心に欲なき時は義理を行う
(十三)
 七月中旬、夏休み開始直前に開催された関東大会にて、立海大附属中学校は、県大会に続いての優勝をおさめた。

 さすがは関東大会、他の学校にも侮れない選手は点在し、例えば手塚国光が入学したという青春学園の部長・大和祐大はかなりの実力者で、S1で精市と接戦を繰り広げた。いや、これは大和が勝つのではと誰もが思っていた所であちらの様子がおかしくなり、精市が勝利した。
 故障を抱えているのでは、と蓮二は予想している。彼は三年生、これから先対戦の機会に恵まれる可能性は低いが、いかに相手の裏をかくか、広い視野で戦術を組み立てる能力に長けた彼のテニスは、蓮二にとっても興味深いものだった。
 また、あの手塚国光がなぜ青学などに、とぶつくさ言っていた弦一郎は、大和祐大と精市の試合を見て、青学侮れぬと言いつつも嬉しそうだった。自分の中で、何か納得がいったのだろう。
 結局、青春学園は関東大会四位という成績をおさめた。

 他にも、一年生ながら部長となった、大財閥の御曹司にしてイギリスのジュニアテニスで腕を磨いていたという跡部景吾率いる氷帝学園、ダブルスでは頭ひとつ突き抜けたノウハウを持つ山吹、数少ない公立でありつつも古豪といわれるほどの実力を持つ六角などが、関東大会でしのぎを削った。

 しかし、立海大付属の死角の無さは、やはり群を抜いていた。
 ベテランの様相で堅実な勝利を収めていく二、三年生、初めて県外の相手ばかりと戦うのだから、といつにもまして熱心に練習し、三人で弱点を潰しあってきた一年三人らの勢いは凄まじく、結局誰の追随も許さず、優勝台へ上った。
 圧倒的な力を見せつけた立海大付属への注目度は一層強くなり、そして彼らは、いよいよ全国、──五年ぶりの全国優勝を目指して動き出した。






「弦一郎、例の日の予定だが、どうするんだ?」
「ああ、うむ。……今年はあいつも舞台に出るので、来るのも前日だ。今までのようにうちに泊まりに来るのはさすがに無理であるし、舞台のあと、楽屋に行くつもりだ」

 全国に向けてなおいっそう真剣味を増した練習の後、蓮二がそっと弦一郎を呼び止めて尋ねると、彼もまた、少し潜めた声で、しかしどこか嬉しそうにそう答えた。

 例の日、というのは、毎年東京で行われる公演の日のことである。
 全国大会からちょうど一週間前の日曜日で、練習が午前中だけであるのを幸いにして、二人共、時間ぎりぎりではあるが、席に座れることになったのだ。

 また、弦一郎に向けるほど頻繁ではないだろうが、紅梅は蓮二にも手紙を寄越すようになった。
 最初の一通は柳家一同様宛、二通目は蓮華との連名宛であったが、次からは“柳蓮二様”宛になっていた。
 内容は様々だが、彼女からの手紙は興味深く、文章もうまいし、字も風流だ。そこいらの雑誌を読むよりは有意義な知識やデータを収集することができ、読み応えがあるので、文字を愛する蓮二は、彼女の手紙をすっかり楽しみにしている。
 そのやりとりを家族も知っていて、兄妹のようと評されたこともあって、仲が良いこと、とほのぼのと好意的に見てくれているが、まさか先日が初対面だとは思うまい。
 そのことも含めて、蓮二は紅梅とのやりとりがなかなか楽しい。紅梅もまた、弦一郎の話ができるのが楽しいのが、文面からとくと伝わってくる。

 そう、彼女の手紙の半分くらいは、弦一郎の様子を伺う内容だ。
 しかし、弦一郎が学校でああしたこうしたと書くだけで、滅多に知れぬ京花柳界の奥の話やほか様々な伝統文化の話が聞けたり、絶版になっている古い本の都合を当たってもらえたりもするので、蓮二はせっせと弦一郎の“データ”を紅梅に流している。

