心に迷いなき時は人を咎めず
(三)
舞妓や芸妓は、華やかな姿で座敷に出るだけが仕事ではない。
彼女たちは、常に芸を磨いている。
そしてその“芸”とは、まず常に美しい所作や言葉遣い、もちろん日舞、能舞も。教養として茶道、華道、書道に日本画、着物の知識、化粧のしかた、日本の古いしきたりや作法についても網羅しなければならない。
個人的に修得するならば、和歌や俳句や連歌、川柳や百人一首。聞香、囲碁、将棋。また、将来シテ方になる希望があれば、楽器の稽古はより本格的に行う。太鼓、小鼓、大鼓といった鳴物、三味線は清元、常磐津、地唄、端唄、長唄、小唄。そして笛、琴、琵琶、胡弓まで。
毎日の稽古は欠かさず行われ、卒業や免許皆伝は存在しない。芸妓であるかぎり、稽古はずっと続けられる。
だがやはり、彼女らの芸の代表格にして基本、最も力を入れて習得がなされるのが、日本舞踊である。
梅とさんさん桜は いづれ兄やら弟やら
わきて言はれぬな 花の色え
菖蒲 杜若は いづれ姉やら妹やら
わきて言はれぬな 花の色え
西も東も みんなに見にきた花の顔 さよえ
見れば恋ぞ増すえ さよえ
可愛ゆらしさの花娘
一糸乱れぬ、とはまさにこのこと。
命じられた一節を命じられたとおりに舞いきった少女に対し、師匠である年配の女性が、パンと手を叩いて中断を告げる。途端、その舞を見学していた面々が、ほぅ、と一斉に息をついた。
稽古用のテープが止められ、師匠の側に呼びつけられた舞手の少女──紅梅は、まるでその舞の振り付けの延長かと思うような優美な動作で身を正すと、まったく音を立てず、すすす、と近寄る。
そして、まるで小鳥がふわりと降り立つような様子で袖を翻したかと思った時には、紅梅は完璧な姿勢で、師匠の前に正座していた。
「……最近、ほんまにすごいなァ、紅梅ちゃん」
心からの感嘆を滲ませて、蓮華──、最近では舞妓名の“紅芙蓉”と呼ばれ、また名乗ることのほうが多くなった彼女が言った。
「ややわァ芙蓉ちゃん、紅梅ちゃんがすごいンは、ずぅっと前からどすえ」
稽古を同じくしていた姐芸妓たちが、ころころと、訓練された品の良い笑い声を上げる。
実家にいる時から多くの習い事を収め、同い年の一般的な少女らと比べれば洗練された所作ができていた蓮華であるが、舞妓見習いとしてここ京都にやってきてから、自分のしてきたことがいかに単なる“習い事”であったのかを痛感した。
舞妓、芸妓になるために、ここで身につけるのはプロの技。つまり、ここで行われるのは習い事ではなく、れっきとした“訓練”としての稽古である。
蓮華も品の良いお嬢さんとしての所作はなかなかのものであったが、プロの芸妓たちの所作は、まるで天女のようであった。
軋むはずの板張りの廊下で全く音を立てずに滑るように歩き、ひらひらとした袖は常にしわひとつ現れず、立てども座れども、当然のように正しいところに広がり、華やかな柄を晒している。最初、蓮華には、それが魔法のようにしか見えなかった。
見習いに入り、己も基本的な訓練をいくらか修めた今では、実際に出来る出来ないは別として、何がどうなってその振る舞いが為されているのか、蓮華も理屈はわかるようになってくる。
そしてわかるようになったからこそ、紅梅がいかに特殊な存在か、蓮華はとくと理解していた。
舞妓見習いに入ると、置屋にて、先輩の芸妓や、もしくは同期の舞妓と同室になり、寮生活に近い生活を送るようになる。
『花さと』にて、蓮華は紅梅と同じ部屋で暮らすことになった。聞けば、新入りの見習いは概ね紅梅と同室になり、辞めたり、独り立ちするようになると出ていく、というふうにしているらしい。
置屋に入った見習いたちは擬似的な姉妹関係となり、先輩を「姐はん」と呼ぶようになるのが仕来りだ。だが年齢によって、実際は先輩で「姐」であるはずの紅梅が蓮華を「芙蓉姉はん」と呼ぶという奇妙な様相なのだが、歴代の『花さと』の見習い娘たちもまたずっとそうだったので、ある意味『花さと』特有の現象として、この業界の誰もがそれを知っている。
