心に誤りなき時は人を畏れず
(二)
 不自然に目を逸らしている弦一郎、それをにやにやと見る蓮二。そしてそんな二人を呆れたように見る景吾、という図を数秒見回した清純は、やがて、今までにないほど目をきらめかせた。

「……え、マジで? 真田君、マジで?」
「マジだ」
「蓮二……!」
 うきうきわくわく、という様子を隠しもしない清純の曖昧な問いかけに答えたのは、蓮二である。弦一郎は蓮二を睨むが、顔が赤い上に明らかに焦りと動揺が見て取れるため、全く迫力がない。

「ヒュー! 意外!! で、相手は誰々? 立海の子?」
「いや、京都に住んでいる」
「おおっ、まさかの遠距離!」
「おい、なぜお前が答える!?」
「ではお前が答えろ」
 さっくりとそう切り返され、弦一郎は「うっ」と呻いて声を詰まらせた。そして、これ以上なく楽しそうな清純がじっと自分を見ているのに気付けば、弦一郎の首筋に、妙な汗がたらりと流れる。
 しかし清純はそんな弦一郎の態度などものともせず、どっかと彼の横に座ると、その肩に、力強く自分の手を置いた。逃すか、と言わんばかりのその手の強さに、弦一郎が思わず怯む。
「そうだね! こういうのは当人に直接聞かなきゃ」
「な、な、何をだ」
「まず出会いはいつかな!?」
 飲みかけのスポーツドリンクのボトルを、清純はまるでマイクのように弦一郎に向けた。
「う……」
「小学校二年」
「だからなぜお前が答えるのだ!」
 ぼそりと言った蓮二に弦一郎が吠えるが、蓮二は涼しい顔である。そしてそれは清純も同じで、「小二? じゃあ幼なじみってとこかな」と、興味深そうに頷いていた。
「へぇ〜。ちなみになんて呼んでんの、彼女のこと」

紅梅! 紅梅だ!」
 またも勝手に答えようとした蓮二を遮るように、弦一郎は、半ば叫ぶようにして言った。ハッと気づいた時にはすでに遅く、蓮二はにやりと笑みを浮かべており、清純は「紅梅ちゃんね!」と、きらきらした顔でのたまった。



 その後、まさに水を得た魚と化した清純は、どんな子だ、美人系か可愛い系かどっちだ、髪は長いか短いか、性格は強気かおとなしいか、料理はできるのかなどと、矢次早に質問を繰り返した。
 黙っていれば蓮二が勝手に答え、勢いに押されて返事をしてしまえばさらに清純が根掘り葉掘り聞いてくるといった調子のため、弦一郎は数十分程度で、合宿のトレーニングのあとよりもぐったりとしてしまった。

「へえええ、ほんっと意外! すっごい、映画みたいじゃん真田君!」

 弦一郎と紅梅の出会い、家同士の確執があるため文通のみで六年もの間やりとりしていること、一年に一度しか会えないこと、紅梅が舞妓見習いであること、そして去年と今年の逢瀬のてんやわんやの流れ、更には弦一郎本人から、先日京都で会った時に好きだと言われたことなどまですっかり聞き出した清純は、弦一郎とは逆に、これでもかとイキイキしていた。
 ちなみに、景吾はほとんど会話に加わらずに欠伸を噛み殺し、三人の騒ぎを眠たげな顔で眺めている。

「蓮二、貴様……!」
「そう睨まれてもな。お前が勝手に喋ったのだろう?」
 弦一郎の睨みをさらりと躱し、蓮二は言った。
「それに、俺はこの件について、お前をからかう権利があるはずだ」
「なっ……」
「まあそうだよねえ」
 話通りだと、柳くんがいなきゃ去年も今年も会えなかったわけだしねえ、と清純が頷けば、弦一郎はもはやぐうの音も出ない。
「いや〜、でもホント意外だなあ。真田君にそんな大恋愛の末の彼女がいるなんてさあ」
「……かのじょ?」
「え?」
 薄ぼんやりした声を上げた弦一郎に、清純はぽかんとした。それだけでなく、蓮二は目を開き、うとうととしていた景吾でさえ、怪訝な顔をしている。