「そうか。紅椿殿の舞台ということで姉は今から大騒ぎだが、俺はおが舞うのも楽しみだな。……弦一郎は、彼女の舞台を見たことが?」
「舞台で舞うのを直に見たことは、ないな。うちで練習しているのは何度か見たが」
「ああ、そうか、松廼羽衣……」
 蓮二が言うと、うむ、と弦一郎は頷いた。今も彼が時折ひとりで伯龍を演じるあの舞を教えた天女が誰なのか、蓮二はもう、もちろん知っている。
 全国大会では『林』を披露できそうな弦一郎の伯龍は、あの時よりもやや熟れて、滑らかになっているようだ。

「蓮華姉上は、この公演で京都に行かれるのだったか」
「ああ、おと一緒に京都に行く」
「そうか。めでたいことではあるが、寂しくなるな」
「俺よりも、父がな……」

 蓮二は、苦笑した。
 あの一件からというもの、今までの関係が嘘のように、いや、今までを取り戻そうとするように、父と娘は仲良くなった。
 ほとんど家にいなかった父は定時きっかりに帰ってくるようになり、遅くまで蓮華と話をし、休みの日には、なんと二人で連れ立ってどこかに出かけたり、もう時間が残り少ないのだからと、有給まで取って出かけたりもした。軽く晩酌をしながら、「明日は娘とデートなんだ、羨ましいだろう」と同僚に電話で自慢しているのさえ見た。
 携帯電話の待受が蓮華と蓮二の小さい時の写真であるのにも驚いたが、それは前からであるらしい。──知らなかった。データ収集不足だな、と蓮二も反省した。

 あのぶんなら、蓮華が京都に行ってしまう日は、きっと大層な落ち込みようだろう。
 しばらくはしょんぼりしているだろうが、しかし、蓮華と仲直りしたことで蓮二との関係も良くなっており、「お前もなにかやりたいことがあるなら言いなさい」と言われたし、義母もいる。
「まあ、二人で寂しさを味わって、今度は俺と父の仲を深めることにするさ」
「それはいいことだな」
「父や祖父母も一度会ってみたいと言っているし、いつか泊まりにでも来てくれ」
「ありがとう。そのうち呼ばれよう」



 ──そして、公演前日。

 リハーサルのために紅椿らが前日に上京するのは、決まっていたこと──つまり紅梅が今まで毎年三日前に来ていたのは、本当に真田家に行くためだけだったわけである──だが、紅葉女将がそれについてきていたのは、全く予定外のことであった。
 蓮二だけは練習でその場にはいなかったが、蓮華が急いで携帯電話で連絡してきたのである。弦一郎と紅梅の文通と年に一度の逢瀬について知っている数少ない者である彼女は、「どうしよう、このままだとおちゃんと弦一郎くん、会えなくなっちゃう」と、潜めた涙声で言ってきた。

 蓮二にとっても、これは予想外だった。

 そもそも女将はあまり足腰が強くないらしく、遠出を好まない。それに単純に置屋の経営があるため、紅椿が行う各地での舞台に付き添うこともめったにない。
 この東京での夏の公演にもついてきたことはないのに、今回に限ってなぜ、という問いには、電話を代わった紅梅が教えてくれた。

《──なんや、ギリギリになって“アテも行く”言わはってなァ》

 久々にうちに来る仕込みさんを迎えに行くんやから、と言われれば、しょうがない。と、紅梅は不思議と落ち着いた声で言った。悲しそうでも、ましてやイライラしている風でもなく、おっとりとした、苔に染みこむ水のように静かな声だった。
「確かに、理由としては不自然ではないが……」
 だが、と、蓮二は脳をフルスピードで回転させて、インプットされた“データ”を洗いなおす。

