心に驕りなき時は人を教う
(二)
 跡部景吾は日本人であるが、基本的に、イギリスに住んでいた。
 なぜかといえば、跡部財閥が興った国こそ日本であるが、景吾の大叔母にあたる女性はイギリスの人で、なおかつ世界を股にかける大財閥“跡部”に、いわゆるはっきりとした本邸が存在しないからである。
 だから景吾は今の時点で五ヶ国語以上を流暢に話せるし、主に両親に連れられて様々な国に行ったことがある。しかしどの国にも跡部の“家”があるので、むしろどこかに“宿泊”する、ということのほうが少なかった。そのうえで、主にテニスを理由にして、拠点にしていたのがイギリスの家だというだけの話だ。

 多くの財界人がそうであるように、跡部家の人間は、芸術を愛する者が多い。
 その高いセンスによって有望な芸術家を見つけ出し支援する立場を取ることが多いが、自身が芸術家そのものとなる場合も少なくはない。
 画家や音楽家、ダンサー、俳優、デザイナー、コメディアン。世の中にはあらゆる分野の表現者が溢れており、跡部の人間の例に漏れず景吾も彼らを愛しているが、特別なお気に入り、となると、まだそれは見つけていなかった。
 だがいずれ、自分の“お抱え”や“贔屓”、あるいは“御用達”を持ちたい、とは思っていたし、それを見つけられるかもしれない機会には、なるべく積極的に参加していた。
 そんな時に大叔母から誘われたのが、フランス・パリで行われるという、日本の人間国宝、上杉紅椿らの、日本舞踊の公演であった。

 フランスは、芸術を愛する国だ。
 特筆すべきは、自国の芸術はもちろん、他国の芸術にも積極的に目を向け、興味を抱く傾向が強いところだ。中でも、日本、という国に対しての関心はひときわ高い。

 ──日本。
 景吾が国籍と苗字と名前を持ち、それなのに、物心ついてから、ただの一度もその地を踏んだことのなかった、小さな島国。
 地球が丸く、世界はどこも繋がっているのだと、この年齢でもって実感している景吾だったが、訪れたことのないかの国は、一番近いはずなのに、一番遠いようにも感じていた。
 だからその国の人間国宝、しかも日本といえばというとまず一番に上がる『芸妓』という職業でもあるという『上杉紅椿』の『日本舞踊』の舞台であり、しかも大叔母がその大ファンで、一緒に行きましょう景吾と言われれば、断る理由は何もなかった。

 そして、景吾が初めてこれだと思った“贔屓”が、そこで出会った上杉紅梅だった。

 景吾は天衣無縫と呼ばれる紅椿の舞にも十分に魅せられたが、その跡を継ぐという、自分と同い年の少女の舞を見て、彼女の後援者になろうと決めた。──この時、景吾も若干十一歳であったが。

 後援者というと金銭的な面でのイメージが強いが、本来はそれだけではない。贔屓の芸術家が活動しやすいよう、人脈や影響力によって貢献することも、後援者の仕事に含まれる。
 景吾はまだ少年であるが、後援者となるのに、なんの問題もない立場だった。むしろまだ若い、いや若すぎる彼が後ろにつくというのは、“裏のない後ろ盾”として好ましくありがたいと、『花さと』の女将も快く受け入れた。
 もし年配の大御所がやればどうしても下衆の勘ぐりが働く青田刈りも、同い年の、更にはまるで芸術品のように美しい少年がやるとなれば、半ばおままごとの延長のような微笑ましい健全さが交じり、下世話な想像力を働かせたほうが悪く思われる。──景吾の後援者ぶりがいくら本格的でも、である。
 景吾の生まれた世界では、若いというだけで軽く見られることは普通だ。しかし景吾はすでに、そのことを利用する術を心得ていた。

 そして、テレビ取材も来ていた、フランス・パリでの大舞台。財界人や各業界人の集まる中、景吾は上杉紅梅の後援者を名乗り、ファンクラブの設立を宣言し、巻き込めるだけの人を巻き込んだ。
 設立者であるので名誉会長は跡部景吾だが、会員ナンバー1は榊太郎で、活動の舵を太郎が取ることも多いという。
 跡部と榊の持つ人脈はかなりのもので、彼らがお膳立てした公演で、席が埋まらないなどということはありえない。結果、今、上流階級の人々の間で、上杉紅梅という少女がいわば“流行”のようになっている、と、彼女に対する恩もあり、家族ぐるみでファンクラブに入ったという友人・柳蓮二から、弦一郎は聞いている。
 そして、これを跡部と榊のお膳立てによるただの流行で終わらせるか、その人脈を自分のものとして太くしていくかは、紅梅次第だということも。

