心に迷いなき時は人を咎めず
(七)
全国中学生テニストーナメント、関東大会決勝戦。
試合前、関東十六連覇を狙う立海大の圧勝であると、誰もが疑っていなかった。実際、最初のダイブルス二試合は、いい勝負をしたとはいえど、その予想通り。
だが続いてのシングルス二試合、三強の一人・柳蓮二、そして二年生エース・切原赤也の敗北。誰も崩せなかった王者の牙城が崩れつつある最中、誰もがごくりと息を呑んでいた。
「……頼むぞ、弦一郎」
「無論だ」
シューズの紐をしっかりと結び直しながら、どこまでも落ち着いた返事をした弦一郎に、蓮二はさすがのものだと安堵の息をつく。
「我々は、勝たねばならぬ」
弦一郎は、はっきりと言った。二勝二敗、次の試合で、全てが決まる。しかし、自分たちは、ただ勝たねばならないのではない。
無敗の王者として、全国大会優勝まで無敗を貫く宣言は、すでに挫折。関東決勝であってはならぬ二敗を経た今、最後の砦である弦一郎は、王者として、皇帝として、誰もを納得させる、圧倒的な勝利を得、王者の誇りを取り戻さねばならないのだ。
そして、ただ勝たなければならないという以上の、これ以上ないプレッシャーを背負ってなお堂々と試合に臨もうとしている弦一郎の背に立海の皆が注目し、頼もしげな視線を送っていた。
「……む」
靴紐を結び終わり、身の回りのチェックをしていた弦一郎は、ポケットの奥にあった、黒いお守りを手に取る。
単に丸一年経っているのもあるが、最近ずっとポケットに入れていたせいもあり、貰った時よりも大分くたびれている。小さなそれを手の上に乗せていた弦一郎は、少し迷った後、結局、それを以前のように、ラケットバッグの金具にそっと結び直した。
「──し、試合は……! 試合はどうなった!?」
ひっくり返った声に、蓮二はベンチを振り返る。
無我の境地の反動により、気絶に近い様相で寝ていた赤也が、目を覚ましたのだ。
「お前の負けだ、赤也! 結果は5−7」
皆が悔しげな表情で黙りこくる中、弦一郎はベンチから立ち上がりながら、はっきりと、誰にも聞こえるように言った。
ぎり、と、赤也が歯を食いしばった音がわずかに聞こえたその瞬間、彼は飛び起きてフェンスを飛び越え、弦一郎の前に立った。
いつもいかにして殴られないようにしようかと、小狡いことまでしてその拳から逃げまわっていたはずの赤也は、唇を噛み締め、弦一郎の目前に立つ。
(あ、赤也……)
今の赤也の気持ちが誰よりよく分かる、最初に敗北した蓮二は、ぐっと拳を握りしめた。
(そうだ、弦一郎。──お前がいるから)
たとえ常勝の誓いを破ってしまっても、弦一郎の渾身の一打を甘んじれば、またやり直せる。負けたら真田副部長が気合を入れてくれるからと、だからこそ、自分たちは、皆は、我武者羅に勝利を追いかけることが出来た。
「真田副部長! 俺を、俺を殴っ……」
「座ってろ」
しかし弦一郎は赤也を殴ることなく、その横をすり抜けた。
「勝たねばならぬ」
弦一郎は、もう一度言った。
言霊。言葉にし、口に出すことで、ただの願いではなく、実現への力を、運を呼び寄せる力を、弦一郎は信じている。
──皇帝・真田弦一郎。
あってはならぬ敗北を背負って、その全てを叩き潰すために、彼は立った。
ネットを挟んで向かい合った越前リョーマは、やはりとても小柄だった。
弦一郎とはゆうに頭ひとつ分以上の身長差があるせいで、その表情は見えない。しかし、FILAのロゴが入った白いキャップの影にちらりと見える口元がわずかに笑っているのさえわかれば、彼のふてぶてしさは十分理解できた。
ラケットを回し、最初のサーブ権はリョーマとなった。
「ねえ」
サーブ位置につくために踵を返しながら、リョーマが言った。
「全国には、アンタみたいな化け物、ゴロゴロいるんでしょ?」
関東大会決勝が決まる目前、全国大会の話題を口にする不敵さ。このプレッシャーの中全く気負いのないその様に、弦一郎は、相変わらずなやつだな、と呆れ、結局何も言わなかった。
「パワーリスト、外しといたほうがいいんじゃない?」
「安心しろ、鉛は抜いてある」
立会大特製の、鉛入りパワーリスト。これを外すのは久しぶりだと、弦一郎は手首を回してみせた。
「容赦はせん。本気で来い、越前リョーマ」
「……Is that so? Well, Whatever you say. *
あっそ!
