弦一郎さま
全国大会優勝、おめでとうございます!
決勝はテレビ中継されるとのことで是非拝見したかったのですが叶わず、蓮華お姉はんと二人で、ラジオで聞いておりました。蓮ちゃんや弦ちゃんが勝った時、そして立海大付属の優勝が決まった時は、二人で抱き合って喜びました。
本当は大声を上げたい気持ちでしたが、ただでさえ町家は隣のお家に音が筒抜けでございますので、叫びなどしたらなにごとかといわれます。蓮華お姉はんがいらして、本当によろしゅうございました。
九州、熊本はさぞ暑かっただろうと思います。本当に、お疲れ様でございました。
…………
翌日の朝刊でも、立海大付属の優勝が報じられていて、とても驚きました。全国大会ともなると、新聞にも載るのですね。写真は白黒で小さく、お顔などがわかりづらいのが残念でしたが、テレビ中継が見られなかったので、小さくても姿が見られて、嬉しゅうございます。こっそり切り抜いて取ってあります。
ところで、弦ちゃんと蓮ちゃんと同じく一年生でレギュラーになった幸村精市という方ですが、せぇちゃんのお兄さんだそうですね。蓮華お姉はんに教えていただきました。
新聞の写真では、似ているかどうかよくわかりませんでしたが、せぇちゃんと同じように、テニスの強い方なのですね。
…………
紅梅
弦一郎さま
暦の上では立秋でございますが、こちらはまだまだ残暑厳しく感じられます。体調など崩しておられませんでしょうか。
…………
仰るとおり、あの時控室においでになっておられたのは、以前から主に英語を教えて頂いている榊太郎先生と、以前のフランス公演でご縁が出来ました、跡部景吾様でございます。
確か手紙で、同い年なのに数ヶ国語が堪能な、青い目の、跡部財閥の御曹司と会ったと申し上げたと思うのですが、それが景吾様です。
ファンクラブについては、確かに景吾様が言い出したことで、太郎先生も、実際にいろいろしてくださいます。気恥ずかしいですが、いろいろな御縁を頂くきっかけになっており、非常に助けられております。
私共は直接の出演料やお花代も頂きますが、こういった方々のご祝儀や援助で成り立っているところがとても大きゅうございますので、芸妓としても、舞手としても、後援者を持てるというのは、とてもありがたいことでございます。
…………
それにしても、景吾様と弦ちゃんがお知り合いで、テニスで戦う間柄というのは、奇妙な御縁でございますね。
太郎先生はよくお座敷においでになりますが、景吾様はお舞台のお席にお越しになられるほうが多うございます。楽屋にも寄ってくださるのですが、その度、そちらのお話が聞けるのは嬉しく思います。
…………
紅梅
弦一郎さま
夏の気配が去ろうとすると同時に、秋がやってくる足音が聞こえて参りますこのごろ、いかがお過ごしでしょうか。
…………
秋の新人戦に出場が決まったとのこと、おめでとうございます。
とはいっても、全国大会で優勝したのですから、当然のことなのでしょうか。気合十分かと思いますが、怪我をなさらないように気をつけて練習なさってくださいませ。
しかし、一年生ばかりの大会というのも面白そうでございますね。私共にも、入門したばかりの方の発表会とか、舞妓になりたての方ばかりの舞台などがありますので、そのような風情でしょうか。
…………
さて、京都は紅葉の名所も多くございますので、これからまた観光客の方が増える時期に入ります。私も流派の発表会のほか、個人の舞台の予定も多くなってきたので、いっそうお稽古に励んでおります。
蓮華お姉はんは元々しっかり習い事をおさめていらっしゃり、時に私共京都の人間があまり知らない広い知識もお持ちで、お師匠様がたと専門的なお話をされていることも多く見かけます。
ふつうは一年ほど見習いをしてから店出し、舞妓としてデビューするのですが、蓮華お姉はんは半年くらいで店出しすることになりそうで、今からお着物や帯、飾り物などのお仕掛けの注文を始めております。
京都に、置屋に住む者としては私が先輩で、蓮華お姉はんも私を立てて色々聞いてくださるのですが、舞妓になるのは蓮華お姉はんのほうが早く、本当に「お姐はん」となります。
どんな舞妓名にするか、お母はんや式部お姐はんが相談していらっしゃいます。私も楽しみでございます。
…………
紅梅
・
・
・
──八月。
