心に欲なき時は義理を行う
(一)
弦ちゃんへ

こんにちは。その後、お変わりないようで安心いたしました。
確かに、今回は、去年と違ってどこにもお出かけしませんでしたが、とっても楽しゅうございました。
それに、私のできることが、弦ちゃんの助けになったのなら、とても嬉しいです。日舞が弦ちゃんのテニスのヒントになるなんて、まったく想像もしていませんでした。
無理に舞扇などを買わなくても、普通の扇子でもいいと思います。負荷をかけたいのなら、例えば扇子の先に少し錘を付けるとか、それこそテニスラケットを使ってもいいかもしれません。

 …………

お舞の先生、でなくてもお舞の良し悪しがわかる方にお稽古を画面と実際の動きを見比べていただくのが一番いいのですが、例えば自分の踊るのをビデオで撮影してあとで見比べる、というのでもよろしいかと思います。私も、自主練習の際は、この方法でお稽古をしております。

演目ですが、手首の柔らかさを学ぶのならやっぱり女舞がよいのですけれど、弦ちゃんなら、『助六』などやっても格好いいな、と想像します。

 …………

『林』の完成、応援しております。

紅梅より
弦ちゃんへ

あけましておめでとうございます。

 …………

紅梅より
弦ちゃんへ

遅れまして、弦ちゃんと同い年になりました。
ちょうど北野の梅花祭の日でもあります。

 …………

揉めに揉めて、私立の、舞子坂中学に進学することになりました。
お母はんは、私が一般的な勉強をするのを無駄だと思っていらっしゃるようです。さらに、公立よりもお金を使って通う学校となれば、ますます無駄だということでした。
時代だと思いますが、お母はんも紅椿も学校は殆ど行ってらっしゃらないそうで、それを踏まえて、私も中学を卒業してすぐ舞妓になるのだから、必要ない、という理由です。

私としては、学校の勉強は嫌いではないですし、お稽古の息抜きになるのでやりたい、と申し上げましたら、贅沢だと言われました。残念です。
結局私が学校の勉強をすることにあまり理解は得られませんでしたが、舞子坂は“伝統文化特待生”という制度があり、なおかつ歌舞伎や能の家元のご子息などもよく通うところで、舞台やお稽古でおやすみしてもある程度融通をきかせてくださる、というのが決め手でした。
あと、通学に時間がかからないところも大きいです。歩いて参れますので。

 …………

舞子坂の制服はセーラー服なので、それは少し楽しみです。
制服ではありますが、毎日洋服を着るのは初めてです。
立海大付属は、ブレザーなのですね。弦ちゃんはネクタイが似合いそうなので、来年お会いするときに、もしよかったら見せてください。

紅梅より
弦ちゃんへ

 …………

十三日間にも及ぶ発表会が、やっと終わりました。
私はまだ正式に店出しした舞妓ではないので、チケットを購入して頂いて披露する舞台ではなく、身内の方にお見せする、内々の舞台に出演しました。
披露した演目は、弦ちゃんにお稽古を付き合ってもらった、『松廼羽衣』でございます。妖女や天女は紅椿の十八番、特に良く舞えるように努力せねばなりません。
今にもふわりと浮いて消えてゆきそうな天女が紅椿としての理想ですが、私の舞うのはまだまだのようでございます。
個人的には、天に帰らず伯竜と暮らしたほうがよいのではと思っているので、その気持が出てしまっているのかもしれません。

 …………

弦ちゃんへ

 …………

学校においてある資料の本棚に、弦ちゃんが進学する立海大付属のパンフレットや資料があったので、こっそり拝見いたしました。
先生にお聞きしましたら、立海は、入試は比較的簡単で受入人数も多いマンモス学校だけれど、入学してからの勉強がとても厳しいそうですね。入ったはいいけれど、成績が足りずに高等部へ進学できず、他の学校に移るパターンは珍しくない、とも聞きました。

戦前は男子校で軍学校だった歴史もあるとのことですし、全体的に、とても厳しい学校なのでしょうか。
弦ちゃんは学校の成績も良いようですし、気持ちも、剣道とテニスで鍛えられているので心配ないかもしれませんが、体を壊さないことだけ気をつけてください。

