心に欲なき時は義理を行う
(四)
「本屋で姿を見かけたので、声をかけようと思って、追いかけてきた」
と、蓮二は正直に言った。
弦一郎は特に怪訝そうでも、嬉しそうでも、鬱陶しそうでもなく、ただ少し驚いた感じで、「そうか」と言っただけだった。「全く気づかなかった」と付け加えた時も、素直に、そのまま思っていることを言った感じである。
そんな短いやりとりでも、彼に、いわゆる裏表がまったくないことがよくわかる。──だというのに、やはり同時に、彼には謎が多いのだ。蓮二はこれから収集できるであろう彼の“データ”に、密かにわくわくした。
店主に別れを告げ、二人揃って店を出て、なんとなく駅まで歩く。
「万年筆を使っているのか」
気になっていることをストレートに聞けば、弦一郎は、これまた真っ正直に、こくりと頷いた。
「ああ、入学祝いに家族がくれた」
「……珍しいな」
例えば大正・昭和の時代ならいざ知らず、いまどき入学祝いに万年筆とは。──しかも、中学の入学祝いに。
いちいち時代がかった言動をするとは思っていたが、もしや家族全体がこんな調子なのだろうか、と蓮二は“データ”から予想をはじき出す。
「そうかもしれん。……それで、お前は?」
「俺?」
「本屋にいたのか」
さきほどから、いきなり話しかけられて驚いた様子はあれど、いわゆる人見知りのような壁は殆ど感じない。
学校ではあれほど一匹狼のようなのに、実際の真田弦一郎は、礼儀正しくさえあれば、割と簡単にパーソナルスペースに他人を招き入れるタイプであるようだ。
「ああ、購読しているテニス雑誌がちょっとマイナーなものでな。取り寄せをお願いしていた」
「ほう? なんという本だ?」
予想通り、食いついてきた。といっても、自分たちくらいのレベルでテニスをしていれば、まず食い付くだろう話題だが。
「ドイツの雑誌だ。主に、最新のリハビリ方法やトレーニング方法などの紹介に力を入れている。ドイツのスポーツ医学は最先端だからな、参考になる」
「ドイツ……」
弦一郎は、少し、何か考えるような顔をした。
「……そんなものまで読んでいるのか」
「知識があると、実践の練習も捗るたちでね」
「それは、わからんでもない。……いや、待て、ドイツということは、ドイツ語ではないのか」
「そうだな」
「読めるのか?」
「辞書があれば、だいたいは問題ない」
専門用語が多い情報は、意外とその辺りは楽なものだ。蓮二がそう言うと、弦一郎は目を見開き、小さく二度頷いた。
「そうか……、凄いな」
その様子が、やはり本当に何の裏もなく、心底感心して言っているのがよくわかる様子だったので、蓮二は少し面映い気持ちになった。
彼が真っ直ぐな気性の持ち主だということはわかっていたが、こうも何の混じりけのないリアクションを示す性格は、少し珍しいのではないだろうか。悪意のある者に騙されないか、少し心配になるレベルだ。
「……もし興味があるなら、面白い記事があれば教えるが」
「いいのか」
「ああ、真田の意見も聞きたいしな。一人で読むより参考になる」
これは、本当のことだ。ただ与えられた情報を鵜呑みにしないのはもちろんのこと、自分では思いつかない理解や解釈などを交えたほうが、“データ”はより質が高く、有用なものとなる。
だがそんなことを説明しなくても、弦一郎は、「そんなことでいいなら」と、素直かつ単純に頷いた。
「それにしても、お前、よく俺に声をかけようと思ったな」
最初から壁らしい壁はなかったが、より気安くなった様子の弦一郎が言った。
「……どういう意味だ? 言っては何だが、神奈川ジュニア二位に興味が無いテニス部員はいないぞ」
「まあ、そうかもしれんが……」
弦一郎は、少し間を置いた。
「お前、幸村と仲がいいだろう。だからなんとなく、俺のことは苦手だろうと思っていた」
その発言に、蓮二はきょとんとした。
「確かに精市とは気が合うし、最近親しい方だと思うが……」
「いや、すまん、別に深い意味は無いのだが。ただ今まで、あいつに好感を持つようなタイプは、俺のことは敬遠するのがだいたいのパターンでな。逆も然りだが」
「そうなのか」
だがわかる気がする、と蓮二は頷いた。
