心に堪忍ある時は事を調う
(十)
──何が、起きた?
てん、と後ろで跳ねたボールの気配を感じながら、弦一郎は、呆然と立ち尽くした。
実際に打ってみて、思ったよりもずいぶんな実力者であるようだ、ということには、すぐ気付いた。フォームは美しく、弦一郎ほどパワーはないが、とにかくテクニックがずば抜けている。国光は、大人顔負けの、まるで針の穴を通すような、正確無比なショットを打てる少年だった。
それでも、それだけならば、弦一郎が負けるはずがない。──しかし。
「6−0、……だ」
額から流れ落ちる汗と同じように、弦一郎の口から、コールが漏れた。そしてその数字を口にすると、じわじわと、焦燥感、──恐怖にも似た現実が、足元から這い登ってくるような心地がする。
足元の地面に真っ暗な穴が空いて、そこに落ちるような幻影すら見えた。
「……ありがとう。いい試合だっ……」
「まだだ! ……もう一度!」
奈落の底に落ちかけて、それでも絶望の淵にしがみつき、岩にかじりつくようにして、弦一郎は叫んだ。握りしめたグリップが、ぎちぎちと音を鳴らす。
信じて、なるものか。この自分が、精市以外にはもはや負け知らずの、この大会でも準優勝を飾った自分が!
「手塚ァ! 次は、……次は負けん! もう一度だ!」
「……俺はまだ時間があるので構わないが、真田はいいのか?」
国光がそう言ったので、弦一郎は、このひと試合に、十五分もかかっていなかったということに気付かされた。その事実に、膝から崩れ落ちそうになるのを、何とか堪える。歯を食いしばった。
「関係ない! もう一度だ!」
「……わかった」
国光は、相変わらず感情の読めない表情のまま、静かに頷く。すっかり水は乾いていて、それなのに、汗だくの弦一郎と違い、国光は、ほとんど汗をかいていなかった。
勝者の国光がサーブ権を取り、再度の試合が始まった。
弦一郎は先ほどの試合よりも早く走り、渾身のサーブを打ち、全神経を研ぎ澄ませてボールを追った。──先程よりは、ポイントが取れる。それでもやはり、デュースに持って行くことすらできず、あっという間に3ゲームが取られた。
(──なぜだ!?)
国光のショットは、正確だ。だが正確なショットは、それだけに、軌道が読めれば逆に弱点にもなるはずのものだ。弦一郎は前の試合から学び、ボールではなく、国光のラケットを見て軌道を予想し、ボールを追いかけ、ラケットを振った。
──しかし、当たらない。
弦一郎は、もう最近では全くしていない、無様な空振りを何度も披露するはめになった。しまいには、破れかぶれでボールを追いかけ、盛大に転がったりすらもした。
「……40−15、だ」
「くっ……」
コールした国光を、弦一郎は、ぎろりと睨みつけた。
国光は先程よりも多少息が上がっているものの、やはり涼しい顔のままだ。汗もそれほどかいておらず、弦一郎だけが、ボールを追いかける度に、コートに汗染みを作っている。
太陽がぎらぎらと、弦一郎の肌ばかりを焼く。
「……侵略すること、火の如く……」
ぼそりと呟いてから、渾身の力を込めて、弦一郎は、ラケットを握った。
「──はぁあッ!」
──ダァン!!