 …………

弦ちゃんへ

立海大附属中学への合格、おめでとうございます。
せぇちゃんにも、おめでとうと伝えてください。

 …………

私も、舞子坂の伝統文化特待生として入学できることになりました。テストもありましたが、気合を入れて受験勉強をした割には、そんなに難しくなく、拍子抜けしました。
テストよりも、名取であることと、特に海外での公演経験、またこれからもその予定があることが大きかったようです。

何よりも大きいのは、やっぱり紅椿の名前だと思いますが。

 …………

弦一郎さま

空まで覆うのではないかと思うような桜景色に囲まれる春、立海大附属中学校への入学、並びにテニス部への入部、まことにおめでとうございます。
私も、舞子坂へ無事入学を果たしました。

真新しいセーラー服に袖を通し、どきどきしながら学校に参りましたが、他の女子の皆様のスカートがとても短いので、びっくりいたしました。
制服を着るのを楽しみにしておりましたが、あれほど脚を出す勇気は、とても湧きません。私のスカートの長さは膝を覆うくらいで、校則で定められているうちで、いちばん長いくらいだと思います。
いま花さとで一番人気の紅式部お姐はんは「野暮ったい」とか「若いのにもったいない」とかおっしゃるのですが、こればかりは、ためらいが先に出てしまいます。

 …………

私も中学生になり、お稽古の場ではもちろん、日常生活でも、よりきちんとした振る舞いを求められるようになりました。
今回の手紙はそれらしくしてみたのですが、いかがでございましたでしょうか。

紅梅
弦一郎さま

 …………

紅梅どの」なんて呼んでいただいたのは、はじめて!
戦国武将から手紙をもらったようで、楽しい思いをしました。

万年筆の文章、とても味があって、感心いたしました。
お手紙が、ますます楽しみになります。

 …………

弦一郎さま

春の陽気がますます強まります中、いかがお過ごしでしょうか。
年功序列なのでしかたがないとはいえ、あれほど強い弦一郎さまが球拾いをやっているというのは、とても想像がつきません。
しかし、一年生でレギュラーになることもあるということならば、活躍の舞台が訪れるのは、そう遠い話でもないのでしょう。なんといっても、あなたさまでございますので。

そちらの学校のスカートも、短いのですね。目のやり場に困るとのことでしたが、同性の私でもそう思います。やはり、仰るとおり、私は今の長さのままにしておこうと決めました。
男子生徒の制服の崩れも、少し目につく時がありますね。和服なら着崩しの良し悪しも多少わかるのですが、洋服のそれはよくわかりません。ファッションなのか、単にだらしないだけなのかわからず、結局全てだらしなく見えます。
元々他人様のファッションに口を出す気はありませんが、洋服、しかも制服やスーツなどは、きちんとお召しになられているほうが格好が良いな、と感じてしまいます。

 …………

手紙では弦一郎さまとお呼びしておりますが、心のなかでは、今でも変わらず、弦ちゃんとお呼びしております。
しかし、今年お会いするとき、久々すぎて呼び方を間違えたりしないように、名前を呼ぶ練習を時々しようと思います。

紅梅
弦一郎さま

桜も散り始め、汗ばむ陽気が続きます。季節の変わり目、体調を崩してはおられませんでしょうか。くれぐれもご自愛くださいませ。

 …………

確かに、ネクタイは首がきつそうですね。
私もずっと和服で、しかも襟を抜く着付けが多いので、首の詰まった服は苦しそうだなと感じます。着たことがないので、想像しかできませんが。

私に英語を教えてくださっている先生がいつもびしっとスーツをお召しなのですが、その方はネクタイではなく、スカーフを愛用していらっしゃいます。
弦ちゃんと同じで首がきついのかしらと思って訪ねてみましたら、ファッションでもあるがその通りだと仰られ、男の方は大変だなと思いました。
その先生が仰るには、冠婚葬祭や式典など、畏まった場でなければ、一番上のボタンを外して少しネクタイを緩めるくらいなら、だらしないうちに入らないそうなので、いかがでしょう。

 …………

ちなみに、先生は今年から本当に先生になり、東京の中学校に、音楽の先生として、更には、テニス部の顧問として赴任なされました。先生はプロのテニスプレーヤーとして活躍なされていた時期もあるそうなので、その経験を活かして、コーチも兼任なさるとのことです。
氷帝学園という学校だそうですが、ご存知でしょうか?

