組み分け
 大広間は、素晴らしく壮大で、幻想的だった。

 照明は、空中に浮かぶ、何千という蝋燭。その暖かな光が、四つの巨大な長テーブルを照らしている。テーブルは各寮ごとになっているようで、それぞれポイントの色が違う制服を着た上級生たちが向かい合って着席し、皆わくわくした顔で新入生たちを見ている。
 全てのテーブルの上には蝋燭の光を反射してきらきら輝く金の食器が並べられ、これもまた美しい。
 一番驚いたのは、距離感が狂うほど高い天上に、星が点々と光っていることだ。

「本当の空に見えるよう、魔法がかけられているんだ。ホグワーツの名物のひとつでもある」

 聞き覚えのある、落ち着いた声。
 振り返ると、制服とローブを品よく着こなした蓮二が立っていた。

「む、蓮二」
「やあ、弦一郎。おとは久しぶりだな」
「へぇ、ダイアゴン横丁で会うたきりどすなあ」

 蓮二は住んでいる所が東京で、しかし祖父母の家は神奈川だった。そのため、日本にいる約一ヶ月の間、弦一郎は精市と蓮二とでさんざん打ち合い、名前で気軽に呼ぶ仲になっている。
 貞治がいないので、「乾は?」と聞いたが、「はぐれた。その辺りにいるだろう」とあっさり言われた。そして、「お前たちのように、始終手を繋いでいるわけでもないのでね」と、なぜかにやっと笑う。

「そうか」
「……あっさりしているな。意外だ」
「何がだ?」

 弦一郎は首を傾げたが、蓮二は、「ふむ、なるほど、興味深い」などと言いつつ頷いている。弦一郎がわけがわからず紅梅を見ると、紅梅はただにこにこしていた。

「ね、ねえ、あの先生……ほら、一番端の……タロウ・サカキだ!」

 ロンの声が聞こえた。
 途端、えっ、あのカードの、サカキの? 日本の凄い魔法使いだよ! などと、興奮して抑え切れぬ声が聞こえる。

 その声につられて前を見ると、少し段になっている上座に、来賓席らしい長テーブルがある。こちらは向かい合わず、着席した全員が生徒たちの方を向く形で、横並びに大人たちが座っている。
 真ん中の、特に立派な金色の椅子に座っているのが、校長のアルバス・ダンブルドアだ、と弦一郎は確信した。
 座っている場所でもあきらかではあるが、真っ白な髪に、髪と同じぐらい豊かな長い髭をたくわえていて、いかにもりっぱな魔法使い、という感じだ。ひと目で分かる。

 そして校長に続いて、紫色の珍妙なターバンを巻いた小心そうな若い男や、全身黒尽くめで土気色の顔をした陰鬱そうな表情の男、ショートカットの女性、また童話に出てきそうな小人や、ゴーストまでが座っている。

 個性的にも程が有る面々だが、あれが教師陣だろう。校長の両脇に座っているし、何より、一番端には、先程から騒がれている榊太郎が座っていた。

 アイボリー色のスーツをびしりと着こなした太郎は、やはりスカーフをして、あの紫色のベルベットのローブを纏っている。完璧にセットされた薄茶の髪と、ローブに着いた金の金具が、きらきら光っていた。

「……榊監督は、そんなに有名な方だったのか」
「へぇ。そない聞いとりますえ」

 紅梅が、にこにこして言う。
 太郎は相変わらず、インタビュー席にいるハリウッド俳優のように、悠々とスマートに、美しい椅子に腰掛けていた。

「榊家は、魔法界でも最も古い家系のひとつとして知られている。そして、マグルの世界でも世界を股にかける旧家として知られている──つまり、マグルと上手く関わり、しかも双方の世界で高い地位を確固たるものとしているという、希少な一族だ」

 しかも太郎は、移動魔法において素晴らしい実力を持っていることもあり、榊の中でも特に自由に双方を行き来する立場を持っている、と蓮二は解説した。
 そしてそんな人物が、“例のあの人”の騒動の後のイギリス魔法界の学校に入ることになった日本留学生の監督として選ばれたのは、非常に心強いことである、とも。

「短い間ではあるが、プロテニスプレーヤーとして活動されていた時期もある。記録を見たが、なかなかのものだった」
「うむ、それは俺も確認した」

 現役時代の太郎の記録や映像は、弦一郎にとっても非常に興味深いものだった。そしてその強さと技術は、二年間監督として敬うに非の打ち所のない人物である、と納得するに充分すぎるものだった。
 弦一郎は太郎を監督、教師とできることは幸運だと思っているし、景吾がああまで敬意を評していたのも、いまでは大いに納得している。

