入学準備4
それから改めて軽く自己紹介をしあっていると、紫乃の祖父が現れた。
そのため、紫乃と国光らはもう一度礼を言い、「それでは、ホグワーツで」と言って去っていった。
「……なんと片生りな。この年であのように稚いとは」
弦一郎は紫乃が同い年であったということが未だに信じられないらしく、人混みに消えていく小さい背中を見送りながら、顰めっ面で呟いた。
しかしそれは憤っているわけではなく、単に、大丈夫なのか、という心配からくるものだ、ということを理解した紅梅は、苦笑した。
「確かにすこぉし泣き虫やけど、ちゃんとお礼も言える、可愛らし子やったやないの。周りが気ぃつけたったら大丈夫や」
「ふむ……」
弦一郎はまだ唸っているが、とりあえずは納得したらしい。
しかし、彼らはこうして紫乃を幼く感じているが、彼らの実年齢からいって、紫乃は標準よりやや頼りない程度で、特別庇護が必要なほどではない。
普段から軍隊式の躾と剣道で鍛えに鍛えられている弦一郎や、同じように厳しい稽古を日々こなし、既に座敷に上がって客と接している紅梅が、標準よりはるかに大人びているだけだ。
貞治に関しては、貞治だから、としか言えないが。
「ところで、君たちはこれからどうするんだい」
連れとはぐれた、ということらしいが、まったくもって余裕綽々の貞治が、何でもないように言う。またノートを開いているが、二人はもう気にしないことにした。
「まず教科書を買いに行こうと思っている」
弦一郎が当初の目的を告げると、貞治は頷く。
「フローリシュ・アンド・ブロッツ書店だね。好都合だ」
「何がだ?」
「はぐれた時は、そこを待ち合わせ場所にしているのでね。本があれば、いくら待っていても苦痛じゃないし」
貞治は何か数字をいくつか書き込むと、ノートを閉じた。
「さて行こうか。あそこは素晴らしい品揃えでね、教科書以外の本も欲しいものでいっぱいだ」
「なぜ迷子のお前が仕切るのだ」
すたすたと歩いていく貞治に、弦一郎が半目で突っ込みを入れる。
「先程は迷子と言ったが、実のところ、連れとはぐれただけさ。ダイアゴン横丁の地図および各種データは、完璧に頭に入っている。よかったら道案内も請け負うよ」
「……データとか、なんぱーせんと、とか……」
「紅梅?」
さっさと歩いていく貞治についていくかどうか迷っていた弦一郎は、小さく呟いた紅梅に目を向ける。彼女は貞治の後ろ姿を見ながら、何か考えているようだった。
「うーん……。多分大丈夫え。ついて行かしてもらお」
「む……。まあ、お前がそう言うなら」
弦一郎がそう言って頷くと、いつの間にやら振り向いていた貞治が「ほう、興味深い」などと呟きながら、また何かノートにがりがり書き込んでいる。
何を書き込んでいるのか弦一郎は気になったが、なんとなく、気にしたら負けだ、と無理やり思考を抑えこみ、紅梅の手を握り直した。
“Flourish and Blots”──『フローリシュ・アンド・ブロッツ書店』は、床から天井まで本がぎっしり積み上げられた、まさに本屋という本屋であった。
ただしどれもこれも普通の本ではなく、数人がかりで持ちあげなければいけないような大きさの本から、指先くらいの本もあり、芸術品のような装丁の本もあれば、また始終なにかぶつぶつ呟いているような声が聞こえる、不気味な本もあった。
外観は緑色だが、中は全体的にこげ茶の木造建築である。
弦一郎らと同じように教科書を買いに来ているのか、同じくらいの年頃の、ローブを纏った子供が多い。
だが彼らは皆見るからに欧州人で、また、大人と一緒に来ている子がほとんどだ。子供だけで、しかも珍しい和装の弦一郎と紅梅は、やはり非常に目立つ。教科書を探していた子も、珍しい本をつついていた子も、そしてそんな子どもたちと来ている大人たちも、皆もれなく、少なくとも二度はふたりに視線を向けた。
「やあ、教授。遅くなってすまないね」
「やあ博士。気にしなくても結構、ここでならいくらでも時間が潰せ──おや」
