心に堪忍ある時は事を調う
(五)
「ほいで、お家元の前で舞う時に、それ見せたん」

 どや、これでええのやろ、いうような気持ちでな? と、紅梅は苦笑した。

「──それで?」
「そらもう、えろぅ褒められたわ」

 ──“ようしはりました。紅椿はんそっくり”

「ほんで、これやったら名取にしてもええんちゃうかて話が出たん。そやから、……名取いうても、それは、おばあはんのお舞でやもん。うちのお舞は、やっぱりへたくそのまんまや。なんぼ舞うても、それはちゃうて言われよる」

 柔らかい、力のない指が、ぎゅっとテニスラケットのグリップを握りしめる。

「そやし、おばあはんは十二で名取にならはったから、それより前いうんは良ぉない言うて、来年や。……なんもかんも、紅椿、紅椿、紅椿や」
「……紅梅、」
「紅椿やて」

 紅梅は、顔を上げた。
 どういう顔をしていいかわからない、という表情だった。

「……うち、舞妓んなったら、“紅椿”、名乗るんやて」
「えっ」
「二代目や」

 凄いこと、なのだろう。
 小さな座敷や、京都内の季節の発表会でしか披露の場がなかった女舞の日舞を、世界に進出させ、芸術として認めさせた、間違いなく歴史に残るひと。人間国宝・紅椿の名を二代目として襲名することは、誰に聞いても、物凄いことだと言うだろう。
 弦一郎も、そう思う。だがいま、目の前にいる本人を見て、その言葉を言うことは出来なかった。

 頂点に酷似していることでの絶賛、それは確かに絶賛だが、同時に絶望を与える言葉でもあるかもしれない、と弦一郎は思う。弦一郎には想像することしか出来ないが、例えれば、それこそ神の、釈迦の手の上で走り回っていることを突きつけられたような。

 そしてそれは、弦一郎にも、全く想像の付かないことではない。
 神の子と呼ばれ、そして真実そうとしか呼べない力を持った、幸村精市。弦一郎は常に彼のいる高みを目指し、君臨する足元を崩そうとしている。

 だがそれは、未だ成せてはいないし、そうなるビジョンすら未だ描けない。
 あの試合で、死に物狂いで這い登った無我の境地にあっさり追いつかれ、叩き潰してくるようなショットを打たれた時の、絶望の淵から転落するような気分を思い出し、弦一郎は眉を顰めた。

「おばあはんはもう、あの世界ではもう神様やから」

 想像した例えを見透かしたようなことを紅梅が言ったので、弦一郎ははっと顔を上げた。
 弦一郎は、かつて見た、紅椿の舞を思い出す。
 人ではないことが目の動き一つでわかる清姫、天に祈りを届ける神楽、一人で何役をも演じ分ける変化物。

 ──神様。

 ああ、確かに、と、弦一郎は納得した。

「おばあはんは、一生かけて京舞を研究して、京舞を極めた舞踊家やて認められて、とうとう人間国宝にもならはった。おばあはんの舞が京舞の最高峰やて、お家元にも、国にも認められたんえ」
「……うむ。凄い事だ」
「せやなあ。せやけどそのことで、こん流派の舞は、もうおばあはんの舞が至上であって、他はもう認められへんようになったん。京舞といえば紅椿、京舞やるんやったら紅椿のファン──ううん、崇拝しとって当たり前。お家元ですら、おばあはんの崇拝者やからなあ」
 そもそも、前家元は紅椿を家元に指名したのだが、芸姑で在り続けたいという理由で本人が辞退したために家元となったのが、現在の家元だという。

 紅椿は、この流派の舞を、数百年の時を経て、再び芸術として蘇らせた。しかし彼女の舞を彼女がいなくなっても残そうとすれば、それは芸術ではなく、伝統だ。
 つまり、定まった最高峰をいかに完璧に再現することができるか、ということが、上手いか下手かの基準になってしまうわけだ。そういうことならば、完成というより、完結、という表現のほうがふさわしいかもしれない。
 伝統とは、受け継いでいくこと。そこに不純物が混ざることは、その伝統の完成度が高ければ高いほど許されない。そして紅椿の舞は、一部の隙もなく完璧、これ以上のものはないと謳われた。

「この先どうなるかはわからんけど、あと百年くらいは、京舞いうもんはおばあはんの独り占めやて言われとぉ。おばあはんの舞が全部の正解で、舞手の頂点いうことになったんやから」

 ごくり、と、弦一郎は息を呑んだ。
 それはつまり、その分野の歴史に名が残ったということだ。そしてそれは、後の者たちの背中にずっしりと背負わされ、下ろせば邪道だと謗りを受ける。その上でなお新しいものを作ればその名がまた残る、というのが歴史というものであろうが、簡単にできることでは決してない。
 簡単に比べられるものではないが、もしかしたら、神の子に追いつこうとしている弦一郎よりも、もっと険しい絶望の淵に、彼女は立っているのかもしれない。