紅梅
弦一郎さま

お誕生日、おめでとうございます。

 …………

実は、毎年私がそちらにご訪問いたします際にお越しいただいている、東京での公演なのですが、今年は私も舞台に立つことが決まりました。
つきましては……

 …………

紅梅





 相変わらず、起床時間は四時。
 朝稽古をこなし、更にそのまま、中学に入ってから始めた、体力づくりのためのランニング。
 立海大付属中のテニス部は評判通りレベルが高く、学ぶべきところはたくさんあった。総合的に、弦一郎はやはり精市と並んで一年生の中ではだんとつでトップ、二年生の殆ども圧倒できる実力だったが、体力不足が原因で負けることがある。
 剣道と、今まで行ってきたテニスのおかげで平均よりはかなり体力、持久力がある方なのだが、それでも、三年生にはかなわない。そのために始めたランニングだった。

 人が最も著しく変化する成長期の最中、一年、二年の年齢差は驚くほど大きい。人によっては、一年生と三年生では大人と子供のような差異がある。
 だから弦一郎が体力でついていけないのは当たり前ではあるのだが、弦一郎もまた、それに当たり前に妥協しなかった。

 ちなみに、精市は、基礎練である走りこみの順位で、弦一郎に連続して負けている。
 今まで、例えば縁日のゲームなどの遊びでの勝負ならまだしも、テニスに関することで、精市は、弦一郎に負けたことがなかった。スクールでは全員で揃って基礎練習を行うという習慣がなく、彼らが勝敗を決めるのは試合のみであった、というのもあるだろう。
 取っ組み合いの喧嘩をした経験も一度や二度ではないので、精市に標準以上の腕力や瞬発力が備わっているのは、弦一郎自身、身を持って知っている。
 だがこうした、長い時間をかけ、ひたすら地味に培わなければならない純粋な持久力に関しては、弦一郎のほうが圧倒的に上だったのだ。
 うさぎと亀の童話が、ふと、弦一郎の頭をよぎる。精市は、あのうさぎほど馬鹿ではないので、油断はできないが。

 弦一郎は初めて精市に勝ったことに、嬉しいというよりは、びっくりしてぽかんとしてしまった。
 走りこみの途中でへばり、一年生への洗礼とも言われる嘔吐におそわれる精市を見て、弦一郎はあっけにとられ、つい、

「お前、テニスしかできんかったのだな」

 と言ってしまった。
 精市は青いを通り越して白い顔で、それでも弦一郎をきっと睨むと、そのままローキックを繰り出してきた。へろへろの蹴りがまったく痛くなかったことにも、弦一郎は拍子抜けする。

 手塚国光に負けたあの日から、自分がとてもちっぽけな存在であると思い知ってから、同時に、弦一郎の世界は、まるでもう一つ宇宙が生まれるようにして、爆発的に広がった。

 そしてその宇宙にある、様々な事柄、様々な人々。
 例えば立海はテニス部だけでなく射撃部と合気道部もまた全国レベルであること、自分は二年生の殆どには勝てるが三年生にはまだ敵わないこと、髪を染めたりピアスを開けている者、そうでない者、制服を着崩している者、していない者、授業によって変わる教師のそれぞれの人柄ややり方、試験の順位。

 立海大附属中学は、総生徒数2677名という、全国でも有数の超マンモス校である。それほど人数が多いと、己のアイデンティティを見つけられずに無気力とともに埋没してしまう、悩める青少年もたくさんいる。
 しかし弦一郎は、そういう環境だからこそ、祖父が己に課した、真田の剣の極意を追求するに最適の環境だ、と感じた。
 多くのことをひとつひとつを見据え、感じたことを整理し、冷静に判断し、きちんと把握する。そうすることで、弦一郎は、己のありかたというものを、しっかりと、ぶれなく確立することができた。