よって、紅梅は『花さと』において、その年齢ゆえに常に下座の立場でありながら、ここの家娘であり、入ってくる新入りの面倒を最初に見る、一番近しい先輩でもあった。いま『花さと』に所属する芸妓の紅式部でさえ、単純に訓練した年数だけで言えば、紅梅のほうがキャリアは長い。
覚悟してきたこととはいえ、母親とは親しく暮らさず、異性である弟を親しい家族としてきた蓮華は、見習いとして始まる生活に、おおいに緊張していた。
しかし、何人もの見習いと常に同居し色々な面倒を見てきた紅梅は慣れたもので、町家造りで風情はあれどさほど広くない部屋であるにもかかわらず、絶妙にパーソナルスペースを区切った接し方をし、その上で、蓮華が過ごしやすいように、なにくれとなく世話を焼いてくれた。
そして、ここで生まれ育った紅梅が身につけている全ては、伊達ではなかった。座敷や稽古だけでなく、普段の生活を同じくする蓮華でさえ、彼女が行儀悪くしているところを見たことはない。
蓮華の姐芸妓は一応紅式部で、きっぷの良い性格の彼女のことも、蓮華は嫌いではない。むしろ尊敬できる、好ましい先輩だ。しかし、年下であると同時に常にお手本のような姿で佇む先輩で、そして何より自分が『花さと』に見習いに入るため、弟の蓮二や弦一郎とともに骨を折ってくれた恩人である紅梅を、蓮華はとても慕わしく思っていた。
紅梅も、ここまで年齢が近く、しかも今まで入ってきた見習いの誰よりも熱心で根性のある蓮華のことを、すぐ気に入ったようだ。
蓮華を見習いとして『花さと』に引き込むための一連の出来事で弟の蓮二とも気が合うことがわかり、弦一郎との文通という秘密を共有していることもあって、今では立派に“親友”と言っていい間柄が、二人の少女の間に存在していた。
「そら、紅梅ちゃんはいつもすごいけど、……最近は、特になァ」
そして、そんなふうに彼女とごく近く、親しく過ごしている蓮華だからこそ、最近の彼女の様子が常にないものであることに気付いていた。
蓮華は、『京鹿子娘道成寺』の一節を舞い終わり、師匠からの評価を受け取っている紅梅を見る。
元芸妓でもある師の彼女の表情からは、笑みがこぼれている。細かいところまでは聞き取れないが、「まさに紅椿さんの」とちらちら聞こえてきた。おおかた、絶賛八割。ここを直せば完璧だ、というアドバイスが二割、といったところだろう。
つまり、紅梅の舞は、八割がた“紅椿”なのである。
これは、ものすごいことだ。何しろ人間国宝、その舞を、八割がた完璧にトレースし、再現できるのだ。しかも、まだ中学も卒業していない、正確にはまだ舞妓にすらなっていない見習いの少女が、である。
熱狂的な紅椿ファンの芙蓉から見ても、紅梅が舞う舞の、“紅椿”としての完成度は、非常に高いと感じられた。データマンとやらを自称する蓮二も、「この時の指先の角度は5度、タイミングや目線も完璧だな。全体として、紅椿のDVD記録との一致率82.67パーセント」と言っていたので、気のせいではなく、数値化しても正しくそうなのだろう。
実際、かつて紅椿と紅梅のフランス公演に密着したドキュメンタリーが放送された時、当時の紅梅の舞がいかに紅椿をトレースしているか、コンピューター・グラフィックスを用いて検証され、その映像が大きな話題にもなった。
──だが、完璧ではない。
と、以前の紅椿との二人舞を披露してからこっち、紅梅はことあるごとにそう言われるようになった。
八割は、紅椿である。だがやはり八割であると、十割、完璧に紅椿ではないのだと、紅梅に対する評価はそればかりだった。
それは人間国宝に八割等しいという称賛でもあり、二割そうではないという落胆でもあった。多くの者は十割が紅椿になり、そろそろ現役を続けられるのも時間の問題という年齢の紅椿の舞を完全に再現できる“二代目”を、今か今かと待望している。
