心に孝行ある時は忠節厚し
(七)
弦ちゃんへ

こんにちは。
佐和子おばあさまの手術が成功して、本当によかったです。早く元気になるように、天神様にまたたくさんお願いしておきます。

前より、お手紙を出すのが遅くなって、ごめんなさい。
お稽古がたくさん増えたので、帰ってきたらそのまま寝てしまうことも多くなりました。私がもっと上手になれば、もう少し勘弁して貰えるかもしれないので、がんばります。

もうひとつ、弦ちゃんに、謝らなければいけないことがあります。
毎年真田のおうちに遊びに行くのは何でか、とお母はんに聞かれて、仲良くなった子に会いたいから、と言いました。
でも、弦ちゃんが男の子だとわかったら、もう二度と真田のおうちには行かせて貰えない、とおばあはんに注意されたので、女の子だとうそをつきました。ごめんなさい。

…………

あと、お手紙を書いているのがお母はんにわかったら、きっと禁止されるので、前よりも、こっそり書いています。

…………

私もがんばるので、弦ちゃんもがんばってください。

紅梅より。



 祖母・佐和子の手術以来、弦一郎のテニスは、烈火の如く、というような有様だった。

 最初は、長らく練習量を減らしていた分を取り戻そうとしているのか、と単に思われていた。しかし、あまりに鬼気迫るその様子は、単なる努力というにはかけ離れた壮絶さに溢れていて、目にした誰もが言葉を失うほどであった。
 気絶するまで、というのは比喩でも冗談でも何でもなく、弦一郎は幾度も限界を超えるような練習を繰り返し、どんな小さな大会でも全て出場し、破竹の勢いで力をつけていった。

 試合においても、ラブゲームでの勝利、試合時間そのものの短縮などにこだわり、目に付く相手に片っぱしから勝負を挑んだ。
 その激しく、荒々しく、燃え盛る炎のような有様は、勝負を挑むというよりは、手当たり次第に相手を叩き潰しにかかっているようにしか見えない。命でも賭けているのか、と誰かが言った言葉は、奇しくも、非常に的確であった。

 そういう様子なので、試合をしてももちろん圧倒的に強いのだが、まず弦一郎の殺気に近い気迫に相手が負けてしまい、まともな試合にならない、ということも多くなった。
 テニスで雌雄を決する前に相手の心が折れる、という意味では、図らずしも、結果的に、精市と同じような試合運びになる。
 そのためか、長らく頂点・幸村精市の二番手として評価されてきた真田弦一郎は、神の子の隣に並ばんとする選手として、改めて注目を集め始めた。

 ただし、凄まじく強いと同時に力任せでなりふり構わないスタイルは、畏れられると同時に忌避され、その結果、例えば『猛獣』とか、『暴君』などというあだ名で呼ばれることもあった。

 そんな周囲の評価を、弦一郎も、耳にしてはいた。
 しかし彼の頭の中にあるのは、ただひたすら勝利すること、それに尽きた。
 三十連勝を達成した日、祖母が手術後、初めて簡単に口をきけるようになったのを機に、その傾向はより強いものとなる。

(勝てば)

 ──勝てば、お祖母様は元気になる。

 現実的な根拠など、ない。
 大きな手術を終えた祖母の容態は一進一退で、毎日何らかの報告がある。だから弦一郎の三十連勝と祖母の回復は、単なる偶然でしかない。

 まじない、呪術、気休め、願掛け。自分のやっているのはそういうことであると理解してはいたが、弦一郎は、そうせずにはいられなかったし、効果があるのだと思いたかった。
 そして、それ以外に、できることが思いつかなかった。

 紅梅からの手紙が前より少なくなったことと、その原因が、ぐっと増えたという稽古事であるということも、弦一郎の激しい練習と試合量に拍車をかけた。
 どうせいつかはやらされるものなので、気にしないでほしい、と紅梅は返してきたが、そういう問題ではない、と弦一郎は受け取っている。
 彼女は、弦一郎のために、佐和子のために、真田家の人々のために精一杯行動し、そのせいで稽古事を山のように増やされ、子どもとしてはありえないほどに忙殺されている。
 そしてそれでも時折寄越される手紙には、「私もがんばるので、弦ちゃんもがんばってください」と書かれていた。

 がんばって、という紅梅の言葉は、いつになく、弦一郎をまっすぐに激励した。
 そしてその言葉を思い出す度に、あなたは間違っていない、私も同じようにしています、と肯定されているような気がして、弦一郎は、救われた気持ちになった。

「勝つ」
 試合に挑む前、弦一郎は必ずそう口にする。
 テニスバッグにぶら下げた黒いお守りを祈るように掴み、勝利を誓い、ラケットを握る。
「……潰す」
 帽子の鍔で陰った目元だけが、ぎらぎらと燃えている。

