心に驕りなき時は人を教う
(三)
二年生になるということは、当たり前だが、新一年生が入ってくるということである。
昨年の全国大会で、一年生ながらレギュラーとなり、しかも優勝をかっさらった『三強』に憧れて入部してくる者は多く、ざっと去年の三倍近い人数が入った。
そしてそのせいで、原因である三人は部長から「先輩としての初仕事」という名目で、新一年生の監督を任された。
丸一年も共にいれば役割分担も慣れてくるというもので、まず“神の子”の肩書眩しい精市が先頭に立って指示を与え、かの有名な真田剣術道場の子息であり、また神の子を龍とするなら虎、三人の中で最も獰猛で攻撃的なテニスをし、本人も喧嘩では負け知らずという弦一郎が、サボタージュや脱落者の叱咤や激励、またサポートを行う。
そしてデータの管理はお手のものである蓮二が、全体の把握をし、二人に伝え、次の指示に回していく。流れるように息のあったやり方は、かなり上手く回っていた。
しかし、ただでさえ厳しい、新入部員に対する地獄のシゴキをよりにもよって弦一郎が煽るので、新一年生は弦一郎を「鬼軍曹」などと呼んで畏れる始末だった。──弦一郎としては、物心付く前からこのノリで育てられているので、特別厳しくしているつもりもないのだが。
ただし、それと同時に彼は一年生の面倒をよく見、吐いたものの始末を嫌な顔もせず手伝い、怒鳴り散らしながらも一緒に走ったりするので、なんだかんだと言いつつ脱落者は去年より少ない、とは、部長や錦など、現在三年生になった面々の弁である。
「切原はどうした」
一年生が全員走りきったことを確認した弦一郎は、息も絶え絶えに地面に倒れ伏している後輩たちの間を悠々と歩きつつ、ポンポンとラケットの上でボールをリフティングしている精市に尋ねた。
「さあ。今日も来ていないみたいだね」
精市は、あっさりと言った。
「……そうか」
「ああいう、正面から噛み付いてくるのは少ないからね。ちょっとおもしろかったんだけど」
精市が苦笑して肩をすくめると、弦一郎も「うむ……」と低く唸った。
──切原赤也。
立海大附属中学校の新一年生にして、男子硬式テニス部の新入部員予定、の名である。
しかし彼は他の新入部員と、一味違っていた。
新入部員たちの多くが『三強』に“憧れ”をもって入部してくる中、彼だけは違った。いや、三強が目当てなのは同じなのだが、彼は三強に憧れるのではなく、打倒を掲げて入部してきたのだ。
しかも、入部初日からそれを観衆の前で堂々と明言し他の部員たちに喧嘩を売ったばかりか、テニスで彼らを叩きのめした。その中には二年生ばかりか、三年生もいた。
言うだけの実力はある、というわけだ。しかしやはり三強には全くかなわず、出てきた三人から1ポイントも取れずに惨敗した赤也は捨て台詞を吐いて去り、以降、一度も部活に顔を出していない。
とはいっても、彼はまだ正式に入部届を出したわけではないので、来なくても厳密には問題ない。だが仮にも立海大付属テニス部の二、三年生を叩きのめした実力の持ち主が入部しないのは、やはり単純に惜しいと思えた。
「いや、部活にこそ来ていないが、校外での自主練に励んでいるようだ」
すっかり低くなった声でそう言ったのは、蓮二である。
中学二年生にもなると、男子の体の成長は頓に顕著になる。弦一郎は元々常に平均より発育のいいほうだったが、骨が軋むほど急激に伸びる背丈に四苦八苦しているところだ。
特に成長著しいのが蓮二で、弦一郎よりも急激に背が伸びると同時に声も低くなり、すっかり様変わりした様は、劇的なほどだった。
弦一郎と同じくらいの背丈と大人びた顔立ちに、さすがにおかっぱ頭が似合わなくなったので髪を切ると、涼し気な美少年、という様相である。市松人形が成長し、公家人形になったようだ。
今でも、紅梅と並べば、兄妹のように見えるだろうか。
弦一郎はふとそう思ったが、景吾から見せられた舞台写真を見ていると記憶にあるはずの素の彼女の顔立ちが薄らいでしまい、うまく想像が働かなかった。