紅梅とともに暮らし彼女と親しく、人より情の深い質の蓮華としては、たかだかローティーンの少女に生き急がせ過ぎでは、という、不満に近い感想を抱いている。
この年齢でここまで“紅椿”に近いということに興奮を覚えることについては、同じ紅椿ファンとして大いに理解できる。理解できるが、それでもまだ中学校も卒業していない少女に負わせる期待としては重すぎる、と思えてならない。
──と、先日姉芸妓の紅式部にぼやいた時は、「うちもそう思うけど、偉いお歴々はもうお年やよって、焦ってはるんとちゃうかなァ」と苦笑された。つまり、自分が引退するなりもしくはこの世のものでなくなる前に、二代目紅椿が完成するのをこの目で見たいのでは、というわけである。
気持ちはわかる。理解は出来る。が、納得は出来ないし、老人たちの都合に付き合わせて、まだ幼いとさえいえる若い少女、しかも自分の大事な親友を追い立てることに、蓮華は表立っては言えない不満を持っていた。
それに、あの二人舞からこっち、紅梅の様子にも、変化があった。
舞うときの紅梅は常に完璧で、ミスなどどこにもない。それこそ、紅椿と同じかそうでないかという評価しかできないほどに完璧だ。
しかしあの頃から、その完璧さに、奇妙な凄みが滲み出ている気がする、と、少なくとも蓮華は感じていた。今までがほぅっと見惚れてしまうような天女なら、今は、思わず背筋を正してしまうような、神々しいまでのオーラがある。
彼女が紅椿になるのを待望している面々はそれをスランプと言ったり、紅椿に近づいているのだとも言う。素直に彼女の実力に感嘆している者は、さすがの努力の凄みだと言う。
どれも、本当かもしれない。だがどちらでもないかもしれない、と、親友である蓮華はひっそりと思っていた。
なぜなら、毎年恒例の東京での紅椿の公演が今年は中止になったと決まった時から、紅梅の舞の凄みがとくに増したからだ。
京女は、外面如菩薩、内面如夜叉だと言われる。
たとえ不快に思っていても、微笑みを浮かべて綺麗な言葉でそれを表す様は、綺麗だと思うし、同時に恐ろしくもあるし、同じ穴の狢になった蓮華としては、格好いいとも思う。
京生まれの京育ち、筋金入りの京女の紅梅もその例に漏れないのだということを、蓮華はよく知っている。
つまり、七年越しの想いを向ける恋人との年に一度の逢瀬が潰れ、暴れだしたいほどの癇癪を抑えこむのに、単に天女では足りず、神にでもならないとろくに舞えもしないからではないのかと、蓮華は察していたのだった。
もちろん、親友として、深い同情と共感、理解をもって。
「さぁさ、みんな、おいでやす」
師匠が手を鳴らしたので、見習いや舞妓たちが、揃って彼女の元へ集まる。
蓮華もまた遅れぬように、急ぎ、それでいてなるべく美しく腰を上げて、完璧に正座をしている紅梅の隣にさっと座った。
蓮華は彼女の顔色を窺うようにその横顔をそっと見たが、稽古中だからか、紅梅は蓮華の方を見ない。凹凸は薄いが、そのぶん日本人形のように小作りで可憐な横顔は、びくともしない微笑みを浮かべ、それでいてふんわりと前を向いていた。
「いま紅梅はんにも言うたけども、紅椿はんの見習うべきところは、何やと思わはります?」
こちらも百戦錬磨という感じの、堂の入った笑みを浮かべて、師匠が問いかけた。娘たちから、技術やろか、普段の生活から見習わなあかんとか? と、次々に声が上がるのを、師匠は頷きながら聞いている。
「そやねぇ。それも、ほんまどす。そやけどほんまに見習わなあかんのは、何より、楽しゅう舞うことや」
にっこり、と、今度は心からの笑みを浮かべて、師匠が言った。
「紅椿はんが、天衣無縫、て言われとるんはみんなも知っとるやろうけど、それは技術が完璧いうのんもあるけども、誰よりも楽しそおで、幸せそおで、それを見とる人にも感じさせられる、いうことどす」
