部長・副部長1
「ほらほら、真田君も手塚君も、あんまり気にしないで」

 変身術の教室を出てから、傍から見ても明らかに落ち込んでいるというか、暗いものを背負った二人の背中に、清純はそう明るく投げかけた。
 しかし二人は呻くような返事しか返さず、まるで覇気がない。今まであらゆる面で人より遅れを取ったことがないだけに、ショックが大きかったようだ。しかもその理由が、想像力のなさ、イメージなどという、ひどく曖昧で、練習のしようがあるのかないのかもよくわからないものであるだけに、困惑しているというのもあるのだろう。

「そや、うちも扇子を色々できおすけど、知らんもんは変えられんもん。縫いもんして、針と糸に慣れたら、きっと出来るようなりおすえ」
「……そう、だろうか」
「そや。知ってるもんやったら出来はるんやもん」
 紅梅のその言葉に、弦一郎はとりあえず気を持ち直したらしい。少し丸まっていた背筋を伸ばし、うむ、と頷いた。

「……そうだな。努力する前から落ち込んでいても始まらん。できるようになるまで、雑巾ごとき、百枚でも二百枚でも縫ってくれるわ……!」
「その意気どすえ、弦ちゃん」
「いや百枚二百枚はいき過ぎじゃないかな」

 清純が突っ込んだが、燃える弦一郎と煽る紅梅はあまり聞いていない。
 紅梅は裁縫セットを持ってきているということなので、雑巾用の布が支給され次第、弦一郎は彼女に裁縫を習うことにした。

 国光はそんな二人のやりとりをぼんやりと眺め、そしてなんとなく、自分の杖を見た。
 買った時よりも短く細い、紫乃の杖を見本に変化させた杖。

「手塚はどうする? 俺はおほど達者ではないが、雑巾の縫い方ぐらいなら教えられるぞ。もちろん、本を見てもいいが」
「ああ、……申し訳ないが、頼んでもいいか」
「構わない。では道具が支給され次第取り掛かるとしよう」

 親切に申し出てくれた蓮二に、国光は「ありがとう」と言って、軽く頭を下げる。
 律儀な態度の国光に、蓮二は微笑んだ。

「手塚の場合は、もう少し根本的なところが原因の気もするけどね」
 斜め後ろを歩いていた乾が、キャンパスノートを開きながら言った。
「実物の見本があれば、完璧に魔法は発動する。よって、縫い物を体験し、針に慣れれば、おそらく確実にマッチ棒を針に変えることが出来はするだろう。だがこれが、例えばヘアピンに、と言われたら?」
 ずばり言われ、国光はぐっと息を詰まらせ、眉間の皺を深くした。

 そう、本人にも自覚がある。国光の魔法が発現しないのは、杖に慣れていないからでも、針を持ったことがないからでもない。

 致命的なまでに、想像力に欠けているからである。

 思えば、国光は、ごっこ遊びなどをしたことがない。
 誘われたことがないわけではないが、戦隊物や仮面ライダーなどの特撮ヒーローもの、アニメなどにもさほど興味がなく、まず素地の知識がなかったせいで、すぐに誘われなくなった。
 身体能力が高く運動神経がぴかいちなので、ボール遊びや鬼ごっこでは必ずと言っていいほどお呼びがかかるし、役になりきるなどいっそ意味不明にしか思えず誘われても困るだけなので、全く気にしてはいなかったが。
 それに、選ぶ本や好きな映画も、ファンタジックなものよりもリアル路線のもの、でなければ、既におおまかなイメージがある古典名作系を好む傾向がある。

 逆に紫乃は人物の内面を描くタイプの作品や、ファンタジックな世界観のものを選ぶ傾向があった。

 今までは単なる好み、性格でしかないと思っていたそれらが、今こうして如実にその影響を響かせてくるとは、と、国光は頭を抱えた。
 だが、国語のテストでは「この時のこの人物の気持ちを答えよ」というのは苦手だし、テニスにおいても、実はイメージトレーニングというものが苦手──というよりはもはやどうすればいいのか全く見当がつかず、やったことがない。