「──静粛に!」

 マクゴナガルが厳粛そのものの声で言ったので、浮ついた空気は冷水をかけられたように鎮まり、一人残らずが口を噤んだ。

 その様子に満足したのか、マクゴナガルは、生徒たちを、上級生の方に顔を向け、教師陣のテーブルに背を向ける格好で、一列に並ばせた。
 一年生たちを見つめる何百という上級生の顔を真正面から見ることになると、弦一郎もさすがに少し緊張する。

 そして、マクゴナガルは、ビロード張りの椅子を持ってくると、新入生の前、そして皆から見える壇上に置く。

 ──椅子の上には、ぼろぼろのとんがり帽子が置かれていた。

 帽子はとにかく古く、継ぎ接ぎがされてぼろぼろで、どうにも汚らしい。
 何だこれは、と思ったのは弦一郎だけではないようで、口を開かないながらも、皆が怪訝な表情をしている。
 すると、なんと帽子がぴくぴくと動き始め、鍔の縁のあたりの破れ目が、まるで口のように開き、朗々と歌い出した。

 もはや何度目かもわからぬ驚きで呆気にとられたが、帽子が歌う内容としては、帽子には意志があり、また新入生がかぶることでその者が度の寮に相応しいか判断する機能がある、ということらしい。

 また帽子は、グリフィンドールは勇猛果敢な騎士道精神の持ち主が、ハッフルパフは忍耐強くて正しさに忠実、かつ苦労を苦労と思わない者が、レイブンクローは賢く機知に溢れた者が、そしてスリザリンでは、どんな手段を使っても目的を遂げる狡猾な者がゆく、という、事前に得た情報と概ね違わぬ情報を歌い上げた。

 スリザリンの歌詞で、「スリザリンではもしかして 君はまことの友を得る」というところがあったのには、弦一郎は感心とともに安堵を覚えた。
 スリザリンのことを誰もがまるで悪の巣窟のように語るのをさんざん聞いてきたが、生徒の四分の一がすっかり悪人、ということもあるまい。
 理解されにくくはあるかもしれないが、おそらく何らかの形の信念がある寮なのだろう、と弦一郎は思うことにした。

 歌が終わると、広間にいた全員が拍手喝采をした。
 帽子は四つのテーブルに器用にそれぞれお辞儀をして、それからまた静かになった。

「では、まず──組み分けをする前に、留学生についての紹介をしておきます」

 校長、お願いします、とマクゴナガルが言うと、一番豪華な椅子に座った、老年の魔法使いが腰を上げる。やはりあれがアルバス・ダンブルドアだった。

「エヘン! ──今回の新入生の中には、日本からの留学生を含んでおります」

 咳払いをしてから、ダンブルドアは話しだした。
 弦一郎は、思わず背筋を伸ばす。在校生だけでなく、他の新入生も、興味津々で校長の話を聞いているのが、痛いほどわかったからだ。
 しかも、弦一郎、それに紅梅はいかにも日本人とわかる容姿だからだろう、あからさまにこちらを見てくる生徒もたくさんいる。

「日本の魔法使いは、こちらと違って、なんとマグルと魔法使いの差がありません。マグルも魔法使いも、同じ街で、同じように暮らしています」

 ざわっ、と、今までで一番大きなどよめきが上がった。特にスリザリンのテーブルでは、叫んでいる者すらいる始末だ。
 その反応に、こちらでは本当にマグルと魔法使いの区別、あるいは差別が大きいのだということを、弦一郎は今、肌で深く実感した。

「静かに! ……それゆえ、日本の魔法使いは、我々のように専門の学校で魔法を習う、ということも特にしません。過去、ホグワーツに日本人が入学したこともありますが、非常に少ない。今回招いた留学生らの中にも、本来なら、ホグワーツに“入学するまでもない”、という生徒も何人かいます」

 さわさわと、小さな話し声が聞こえる。入学するまでもないとはどういうことだろう、という声に、弦一郎は、隣に立っている蓮二をちらっと見た。
 教科書はもう随分前に読んで覚えてしまっている、という彼は、もう“勉強する”という範囲を超えて、独自の研究を行っているレベルにある。“入学するまでもない”という生徒のうち、ひとりは確実にこの蓮二の事になるだろう。

