嵐の懇親会1
 ──金曜日。

 ホグワーツ入学後、初めての週末を控えたその日の午後は、一年生は全員、丸々授業がない日だった。
 家族と離れての寮生活、そしてホームシックになる暇もないほどの魔法学校での様々な体験に、多くの生徒達は、ゆっくりと休んだり、仲良くなった新しい友達とこの一週間について話したり、予習復習をしたり、そしてここぞとばかりに遊ぶ計画を立てたり、といった様子が一般的だ。

 しかし日本人留学生ら、テニス部員たちは、誰もその例に当てはまらなかった。
 彼らは以前決めた通り、お互いの専攻分野を把握し、また『日本の文化と魔術に関する特別講義』の順番を決めるため、事前の話し合いをしに集まっていた。

 ──と、お題目は固いが、要するに、改めて自分たちのことを紹介しあって、今後スムーズに付き合っていけるようになろうという懇親会である。
 リラックスできる空間で、温かい紅茶と茶菓子を囲んで親睦を深めようと、そういう集まりなのであるが。

「おぅ……。なんや緊張するわ……」

 蔵ノ介がそわそわと言い、メンバーの半数がそれに同意した。
 なぜなら、彼らがいるのは、教師としての太郎に充てられた部屋だからである。

 予定では当然部室に集まるつもりだったのだが、今日は朝からじわじわと天気が崩れ始め、午後からは、とうとうバケツをひっくり返したような大雨となっていた。
 どのくらいかといえば、決して長くない部室までの道のりを行けば、傘を差そうが合羽を着ようが、上から下まで濡れネズミになることが確実、というくらいの天気だ。

 イギリスには、ゲールという、独特の気候がある。
 要はちょっとした嵐のことで、秋から冬にかけて頻繁に起きる。気象学上は、時速32マイルから63マイル──秒速約14メートルから28メートルの強風になる。起こる仕組みは台風とは違うのだが、体感的には似たようなものだ。

 つまり今日は今年最初の大きなゲールが吹き荒れたため、外に出るのを禁じられたのだ。
 テニスコートには天幕が張ってあるとはいえ、さすがにこの天気では雨風が吹き込んでいて、練習にならない。
 テニス大好き、テニスバカ一代揃いの少年たちは外出禁止令に総じてぶうたれたが、さすがに天災には魔法も勝てないし、この階段だらけのホグワーツを走り回れば、基礎練習としてはいつもよりきつかろうとさらりと言う太郎に、全員一斉に口を噤んだ。

 そして部室の代わりに太郎が提供したのが、自身の部屋だったわけである。

 ホグワーツには日本の学校でいう職員室がない代わりに、担当教科の準備室兼、半私室、研究室、書斎のような感じの部屋が、それぞれ一室ずつ割り振られている。大抵は、担当教室の隣に、ドアで繋がった部屋がそれにあたる。
 ベッドがある完全なプライベート・ルームとはまた別で、多くはその教諭がレポートの採点や書類作成、授業の準備などの職務を行う仕事机や、授業で使う様々な道具などが置いてある。
 生徒が質問などをしにこの部屋にやってくることも多いので、基本的には仕事のための部屋である。しかし生活の大半をここで過ごす教師もちらほらと存在し、そのため、居心地のいいソファを置いたりする教師もいるし、お茶の用意が出来る設備もある。

 太郎は明確な担当科目があるわけではないが、留学生たちの保護責任者であり、また特別講義を受け持っているので、そのための教室と、扉続きのこの部屋を割り当てられている。
 それに、教師間でも日本の魔法使いとの交流は非常に歓迎されていて、訪ねて来られることもたくさんあるので、こういう部屋がないと非常に不便であるらしい。

 そして、太郎の書斎のようなこの部屋は、位置的にはレイブンクローとグリフィンドールの間あたりで、六階にあるのだが、ホグワーツの大抵の部屋のような、いかにも薄暗い魔法使いの部屋、という感じがまったくなかった。

 まず、その高い階数に位置する上、壁の一面が、丸々ガラス張りになっている。
 そのせいで非常に開放感があり、晴れの日はかなり明るいだろう。ちなみに魔法がかけてあるので自動で光量調節がされ、カーテンを引かなくても眩しすぎたりはしないし、今日のような嵐でも、ガラスがうるさくガタガタ鳴ったりもしない。
 その窓に背を向けるような形で座る、立派な椅子と仕事机は、いかにも重厚な、飴色のアンティーク。床には間違いなく高級品であろうペルシャ絨毯が敷かれ、ふかふかの大きなソファと、机と揃いと思われる、飴色のローテーブル。
 壁には様々な資料や本がきちんと棚に整理されており、部屋の端に、湯を沸かせるくらいの、小さな設備があった。
 何よりも特徴的なのは、立派なグランドピアノが置いてあるところだろうが。