ジュニアの大会ではまずありえない、凄まじいインパクト音。
弦一郎が放ったのは、ここ数年で作り上げた必殺技、『風林火山』の“火”。剣道で鍛えた大人顔負けの握力と、全身を弓矢の弦のように撓らせることで、数倍のパワーを込めて打つ、グランドスマッシュ。しかも今のものは、ひときわ渾身の力を込めたサーブである。
しかし、きらり、と、見覚えのあるような美しい光が、侵し掠めんとする炎を、まるで風で導き吸い込むように受け止めた。
──パンッ
「……いい打球だ」
軽やかなまでに打ち返され、コロコロと転がるボール。
サーブを打ち、走りだそうとした不自然な姿で固まる弦一郎に、国光は静かにそう言った。
ふわり、と、国光の濃茶の髪が、きらきらと輝く風に吹かれ、涼しげに浮き上がったような気がした。
弦一郎の汗だくの肌はただじりじりと焼けつくばかりで、清涼な風など、全く感じられないというのに。
「5ー0」
「ぐ、うっ……!」
弦一郎は歯を食いしばり、国光のコールに唸り声を上げた。
しかし、弦一郎は気づいていないが、国光も、先ほどの試合よりも格段に気を張っていた。
「……油断せずに、行こう」
そうだ、一瞬足りとも油断できない、と、国光は感じていた。
弦一郎が、国光にとって、今まで対戦してきたジュニアの中では最も強いということは、大会での試合を見ていて明らかだった。だからこそ、国光は弦一郎に試合をしてくれと願い、同い年にはまず使わない利き手の左も、最初から用いていた。
そして一度目の試合は何とか1ゲームも取らせることなく勝つことができたが、今度は、そうはいかなかった。
「潰すっ……!」
食いしばった歯の軋みが、こちらにも聞こえそうな気がする。
大会の試合を見た時、国光は、弦一郎のことを、厳しい訓練を受けた軍用犬のようだと思った。
容赦の無い、きっと数えきれぬほどの反復練習で培われたのだろう正確さ、俊敏さ、そして生まれ持ってのパワーが、すばらしくバランスよく配分された動き。偶然ながら実際話してみても、礼儀正しくはきはきとしていて、その印象は変わらなかった。
国光は、テニスが好きだ。
物心ついた頃には、暇さえあればラケットを振るい、ボールを追いかけていた。
上手いテニスを見れば対戦したいと思い、どんな試合でも、心の底から楽しんだ。このために生きているのだとすら思い、ただひたすらテニスを追い求めてきた。
練習に明け暮れ、自分の技術を磨くのはもちろん、自分にはまだ成し得ない技術や力を持った相手と対戦するのも、わくわくした。
弦一郎に対戦を申し込んだのも、彼のテニスに興味を持ったからだ。
しかし、試合で追い詰められ、形振り構わなくなるごとに、弦一郎の動きは獣じみ、訓練された犬どころか、まるで野生の虎でも相手にしているような気分になった。
訓練の成果ではない、ただ猛獣であるがゆえの、洗練された動き。その上、手負いの獣さながらの獰猛さ。
やるか、やられるか。
何かひとつ間違えれば一気に持っていかれる、その緊張感、その気迫に、国光は初めて、テニスを楽しむ余裕を失った。
「──はァッ!!」
──スパァン!!
「0−15……」
取れずに跳ね、転がっていったボールを目の端で見遣り、冷や汗を流しながら、国光はコールした。
ゲームは落としていないとはいえ、最初の試合より、ポイントを取られる回数が増えている。
技術の上では、確かに勝っている。
だからこそ国光は、ひとつもゲームを落としていない。
しかし、いくら銃を持っていようが、猛獣、しかも怒り狂った手負いのそれに対して警戒を解けないように、少しでも実力差の余裕に驕って油断すれば、弦一郎の気迫に呑まれ、喉笛を噛みちぎられるのは確実だった。
真田 弦一郎。
彼には、単なる強さ以上の何かがある。と、国光は確信する。