 ──こうして思えば、原因は明らかすぎるほどに明らかだった。

「確かに。だがこればかりは、持って生まれた部分が大きいからな」

 蓮二がさらりと追い打ちをかけたので、国光は肩を落とす。
 そして、こんな時に紫乃がいれば、一生懸命に自分を励ましたに違いない、という思いが浮かび、国光は胸に風が吹いたような気がした。
 小さくて泣き虫で、いつも自分の後ろをついてきていた紫乃であるが、その彼女に自分がどれだけ励まされてきたのかということを、国光は、こうして彼女と離れた今になって、重々思い知った。そしてその存在がないことが、どれだけ心細いかということも。

「藤宮が同じ寮だったら良かったのにな」

 その言葉に、国光は、ぴくりと眉を上げた。
 帽子に適正を示されたグリフィンドールではなく、レイブンクローを選んだのは、他の誰でもない、国光本人である。
 なるべく早く、確実に魔法の力を自分のものとして扱えるように。そしてそうすることによって、よりテニスに打ち込み、魔法族である彼女の力にもなれるように、守っていけるようにと。

 ──しかし、現実はどうだ。

 紫乃がグリフィンドールに、自分がレイブンクローになった時、自分で選んだことながら、国光は、紫乃は自分がいなくても大丈夫だろうか、とずいぶん心配した。
 だが紫乃はグリフィンドールで早くも友人を作り、相手方の性格が穏やかだということもあるだろうが、あれほど苦手だった男子とも和やかに口がきけるまでに成長している。
 昨日は藤宮の術を見事に使って迷惑なゴーストを追い払い、皆に賞賛されたということも聞いていた。

 マグルの世界ではいつも泣かされていた紫乃だが、“こちら”では、一目どころでなく置かれる存在として認められつつあるのだということを、二日目にして、国光は知った。
 それは、彼女の良さや本質がやっと皆に認められた、という嬉しさもとても大きかったが、自分がいなくても大丈夫なのだ、ということでもあるようで、取り残されたような寂しさがあった。

 数歩先には、揃いのカナリア・イエローを纏い、手を繋いで歩く、弦一郎と紅梅がいる。
 今の国光には、彼らの有り様が、とても眩しく思えた。

「だがまあ、出来ないものは仕方がない。なるべく多くのものに触れ、経験を増やしていくしかないだろうな、教授」
「ああ、博士、俺もそれしかないと思う。……というわけだ手塚、頑張れ」
「……ああ」

 ぽん、と両側から肩を叩かれた国光は、力なく返事をした。






 しかし、授業の後は、何よりも楽しみにしているテニスである。

 ホグワーツの一日の授業コマ数は、午前中が四コマ、昼食後に二コマで、合計六コマである。今日のように間が抜けたり、午後丸々何もなかったりといった日もあるので六コマぎっちり授業がある日はほぼないが、六コマめの授業が終わるのが一応15:30である。
 そのため、16:00には着替えてテニスコートに集合、そして少なくとも16:30には準備運動と基礎を終わらせるように、という朝練の時の太郎の指示に従うべく、弦一郎たちはそのまま朝と同じくコートに向かい、雉のレリーフが出すテニスのルールクイズに答えて部室に入り、屋敷しもべ妖精とやらが洗濯してくれていたユニフォームとジャージを手に取った。
 朝練の汗を吸ったユニフォームは完璧に洗濯されてハンガーにかけられ、いい香りがしていて、しもべ妖精たちの仕事の素晴らしさを思い知ったが、げんなりした顔でやってきたグリフィンドール組、スリザリン組のおかげで、その感慨は台無しになった。

「おい、何だそのにおいは」

 ──ニンニク臭い。
 そう言って弦一郎があからさまに顔を顰めるが、精市や景吾らの顔は、もっと顰められていた。
 それもそうだろう、部室に入ってきた途端に臭うほどのニンニク臭は凄まじく、うんざりするに余りあった。