 半世紀以上を生きている、笑面夜叉の代表格、京女の中の京女。老舗置屋の女将の本質などとても読みきれぬが、それでも、蓮二はなんとかひねり出した確率を見つめる。
(もしや女将は、弦一郎のことを知っているのでは?)
 そして紅梅の文通相手が“真田せい子”という女子ではなく、子息であることを勘付いているのではないか、というのが、蓮二が弾き出した予想だった。
 そうでなければ、紅梅の服装、行動、言動、交友関係、ほとんどすべてを把握し管理しているという彼女が、“真田せい子”などという胡散臭い謎の人物のことを突っ込んで聞いてこないのはおかしいし、今回こうしてギリギリになって同行してきたのも、紅梅を弦一郎に会わせないための牽制だとしたら、──辻褄は合う。とても。

《なんとか抜けだされへんかなァて思たんやけど、どうも難しゅうてな》
「どうしても、無理か」
 蓮二が懇願するように言うが、紅梅からの返事は、うーん、という、困り顔の苦笑が見えるような声だけだった。
《あのなァ。急なことやから、弦ちゃん、このこと、知らんの。そやから、蓮ちゃん……》
「……わかった。弦一郎には言っておく。一応、確定ではないとも……」
《うーん……、どやろか》
 粘ったことを言う蓮二だが、紅梅の返事はやはり芳しくない。
 そんなに女将は、紅梅にべったりなのだろうか。だとしたらやはり、女将が弦一郎のことを知っている可能性が高い。

《そんでな、蓮ちゃん、ちょっと頼みがあるんやけど》
「何だ?」
 恩人の頼みである。出来うる限りのことを引き受けるつもりだったが、紅梅の頼みは、とても些細なものだった。
《うちな、毎年、弦ちゃんにお守り渡しとるん。今年も持ってきたよって、蓮ちゃん、代わりに渡しといてくれる?》
「……わかった。お前たちが、どうしても会えないようだったら」
《うん……、おおきに》
 会えないようだったら、としつこく言った蓮二に、紅梅はまた苦笑したようだった。
《ほな、明日》
「ああ、明日……」
 電話を切ってから、蓮二はひとつ息をつく。そして更衣室に戻り、着替え終わろうとしている弦一郎に、そっと声をかけた。



「……そうか」

 事情を聞いた弦一郎は、まず少し目を見張って驚き、そして紅梅と同じように、悲しむでもなく憤るでもなく、ただ静かにそう言った。
 だが、もうすっかり夏の日が沈んで暗くなっている校門前で、弦一郎は黒い帽子のつばを引っ張り、少し深めにかぶり直した。
「わかった。仕方がないな」
「……弦一郎」
「お前は会えるのだろう、蓮二」
「ああ」
「では、ひとつ頼みがあるのだが……」
 そう言うと、弦一郎は、肩に背負っていた黒いラケットバッグを下ろした。そして、いつも金具に括り付けてある、ラケットバッグに溶けこむような黒いお守りを外し、蓮二に差し出す。

「……お守り」
「毎年、あいつからな。これは去年もらったもので、いつも新しいものを貰う代わりに古いものを渡して、向こうの天満宮に返上してもらっている」
 ついさっき聞いたので知っている、とは言わず、蓮二は少しぼんやりした風に、弦一郎が差し出す、小さな黒い布袋を見た。
「一年世話になったお守りだしな。全国大会前に不義理をしたままなのは、縁起が悪かろう。あと、もし今年も紅梅が新しいのを持ってきていたら、受け取ってきて欲しい」
 もし、と弦一郎は言ったが、蓮二は彼女が新しいお守りを持ってきていることを、つい先程知ったところだ。
 だが蓮二はそれを言わず、秀麗な眉をひそめた。
 お守りを受け取ろうとせず、黙りこくって眉をひそめた蓮二に、弦一郎は、不思議そうな顔をしている。

「弦一郎、お前、悔しくはないのか。年に一度しか会えないというのに、それが……」
「それは……、まあ、残念ではあるが。しかし、仕方がない」

 その声色や苦笑の表情に、蓮二はついさっき電話口で聞いた、紅梅の様子を思い出し、更に眉をしかめる。こうして本人たちはあっさり現状を受け入れようとしているが、蓮二はどうしてもやるせなかった。
 彼らはお互いの声も聞けず、手紙だけでやりとりをし、それでも首元の着こなしの機微まで知っている仲だ。物語のようなその様子を、蓮二は二人の間に立って、ここ数ヶ月見てきた。