「俺としては、これと、これと、これだな」

 写真ファイルの中から、景吾は付箋を貼った数枚を指す。

 彼がどうして紅梅を“贔屓”にしようと思ったのか、それは彼にしかわからない。
 だが景吾はこうして、後援活動に非常に熱心だった。さらにはただ後援するだけでなく、グッズの制作、配布や販売、公演の開催など、もはやプロデュースに近いようなことまでやっているようだ。『花さと』も、それを好意的に受け入れているという。
 跡部景吾は基本的に大のお祭り好きで、自分自身のプロデュースにも常に余念のない男なので、こういう活動もまた好きで、そして何より向いているのだろう、と蓮二は分析している。
 そして弦一郎も、こうして彼の姿を目の当たりにして、おそらくその通りなのだろうな、とつくづく感じた。なんといっても、何やらとても生き生きしているというか、まるで水を得た魚のようである。

「ふむ。舞台写真だけなのか?」
 呆然としている弦一郎とは真逆に、積極的にファイルを覗きこんだ蓮二が言った。
「プライベートショットは今のところなしだ。最初こそ安売りは厳禁だろ」
「……なるほど。そうだな、紅椿の後継ということのアピールならこれだが、見習いならではの特別感を出すならこちらだな」
「わかってんじゃねえか」
 景吾は、満足そうに頷いた。
「いっその事、趣が違うのを三枚セットなどにしたらどうだ? いや、セットよりも一枚ずつ時期を空けて出したほうがいいか。あと、ロングショットとアップは両方入れるべきだろう」
 どこのマネージャーかマーケティング部長か、というようなことをすらすらと述べるデータマンの意見を、景吾はとても興味深そうに聞いている。とても中学生の会話とは思えない。

「なるほど、参考になった。おい、真田はどうだ」
「……何が」
「なにが、じゃねえよ。どれがいいかっつってんだ」
 ずい、と目の前に突き出されたファイル。そこに並ぶ写真に、弦一郎は顔をしかめた。

「……どれも変わらんだろう」
「張り合いのねえ男だな!」
 ほとほと呆れたという感じで、景吾は言った。まるで海外の映画俳優か、ディズニー・キャラクターのように抑揚溢れるリアクションである。その様に、やはり彼は日本人でも日本育ちではないのだな、と弦一郎と蓮二は感じた。

 全国大会直前、紅椿と紅梅の楽屋に実に珍妙な姿で現れた精市と、それに付き添うように現れた蓮二に景吾は驚いたが、それ以上に興味を持った。
 いま一番、そして初めて贔屓にしている舞手をわざとらしく外に連れ出そうとしたというのも気になったが、あの立海大付属の神の子とダークホースが、というのだから、興味をひかないほうがおかしい。
 そして崇弘に命じて様子を見に行かせた結果、二人が紅梅を連れ出した先にいたのが、三強ルーキーの残りの一人、神の子を龍とするなら虎とまで言われる真田弦一郎であったとあれば、もう事情を聞かずにはいられない。

 景吾は、後援者の立場を笠に着て芸者のプライベートを支配しようとするほど傲慢でも野暮でもないが、顔見せに来た後援者の自分を放り出して会いに行く相手が誰かということを知る権利はそれなりにある、と思っている。
 そしてイギリスでのテニスと、跡部家に生まれ、魑魅魍魎、古狸たちの黒い腹の底を読む術を磨いた結果手に入れた洞察力、見識力──眼力インサイトによって、紅梅よりも三人に聞いたほうがいいと判断した景吾は、車を待たせ、カフェで顔を突き合わせていた三人に突撃したのだ。