 今立つべき所、これから向かうべきところをしっかりと見定めて、迷いなく、ひとつずつ。
 立海は、大学付属校によくあるパターンで、入試こそ比較的簡単だが、入学後は掌を返したように厳しく、高校進学までに挫折し、振るい落とされてしまう者も少なくない。
 しかし慌てずに、毎日予習と復習をきちんとして、小テストごとに理解度を見直せば、それほど時間を取られることもない、と弦一郎は信じ、こつこつとそれをこなした。その成果は確実に現れ、今のところ、小テストでは満点か、それに近い点数しか取っていない。この分なら、定期テストもおそらく問題ないだろう。
 テニス部と剣道、どちらもかなり厳しくハードなそれも、祖父にも相談して、テニスを主体にしていくことで、なんとか両立を可能にした。

 いまどきの若者らしく、制服を着崩すことで個性とする者もいるが、弦一郎はそれをだらしないと感じたので、やらない。ズボンをずり下げて履くなど、もっての外である。
 ただ、見苦しくない程度、ボタンをひとつ開けて、指二本分くらいネクタイを緩めることにした。元々首周りが詰まった服が得意ではない上に、声変わりが本格的に始まって喉が出てきたせいで、どうしても息苦しかったのだ。

 そんな弦一郎に足りていないものがあるとすれば、それは交友関係だろう。
 勉強にテニス、更に剣道をこなす弦一郎は、ただ無為になんとなく過ごす、ということをしない。というより、そんな暇自体、元々無かった。
 同じ小学校から立海に来た同級生も何人かいて、顔を合わせれば、軽く声を掛け合うくらいはする。しかし、一学年で二十三組、AからWまでクラスがある中で、その確率は低い。
 また弦一郎は雑談に花を咲かせるタイプとは真逆の性格で、笑顔も多くなく、もともとの顔つきも険しい。

 おまけに、家業が軍隊レベルで厳しいことで有名な剣術道場であるとか、テニスではかなりの実力であるとか、小学校時代は流血沙汰の喧嘩ばかりして何人か病院送りにしたとかいう、やや脚色がかかった事実がそこそこ広まっているせいで、朗らかに話しかけてくるような同級生はまずいない。
 ちなみに病院送りにしたのは本当であるが、相手は精市で、弦一郎も、精市に負わされた怪我で、頭を四針縫っている。

 そんな噂のせいか、それとも見た目で判断されたか、いまどきシマがどうのと意味不明な上下関係をちらつかせてきた上級生もいたが、正当防衛となる流れを確認した上で怒鳴りつけて軽く投げ飛ばしたら、二度とちょっかいをかけてこなくなった。
 同時に、同級生は更に遠巻きになった。

 付き合いが長い知り合いといえば精市であるが、会いに行こうという気は無かった。嫌でも部活で会うのに、なぜわざわざあいつの顔を見に行くことがあるものか。──というのが理由である。もちろん、双方とも。
 まあ、精市の方は、あの、ちょっと目を疑うほど美しい容姿と柔和な微笑みで、もはやどこからが友人でどこからが単なる知り合いなのかわからぬほど周囲に人が集まっているので、弦一郎に会いに行くという発想をする必要自体無いだろうが。

 ともかく、そうやって出来上がった“立海大附属中学校一年・真田弦一郎”は、一年生の割に体格がよく、険しい顔付きに愛想の欠片もなく、異様に喧嘩とテニスの強い、かといって全く不良ではないどころか超がつくほど真面目で授業態度も成績もいいという、周囲にとって、どうしようもないほど近寄りがたく、扱いづらい存在になっていた。

 だが、弦一郎はそのことについて、全く気にしてはいない。

 それに、遠巻きにされてはいるのは確かだが、嫌われてはいないのだ。
 勉強に部活にと生活自体はとても充実しているし、立海の食堂はメニューが割と豊富で美味い。一人なら席を取るのも楽だし、余った時間を有意義に使える。
 話し相手なら、家に帰れば家族はもちろん、付き合いの長い年齢様々な門下生たちがいるし、小さい怪獣、もとい三歳を過ぎてますますやんちゃになった佐助もいる。

 それに、彼女に手紙を出せば、必ず返事が返ってくる。
 芸能活動に寛容だから、という理由で地元の私立中学に進学した紅梅もまた、弦一郎のように、もしかしたらそれ以上に、忙しい日々を送っている。その様子を手紙で知る度に共感を覚え、柔らかい言葉を使っているがきっと自分などより大変な日々なのだろうと頷きつつ、もっと頑張ろう、と思えた。
 二人は相変わらずゆっくりしたやりとりを続け、その穏やかさもまた、弦一郎の多忙な毎日の清涼剤であり、憩いの存在だった。