「講義についての質問も、同時に受け付ける。私はここで仕事をしているが、遠慮無く聞きなさい」

 そう言って、太郎は子供たちをふかふかのソファに座らせ、魔法で紅茶とお菓子を出して、自分は仕事机で羽ペンを持って何か作業を始めた。

 しかし、教師の書斎というより、もはや高級ホテルのスイート・ルームといったほうが納得できるラグジュアリー空間に招かれた少年少女らのうち、本当に寛げている者は多くなかった。

 紫乃は突然キャリーから出された子猫のようなびっくり顔で固まっているし、国光も、慣れない空間に緊張しているのか、腕を組んだまま、ほとんど動かない。さすがの貞治も、そわそわと落ち着かなさげである。
 弦一郎は入学準備の際にリッツ・ロンドンに宿泊し、太郎のトラファルガー・スイートを経験しているが、その時と同じように、慣れない気持ちを味わっているだけだ。
 清純もまた、「うわー、すごー」と声を上げてはいるが、ゆったりした気分にはなれそうになかった。蔵ノ介も、似た様子である。
 蓮二は彼らほどがちがちではないが、基本的に純和風の生活をしているため、このような空間はあまり得手ではないようだ。

 逆にすっかり寛いでいるのが、言うまでもないが景吾である。
 スリザリンの談話室にいる時よりもはるかに寛いでいる、と、同じスリザリンで行動を共にすることの多い周助は確信した。その周助はといえば、口では「緊張するなあ」と言いながら、優雅に紅茶を飲んでいて、全く緊張したふうには見えない。
 また精市も、自宅が似たような雰囲気の内装だからと言って、まったく緊張した様子は見られない。といっても、彼の場合、どんな部屋だろうと、緊張しているところなど誰も想像できなかったが。

しーちゃん、紅茶にミルクいる?」

 そして紅梅もまた、非常にリラックスした様子で、マイセン磁器のミルクポットを紫乃に示した。

「あ、うん……。……ちゃん、慣れてるね……?」
「へぇ、うち、毎日来とぉし」
「え、そうなの?」
 驚いたのは、紫乃だけではなかった。ほとんど全員の注目が、紅梅に集まる。
 しかし紅梅はのほほんとしたまま、おっとりと言った。
「お舞のお稽古見て貰とるんえ。たろセンセはお舞はやっとおへんけど、えろぅ目が肥えてはるよって。こっちにおる時はお祖母はんもお師匠っしょはんもいてはらへんけど、そういうお人に見てもらうだけでも、ちゃうよってな」
 太郎は元々プロピアニストの道もあったほど音楽に精通しており、また紅椿のファンになってから、その繋がりで、日舞、歌舞伎にも造詣が深いのだ、と紅梅は説明した。

「へー……。ちゃんの日舞、見てみたいなぁ」
「お稽古やから、あんまり見れたもんとちゃうけども……。それでもよろしおしたら」
「うん!」
 紫乃は、にっこりした。いくらか緊張の取れた様子に、紅梅も微笑み返す。

「落ち着いたところで、そろそろ始めようか」

 にっこりして、精市が切り出した。
 今回集まった目的は、呑気にお茶をすること──でもあるし、そうでないともいえる。
 今回の集まりの目的は、再来月から始まる『特別講義』の発表の順番を決めるため、そしてお互いに得意分野で助け合えるように、それぞれのお家芸について紹介し、情報交換をすること。そしてそれによってお互いの理解を深める事、である。
 懇親会、と言ってもいいだろう。

「じゃ、お誕生日席でふんぞり返ってる跡部から。君が一番有名だし」
「アーン?」
 精市が言った通り、景吾は、長方形のローテーブルの短辺にある一人がけ用ソファ──最も上座に、当然のように腰掛けている。

「ふん、まあいい」

 パチン! と、景吾は指を弾き、非常に切れの良い音を鳴らした。
 すると部屋のドアが開き、跡部家から景吾についてきた数人の屋敷しもべ妖精のうちの一人──しもべ妖精には非常に珍しいことながら、執事服を着ている──が、大きな、そして見事な毛並みのアフガン・ハウンドを伴って、部屋に入ってきた。

 普通なら、しもべ妖精が犬を連れてきた──という光景なのだろうが、アフガン・ハウンドの毛並みがあまりに見事で、“お利口”という言葉も安っぽくなってしまうほど、まるで中世の貴婦人のごとくしずしずと絨毯の上を歩くので、高貴なお嬢様とその従者、といった風にしか見えない。
 長い毛並みはきらきらと輝くブロンドなのに、顔が黒く、とても脚が長いので、犬の一種というよりまた別の生き物のようで、エキゾチックな美しさがある。