「え、彼女でしょ? 付き合うことになったわけでしょ?」
「かのじょ、……付き合う……? 付き合うとは」
「ちょっと待って」
 言い慣れていなさすぎて“かのじょ”の発音が微妙におかしい弦一郎の肩を、清純は、今一度ばしんと叩いた。逆の手では、自分の眉間によった皺を指先で揉んでいる。
「え、だって両思いなわけじゃん?」
「そ、そう……、だ、が」
 少し顔を赤くして、弦一郎はぎこちなく頷いた。
「じゃあ付き合ってんじゃないの?」
「……付き合う、とは、その」
「うん?」
「……具体的に、どういうことだ」
「えっ」
 表情からして、本当に素のままの弦一郎のその質問に、清純は呆気にとられた。

「えっ、そりゃ、こう、デートしたり」
「でーと……、それは、二人で出かけることか」
「まあ、そうだね」
「……二人で……、それなら、小学校五年の時にテニスコートに行ったのが最後だな」
「うっ」
 そうだった遠距離なんだった、でもそれ少なすぎないか、と清純は小さな声でぶつぶつ言った。

「付き合う、とは」

 蓮二が、静かな声で言った。他の全員が、彼に視線を向ける。
「お互いを、恋愛関係に基づく唯一のパートナーであると約束すること。その義務を果たし合い、お互いに信頼に応えるよう約束すること、そのような関係になるという意思確認を交わすこと──、とある」
「出た、人間辞書」
 でもまあそうだよね、と、清純は頷いた。
「というわけで、そういうことだよ真田君!」
「む……、しかしその義務とやらが、で、でーと、などだというなら、その、付き合っている、といえないのではないだろうか……?」
「それは遠距離なんだし、しょうがないんじゃない? その分手紙はメッチャ頻繁にやりとりしてるし、一年に一回会うって重た……じゃなくて、ロマンティックな約束もしてるわけだし、トントンなんじゃないかな!」
 明るく言い切った清純に、「むう」と弦一郎は唸ると、腕を組み、俯いた。

 彼女と自分が互いに想い合っていること、そしてそれが恋愛感情であるということ。つまり両思いであるということは、弦一郎にも自覚がある。第三者で、なおかつ二人の事情をよく知っている蓮二にもそうだと言われているので、これは確かだろう。
 しかし、“彼女”とか、“付き合っている”という言葉を出されると、何やら違和感を感じるのである。

「そうだな。それに、この二人の関係は、些か時代錯誤に過ぎるところがあるからな」
 どこか面白がるような、しかし同時に暖かく見守るような好意的な声色で、蓮二は静かに言う。
「だからこの二人は、彼氏彼女だとか、付き合うとか、そういう今どきの言葉で表現するより、恋人同士とか、想い人とかのほうがしっくりくる」
「うわ〜ロマンティック〜。でも確かにそうかも」
「弦一郎が感じている違和感は、そういうことなのではないか?」
「う、む……」
 弦一郎は、複雑そうな顔のまま、もう何度目かも知れない唸り声を上げた。
 確かに、“かれし”、“かのじょ”という何やら軽い言葉よりは、恋人、想い人、というのはしっくりくる気がする。──だがやはり、なにか違う気がするのだ。

「えーと……」
 そんな弦一郎の様子を察してか、清純が口を開く。
「じゃあ、あとはスキンシップの深さとかかな。チューはした?」
「ばっ、なっ、」
「あ、ないか。ごめんごめん」
 あまりのことに怒鳴ることさえ出来ず、真っ赤になって口をぱくぱくとさせている弦一郎を、清純はさらりと流した。
「キスどころか、手も繋いだことがない確率87パーセント」
「蓮二ィいいい!!」
「訂正。100パーセントのようだ」
 データという名の個人情報を惜しみなく大放出する友人に弦一郎はとうとう吼えたが、蓮二は涼しい顔である。景吾が、どこか同情的な目で弦一郎を見遣っていた。