──最近弦一郎は、彼女の声や姿を、よく思い出せない。
「自主練? 蓮二、切原の様子を見てきたのか?」
浮かんだ思考を振り払い、弦一郎は尋ねた。
「いや、丸井とジャッカルに様子を見てもらってきた。彼らは人当たりがいいので、切原もさほどは反発しないだろうと思ってな」
「ああ、あの二人なら上手くやりそうだね」
精市が、納得したというふうに頷いた。
新人戦をきっかけにして、『三強』たる彼らは、同じ二年生である丸井ブン太とジャッカル桑原とも、割と親しい交流を結ぶようになっていた。
二人共明るくて人当たりがよく、ブン太はノリが軽く馴れ馴れしいかと思いきや、小さい弟が二人もいるせいか兄貴肌なところがあるし、ジャッカルは基本的にかなり穏やかで、困った人を放っておけない親切な性格をしている。
切原赤也はかなり血の気が多そうだが、あの二人になら多少は素直に対応するだろう、と弦一郎も思った。
「聞いた調子だと、近々リベンジに来る確率97パーセント、といったところだろう」
「そうか」
ならばよし、と、弦一郎は頷き、精市は「楽しみだね」とにこにこする。
未だ二年生ながら『三強』の名を確固たるものにした三人に、身近な強敵はほとんどいない。三人を畏れたり、憧れを抱いて眺める者ばかりの中、ああして真正面から立ち向かってくるタイプは貴重で、三人とも、それを面白く感じているのだ。
そして蓮二の予想通り、翌々日、切原赤也は古風にも果たし状を手に、三人に直接宣戦布告をしてきた。
冷や汗を流しつつも一人で乗り込んできた上、三人の目を見て果たし状を叩きつけてきた赤也に、その意気や良し、と弦一郎は感心したが、小学生でも間違わないだろう間違いだらけの漢字が散りばめられた“果たし状”に、青筋を浮かべた。
「漢字が間違いだらけだ。たるんどる!」
「確かに、これはひどい」
果たし状を覗きこんだ蓮二が、笑いながら言った。文字や文章とともに生きているような彼なので、赤也のひどい文章は、一周回って物珍しくて面白いらしい。
「ねえちょっと、“辛村精市”ってひどくない? わざと? これわざと?」
苦笑した精市に、蓮二は「いや、この感じだと素じゃないか」と返した。あの切原赤也も、そんな命知らずな真似を好んではしないだろう。
「……まあ、こればかりは間違いでもない気もするがな。字義的に」
「ははは、言うね、真田。表に出ろ」
「こら、喧嘩するな」
──命知らずは一人で充分だ、と、油断をするとすぐ怪獣大決戦のような喧嘩を始める龍虎を宥めながら、蓮二は小さくため息をついた。
結局、赤也は再度、弦一郎にこてんぱんに負けた。
自主練習の甲斐あって以前よりは強くなっているが、やはり足元にも及ばない、というのが現実だった。
しかも、赤也本人は与り知らぬことだが、弦一郎は真正面から立ち向かってきた赤也の態度を気に入り、相手をする気満々でテンションが高く、本気は出さなかったが、手加減もしていなかった。
そのせいか、赤也は一応精市や蓮二との対戦も望んだが、今は何度やっても結果は同じだということ、そしてここ立海大付属テニス部で腕を磨けばいいということを諭せば予想よりも素直に頷いて、正式に入部届を出した。
「けど、負けたからってわけじゃないすよ! いつかアンタら倒して、ナンバーワンになるためッスから!」
そう言って、やはり真正面から三人を見る赤也に、弦一郎は目を細める。
「そうか。いつでも相手になってやる」
更なる高みを目指せ、と、弦一郎は、初めて出来た後輩の、燃えるような目を見返した。
「──切原ァ!」
弦一郎の怒鳴り声が、テニスコートに響く。
低く良く通り、かなりの声量のある声は猛獣の咆哮にも似た迫力で、地獄のシゴキに耐えたはずの一年生たちだけでなく、弦一郎と同級の二年生も、ついヒェッと飛び上がるほどだ。