一秒が数分にも思えるような超集中の意識の中、獣のような少年に対峙する自分の左腕は、唯一にして最強の武器。研ぎ澄まされた集中によってか、きらきらと輝いているようにも見えるその腕で、国光はラケットを握り直した。
「ぐ……、ふぅぅう……」
もはや本当に獣さながらの唸りを上げ、低く息を吐きながら、弦一郎は、国光を睨む。
(……無我の、境地)
国光の左腕の輝きが何なのか、弦一郎は知っている。
かつて精市との試合にて、追い詰められた集中の果てに辿り着いたその境地。祖父にはお前の道ではないと言われ、自分もそれに納得し、行くのをやめた道だ。
だが弦一郎、そして精市が成し得た『無我の境地』と、国光が用いるそれはなにか違う、と、弦一郎は気付いた。
感覚的なことなので言葉での表現が難しいが、弦一郎が到達したそれは、ただ意識全体が無我の境地に至り、無意識に刻まれた動きをほとんど自動的に行なっているだけに過ぎなかった。思考を介さず無に徹することで動きのタイムラグがなくなり、また意識をしないことで、ごく自然に、ベストな状態で技を繰り出すことが出来る。
その代わり制御能力がほぼ失われ、体力配分が全くできず、急激にバテやすい。
だが、目の前の国光は、どうだ。
国光の有り様は、明らかに、ただ無我の境地に至っているだけではない。
無我に寄って得られるものを、彼は自分の意志で振るい、制御しているのだ。
弦一郎が目覚め、しかし行くのをやめた道。
国光は、無我の境地を選び、そしてその先へと歩を進めた少年だった。
(俺も、無我の境地に至れば)
勝てるだろうか、と考えて、弦一郎は悩んだ。
無我の境地自体は、一度のみならず発動させているので、そうすること自体は簡単だ。しかし国光のようにその先に行ったことはないし、どうやるのかも皆目検討がつかない。
──それに、
──おばあはんは、何がまずいんかわからんからまずいんやて言わはるん
かつて、出会った頃、彼女が言ったことが思い出される。
そうだ、それが一番まずい。弦一郎は、どうして国光の球が返せないのか、どうして国光に球を返されてしまうのかが、わからない。
──真田の剣は、サムライの剣ではない。なぜそうするのかを考えて振るう剣じゃ
祖父の声を思い出す。
真田の剣は、弦一郎がせねばならないのは、
──刀を持っているのは、お前じゃ。刀を持ったのは、お前の意思。何をどうやって斬るのか決めるのもお前。そして自分で決めたことには、責任を持たねばならぬ
主君に魂を預けたサムライならば、無我の境地こそがまさしく極意。
しかし弦一郎は、誰にも魂を預けてはいない。己の魂は己にあり、ゆえにその行動の全ては、自分の責任のもとにある。
その一閃を、なぜ振るったか。その一球は、何のための一球か。その一筆は、どのような意図の一筆であるのか。
一番大事なものは何か、一番弱い所はどこなのか、結局何をどうしたいのか。
なんのために勝つのか、どうしてそのように球を返すのか、どうしてテニスをしているのか、──自分のテニスがどういうものなのか、弦一郎は、考えて行動しなければならない。
(何が、聞こえる? 何がある?)
風の音。国光の髪を舞わせ、しかし弦一郎には全くもって吹かぬ風。
肌を焼く太陽、真っ黒な影、緑の香り、流れる汗、べたつく髪、荒い呼吸の音。
(何が、見える?)
無我の境地に至らんとする、金色の光を纏った少年。
ならばその先に自分も行けば、目の前にある集中に安易に没頭すれば、あの少年に、手塚国光に追いつけるのか?
──弦ちゃんは、……自分のテニス、出来てはる?
一秒が数分にもなる世界で、彼女との約束が、走馬灯のように頭を過る。
──うち、がんばるし、今はがまんするよって、……弦ちゃんも、約束して?
ぼろぼろになったお守りを握った、白い手。その小指に誓った、約束を思い出す。
──いつか、……うちのお舞、観て。
──それまで、弦ちゃんは、自分のテニス、してな?