 そして、隠しても無駄、と蓮二が判断したことにより大まかの事情が話されたため、景吾は弦一郎と紅梅が文通をしていること、また年に一度会っていることを知っている。

「それにしても、どれもいい写真だ。カメラマンを雇ったのか?」
 やや機嫌の悪い弦一郎を宥めるためか、それとも単なる素か、写真を眺めながら蓮二が言うと、「いいや」と景吾は首を振った。
「三縁龍之介って写真家、知ってるか」
「ああ」
 蓮二は、頷いた。
 例によって姉・蓮華経由での知識だが、寺社仏閣などの建築物、自然風景写真、歌舞伎役者などの人物写真も多く撮り、どれも日本の文化を伝える作品であることが特徴の写真家である。学術的な知識も素晴らしく、その方面の著書も興味深い。国内はもちろん、海外でも高い評価を得ているという。
「三縁氏はもともと紅椿の大ファンだが、紅梅のこともかなり推しててな。公演には殆ど来て写真を提供してくれる。そのかわり、ファンクラブで使う写真はすべて自分の作品にしろとの仰せだ」
「ほう。だが、三縁氏なら願ったりなんじゃないのか」
「まあな。三縁氏だけじゃなく、会員証のデザインをやらせろとか、そういう申し出もあるな。大御所が面白がって、こぞって手を出したがってる──おい真田、どこ行きやがる」
「試合を見に行く」
 黙って背を向け、さっさとそこを離れようとする弦一郎に、景吾は眉をひそめた。

「まあ、待て、待て。樺地! ほらよ」
「む……」
 樺地が取り出し、景吾が受け取り、そのまま押し付けられたのは、ファイル──というより、こちらは美しい装丁のされた、薄いフォトブックのようなもの。表紙は美しい厚手の和紙が使われていて、金の箔押しで文字や模様が上品に施されている。
「入会特典だ」
「……入会しとらんが」
「サービスだ。受け取っとけ」
 弦一郎は微妙な顔をしたが、和紙の隙間からちらりと見える彼女の姿を目にすると突っ返すことも出来ず、黙ってそれを受け取ると、そのまま歩いて行ってしまう。

「警戒されているな、跡部」
 苦笑気味の、しかし柔らかい表情で言った蓮二に、景吾は「ふん」と鼻を鳴らした。
「さすがの俺も、あの女将の心の内まで読めねえ」
「ふむ?」
「藪をつついて蛇を出す馬鹿はしねえよ。そこまで野暮じゃねえしな」
 ついこの間まで日本に来たこともなかったというのに、景吾の日本語は流暢だ。御曹司らしくない、少し崩れた言葉遣いの発音は滑らかで、語彙も多い。これは稀有な才能だな、と蓮二は感心している。
 それにしても──

「……そうか。お前の眼力インサイトでも、女将の考えていることはわからんか」
「お前の“データ”でもか。怖ェもんだな、京女ってのは」
「まったくだ」

 蓮二と景吾は、揃って肩をすくめた。






 新人戦は土日の二日間でトーナメント戦が行われ、今日は一日目。テニス界では近年のジュニアは金の卵揃いだと沸き立っているが、その筆頭である精市や弦一郎、蓮二、景吾らのレベルならば、同レベルの者といきなり当たりでもしない限り、確実に勝てる試合しかない。
 だからこそ景吾はあのように、試合に関係ない話を平気で振ってきたし、弦一郎らも特に反発しなかった。
 今も、弦一郎は観客席の通路を歩きながら、そこで行われている試合を、さほどの真剣味もなく横目で眺めている。

 ──手塚国光は、新人戦にエントリーしていない。

 一年生はレギュラーになれないという青春学園の年功序列の伝統により、彼は元々、関東大会にすら出場していない。
 しかしだからこそ、個人戦のみが行われ、かつ一年生のみが出場できる新人戦には出てくるだろうと思っていたのに、彼は全国大会が終わってすぐ、ドイツのテニスアカデミーへ再度留学してしまったのだ。
 行き先は小学生の時に短期留学していたアカデミーだが、蓮二からの情報曰く、ほとんど先方から懇願されて呼び戻されたような形らしい。向こうで行われる大会に合わせての招集だったため、国光はこの新人戦に出場する代わりに、海の向こうの大会に出場する形になる。

 それを聞いた時、弦一郎は、がっかりすると同時に、遠い、と感じた。
 “神の子”である精市と張り合っている時もその高みの遠さに打ちのめされそうになることもあるが、彼は同じ県内に住んでいて、同じ学校に通い、いやというほど顔を合わせる、物理的に近い距離の間柄だ。
 しかし国光は、住まいこそ隣県ではあるものの、わざわざ訪ねに行くような間柄ではないし、日本の公式戦にはほとんど出てこない。同じ土俵に立つことすら出来ないもどかしさに、弦一郎はため息をつく。

