入学準備3
太郎に続いて、おっかなびっくりアーチを潜り抜ける。
通りに出たと思った時には、もう後ろに通路はなく、赤い煉瓦の壁があるだけだった。
見渡せば、きちんと測量器具を使ったのか限りなく怪しい、有機的に曲がりくねった石畳の通りに、これまたどれもどこかしらが傾いたような、まるでディズニー映画に出てきそうなごちゃごちゃした店が、ぎっしり詰まるようにして並んでいる。
通りゆく人々は皆今にも地面に引きずりそうな長さの、色とりどりのローブをもれなく羽織っていた。いかにも魔法使い、といった風な三角帽子をかぶっている人もよく見る。
しかしそれだけに、ローブも三角帽子も被っておらず、それどころか着物姿の子供は珍しいようで、ピカデリー・ストリートを歩いた時と比べ物にならないくらいに視線が集まってきている。
「さて」
呆然としていた子供二人は、ぴしりと空気をひっぱたいたような声に、思わず背筋を伸ばし、声の出処である太郎を見上げた。
こうして比べ見てみると、彼の羽織っているベルベットのローブは、ローブというよりはコートか、軍隊の、しかも貴族っぽい礼式のポンチョのようだ。他の人々のローブがどれもどこかずるずるとした感じなのに比べ、太郎のローブは肩の所がきちんと立体断裁になっていて、彼の背の高さや姿勢の良さがよく強調されている。
「ここがダイアゴン横丁だ。魔法界最大のショッピング・モール。大抵のものはここで揃う。もちろん、ホグワーツに入学する際に必要な学用品も」
先ほど景吾が説明してくれたことと同じことを、太郎はいかにも教師然とした口調で言った。
「この通りを真っ直ぐ行くと、一際背の高い、真っ白な建物がある。そこがグリンゴッツ魔法銀行だ。魔法界唯一の銀行。ゴブリンが経営している」
ノートを取らなければならないような雰囲気になってきたが、そんなものはないので、二人は瞬時に集中力を発揮し、彼の言葉を頭に叩き込む。
「残念ながら、魔法界にはクレジットカードのシステムがない。銀行口座からお金を下ろしてから、買い物に行きなさい。荷物が多くなるだろうから、宅配サービスを使うといい」
これを見せればすぐわかる、と言って、太郎はローブの内側から、羊皮紙の小さめの封筒を取り出した。紅梅が受け取り、胸元の袷に深く差し込む。
「集合は今から三時間後。時計は?」
二人共、帯に根付を挟んだ懐中時計をさっと取り出し、時間を確認した。朝にロンドンの時間に合わせた時計の針は、現在午前九時を指している。
「では注意事項だ。隣接するノクターン横丁には絶対に足を踏み入れないこと。明らかに暗い通りなのですぐわかる。治安がとても悪いとは言わないが、掏摸などには十分注意すること。誰かに質問する時は、なるべく店の店員などを選び、知らない人間に安易についていかないこと。復唱したまえ」
一息に言い渡されたそれに、二人は再度背筋を伸ばす。
まず、弦一郎が口を開いた。
「──まず、銀行でお金を下ろすこと」
「荷物が多なるよって、宅配サービスを使うこと。こん封筒を見せること」
続けるようにして、紅梅。
「集合は今から三時間後」
「のくたーん横丁には、絶対に行かんこと」
「掏摸に注意すること」
「知らんお人についていかんこと」
交互に、そして漏れなく項目を言い終わった生徒二人に、太郎は深く頷く。
「よろしい。質問は?」
「お土産も買うてよろしおすか?」
紅梅が尋ねると、太郎は微笑んだ。
「もちろん。ただ高価なものは即断即決しないこと。後で相談に乗ろう」
「へぇ」
紅梅もにっこりした。次に、考えこむような顔をしていた弦一郎が言う。
「三時間後の待ち合わせ場所は?」
「いい質問だ。好きにしていて結構。私が見つける」
「わかりました」
「他には?」
「特にありません」
「よろしい。では行ってよし!」
ボン! という、何かが破裂するような音。
つやつや光る杖を、人差指と中指を添わせるようにして持った太郎が、その手をビシッと宙に指し示した途端にその音が起こり、彼の姿は跡形もなく消え去っていた。
