心に驕りなき時は人を教う
(六)
ずんずん歩いて行く弦一郎に、赤也はほとんど場の成り行きでついていく。──が、弦一郎が行く道は、赤也にとってとてもよく知っている道だった。つまり、赤也の家に行く道である。
「あのー、真田先輩? もしかして送ってくれようとしてます?」
大丈夫ッスよさっき全員逃げてたし、と赤也は続けたが、弦一郎は、いや、と首を振った。
「あそこでは逃げたが、やはりあいつだけでも痛い目に遭わせてやる、と考えないでもないだろう。あのような輩は」
「まあ……ありそうッスけど……」
しかし、こうして家まで送られるのはなんだか情けなくて、ありがた迷惑である──とは言えず、赤也はごにょごにょ言った。
「それに、それが本題ではない」
「は?」
「お前の親御さんに話がある。予めご連絡差し上げていないのは申し訳ないが、ご挨拶させてもらうぞ」
「は!? ちょ、ちょちょちょちょっと待ってくださいよ!」
何を言っているんだこの人は、と、赤也は本気で慌てて、弦一郎の横に並ぶべく小走りになった。しかし弦一郎は全く構わず、前を見てずんずん歩くばかりだ。
その様子に、冗談でも何でもなく本気で言っている、ということを理解した赤也は、顔を引き攣らせた。
「な、なんでッスか。そりゃまあ俺は生意気かもしれませんけど、親になんかチクられるほどのことはしてないっしょ!?」
「今のところはな。だがこの分だと、そう遠くないうちにどうなることかわからんだろう。今日がその証拠だ」
赤也はなにか言い返そうとしたが、何も浮かばなかった。ぐぅの音も出ないというやつである。
「その前に手を打つ。そのためのけじめをつける」
「なんスか、それ」
「だから、ご挨拶に伺うだけだ」
何が何やらさっぱりであるが、とにかく家に来られるのに気が進まない赤也は、あー、うー、と唸ったあと、苦し紛れに「いや、でも今日親いなくて……」と言ってみる。が、
「今日はお母上もお父上も家にいらっしゃるだろう? 蓮二から聞いた」
「なんで知ってるんスか! もう何なんスか柳先輩は! 何なんスかあの人!」
「“データ”だそうだ」
「わけわかんねえ! 怖ェ!」
そのことについては、弦一郎も否定せず、黙っていた。
「ご挨拶するだけだ」
「あーもー……あー……わかりましたよ……連れてけばいいんでしょ連れてけば……」
赤也はうんざりとした投げやりな態度を隠そうともせず、ばりばりと頭を掻きながら言った。
「……言っときますけど、うちの親父、あんま喋りやすい感じじゃねえっすよ」
そして赤也はぼそりと呟くように、また何かを諦めているような声色で言ってからため息をつき、「家、こっちっす」と言って踵を返すと、がに股で歩き始めた。
切原家は、蓮二の家からそう遠くないベッドタウンにある、真新しい様子の一軒家だった。
そういえば、出身小学校が同じである、と弦一郎は蓮二から聞いたことがある。とはいえ、面識ができたのは赤也が立海に入学し、テニス部に入ってからであるが。
鍵はかかっていないらしく、赤也は自分の背丈より低い鉄柵の門を少し荒っぽく開けた。門と玄関は少し距離があるが大きく三歩も歩けばすぐで、両側に、洗濯物の干された、小さな庭が広がっていた。
ずんずん歩く赤也に弦一郎は難なくついていき、そして赤也はそれを確認する様子もなく、やはり勢い良く玄関の扉を開けた。
「ただいまァ! ……客ゥ!!」
声を張り上げた赤也は素早く靴を脱ぐと、玄関に放った。薄汚れたスニーカーが、左側に取り付けられている靴箱の扉にぶつかって、ごん、ごん、と鈍い音を立てて落ちる。
靴は揃えろ、と物心つく前から厳しく言われて育てられている弦一郎はその行為にもはや生理的嫌悪感にも近いものを抱き、注意しようと口を開いたが、何かを堪えるような顔をして、ぐっと口を噤んだ。