注目をものともせず歩いて行った貞治が声をかけたのは、中二階に昇るための階段の途中に立っていた、やや茶色がかった、黒いおかっぱ頭の少年だった。
出会った頃の紅梅のような、あまりにさらさら、つやつやのおかっぱ頭なので女の子かと思ったが、服装は明らかに男子のものである。
振り返ったその顔立ちは涼やかに整っており、また、ほとんど閉じているといっていいほど目を伏せている。それゆえに視線が非常に読みにくいが、しかし彼は今あきらかに、連れであるはずの貞治ではなく、紅梅の方を向いていた。
「お梅じゃないか。君も入学準備を?」
「やっぱり蓮ちゃんやった」
「紅芙蓉殿の弟か!」
合点がいった弦一郎は、目を見開いた。
紅椿の弟子、『花さと』の見習いにして紅梅の姉分である、紅芙蓉。「会ったら仲良くしてやって」と彼女が言った弟の名前は──
「ああ、確かに。紅芙蓉こと柳 蓮華の弟で、柳 蓮二だ。よろしく」
「真田 弦一郎だ。よろしく頼む」
蓮二が差し出してきた手を、弦一郎は躊躇いなく握った。いかにも古書のページを捲るのが似合いそうな細い指だが、その手のひらにはやはり硬い胼胝があるのを感じ、弦一郎は、ついにやりと微笑む。
そしてそれは蓮二も同じであったようで、少し目を開いて微笑む。切れ長の瞳は、琥珀のように透き通る茶色であった。
「乾はんが、なんぱーせんと、とか、データがどうこう言わはるから、もしかしてと思たんやけど、ほんまに蓮ちゃんやったわ」
「良い推測だ。貞治はマグルだが、魔法学の話にもついてこれる。俺のダブルスパートナーであることもあり、データテニスや、特に魔法薬学について教えてきたからな」
“こちら”の魔法界では、マグルに魔法界の知識を教えることは、原則禁止されている。専門的な知識を与えるなど以ての外なので、治外法権の日本ならではの所業であろう。
「その甲斐あってか、貞治も魔力に目覚めたのでな。わざわざホグワーツでおできを治す薬の作り方から習う必要などないのだが、専門機材が揃っているので、設備の問題で滞っていた研究をこの二年間でやってしまおうかと」
「ほう……優秀なのだな」
「なに、単に知的好奇心に貪欲なだけだ。テニスもできるし、二年間楽しめそうで何よりだ」
穏やかで、理知的な雰囲気の少年だ。
紅芙蓉の弟であることなどを抜きにしても、仲良くなれそうな少年だ、と、弦一郎は直感で感じた。
それに、何やら──
「話に聞いてはいたが、君たちは本当に血縁関係ではないのか?」
弦一郎が思っていたことを、貞治が代弁した。
おかっぱ頭と、縮緬のリボンが結ばれた長い髪。どちらもまっすぐ切りそろえられた黒髪が、さらりと揺れて振り返る。
「よぉ言われるなあ、それ」
「顔立ちが似ているわけではない、とは思うのだが」
紅梅と蓮二は、お互いの顔を見合わせて、同じ方向に首を傾げた。
紅梅や弦一郎はいかにも和風の顔だと言われるが、蓮二もそうだ。
しかし弦一郎が武者人形、紅梅が市松人形なら、彼は烏帽子の似合う公家人形、といったところだろうか。紅梅と蓮二が並べば、弦一郎とはまた別の風情で、とてもしっくりくる。
「芙蓉姐はんの弟やから、兄はんいえんこともおへんけど」
「ふむ。まあ、姉さんから、くれぐれもお梅をよろしくとも言われているからな。そう思ってもらっても結構」
「ほな蓮兄はんや」
蓮二がふっと微笑み、紅梅が口元に袖を当てて、くすくす笑った。
その様を見て、弦一郎は、彼らが似ているのは見た目云々よりも、この、おっとりというか、ゆったりというか、雅な話し方と雰囲気のせいだろう、と確信した。
「それはそうと、教科書だな。棚から一冊ずつ探してもいいが、実は店主に言えばあらかじめ揃えたセットを出して貰えるのでおすすめだ」
蓮二の忠告通り、店主に言えば、「入学おめでとう」という言葉とともに、紐でくくられた教科書のセットをドンと出してきてくれた。
太郎から預かった書類を出して宅配サービスを頼み、下ろしてきた金貨で支払いを終えれば、必要項目の大半を占める教科書の購入は、あっけなく終了してしまった。
「蓮ちゃん、おおきに」
