部長・副部長5
「おい手塚ァ! さっきから何も言わねえが、テメエはどうなんだ!?」
景吾が、とうとう椅子から立ち上がって言う。他の皆も、一斉に国光を見た。
すると国光は、難しい顔で景吾を、そして皆を見回したあと、こくり、と小さく、そして重く頷く。
「──テニスだ」
「なに?」
訝しげな表情をしたのは、景吾だけではない。しかし国光は表情を変えぬまま、堂々と言った。
「俺は、華やかな催しにも、和やかなコミュニケーションにも自信はない。……だが、テニスはできる。テニスだけは」
国光は、静かに立ち上がり、景吾の目を真正面から見た。
「テニスは、日本で一番人気のある、魅力的なスポーツだ。その魅力の前に、マグルも魔法族もない。俺達がいいテニスをしていれば、皆こちらを注目するはずだ。違うか」
「……言うじゃねーの」
にやり、と、景吾が不敵に笑う。
「一番魅力的なテニスをする奴が、キングになる資格があるってことか」
「いいんじゃない? シンプルで」
精市もまた、立ち上がる。そして次に弦一郎が、周助が、静かに椅子から立ち上がった。手に持つ杖が、皆いつの間にかラケットに変わっている。
「ハッ! 面白ぇ! コートに出やがれ手塚ァ!」
「いいだろう」
「よくないよ!?」
思い切り突っ込んだのは、脇ではらはらとやりとりを見守っていた紫乃である。
全員が一斉に紫乃を見たが、紫乃は両手をぶんぶん振りながら、必死に言った。
「も、もう九時だよ!? 今から一番を決めるのに試合してたら、日付変わっちゃうよ!」
「そやねえ。明日も早おすし」
煎茶をすすりながら、紅梅がおっとりと言った。
「実際朝までやっても、決着つかんこともあるんやない? みぃんな、同じくらい強おすのやろ? 蓮ちゃん、どやの?」
「……そうだな。その可能性は十分ある」
蓮二が頷いた。紅梅は穏やかに微笑みながら、続ける。
「そやし、ここで誰が一番強いて決めて、二年間それでいかはるの? あいつは自分より強いから従わなて、二年間通せる?」
全員が、ぐっと詰まる。
「その場の勝負の結果やから納得できるいうならそれでもええけど、それやったら、ただのくじ引きでもええんとちゃうの」
「むう……」
弦一郎が唸り、ラケットになった杖を持ったまま、腕を組んだ。
ひとまずコートに出るのは思いとどまったらしい彼らに、紫乃がまた腕をばたばたさせる。
「そ、そうだよ! みんな、決まらないからって、とりあえずテニスしようってなっただけじゃない!」
──今度こそ、ぐぅの音も出なかった。
景吾や精市、そして元凶である国光ですら、そう言った紫乃から目を逸らしている。いや、元凶だからこそ、であろうか。
「そや、そや。もう。テニスばかやなあ」
「ははは、返す言葉もないな」
微笑んで言った紅梅に、蓮二もまた、笑いながらそう返した。隣では、貞治や周助もまた、困ったような苦笑を浮かべて、肩を竦めている。
「……う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん……」
その時、ひとり席に着いたまま、腕を組み、未だかつてない難しい顔をした清純が、長く唸る。そして、カッ! と目を見開くと、立ち上がり、耳に腕がつくような、真っ直ぐな挙手をした。
「ハイ! 千石清純、画期的な案を思いつきました!」
「……アーン? 言ってみろ」
景吾が促す。他の全員も、皆清純に注目している。
発言を許された清純はどや顔になると、大きくゆっくりと頷き、話し始めた。
「さっきから、部長、リーダーとしてのありかたについてみんな意見を出し合ってたよね? 跡部君は王様タイプ、幸村君は支配者タイプ、真田君は軍の上官タイプ、手塚君は背中で語るタイプ、白石君は……みんな仲良くしなさい系っていうか……あ、お母さん?」
「おかん!?」
「まあ、それはともかく」
素で突っ込んだ蔵ノ介をさらりと流し、清純は続けた。
「もう一つ、重大なリーダー・タイプがある。それは……」
「それは?」
じっ、と、皆が清純に注目する。
「──マスコットだよ!!」
バーン、と効果音でも付きそうな勢いで、清純は言った。
「“マスコット”。人々に幸運をもたらすと考えられている人間を含む生物、あるいは物体を示す言葉で、一般的には学校、スポーツチームや企業などの「共通性を持つ集団」のアイデンティティを表現、象徴したもの、存在。マスコット・キャラクター」
「あっ厳密にはそういう意味なんだね? ありがと乾君!」
人間ウィキペディアからの補足に、清純は、笑顔とともにぐっとサムズアップをした。