 細い糸で辛うじて繋がっているような、密やかな、物語のような彼らの関係に、蓮二は好感を持っている。──いや、憧れている、と言っても良かった。

 今回仲直りをして、その本質が悪いものではないことが明らかになったとはいえ、蓮二の父が二度の離婚をし、三人目の妻を迎えている、というのは事実である。
 父たちにも事情があったということは、理解している。それでもやはり、蓮二は父のように結婚までした伴侶が何度も代わるような様子より、祖父母のような、老いてなお連れ添っている夫婦のほうが、どうしても好ましい。

 いや、それ自体は一般的な感覚であろう。しかし実は、あの父の子であるということもあって、蓮二は、なんだか、ちゃんと恋愛が出来る自信があまりないのである。
 ──とはいっても、“データ”とテニスにかまけて初恋もまだのうちから余計な心配だ、というのも自分でわかっているだけに、誰にも言ったことはないが。

 人間というものはいくらデータを取っても完全には推し量りきれないもので、だからこそ興味深く奥深い、と重々感じているものの、いざ自分が正面からぶつかるかと思うと、なんだか腰が引けてしまうのだ。父が蓮華の母や蓮二の母とちゃんと話し合うことができずに別れてしまった気持ちも、正直理解できてしまっているほどに。
 だからこそ蓮二は父に対して姉のように不満を募らせたりしなかったし、人に対して真正面からぶつかっていける姉を羨ましく思い、そして尊敬している。
 そんな蓮二にとって、テニスを介したりもしたが、真正面からぶつかって友達になれた精市と弦一郎は、特別な友達だった。

 ──そして、ぶつかるでもなく、馴れ合うでもなく、ただそっと寄り添ってお互いを感じているような弦一郎と紅梅の関係は、理想的ですらあった。
 この平成の世でロミオとジュリエットのような障害があるのも承知だが、だからこそ余計に、このままずっとうまく行って欲しい、と勝手ながら思っていたのである。

 それに、彼らは姉の恩人で、すなわち蓮二の恩人でもある。父との仲を改善できたのも、今回の一件があったからこそだ。

「──すまない」

 蓮二は、俯いて言った。
「俺が仲介を頼まなければ、こんなことにはならなかったかもしれない」
「何を言っている。そんなことはない」
 弦一郎は、強い調子で否定した。蓮二が顔を上げると、紅梅と会えなくなったと知った時は全く顰められなかった眉が、これでもかと寄せられている。口はへの字だった。
「ばかばかしい。くだらんことを言うな」
「くだらなくはないだろう。お前たちは、一年に一度しか」
「そういうことを言っているのではない。良かれと思ってやったこと、しかも終わったことをぐだぐだ言うな。俺にも紅梅にも失礼だ」
「しかし」
「しかしも案山子もあるか」
「古い」
「うるさい」
 時代遅れだの古いだの言われるのにうんざりしている弦一郎は、ぶすくれた。なんだかそれがおかしくて、蓮二はほんの少しだけ笑った。
 そのせいか、弦一郎がまとった怒気も、ふっと柔らかくなる。

「……確かにあいつに会えなくなったのは残念だが、来年もある。それに、手紙が途切れるわけではないのだ。俺は、お前とお前の家族の役に立ててよかったと思っている。きっとあいつも同じように言うだろう」

 確かに、紅梅は弦一郎と同じように、僅かに残念そうにしただけで、嘆き悲しんだり、取り乱したりはしなかった。ただ、二人揃って、お守りを代わりに渡してほしいと、些細な頼み事しかしなかった。
 ぶつかり合うでもなく、べたべたと依存しあうのでもなく、ただお互いを感じて寄り添い、僅かな思いを与え合い、相手を受け入れ理解しているそのさまは、もはや惚気ですらない。絆と言っていい、と少なくとも蓮二は感じた。
 そして、そんな二人だからこそ、──やはりうまく行ってほしい、と蓮二はあらためて強く感じた。