じゃあそうさせてもらうよ 」
どちらかというといつも淡々とした口調とは裏腹に、英語で発されたその言葉は、やけに流暢だった。
そして、途端──、リョーマの雰囲気が変わる。
(……さっきの試合で思い出したか)
いや、思い出したというよりは、掴み直した、というところか。
状況や本人の態度から推測して、リョーマが無我の境地に目覚めたのは、ごく最近だろう。もしかしたら赤也との試合がきっかけかもしれない、と、弦一郎は正しく予測していた。
そして、無我の境地は感覚的なものであるので、繰り返して身体に覚え込ませないと、意識的に発動することは出来ない。──今のリョーマのように。
もちろん今まで独自に練習もしていただろうが、自分一人でやるのと、同じことをしている者を傍から見るのは違う。先ほどの赤也の無我の境地を見て、自分が一体どういうことをしていたのか、そして出来るのか、彼は正しく理解し、そして今しっかりとそれを“ものにした”のだろう。
「……いくよ!」
「来い、ひねり潰してやるわ!」
響き渡る、観客席からの皇帝コール。最後の試合が、始まった。
──30−0!
(ほう、なかなか強い奴らと戦ってきたようだな)
国光の得意技である零式ドロップショットにて、弦一郎から2ポイントめを取ってみせたリョーマを、弦一郎は冷静に観察する。
素のままでは、つまり自分の身体、力加減、何をどうやって成すのか考えなければ繰り出せない──本来なら練習にて自分のものとして身につけなければならないそれを、我を無にして、考えることをやめ感じるままの状態になることで繰り出す、無我の境地。
その状態で繰り出されるリョーマの技は、実に多彩だった。彼がどれほど沢山の者と戦ってきたかということが、それだけでよくわかる。
──だが。
口元に笑みをたたえたリョーマが、ボールを高くトスし、ラインギリギリに打ち込んでくる。いいボールだ。しかし、それだけでもある。
難なく返す。リョーマが、その場所に来るように。そして弦一郎の思惑通りの場所から、リョーマがボールを打ち返した。
「──微温(ぬる)い」
──ドッ!