先ほどまで彼がいたところにはほんの僅かな煙が漂っているだけで、それもすぐに紛れて消える。
そして、いま往来で人が一人消えたというのに、誰ひとりとしてそれに驚いてはいない。たくさんの視線は集まってはいるが、どれも和装の弦一郎と紅梅に対するものだ。
“魔法界では、人が突然消えるのは普通のこと”。マグル界からやってきた二人はそれを身をもって学び、そして──
「……たろセンセ、ついてきてくれはらへんのやね……」
「そのようだな……」
かわいい子には旅をさせよ。
榊太郎もその流派に属するということも、二人は学習した。
二人は手を繋いで道を歩き、太郎の言った通りの、背の高い白い建物──グリンゴッツ魔法銀行にやって来た。
ゴブリンという明らかに人間ではない存在には今までで一番面食らったが、ゴブリンはマグルの郵便局員や銀行員など比べ物にならないほど愛想が悪く、淡々と、そして素晴らしく手際よく仕事をしたので、コミュニケーションを取る隙もなかった。
弦一郎は亡き祖母・佐和子の口座をそのまま使うことになっており、紅梅は紅椿が口座を用意してくれている。
さすがに金庫の場所は違うので、二人は繋いだ手を離した。各々無数の扉のひとつに案内され、トロッコに乗せられ、何回曲がったのかわからないほど曲がりくねった線路を通って、それぞれの金庫へ。
弦一郎は若干ふらつきながらも、祖母のものだという小ぢんまりとした金庫の、しかし大人の一抱えはある金貨のうち、用意した小袋がいっぱいになる程度を詰めて戻った。
このトロッコで、随分気分が悪くなる人も多い──と、ゴブリンが言った。この愛想の欠片もない彼らがわざわざ言うぐらいだから、よほどひどいのだろう。
確かに、他の客を見ると、真っ青な顔をして座り込んでいたり、口を押さえてトイレに走って行く者がいる。
弦一郎は普段の鍛錬の成果か、なんとか気分が悪くなる程ではなかったが、着いた時、床や天上がゆらゆらしているような気がして、少しふらついた。
ふと近くを見ると、金貨の袋を持った紅梅が、弦一郎に手を振っている。彼女も若干ふらついているものの、気分が悪いというほどではなさそうだ。
しょっぱなからダウンするわけにはいかないので、三半規管が丈夫でよかった、と思いながら、弦一郎は紅梅と合流すべく、ふらつく足を何とか進めた。
引率だと思っていた大人が突然消え、無愛想なゴブリンに驚き、金を下ろしに行ったら絶叫マシンが可愛く思えるトロッコに乗せられて、三半規管にダメージを食らう。
想像以上に常識が通用しない魔法界に振り回されながらも、少し休んでトロッコのふらつきを解消した二人は、再び手を繋ぎ直して銀行を出る。
「……では行くか。必要事項は教えて頂いたのだし、トラブルさえなければ──」
「弦ちゃん、あれ」
無愛想なゴブリンに教えてもらった本屋の方向へ歩き出そうとした弦一郎は、紅梅に繋いだ手を引かれ、足を止めた。
あれ、と、紅梅が指し示す方を振り返る。
するとそこには、今にも泣きそうな顔で、先ほどの弦一郎らよりも頼りない足取り──まるで生まれたての仔山羊か何かのような風情で歩く、小さな少女の姿があった。
魔法使いらしい、少し古いローブを羽織り、肩までのふわふわした髪は、ミルクティのような色。しかしその顔立ちは薄く、弦一郎らと同じ、アジア圏の人種であることがわかる。
あまりにも危なっかしい足取りなのでつい目で追ってしまうと、向こうも着物姿の弦一郎らに目を引かれたのか、大きな目を更に丸く見開いて、こちらを見た。
「目が合ってもうた」
「言うな」
ダンボールの中の子猫を見つけてしまった時と同じ心持ちで、弦一郎は言った。
さっそく降って湧いたトラブルに天を仰ぎつつ、弦一郎は観念して、紅梅が手を引く方、本屋とは逆の方向に歩き出した。
これを見捨てたら、多分一生後悔する。
目が合った時点で、こちらの負けなのである。
「どないしたん? お父はんか、お母はんは?」
少し膝を折って、紅梅がゆっくり話しかける。
少女は確かに小さいが、紅梅と頭ひとつぶんまでは違わない背丈であるので、そこまで年が離れているわけではないかもしれない。