「しかし儂は、あえて彼らを招きました。……なぜなら、かの痛ましく、つらい出来事を経験した我々イギリス魔法族は、このような日本の魔法使いの有り様に、おおいに学ぶものがあると、儂は確信しているからです」

 ダンブルドアの言葉を、皆、厳粛どころか、非常に神妙に聞いている。

「また日本の魔法は、こちらの様式と随分違う、独特なものも多く見受けられます。儂ですら、彼らの使う魔法は、知らないものがたくさんある!」
 しかも、どれもこれもすてきなものじゃ! と、ダンブルドアは、重い空気を打ち破るように、茶目っ気たっぷりに言った。
 その効果で、いくつかの席から、楽しそうなくすくす笑いや、興味深げなひそひそ声などが聞こえる。

「生徒はもちろん、先生方も、彼らとおおいに交流し、友情を育んで欲しいと思っています。そのためのサポートとして、日本から、特別講師の先生もお呼びしました。紹介しましょう。タロウ・サカキ先生です」

 ダンブルドアがローブの裾をはためかせて手を伸ばし、太郎を示す。
 太郎がじつにスマートに立ち上がり、王侯貴族もかくやというほどの礼をすると、凄まじい拍手と歓声が響き渡った。
 すごい、あのタロウ・サカキだ! 素敵、カードにサインしてくれるかしら、などという興奮した声も、数えきれないほどたくさん聞こえる。

 組み分けがあるので、サカキ先生の挨拶は残念ながら省略します、とダンブルドアが告げると、生徒から軽くブーイングが起こる。
 ダンブルドアはにこにこしてそれをおさめると、エヘン! と再度咳払いをした。

「日本の学校の仕組みとのすり合わせで、彼らはとりあえず二年間の留学生となっていますが、皆さんが彼らといい関係を築くことを願います。以上!

 わあっ、と、巨大な大広間が震え、割れるような歓声と拍手が起こった。

 素晴らしい演説だった、と素直に思い、弦一郎も、拍手に参加する。
 しかし、ちらりと隣の紅梅を見ると、弦一郎とはまるで違う様子だった。拍手は一応しているが、指先で手のひらの柔らかいところをぺそぺそとつついているだけのような、まるで音が出ていない拍手だ。
 しかも、表情も無表情に近く、いつも浮かべている微笑がない。

 そんな紅梅の様子を訝しげに感じた弦一郎だったが、再度前に出てきたマクゴナガルの、「まず、日本からの留学生たちの組分けを行います」という言葉で、前を向かざるを得なくなった。

「アトベ・ケイゴ!」

 まず景吾が呼ばれ、椅子が置かれた壇上に上がる。
 帽子をかぶって組み分けをするためのはずだが、本人の容姿と振る舞い、そしてアトベ家が魔法界でもよく知られた名家であるゆえの視線から、まるで今から戴冠式でもやるのかというような風情だった。

 まるで玉座に腰掛けるようにして座った景吾の頭に、帽子が乗せられる。──と、またたく間もなく、帽子が「スリザリン!」と、広間中に響く声で叫んだ。

 途端、スリザリン生らは大歓声に湧き、ふと見れば、全員が立ち上がっているのではと思うほどであった。
「あのケイゴ・アトベが我が寮に!」「アトベ様!」という、うっとりしていつつも絶叫という、器用な叫びが聞こえる。黄色い声を上げている女生徒が目立つが、男子生徒らも歓喜していた。

「ハッ。当然の結果だ。なあ、血みどろ男爵」
「左様にございますれば」

 天井からすうっと降りてきた血みどろ男爵を従え、景吾は悠々と歩いて、スリザリンのテーブルに向かった。本当に、王様と従者にしか見えない。
 スリザリン生は、上級生であるにもかかわらず、こぞって席を空けて景吾にすすめている。

 その様を見て、弦一郎は、スリザリンが悪の巣窟でないことを確信した。
 “あの”跡部景吾が関わる寮が、世間で言われるような、単なる小悪党の集まりであるはずがない。
 ──まあ、ぶっ飛んで個性的である可能性は、まったく否めないが。

「ウエスギ・コウメ!」
「あらぁ」

 ABC順かと思えば、そうではなかったようだ。
 呼ばれた紅梅は、「ほなね」と弦一郎を振り返り気味に進み出た。するり、と、繋いでいた手が離れると、手のひらが外気に触れて、少しひんやりと感じる。