二人は神奈川のジュニアテニス界においてセットで扱われることが多いが、その実、何もかもが正反対だ。容姿、性格、全体の雰囲気、そしてそのテニスも。
だからどちらかに好意を持てば、もう片方のことは苦手、という傾向が現れるのも、自然な事ではあるだろう。
「あいつは見た目優しそうだからな」
幸村精市をして、優しそう、という評価は多い。そして接してみても、優しい、という評価が殆どだ。
実際彼は基本的に親切で、物腰が柔らかく、植物や絵が好きで、ボランティア活動にも熱心だ。冗談も通じるし、幾らかの融通を効かせる柔軟さも持ち合わせている。優しいかそうでないかといえば、文句なしに優しいといえる人間だろう。
だが目の前の少年は、いかにも見た目だけはそうだがな、と言わんばかりの声色で、そう言った。
「確かに、精市の見た目は柔和だから、警戒心を抱かれにくいかもしれないな。しかし彼は実際親切だし、女子にも優しいと評判だぞ」
「女子には親切だろうな。あれは昔からそうだ」
蓮二のフォローも虚しく、弦一郎は、より呆れたような表情になる。そしてその表情は、弦一郎のことを話す精市とそっくりだった。
少なくとも彼は、精市の、ただ優しいばかりではない面を、おそらく誰よりもよく知っているのだろう。
「……まあ、言っては何だが、真田は先々週の一件があったから、興味はあっても話しかけづらいんじゃないか」
先々週の一件とは、もちろん、絡んできた不良たちを返り討ちにした件である。
「何だ、あれを知っているのか」
「知っているというか、見ていた」
「見ていた? それなら余計に、……本当によく話しかけようと思ったな……」
荒事に慣れていそうには見えないが、と言いつつ、弦一郎は、驚きと呆れの混じった目を蓮二に向けた。
「変なやつだな」
蓮二にとっては、言われ慣れている言葉だ。
しかしとても率直で、裏表のない驚きに満ちたその言葉には、嫌味の欠片も存在していなかったので、蓮二も、つい笑みが漏れた。
「そうかな。精市から、事前に色々聞いたからかもしれない」
「何を?」
ろくでもないことを言っているに違いない、と完全に決めつけた顔で、弦一郎は尋ねた。
「精市の鼻を折ったんだって?」
「ふん、大げさな。ヒビが入っただけだ」
弦一郎は、それがどうした、と言わんばかりに胸を逸らした。
「言っておくが、俺はあいつのせいで頭を四針縫ったのだからな」
そしてそう言ったその表情が、鼻を折られたと言った時の精市とやはり同じだったので、蓮二は駅で別れるまで、噴き出すのを堪えるのに苦労した。
一度きっかけを作ってしまうと、次に話しかけるのはとても簡単だった。
弦一郎は礼儀に厳しく、なにごとも完璧主義の傾向がある上に融通が効かないが、それを念頭に置いた上で接しさえすれば、とても気安い性格だったからだ。
しかも、弦一郎は融通が効かない代わりにどこまでも真面目で、それは誠実とも言い換えられ、信用に繋がる。そして勉強も出来、テニス部のシゴキを誰よりもよくこなし、さらに腕っ節も強いとなれば、信用に加えて信頼も持てるようになってゆく。
「なに蓮二、真田とも仲良くなったの?」
そして精市がそれを知れば、自然、三人でいる時間も出来るようになってきた。
「ああ、この間、偶然会ってな」
「ふぅん、よく話しかけようと思ったね」
驚いたような顔で精市が言うので、蓮二は笑う。
「同じことを真田からも言われたぞ。なあ」
そう言うと、並んだ彼らは、全く同じような、微妙な顔をした。
弦一郎が言った、精市と馬が合うなら弦一郎は苦手である場合が多く、その逆もまた然り──というのは事実だったようで、精市も、その通りだと頷いた。
そして、神奈川ジュニアの主席と次席として何かとセットで扱われ、家族ぐるみの付き合いもあるわりに、本人たちは、つるんで行動するような仲ではなかった。だから例えば一緒に遊びに行ったり、二人で寄り道をしたりといったことは、小学生時代を丸々一緒に過ごしたにもかかわらず、皆無なのである。
弦一郎と精市が今まで二人で行動しなかった理由は、二人でいるとその正反対さ故に何かと喧嘩になりやすく、しかも鼻を折るだの頭を縫うだのの怪我にまで発展しかねないからだ。
