心に邪見なき時は人を育てる
(三)
「そろそろお暇しますえ」
一分の隙もない紋付きの喪服を纏った紅椿が、本堂の方向から姿を表した。
真っ黒な喪服が、この老女の常人らしからぬ存在感を余計に際立たせている。
その斜め後ろに付き従うようにして、信一郎もいた。
喪主の弦右衛門、信太郎と諏訪子は他の親戚の相手をしているため、兄が紅椿についているのだろう。だが人間国宝にして京一番の芸妓の相手とあって、さすがの信一郎もひどく緊張しているようだ。
様子を見に来た由利から佐助を抱っこさせてもらったりしていた紅梅は、一瞬名残り惜しそうにしてから、ベンチから立ち上がった。
「紅梅ちゃん、またね」
「へぇ」
今までよりも格段に気安い信一郎の挨拶に、紅梅がにこっと笑って返事をする。
信一郎は今まで紅梅に然程興味が無いような感じだったのだが、泣いたのを世話して、親近感がわいたのだろうか、と弦一郎は首を傾げる。しかし、兄が紅梅にやさしいのに越したことはないので、気にしないことにした。
「ほな、信一郎はん。よろしゅう頼みますえ」
「はい」
びし、と、背骨が反り返っているのではないかというほど気を付けの姿勢で返事をしている兄と、きろりと切れ長の目を動かして彼を見る紅椿に、弦一郎は「指切りでもしたんだろうか」と何となく思う。
何の約束をしたのかは知らないが、兄が約束を守れますように、と祈っておく。
送って行きましょうか、いや迎えがあるので結構、と信一郎と紅椿が話している。
そしてその会話が途切れると、佐助を抱え直した由利が立ち上がり、女剣士らしいきびきびした礼をしながら、「本日はありがとうございました」と、嫁として十全な挨拶をした。
「ほな、由利姉はん、佐助くん、さいなら」
「さようなら、紅梅ちゃん」
微笑んだ由利が、佐助の小さな手を取って、ばいばい、と振らせる。
ちなみに、彼女は紅梅と接している間、「女の子もいいですね」と三回は言った。弦一郎に姪っ子ができる日も、そのうち来るかもしれない。
「弦ちゃん、また」
「ああ。また」
去っていく紅椿を追いかけながらも、振り返り振り返り、紅梅が笑顔で手を振ってくる。
寺の門前に停まった、黒く艶めく長い車に彼女が乗り込むまでずっと、弦一郎もその姿を見送っていた。
「たろ先生(センセ)、これどないしたらよろしおすの?」
「フォークもナイフも、外側のものから使う」
「持ち方、こぉ?」
「そう。柔らかいからそんなに力を入れなくてもいい」
東京、某ビル最上階。
見事な夜景の見えるテーブル席で、馴染みのないフレンチのコース料理に四苦八苦している少女に、榊太郎は丁寧にテーブル・マナーを教えながら、自分も皿の上のオードブルを口に運ぶ。
日本では少し珍しい、アーティチョークのブーシェ、フォアグラのテリーヌ添え。
太郎としては、食事は楽しく摂るのが一番であると思うので、ボーイに言って、箸を持ってこさせても全く構わないと思う。彼女の箸さばきは、そこんじょそこらの大人なら舌を巻く、見事なものなのであるし。
だが「洋風のもんも慣れとき」という彼女の祖母の一声で、太郎は即席のマナー講師として、少女──上杉 紅梅に、ナプキンの使い方から教えることになった。
「あーてぃちょーく。て、どんなお野菜どすか?」
「野菜、というよりは、花だ。和名はチョウセンアザミ」
咲く前に、蕾をこうやって茹でたり蒸したりして食べる、と太郎は言った。
アーティチョークはヨーロッパやアメリカでは広く食用とされ、他の地域では乾燥してお茶にする場合もあるポピュラーな植物だ。だが日本では栽培条件が合わないこともあり、特に食用としてはあまり普及していない。
「アザミなので、キク科だな」
「菊……」
今日は菊、ようけ見たえ、と紅梅は淡々と言った。
太郎がこうして送迎に呼び出された理由は、彼女らが親しくしていた家の者が亡くなり、その葬式に出席した帰りである、と聞いている。紅梅も懐いている人で、散々泣いたらしい。目の端がまだ少し赤いのが痛ましかった。
「そやけど、菊どしたら、かきのもとの仲間どすか?」
「……“かきのもと”?」
「だいたい新潟の食用菊どすな。中越のほうやと“おもいのほか”て言うたりしますえ」
テーブルを挟んで正面、見事なナイフとフォークさばきでブーシェを切り分けている老女──紅梅の祖母にして京舞の重要無形文化財保持者。人間国宝である上杉 紅椿が、さらりと補足説明を寄越した。
講師役のはずが、逆に教えられた太郎は、ほう、と肝心の相槌を打つ。