「ちょっと、客って何よ。……あれ? え? 真田君?」
真っ先に玄関先に出てきたのは、赤也より年かさの少女だった。赤也の姉の、切原朱里である。彼女も立海に通っているということ、そして自分たちと同じ学年であるということは、例によって蓮二から聞いているのであるが、当たり前のように彼女が自分の名前を言ったので、弦一郎は少し驚いた。
「む、俺を知っているか」
「そりゃ知ってるよ、有名人だし。赤也がテニス部に入ったから、なおさらね」
「有名かどうかは知らんが、そうか。真田弦一郎だ」
弦一郎が折り目正しく名乗ると、朱里は「だから、知ってるって」と言って笑った。
「で、今日はどうしたの? テニスの話?」
「テニスの話でもある。突然で申し訳ないが、親御さんたちに話したいことがあって来た」
「へ?」
「できればお前にも同席してもらえれば助かる」
「どういうこと? ちょっと赤也、何したの」
「何もしてねーし、俺だってワケわかんねえよ……」
怪訝な顔をする姉から目を逸らし、赤也は口元を尖らせてそっぽを向いた。
「オウ、何だ! 赤也がダチ連れてくるなんざ初めてだなオイ!」
煙草と酒で焼けた、やけに迫力のある声が、小綺麗なリビングに響く。
声の持ち主は、切原家の主、すなわち赤也の父親である。焼けた肌色に、鋭い眼光。顔立ちはなかなか整っており、Vシネマのハードボイルド映画に出てきそうな感じである。──髪型がパンチパーマであることや、ピンクの開襟シャツの首元から覗く太い金色のネックレスや、白いチノパンなどの“いかにも”なファッションも含めて。ちなみに外に出る時は、ブランドもののセカンドバッグを持ち、ぴかぴかの白いエナメルの靴を履いている。
中国やフィリピン、他には香港などを中心に海外を飛び回っていて、ざっくりとカテゴライズするならば“外資系”となる仕事をしている事ゆえに、赤也がこの父と顔を合わせる機会は、他の家庭と比べると、あまり多くないだろう。
しかし見た目に反して家族が大好きなこの父は、日本にいるときは基本的に家にベッタリであるし、娘や息子が運動会やら授業参観やらに来てほしいと言えばどんな商談を放ってでも飛行機に乗って帰ってきて、大張り切りでリレーに参加し、授業中に手を挙げる子供たちを全力で応援する。
そういう父親なので、赤也は父親の愛情を疑ったことはない。それに対し、母親は保育園で保育士をしており、しかたのない事とはいえ、実の子供の自分たちよりも勤め先の子供のことを優先することもある。そんな母を嫌っているわけではないが、海外を飛び回っているこの父のほうに、赤也は懐いているところがある。
だがこの父の見た目、そしてこの見た目から容易に想像され、実際単なる事実である経歴から、父が一般的に怖がられ敬遠される人種であることも、赤也は理解している。今は一応完全に堅気の仕事をしているのに、なぜこうも誤解を招くファッションに身を包んでいるのかよくわからないが、Vシネマが大好きというわかりやすい好みから、単なる趣味であるのだろう。
ちなみに、赤也がコンプレックスに思っているかなりきつめの天然パーマはこの父譲りで、「俺みたいにパンチにすれば気にならねえって」と言われるのもうんざりしている。
──閑話休題。
ともかくこの父は、見た目故に敬遠されることが多い。そして赤也や朱里の同級生やその家族からの反応といったら、それはもう見事なものだった。赤也も小学生時代に少し仲良くなった同級生を家に招いたことがあるが、リビングに飾ってある家族写真に映った父を見て怪訝な顔をし、以来、疎遠になった。曰く、写真の話をしたら、母親に「切原くんとはもうお付き合いしてはいけません」と言われたらしい。