 紅梅が、しずしずと壇上に上がっていく。
 洋服、スカート姿だが、和服の時と同じ、内股気味の小さな歩幅で歩く、上下にほとんど揺れない歩き方。段を上がるときは、長めのスカートを少しつまんで上がり、一度椅子の前にすっと立ってから、帯があるときと同じように、浅く腰掛けた。
 背筋は真っ直ぐで、もちろん足はぴったりと揃え、膝から下は少し斜めに。手は腿の上、右手を上にして、指を揃える。

 日本でも、いまどき、あそこまでいかにも日本人形のような容姿は珍しい。
 壇上にぽつんと置かれた椅子に行儀よく座った紅梅は、本当に、展示用に陳列された、等身大の人形のようだった。

「ふぅむ。これはちょっと難しいところだ!」

 帽子を深く被らされ、視界が遮られた途端、耳元で声が聞こえ、紅梅は帽子の中で目を丸くした。

「スリザリンの中のスリザリンではある。しかし“彼”がいるのならそうとも言えない」
「……“彼”?」
「君が“弦ちゃん”と呼んでいる彼だよ」

 喋っているのが帽子であるということは理解したが、もしかして、考えていることが筒抜けなのだろうか、と紅梅が思わず目を眇めると、帽子は「おお、そういうところがスリザリンだ」と言った。
 そして、帽子が慣れた様子でいうところによると、組み分けをするのに必要なことの、ごくさわり程度、しかし重要なことがわかるそうだ。

「君がひとりでここに来ていたなら、スリザリン一択なのだがね」
「……そうどすか」
 やはりそうか、と、紅梅は目線を下げた。揃えて重ねた自分の手が見える。さきほどまで、そしてここ暫くの間ずっと、弦一郎と繋いでいた手。

「しかし“彼”とともに居るならば、そうともいえん」
「あの、弦ちゃんは、いかにもグリフィンドールなんどすけど……」
 そして、自分にグリフィンドールの素質があるとはとても思えない、と紅梅が続けて口に出さずとも、帽子は「確かに」と言った。
 やはり、簡単な思考程度はわかるようだ。笑顔と沈黙で腹を読み合う文化で育った紅梅には、これはどうもやりづらい。

 だが、どうせ何もかもわかってしまうのならば、正直に、素直に希望を述べたほうがいいのではなかろうか、と、ふと紅梅は思った。
 それに、どうやら、帽子と自分の会話は、外には聞こえていないようだ、と紅梅は察した。隙間から見える人々の動きが、ほとんど止まっているかのように、ひどくゆっくりになっているからだ。おそらく、時間の流れとか、そういうものが違うのだろう。

「ご明察。ふむ、ならば希望を聞こう」
「聞かんでも、わからはるんと違うん?」
「そこはそれ、きちんと申し立てることも重要だ。心を決める意味でね」

 帽子の言葉に、もっともだ、と思った紅梅は、少し顔を上げた。

「……うちは、どこでもよろしおす。あん人の、側やったら」

 凛とした声だった。

「そうかね。しかし、この後、“彼”の組み分けもする。彼は君の側にいるより、己の資質を伸ばすことを選ぶかもしれない。そうなれば、君は孤独になるかもしれないぞ」
「へぇ、構しまへん。そやかて──」
 彼が言った言葉を、紅梅は反芻した。

「寮が違ても……、おんなし学校どす。授業が合同になることもありおすのやろ?」

 京都と神奈川という、お世辞にも、気軽に会えるとはいえない距離。
 しかも、男子禁制の置屋の娘と、出入りを禁止された真田家の息子という間柄ゆえに、会えるのは、紅椿の舞台の付き添いにかこつけた、年に一回の夏の日だけ。
 それ以外は電話もできず、正真正銘手紙だけという環境で、弦一郎と紅梅は三年もやりとりしてきたのだ。

 いまさら寮が離れるくらい、なんということはない。
 一番側にいられるなら何よりだが、そうでなくても、──どこにいても、自分の気持ちの有り様が変わることはない。

 紅梅がにっこりすると、帽子は、「ふぅむ」と思案する声を出した。

「なるほど。静かだが、とても強い思いだ。なるほど──……まあ、あちらの資質もそれなりにある。それならば、賭ける価値もあるか」

 帽子は、生物ではないはずだ。
 しかし紅梅には、帽子がすうっと息を吸い込む気配を感じたような気がした。

「スリザリン──、だが、ハッフルパフ!!」
組み分け1/4//終