九州・熊本で開催された、日本中学・男子硬式テニス全国大会は、立海大附属中学校の優勝によって幕を閉じた。
立海大付属は今年で関東大会優勝十三連覇を成し遂げた、押しも押されぬ強豪校ではあるが、全国大会優勝は数年ぶりのことである。
その偉業は、「王者が帰ってきた」とも謳われ、しかもその要となったのが、一年生ながらにレギュラーとなった三人とあっては、話題にならないほうがおかしい。
関東大会以降、幸村精市・真田弦一郎・柳蓮二の三人は『立海のルーキー三強』と呼ばれ始めており、そして全国優勝を果たしたことで、その呼び名は確固たるものとなった。
次代の立海は、この三強が率いる──と。
また、三年生は全国大会が終われば引退となるが、一、二年生はそうもいかない。二年生は練習に加えて三年生からの引き継ぎに追われ、実力が飛び抜けていれば、秋の選抜合宿への召集がかかり、更に多忙の身となるのだ。
そして一年生の秋は、新人戦に出られるかどうかにかかっている。
新人戦は全国大会と同じように、まず各都道府県内でのトーナメントをし、その勝者が関東、関西、九州地区に進むが、全国一位を決めることはない。
しかし一年生を躊躇なくレギュラーに採用する学校のほうが少なく──、だからこそ一年生が三人もいて優勝した立海大付属は、大いに注目を集めたわけだが──、だからこそ新人戦は、一年生にとって公式戦で戦える数少ない機会であり、二年生でレギュラーになれるかどうかの基盤にもなる、重要なチャンスだった。
秋の新人戦の出場枠は個人枠のみ、各校シングルス五名、ダブルス二組の出場枠がある。立海大附属中学では、これも全国大会のレギュラー選抜と同じように一年生のみで総当り戦を行い、出場者を決める。
そして全国大会で優勝を果たした精市、弦一郎、蓮二の三人は当然出場枠に入り、三人共シングルスで戦うことになった。そのほかは、レギュラー選抜戦でもいい線をいっていた丸井ブン太、ジャッカル桑原のシングルス出場が決まった。
しかし、当然、順当という風情で決まったシングルス五名に対し、ダークホースとして注目を集めたのがダブルス出場枠、仁王雅治と、全国大会後からの中途入部の柳生比呂士である。
全国大会のレギュラー選抜戦で敗れてからというもの、仁王雅治はちょくちょく部活に顔を出さなくなり、しかし顔を出す時には、前よりも確実に力をつけていた。
どこか外のテニスクラブで練習でもしているのか、と言われていた彼は、全国大会翌月の九月、立海大付属ではかなり珍しい、中途入部者を連れてきた。それが柳生比呂士である。
いかにも激しくブリーチをかけた髪に、ひょろっとした体を猫背に曲げ、飄々としたつかみ所のない性格をした仁王雅治とは対照的に、柳生比呂士は、天然の茶色い艶々した髪を七三気味に分け、オーバル型の銀フレームの眼鏡を掛け、常に背筋をぴんと伸ばした、見た目からして健康健全、生真面目そうな人物だった。実際口を開いても、「仁王君、きちんとしたまえ」などと、きびきびと言う。
柳生比呂士は将来の職に医者を志望しており、また父親の影響で、部活はゴルフ部という名の打ちっぱなし部に、運動不足解消の目的で所属していた。
神奈川はテニスが盛んだが、山側に土地が余っているので、ゴルフ場も多い。だから一定以上の裕福層にはテニスよりもゴルフを嗜む者も珍しくないのだが、柳生家もそうであるらしい。
そういう、非常に堅実かつ些か年寄りじみた生活を送っていた柳生比呂士を、どういうわけだか、運動部の中でも最も本格的で、軍隊式とか、地獄の最前線などとまで呼ばれるテニス部に引っ張ってきたのが、仁王雅治だったわけだ。
二人はダブルス枠でエントリーし、そして文句なしに勝ち進み、新人戦の出場枠を見事勝ち取った。
まず中途入部であるということ、しかもいきなりのダブルスペア出場、さらに一見まるで接点のなさそうなキャラクターの組み合わせであるということで、このペアは立海大付属内外で注目を集めた。
ちなみにもうひと組のダブルスは、入部当初からダブルスを組んでいた堅実なペアだ。──が、仁王・柳生ペアのインパクトがあまりにも強烈過ぎたせいで、あまり注目されていない。気の毒なことである、と言う者もいないくらいに。
そしてそのせいか、神奈川県内トーナメントは、目立たないダブルスペア一組の脱落のみで、仁王・柳生ペアのダブルスとシングルス五人全員が、関東地区トーナメントの出場枠を手に入れたのだった。