「マルガレーテ、今日も美しいな!」

 そっと景吾の横に座った“彼女”に、景吾はいかにも愛情たっぷりに言った。
 マルガレーテは、細く高い鼻面をツンと上に向け、とても誇らしげな表情をしている。額から長い背中、尾の付け根までは一本の分け目があり、そこから床まで垂れ下がる絹糸のような毛並みは、まるで金の滝のようだ。
 素人目で見ても、ドッグ・ショーなどに出場すれば、確実に優勝が狙えそうな気配である。人間に例えるならば、ブロンドをワンレングスに垂らしたスーパーモデル系美女、という感じだろう。

「ひゃあー、別嬪さんやなあー」
「うん、こんなきれいな子、初めて見た……」
 紅梅紫乃が、惚れ惚れして言った。
 その評価に、当然だ、と言わんばかりの景吾とマルガレーテの表情がなんだかとても良く似ているので、何人かはつい笑いそうになったが。

「改めて紹介するぜ。うちのマルガレーテだ」
 景吾が言うと、マルガレーテが、ワン、と控えめに鳴いた。よろしく、と言っているのが、何となく分かる。
「へえ。魔法界の子?」
 周助が尋ねた。

 人間たちに魔法が使える魔法族とそうでないマグルがあり、植物にも普通の植物と魔法植物があるように、動物にも、魔法生物とそうでない動物が存在する。
 魔法生物の多くは人の言葉を解し、非常に知能が高いことがほとんどだ。一番身近なのは、手紙を運ぶふくろうたちであろう。
 彼らの見分け方は、なんとなく考えていることがわかるかどうか、だ。
 こうして言葉にすると曖昧なものだが、魔法使いにとっては、非常にわかりやすい方法である。例えば今、マルガレーテはわんと鳴いただけだが、よろしくと言ったのが分かったし、姿を見ただけで、女性だということがわかった。マルガレーテが“普通”の犬なら、そして彼らに魔法の力がなければ、この感覚と意思の疎通は存在し得ない。

 魔法族はペットを飼うことが多く、もちろん飼うのは魔法生物だ。
 ふくろうなどの鳥類は魔法生物の数は多いが単純な意思疎通しか出来ないことが多く、猫も数は多めで、危険察知能力には優れるが、直接どうこうする力は頼りないといった、種族ごとの特色もある。一時期流行したカエルは、ほとんど意志疎通ができないが幸運を呼ぶとして、一時期流行した。

 犬は魔法動物でなくても知能が高めなせいか、数が少ない。魔法族では、一部の好事家が普通の犬をペットにすることはあるが、その程度だ。ハグリッドが飼っているファングも、大きいだけで魔法生物ではなく、魔法界に迷い込んだ普通の犬である。
 また蛇は更に特別で、パーセルタングという、特殊な、かつほとんど先天的な言語スキル──パーセルマウスの持ち主でないと、彼らの意思を読み取ることは出来ない。
 そのかわり、パーセルマウスである人間は、まるで人と話しているような感覚で、蛇と意思を通わせることが出来るという。

 更に、人間ではないが時に人間以上の知能を持ち、言語を解するだけでなくきちんとした会話が可能で、独自の文化などを持ったり、人間との間に生殖能力があるとなると、魔法生物ではなく亜人と呼んだりもする。
 身近なのは屋敷しもべ妖精や、グリンゴッツを経営しているゴブリン。また禁じられた森に住むケンタウルスや、巨人など。呪文学教諭のフリットウィックは、ゴブリンの血を引いている。
 だが種族的な特徴が人間に害を及ぼした歴史もあり、敵対していたり、差別を受ける場合もあり、問題視されることもある。

 そういうことなので、周助はマルガレーテに「魔法界の子?」と言ったわけだが、景吾は首を振った。

「いいや、違う。マルガレーテはマグルのブリーダーの元で産まれた、普通の犬だ」
「えっ、でも、言ってることだいたい分かるよ?」
 ホグワーツに来て初めて魔法生物というものに触れた清純が、首を傾げる。
 ちなみに、彼が伝書鳩として飼っている三郎も魔法生物だが、飼い主とは逆に元々寡黙な性格だったようで、意思疎通が出来るのに、会話は少なめだ。

「それが、“跡部”の力だよ」

 精市が言った。

「その力は、『契約術』とも『王の力』とも言われるけど、要するに、忠誠を伴う契約関係を結ぶことで、眠っている潜在能力を引き出す。その対象は、心さえ持っていれば、人間、動物、魔法族、マグル、関係ない」
「少し違うな」
 景吾が、厳かな口調で言った。