 弦一郎は紅梅を菩薩に例えたが、その例えで言うと、弦一郎は明王に似ている、と蓮二は思う。
 菩薩も明王も同じ仏であるが、菩薩がひたすら優しく柔和な姿で衆生を救おうとする慈悲と慈愛の象徴であるのに対し、明王は怒りによって相手を屈服させ、厳しさと激しさでもって衆生を導く憤怒の象徴だ。いうことを聞かぬのなら実力行使で親切を押し通す明王の様は、弦一郎と本当によく似ている。
 しかし、やり方も佇まいも全く正反対だが、別け隔てなく衆生を救い、導こうとする姿勢は、菩薩も明王も同じものだ。

 そして蓮二は、両方に救われ、恩がある。
 ──大事な友人に、報いなければならない、とも思っている。

「……弦一郎。それは、まだ持っていてくれ」
「なに?」
「いいから」

 口で言うだけでなく、蓮二は、お守りを持った弦一郎の手を、手でぐっと押し返した。
 いつになく強い調子を見せる蓮二に、弦一郎が怪訝な顔をする。しかし蓮二は何かを決意したように背筋を伸ばし、まっすぐに弦一郎を見た。

「この柳蓮二、友人に恩を返さぬ男ではないぞ!」

 ぽかんとしている弦一郎に、「明日はそのお守りを忘れずに持ってこい」とだけ言い、蓮二は彼に背を向けて走りだした。
 走りながら一瞬、ポケットにある携帯電話を手に取ろうかとも思う。
 しかし、友人に大事なことを話すときは直接正面から、といういつかの姉のアドバイスを思い浮かべ、蓮二は駅に走った。

 ──行き先は、湘南。






「どうしたの、蓮二」

 湘南の海がよく見える、少し丘のようになった一等地に建てられた、近所でも有名な豪邸が、幸村家である。
 約束もなくいきなり、しかも部活帰りにそのまま訪ねてきた蓮二に驚きつつも、家族とともに、彼は蓮二を迎え入れてくれた。
 ちなみに、幸村家の家族構成は精市の両親と祖母の四人家族であるが、母親はお腹が大きくなりはじめていて、精市の弟か妹がそこで育っている。

 最近、弦一郎と蓮二が二人でこそこそ話し合っているのを知っていながら、精市はそれについて、無闇に首を突っ込んでくることはない。最初に蓮二に導きを与えてくれたのは精市であるし、除け者にされていると感じてもいいような状況なのに、彼はただ静かに二人を見守るようにしているだけである。
 どころか、二人がなにか話したそうにすると、にこりと笑って席を立つ気遣いも見せる。今日とて、いつもは一緒に駅まで帰るところを、蓮二が紅梅のことを話したそうにしたのを素早く察して、「先に帰るね」と言って、彼はここにいる。
 最初の頃は、実は気を悪くしているのではないかと思ったが、彼は正真正銘、何も気にしていないようだった。そして蓮華のことがうまく行ったと結果だけを伝えると、「本当に良かった」と心から喜んでくれた。

 精市のこの、見た目に反して実に男らしくさっぱりしていて、傍若無人なところもあるが肝心な部分でしっかり優しいところが、蓮二はとても好きだし、尊敬すべきところだと思っている。

 夕飯前にお邪魔して申し訳ありません、と精市の家族に礼儀正しい挨拶と詫びを入れて、蓮二は精市とともに、彼の部屋に行く。
 そして二人で向かい合って座るなり、蓮二は勢いよく、そして深く頭を下げた。精市がぎょっとする。
「は、ちょっと、何、蓮二」
「精市。このとおりだ」
「え?」
 呆気にとられている精市に、蓮二は顔を上げて、彼の顔を真正面から見た。切れ長の目はこれ以上なく真剣で、薄めの唇は引き結ばれている。
「お前を男と見込んで、頼みたい」
「うん。何?」
 これはただごとではなさそうだ、と察した精市は、ソファに座り直し、真剣な面持ちで蓮二に向き直った。

「──女になってくれ」
「どういうことだよ」

 真顔のまま、精市は蓮二に突っ込みを入れた。
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BY 餡子郎
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