「どういたしまして。店主は話しかけさえすれば親切なのだが、向こうから話しかけてくることがないからな」
つまり、話しかけずにいた場合、この全く分類がされていない本の山の中から教科書を探さねばならなかったわけだ。迷子の保護をしたことは後悔してはいないが、タイムロスが大きかったことも確かなので、弦一郎と紅梅は蓮二に深く感謝した。
「あとは何だ? ローブや帽子、鍋、望遠鏡、ものさし?」
「この教科書が最初だ。何も揃っていない」
弦一郎が答えると、そうか、と、蓮二は持っていた本を棚に仕舞った。
「ならば──博士」
「ああ、教授。……ここから近いのはまず鍋屋だな。錫製、標準二型を各一購入。次に隣の店で薬瓶と真鍮製ものさしのセットを一組、ひとつ向こうの通りで望遠鏡、安全手袋が買える。制服は採寸が必要だし、杖を買うのは若干時間がかかる場合もあるから、後回し。このルートが一番効率がいい」
「さすがだ、博士」
「なんてことはないさ、教授」
二人は顔を見合わせ、いたずらっぽく笑いあった。ダブルスパートナーで、データテニスを得意とするらしいが、彼らはどんなテニスをするのだろうか──と、弦一郎は気になった。
「蓮ちゃんらァは、もう買うたん?」
「いや、身に付けるものと杖以外は、既に愛用の品があるので必要ない。教科書も家にあったのを随分前に読んだから、もう覚えているし」
なんともレベルの違う話だ。あっけにとられる弦一郎と紅梅を尻目に、貞治が眼鏡のブリッジを押し上げている。彼も同様であるらしい。
「だが、新製品を見て回るのも悪くない。よければ一緒に行っても?」
「もちろんだ。助かる」
詳しい、しかも人当たりのいい道案内がいてくれるに越したことはない。弦一郎は、真摯に頭を下げて感謝の意を示した。
貞治が言ったとおり、鍋屋はすぐ近くにあり、その後の買い物もごくスムーズに行うことが出来た。
しかも、リストには載っていない品──つまり魔法族なら普通に持っているので書くまでもないとされている羊皮紙の束や、専用のペン、インクなども購入する必要があることを教えてくれた。
また、ホグワーツからの入学案内に同封されていた購入リストにある品は、七年間使うことを見越してのものであり、二年間の留学である場合、必要のないものもあるので、こちらの品を買った方がいい──などということも、二人は逐一教えてくれた。
おかげで二人は適切な品を漏れ無く買うことが出来、またそれに見合った節約もできたので、大満足、かつ二人に多大な感謝を覚えながら、おおかたの目的を終えることが出来た。
そして、制服はまだだという二人と一緒に、“Madam Malkin's Robes for all Occasions”──『マダム・マルキンの洋装店、普段着から式服まで』と書かれた店に入る。
藤色ずくめの服を着た、愛想の良い、そして恰幅も良い婦人は、弦一郎と紅梅の和服に非常に興味を示し、いろいろな質問をしてきた。
二人が出来るかぎりそれに答えると、婦人はとても満足し、和服の上からでも着られるようにローブの袖を仕立て直してくれたばかりか、裏地につける名前の刺繍の費用をおまけし、しかも漢字とアルファベットの両方を完璧に綴ってくれた。
「やあ、君たちのおかげで得をしたね」
「俺も和服を着て来るべきだったか」
店を出て、こちらも刺繍のサービスを受けた貞治と蓮二が言う。
しかし、マダムが満足してくれたのは、弦一郎と紅梅の回答に彼らが学術的な知識を補足してくれたからであるので、妥当である、と弦一郎が生真面目に言うと、二人はありがとうと笑った。
「さて、いよいよ杖だな」
目の前にあるのは、拭かれた様子もない埃っぽいショーウィンドウに、色あせた紫色のクッションに置かれた一本の杖のディスプレイ。
これまた古い扉に、剥がれかかった金色の文字で、“Olivanders:Makers of Fine Wands”──『オリバンダーの店:高級杖メーカー』、と書かれている。おまけに、“since 382 BC”とも。
「紀元前382年創業……? 本当か?」