両方の保護者から、せめて病院沙汰にはしないこと、と言いつけられているものの、双方ともその自信がない。だから、最初からなるべく一緒にいない、というわけだ。
別に相手が嫌いなわけではないし、正直言えば尊敬できるところもあるとは思っているのだが、時々、死ぬほどいけ好かない時があるのだ、と、蓮二は全く同じそのセリフを、それぞれがいない所で、それぞれから聞いた。
だがそれが、どちらとも仲が良い蓮二が間に入ることによって、三人でいる時間が出来るようになった。
精市が蓮二を名前で呼ぶので、それがうつって、弦一郎もまた蓮二を「蓮二」と自然に名前で呼ぶようになるくらいには、三人で行動することが多くなったのだ。
ちなみに、この流れから、蓮二も弦一郎を「弦一郎」と呼ぶようにしたのだが、弦一郎と精市が、お互いを名前で呼ぶことはなぜか起こらない。
試しに蓮二が提案し、名前で呼び合わせてみたが、弦一郎は精市に「弦一郎」と呼ばれた途端に死体でも見たような顔をするし、精市は精市で、弦一郎が顎の関節の座りでも悪いのかという様子で「精市」と口にした途端、無表情で、やけに鋭いパンチを弦一郎のみぞおちに繰り出す有り様なので、もう何も言うまい、と蓮二は諦めた。
だがこうしてすぐに喧嘩になりそうになるのは相変わらずにしても、蓮二が理路整然と諭せば、二人共感情ばかりで暴れるタイプでもない。きちんと説明を聞けば納得して矛を収め、時に素直に謝罪もする。
「弦一郎、そういうわけだから、花粉症は鍛え方どうこうで改善されるものではないんだ。風邪なら、いくらかの予防策が取れないこともないが」
「む……、そうなのか。よく知らなかった。すまん」
「……まあ、真田はいかにも頑丈で、アレルギーとか縁がなさそうだもんな」
精市の花粉症に「鍛え方が足らんからだ、軟弱な」と弦一郎が言ってしまい、精市がキレた時も、蓮二が間に入って、このように何とか丸く収まった。
「しかし、そういうことなら、難儀なものだな。自分でどうにもできんというのは」
弦一郎は、心底同情した様子で言った。
あらゆる肉体的な面が頑丈で、風邪もろくに引かない鉄人遺伝子を受け継ぐ真田家の人間は、自分が殊の外頑丈であるため、少しでも体に弱い所がある者には、やや過剰なぐらい心配して気遣う癖がある。
「まったくだよ。俺、食べ物のアレルギーもちょっとあるしさ。あと、化学繊維にかぶれたりとか。なんか毎年増えてる気がするんだよね。嫌だなあ」
忌々しそうにマスクの奥で鼻水をすする精市は、目の周りも腫れて、その美貌もなかなか台無しになっている。
ふむ、と、蓮二は首を傾げた。
「生まれつき、抗体や免疫関係が少し弱いのかもしれないな」
そうこうするうち、弦一郎と蓮二のクラスに精市が遊びに来る、という形が定番になり、三人は仲がいい、ということが、すっかり周囲の認識になった。
そして真田弦一郎を苦手としていたり、そうでなくとも気軽に話しかけられないと思っていたクラスメイトたちの中にも、柔和な容姿と雰囲気の二人に安心するのか、会話に入ってくる者も出現する。
さらにそこで弦一郎が時代錯誤な言い回しや、少し頓珍漢な返答をしたりすると、ぽかんとした顔で「真田って、天然なのか」と言って、急に気安くなるタイプも出てくるようになった。
弦一郎は“天然”と称されるのが甚だ不満のようで、特に時代錯誤とか、現代に生きていないとか言われるのに納得がいかない様子だった。
流行りものの話題についていけない場面で特にそのようなことを言われるので、弦一郎はすっかり流行というものが嫌いになってしまったのだが、それもまた周囲の悪意のない笑いを誘うことに、本人は気づいていない。
「弦一郎、お前、前から思ってたけど」
普通は休日、立海大付属中テニス部は部活が半日で終わる、ある土曜日。
中学に入って初めて、友人を部活帰りにそのまま家に連れてきた弟に、こちらもまた休日の信一郎は、なんだかしみじみと言った。
「……面食いなのか?」
信一郎は、付き合いが長いくせに滅多に家に連れてこない弟の幼なじみと、初めて見るおかっぱ頭の少年を、まじまじと見た。