柔和な笑みを浮かべる師匠につられて、見習い娘たちもまた微笑む。
「そぉ、そぉ。幸せそぉなんを見ると、見とるお人も幸せになるもんどす。あんたはんらァのお仕事は、お座敷に来てくれはったお客はんを、楽しい気持ち、幸せな気持ちにさせることや。そのためには、まず自分が楽しゅうて、幸せにならなあきまへん。そこのところ、紅椿はんはいつも楽しそぉなお人どすやろ?」
自由奔放で有名な紅椿を揶揄し、ぱちり、と舞扇を閉じ、何やら落語家のような仕草でおどけてみせた気安い師匠に、娘たちからくすくすと笑みがこぼれた。
「技術を磨くんも、もちろん大事。そやけどその前に、楽しゅうやらな。お舞もいっしょ。紅梅はん」
「へェ」
朗らかに呼ばれ、紅梅が返事をする。少なくとも、響きだけは柔らかい声で。
「あんたはんのお舞の技術は、相当なもんや。そやし、これからはもぅすこぉし肩の力抜いて、ただ楽しゅうしてみるんもええ思いますえ? うちも相談に乗るさかいな」
急かさない、優しい、──いかにも京女の声。
紅梅は笑みを浮かべたまま指をつき、「おおきに、よろしゅうお頼申します」と、完璧に頭を下げてそれに応えた。
座敷に出る予定のない日、学校が終わり、すぐに稽古場に行ったあと。この僅かな時間が、同世代の少年少女に比べると多忙な紅梅にとって、貴重な自由時間である。
稽古場を出た紅梅は、まっすぐ置屋には戻らず、蓮華と紅式部にことわって、ひとり、石畳を歩く。どこに向かうのか知っている二人は、「お母はんには言うといたるさかい」と、優しく言って送り出してくれた。
向かうのは、北野天満宮。
もう随分日が短くなった夏の夕暮れ、赤い陽光に照らされて、国宝と重要文化財の威容はますます凄みを増していた。
その中を、紅梅は、どこかふらふらとして見える足取りで歩く。百度参りのため、ここに来るときは、裸足で歩くことが多い。しかしその百度参りも終えてしまっているし、こんな定まらない気分ではきちんとした参拝にもなるまいと、紅梅はただぼんやりと進んだ。
それでも鳥居をくぐる時はいちいち立ち止まって頭を下げ、参道は端を歩き、手水舎で正しい作法で手と口を清める、と完璧な作法を行う。他とは明らかに違う雰囲気を持ち、身についた習慣を流れるように行う和服の少女を、時々、参拝客が惚れ惚れした様子で眺めていた。
本殿にたどり着くと、軽く会釈をしてから鈴を鳴らし、賽銭箱に賽銭を入れて、二拝二拍手一拝。
百度参りまでして願いを奉じたというのに、そのうえまだなにか願うのは憚られる気がしたし、何よりその肝心の百度参りの効力が薄れるような気がしたので、紅梅は挨拶だけする気持ちで、願い事はしなかった。
建物の影になったところまで下がると、日陰のせいか、少し涼しい。
天満宮は菅原道真の愛した梅が神紋となっており、約二万坪の敷地には、五十種千五百本の梅が植えられている。しかし盛りとは真逆の夏、梅の木たちはただ枝ぶりを晒すばかりだ。
何の面白みもない無骨な枝を、ぼんやり眺める。
『花さと』は百年以上歴史のある老舗置屋であるが、この北野天満宮は、千年以上前に設立された、比べ物にならないほどの大先輩である。そのため『花さと』に限らず、ここいらの置屋を含めた全ての老舗はここを“天神はん”と呼んで慕い、敬い、特別なものと捉えて暮らしている。
そのため、主祭神である菅原道真公はもちろん、彼がこよなく愛した梅の花も、ここらの者にとっては特別なものだ。
しかし、それでなくても、紅梅は桜や桃や松よりも、いっとう梅が好きだ。
菅原道真が藤原時平との政争に敗れて九州・筑前の大宰府へ左遷された時、彼が愛した桜の木、松の木、そして梅の木は主人がいなくなったことにたいそう悲しみ、それぞれ行動を起こしたという。
悲しみに暮れて見る見るうちに葉を落とし、ついには枯れてしまった桜の木。梅の木とともに大地から飛び上がり、しかし途中で力尽きて今の兵庫、摂津国八部郡板宿の丘に降り立ち、この地に根を下ろした松の木。