弦一郎が、胡散臭そうに言う。
「クラッスス、ムギラヌス、コルネリウス、フィデナス、カメリヌス、マメルキヌスが護民官に就任した年だね、教授」
「そうだな、博士。前年はギリシアでテーバイの占拠が起こっている。無関係ではないかもしれないな」
貞治と蓮二が言い合うが、言ったうちの誰一人として聞いたことのある名前がない。弦一郎は理解を諦め、ぽかんとしている紅梅の手を引いて、扉を開け、中に足を踏み入れた。
扉を開けたと同時に、どこか奥のほうで、ちりんちりんとベルが鳴る。
店は狭いが天井は高く、そしてその天井ぎりぎりまで設置された棚に、ラベルのついた細長い木箱が、みっしりと重ねられていた。
古臭い椅子が一脚置いてあるが、誰か一人座るのもおかしいので、誰も座らず、四人でカウンターの前にぞろぞろ移動した。
「いらっしゃいませ」
古いクッションのような、深く柔らかな声だ。
奥から出てきた、月のように薄い色のぎょろっとした目に丸い眼鏡を掛けた老人は、若い四人の客を興味深そうに眺めた。
「これは珍しい。遠い国からのお客様」
「ホグワーツ魔法魔術学校に入学予定の者だ。杖を所望したい」
元々、日本語でもまるで戦国武将のような話口調だと言われる弦一郎であるが、英語に関しても、古い本で、会話よりも読み書きの勉強を多くしたせいで、堅苦しく古臭い、中世の騎士のような話口調になっている。
しかしオリバンダー老人は気にしないどころか、うむ、と重々しく頷いた。
「もちろんですとも。杖腕はどちらかな」
オリバンダー老人は長いローブのポケットから、銀色の不規則な目盛りの入った巻き尺を取り出した。
「杖腕て?」と首を傾げる紅梅に、蓮二が「利き腕のことだ」と教える声が聞こえたので、弦一郎は右腕を床と平行に伸ばした。濃鼠の袖が揺れる。
老人は弦一郎の肩から指先、手首から肘、肩から床、膝から脇の下、終いには頭の周りまで寸法を取り、そしてふむと唸ると、一度奥へ引っ込み、箱をひとつ持ってきた。
この間、巻き尺は勝手に浮き上がって弦一郎の身体のあらゆる寸法を取っており、そして貞治が何故かそれをすべてノートに書き留めている。
「樫の木に龍の髭。四十一センチ、振り応えがある」
オリバンダーが、カウンターに箱を置く。
弦一郎は前髪の長さを図っていた巻き尺をやや乱暴に掴み、無理やり巻き直してカウンターに置いた。巻き尺は叱られた子犬が尻尾を丸めるように端を縮こませ、しゅんとおとなしくなる。
手にとって振れというので、蓋を開けた箱のなかに寝かされた棒──杖を取り、恐る恐る振る。すると、誰も座っていない古ぼけた椅子が飛び上がり、宙で三回転して床に落ちた。
「だめだ。ではこちら、楓に不死鳥の羽根、三十五センチ、柔軟性が高い」
それからいくつかの杖を試したが、どれも店の何かが壊れたり、飛び上がったり、結果が出る前にオリバンダーが手から取り上げたり、はたまた紅梅のリボンの色が変わったり、終いにはなぜか貞治のズボンがずり下がったりして、弦一郎の杖は一向に決まらなかった。
紅色から黄色になった紅梅のリボンに弦一郎は謝ったが、紅梅は「これはこれで」と言って、気にせずリボンを着け直した。
貞治はズボンがずり下がった瞬間「理屈じゃない!」と叫び、そして蓮二がすかさず紅梅の目を覆っていた。弦一郎はもう何も言わなかった。
「ふぅうううむ。やはり日本の魔法使いは感じが違いますな!」
興味深い、不思議な、やはりかの国は、などと呟きながら、やや興奮気味のオリバンダーは、今までで一番長い箱を持ってきた。
「……目測、68.58センチメートル」
蓮二が呟いた。
「楠と虎の髭。とにかく頑強、パワーをよく伝える。どうぞ」
そろそろ疲れてきていた弦一郎だが、その杖を持った瞬間、とても“しっくりくる”感触がした。
その感触に思うものがあった弦一郎は、飽きてきていたのもあり、なんとなく、思いついたことをやってみた。
足を肩幅に開き、膝を少し曲げる。杖を持った聞き手を後ろに下げ、そして握った部分を回さぬように──振る!
