブト系脱狼薬によって、症状を軽減できるようになった」
「トリカブト……。なるほど、Wolfsbaneやな」
 蔵ノ介が頷いた。ウルフスベーンとは『狼殺し』という意味で、トリカブトの別名である。ギリシア神話では、地獄の番犬ケルベロスのよだれから生まれたともされている。

「俺はこの脱狼薬が世に出たことで、人狼というものを知った。そして興味を持って調べたところ、つまりその正体は、魔法族の血液を媒介に感染するウィルスだと断定した」

 そしてこのウィルスは変身の魔法の特性があり、一ヶ月に一度満月の魔力に反応し、凶悪な変身魔法を放つ。
 しかしこの変身魔法が常に微弱に発露している場合などもあり、その場合は常に凶暴な精神状態となるため、人狼が“凶暴で、人を襲う亜人”と認識されてしまっているのは、そういうタイプのウィルスキャリアの患者のせいだ。

 さらさらと淀みなく言う貞治に、人狼や脱狼薬のことを知らなかった面々は「そうなのか」と頷いているが、しかし知っている者達は、目を見開き、唖然としていた。太郎ですら、手を止め、話に聞き入っている。
 だがしかし、それも無理はない。人狼は不治の病の一つであり、その原因が殆ど究明できていない。彼らが凶暴な亜人ではなく病にかかった人間なのだという知識ですら、あまり知られてはいないのだ。

「現在使われているダモクレス・ベルビィの脱狼薬は、つまるところ、トリカブトを“つなぎ”にして、あらゆる変身術解除のための魔法薬を融合させたものだ」
「……つまり、数撃ちゃ当たるだろ、的な薬だってこと?」
「そのとおり」
 精市の指摘に、貞治は頷いた。
「これだけ聞けば万能薬とも言えるし、数ある魔法薬を調合してすべての効果を失わせないというそれはある種芸術的ですらあるが、機能的ではない」
「というと? どういうことだい」
「必要のないものも混じっているということだよ。そして、トリカブトを主原料にしているだけあって、この脱狼薬は、人狼以外が飲めば、即死必須の毒薬でしかない。そして人狼にとっても、症状は和らぐが、“薬になりえなかった”成分で苦しめられることになる。まあ人狼は身体能力も代謝も凄まじく上がるから、死ぬほど苦しいだけで、死ぬことはないがね。でも確実に寿命は縮む」
「寿命が縮む?」
 皆が、怪訝な顔をした。

「変身術というのは、魔法の中でも最も難しく、繊細な制御を必要とする。人が動物に変わるということは、とても劇的で、大掛かりななことだからね。だからこそ、アニメーガスは免許制なわけだし──」

 だが人狼のウィルスは人を強制的に変身させ、その変化は、患者の体のことなど全く考慮していない、無理だらけのやり方だ。
 強制的に跳ね上がる身体能力と代謝、単純化された凶暴な思考は、一気に数年歳を取ることと等しい。だから人狼の患者は、実年齢より老けていることが多い。

「その上にこの薬を使うと、その都度の症状は抑えられるが、その代わりに副作用に苦しみ、ただでさえ短くなっている寿命が更に縮む」
「……すごく怖い病気だね」
 痛ましそうな顔で、紫乃が言った。

「そう、そのとおりだよ。だが魔法界には、そもそもウィルスという概念が非常に薄いんだ。魔法族は、魔法的な側面でしかものごとをとらえない。だからこういう薬になっている。だが今我々が作っているのは、もっと機能を限定し、科学的、医学的な考えも取り入れて作ったものだ。想定通りなら、変身はしても単なるアニメーガスのような状態──姿が動物なだけでちゃんと理性を保った状態になるか、もしくは満月の間寝ているだけで、周囲にも本人にも負担のない状態に出来るはずなんだけど──」
 貞治は、ううん、と、困ったような唸り声を上げた。

「実際、薬はほとんど完成していて──、あとは臨床だけだ。しかし人狼の患者はひどい差別から逃げるために隠れ住んでいたりすることが多く、なかなかコンタクトを取ることが難しい。今までは、ノクターン横丁の店を繋ぎにして、人狼の血を購入したりして研究を進めていたのだけど」

 ──マッドサイエンティスト。

 皆の頭に、そんな単語が浮かんだ。
 やっていることは非常に世の為人の為、立派なことなのであるけれども。

「そういうことだから、人狼の知り合いがいたら、ぜひ紹介してほしい」
「乾」
 揚々と言った貞治に声をかけたのは、呆れたような、しかし真剣味のある表情をした太郎であった。全員が、彼の方を振り向く。

「そういう大掛かりなことをしているのなら、きちんと報告しなさい」
「はあ」
 太郎は神妙な様子だが、対する貞治とはといえば、ホヨッとした顔で首を傾げている。相変わらず、自分のやっていることがどれほどのことなのか、あまりよくわかっていないらしい。
 研究者とは皆こうだろうか、と皆がぼんやり思っているところ、太郎はハァと息をついた。何かを諦めたようだ。

「……臨床実験に協力してくれる、人狼の患者だな。わかった」
「当たってくださるのですか!」
 喜色の滲んだ声を上げて、貞治が立ち上がる。太郎は頷いた。
「本当に完成すれば、非常にすばらしいことだ。特許も取るべきだろう。人が見つかれば紹介するし、完成した際には手続きに協力するので、こまめに報告するように」
「わかりました」
 返事をしたのは、貞治ではなく、蓮二であった。
 貞治は、研究が進むことにただ喜んでいる。