「えっまじで……どこまで奥手なの真田君……」
「手紙を何百通と送り合い、お互いのためにかなりの時間を割いているが、会うのは一年に一度、未だ手を繋いだ事もない。プラトニックの極地という感じだな」
「……う〜ん、改めて聞くと大昔の文学作品のあらすじみたい」
 跡部君とはまた違う意味で世界が違うなあ、と、清純は、感嘆を込めた溜息をついた。
「そうだな、俺もそう思う。だからまあ、この二人の場合、好きだと告白しあって、つまりお互いの意志の言質がとれているなら“付き合っている”といえるのではないか」
「言質って」
 無粋だなあ、と清純は言ったが、確かにその通りでもある。彼はくるりと振り返り、未だ動揺を残している弦一郎に向き直った。

「で、どうなの真田君。彼女から好きって言われた話は聞いたけど、君は彼女にちゃんと好きって言ったわけ?」
「い」

 最初の一音を発し、途端、弦一郎は硬直した。
 そのまま何かを思い出すように目を泳がせると、次いで、どんどん顔色が悪くなる。
「え、言ってないの」
「……まさか、言っていなかったのか」
「言ってねえのかよ」
 ずっと黙っていた景吾までもが、口を開く。思わず皆が景吾を見ると、彼は呆れ果てたような顔をしていた。

「あー……だからか」
「え、何が何が?」
 興味津々で身を乗り出してくる清純に、景吾は、頭を無造作に、しかしなぜか様になる様子で掻いた。
「あの女、二言目には弦ちゃん弦ちゃんってうるせえ割に、なんか一歩引いてるとこがあってな」
 景吾は、どこかうんざりした様子で言った。
 彼と紅梅は後援者と被後援者、ビジネスパートナーとしての関係が今も続いているが、日が経つに連れて、かなり遠慮のない関係になっている。

 だがそれは、親しくなった、と簡単に言える関係性ではない。
 蓮二は京都に行った時にたまたま二人が仕事上の打ち合わせ──次の舞台についてだったが──をする現場に居合わせたことがあるが、片や本場の京女ならではの笑顔のままでの辛辣な嫌味を繰り出し、片やイギリス仕込みのウィットに富んだブラックな返しを繰り出すという、蓮二としては大変聴き応えのある応酬を繰り広げていた。
 弦一郎がこの二人の間柄について嫉妬を抱くこともあるようだが、蓮二としては、その心配はまるで杞憂であると思う。

 なぜなら、景吾と紅梅、この二人の関係は、弦一郎と精市の間柄と、とても良く似ているからだ。

 つまり、お互いの実力や才能は深く認め合ってはいても、素の性格的に、どうしても反りが合わない。こいつには負けたくないとお互いに思っていて、常に喧嘩腰にやりあい、しかし最終的に、お互いを高め合う結果になっている。
 だがそれで、喧嘩するほど仲がいいとか、お互いに実は感謝を抱いている、というわけでもなく、むしろいけすかなさが増すだけ、という関係性。
 さすがに男女であるということと、嫌味に嫌味で返せる景吾の度量、また間違っても実力行使には出ず口先だけで痛烈に相手をやり込められる生粋の京女である紅梅という条件から、精市と弦一郎のような乱闘ににこそ発展しないが、二人のやりとりは常に戦いだった。
 もし二人が男同士であったら、間違いなく精市と弦一郎のようだったであろうし、女同士であったら、それはもう凍てつくような冷戦が勃発していたに違いない。

 蓮二はそう弦一郎にも伝えてあるが、弦一郎は、未だにそのことについて戸惑いがある。
 弦一郎にとって天女や菩薩のような印象が強い紅梅が、跡部景吾というあれほどアクの強い男と、自分と精市のようにやりあっているというのが、どうしても想像がつかないらしい。
 だが、紅梅からの手紙に景吾についての彼女らしからぬ毒々しい愚痴が度々登場すること、そして一度景吾と紅梅の間柄をやんわりと疑うような態度を見せた時、景吾が見たこともない苦々しい顔で「ありえねえ心配してんじゃねえよ」と地を這うような声で言ったので、弦一郎は、ひとまず、この二人の間に色っぽい感情が芽生えることはないようだ、と、戸惑いながらも、一応理解はしている。