「今まで出たリーダー像にも共通することだけど、尊敬であれ何であれ、リーダーは愛されなくちゃならない。その点、マスコット的なリーダーは愛され度抜群! アイドルの一日署長、こども店長、やわらかバンクのわんこのお父さんを見なよ! 実際の仕事は裏方がやって、表に出るリーダーはひたすらかわいく! 愛されることのみに徹したイメージ戦略の成功例は山のようにある!」
未だかつてない熱弁のプレゼンである。
「で? その愛されリーダーに自分がなるんか?」
呆れた様子で蔵ノ介が言うと、清純は、「まあそれもいいけど」と言い、満面の笑みになった。
「いるじゃん、そこに。愛され系マスコット・リーダーにぴったりな子が!」
そう言って、清純が両手をばっと向けた先には、声を出して喉が渇いたのか、お代わりの煎茶をちびちび飲んでいる紫乃、急須の茶葉を換えようとしている紅梅がいた。
「……ふぇ?」
「へぇ?」
いきなりのことに本人らはきょとんとしているが、全員、じっと二人を見ている。周助など、ぽん、と手を叩いてすらいた。
「紫乃ちゃんちは、こっちでも有名な魔法族なんだろ? しかも陰陽師っていったら、日本を代表する魔法使いの一種じゃん。梅ちゃんも蛇女帝って人の孫だし、あ、しかも、人間国宝でもあるんでしょ? そんで本人も舞妓さんの卵! 舞妓さんだよ!? これ以上日本らしいものはないよ!? 何よりふたりともカワイイ!」
「まあ……、そうだな」
景吾が頷く。
他の皆も納得しているようで、各々頷いている。置いてきぼりなのは、本人である女子二人だけだ。
「いろんな仕事はあるけど、そこは俺らが一丸となって! サポートすればいいじゃん! ていうか、誰が代表になるかでこれだけもめるんなら、いっその事みんな平等に二人を支えていく形のが上手く回るんじゃない? ってことなんだけど」
「な、何言ってるの!?」
紫乃が、先ほどと同じような突っ込み、しかし無理をして大声を出しすぎ、引き攣れたような叫びを上げた。
「わ、わたしも梅ちゃんも、マネージャーだよ! マネージャーが部長と副部長って、おかしいよ!」
「だーいじょーぶ! 実際の仕事は俺らが分担するから!」
「なにがだいじょうぶなの!?」
いい笑顔でビッとサムズアップしてきた清純に、紫乃はもはや涙目である。
しかし清純だけでなく、なんと、他の面々も、戸惑うどころか検討し始めている。いや、もはや納得しかかっているといったほうがいいほどだった。
「ふむ。確かに、それぞれ違う特性を持つ我々の誰かをリーダーに据えると、他の者の折角の個性が潰れてしまう。揉めている原因も、根底はそこにあるわけだしな。その点、マスコットタイプの代表を立てれば……」
蓮二が開眼し、真剣な表情で考察する。
後ろでは、涙目でうーうー唸っている紫乃の頭を、紅梅がよしよしと撫でて諌めていた。
「……そうだね。下手に誰かが上に立つよりは、そのほうが、皆の持ち味を活かしていろんな活動ができるかもしれない」
「ゆきちゃん!?」
あれほど部長になりたがっていた精市が納得してしまい、紫乃が、がーん、と効果音が付きそうな顔をする。
「せやなあ。実際の仕事に関しても、みんなで分担すれば負担も少のうて済むし。誰かが部長になったら、その分自分の練習、どうしても削らなあかんしな。……うん、ええやん! 無駄ないやん! 俺も賛成やで!」
「白石くん!?」
紫乃の顔色は、もはや青い。
「そうだなあ。さっきも少し言ったけど、マスコット、という言葉には、団体戦の大会なんかで、他のチームメンバーの勝ち星により、一度も試合をする事無く優勝、またはそれに準ずるところまで勝ちあがってしまった人の事も指すんだが」
「へえ? で、乾、その心は?」
周助が促す。
「つまり、“居るだけ”でオッケー。象徴。転じて、存在することで幸運を呼ぶ存在」
「ほーらね! ピッタリじゃん、幸運の女神マスコット!」
清純が、ますますどや顔になる。しかしその言葉に異議を申し立てたのは、涙目の紫乃だけだった。
「はん……、なるほどな。ま、部長にならなくても、俺様の輝きが損なわれるわけじゃねえしな」
「あああああああ跡部くんなにいってるの!?」
「よし藤宮ァ! 今日からテメーはここのマスコットだ!」
「ほんとに何言ってんの!? み、みっちゃあん!」
紫乃は、思わず国光に助けを求めた。
ラケットを持って突っ立ったままの国光は相変わらず難しい顔をしていたが、じっ、と紫乃を見ている。紫乃は嫌な予感がした。
「紫乃さえ良ければ、俺はいい案だと思う」
「みっちゃんまで!?」