「この力は、忠誠心を向けられるだけじゃあ、成立しねえ。その忠誠に報いる王の心構え、覚悟。それがねえと、この関係は簡単に瓦解する。そしてその時、信頼を破り、破られた時にお互いに降りかかるものは、生易しいもんじゃねえ」
 景吾は、マルガレーテの毛並みを撫でながら言った。
「……だから俺様も、まだ、人間との間にこの力を使うことは許されてねえ。動物は心が素直で純粋なのが殆どだし、望みも単純で一直線だからな」
「望み?」
 紅梅が首を傾げると、景吾は鷹揚に微笑む。

「この関係が成立すると、俺様には、こいつらが何を望んでいるか、何を恐れるのか、──何を考えているのかが、的確にわかるようになる。そしてそれを叶え、恐れるものから守り、想いを理解してやればやるほど、俺の力も、こいつらの力も強くなる」

 跡部が『King of kings』と呼ばれる理由は、ここにある。
 彼らの力は、信頼関係が強くなればなるほど、自身にも相手にも大きな力を及ぼすものであるだけに、傘下に加わることを望む者は数えきれない。
 しかし王も人間であり、全ての者の望みを叶えることは難しいし、民となる者たちも、ただ力が欲しいと願うだけでは、跡部の王の力は与えられない。常に王のために尽くし、与えられた力を王のために使い還元する忠誠を誓わなくては、仕える許しは与えられないのだ。
 そして王たる者も、民の望みはわかっても、自分の望みは誰にも理解してはもらえないという孤独な境遇に耐え、玉座に君臨し続ける絶大な精神力、包容力。つまりは王の資質が常に求められる。

「だから、魔法の力とは全く関係なく、帝王学を修め、王たる資質を認められねえと、この力を正式に使うことは許されねえ。玉座に座ることの責任と、民あってこその王だという自覚を忘れないからこそ、俺達は王であり続けてきた。俺もそうなる。──そもそも、闇の魔術の服従の呪文なんかとは訳が違って、俺に仕える気を起こさせねえと、力を使うことも出来ねえからな」

 そう言ってソファに座る景吾は、どこからどう見ても王様、王の中の王だった。

 ちなみに、景吾はまだ人間との間に契約関係を結べない未熟を申したが、実際、彼の年齢で、動物との間に術を使うことを許されているだけでも、相当なものなのである。
 動物と一口にいっても、彼らは空を飛び、水中を泳ぎ、遠くの音を聞き分け、においを辿り、凄まじいスピードで走り、鋭い牙や爪を持つ。そして信頼関係を強めさえすれば、彼らはそれに加え、人間並みの知能を持つのである。
 マルガレーテは景吾が初めて契約した存在で、最も信頼関係が強いため、ペットとしてホグワーツにも連れてきた。彼女は完全に言葉を理解し、砂漠の猟犬であるがゆえに、身体能力も高い。
 更に、「景吾のために美しくありたい」という彼女の強い望みと、またそれを叶えるべく景吾が専属のしもべ妖精──卓越したトリマー技能を身につけた妖精である──を付けているので、彼女の美しさには、寸分の隙もない。

 ちなみに、跡部の起源は、様々な天使や悪魔を使役し、あらゆる動植物の声までをも聞く力をもって古代イスラエルの最盛期を築いた、ソロモン王の血と言われている。

 そして、景吾がその力を持つことを許されているのは、この年齢にして、その資質を、“跡部”の人々からも信用されているからに他ならない。
 景吾は歴代の“跡部”の中でも特に王の力が強く、契約を結んでいなくても、相手の望みや弱点がある程度わかるほどで、その力は独自に『インサイト』とも呼ばれている。

 彼が人間との間に王の力を使うことを許されていないのは、いかに景吾といえどもまだ足りない人生経験から、動物よりもはるかに複雑な心と欲望を持つ人間に食い物にされて、その可能性を潰さないように、という配慮からくるものだ。
 景吾に仕えたいという者は今現在でも多く、その一人が、弦一郎と紅梅がリッツ・ロンドンで景吾にあった時にもついてきていた、一年年下の樺地崇弘少年である。大柄で非常に心優しく、景吾のペットたちからも信頼されている彼とは、景吾もいずれ正式な主従の関係を結びたいと思っていた。

「これが俺の力だな。俺に仕えてえ奴は歓迎するぜ」

 にやりと笑う景吾には、確かに、誰もが思わず惹きつけられるだけの魅力があった。
嵐の懇親会1/一方その頃/終