他にも、基本的に生意気で喧嘩っ早い赤也が今日のように上級生に囲まれるのも、実は一度や二度の話ではないのだが、あるときは家の周囲で待ち伏せされたがゆえにその場で乱闘になりかけたところ、家にいた父がヒョイと顔を出し、「オッ喧嘩か! やれやれ!」などと言ってげらげら笑った途端、上級生が青くなって逃げていってしまったこともある。
その時、赤也は父に「ガキの喧嘩に茶々入れるつもりはなかったんだけどなあ。悪ィなァ」と本当に申し訳無さそうにしょんぼり謝られたので、非常に複雑な気持ちになったのを覚えている。
ともかく一事が万事そんな様子で、赤也に友達がいないのは、この父を原因とする所も多い。だが赤也はこの父が好きだし、本人や母親から「そんなことで逃げ出すようなのと友達になどなれない」と言われ、姉と同じくそれに非常に納得しているので、不満に思ったことは一度もない。
しかし、言い換えれば、今まで一度としてこの父にびびらずに赤也と友だちになろうとした者がいない、ということでもある。
だから赤也は中学一年生にして“本当の友達”といえる存在ができることに全く期待していないし、存在自体疑っている。そしていかに鬼軍曹と呼ばれる真田弦一郎でも、この“本職”と見紛う父を前にしてはびびって引け腰になるだろう、そう考えていたのだ。
「突然お邪魔して、申し訳ありません。ご子息と同じテニス部に在籍する、二年生の真田弦一郎と申します」
だが赤也の予想に反し、弦一郎は、最初の一瞬こそ少し驚いたような顔はしたものの、すぐに九十度まで腰を折り、礼儀正しすぎるほどに礼儀正しい挨拶をした。
赤也もぽかんとしたが、父もぽかんとしていた。朱里は台所の母を手伝いに行ったので居ない。
「何だ何だ、超礼儀正しいじゃねーかオイ! 俺自分とこの若いのにもこんな礼儀正しくされたことねーぞ、感動したわ!」
「恐縮です」
「おう、座んな!」
がははは、と笑う父に促され、弦一郎はその向かいのソファに、やたら堂々と腰掛けた。赤也はひたすらぽかんとしていたが、お茶を持ってきた姉に「なに突っ立ってんの赤也」と言われ、おずおずと弦一郎の隣に、一人分くらいの空間をあけて座る。
「本日は、切原家御一同にお伺いを立てたく参上いたしました」
真面目な顔をして切り出した弦一郎のそのセリフに、時代劇かよ、と赤也は心中で突っ込んだ。弦一郎がいまどきありえない言葉遣いをすることは重々知っていたが、自分の家族に対して使われると、殊更破壊力がすごい。姉は「うわー、聞いた通りの感じ」と何やら感心しているが、赤也としては、何他人ごとみたいな顔してんだ切原家ごいちどうってお前も含まれてんだぞ、と少しイライラした。
「んん? 何だ、赤也がなんかしでかしたか?」
「おい、なんで決め付けてんだよ親父」
「だってお前、俺の息子じゃん。俺の息子が問題起こさないわけがねえじゃん。お姉ちゃんは母さん似だからねえけど」
当然のようにけろりと言われ、赤也は言葉に詰まった。なんだそのダメな方向の信頼感は、と思うが、実際そのとおりであり果てしないまでの説得力があるので、何も言えない。
「問題は起こしておりません。まだ」
弦一郎は、はっきりとそう言った。
つまり、入部前に彼を含め『三強』に喧嘩を売ったこと、普段の部活での態度、そして今日の出来事などをばっさり切り捨て、弦一郎は、一切何も言及しなかったのだ。
さぞ今までのことを事細かにねちねちとちくられるのだろうと思っていた赤也は、今度こそ驚いた。
「ですが、このままですと遠からず問題を起こすと思われます」
「そうだろうなあ。俺の息子だしなあ。言わんでくれてるけど、どうせ今までもいろいろ細々しでかしてんだろ、なあオイこの悪タレ坊主」