しかしなんとも頼りない半泣き顔とへっぴり腰、びくびく震える態度のせいで、もう年齢がどうとかいう枠を超えて、どうにかしてやらねば、と思わせる何かがあった。
こういう小動物のような手合は、弦一郎にそのつもりがなくても余計に泣かしてしまうという自覚があるため、弦一郎は紅梅と手を繋いだまま、しかし心持ち一歩引き、なるべく目を合わせないように、紅梅の斜め後ろに立つようにしている。
「ふぇ……」
安心したのか、それとも知らない人に話しかけられて余計びびったのかは分からないが、少女の目に溜まっていた涙の粒が、ぷくりと更に大きくなる。
その様に、弦一郎は、自分が話しかけなくて本当に良かった、と心底思った。このおっとりした紅梅が話しかけてもこうなのだから、もし弦一郎が対応していたら、まず間違いなく、恐慌状態で泣きわめく少女に往生するはめになっていただろう。
「あー、あー、泣かんでええんよー。お名前は?」
「ふっ、ふじみや、シノ……」
「あらぁ、やっぱり日本の子ぉや。おんなしやねぇ」
にっこり微笑んだ紅梅は、どんな字書くの、綺麗な髪の毛の色やねえ、などと、関係ないことをおっとり尋ねている。まどろっこしくはあるが、少女の目からは明らかに涙が引いてきていて、弦一郎はあらためて紅梅がいてよかった、と思う。
こんな小さな少女に泣き喚かれるくらいなら、弦一郎は、何時間だろうが黙って待っていたほうが、何倍もましだった。
「紫乃ちゃんな。そやったら、しーちゃんて呼んでもええ?」
「うっ、うん……えっと、」
「うちな、紅梅いうん。紅梅でも、梅ちゃんでも、お梅でもええし」
「うん、じゃあ、梅ちゃん……」
紅梅の名前を呼んだ少女、紫乃が、初めて笑顔を見せた。弦一郎は無言のままだが、紅梅のすばらしい功績に、内心強くガッツポーズをとっている。
「しーちゃん、魔法使いなん? ダイアゴン横丁は初めて?」
「うん……」
「ほぉかぁ、うちらもや。うちらマグル出身やし、魔法自体初めてでなあ」
「は、初めてなのにそんなに堂々としてるの……?」
何やら驚いている紫乃に、紅梅は「そやろか?」と首を傾げる。
弦一郎も紅梅も、おそらく紫乃とは正反対の性格だ。
わからなければ調べたり聞いたりすればいいと普通に思っているし、はぐれた時の待ち合わせ場所も既に決めてある。人見知りもしないし、くそ度胸もあるし、何より周囲の人々が総じて“可愛い子には旅をさせろ”派であるため、普段から鍛えられている。
だが多分、この少女はそうではないのだろう。そしてそうではないからこそ、紫乃の連れは、きっと今頃、ひどく心配しているに違いない。
「しーちゃんは、ひとりで来たん?」
「ううん……。おじいちゃんと、みっちゃん……」
「さよかぁ。おじいはんとみっちゃん、どこ行くーとか、言うてへんかった?」
「わ、わかんない……」
再度涙が滲み始めた紫乃に、「あららー、堪忍なー」と言いながら、紅梅がその薄い色の髪を撫でている。
何とか涙を堪えた紫乃が話したところによると、はぐれた時の待ち合わせ場所なども特に決めていなかったとのこと。また、マグルの携帯電話なども所持していない。──というか、今まで知らなかったが、魔法界で無闇にマグルの品を使うのはあまり良いことではなく、品によっては捕まることもあるらしい。
「うーん、困ったなぁ。ここでじっとしといたほうがええやろか」
「そのほうがいいと思うな。彼女の連れがここに来る確率は、84パーセントだ」
突然聞こえた声に、三人ともが振り返る。
いつの間にやらすぐ近くに立っていたのは、つんつん尖った黒髪に、四角い黒縁の眼鏡をかけた少年だった。弦一郎よりも背が高く、マグル製の筆記用具──いや、日本ならどこでも売っている、キャンパスノートとシャープペンシルを持っている。
魔法使いのローブは着ておらず、ごく普通のシャツとズボンを履いていた。明らかに、見るからに、──どう考えても、マグルである。
「……誰だ、お前は」
今までずっと黙っていた弦一郎が、訝しげに言う。