「そういうことやから、おばあはんの丸写しができるうちは、十二で名取になってもええて言われおしたん。……ほんで、お母はんがな」

 細く優美な──いつもそう振る舞う指先が、ぎゅっと丸められ、握られるのを、弦一郎は見た。

「うちが二代目紅椿てお家元に言われて、えろぅ、……なんや、びっくりするほど喜ばはって。──ほいで、聞いたら、……最初っからそうするんに引き取った、て言わはったん」
「……最初から?」

 紅梅に、いわゆる生みの両親がいないことは、今までの手紙のやり取りで、弦一郎もとうに知っている。父親のことは全くと言っていいほど詳細がわからず、母親は、紅梅を産んですぐに亡くなったらしい。

「細かいことは知らんけど、うちを産んだ“お母はん”は、お屋形から出とったよって、お母はんが、……女将が、うちを引き取る義理はあらへんかったん」
「む……」
「そういうもんや。そやからえろぅ揉めたらしいんやけど、……家娘で育てて、二代目紅椿になるんやったら、て」
 紅梅の、白く細い指が、きゅっと握られた。

「そやから引き取って育てたんやて、言わはったん……」
「……そうか」

 弦一郎は神妙に返事をし、そして、また俯いている紅梅の旋毛を、じっと見た。
 紅梅のつやつやの黒髪は、正円に近い輪状の反射を作っている。セミが鳴くのを小休止したのか、ジィジィと擦るような音を出し始めた頃、弦一郎は、背筋を伸ばした。

紅梅

 張りのある声だった。
 決して音量は大きくないのに、まるで空気をすとんと切り裂いたように、不思議とまっすぐ通る声。
 そしてその呼びかけに、紅梅が顔を上げる。

「つまりお前は、二代目紅椿と呼ばれたくないのか」

 ずばん、と、直球にも程がある言葉に、紅梅は戦き、ごくりと唾を飲み込んだ。
 ──そのとおりだ。だがしかし、京都では、いやこの日本のどこでだって、人間国宝・紅椿の名を継げることを、その実力を認められたことを、凄いと、喜ばしいと、名誉なことだと言う者しかいやしないのだ。

 もし紅梅が嫌だなどといえば、なんと生意気な、と非難轟々、あらゆる顰蹙を買うに違いない。だが弦一郎は、堂々、はっきり、真正面から言った。

 嫌なのだろう、と。呼ばれたくないのだろう、と。

「実力を認められた事自体はともかく、紅椿殿のコピーのようになるのは嫌だと、扱いが気に入らんと、そういうことか?」
「えと、」
「違うのか」
「………………………………ぅんん…」

 紅梅は、とても不明瞭な声で返事をした。
 弦一郎にはわからないことだが、誇張抜きで、紅椿を崇める人々の世界で暮らしている紅梅にとって、ここでうんと言うのは、山ほどの信者を集める唯一神に向かって、「神は死んだ」と言うに等しい。
 ──だがしかし紅梅は今、とんでもないことを言ってしまったがゆえの動悸を感じると同時に、胸の中に詰まった苦しい物が、少し軽くなったような気がした。

「俺には日舞のことはわからんし、だから俺が思ったことしか言えないが──」

 弦一郎は、まっすぐ紅梅の目を見て、言った。

「お前が紅椿と名乗ろうが、お前は紅梅だろう。単なる芸名なのだから。紅椿殿と同じように舞っても、舞っているのはお前なのではないのか?」

 違うのか? と首を傾げる弦一郎に、紅梅はぐっと詰まったあと、悲しそうにも、苦しそうにも見える表情で、眉を顰めた。

「……ちゃうよ。紅椿は、単なる芸名とちゃうもん。紅椿を名乗って舞ういうことは、伝統を受け継いだ、いうことやもん。勝手なことしたらあかんのや。……うちが好きなように、ええと思たように舞うたら、あかんの」

 紅梅は、一度、すう、と息を吸い込んだ。

「おばあはんかて、ほんまは長尾ハルていわはるんよ。そやけど、おばあはんをハルて呼ばはるお人なん、おらん。おばあはんは紅椿や」
 紅梅の細い指先が、畳の縁をなぞる。
「上杉いうんは、『花さと』の名前や。花さとの紅椿。芸名。お舞の名前。みんなそれで呼ばはるん。──“紅椿”を継いだら、うちはおばあはんのお舞を舞うて、紅椿て呼ばれて、紅椿になるんよ」

