組み分け
景吾よりは長い、しかしごく数秒の間を経て、紅梅が組み分けられたのは、予想していたスリザリンではなく、ハッフルパフ。
かの『蛇女帝』の孫であるということが知れているのか、それとも彼女の珍しい容姿のせいか、ハッフルパフから、ほぅ……、と、感嘆するかのような溜息が聞こえた。
しかし、「スリザリンだがハッフルパフ」という奇妙な宣言が気にかかるのか、戸惑ったようなざわめきも聞こえる。これはハッフルパフだけでなく、すべての寮、とくにスリザリンから多く聞こえた。
「ハッフルパフ……」
弦一郎は、呆然と呟いた。
ハッフルパフは、努力を努力と思わない、誠実で、穏やかで、懐の広い人間が多いということなので、紅梅に当てはまらないこともない。
だが紅梅はスリザリンになる、とすっかり思っていたし、何より、ハッフルパフよりもスリザリンの性質がぴったりすぎて、他の寮になることなど、考えもつかなかったのだ。
それに、帽子がわざわざ「スリザリンだが」と言ったとおり、おそらく、彼女の資質は、本当にスリザリンなのだろう。それなのに、なぜハッフルパフに組み分けられたのか──、と、弦一郎はぐるぐると思考を巡らせる。
紅梅は登った時と同じようにしずしずと段を降り、暖かなカナリア・イエローのシンボルカラーをした、ハッフルパフのテーブルに向かっていく。
位置的に、弦一郎から紅梅の表情を伺うことは出来なかったが、目立つところに座っているせいで、景吾が片眉を上げ、やけに興味深そうな様子で、紅梅が歩いていくのを目で追うのが見えた。
「フジ・シュウスケ!」
次に呼ばれたのは、弦一郎の知らない少年だった。
亜麻色の美しい髪は少し長めで、まるで絵本の王子様のような、やさしげな容貌だ。しかし手には、ラケットと化した杖を持っている。
「天才・不二周助」
隣に立っている蓮二が、小さな声で言った。
「東京のテニスクラブでは、手塚ほどではないにしろ名を馳せている選手だ。強いというよりは、上手い、という感じのテニスをする」
「ほう……? では、お前と少し似ているか」
「どちらかといえば」
だがデータに基づいて動く俺に対し、彼は持って生まれた感覚、センスが成せるテニスをするので、そこは大きな違いだな、と蓮二は続けた。
「やりにくい相手だよ」
蓮二にここまで言わせるのならば、相当の選手に違いない。
ここに来たのは魔力の扱いを学ぶためというのが第一ではあるが、高いレベルの選手が多数集まった環境に身を置けるらしいということに、弦一郎は、武者震いを覚えた。
そして周助が帽子をかぶると、すぐに「スリザリン!」と声が上がった。
蓮二によると、周助の家もそれなりに有名な魔法族らしく、スリザリン勢が、景吾の時ほどではないにしろ、喜びをあらわに歓声を上げている。
「フジミヤ・シノ!」
紅梅とはまた違う様子でちょこちょこ進み出てくる、小柄というよりもう単に小さい姿に、弦一郎は「おお」とわずかに声を上げた。
ダイアゴン横丁で迷子になっているのを保護した、あの少女である。
弦一郎はあの時ほとんど会話をしなかったが、ネビルの腕を引いてずっと歩いてきたせいもあり、段差でころんと転びはしないかと、つい心配になってしまう。
紫乃は転びはしなかったが、少し緊張した様子で、椅子に座った。
足が床につかず、ぷらんと宙に浮いている。そして、数秒後。
「グリフィンドール!」
帽子の宣言に、弦一郎は、つい、「は?」と、間の抜けた声を上げてしまった。
藤宮紫乃。日本人にしても平均より小さく、弦一郎らと同い年の入学生でありながら、迷子になって半泣きになり、あの当たりのいい紅梅であっても、知らない人間と見るやようよう名前も名乗れなかった、いかにも庇護が必要そうな、小さな少女。
そんな紫乃と、“勇猛果敢な騎士道精神を持つ者”が集まるグリフィンドールはまるで結びつかず、紅梅がハッフルパフになった時とは比べ物にならないほど意外だった。
むしろ、紫乃こそハッフルパフに組み分けられそうなものを。あの帽子は、本当に大丈夫なのか。
「サナダ・ゲンイチロウ!」
すぐに自分の名前が呼ばれたので、弦一郎ははっとして背筋を伸ばし、壇上に進み出た。
景吾、紅梅、周助、紫乃、と、どちらかというと、スマートとか、もしくはおとなしく静かな風情の者が続いたので、背も高く、いかにも武骨で男らしい感じの弦一郎は、それなりに注目を集めた。
紅梅の時とは逆に、深く椅子に腰掛ける。しかし背もたれには寄りかからず、堂々と背筋を伸ばした。