「おひたしにすると、美味しおすえ」
今度は、紅梅が補足する。
この小さな舞妓見習いも、専門知識ならば、時に太郎の知識を軽く凌ぐ。
今までも、例えば着物、茶道、華道、建築様式、独特のしきたりや言葉、作法など、古都で今も生きる伝統文化の知識を、太郎はこの少女からしばしば教わっている。無論、姐芸妓たちの補足がつくが。
「お座敷慣れさせよ思て瓢屋はんに上げたんに、厨に入り浸って。料理ばーかり覚えて帰ってきよる」
花より団子も大概にせえ、と、紅椿は半目で孫娘を見た。
「そやかて、お料理楽しおす」
「舞妓が桂剥きやら飾り切りやら、出来てどないするのや」
「芸や」
「あほか」
豊かな抑揚ある言葉での応酬は、まるで歌うようだ。
しかもそれが、唄いにおいてもかなりの名を持つ名妓と、鈴を転がすような声の持ち主である小さな舞妓見習いによるものであれば、なおさら。
そしてその会話から、あの動く日本人形のような姿の紅梅が、客の前に出て大根の桂剥きを披露する光景を想像し、太郎は堪えきれずに少し笑った。
「お梅は、料理に興味が?」
「へぇ。お料理、好きどす」
にこ、と笑って答えた紅梅の皿は、綺麗に片付いていた。器用にソースを絡め、折りパイの欠片ひとつ残っていない。
「そうか。料理はいい。私も料理が好きでね」
「ほんまどすか」
「たろはんまで一緒んなって」
悪ふざけをする子供を叱るような目でじろりと見られ、太郎は苦笑して肩をすくめた。この老女にかかれば、三十代後半の太郎も、幼い少女とひとくくりだ。
それに、太郎は京花柳界に客として足を運ぶようになって日が浅い。そうでなくても、この世界での三十代は完全にひよっこ、若輩扱いである。「たろはん」というどこか可愛らしい呼び名にも、それが現れていた。
「そういうたら、たろはんはお仕事どないしはったんや」
「ああ、……完全に手を引きました」
太郎は、組織と親族と金と権力、歴史と陰謀と騙し合いがごった返していたこの数年間を思い、疲れた顔をした。
一時は今度こそ、と努力をしたものの、あまりにもあ(・)い(・)か(・)わ(・)ら(・)ず(・)な面々に、ほとほと愛想が尽きてしまった。
だから、最後の一年間ですっかり露わにした面倒事の全てを丸投げし、無様にわあわあ騒ぐ亡者どもに砂をかけて舞台から降りるという見事な幕引きを終えた今、後悔はなく、せいせいした気持ちだ。
「このまま隠居しても良いのですが」
「あほ抜かし、若いみそらで」
叱られた。
子供の時から誰かに叱られることなど、しかもこのように完全に上から問答無用で言いつけられることなど早々無かった太郎であるが、その声は、不快ではない。
千年を超える歴史が、今も生きて息づく古都。
紅椿を筆頭として、そこに住まう人々から、若輩として“可愛がられる”のを、太郎は不思議と悪くなく感じている。
──彼女たちと榊太郎の出会いは、今から約五年前に遡る。
人間国宝にして京いちの名妓、と名高い紅椿に、日本国内はもちろん、海外から面会を求めてくる者も多い。
しかし、花柳界は原則、一見さんお断りの紹介制の世界であり、敷居は高い。紅椿に会いたいとなれば、相当である。
しかしある日、太郎は、日本文化をこよなく愛する海外の友人から、何とか紅椿に会えないものかと頼み込まれた。
太郎はその立場故に、花柳界に限らず様々なコネクションがあるものの、太郎本人がそこまで社交に熱心ではないせいで、どれも浅く広く、当たり障りなく、といったものばかりだ。
そのため、さすがにその願いは叶えられそうにない──と断ろうとしたのだが、なぜかその話が紅椿の耳に入り、そして更になぜか彼女が「よろしおすえ」と言ったので、あれよあれよという間に、その座敷は実現した。
それまで座敷遊びにも日舞にもさほど深く興味のなかった太郎だが、紅椿を前にして、その考えは変わった。
まず紅椿本人が、人でない何かの化身なのではというオーラの持ち主であるが、彼女の舞はその印象を確信に変えかねないもので、その舞で作る空間も、もはやこの世ではない幽世であった。
その印象も様々で、思わず、あまつ風、雲のかよひじ 吹きとぢよ……と詠みたくなる時もあれば、実は狐に化かされていて、はっと目が覚めれば誰も居ない屋敷に取り残されているのでは、などと想像を膨らませてしまうこともあった。
以来、太郎は時折、季節が変わろうかという頃に、京都にやってくるのを習慣にするようになった。
日本の四季を感じるのに、京ほどふさわしい場所はない、と、足を運ぶ度に太郎は深く感じ入る。