「う……」
お見通し、という顔でニヤニヤ笑ってくる父に、赤也はばつの悪い顔で呻いた。
「俺は二年生ですが、一年生の監督を任されています」
「お父さん、真田君、ものすごくテニス強いのよ。去年は一年生なのに全国大会に出場して、優勝したんだから」
「ほおおおお、そりゃすげえ」
朱里の補足を聞き、父は非常にストレートな賛辞を贈った。弦一郎は座ったまま、開いた膝にそれぞれ腕を立てて戦国武将のように頭を下げてから、更に続ける。
「……役職名こそありませんが、そういう役割がありますので、俺は上級生の中ではご子息と最も接する機会が多い者になります。これまで俺は赤也に対し、テニスやテニス部に関することには注意を促したり指導をしたりしてきましたが、私生活の事や、学校での生活態度に関しては、極力口を出さないようにして参りました。これは、他の一年生に対しても同じようにしております」
これは一応、赤也も認める事実である。
時折、勢い余って“テニス部の先輩”の範囲を超えることにも言及しかけることもあるが、そこでぐっと口を噤み、「いや、いい」と切り上げるのだ。
「そうかい。しっかりしてんなぁ」
父は、関心したように頷いて言った。
「いいえ、これは進級時、下級生の面倒を見るようになるにあたって、同級生の──同じテニス部員ですが、彼らと話し合って決めたことです」
ちなみに、主には蓮二である。
「むしろ俺は最初、問題があれば生活態度から叩き直すべきだと主張しておりました」
確かに、そのほうが真田弦一郎らしい、と赤也も思った。だからこそ、赤也に注意なり苦言なりを発する際、途中である範囲を越えそうになると突然口をつぐんでしまう彼に、助かったとも思いつつ、違和感も感じていたのだ。
「しかし俺もまだまだ若輩者であり、後輩とはいえ、誰かに対して偉そうに指導が出来る立場ではありません。ですので今は納得して、役職以上の事はせぬように努めております」
「なあ、本当に中学生か?」
父が殊の外真顔で言ったので、赤也はつい全力で同意しそうになった。いや実際思わず大きく頷いてしまっているのだが、赤也はそれに気づいていない。
「満十四歳ですが、何か」
「いや……まあ、しっかりしてんのはいい事だけどよ……。あー、それで、結局ウチの赤也がなんだって?」
パンチパーマの後頭部をボリボリ掻きながら、父が切り出した。弦一郎はひとつしっかりと頷くと、まっすぐに切原家一同を見て、言った。
「無礼を承知で申し上げますが、このままですとご子息は何らかの問題を起こします。それは個人の私的な範囲でのことであり、いわゆる、プライベートです。ですので本来、これに関してはご子息本人やあなた方ご家族が対処する問題であり、俺が口を出すことではありません」
うん、と、切原家一同がシンクロして頷いた。
「しかしそれによって、テニスができなくなる危険があります」
「あー、一人問題起こしたら、ヘタすると部活停止、とかになるんだっけ? 俺ブカツってやったことねえからよく知らねえんだけど」
どこか面倒くさそうな口調で言い、父はソファに背を預けた。しかし弦一郎は、首を振る。
「確かに、それもあります。……しかし、ご子息は立海大付属中の選手として、まだ試合に出たことがありません。ですのでもし問題を起こしたとしても、退部を言い渡されて終わりになるでしょう」
赤也はぎょっとして、そして同時に、納得した。
それはあの真田弦一郎が、非常に現実的かつ黒い内容をサラリと言ったことに対しての驚きであり、そして確かに、立海でまだ何の実績も記録も残していない赤也が今問題を起こしたところで、とかげの尻尾として切り捨てられておしまいだろうという、単なる事実に対しての納得である。