「ブラボー!」
オリバンダー老人が叫び、紅梅は小さく拍手をし、蓮二は少し目を開いて微笑み、貞治は眼鏡をずり上げ、ものすごい勢いでノートに何かを書き込んでいる。
そして当の弦一郎は、自分の手に握られているものを見て、ぽかんと口を開けた。
──テニスラケット、である。
先ほどまで長い木の棒だったはずのそれは、非常に弦一郎の手に馴染む、68.58センチメートル、すなわち標準27インチのテニスラケットになっていた。
「テニスラケットだ」
「魔法の杖でございます、日本の方」
呆然と言った弦一郎に、オリバンダーは言った。
「魔法の杖というものは、強力な魔力を持った芯材を使い、その力を拡散し許容する──主に材木で形成して作られます。杖は持ち主の魔力を伝え、外に放出するためのもの。そして全ての杖は持ち主を選び、持ち主に対し忠誠心を持ちます」
「忠誠心?」
「そうです。持ち主に尽くし、持ち主の良いように振る舞う忠義者。そして日本の方が持つ杖はその傾向が一際高い場合が多く、その見目さえ、持ち主の望む形になる──と聞きます」
──なら、そのうちわかる
──お前ほどのテニスプレーヤーなら、多分同じことになると思う
──魔法が起こす色々に、そろそろ許容量が一杯一杯で……
国光が言った言葉を思い出す。
ならば、彼が持っていたメーカー不明のラケット、あれもまた、彼の魔法の杖だったのだろうか。
「日本の方は日本で杖を作ることが多いので、私も初めてこの目で見ました」
「日本の魔法使いは、そもそもほとんど杖を持たないからな」
非常に興味深そうに目を光らせるオリバンダーに、蓮二が言った。
「“こちら”の魔法使いは、言い方は悪いが、形から入る、というところがある。魔法を使うには杖を持ち、呪文を唱えるという儀式を用いなければいけない、──と、皆が思っているので、皆杖を買うし、学校で習った呪文を唱える」
「実際は違うと?」
魔法の杖、らしいテニスラケットを持ち直しながら、弦一郎が聞いた。
しかし、何度持ち直しても、今まで買ったどのラケットよりも手に馴染む。魔法の杖を手に入れたことより、極上のラケットを手に入れたということに、弦一郎はうずうずした。テニスコートに行きたい。
「まだ解明されていないことだ。ただ、日本の魔法使いが形にとらわれず、それぞれ自分のやりやすいやり方で力を使っている、ということは確かだ。呪文を使う者、御札を使う者、儀式をする者、もしくは何も言わずに念じただけで力を行使する者」
そのため、こうして型にはまって杖を購入しても、杖のほうがその自由な力に合わせて姿を変えるのだろう、と蓮二は言った。
ならば、もし自分がテニスより剣に心を惹かれていたら、杖はラケットではなく刀になったりしていたのだろうか、と弦一郎は首を傾げる。
それはそれで、何やらアーサー王伝説のようで格好いいが、やはりいいテニスラケットのほうが魅力的だったので、弦一郎はもう一度それを握り直し、にんまり満足そうな笑みを浮かべた。