「柳生は、非常に器用だな。実際の技術もそうだが、もっと根本的な意味で」
「どういうことだ?」
──東京会場。関東新人戦トーナメントでの、待ち時間。
相変わらずノートに何か書きつけながら言った蓮二に、黒い帽子をかぶった弦一郎は、首を傾げた。
「仁王はあのレギュラー選抜から、相当基礎を鍛えたようだ。“模倣”のプレイスタイルが形になっている」
蓮二の評価に、弦一郎も頷いた。
結局、仁王雅治は、“模倣”というやり方を捨てず、それどころか、基礎と地力を上げることで、それを確固たるものにしようとしていた。
「より完璧な、そして多彩な模倣は相手を非常に翻弄する。そしてそんな選手をパートナーに持つというのは、相当器用でないと務められることではない。ダブルスはパートナーの動きを常に把握できていなければ──息があっていなければ話にならないからな」
「……なるほど」
小学生時代、長らくダブルスをやっていた蓮二の言葉は説得力があり、弦一郎は深く頷いた。
確かに、くるくると変化するプレイスタイルは相手を翻弄するが、それは味方も巻き込む。いや、巻き込まざるをえない。
だから蓮二も、いや誰もが雅治は当然シングルス志望だろうだと思っていたので、ダブルスパートナーをわざわざ部外から連れてきてまでエントリーしたことに、かなり驚いたのである。
このように、立海大付属テニス部の中でも、突然出てきて新人戦の出場枠をかっさらったダブルスペアは、注目の的だ。そしてそれは、全国大会以降、“立海のルーキー三強”の名がすっかり定着した三人とて、例外ではない。
以前から、トリッキーな動きやフェイントが得意な仁王のプレイスタイルには、精市が「面白い」と言って注目してはいた。常に誰よりも強かった精市には試みる必要もきっかけもないスタイルなので、物珍しく、興味深く感じられるのだろう。
「確かに、柳生は器用だな。今までテニスを本格的にやっていなかったとは思えん」
弦一郎は感心を込めて言った。精市はトリッキーな雅治のプレイスタイルに興味を持っているが、弦一郎は、器用でありつつも正統派を極める比呂士のプレイスタイルに、なかなか強い関心を持っているようだ。
「いや、むしろ、テニスばかりではなかったからではないか」
「……うん?」
「調べたところによると、柳生は最もよくやっていたのはゴルフだが、毎年欠かさずスキー旅行に行き、スケートもできるし、ラクロスの経験もある。もちろん、テニスも。アーチェリーや射撃の経験もあるそうだ」
「そんなにか」
弦一郎は目を丸くした。多くのスポーツ経験自体は珍しくはないし、スキーやスケートはともかく、アーチェリーや射撃は、プレイする機会がある事自体が珍しい。
「主に専用の道具を使ったスポーツが得意なようだ。そしてどれも、総合力と集中力、冷静さが求められるスポーツだな。そして様々なスポーツを経験することによって、あの器用さが生まれたのではないだろうか。芸術方面にも造詣が深いようだしな」
「なるほど」
弦一郎は、非常に納得した、とでもいうふうに、深く数度頷いた。
「……そのあたりは、弦一郎も似たところがあると思うが」
「そうか?」
「風林火山は、あらゆる方面のプレイスタイルに対応するための技だろう。オールラウンダー中のオールラウンダーを目指すというのは、相当器用でないと出来るものではない。そしてその発想が出るということ事態、お前が器用だということだ。実際、剣道、居合はかなり本格的にやっているし、書道もだろう」
「……ふむ。確かに、集中力を養うのにそれらが大いに役立っているのは事実だな」
弦一郎は顎に手をあてて、少し黙った。
「道場に、弓道ができる方もいる。俺も少し基礎を習ってみるか」
そう言ってひとり頷いている弦一郎に、まあそれもいいが、そういう意味ではなく……、と蓮二は言いかけて、しかし苦笑したまま、結局何も言わなかった。
弦一郎は、本当に、非常に器用だ。しかしどこまでも単純で素直なのも、真田弦一郎なのである。
「よう。久しぶりじゃねーの、アーン?」
突然後ろからかけられた声──しかも一度聞いたら忘れられないその声に、弦一郎と蓮二は振り向いた。
後ろにある階段の少し高いところにわざわざ立っていたのは、わかりきっていたことであるが、氷帝学園男子硬式テニス部部長・跡部景吾であった。