精市は相変わらず、神の子の二つ名がテニスに向けただけのものではないと思わせる美形っぷりであるし、もう一人の方も、日本人形のようなおかっぱ頭に違和感がないくらいに整った顔立ちである。その上、まだ中学一年生ゆえに身体も華奢で、女の子にすら見える。
いや、今でこそ弦一郎と同じようにいかにも部活帰りの格好だから男の子だとわかるが、ユニセックスな私服でも着ていたら、弦一郎が女の子を二人侍らしているようにも見えるかもしれない。
「……は?」
「紅梅ちゃんといい、きれいな子が好きなのかなと」
「何をわけのわからないことを。……ありがとうございます、義姉さん」
弦一郎は怪訝な顔をし、義姉の由利から麦茶とコップを受け取る。
そして、昼食ができたら呼ぶから来なさいと言う由利に揃って頭を下げて、三人は、ぽかんとした顔のままの信一郎の横を抜けた。
「……そろそろだと思うが、どうだ」
「そうだな、弦一郎の言うとおり、これ以上の退部者は出ないだろう。出るとしても、確率は3パーセントといったところだ」
「蓮二の“データ”は信用できるからなあ」
引っ張り出してきた折りたたみ式の卓袱台を囲み、弦一郎の部屋で、三人は頷きあった。
今日こうして部活帰りに弦一郎の家に集合したのは、新入部員をふるいにかけて厳選するための、とにかく厳しいばかりの地獄のシゴキにも慣れ、退部者のラッシュが治まってきたからである。
入学・入部からそろそろ二ヶ月にもなろうとする今、これから県大会に向けてのレギュラー選抜もそろそろだ。
そして立海大付属テニス部は、最初こそ時代遅れの根性論を押し付けて新入部員を扱き上げるが、それに耐えさえすれば、実力の上での年功序列をきっぱり免除されるという風潮がある。
つまり今度のレギュラー選抜戦、ブロック別総当たりリーグ戦で上位八名に入れば、一年生であろうと根性と実力を認められ、レギュラーとして県大会に出場できる。そしてそのまま勝ち続ければ、全国大会にも出場できるのだ。
弦一郎と精市が立海大付属中という学校を選んだのは、単にここがテニス強豪だからではない。強豪校ゆえの設備の豊かさや練習のレベルの高さはもちろんのこと、どこよりも厳しい代わり、強くさえあればチャンスが平等に与えられるというやり方を取っていたからだ。
ただ強くなることよりも短い中学時代の思い出づくりのほうが重要だとか、もしくはさほど根拠なく、単に経験が多いほうが強かろうと年功序列のルールを作り、大きな大会では三年生を中心にレギュラーとし、一年生はレギュラーになるチャンスさえ与えられない、という学校も珍しくない。
だが、立海大付属はそうではない。
だから弦一郎と精市はこの学校に進学することを決め、ここでテニスをすることを決めた。一年から、そして卒業までの三年間、無敗で三連覇を成し遂げてやるという、獰猛なまでの闘志のために。
「先輩たちのデータも全て取ってみたが」
蓮二は、手元のノートをぱらりとめくった。
何かがびっしりと書き込まれているが、実際はただのメモ帳だ。なにしろ、文字情報なら全て記憶できる蓮二である。五感で得た情報をノートに書き込み、一旦文字にすることで、頭にそれをインプットしているのだ。
いわば、コンピュータに、情報をタイピングで打ち込んでいるようなものである。あとは分析するだけだ。
「このまま万全の体制で挑めば、精市と弦一郎はレギュラーまちがいなしだろう」
「蓮二は?」
精市が、悪戯っぽい表情で言った。蓮二が、薄く微笑む。
「対戦相手次第、といったところかな。先輩たちの中でも特にパワー特化の部長と当たると、力で押し切られてしまう可能性がある。それに、同じ一年生でも侮れないのは結構いるぞ」
「……ジャッカル桑原か?」
弦一郎が名前を上げたのは、まさにその名前から分かる通り、ブラジルと日本のハーフの部員だ。
濃い色の肌に、日本人よりは断然彫りの深い顔立ち。日本人とはまた色合いの違う、真っ黒い髪をしている。そしてその血筋故か、弦一郎とともに、一年生への地獄のシゴキを初回から乗り切った人物でもある。
「ああ、彼は有力だな。テクニック面ではまだまだ物足りないところが多いが、とにかくスタミナがあり、身体能力については天性のものがある。大概の持久戦なら、彼に分があるだろう。メンタル面についてはデータ不足だが、人当たりもいいし、生まれ育った国を離れてテニスをしているのだから、人並み以上ではあると思われる」