だがその声で怒鳴られた当人はといえば、びくっと肩を跳ねさせはしたものの、振り向いた顔にはひたすら面倒くさそうというか、うざったそうな表情が色濃く浮かんでいた。
「無意味に喧嘩を売って歩くなと言っておろうが! 何度言ったらわかる!」
「あーハイハイすみませんでしたァー」
鼻をほじりながら言っていてもおかしくないような、おざなりな謝罪である。
弦一郎の眉間に深い皺が寄り、こめかみに青筋が浮かんだ。彼を鬼軍曹と畏れる部員たちは青くなっているが、赤也はといえば、まさに蛙の面に小便。肝の太さは相変わらず大したものだが、生意気なことこの上ない。
「貴ッ様……」
「前から思ってたんスけど、真田先輩、言葉遣い古すぎないッスか? ほんとに中二ですかアンタ」
「余計な世話だ! 貴様こそその軽佻浮薄な口調を改めろ! 態度もいちいち卒爾極まりない、嘆かわしい!」
「何言ってっかわかんね」
もう行っていッスか、といけしゃあしゃあと言う赤也に、ラケットを握った弦一郎の拳が、ぶるぶると震えている。
そろそろ握力が七十キロを超えたらしい弦一郎の拳がいつ赤也に飛ぶか、と、周りは戦々恐々もいいところだったが、弦一郎は一度ぎゅっと目を閉じると、はあ、と重い溜息をついて肩を落とした。
「……もういい。だが無意味な喧嘩で試合に出られなくなることもある。覚えておけ」
「ウィーッス」
「走ってこい。グラウンド五十周!」
ええーっ、と赤也はぶーたれたが、弦一郎がぎろりと睨むと、しぶしぶ、というのがよく分かる様子で、言われた通りグラウンドに走っていった。
「……どう扱えばいいのだ、あれは」
すっかり恒例になりつつある、部活が半日で終わる土曜日。この三人だけで行われる、ファストフード店でのミーティング。ぐったりとしてそう呻く弦一郎に、蓮二は苦笑した。
切原赤也の生意気さはもうすっかり有名で、二度も真っ向勝負でこてんぱんに負けたはずの弦一郎にさえこの調子だ。
二度も完膚なきまでに負けたからか、それとも動物的な本能で敵わないと察してはいるのか、弦一郎が怒鳴ったり睨んだりすると、一応いうことはきく。が、その場はそれでおさまっても、全く反省していないので、またすぐ同じことを繰り返すのだ。
つまり、──少しばかり、舐められている。
ちなみに精市と蓮二は苦手意識を持たれているのかあまり近寄って来られないし、むしろ若干避けられていて、口を利く機会自体あまり多くない。
最初に新入部員の面倒を部長に命じられてからというもの、その際に自然に出来た三人の役割分担は、地獄のシゴキがある程度終わり、リタイア退部のラッシュが引いた今でも続いている。
つまり、当初の憧れの対象を“神の子”である精市が担い、全体の管理やデータ収集を蓮二が行い、弦一郎は現場だ。つまり、一年生を直接怒鳴ったり指導したりという役割。
“鬼軍曹”と呼ばれて恐れられつつ、また同時に面倒見もよく根気強い弦一郎は適任であるのだが、赤也だけは、どうも思い通りに行かないのだ。
「もういっそのこと、ぼこっとやっちゃえば」
と、精市がシェイクをすすりながら言うが、弦一郎は難しい顔で小さく首を振った。
「もし切原が殴りかかってきたら迎え撃つつもりだが、俺から手を出すつもりはない」
「正当防衛、みたいな感じ?」
「そうだ。お前とも、お前が最初に手を出してからでないと俺も手を出していないだろう」
「……お前、どの口でそれ言ってんの?」
「事実だろうが」
「はァ?」
「やめろ、二人共」
弦一郎の機嫌が悪いせいか、いつもより割増ですぐ不穏な空気になる二人を、蓮二はもうすっかり慣れたタイミングで止めた。
しかし、弦一郎の言うことも間違いではない、と蓮二は思う。
弦一郎はあの真田剣術道場の子息であり、喧嘩が強く、入学すぐに絡んできた不良を返り討ちにしたばかりか、その後の数度のお礼参りも跳ね除け、もはや番長のような扱いにすらなってはいるが、趣味は読書と書道と瞑想、時に芸術鑑賞であり、ぶっちぎりでインドア。そうして、一方では物静かな蓮二ととても気が合う性格なのも本当なのだ。