さらに後ろには、景吾よりも背の高い──というより、大柄な少年が立っている。ユニフォームではなく私服なので、氷帝学園の生徒ではなさそうだ。
「……なんの用だ、跡部」
弦一郎の態度は険悪という程ではなかったが、友好的でもない。しかし景吾はまるで気にした素振りもなく、相変わらず王様のように尊大でありつつ、不思議と無礼さを感じない様子で言った。
「いや、ウチのジローが、そっちの……丸井っつったか、あれにやけに興味持っちまったようでな。一応、その挨拶だ」
律儀というか、面倒見のいいことである。
本人は部長なのだから当然と思っているのかもしれないが、そういうことを自然に出来るというのは、やはり生まれた時から人の上に立っている跡部財閥の御曹司といったところで、さすが一年生で部長として誰もに認められている所以であろう。
「ジローというと、芥川慈郎のことか」
さすがのデータマン・蓮二が言うと、そのとおりだ、と景吾は頷いた。
「立海の丸井ブン太……ボレーの得意な選手なんだろ? ジローもボレーヤーでな」
「対抗意識を持った、ということか?」
「立海らしい発想だな」
当然のように言った弦一郎に、景吾は少し笑った。
「まあ、それも間違いじゃねえみてえだがな。それよりは、感銘を受けたとか、そういう感じだ。ファンになった、とか言ってたぜ」
「ファン」
同い年の選手に対して、ファンになる、という感覚がよくわからない弦一郎は、怪訝な顔をした。
弦一郎にも、ファンだといえるような──もし目の前にいたら緊張して口もきけなくなりそうな作家などがいるが、それは、弦一郎に関わりのない世界であるが故である。
その証拠に弦一郎には、単に好きなテニスプレイヤーはいるが、それは同時に目標とか、いつか倒してみたいという意味合いであって、ファンというのとは少し違うように思う。
弦一郎が剣よりラケットを取ったのも、目の前に立つだけであがってしまう剣士はいても、テニスプレーヤーには、そういう存在がいなかったからである。
「……まあ、わかった。芥川慈郎だな」
「ああ。ちょっとばかし自由すぎるやつなんで、もしかしたら丸井目当てで立海に突撃する可能性もなくはない。その時はよろしく頼むぜ」
「手加減はせんぞ」
とんだ面倒を押し付けられた気もするが、芥川慈郎の目当てはブン太であろうし、仮にも新人戦に出場できる選手が道場破りよろしく殴りこみに来るのであれば、相手をするのはやぶさかではない──と、弦一郎は好戦的な笑みを浮かべる。
蓮二もまた、「芥川慈郎のデータか。なかなか有用なものになりそうだ」と乗り気である。
「ハッ! 望むところだ!」
だが景吾も、面倒見がいいわりにそのあたりは放任主義らしく、豪快に笑っただけだった。
「そう、それと、もう一件だ。──樺地」
ぱちん、と景吾がやたらいい音を立てて指を鳴らすと、樺地と呼ばれた少年が、「ウス」と小さく言って、ファイルを一冊取り出してきた。
景吾はそれを受け取ると、ぱらりと広げて二人に見せてくる。
「これが最終候補なんだが、どれがいいと思う」
景吾が広げたのは、白塗りの化粧に豪華な衣装、たくさんの飾りがついた日本髪を結った、一見日本人形かと思うような──しかし生身の人間、少女の写真だった。
つまり、
紅梅の舞台写真である。どう見てもプロが撮ったもので、どれもそのまま写真集の一枚なり、絵葉書なり、カレンダーなりにでもできそうだ。
「……何だ、これは」
若干の動揺を抑えつつ、弦一郎は潜めた声で言った。
「ブロマイドに決まってんだろ」
「ブロマイド、だと?」
「ファンクラブっつったらブロマイドだろ。俺のファンクラブの連中にも許可してる」
「お前のファンクラブのことなぞどうでもいい」
本当に死ぬほどどうでも良さそうに、弦一郎は言った。蓮二は「ふむ、噂の“跡部様ファンクラブ”のことか……」などと言いつつ、ノートに何か書き付けているが。
──あの日、『花さと』の女将・紅葉に聞いた通り、
紅梅には、ファンクラブが存在した。
舞妓や芸妓にファンクラブがあることについてはさほど珍しいことではないが、まだ店出ししていない見習いにというのは、彼女がすでに名取として、つまり舞踊家として舞台に立っているからだろう。
そしてその、
上杉 紅梅のファンクラブを創設したのが、この跡部景吾なのである。