 強い言葉だった。弦一郎が眉を顰めるが、紅梅は続けた。

「……おばあはんのお舞を舞うて、おばあはんの名前名乗って、……なんでうちがそないなことせなあかんのやろか」

 その言葉に、弦一郎は、はっとした。

 ──うちのもんなん、いっこもあらへんよってなァ

 だからこそ行儀よく、丁寧に、見とれる程美しくあれるのだと、彼女は言った。
 昨日まで、弦一郎は、実は彼女は自分に何も伝えていないのではないか、という疑惑を持っていた。それは薄靄のように心にかかり、そして昨日のじゃれあいで、ひとまず晴れたと思っていた。

 ──だが、何の事はない。彼女は言い方こそ密やかなだけで、ついでに言えば弦一郎の察しが悪いだけで、いつも弦一郎に、正直な心中を表現していたのだ。
 京都の人間は、あまりはっきりとものを言わない癖がある。花街という、古都の中でも秘されて奥まった世界で暮らす彼女らは特にそれが顕著だということは、弦一郎も知っていたはずだった。
 しかし、普通よりかなり率直な性格と、それに伴った歯に衣着せぬ発言がもはや家風ですらある真田家の次男は、それを今までよくわかっていなかったのだった。

 そして今、それをしっかり理解した弦一郎は、靄がかかるどころか、何か熱く輝くものが胸に沸き起こるような心地だった。

 ──それが何なのかは、まだわからないけれども。

「おばあはんのお舞が見とおすのやったら、ビデオでもDVDでも、なんでも見たらええんとちゃうのん? 仰山出とるえ」

 ぶつくさ、という感じの紅梅の言葉に、確かに、と、弦一郎は頷く。
 昨日眺めていた画集もそうだが、佐和子が集めていた趣味のものは、佐和子本人の生前の意向で、ほとんどが弦一郎に受け継がれた。
 浮世絵の画集などは弦一郎も個人的に好きなので嬉しかったが、紅椿のVHSのカセットやDVDもけっこうあって、とても全部は見れていない。紅梅との手紙のやり取りで、話題に出たものを理解するのに、時々参考に見たりはするが、その程度だ。

「……舞妓になるんが嫌やとか、お舞が嫌やとか、思たことないけど」
「そうなのか」
「そやかて、他になんもあらへんしな。舞妓にならへんのやったら、うち、住むとこ無ぅなってまうもん」
「う……、む」

 弦一郎は、やや複雑な表情をした。
 真田家は古い剣術道場で、弦一郎は物心付く前から剣道を叩きこまれて育ったし、父がやらせ始めたテニスも同様だ。
 しかしそれは、強制されたのとは違う。弦一郎が他にやりたいことがあると言えば、祖父や父は、残念そうにしながらも、それを受け入れてくれただろう。実際、兄は一度は剣道やテニスをやったが合わず、弁護士を目指し、時折サーフィンを楽しんでいるし、今ではそれは当たり前のことで、皆応援も協力もしている。

 だが、紅梅は違うのだ。
 彼女には両親がなく、舞妓になること、紅椿の跡を継ぐことを条件に『花さと』に引き取られ、育てられた。それを拒否するということは、何もかもを捨てるということになるのだと、彼女はさらりと、当然のように言う。
 自分のものなど何もないと、いじけた様子もなくただの事実としてばっさり言い切るのも、この生活環境が大きな理由だろう。

 紅梅と話していると、弦一郎は、自分がいかに自由に、好きにさせてもらっているか、自分のことばかりにかまけていさせてもらっているかということを思い知る。
 弦一郎は、自分が選んだことの結果によって、衣食住の危機を感じることなどない。周りの知人友人は、弦一郎の生活をひどく厳しいと評するが、弦一郎が朝四時に起きるのも、倒れるまで練習するのも、結局自分がやりたいからやっていることだ。
 だが、紅梅は、違うのだ。将来、屋形の戦力にするためという明確な理由で引き取られたがゆえ、厳しい稽古を課せられ、それをこなし、女将や、姐たちの仕事の都合に合わせて寝起きの時間を決め、下働きのような雑用もこなしている。

 弦一郎は、彼女の境遇に同情するなど、傲慢なことはとてもできない。
 だが弦一郎は紅梅を尊敬しているし、紅梅のことを知っているから、自分がどこまでやっても、所詮自分のためだとしか思わない。──思えない。

「そやから、何が嫌とか、贅沢なこと言われんけど。……そやけど、うちは、一生、……こないしてくんかなあて思たら、ちょっとだけ、なんや……」

 紅梅は、遠くを見るような目をした。

「しんどそぉやなぁて、思ただけ」

 少し疲れたような、戸惑うような、そんな表情だった。

「堪忍なあ。ただの愚痴や」

 誰にも言えんよって、聞いてくれはっておおきに、と、紅梅は微笑み、それ以上、この話を口にすることはなかった。
 ──彼女の、嫌なことは二度と話題にしない性格を、弦一郎は、非常に好ましく思っている。