喧嘩は売られたから買っているだけであり、正当防衛、因果応報、武力を武力で返しているだけだ、と、少なくとも本人は思っている。
部活で鬼軍曹と呼ばれるような振る舞いをするのも、新入りを兵隊として使えるようにするには、強い言葉で怒鳴りつけてびびらせ、浮足立った隙に命令責めにし考える暇を与えるなという、軍隊運用のマニュアルを忠実に守っているだけだ。
ちなみにこれは、後輩を持ち指導する身になるにあたって、陸上自衛隊で長らく教官をしていた母・諏訪子に助言を請うた際に受けたアドバイスである。
しかし、元々立海は軍学校時代の空気が色濃い部分が多くあり、特に運動部はそれが顕著であるため、弦一郎のやり方も、ある意味で受け入れられている。
「しかし、そうは言ってもな。俺達も後輩を持つのは初めてだ。データがないのでは、適切な助言はできん。すまんな、弦一郎」
「………………うむ」
蓮二の言い分はもっともなので、弦一郎は重々しい間を開けてから、更に重々しいため息をついた。
余談だが、もちろん先に部長や錦などの先輩に助言を求めもした。しかし「あんなに生意気なのは見たことがない」と言われ、とどめに「でも真田なら大丈夫だろう」と、空気を読むのが下手な弦一郎にもはっきりわかるほど丸投げされてしまった。
更には祖父、また母からは、「お前が舐められるのが悪い」でむしろ鉄拳が飛んでくる始末である。
ううう、と獣のように唸る弦一郎に、蓮二は苦笑し、やがて、そういえば、という風に言った。
「お梅には相談してみたのか?」
「……紅梅?」
意外な名前が出てきたので、弦一郎は、眉をひそめた。
立海大付属テニス部は女人禁制の伝統を持って長く、軍学校時代の空気を未だ引きずっている原因の一部もここにある。そして実際、いま弦一郎が悩んでいるのは、舐められるとか舐められないとか、どっちが上かとか、そういう、男の世界ならではの動物的な部分のことだ。
それを、女ばかりの、男子禁制の場所で暮らす紅梅に何を相談したものか、というようなことを弦一郎が言うと、蓮二は「たしかにそうだが」と前置いてから、言った。
「しかしあの世界も、角界や梨園と同じく、伝統の厳守とともに、上下関係が絶対だ。しかもお梅は京都生まれで根っからの花柳界育ち」
「そうだが……それがどうした」
「うちの姉との関係がまさにそれだが、生まれた時からあの世界にいるお梅は、姉より断然先輩で、姉に対して教えることは多い。しかし年齢は姉のほうが上で、舞妓として店出しするのも姉が先だから、実際にも“姐”と呼ぶことになり、お梅は姐を立てなければならない立場になる」
蓮二の言うことは本当で、手紙にも書いてあったことがある。当時は、ややこしいことだ、としか思わなかったが。
「そういう複雑でやりづらい立場で、それでも上手く立ちまわっているお梅だ。それに、うちの姉に限らず、他の姐芸妓や職人や師匠たちにも、お梅は非常に評判がいいそうだ。参考になることを言ってくれるのではないか? “ぼこっとやる”手段を取りたくないなら、なおさら」
「む……」
一理ある、と弦一郎は納得した。
赤也という後輩を持ってから、弦一郎は、誰かの面倒を見る、ということがどれほど肉体的にも精神的にも大変なことであるのか、こうしてとくと思い知った。報われないことも当然あり、情と責任感がなければとても続かない行動だ。
しかし、赤也のように、相手の立場が下であれば、最悪、頭ごなしに言いつけたり、鉄拳制裁で言うことをきかせたりといった強硬手段が使える。それに弦一郎には、自分だけでなく、精市や蓮二、他の仲間達もいる。にもかかわらず、この短い間に、何度頭の痛い思いをしたかわからない。
紅梅の姐たちは赤也のようではないだろうが、こちらは相手が目上の存在で、なおかつ紅梅のほうが色々と世話をして回るという、付き人的な役割をもっている。目上の相手に対し、たった一人で、常にのべつ幕無しにへりくだり、相手の行動を察して行動しなければならないと思うと、弦一郎はぞっとする。