蓮二が言うと、弦一郎と、そして精市も、納得して頷いた。容姿もあるが、最初からあのシゴキを乗り切ったため、彼はなかなか目立つ存在である。嫌でも注目するというものだろう。
「あとは、彼と同小学校出身の、丸井ブン太だな。今は体力づくりのメニューばかりでラケットもろくに振らせてもらえないから目立たないが、あれはかなりのテクニックの持ち主だぞ」
「丸井……、確かあの、少し小柄な、赤い髪の?」
弦一郎が、視線を巡らせ、記憶を手繰るように言った。
「そうだ。その上、最初のシゴキにこそついていけていなかったが、練習で吐こうと倒れようと食欲だけは失わなかった、というのもあるかもしれないな。テクニックがある上に、体力づくりの結果が、かなり顕著に現れている。油断すると危ないぞ」
「ふむ……、当たらなくとも、試合を見られるならば見ておこう」
真剣な表情で、弦一郎が言った。
「俺もそうするつもりだ。もし俺が見れないようであれば、弦一郎か精市、どちらかが丸井の試合を見ておいてくれないか?」
「わかった」
「うん、そうしよう」
二人が、快く頷く。
「他に、注目しておくべきなのは?」
「そうだな……、錦先輩あたりか。オールラウンダーとして、無難だが堅実な選手だ。そしてその分、隙がない」
「錦先輩か。確かに、あの人はレギュラー入りだろうな」
錦というのは、二年生で、弦一郎ら一年生を最も身近で監督する役割を任せられている一人でもある。面倒見が良く、人当たりもいい。基礎がしっかりしているため教え方も上手いので、彼を慕う一年生は多かった。
とはいっても、彼も地獄の最前線、立海大付属中テニス部の一員、しかもレギュラー経験もある選手なので、その厳しさに変わりはない。
「うーん、だよね。正直、部長よりは錦先輩だと俺も思うなあ」
部長はどっちかって言うと力押しだからなあ、と、精市が苦笑して首を傾げる。
「ま、その力押しで来られるとやばいくらいの力ではあるけどね」
「そのとおりだ」
蓮二が頷いた。
「特に精市、お前は花粉症があるからな。今のところ、レギュラー選抜の頃には花粉もだいぶ収まっているだろうが、油断はしないように」
「うん、正直懸念はそこなんだよね……」
ははは、と乾いた笑いを浮かべて、精市は卓袱台に額を付けて突っ伏した。
「あとは……、仁王雅治か。注目というか、あまりにもデータがない」
「データがない?」
お前が? と、弦一郎が、驚きの混じった、怪訝な顔をした。蓮二が頷く。
仁王雅治は、背丈こそチビではないが、おそらく新入部員の中では最も細身で、体力に乏しい。地獄のシゴキで弱音は吐かなかったもののしっかりゲロは吐いたし、何度気絶したか知れない。その体力に見合って肌もかなり白く、髪を銀だか白だかに染色しており、余計にひ弱そうに見えた。
スポーツマンというよりは、断然、軽音楽部でギターでも弾いている方が似合う。そんな彼が最後までシゴキに耐えるなど、誰も予想していなかったくらいである。
本人が殆ど喋らない上に、友人らしい友人もいない。
更に神奈川出身ではなく、他県の小学校にいたようなので、まったくデータが集まらない、と蓮二は言った。
「というわけで、俺が持っているのも、“今”の彼のデータのみなわけだが……。まず、体力面は多少改善されはしているものの、ますます痩せているくらいだから、丸井とは比べるまでもないな。テクニックはそれよりあるし、標準よりかなり器用ではある。が、こちらも丸井ほどではない」
「じゃあ、大したこと無いんじゃないの」
「だが錦先輩から2ゲームも取った」
蓮二が言うと、弦一郎と精市、二人が揃って、軽く目を見開いた。
「実際の試合を見ていないのでなんとも言えないが、聞いたところによると、試合はワンセットマッチ。最初は勝負にもなっていないようだったが、突然仁王が押し始めたそうだ。スタートが遅かったから、結局試合は6ー2で負けたがな」
「……不気味なやつだな」
「ああ。だから、油断はするな」
蓮二の忠告に、二人は素直に頷く。
そしてその時、ちょうど昼食だと呼ぶ由利の声がしたので、育ち盛りの少年三人は、空きっ腹を抱えて立ち上がった。