「失礼した。俺は乾 貞治。日本からのホグワーツ留学生の一人だよ。君たちは同じ留学生の真田弦一郎君と、上杉紅梅さん──で、間違いないかな」
その確率98パーセントなんだけど、と、貞治は眼鏡をずり上げながら、妙に自信満々の様子で言った。
光の加減か、不思議にレンズが光を反射して全く目元が見えないおかげで、妙に胡散臭い少年である。
「そうそう、彼女の連れの話だけど」
戸惑う三人を前に、貞治はお構いなしに続けた。紫乃など、ぽっかりと口を開けっ放しだ。
「偶然だが、つい一時間ほど前に彼女と彼女の連れが買い物をしているところを目撃してね。彼女の連れの“みっちゃん”とやら、おそらく我々と同じ日本からの留学生だが、そのための学用品を買いに来ているようだった。合っているかな?」
「ふぇ、あ、はい」
きらりと光る逆光眼鏡越しに視線を向けられ、紫乃はびくりと肩を跳ねさせつつも、頷いて肯定した。
「ふむ。その時の荷物の量からいって、買い物はもう殆ど終わっているはずだ。ならば他の店に行っている可能性は少ないし、ここで泣いていた彼女の性格から察するに、彼女もまた好奇心のままにふらふら店を回るタイプではない。更にここグリンゴッツ前はほかと比べてやや広く、待ち合わせ場所に最適で、迷子になった時の目印として一般的。よってここで待っていれば“みっちゃん”が彼女を探しにやってくる確率は、再計算して──92パーセントといったところかな」
「──紫乃!!」
「ほらね」
パタン、と、貞治がキャンパスノートを閉じる。
通りの向こうから走ってきたのは、リムレスの眼鏡をかけた、大人っぽい──彼に限ったことではないが──しかし貞治の情報が確かなら、弦一郎たちと同い年の少年。おそらく彼が“みっちゃん”だ。
だがそれそのものよりも、弦一郎は、彼が脇に挟むようにして、メーカー不明のテニスラケットを所持していることに、ぴくりと片眉を上げた。
「み、みっちゃあああああああああん」
生まれたての仔山羊、再び。
ふええええええ、と泣きながら、よろよろと“みっちゃん”に近づいていく紫乃に、紅梅はほっと息をついて微笑み、弦一郎は安堵の篭った重いため息をつき、貞治は予想が的中して満足そうな笑みを浮かべた。
「紫乃が世話になった。ありがとう」
そう言って、少年──“みっちゃん”こと手塚 国光は、礼儀正しく、そして律儀に頭を下げた。
「ええんよ。よろしおしたなぁ、しーちゃん」
「うん、ありがとう、梅ちゃん……」
正真正銘の安堵のおかげで、堪えていた涙腺が決壊し盛大に泣いた紫乃は、まだ少ししゃくり上げながらも、それでもなんとか礼を言った。
「あの、真田くんも、乾くんも、ありがとう」
「俺は何もしておらん」
「礼には及ばないよ。ところで、国光、なのに、“くにちゃん”でも“くーちゃん”でもなく、どうして途中から取って“みっちゃん”なのか聞いてもいいかな」
再度眼鏡を逆光させながら、貞治がノートとシャープペンシルを構える。なぜそんなことを質問するのか、理由を察せられる者はどこにもいない。
「え、えっと……みっちゃんのほうが、かわいいから……?」
「ふむ、なるほど……理屈じゃない……!」
「手塚」
ガリガリと勢い良くノートになにか書き込む貞治を無視して、弦一郎は国光に話しかけた。
「東京のジュニアテニストップの、手塚国光だな?」
「……そうだ。お前は確か」
「神奈川の、真田弦一郎だ。二年間よろしく頼む」
「ああ、こちらこそ」
「ところで、そのラケットだが」
弦一郎は、国光が脇に挟むようにしているテニスラケットを、視線で示した。
「どこのメーカーのものだ? 良さそうな品だが」
「ああ……これは……」
国光は、言葉を濁した。──というより、どう言っていいかわからない、といった風な感じである。
「真田は、学用品類はもう購入したのか?」
「いや、まだ何も。これからだ」
「そうか……。なら、そのうちわかる」
「は?」
「お前ほどのテニスプレーヤーなら、多分同じことになると思う」
「どういう意味だ」
「すまん、説明が難しい。俺は完全にマグル出身でな……魔法が起こす色々に、そろそろ許容量が一杯一杯で……」