(俺の、テニスとは、)
どこだろう、なんだろう。どういうものだろう。
自分は今、何故走っているのだろう。どうして球を返すのだろう。どのようにして、このラケットを振るおうとしているのだろう。
──どうして、戦うのだろう。
──どうして、勝とうとしているのだろう。
「あ、あああああああああッ!!」
どうしようもなく、迷いながら。
しかし、無我の境地へと続く黄金の道を振りきって、弦一郎は、真っ向から、全力以上の渾身の力を、黄色の軌跡に打ち込んだ。
「……6−1、ゲームセット」
そうコールしても、国光は、緊張を解くことができなかった。
なぜなら、ネットの向こうで荒い息をつきながら立っている少年から、今にも飛びかかってきそうな獣の気迫が、未だに醸しだされているからである。
(本当に、油断できなかった)
そして油断していなくても、国光は、とうとう1ゲームを弦一郎に取られてしまった。あの咆哮のごとき裂帛の気合とともに放たれた弦一郎の球は、今までのそれと違う、──何かひとつ壁を超えたような返球だった。
(気のせい、──いや)
確かにそうだった、と、国光は静かに息を整えながら確信する。
──弦一郎の球が、軌道の途中で向きを変えた。
スピンなどをかけることにより、湾曲した軌道を描く球を打ったり、バウンドの方向をコントロールするショットは当たり前にあるが、弦一郎が放ったそれは、そのどれとも違っていた。
まるで野球の変化球のように、球の軌道が急激に変化したのだ。
国光の予想も防御も無理やり潜り抜け、隙がないなら己で作るとでもいうような、思いもがけない、ありえない動きだった。
喉笛に噛み付かれる、そんな戦慄にも似た驚愕に目を見開いた瞬間、ボールは、最初の軌道からはありえないところに落ち、ポイント。そのゲームを取られたことにより、国光はより慎重になり、確実にポイントを取ることに徹した。
そうしなければ、──勝てなかった。
どんなテニスも心の底から楽しんできた国光にとって、楽しんでいる余裕などない、ただひたすら油断せず、勝つことに徹しなければならない試合は、初めてだった。
「……6−0と、6−1、だと」
やや俯き加減になった弦一郎は、低い声で、ぼそりと呟いた。全身が、小さく震えているようだった。更に、グリップを握る手からはぎちぎちと軋む音が聞こえ、握り潰さんばかりの力が込められていることがわかる。
あの凄まじい握力が肝だな、と、国光は冷静に分析した。獣のようなスピードとパワーを、訓練された正確な技術に無駄なく乗せることができているのは、あの、いくら時間が経とうとブレのない強靭な握力あってこそだ。あれほどの力は、生半可な訓練では身につかないだろう。
「……いい、試合だった」
最初の試合と同じことを国光は言ったが、弦一郎は反応を示さなかった。そのかわり、呻くような声が聞こえる。
「この、大会準優勝の俺に、6−0と、6−1だと……!?」
そして、ややして、弦一郎は顔を上げた。その表情は険しく、少し黄みがかった目には、燃えるような熱がある。しかしその佇まいには、どうしようもない困惑、絶望の淵を覗いたような恐怖もあった。
「ちくしょう! なんなんだ、貴様は!?」
激昂、困惑、絶望。そんなものを綯い交ぜにした声で、弦一郎は叫ぶ。
──そのとき。
「キミが、手塚くんだね?」
少年とも少女ともつかぬ、高めの、しかし不思議に落ち着いた声。
聞き慣れたそれに弦一郎がはっと振り返ると、予想通り、そこに立っていたのは、精市だった。微笑んでいる。
ふつう、微笑んでいるものを見れば、こちらもつられて笑みが浮かぶ、そのように人間はできている。しかし、精市のそれは、表情自体は笑みのようだが、見てもまったくこちらの笑みを誘わない、ぞっとするような凄みがあった。
「次は、俺とやろう」
にっこり、と微笑む。国光は、相変わらず表情を変えない。
「……幸村」
「やあ、真田」
まったく笑えない微笑みのまま、精市は弦一郎に近づいた。
「……手塚国光。東京のジュニアチャンピオンだよ。もっとも、この間までドイツのテニスアカデミーに短期留学していたから、しばらく大きな大会には出ていないけど」
だから真田は知らなかったのかな、と精市は言った。
「まあ、俺もさっき、人に
教えてもらって初めて知ったんだけどね」
「おい」
弦一郎が、精市を睨む。
「いいじゃない、やろうよ」
ポン、と、精市は、ボールを一度跳ねさせた。
「……バスの時間がある」
「バスって、一時間に一本出てるやつ? ちょうど今出たところだと思うけど」
その言葉に、国光は、コートから見えるように立っている、大きな時計を見た。するといつの間にかバスの時間は過ぎてしまっていて、次のバスまでほとんど丸々一時間あるのがわかる。
一試合目は十五分程度しかかからなかったのに、二試合目は二十分以上かかっていた。そのことに気づかなかったことも含め、国光は、やはり油断のならない相手だった、とちらりと弦一郎を見る。
「俺は家の車で来てるから、なんだったら駅まで送るしさ。それならいいだろ」
国光は少し迷い、ややして、こくりと頷いた。
──ドゴォ!