そして梅の木は見事主人の暮らす大宰府まで飛び、その地に降り立ったという。
飛梅伝説と呼ばれるその話を聞いてから、紅梅は梅の花が好きだ。
桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿、ともいう。紅梅にとって、梅は根を引きちぎって飛び上がり、なんとしても目的を完遂する強い意思と、遠い地でも図々しく根を張った上、切られても堪えないどころかどんどん伸びて強い香りを放つ、美しくもたくましい姿の象徴だった。
ふう、と小さく息をついてから、紅梅は、袂から、黒い小さなお守りを取り出した。彼のために今年も百度願って手に入れた、天満宮の技芸上達守である。
だがこれを渡す毎年の機会は、今年、失われてしまった。最悪いつもの手紙に同封することもできるが、紅梅はなるべくそれをしたくなかった。叶うなら、直接渡したい。だがそろそろ関東大会が始まる頃で、全国大会には彼の手に収まるようにもしたかった。
──梅が、京から太宰府まで飛べるのならば。
と、紅梅は一瞬思ってから、目を伏せ、お守りを元通り袂に仕舞う。
そして帯に挟んでいた舞扇を手に取ると、膝を曲げ、扇を宙に滑らせた。
恋の手習つい見習ひて 誰れに見しょとて
紅鉄漿つけよぞ みんな主への心中立て
おう嬉し おう嬉し
末はかうぢゃにな
さうなる迄は とんと言わずに済まそぞえと
それは先ほどの稽古で舞った、『京鹿子娘道成寺』、その続きの振りであった。
小声で唄いながら、紅梅は舞う。京都の巨大観光スポットのひとつとはいえ、平日の中途半端な時間だからか人は少なく、その姿を見た者は少なかった。しかし見かけた者は一人残らず足を止め、彼女が舞うのに目を奪われた。
誓紙さへ偽りか 嘘か誠か
どうもならぬほど逢ひに来た
ふっつり悋気せまいぞと
たしなんで見ても情なや 女子には何がなる
何百回、何千回、あるいは何万回と繰り返して焼き付けた映像を思い浮かべながら、紅梅はそのとおりに動いた。
紅椿のようには舞えぬと自覚してから、ならばと半ば自棄になり、完全な模倣を追求し始めた紅梅にその当人が稽古をつけてくれなくなってから、もう何年にもなる。
だから紅梅にとっての舞の師匠は、厳密には紅椿というより、紅椿の映像記録、DVDやVHSである。稽古で流派の師匠に見てもらう時は、映像記録をいかにトレースできているかのチェックでしかない。実際、受けるアドバイスや注意ももっぱらそれである。ここを直せば紅椿、あちらをこうすれば紅椿、そればかり。
ちらほらと増えていく見物人たちだが、近くに寄ろうとする者はいない。
紅梅の舞は、おいそれと触れようとする気を起こさせないオーラを放ち、ただ視線だけを奪っている。現代におけるダンスとは全く違う、素人がやれば不格好なお遊戯にしかならない振付を“舞”と呼べるものにするという最初の段階ですら、一朝一夕では難しいのが日本舞踊だ。しかしそれが成せた時、それは否が応にも目を奪う、不思議な力を発揮する。
しかも、周囲は夕日で真っ赤に染まっている。
炎で焼きつくされた清姫・花子の舞にふさわしいその舞台は、紅梅の舞に、更なる凄みを持たせていた。
一面を焼きつくすかのような赤い炎が作る、真っ黒な影の中で舞う彼女に、見物人の誰かが、ごくりと息を呑む。京の猛暑のせいだけではない汗が、つうとこめかみを伝った。
ひとり舞うその姿は、金色に光っているようにさえ見える。
殿御殿御の気が知れぬ 気が知れぬ
悪性な悪性な気が知れぬ
恨み恨みてかこち泣き 露を含みし桜花
触らば落ちん風情なり
「……なにが、天衣無縫」
舞い終わり、さすがに膝をついて礼をすることはせず。
紅梅は扇を握りしめ、俯いた。夏の夕日に照らされて黒く伸び、地面に張り付く己の影の中に佇んで、飛ぶこともなく、地に根ざした梅の木をじっと睨みながら、少女は唸るように呟いた。
「これの、何が楽しおすのや」