「そ、そうか……」
その気持は弦一郎もよくわかるので、遠い目をしている国光に、それ以上聞くのをやめた。
「すまん、そのうち慣れるとは思うんだが」
「いや、俺も似たようなものだ。先程も銀行のトロッコでひどいめに……」
「……? 銀行で、トロッコ?」
「ああ、知らんのか……まあ、そのうちわかる」
図らずも先ほどの国光と同じセリフを吐いた弦一郎に、二人は改めてお互いに同じ気持を抱えていることを確認し、なんとなく握手を交わした。
「あと……このような幼い者を連れてくるのであれば、手でも繋いでおいたほうがいいと思うぞ」
そう言って、弦一郎はちらりと紫乃を見た。──見ただけなのだが、紫乃はびくりと肩を跳ねさせ、いかにも怯えたような風情である。
慣れていることとはいえ、弦一郎は少し傷つきながらも、目線を国光に戻した。
「紅梅は当たりが柔らかいので大丈夫だったようだが、他の者であれば名前を名乗れたかどうかも怪しい様子だった。もしもの時のために、迷子札なども持たせたほうがいい。できれば首から下げておけ」
「ああ、……そう、だろう、か」
「当たり前だ、このように小さい者を。保護者はきちんと責任を持たんか」
堂々と、そして純粋な親切心から提案を述べる弦一郎であるが、国光はどこか複雑そうであり、紫乃はといえば、完全に苦り切った、そしてこの上なく情けない顔をしていた。
「そやねえ。うちらでもはぐれそぉやのに、こないちぃちゃかったら、危ないえ。ほらしーちゃん、うちも弦ちゃんと手ぇ繋いで貰とるし、恥ずかしないえ?」
そう言って、紅梅は、弦一郎と繋いだ手を、茶目っ気のある仕草でほらほらと見せた。
「また迷子になったら、怖い怖いやもん。そやし、みっちゃんとお手て繋いどこ?」
「う、え、えっと……」
にっこり微笑む紅梅は、完全に保育園の先生のような口調になっている。
弦一郎はうむと頷いているが、国光は難しい顔をし、そして当の紫乃は、何を戸惑っているのか、あわあわとしていた。
「僭越ながら、口を挟んでも?」
一歩後ろでやりとりを見守っていた貞治が、言った。
その声に、四人が一斉に彼を見ると、またあのキャンパスノートが開かれている。
「上杉さんと真田は、藤宮さんのことを随分小さい子のように思っているようだけど」
「えっ?」
淡々と、しかし気のせいかどこか面白そうに告げる貞治に、もはや幼児語まで使いかけていた紅梅が、首を傾げる。
「俺のデータが確かなら──、藤宮 紫乃という名前の女子は、今回のホグワーツ魔法魔術学校への日本人留学生の一人だ。つまり」
パタン、と、貞治がノートを閉じる。
「彼女が俺達と同い年である確率、100パーセント」
きらり、と眼鏡が光った。
弦一郎と紅梅が、たっぷり二秒ほど、呆気にとられたような、言われたことがよく理解できないような顔をする。
そしてやがて、ゆっくりと紫乃を見た。
「あぅ、えっと、その、……今年、ホグワーツに入学する、藤宮紫乃、です……」
もじもじとしながら、紫乃は改めて名乗った。よろしくおねがいします、と、消え入りそうな声が続く。
「えぇと……」
紅梅は微笑んだまま、しかし少し首を傾げた。
「……かんにんな?」
「あ、あやまらないで……」
余計居た堪れない、といった様子の紫乃が俯いたので、二人はそれ以上、何かを言うのはやめた。
というより、何を言っていいのかわからなかった。弦一郎など、未だに驚きっぱなしで、口を開けたままである。
「ふむ、迷子札……」
「み、みっちゃん!?」
ついには国光が真剣な表情で検討し始め、紫乃がショックを受けたような顔をする。
「なに、気にすることはないさ。誰だってはぐれることはある」
若干気まずくなった空気を破るようにして、はっはっ、と笑いながら、貞治が言った。
「斯く言う俺も、連れとはぐれた。迷子だ!」
「お前もか」
「なんでそんなに堂々としてるの!?」
腰に手まで当てて宣言した貞治に、弦一郎が呆れた声を上げ、紫乃の、いつになくはきはきとした突っ込みが飛んだ。