ふと赤也が父を見ると、先程の面倒くさそうな気配は一切なくなり、興味深そうに目を細めて弦一郎を見ていた。
「切原赤也には、才能がある」
十四歳とは思えない深い声で、弦一郎は言った。
「まだまだ俺たちには及ばないところはあるが、体力、技術、そして何より闘争心と集中力。一年生の中では明らかに飛び抜けている。この才能を、くだらない小競り合いで潰すのは惜しい」
赤也は、猫に似たつり目がちの目を更に見開いた。
真田弦一郎は他人に厳しく、自分にはもっと厳しい。そんな彼に赤也は褒められたことなどないし、他の一年生が褒められたところも見たことも、聞いたこともない。
だが今、彼は確かに赤也に「才能がある」と断言し、具体的な評価までしたのだ。しかも、先程までの、丁寧というよりも重々しすぎる口調が崩れ、素の喋り方になっているところからしても、本心から言っているのがよくわかった。
切原家一同の驚きで、無言の空間が一瞬リビングを支配する。それを破ったのは、やはり弦一郎だった。
「今回参りましたのは、許可を頂くためです」
「許可?」
「俺に、切原赤也を指導する許可を頂きたい」
そう言って、弦一郎は、深々と頭を下げた。
ソファに座った状態ではあるが、ここがもし畳の和室であれば、間違いなく、土下座、と言っていいほどの頭の下げ方だった。
「このままですと、ご子息はテニスができなくなります。俺はそれが耐え難い。私的な範囲に口を出していることは重々承知ですが、どうか」
深々と頭を下げたまま、弦一郎は言った。
シン、とリビングが静まり返っている。赤也は引き続き呆然としていたが、ふと、父のほうを見て、そしてこの短い間にもう何度目になるか、ぎょっとした。──父が、目頭を押さえ、涙を浮かべていたからだ。
「オウ……、オウ、頭を上げてくんな」
ずずっ、と鼻をすすりながら、父は弦一郎に言った。
「何しろ俺の息子だからよ、言ってもきかねーし、こんな人生送ってきた俺が偉そうに赤也に言えたもんじゃねえしよ。スポーツでもやれば俺と同じようにはならねえだろと思ってテニスやらせてよ、才能あるみてえだったけど、根っこはやっぱり俺の息子でなあ……」
ちなみに赤也は、意外なことに、この父に殴られたことはない。ちょっと頭を小突かれたり、スパンと軽く引っぱたかれたことはあるが、その程度である。そしてそれは、父が意図してそうしているのだということも、一応気づいていた。なぜなら、父の部下はよく父にぶん殴られて数メートルぶっ飛んだりしているからだ。
だがその理由をはっきり聞かされたことはなかったので、赤也はぽかんとしたまま父の言葉を聞いていた。
「カッとしやすいしな。母さんに暴力でも振るったらとんでもねえし、赤也も絶対後悔するだろ。だから母さんには赤也のことは基本放っとけって言ってんだよ」
「え……」
愛されていないと感じるわけではないが、基本的にあまり自分に関心がないのではと思っていた母についてそう言われ、赤也は思わず母を見た。赤也と同じ、猫っぽい目をした母は、苦笑気味に赤也を見ている。
「人間出会いがあるもんだしな。心配ではあるけどそのうちどうにかなるだろってやってきたんだけどよ。今日がその日だな。……こんなに面倒見てくれようとする先輩がいて、赤也は幸せもんだ。ありがてえ」
「では」
「オウ! どんどん指導してくれや!」
力いっぱいのサムズアップまでかまして言った父に、赤也が青くなる。
「もしかしたら、手を上げることもあるかもしれません」
「どんどんやってくれ! 実際俺の息子だし、殴らねーとわからねーとこあると思うしよ。なあに、俺の息子だ、ちょっとぶん殴ったぐれえじゃ問題ねえだろ」