 日本ではあまり一般的ではないが、海外なら、十四歳くらいからプロとして活動する者もいる。国光の実力ならば、海外に席を置いて活動することを決めさえすれば、最年少でプロになることも夢ではない、どころか、もうすでに具体的に有り得る話だ。
 だからこうして日本の学生公式大会に出場せず、海外からの招集に応じる姿勢を見て、プロになる最短の道を行こうとしているのか、と最初は思った。年功序列でレギュラーを決めるような学校に入ったのも、どうせ海外に行くのだから家から近いところに、ということなら納得も行く。
 だが国光は決定的に海外に行くわけでもなく、短期留学や大会のみの参加を繰り返すばかりで、日本から離れようとしない。

 どういうつもりなのだろうかとデータマン蓮二でさえ首をひねっているが、テニスをする者としては矛盾の有り過ぎる行動なのは確かなので、彼個人的な事情、もしくはなにか心のあり方の問題なのだろう。
 そしてそういうことならば、弦一郎らにできることはなにもない。来年は国光もさすがにレギュラーになるだろうから、関東大会、もしくは全国大会で戦う機会が出来る。それを待つしかないだろう、というのが結論だった。

 手持ち無沙汰になった弦一郎は、あまり人気のないところのベンチに腰掛けると、景吾に押し付けられたフォトブックを、ちらりと見た。
 紅梅のファンクラブに入るかどうか、一応蓮二にも誘われたが、やめておいた。彼は家族ぐるみで入会しているが、そもそも“跡部”に連なるような上流階級層が多く入会するような会になっていて、個人で払うとなると中学生にはつらい入会費であったし、そもそもあまり入りたいとは思わなかったからだ。

 そっと美しい和紙をめくると、さきほども見たような、舞台衣装を着た、白塗り化粧の紅梅の写真が数ページ。どれもプロが撮ったとよくわかる、“作品”と言っていい出来だ。
 どれも、とても美しい写真だった。人形師や絵師たちが望み、その手で創り出そうと生涯を賭ける理想の姿。ゆくゆくは国宝になる可能性もある、生ける芸術品。

 紅梅とは、相変わらず、手紙のやり取りが続いている。
 しかし、蓮華という見習いが入って活気づいた『花さと』で暮らし、また舞妓としての店出しはまだなものの、最年少名取の舞手として本格的な活動を始めた彼女が綴る日常は、多忙で、また以前とは全く違う意味で、弦一郎には馴染みのない世界だった。
 今までは、彼女の手紙を読むたびに、遠くに住んでいても自分たちの距離は変わらないのだと、むしろそう思うことが出来ていた。豪奢な衣装や化粧をして舞台に立っていても、どんな世界にいても、弦一郎の前で髪を振り乱してはしゃぎ、頬を膨らませて負け惜しみを言い、奇妙な声で笑う、自分が知っている彼女がそこにいるのだと、そう感じていた。
 だが、今は、違う。

 ──遠い。

 と、感じる。
 京都にいる彼女も、ドイツにいる彼も、とても、──とても、遠かった。






 新人戦は、まずシングルスにおいては、優勝、準優勝、三位入賞と、表彰台のすべてを立海大附属中学校が制するという結果になり、ますますジュニアテニス界と立海大付属に注目が集まる結果となった。
 言うまでもないことだが、一位が精市、二位が弦一郎、三位が蓮二である。ブン太とジャッカルは入賞こそしなかったものの良い線を行き、来年度の立海大付属のレギュラー候補としておおいに意識される結果となった。
 そしてダークホースである雅治と比呂士のペアは、三位入賞。初めてダブルスを組み、しかも比呂士はテニスを本格的にやり始めたのがつい最近ということを思えば、快挙というにも足りぬ快挙である。
 ちなみに一位はダブルスでは名門の山吹中学、南健太郎と東方雅美のペア、二位は青春学園、大石秀一郎と菊丸英二のペアである。

 新人戦のトップスリーを制覇したことから、三人に対する『三強』の呼び名はいよいよ確固たるものとなり、そして秋が過ぎ、年を越し、春。

──彼らは、中学二年生になった。
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BY 餡子郎
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