紫乃は絶望した。ガクーンと膝から崩れ落ち、毛足の長いラグに座り込んだ紫乃に、「あらぁ」と、紅梅が相変わらず呑気な声を上げた。
「……うちらが部長、副部長、て……。ええと、弦ちゃん、実際、どないするん?」
「む」
首を傾げて尋ねられた弦一郎は、腕を組んだまま、僅かに思考し、言った。
「マスコットというからには、それこそ、いるだけ、という事ではないのか? 蓮二」
「その通りだ」
蓮二が頷いた。
「実際に部長がやる、練習メニューの決定やスケジュール設定などは、我々がミーティングや持ち回りで決める。二人には、あくまで書類上の肩書として部長、副部長となってもらうだけになるだろう。唯一心配なのは、書類上とはいえ確かに部長、副部長であるので、なにか起こった時の責任問題の際──」
「はっ、そんなヘマするかよ」
景吾が、椅子に悠々と腰掛け直した。そしてそれに、他の皆も次々に同意する。
「そうだね。二人には迷惑かけられないもの。それを思えば、皆規則も守るし、周りにもかなり礼儀正しく振る舞うよ」
いや、もちろん、最初から型破りなことをしたいわけじゃないけどね、と周助がにこやかに言った。規則を守る、というところでは、弦一郎と国光が、深く頷いている。
「確かに、お前たちに迷惑がかかると思えば、衝動的な暴走もかなり抑制できる効果が期待される」
「ほな、うちらは最初の予定通り、マネージャーしといたらええの?」
紅梅が、首を傾げる。
「そうだな。マスコットということを意識して活動してくれれば尚良いだろう。一部の士気も上がりそうだし、見栄えもいい」
蓮二のその発言に、清純が、ものすごい勢いで頷いた。精市も、もうすっかりにこにこしている。
「んー……。ほんまに、いるだけ、なんやね?」
「ああ」
蓮二だけでなく、全員が頷く。紫乃以外が。
「うちらの仕事は変わらんのやね?」
「ああ」
「さよか。ほなよろしおすえ」
「梅ちゃあああああん!?」
同じ穴の狢であったはずの、そして最後の砦であった味方がころりと向こう側につき、とうとう孤立無援になった紫乃は、ぷるぷる震え始めた。
ラグの上で小さくなっている紫乃に、清純がぼそりと「うわあほんとにハムスターっぽい」と呟く。
「よし! じゃあ紫乃ちゃんが部長で、梅ちゃんが副部長ってことで!」
「ゆきちゃん!? なんで私が部長なの!?」
せめて部長にだけはなりたくない、と思っていた紫乃がひっくり返った声を上げるが、精市は「えー」などと言いながら、可憐に首を傾げた。笑顔がやけにきらきらしい。
「だって、“マスコット”っていったら紫乃ちゃんじゃない?」
「どういう意味!?」
「どういう意味も何も、そういう意味だろ」
景吾が、当然のように言う。皆も頷いていた。
「な、なんで! 舞妓さんの梅ちゃんのほうが、日本! って感じじゃない!」
「うーん、でもうち、まだ正式に店出ししたわけとちゃうし。実際は丁稚やもん」
丁稚、という言葉がまるで似合わない上品な仕草で、紅梅はことりと首を傾げた。
「そやし、うちもサポートのほうが向いとおすのや。さっき弦ちゃんらァが言うとったやろ? 一番上に見栄えがするお人を立てて、その下がそれを支えるて」
「梅ちゃんのが見栄えがするよ!」
「そんなことおへんえ。しーちゃん、ちぃちゃくて可愛(かい)らしもん」
紅梅はにこにこして、紫乃の頭を撫でた。同い年だということはもう当然わかっているのだが、どうしても、愛でるような態度が抜けない。
「大事おへんえ。大体はみぃんながやってくれはるいうし、元々、たろセンセからの連絡事項はうちがよぅ聞くことになっとぉし。しーちゃんはそのまんまでええんよ」
「う、うう……」
そう優しく言われれば、自分だけわがままを言っているような気がしてくる。なにも言い返せず唸るばかりの紫乃に、紅梅は、にっこり笑顔を向けた。
「一緒にお気張りやしょなぁ」
紅梅は昼間と全く同じことを言ったが、紫乃は今度は笑顔どころか、涙目だった。
そして、翌日。
部長、副部長の名を報告し、なぜそうなったかの経緯を選手全員で説明したところ、太郎は深く頷き、「行ってよし!」とのたまった。
こうして、ホグワーツ魔法魔術学校に新設されたテニス部では、藤宮紫乃が部長兼マスコット、兼マネージャー。上杉紅梅が副部長、兼マネージャー、ということになったのだった。
「ま、何もしねえっつっても、部長でマスコットだからな。大勢の前で挨拶ぐらいはしてもらうが、あのビビりにはいい訓練だろ」
景吾がそう言った通り、来週の体験入部者受け入れ時、大勢の前で挨拶のスピーチをすることになった紫乃は寿命が縮まるような思いをするのだが、それはまた別の話である。