 ──閑話休題。

「俺にも何かと真田のことを聞いてくるんで、そんなに気になるなら直接聞けっつってもうだうだと」
 景吾は、死ぬほど面倒くさそうな様子で言った。
「付き合ってんのに何変な遠慮してんだ、惚気かうぜえ、と思ってたんだが」
「……なるほど。つまりおの方も、弦一郎と正式に付き合っているという認識ではない。故に未だ何らかの遠慮があるということだな」
「……なんでそんなめんどくさいことになってんの?」
「弦一郎がきちんと告白していないからだろう」
 呆れた顔の清純に、蓮二はピシャリと答えた。

「おは柔軟な性格だし、空気を読むのも上手いのだが、ある意味、弦一郎よりも古風な感覚も持ち合わせているところがある。自分が好きだと告白し、更に相手も好きだと言い返してくれないと、きちんと思いが通じたとは捉えないのだろう」
「う〜ん、でもまあそれはそうだよね。女の子から正面から好きだって言われたら、そこは男として、同じように正面から俺もって言い返さないと」
「まあ、そうだな。そこで“察しろ”ってえのは、シャイって理由じゃ通じねえとこだ。ただのヘタレだな」
 うんうんと頷きながら言った清純、そして容赦なくヘタレと断じた景吾に、弦一郎は、今度こそぐうの音も出なかった。

「だいたい、テメエはあの女とどうなりてえんだ」

 景吾が、金髪に近い色の前髪をいじりながら言った。
「ど、どうとは、どういうことだ」
 動揺した様子で、弦一郎は言った。最近もうすっかり定着した“皇帝”の二つ名の威厳は、もはやどこにもない。
「色々あんだろ。もっと会いてえとか、近くに住みたいとか、もっと言えば結婚してえとか」
「け、っこ、ん?」
 弦一郎は、ひっくり返った声でそうぎこちなく復唱し、目を見開いて固まった。

「跡部君、それはちょっと重すぎない?」
 些か特殊ではあるが、あくまで中学生の男女交際。それに「結婚」という単語を出してきた景吾に、清純が言った。
「フツーのカップルならな。でもこいつらだぞ? このくらい言わねえと、いつまでも手も繋がねえでダラダラとまだるっこしくイチャついてるだけに決まってんだろ」
「否定はできんな」
 蓮二が頷いた。

 そして実際、弦一郎にとっても、それは核心を突く言葉だった。
 彼氏、彼女。付き合う、恋人、想い人。どれもこれも弦一郎にとってはどこかふわふわとした言葉で、聞き慣れない、要領を得ない言葉。
 しかし、──『結婚』。お互いを唯一の、そして一生のパートナーだと、精神的にも法的にも誓い合うその関係性は、弦一郎の中に、ずどんと重たく、何よりとてもわかりやすく捉えることができた。
 兄夫婦と共に暮らしているというのも、少しあるかもしれない。弦一郎は彼らが恋人同士であった期間を、よく知らない。子供ができたことを理由に結婚し、彼らは夫婦になった。兄夫婦は仲睦まじく、その姿を弦一郎は好ましく思っているし、ぼんやりとした憧れもある。

 そこまで考えて、弦一郎は、ああなるほど、と、自分で納得した。
 つまり弦一郎は、男女交際の終着点は結婚だと考えていて、恋人同士だとか、付き合うというのは、その過程の期間だと捉えていたのだ。
 もともと弦一郎は、これだと目標を決めさえすればそこに向かって脇目もふらずに全力疾走するが、同時に、目標が決まらないと保守的になり動けない気質も持ち合わせている。
 だからこそ、ただただ“付き合う”とか、“想い合っている”という現状のみの関係性に、きちんと名前をつけることができなかったのだ。
 そして同時に、結婚という終点を意識した途端、弦一郎は、彼女とのふわふわした関係が、きちんと一本の道になるのを感じた。