リョーマが振り返ったのは、ボールがコートに突き刺さった音が“聞こえてから”だった。
気のせいか、とすら思うほどのその現象。しかし当然気のせいなどではなく、打ち返されなかったボールはリョーマの後ろをころころと転がり、ネットの向こうの弦一郎は、悠々とラケットを振り抜いた姿勢のままだ。
「疾きこと、風の如し」
──“風林火山”。
疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し。
スピード、テクニック、パワー、ゲームメイク。どれが欠けても一流とはいえないとされる、オールラウンダーのあり方。下手をやれば単なる器用貧乏にしかならない広い範囲それぞれを極めた、最強の基礎にして究極奥義である。
そして弦一郎は、相手の弱点をつくためにこれを用いるのではなく、相手の最も得意なところにあえて対抗するようにして、この技を用いる。
パワーや攻撃性に特化した相手は、あえて“火”で捻じ伏せ。テクニックが光る選手には、“林”で全ての技を受け流し、無効化する。スピード自慢には、同じく反応の早さとともに居合い抜きの応用を用いた“風”、体力勝負の持久戦や、ゲームメイクを制しようとする者には、何があっても動じず、先を読ませない“山”。
そしてそれは、思考を放棄し、無意識からの反射で技を繰り出す無我の境地とは、正反対の技でもある。相手は何が得意なのか、どうすればいいのかを考え、そして長い時間何万回と繰り返した練習によって、完璧に自分のものとして身につけた技でもって、相手を叩き潰す。
真っ向勝負でもって、相手の心を叩き潰す。それが、真田弦一郎のテニスである。
圧倒的な姿を見せつけ、戦意すら奪う。それ故の、究極奥義。風林火山だ。
しかし、今。弦一郎は、その風林火山を、異なる方法で用いた。
本来なら、多彩な技、テクニックでもってして弦一郎を翻弄しようとしてくるリョーマを、“林”で全て受け流すべきところである。
だが弦一郎が放ったのは、“風”。繊細なテクニックを、問答無用の超スピードで叩き潰すべく、弦一郎はそれを放った。“火”でも良かったが、未完成とはいえ赤也が模倣し披露したそれよりも、いきなり見せる新技のほうが威力は高かろう。
(──勝たねばならぬ)
そのためには、己のテニスは、二の次だ。
己は、物事の優先順位をきっぱり決められる人間だ。それで何を失おうとも後悔はないと、弦一郎は、冷えた頭で考える。だからこそ、肌身離さず持ち歩いていたあのお守りを、ベンチに置いてきた。
──弦ちゃんは、……自分のテニス、出来てはる?
──うち、がんばるし、今はがまんするよって、……弦ちゃんも、約束して?
彼女の、震えた声が脳裏に蘇る。
弦一郎が約束を破った時、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた、幼かった彼女。自分の知らないところでぽろりとひと粒、袖の向こうで流れた涙を想像してもなお、弦一郎は迷わなかった。
(勝たねば、ならぬ)
──いつか、……うちのお舞、観て。
──それまで、弦ちゃんは、自分のテニス、してな?
彼女に、会えなくなっても。
たったひとつの約束を、破ることになっても。
己は、勝たねばならぬのだ。
普通ならここで心が折れてもおかしくないものを、それでもリョーマはしぶとかった。無我の境地の状態のまま、やはり次々に技を繰り出してくる。
弦一郎が驚いたのは、ただ繰り出してくるだけでなく、その技を組み合わせて使い始めたことだ。
(進化している……、それも、急激に)
“考えない”ことで限界以上の力を発揮できるはずの無我の境地は、単に記憶にある技のオート発動ととらえていた弦一郎にとって、これはかなりの驚愕だった。
──ゲーム越前! 1−0! チェンジコート!
しかも、弦一郎が放った“風”の模倣までリョーマは繰り出し、ポイントどころか、とうとう1ゲーム取ってみせた。
(こいつ……限界は一体何処だ)
実際に“火”で叩きのめされ、チームメイトであるがゆえ、弦一郎の技を見る機会も多い赤也と違い、リョーマが“風”を見たのは、正真正銘、先ほどが初めてのはずだ。
(無我の境地とは……これほどの……!?)