 だがそれが今、何やらやりきれなく感じられて、弦一郎は眉を顰めた。





 ──今年の演目は、メドレーといっても良いような風情となっていた。

 今まで、そして普通こうした大舞台で舞うのは、舞台用に振り付けられた、仕掛けも、衣装も、なにかと大振りなものだ。
 だが今回の演目は、普段芸妓が座敷で舞う短めの京舞を、複数見せる内容になっていた。
 もともとこの公演の客層は若干以上マニアックな者が多いようで、座敷でなければ見られない紅椿の舞──、つまり舞台のチケットを取って見るよりもはるかに観るのが難しい舞をぜひ、と、リクエストがあったのだ、というのを、弦一郎は紅梅から聞いた。
 よって、座敷用の短めの演目を複数本行う、といったラインナップになったらしい。

 まず、芸妓や舞妓が舞う京舞は『上方舞』、別名で座敷舞や京舞といって、江戸の歌舞伎舞踊の流れに対し、京都や大阪、つまり上方で生まれた、酒宴の座敷で行われる舞として発展したものである。地唄を伴奏とするため、地唄舞とも呼ばれる。
 舞としては、能の動きを基本に歌舞伎や浄瑠璃の要素を加えたもので、優雅な落ち着いた振りが特徴だ。一畳の限られた空間の中、埃をたてず、豪華な屏風や、蝋燭を灯した燭台を倒さないようにという、現実的な理由もあってのことだ。

 そしてそういう舞だからこそ、僅かな指先の動き、目線、そういった些細で繊細な動きで重要な表現が成され、それを効果的に行うためには、より精密なボディコントロールが必要になる。

 なぜなら、大舞台であれば、空間は広く、客の目は遠い。よって、走り、飛び上がり、大げさに伏せ、といった、ダイナミックな表現も使える。役柄に合わせた化粧や、大掛かりな衣装、舞台装置が演出に使われる。
 しかし、一畳という小さな空間しかなく、客の目が数メートルも離れていないところにある座敷舞では、そうはいかない。
 舞う場所の小ささゆえ、座敷舞の振付には、指先をぴくりと動かすだけ、というものまである。なのに、体全体がふらふらしていたりすると、ぴくりと動いた指先が、振付の動きだということすらわかってもらえない。
 そしてそれを、すぐそば、小さな部屋に同席している客に、間近で凝視されるのだ。

 座敷舞が単なる主席の賑やかし、舞妓と芸妓を伝統あるコンパニオンとして見た時のお遊戯芸として捉えられてしまいがちなのは、座敷舞が、針の穴を通すような精密な動きをこなさねば芸術としてまず成り立たないという、本来非常に難易度の高いものであるせいもある。

 そして紅椿は、その難易度の高い舞を、大舞台で見事に舞いきった。

 広い舞台の上で、紅椿が動くのは、座敷と同じ、ほんの一畳分。
 振付も小さく、ささやかで、そして息を呑むほど細やかだった。
 人形、無機物のようにピタリと動かない紅椿の指先が動くさまは、仏像の繊手が動く奇跡のようだった。眼球だけがきろりと流れる度に、神に心臓を掴まれる心地がする。そしてそれらが表現するものを知った時の感動は、天啓にも似ていた。

 細やかすぎてわからない、などと、野暮なことを思う客は、誰一人としていない。
 神を求める衆生が必死に神像を見つめて奇跡の端に縋ろうとするように、観客はオペラグラスを覗き、紅椿の動きを、目を皿のようにして見つめ続ける。

 一生をかけて京舞を研究し、京舞を極めた舞踊家と認められた紅椿。
 人間国宝の指定も受け、彼女の舞こそが京舞の最高峰だと、家元にも、国にも認められた、その舞。

 ──天衣無縫。

 縫い目すら見当たらぬ、完璧な、完成され尽くしたそれ。
 これ以外のものは許さぬと、そう言わせるだけの凄みを、弦一郎も理解した。

 そして、紅梅が行ったという、あの動きを完全にトレースし切るという技のものすごさも同時に理解し、弦一郎はごくりと唾を飲み込んで、隣に座る紅梅を見る。

 紅梅はぴくりとも動かぬまま、まばたきすらしていなかった。睨みつけるようにして、舞台を見つめていた。
 ふかふかの濃赤色の座席の上、背筋をぴしりと伸ばしたまま微動だにせぬ振り袖の少女は、舞台の上の紅椿と同じく、非人間的な美しさだ。

 しかし、舞台の上を見つめるその目の、獄炎の中から睨みつけるような烈しく生々しい眼差しに、弦一郎は一瞬だけ、天衣無縫の輝きを忘れた。
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BY 餡子郎
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