 ──そしてその終点は、弦一郎にとって、どこまでも未知でありながら、どうしようもなく魅力的な煌めきを放っていた。

「……だが」
 その暖かな煌めきを遠く見つめるような心地で、弦一郎は、静かに、そして重々しく、何より真剣に切り出した。
「芸妓や舞妓は結婚出来んだろう」
「マジレスきたよ。……っていうか、え、そうなの?」
 清純が振り向くと、蓮二がこくりと頷いた。
「そうだ。伝統的なものでな。結婚するなら、イコール引退だ」
「へぇ〜、じゃあ芸妓さんってみんな独身なんだ」
「そうなるな」
「アーン? だからどうした」
 蓮二の補足に清純が興味深げに相槌を打っていると、景吾が言った。

「結婚してえなら、辞めりゃいいだけの話だろう。舞妓っていう立場の箔は惜しいが、あいつの価値はそこじゃねえ、あの舞だ」
 完全にビジネスの話をする顔で、景吾は続ける。
「あいつが舞妓にさせられるために引き取られたってのは、俺も知ってる。だが結婚して京都を出るってんなら別の話だ。まあ、年齢的に、先の話ではあるがな。そして紅椿二代目ってぇ名前は、芸妓としての名前でもあるが、舞手としての意味のほうがでけえ。舞妓を辞めても、舞は続けられる。むしろ京都に縛られなくなる分、舞台中心に活動しやすくなる」

 景吾の言葉に、弦一郎は、目から鱗が落ちたような顔をした。

 詳細な事情は知らないが、紅梅には両親がおらず、舞妓になるならということで、『花さと』に、女将に引き取られ、育てられ、舞を身につけた。だから舞妓になり芸妓になるしかないのだと彼女は言い、弦一郎も、そうなのかと思っていた。
 だがしかし、そうではない。紅梅が、そしてもしかしたら弦一郎が“目標”をもって──つまり結婚したいとはっきりと意思を持って行動すれば、それ以外の将来もあり得るのだ。

「ま、日本舞踊家として活動するんなら、それなり資金がいるからな。テメーの稼ぎが悪くても安心しろ、後援者の俺様がしっかりやってやるよ」
「──おまえになど頼るか!」
「はん、今から旦那気取りか」
 眉を顰めて短く吠えた弦一郎に、景吾は顎を逸らし、意地悪そうな、からかうような笑みを見せた。

「気持ち決まってんじゃねーの」

 そう言われ、弦一郎は、はっとした。

 そして、呆然としている弦一郎に、ま、精々頑張んな、と景吾は言い、一つ欠伸をすると、自分のベッドに横になって毛布を被った。
「明日も早ぇ。もう寝るぜ」
「うわっ、ほんとだ。もうこんな時間」
 壁に備え付けの時計を見て、清純が慌てた声を上げた。

「確かに、そろそろ就寝した方がいい時間だな。……弦一郎」
「な、何だ」
 ぽん、と肩に手を置いてきた蓮二に、弦一郎はびくりとしながら返事をする。
「頑張れ。応援している」
「う、うむ……」
「結婚式には呼んでくれ」
 蓮二は飄々とそう言うと、自分のベッドに戻り、毛布を被った。

 弦一郎はしばらく呆然としていたが、やがてふらりと一歩を踏み出し、部屋のドアノブに手を掛ける。
「……少し頭を冷やしてくる」
「え、行ってらっしゃい。あんまり遅くならないようにね」
 清純の気遣いに返事をすることなく、弦一郎は、そのまま部屋を出て行った。



「……うーん、軽い恋バナするつもりだったんだけど、かなり重い話になったねえ」
 セットしていない橙色の髪を掻き上げながら、清純が言う。
「千石お前、途中何度か弦一郎に“重い”と言いかけただろう」
「あ、ばれてる。まあ悪いことじゃないし、真田君らしいとは思ってるよ」
 実際ほんと映画みたいで素敵だしね、と、清純は悪意の欠片もなく、むしろ好意的に、朗らかに言った。

「でもこれで真田君が彼女とほんとに結婚したら、凄いね」
「ふむ。その確率──」
「確率?」
 わくわくした顔の清純に、蓮二はにやりとした。

「こればかりは、未知数だ」
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BY 餡子郎
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