「おい親父!」
青くなった赤也が立ち上がるが、父は全く聞いておらず、身を乗り出して弦一郎の肩をバンバン叩いていた。
「ほんとウチの息子をよろしく頼むぜ! えーと真田……、さなだ?」
初めて弦一郎の名前を口にした父は、はて、とでもいうふうに首をひねった。
「真田弦一郎ですが」
「さなだ、げん……、おい、もしかして、真田道場の? 真田のジジイの」
「……うちは剣術道場を経営しています。ジジイというのが真田弦右衛門なら俺の祖父ですが」
「マジか!?」
勢い良く父が立ち上がったせいで、大きなソファが、ごとん、と音をたてた。
「祖父とお知り合いでいらっしゃるのですか?」
「いやァ、俺が箱根でブイブイいわしてる頃にな!」
がはははは、と笑う父に、「そうですか」と弦一郎は淡々と頷いた。
弦右衛門は警察官として現役の頃、主に暴走族や非行少年を更生させることに心血を注いでおり、それゆえに出世とは無縁だったが、今でも世話になったとか、更生させてもらったという本人や親兄弟などが顔を見せに来たり、生まれた子供を見せに来たりするし、お中元やお歳暮などが山のように贈られてくる。
道場に門下生として引きずり込むことによって更生を促したというパターンも少なくはなく、今現在、道場で師範代をしている顔ぶれの何人かはその経緯である。
そしてそんな様子を当たり前に見て育ってきた弦一郎は、自分自身は全くそうなる縁のない立場でありつつ、そういう人種に慣れているし、この赤也の父のように「爺さんに世話になった」という者には、むしろ親近感を感じるほどだ。
「もう何回ぶん殴られたか。化け物のように強いジジイだったぜ……。爺さん、元気か?」
「矍鑠としていらっしゃいます。まだまだ負け知らずですよ」
「そうか、そうか! さすがだな!」
非常に嬉しそうに、父は何度も頷いた。
「俺が色々から足洗えたのは、真田の爺さんのおかげもあんだよ。そうか、あの爺さんの孫か! ならますます安心だな! おい赤也、弦一郎君の言うことよく聞けよ!」
「ちょ、親父」
「いやー今日はいい日だ! 晩飯食ってくだろ!? おい母さんビール! 弦一郎君飲める方!?」
「俺は十四歳です」
凄まじいほどの上機嫌になった父、さらには「うちの赤也をよろしくね」と弦一郎に頭を下げる母、「真田くん、私にもできることがあれば言ってね」と協力を申し出ている姉。赤也は完全にアウェーであった。自分の家であるのに、である。
その後、弦一郎は切原家一同から是非と請われて、夕飯を食べていくことになった。
赤也の隣に座った弦一郎は、やれ食べ方がどうの、箸の持ち方がどうの、そもそも先程も靴を揃えないばかりか投げるとは何事だなど、それはもう口うるさかった。
しかも両親も姉もそれをにこにこと、時に感動したようにして見ており、二言目には「真田君のいうことを聞きなさい」と言うようになってしまった。
これからこれが続くのかと思うと、赤也はげんなりするのを通り越して、地獄に突き落とされたような気分になった。さしずめ弦一郎は地獄の極卒、もしくは不届き者を懲らしめる明王である。
そして後日、神の子という肩書はテニスだけが理由ではないと重々理解できる、如来のように後光を背負った幸村精市と、菩薩のような顔をしているが恐ろしいデータを駆使する柳蓮二が加わることにより、赤也の地獄はさらに苛烈になることになるのだが、今の赤也はそれを知らない。
赤也のおねえちゃんの朱里ちゃんについては、皐月マイさま『
R.INDICUM』からお借りしています。
「切原さん家のおねえサン!」というタイトルの中編になります。赤也が二年生の時のお話。とてもほのぼので、赤也ならあるあるなお話なのでオススメ!