そして、見た目は明らかに外国の血が入った映画俳優のような容姿であるのに、これ以上ないほど日本人らしい名前を持つ彼が、「若いのに粋に遊んでいかはる」と知る人ぞ知る存在になるのに、さほど時間はかからなかった。
だが舞踊家としても大いに活動し、海外を飛び回ることもある紅椿を座敷に呼ぶのは、なかなか難しい。
だから太郎は、彼女を呼びつけるのを潔く諦め、追いかけることにした。公演予定はくまなくチェックし、できる限りいい席を取って、彼女の舞台を観た。
天衣無縫と呼ばれる彼女の舞はまさにこの世のものでなく、天上に招かれたような気分になった。その頃“榊”の一族にほとほと嫌気が差していた太郎は、彼女の舞台に随分救われ、毎回欠かさず花を贈った。
これほど何かに惚れ込んだのは相当に久しぶりで、それだけに、太郎はとても熱心だった。
紅椿の舞を観れば観るほど、最初の座敷が実現したのは、本当に幸運だったのだ──、と太郎はほとほと実感していたのであるが、今から約二年前のある日、その幸運が再び実現した。
しかも、紅椿のほうからの提案で、である。
いつも花をありがとう、今度京都に戻るので、よろしければお座敷においでくださいませ、といった手紙に、もはや完全に彼女の信奉者であった太郎は、舞い上がった。
もう一度、あの舞が間近で見れる。
今まで現状維持とトラブル回避に努めるばかりだった面倒な問題を、各国を飛行機で飛び回ることも厭わずいつも以上に死ぬ気で片付け、太郎は京都に飛んだ。
紅椿の舞で作る座敷は、やはりこの上なく素晴らしかった。
そして太郎が感動に浸っているその最中、紅椿に孫がいて、舞妓になるための修行をつけている、ということを聞いた。
更にその孫を見習い、見学として「端っこに置いといとくれやす」と言われて了承したら、この少女が連れて来られた、というのが、太郎と紅梅の出会いだ。
舞妓として正式に店出しする前に、仕込み、おちょぼ、と呼ばれる修行期間がある。
その時期の娘が、芸は披露せずとも、料理を運んだり、見学として賑やかしに部屋の隅に座っていたり、ということがあるのは、太郎も知識として知っていた。
だが連れて来られた紅椿の孫は、太郎が予想していたより、随分と小さかった。
現代日本の法律と伝統のすり合わせの結果、現在の舞妓は中学卒業後、満十六歳でないと座敷に出ることが出来ない。だからその前の仕込み、おちょぼとなれば、どんなに若くても中学生ぐらいの少女のはずである。
だが太郎の前に連れて来られた日本髪に振り袖の少女は、どう見ても、小学校に上がったくらいの子供であった。
聞けば、置屋の家娘なので産まれた時から修業をつけている、との事だったが、この年齢からというのは、もはや古き良き戦前の頃のごとくである。
その頃は、舞妓は十一歳から十二歳で店出しするのが普通であったので、この十歳に満たない少女の生活は、まさにその頃の“おちょぼさん”そのものといえよう。
法律的に問題はないのか、と気になったが、座敷に呼ぶと料金がかかる正式に店出しした舞妓と違い、おちょぼはあくまで見学、体験の名目でそこにいるので、賃金が発生しない。おまけに紅梅は紅椿の孫、身内なので、「家族の職場に見学に来た子供」という扱いになる、との事だった。
──ただし、座敷での“ご祝儀”、いわゆるチップに関しては、ノータッチである。
若干グレーな所はあるものの、小さな子供が一丁前の舞妓のような姿でちょこんと座っているのは客にも受けが良く、昔はこうだったんですよと正しい文化を伝えやすくもある、と言われれば、もう何も言うことは出来ない。
身体が小さすぎて重い膳を運ぶのも危なっかしいため、本当にただ黙って美しい和室の端に座っているだけの少女の様は、「端っこに置いとく」という表現そのままであった。
あまりにも微動だにしないので大きな日本人形にしか見えず、馬鹿馬鹿しくも「本当に生きているのか」という思いでつい話しかけたのであるが、話してみれば、中身は祖母の紅椿を思わせるいたずらな茶目っ気も豊富な、懐っこい子供だった。
それまで子供が好きな自覚はあまりなかったが、子供特有の発想からくる言動は興味深かったし、隠さぬ好奇心であれこれ聞かれてそれに答えたり、教えたりするのはなかなか面白いことである、と太郎は発見した。
その年相応な態度に最初は姐芸妓からお叱りが飛んだが、太郎は構わないと止めた。
以来、太郎が客として来ると、紅椿の名代であると冗談半分の名目で、時々、この小さなおちょぼが座敷にちょこんと座るようになったのである。