 紅梅の手紙は、中学生に上がったから、という理由で、優しげでやわらかな言葉選びのセンスはそのままに、文面がよりきちんとしたものになった。
 弦一郎への呼びかけも、実際会った時に呼ばれる「弦ちゃん」ではなく、「弦一郎さま」になり、照れくさかったが、不思議と嫌ではなかった。それに、文中には、未だに時々「弦ちゃん」という呼び名も出てくる。

 だから、対抗するわけではないが、弦一郎も、色々悩んで、「紅梅どの」とすることにした。紅梅が呼んでくるのと同じ“さま”はなんだかしっくりこなかったし、“さん”は、よくわからぬが、なんだか妙に気恥ずかしい気がしたからだ。
 紅梅からは、戦国時代の手紙のようで面白い、と言ってもらえたので、以来、手紙の書き出しは「紅梅どの」になっている。
 もう中学生にもなって手紙でごっこ遊びをしているようだが、どうせ誰にも知られぬこと、二人の間のことだ、と、弦一郎はそのやりとりを楽しんでいる。

 家族からの入学祝いは、中学進学の祝いとしては珍しく、万年筆だった。弦右衛門と信一郎が提案してくれたらしいが、弦一郎にとっては、入学祝いとして一般的な時計などより、嬉しい贈り物だった。

 理由は言わずもがなで、紅梅への手紙には、専らこの万年筆を使うようになった。
 今までは、家にあった、誰が買ったのかもわからないボールペンを使用していた。たまに書道の成果を見せるために毛筆も使うが、紅梅への手紙は長文が多いため、小さい文字が書けない毛筆は不便なのだ。
 そして弦一郎が毎回同じ便箋とどこにでもあるボールペンで手紙を書くのに対し、紅梅は綺麗な和紙の便箋を使ったり、香りを込めたり、風流なガラスペンを使って、味のある文字で手紙を送ってくる。
 そんな彼女の手紙を毎度楽しみ感心しながらも、自分も何かしてみたい、といつもぼんやり思ってはいたのだが、文具屋の便箋やら封筒やらのコーナーといったら、思い切り年寄り臭いか、思い切り事務的か、思い切り女性らしいかというものばかりで、弦一郎がこれだと思うものがない。

 だが万年筆なら格好がつくし、きちんとしていて、大人っぽい上に男らしい気もして、弦一郎はとても満足した。
 贈られた万年筆はインクを頻繁に吸入する必要のあるコンバータ式で、興味がなければ面倒なだけの細かい作業かもしれないが、弦一郎は楽しかった。最初に万年筆とセットで貰ったインクはオーソドックスな黒と群青色だが、今では、文具屋で違う色を物色してみることもある。
 万年筆を愛用する中学生というのはなかなか珍しいせいか、よく行く文具屋に顔を覚えられ、年配の店主に、手入れの仕方や、渋いステーショナリーの趣味の世界を教えてもらったりもした。
 古くから存在する、奥深く、そして新しい世界に、弦一郎は夢中になった。そしてそうして知った世界を、紅梅への手紙にしたためる。

 そういう風な日々なので、弦一郎は、学校では無頼の一匹狼のように扱われてはいるものの、本人は寂しいとか心細いといった感情とはまったくもって無縁で、ごくマイペースに充実した、新鮮な毎日を過ごしているのだった。

「行って参ります」

 寝惚けの欠片もない、声変わりで少し掠れた声で言い、弦一郎は家を出る。
 朝七時から始まる朝練にも、一度も遅刻したことなどない。どころか、大抵一番乗りである。

 勉強道具の入った学校指定の鞄には、教科書類と、真田家に伝わる、鍛錬用の石が入っている。
 そして、肩にかけたラケットバッグには、少し角のほつれた、黒いお守りがぶら下がっているのだった。
 / 目次 / 
舞子坂中学は原作で実際に名前が登場しており、全国大会出場校でもあります。もちろん京都。立海にラブゲームでボロ負けした、愛知・六里ヶ丘に接戦し敗退した学校です。40.5巻では383ページに掲載あり。
BY 餡子郎
トップに戻る