「うわー、何? 餃子でも食べたの?」
 鼻をつまみながら、清純が言う。
「いや、なんだか知らないけど、『闇の魔術に対する防衛術』の教室に、ところ狭しとニンニクがぶら下げてあってね……。この通り、ひどい臭いだよ」
 いつも穏やかなほほ笑みを浮かべている周助でさえ、げんなりした顔をしている。隣にいる、眉の下がりきった紫乃が、「ルーマニアで会った吸血鬼を寄せ付けないためなんだって……」と、弱々しく補足する。

「そやけど、あのニンニク、なんの聖水処理もしとらんかったんやけどなあ。確かにニンニクは吸血鬼には毒やけど、ちゃんと処理したニンニクやないと、効果ないで。何考えとんねん、あのオッサン」
 こちらは、魔法草、毒薬に関する知識は誰にも引けをとらない蔵ノ介である。

 ふむ、と、蓮二が顎に手を当てた。
「担当教師は、確か、クィリナス・クィレル教授だったか」
「胡散臭い奴だぜ」
 ニンニク臭いローブを脱ぎ捨てた景吾が、いらいらと言う。
「巻いてるターバンはゾンビを倒した時にアフリカの王子がくれたものだの、ルーマニアの吸血鬼だのと言いやがるが、どれもこれも話が薄っぺらいったらねえ。授業も大したことなかったしな」
「本当にね。本当……」
 皆の後ろからゆらりと出てきた精市が、景吾と同じようにローブを脱ぎ捨てる。そして部室の中に唯一引かれた水道の蛇口を思い切りひねると、頭を突っ込み、男らしくも、ざばざばと被った。

「どうしてくれようかな」

 頭を水浸しにしながら、ふふふふふ、と笑う精市は、相当不穏だった。
 そんな精市に、弦一郎が、「ああなにかやらかすつもりだな」と、諦めの篭った半目で精市を見ていた。もちろん、止める気、もとい関わる気はさらさらない。
 他の者も似たような様子だが、国光だけは、何か思うところがあるのか、難しい顔をしている。

「ううん、とりあえず空気入れ替えるな?」
 眉を顰めた紅梅が、部室のドアを開けて換気を試みる。
 空気が流れて多少臭いがましになったが、しかし、臭いの根源である服や髪がそのままなので、根本的な解決にはなっていない。
「堪忍なー。シャワーでも浴びれたらええんやけど、さすがにな」
「へぇ、災難どしたなあ」
 困った顔で言う蔵ノ介に、紅梅はひょいととあるものを取り出した。

「とりあえずは、これで何とかしましょ」
「……用意ええな?」

 紅梅が手に持っているのは、日本が誇る消臭・除菌スプレー、『ファ◯リーズ』である。
「へぇ、こっちに来る前に、たろセンセから備品の確認の手紙が来おしたやろ? ラケットとかボールやらはともかく、掃除用具やらこういうのんはなーんも書いとおへんやったん」
「もしや、申請しておいてくれたのか?」
 蓮二が尋ねると、紅梅は「へぇ」と頷いた。
「テニスの専門的なことは、よぅわからしまへんけど。余計なことかもしらんけど、まあ、あって困るもんとちゃうし思て。あ、せぇちゃん、たぶん水道の下に石鹸があるよって、手ぐらいやったら洗えるえ」
ちゃんナイス!」

 さっそく水道の下の戸棚を開けた精市は、手どころか頭まで石鹸で洗い始めた。豪快にも程があるが、それほどニンニクの臭いが耐え難かったのだろう。
 そして他の者達も同じように石鹸で洗えるところは洗い、石鹸までは使わずとも頭から水を被れば、臭いはずいぶんましになった。

 紅梅は彼らが脱ぎ捨てたニンニク臭いローブを次々ハンガーにかけ、部室の外の窓枠にかけると、ぷしゅーとスプレーしはじめた。紫乃も予備のスプレーを持ち、自分のものも含めて、一緒に手伝う。

ちゃんすごい……。私、そんなところまで気が回らなかった……」
 消臭剤の他にも、掃除用具、石鹸、雑巾、黴取りなどが揃っているのを見た紫乃は、心から感心してそう言った。
 蓮二や貞治でさえ、ドリンクボトルやタオルなどといったものまでは申請していても、選手として用いるもの以外についてはノータッチのままだった。──といっても、まだきちんと“部活”としてのテニスを経験したことのない彼らなので、そこまで気が回らないのは当然であるのだが。