かつて己が見出し、しかし己の道ではないと進まなかった、黄金の輝き。
己のテニスではないと切り捨てたれをいま目前にして、弦一郎は、ただ静かに息をつく。──無我の境地だろうとなんだろうと、ただ勝たねばならぬ、それだけだと。
「……どうやら、お前も思い出したようだな」
チェンジコートのために通ったベンチ前、目を見開いている赤也に、弦一郎は声をかけた。先ほどの周助との試合で、初めて無我の境地に至った赤也である。リョーマがそうであったように、あくまで感覚的に身に着けねばならない無我の境地を他人が発動しているところを見るのは、赤也にとってもかなり身になることだろう。
「あれが、無我の境地というヤツだ」
「……まさか、俺にそれを思い出させる為に」
「自惚れるな、たわけ」
いつぞや精市の病室でもやったようなやりとりをすると、うぐっ、と赤也は呻き、浮きかけた腰をベンチにおろした。
「無我の境地、……とんでもない代物だ。……だが」
もちろん、赤也のために“試合を長引かせた”わけではない。ただの結果的な一石二鳥だ。
「本当に見ておかねばならんのは、ここからだ!」
2ゲームめ、である。
弦一郎のサーブは何の芸もない、ごく普通の範囲でのサーブだった。リョーマはそれに全力で食いつき、チームメイトである河村隆の両手波動球を打ってきた。弦一郎は、それを難なく返す。
確かに、あの小柄でウェイトも少ないリョーマにしては、かなりのパワーだ。己の限界を超え、肉体が保つ以上の力を発揮している。
しかし、それだけだ。少なくとも隆ほどの体格でないと、こういうパワーショットにあまり意味は無い。いくら限界を超えるといっても、実現不可能なものは不可能なのだ。赤也が弦一郎の技を繰り出したものの、握力不足でラケットを取り落としたように。
次いで、リョーマから放たれる、ラケットのスイートスポットを外して先端で打つことでブレさせたショット。確かルドルフの部長の技だ、と、弦一郎は朧気な記憶をたどり寄せる。
(とにかく多種多様な技を、という感じだな。……やはり)
何も考えてはいないか、と、無我の境地に立つ少年を見遣り、弦一郎はやはりごく冷静に返球した。
あきらかに様子見とわかる、何の面白みもない単調なサーブに、まるで餌に群がる鯉のように反応し、全力で打ち返してくる様。そして、己の身体能力に明らかに見合わないがゆえ、威力もさほど無い上に負担の大きい技を選ぶという愚策。
持てる限りの技術をもって、弦一郎を翻弄しようとしているのだろう。しかし、どれも無駄だ。なぜなら、その数々の技の使い手に、弦(・)一(・)郎(・)よ(・)り(・)強(・)い(・)者(・)は(・)一(・)人(・)も(・)い(・)な(・)い(・)。
そして、リョーマの様子を冷静に観察していた弦一郎は、気付く。初っ端から全力で動いているとはいえ、まだ2ゲームめにして、異常なまでに流れ落ちるリョーマの汗を。
(いよいよ、来たようだな)
無我の境地がもたらす、副産物──、弱点。脳からの伝達、すなわち“考える”ことを放棄し、記憶、イメージに焼きついたものまでをも用いて身体が直接反応するようになるのが、無我の境地。
確かにそれは、限界以上の力を発揮できる、恐るべき技だ。しかしそれは同時に、本来出来ないものを、限界以上のところでやっている、ということでもある。その反動として、まずは急激に物凄い体力を消耗する。
そしてそれは、トランス状態にも近い中で無理やり動かされていた身体に、一気に身体に襲い掛かるのだ。
「──どうした、もうおネンネか?」
疲労から脚をもつれさせて転倒したリョーマに、弦一郎は、冷え冷えとした声をかけた。
「……にゃろう」
荒い息をつきながらも、リョーマが立ち上がる。しかしその膝はわずかに震え、相当疲労が溜まっていることは容易に知れた。──そろそろか、と、弦一郎は頃合いを見計らう。
「ところで、お前、……風林火山の“風”……、破ったつもりじゃあるまい」
そう、弦一郎は、待っていた。
リョーマは最初からハイテンションでいかなければ勝てないと見て、体力配分など無視し、とにかく多彩な技で弦一郎を翻弄しようとしに来るだろう、ということはわかっていた。そしてそれを、テクニックを封じる“風”でもって迎え撃つ。これでリョーマが潰れればそれでよし、そうでなくても──
「本当の“風”は、さっき見せたものより……」
弦一郎のグリップが、みしり、と音をたてる。
スポーツや武術の中でも、最も握力が鍛えられる、剣道。しかも、それの最たるものである、居合抜き。毎日の弛まぬその鍛錬により、今では90キロを超える、これだけなら全国でもトップレベルだろう弦一郎の握力。どんな力を乗せても決してそれを逃さず、全てをボールに叩きつけることの出来るそれは、先ほどのまでの弦一郎、ましてや赤也が模倣したそれとは比較にもならない。
「──三倍疾いわ」
リョーマだけでなく、誰もが全く反応できないまま。
弦一郎が放ったボールは、リョーマの背後を撃ち抜いた。
──ゲーム真田! 2−1!