「……と、まあ、貞治はこんな様子だ。魔法と現代技術の融合。日本で暮らしていた我々ならではの研究テーマでもある」
 蓮二が仕切りなおしたので、皆、彼の方に向き直る。
「魔法だけでは応用が効かない場合もあるだろう。そういう時は、貞治を頼るといい」
「研究に付き合ってくれるのも大歓迎だよ。飲んでほしいものがたくさんあるんだ」

 フフフフフ、と笑った貞治に、全員がさっと目を逸らした。

「──では、貞治から繋げて、俺の分野を説明しておこうか。俺の分野は──」
 蓮二は一拍置き、にやりと笑った。

「ない」
「……ない?」

 殆どの者が、怪訝な顔で首を傾げる。
 蓮二はそのリアクションに満足した様子で頷くと、続けた。

「正しくは、全てだ。あらゆる知識を網羅するのが我が柳家。もちろん個人ごと得意分野はあるがな。しいて言えば、俺は理系より文系だが、その程度だ」
「人間図書館、知の探求者、とも呼ばれてるな」
 そう言ったのは、景吾だった。

「柳の一族に、知らないことはない。あらゆる知識を貪欲に追い求める、賢者の一族」
「その通りだ」
 蓮二は頷いた。
「しかし、うちは代々権力に興味がなくてな。そのかわり、専門技術や知識を持っている者に目がない。だから魔法族もマグルも関係なく、一芸に秀でた者を伴侶に選ぶ傾向があり、そのせいか“趣味人一族”とも呼ばれている。今も俺の家族一同、姉もそうだ」
「あ、柳もお姉さんがいるの?」
 周助が言う。

「ああ、姉は日本の芸術文化に目がなくて、とうとうこの間から、紅椿殿に弟子入りした。今は舞妓になるべく、京都で修行をしている。名前は柳蓮華というが、向こうでは“紅芙蓉”という名前を貰う予定だ。年齢的に、店出し──デビューはおよりも先になる」
「へぇ、そぉどすなぁ。芙蓉姐はんはえろぅ熱心やし、いらはる前からお茶やお三味しゃみのお免状も持ってはるさかい、そない先の話でもおへんえ」
 紅梅が、にっこりした。

「芙蓉姐はんは、うちら京芸姑の文化と魔法にえろぅ興味があらはって、そのために学校行かんとうちの屋形に来はったん。お祖母はんやお姐はんらァが魔女で、魔法の世界があるてうちが知ったんも、芙蓉姐はんのおかげもあるよって」
「そして、姉が紅椿殿の弟子になれたのは、おの口利きがあったからでな。家族一同、おには感謝している」
やわぁ、大袈裟にして」
 軽く頭を下げた蓮二に、紅梅は苦笑した。
 弦一郎が、ちらりとその様を見て、一人頷いた。相変わらず、紅梅は色んな場面で人を助けている、と感心したのだ。──おそらく、その恩恵を一番受けている立場として。

「そういうわけだ。何か調べ物がある時は、この柳蓮二、いくらでも知恵を貸そう。わからないこともあるが、まあ、大抵のことはわかるだろう」

 その“大抵のこと”がどれほど広い範囲なのか、誰にも想像すらつかない。

「もちろん、皆の専門知識にも、大いに興味がある。──白石、先ほどすぐにトリカブトについて理解していたが、やはり白石は魔法植物に造詣が深いのか?」
「おう、そのとおりや」
 蔵ノ介は、満面の笑みを浮かべて頷いた。

「ウチは、魔法界のもんもマグルのもんも関係なく、植物に詳しい。特に毒草!」
「ど、毒草……」
 清純が若干引いたように言うが、蔵ノ介は全く気にしていない。
「ちゅーか、ウチは魔法族っちゅーより、毒草を追い求めてったら魔法界にたどり着いった、いう感じらしいわ。元を辿ればどこぞのお殿様の毒味とか、お匙……主治医とか、そない言われとるけど、そこはあんま知らんな」
 ちゃんと調べればわかると思うけど、と、蔵ノ介は首を傾げた。

「そやから、得意なんは薬草学と魔法薬学やな。とにかく、植物のことでなんかあったら相談してや! あ、あと健康に気をつけてて、ヨガがマイブームやで。興味あったら聞いて聞いて」

 余計な情報までちゃんと拾って書き付けたのは、貞治だけである。

「植物好きなとこでは不二クンと幸村クンと話が合うし、薬学の面では乾クンと協力できるとこが多いんは、もうわかっとるな。な?」
 蔵ノ介が言い、話を振られた面々は、それぞれ頷いた。
「そうだね。俺は単にガーデニングが趣味で、知識があるのは普通の植物だけだけどね」
 まあ、花言葉とかは結構知ってる方かなあ、と精市が言った。
 周助も同じような感じで、花を中心にしている精市に対し、周助は万年青や観葉植物、サボテンなどが好みらしい。だが、このあたりは本当に普通の趣味の範囲だ。

「呪いには、毒を使ったものも結構あるから、そのあたりでは白石と少し知識が共通してるかな。うちも、大元は権力者が受けた呪いを返すのを仕事にしてたみたいだし、ルーツも似てるかもね」
「白石の毒草の知識には、この間から舌を巻いているよ。とても助かる」
 貞治は、とても充実した顔をしていた。
 周りの者達は、このマッドサイエンティストに毒物を扱わせて大丈夫なのだろうか、とかなり不安な顔をしていたが。