自衛官と警察官の揃った家に生まれ、剣術道場で育ち、元軍学校の残り香が色濃い立海大付属テニス部で揉まれている弦一郎だが、幸運にも、理不尽な先輩に当たったことはあまりない。そしてもし居ても、実力で打ち負かすことが許されていた。一年生にしてレギュラーの座を勝ち取り、全国大会に出られたのがその証拠だ。
しかし紅梅は、そうではないだろう。あの、一見柔和の極み、しかし腹の底が読めない女将の下で暮らし、神の化身か大妖怪の如き紅椿に従い、姐芸妓たちを立て、師匠や職人たちに礼儀を払い、後輩なのに姐になる蓮華の面倒を見ることを求められ、そしてこなしている。
弦一郎には、絶対に出来そうにない。
「……今度、聞いてみる」
「それがいい」
蓮二は、頷いた。
「梅ちゃんね。そういえば蓮二、こないだ京都行ったんだっけ。元気だった?」
精市がそう言ったとおり、蓮二は割と何度か京都に行っている。正月の挨拶にも行ったし、また、手紙も時々交わしているので、蓮二は彼女が遠くに住んでいる実感が薄い。
「ああ、変わりなかった。……それにしても、精市、お前はいつお梅に正体を明かすんだ」
「う……」
精市は、気まずそうにうめいた。
自分が原因だが、出会った時にせい子という女の子として自己紹介し、さらに去年は女装して目の前に現れたため、紅梅はもうすっかり“幸村せい子”の存在と性別を疑っていない。疑う、という発想すらないだろう。
そしてさらに、全国大会のラジオ放送で“幸村精市”の名前が出た時、色々な口止めをされているが故か、どこまで言っていいのかわからなかった蓮華が「せい子ちゃんの双子のお兄ちゃん」という説明を咄嗟にしてしまったため、紅梅はそれをあっさり信じてしまった。
「……でもさあ、わざわざ言うのもさあ」
「しかし、これから彼女と会う機会があるかどうかはわからんが、その時気まずい思いをするのはお前だぞ」
「うう……」
精市は苦々しい顔で呻き、テーブルに軽く突っ伏した。
「……じゃあ、声変わりが終わったら、言おうかな。説得力あるだろうし」
「ふむ」
まあお前の好きにするといい、と蓮二は言って、シェイクを品良く吸い上げた。
確かに、精市は背こそそれなりに伸びているが、声は殆ど変わっておらず、せいぜいアルトといったところだ。
弦一郎や蓮二ら同性から見れば、精市には女性にあるはずの嫋やかさとか可愛げが皆無なので疑うべくもないのだが、相変わらず顔は性別を超越した美形なので、すっかり彼を女性だと信じている紅梅に、今の状態で真実を説明するのはややこしいかもしれない。
だが喉仏が出て声が低くなれば、語らずとも、何よりの証明になる。
「まあ、そういうことだ。弦一郎、最近、あまり手紙が多くないと聞いたぞ。頼れば、お梅も喜んで力になってくれるさ」
そう言われて、弦一郎は苦笑にもならない、微妙な表情を浮かべる。
手紙の量が減っているのは、本当だった。文通を始めた頃、紅梅の手紙は弦一郎のことを聞く内容が多く、そのせいか、弦一郎は返事を悩んだことはない。聞かれたことに答えればいいだけだったからだ。
しかしいつからか、紅梅は相変わらず弦一郎の書いたことに細やかなコメントをしつつも、己の近況をよく綴るようになった。
そして最近のそれは、花柳界の暮らし、名取の舞手としての舞台、海外での公演、そして、跡部景吾によるプロデュースで行ういろいろな活動のことが綴られている。
その、自分にとってなんだかとても遠く感じる内容に、弦一郎はどう返事を書いたものか迷い、そして迷っているうちにいくらか日数がすぎてしまい、結果、手紙の数が少なくなるのだ。
「少し、寂しそうだったぞ」
蓮二が、気遣わしげに言う。
しかし弦一郎の脳裏に浮かぶのは、芸術品のように美しい白塗りの顔ばかりで、寂しそうだという紅梅の素顔は、上手く想像することが出来なかった。