それからは、あっさりと逆転。
様子見をしていた弦一郎に対し、最初からハイテンション、全力で向かったがゆえに疲労というどうしようもない枷がはまったリョーマは、弦一郎の放つ球に、ほとんど反応できないでいた。
それどころか、しょっちゅう転び、膝をつき、荒くなる息を整える。
「所詮、この程度か」
お前を買い被りすぎていたようだと、弦一郎は、片膝をついて己を睨み上げるリョーマに言い放った。
不敵な笑みが消え、悔しさか、ただの疲労か、とにかくただ歯を食いしばってこちらを睨んでくるリョーマに、もう少しだろうか、と弦一郎は作業的に思考する。
──そう、作業だ。
これは、自分のテニスではない。自分のテニスをすると誓った黒いお守りは今、弦一郎の元にない。
これは効率よく勝利を得るための、ただの作業。そのために、弦一郎は真っ向勝負とは真逆に、幾つもの保険をかけ、様子見をし、リョーマの弱点を容赦なく突いた。
皇帝コールが、観客席中から響く。
王者立海、皇帝・真田弦一郎は、勝たねばならぬ。
──ゲーム真田! 3−1!
リョーマのサーブである。
身体を引きずるようにして立ち上がったリョーマが、ヨロヨロと位置につく。放たれたサーブは、あの状態から打ったにしてはまともである。しかし、まともなだけでは話にならない。
「時間の無駄だ」
「──まだまだっ!」
まだそんな力が残っていたのか、という勢いで、リョーマが前に出た。
(……頭が働いておらんわけではないのか)
先程から、奴は無我の境地にいるのか、いないのか。自分の知らない反応を見せるリョーマに、弦一郎は僅かに眉をしかめる。
弦一郎の“風”は、居合い抜き、抜刀術と同じ原理での超高速のスイングと、その力を完全に乗せきれる強力な握力が成せるものだ。握力についてはどうしようもないだろうが、スイングのほうは攻略法がないでもない。
一度ラケットを振り抜き、もう一度構え直すまで──、つまり刀を抜いてから鞘に納めるまでの間に打球を返せば、連続して“風”を出すことは困難。
それに気付いたからこそ、リョーマは前に出て、ネット際から超短距離のスマッシュを叩き込む戦法を選んだのだろう。──そして、今度こそ、誰の技の借り物でもない、己の技で。
勢い良くスライディングしたリョーマが放ったのは、渾身の、ドライブB。短距離の着地点から大きく跳ねるため、追いつくのは非常に難しい技だ。
しかし、大きく跳ね上がったボールを見上げるのは、巨大な虎。
獲物の喉笛を狙って身を屈め、牙をむいた虎が、そこにいた。
「侵略すること、火の如く……」
赤也やリョーマとは比べるべくもなく体格に恵まれた、180センチの体躯の全身のバネ。そしてその力を全く無駄なく伝える握力が繰り出す、必殺のグランドスマッシュ。高く跳ねたボールは、その格好の餌食だった。
──ゲーム真田! 4−1!
吹っ飛んだリョーマのラケットが、コートの橋で、カラカラと音をたてる。観客が、爆発したような声を上げた。
「フハハハハハハ!!」
何がおかしい訳でもない。皇帝コールが響く中、ただ王者らしく、皇帝らしく、弦一郎は高笑いをしてみせた。
(今度こそ思い知らせてやろう、越前リョーマ)
これから始まることに、面白いことなどひとつもない。これは、勝利を得るための、ただの作業。戦いですらない、義務、仕事。糧を得るための、単なる屠殺。
王者として、皇帝として。己は完璧に仕事を遂行するだけだと、弦一郎は、膝をつくリョーマを見下ろした。
「──絶望と共に、散るがいい!」