「ほほう。君が“弦ちゃん”か」
「は?」
弦一郎は、再度間の抜けた声を上げてしまった。
その反応が可笑しかったのか、くっくっと笑う声がする。帽子が喋っているのだと気付いた弦一郎は、気を取り直し、静かに口を開いた。
「尋ねたい。なぜ紅梅がハッフルパフなのだ? その素質がないとは言わんが」
「それは、他でもない君のせいだ」
「……何だと?」
弦一郎は眉をしかめたが、帽子は笑みの混じった様子で、「悪い話ではないよ、決してね」と続けた。弦一郎の表情が、少し困ったようなものになる。
「さて、彼女も言っていたが、確かに君の資質はグリフィンドール。勇猛果敢、騎士道精神、そして意志の強さ。どこからどう見てもグリフィンドールだ」
「そうか……」
「だが、“彼女”がそばにいる場合は、そうともいえない」
どういうことだ、と弦一郎が口に出す前に、帽子は言った。
「彼女にも言ったことだが、君たちが一人でここに来ていたら、それぞれまっすぐスリザリンとグリフィンドールに組み分けていただろう。しかし君たちは、お互い手を取り合ってここに来た。そしてひとりひとりだと全く違う性質を強く持つ君たちだが、二人揃うと、これまた違う性質になる。しかもとても強固だ」
「……それが、ハッフルパフだと?」
「そのとおり!」
弦一郎は、帽子が言った意味を考えた。
紅梅は狡猾なスリザリン、弦一郎は勇猛果敢なグリフィンドール。
しかし二人揃うと、根気強く、誠実で、そして懐深く穏やかなハッフルパフになるのだと、帽子は言った。
(──ああ、)
すとん、と、弦一郎の胸に、何かが落ちてきた。
それはなんだかとても暖かく、何よりもしっくりくるものだった。
「二人揃えばとは言ったが、それぞれにハッフルパフの資質がないわけではない。スリザリンとグリフィンドールほどぴったりではないが、二人共、とんでもないくらいの努力家だ」
弦一郎は、静かに頷いた。
「だがハッフルパフが尊ぶ愚直なまでの心優しさも、懐の深さも、穏やかさも、君たちの場合、二人揃わないと、真のそれは生まれない」
そのとおりだ。
少なくとも弦一郎は、紅梅からの手紙を読む時、そして紅梅とともに居る時だけ、とても穏やかで、やさしく、懐の深い気持ちになれる。
それは彼女が、そう導いてくれるからだ。
「彼女もそう思っているようだよ」
彼女はばらされたくないようだが、ひとりの時の彼女は、君が目の当たりにしているほど、女神や“ボサツサマ”のようではない、と、帽子は面白そうに言った。
「さて、君の意思を聞こう。君が生まれ持った資質を更に磨いていきたいならば、グリフィンドール。しかし彼女とともにいるなら、ハッフルパフだ」
弦一郎は、一度瞑目し、そして堂々と答えた。
「──どこでも構わん」
「ほう?」
「グリフィンドールであろうとハッフルパフであろうと、──そして仮にスリザリンやレイブンクローであろうと、俺の本質は変わらぬ。己の鍛錬を続けるのみ」
グリフィンドールにこそ相応しいと評された強い意志を込めて、弦一郎は言った。
「紅梅もそうだ。どこにいようと、彼女は俺を助けてくれる。どんな時でも、俺が俺でいられるように」
遠く離れたところにいても、一年に一度しか会えなくとも。
手紙でしか言葉を交わせなくても、三年間、自分たちはやりとりを続けてきた。そして弦一郎は、便箋に書かれた彼女の言葉に、励まされ、助けられ、時にアドバイスを貰い、幾度となく助けられてきたのだ。
同じ学校で、たかだか寮が違う程度で、それが変わるわけがない。
「だから、どこでも結構。さあ決めろ」
「ほう、ほう、ほう」
帽子は、帽子のくせに、興奮したような、この上なく興味深そうな様子だった。
「間違いなく本心のようだ。なるほど──……うむ、ならばグリフィンドール──何しろ切磋琢磨するに相応しい寮だ──だがまあ、彼女はあちらで待っている。そしてより側にいるならば、互いの個を強く支えあい、伸ばしあうことも出来るだろう。ならば組み分けた責任を取るとしようか──」
帽子は、一拍間を置いた。
「グリフィンドール──、だが、ハッフルパフ!」
オー、と、控えめだが、歓迎していることがありありとわかる暖かな歓声に迎えられ、弦一郎はハッフルパフのテーブルに向かった。
どこに座るかは、迷うべくもない。
ふんわりしたカナリア・イエローに囲まれて座っている紅梅の表情は、満面の笑み、ではない。しかし頬は桃色に染まり、黒目がちな目は細まり、下がり気味の眉は更に下がっている。