すさまじいインパクト音を立てて繰り広げられる応酬を、弦一郎は、すぐ近くで、呆然と見遣る。
(幸村と、互角、だと?)
いや、それ以上かもしれない、と弦一郎は、目の前の試合を見て、もはや夢を見ているような感覚で思う。
現在1−1、3ゲームめ。カウントは15−30。
ゲームを先取したのは精市だったが、2ゲームめでは、国光は1ゲームめでコツを掴んだとばかりに、あっさりとそれを覆した。更には今、精市からポイントをリードしようとしている。
──あの、“神の子”幸村精市を、リード!
(幸村を、リード? 優勝した、幸村を?)
そこまで考えて、弦一郎は、はっとする。
そうだ、精市は、神奈川のジュニアナンバーワンを決める大会で、優勝した。
(俺は、準優勝だ)
精市に負けた。だから自分は、二位。
先ほど自分は、何を思い、口に出しただろうか? この大会準優勝の俺に、と、ごく自然に口に出しはしなかっただろうか?
それを思った瞬間、弦一郎は、絶望の淵に立たされた気持ちになる。
(──俺は、いつから、甘んじていた!?)
準優勝。精市に負けたがゆえの、次席。
弦一郎は、決勝に残らなかったことなどない。もはや精市とセットのように扱われ、この二人が優勝と準優勝で決まりである、と、誰もが思っていた。
だから今回の大会も、精市と弦一郎が優勝と準優勝だと、誰もが疑っていなかった。
(俺は、いつから、──負けることに甘んじていた!?)
足元が崩れ落ちてゆくような絶望感と、頭が煮えそうな羞恥が、弦一郎を襲う。
何が、準優勝の俺に、であるか。準優勝とは、負けたということ、頂点の争いに敗北したということ。──それを、何を誇らしげに!!
目の前で繰り広げられる、国光と精市、勝者たちの戦い。
弦一郎は、生まれて初めてと言っていいほどの惨めな気持ちでもって、その場に立ち尽くした。コート脇、ぼんやりと見ていることしかできない、蚊帳の外。
それは、転がり落ちた暗い穴の底、井の中の蛙が、天を見上げるような格好にも思えた。
「そこの子たち! 自由解放は終わりだよ」
突然響いた見知らぬ大人の声に、弦一郎だけでなく、精市と国光も顔を上げる。すると、フェンスについた扉を開けて、ここの職員が着る、制服代わりのロゴ入りのウェアを着た中年男性が、柔和な表情でこちらを見ていた。
「すまないね。施錠をしなきゃならんから、出てくれるかな」
「……すみません」
ぺこり、と、国光と精市が礼儀正しく頭を下げる。カウントは4−4、決着のつかぬまま、勝負はお預けとなった。
二人がベンチに置いた荷物をとりに動き出し、弦一郎も彼らに続いて、荷物をまとめようとした。
そして、ふとその時、今までなかった鮮やかな色彩が、視界の端を掠めた。
そのままなんとなくフェンスの外を見た弦一郎は、ショックでぼんやりと夢見心地ですらあった意識に、冷水をぶちまけられたような気分になる。
フェンスの外、コートがよく見えるところ。
そこには、この場に似つかわしくない、鮮やかな着物を着た少女が立っていた。