「へぇ、うちはお屋形でもこんなんやし」
「おやかた?」
「置屋のこと。舞妓芸妓は、上下関係が厳しおすよってなァ」
 慣れた手つきでスプレーを施しながら、紅梅は言った。
「お姐はんらァの身の回りのお世話は、下っ端の仕事やさかい。うちは生まれた時から屋形に居とおすけど、お姐はんらァが入れ替わっても一番年下なんは変わらんよって、掃除洗濯、お炊事、家のことはだいたいうちの仕事や。慣れとおすえ」
「はー……」

 当然のようにけろりと言う紅梅に、紫乃だけでなく、弦一郎以外の全員がぽかんとしていた。
 というのも、紅梅の穏やかな性格や振る舞いがいちいち洗練されていて品が良く、また日本が誇る伝統職である舞妓の卵ということならば、京都の古い家のお嬢様、という感じだろうと思っていたからだ。
 そのイメージと、掃除洗濯家事全般をそつなくこなすという事実は、あまり結びつかない。
 そんなふうなことを皆が口々に言うと、紅梅はからからと笑う。

「お嬢様て。ただの丁稚や」
 その態度は上品ながら、非常にたくましく、頼り甲斐がありそうだった。



「そやそや、たろセンセから説明があるかもしらんけど、日本留学生はまとめてテニス部籍扱いにするんやて。なんやそのほうが、色々面倒がおへんみたいで」
「そうか。まあ、確かにな」
 蓮二が言い、全員が頷いた。確かに、この少ない人数なら、まとめて肩書が同じであるほうが、いろいろと扱いやすいだろう。

「……それにしても、上杉さんは榊監督と親しいの?」
 ひとり、事前に太郎から色々と情報を得ている紅梅を不思議に思ったのか、水をかぶった亜麻色の髪を拭いていた周助が尋ねる。
「たろセンセは、うちのお祖母はんのお舞のファンどすのや。お舞台にもお座敷にもよぉおいやして、その御縁で何年か前から、うちの英語のセンセしてくれはるの」
「ああ、だから“たろせんせ”って呼んでるんだ」
「へぇ。良ぉしてくれはるんよ」
 紅梅は、にっこりした。
 その表情は親しげで、家族のことを話すような空気があったので、皆、彼女と太郎の関係性をなんとなく察した。先生、とは言っているが、おそらく彼女にとっては、父親とまではいかずとも、それに近いような存在なのだろう、と。

「そやし、籍置くんになんもせんのもなァ言うたら、まあ、適当に身の回りの世話したりて、たろセンセが言わはったん。しーちゃんも」
「へ」
 突然話を振られた紫乃は、ぽかんとしている。
 紅梅は最後のローブにスプレーをかけ終わると、穏やかに笑いかけた。
「他に用事があるんやったらええけど、とは聞いてるえ?」
「うっ、ううん、大丈夫!」
「ほぉかァ。ほな、一緒にお気張りやしょなぁ」
「うん!」
 皆の、国光たちのテニスの手伝いができる、しかも紅梅も一緒である、ということが嬉しく、紫乃も満面の笑みを浮かべた。

「えっ、マジ!? やった、カワイイマネージャー二人!」
 清純が、飛び上がって喜色満面の声を上げた。

 しかしこれには、全員、まんざらでもない表情をしている。
 紅梅がいかによく気がつくかは今まざまざと思い知ったところだし、紫乃も文句なしに善良で、一生懸命な性格だ。彼女らがテニスとは直接関係ない、しかし必要不可欠な部分をサポートしてくれるなら、これほどありがたいことはない。

「ほなこのローブ、外に干してきますよって。その間にお着替えやす」
「おー、おおきになあ」
「髪の毛ちゃんと拭きなはれや。日本より寒おすよって、風邪ひくえ」
「……はい」
 母親のように言う紅梅に蔵ノ介が苦笑交じりに頷くと、紅梅紫乃と手分けしてローブを抱え、外に出ていった。
部長・副部長1//終