蕩けるような笑み、というのは、きっとこんな風だろう。
控えめだが笑顔で拍手を送ってくれる上級生らにしっかりと頭を下げた弦一郎は、紅梅が横にずれて作ってくれた席に座った。
弦一郎は次々に話しかけられ、そしてそれに弦一郎が古めかしく厳しい言葉で返すと、皆驚いたようだった。
また、監督生である五年生の先輩が話しかけて挨拶すると、わざわざ立ち上がってそれに応え、しかも騎士か古代の将軍かというくらい礼儀正しくきちんとしていたため、更に驚かれる。
そして、帽子が「グリフィンドールだが」と言った意味を、皆、なんとなく理解した。
しかしそれは決して悪い印象ではなく、とてもきちんとした礼儀正しい新入生、しかも新入生とは思えぬほど、なにやら頼り甲斐の有りそうな──というのが、弦一郎に対する、ハッフルパフでの概ねの印象だった。
「ふぇ、っふ」
こらえきれない、といったような、柔らかい、しかし独特の、珍妙な笑い声がした。
横を見ると、あの蕩けた笑みを浮かべた紅梅が、口に揃えた指を当てて、弦一郎を見ている。
「おんなしやったねぇ」
と、紅梅は言うが、──帽子とのやりとりを思い返すに、彼女もまた、帽子に言われたはずだ。おまえの本質はスリザリンである、と。
しかし彼女は、ハッフルパフを選んだ。弦一郎が来ないかもしれない、ハッフルパフを。
それはつまり、彼女が、弦一郎とともに居ることを望んだということ。ここで、ハッフルパフで、弦一郎を待っていたということにほかならない。
「……うむ。二年間、よろしく頼む」
「へぇ」
どこでもいい、と弦一郎は言った。どこであろうと自分は変わらないし、紅梅も、そして二人の関係も変わらないと、そう言った。
それは確かに本心で、なにより真実だ。しかしこうして隣同士になり、安らかで穏やかな空気を感じれば、側に居られるのに越したことはない、と心から思う。
どこでもいい、と言った。
だが、ハッフルパフでよかった、と、弦一郎は思って、微笑んだ。
「仲がよさそうだけど、君たちは、知り合いなの?」
上級生が、人当たりのいい笑顔で聞いてきた。
他の寮は知らないが、ハッフルパフにいる人々の評判は、事前に聞いていた印象そのものだ。皆穏やかで、多少気弱そうな感じのものもいるが、それよりも暖かな善良さのほうが心に染みてくる。
「はい。幼馴染で」
「そうなんだ。住んでいる所が近所とか?」
「いえ──」
弦一郎は、口ごもった。
「そういうわけではないのですが、縁があって」
こうして改めて思うと、幼馴染といっても、奇妙な関係だ、と弦一郎は思った。
そもそもホグワーツへの入学が決まるまで、初対面を合わせて、紅梅と直に会ったのは、三年間で、たったの三度しかないのである。
男子禁制の置屋で舞妓になる修行を積む娘と、そこから出入り禁止を食らった、剣道道場の息子。
お互いのそういう背景が、二人の関係を作り、また阻み、今がある。
だからこそ、こんな風にいられるのは、この二年間だけになる。
二年の留学期間を終えれば、元の通り、紅梅は京都、弦一郎は神奈川で暮らす。
そして、またひっそりと、秘密の手紙を送り合う関係に戻るのだ。
しかも、中学生になれば、一年に一度会う機会も、作れるかどうか怪しくなる。
お互い言葉にしたことはないが、薄々わかっていることだ。
二人の文通の秘密を知っていた弦一郎の祖母が亡くなり、そして中学生という、世間的にも性別の差がきちんと意識される年齢になれば。
さらに異性との接触が厳しくなるだろう紅梅が、一年に一度とはいえ、以前のように真田家にやってこれるかどうかは、限りなく絶望的だ。
──だから、今だけでも。
弦一郎は、テーブルの下で、隣の紅梅の手を握った。
少し強いその力に対し、紅梅もまた、少し強めに握り返してくる。
──この旅の間は、こうしていよう
自分自身の言葉を思い出し、弦一郎は、小さな柔らかい手を、ぎゅっと握り直した。
本来グリフィンドールのところレイブンクローに行った手塚、ハッフルパフのつもりがグリフィンドールになった紫乃という、これから先、堂々と一緒にいられるようにという意志が働いて、結果すれ違って別々になった二人。
片や、これから先はきっと一緒にいられないので、今だけでも、と、グリフィンドールとスリザリンのはずが、共にハッフルパフに収まった真田と紅梅。
という対比です。厳密に打ち合わせしあってこうなったのではなく、流れでなったのがすごい、とほたるさんとで言い合いました……。