 以前のように毎日見舞いに行くことはなくなったが、弦一郎は、勝利回数がある程度切りの良い数字になると、祖母にそれを報告しに行くようになった。
 それは自分への褒美でもあり、願掛けの延長でもある。
 そして弦一郎はこの時自覚がなかったが、こういった、自分の中でルールを作って己にプレッシャーをかけるやり方は、時にどうしようもなく癖になるものだった。

 最初は、勝利の数だけ祖母が回復したという考えに、ただ喜ぶ。そして、次も勝とうとする。この繰り返しに囚われると、病状が回復に至らなくても、「勝利の数が足りなかったからだ」という考えに至ってしまうのだ。
 それはもはや質の悪い信仰に嵌り込むような精神状態と同じようなものであり、しかし、掛け替えのない祖母の命がかかっているからこそ、弦一郎は、囚われた。

 しかし、そんな弦一郎の異様さに薄々気づいていながらも、真田家の人々は、それに係うことはなかった。──正確には、出来なかった。
 常に弦一郎を導いてきた祖父は弦一郎以上に最愛の妻の容態に一喜一憂し、憔悴しており、毎日顔を出していた道場にすらあまり足を運んでいない。
 そんな祖父の穴を埋めるため、両親は道場経営とそれぞれの仕事にかかりきりになり、兄と義姉はその手伝いに加え、産まれたばかりの子供のことで精一杯だったのだ。

 だから、弦一郎は、只々、戦い続けた。

 勝ち続ければ祈りが届くのだと、そう信じて。
 佐和子の容態が一進一退を繰り返す最中、産まれた子供は、男の子であった。

 どちらかというと母親似で、真田家の血筋はあまり感じない。猫っぽい丸い目が印象的な、どこか愛嬌のある顔だちだった。
 佐和子と弦右衛門にとっては曾孫、諏訪子と信太郎にとっては初孫、弦一郎にとっては、小学四年生にしてできた甥っ子になる。

 ──佐助、と名付けられた。

 佐助の“佐”は、佐和子、から一字取ったものだ。
 真田家の男子でありながら“弦”の字を付けられなかったのは、母である由利の希望だった。
 彼女は真田家に入る前、ただの門下生であった頃から、佐和子には何かと世話になっていた、嫁入りした際もとてもよくして頂いた、といって、妊婦であるにもかかわらず、熱心に佐和子の見舞いに訪れていた。
 真田家に越して来るなり、初産のくせに「伊達に鍛えてはいない」と言い張って、佐和子に代わって台所を切り盛りし、たくましく振る舞う嫁に、家族の誰もが元気づけられた。

 そして彼女は、回復祈願、そして尊敬する義祖母の心根を引き継いでほしいという願いを込めて、第一子に“佐助”と名付けたい、と言った。
 無論、誰も反対しなかったし、このことで、真田家の面々は、この義理堅く情の深い嫁を、一層愛するようになった。



「お祖母様、佐助です」

 由利が抱いて、精一杯枕元近くに寄せた、生まれて一週間も経っていない小さな曾孫に、身体に何本も管を着けた佐和子は、確かに微笑んだ。
 布団の下から伸ばされた痩せた指を、信じられないほど小さな手がきゅっと握ると、彼女はなんとも言えない、見ている方が泣いてしまいそうな笑みを浮かべた。

 実際、泣いていた。
 このとき、佐和子の周りには、真田家一同、全員が揃っていた。
 夫の弦右衛門、一人娘の諏訪子、その夫の信太郎。そしてその長男の信一郎、嫁の由利、産まれたばかりの佐助。そして、弦一郎。

「お母さん。元気になって、佐助を抱っこしてあげないと」
 諏訪子が、目元を光らせながら言う。鬼の目にも涙だ、と言って脛に鋭いローキックを食らった信一郎の目尻も、赤い。

 すっかり痩せた佐和子は、笑顔のまま、何度も小さく頷いていた。



 弦右衛門だけを付き添いに残して家に帰ったが、各々いろいろな用事にかかる家族のために、弦一郎は、小さな布団に寝かされた佐助の横に座っていた。
 ろくろく寝返りもうてない乳児なので特にすることはないのだが、一応、子守である。

 弦一郎が初めて接する赤ん坊は、どこもかしこも小さく、これが大きくなって、歩いたり話したりするのかと思うと、とても不思議だった。
 そしていつぞや紅梅が手紙に書いてきた通り、驚くほど熱く、小さい割にずっしりと重い。
 数分も抱いていると弦一郎は暑くてたまらなくなるのだが、母である由利は、時に何十分も平気で抱いているので、母親というのは暑いのに強いのだろうか、と弦一郎は不思議に思った。

 佐助の小さな手を指先でつつくと、きゅっと握り返してくる。
 もみじぐらいの大きさの手のくせに、割と力が強い。この子もテニスか剣道に向いているのでは、と弦右衛門と信一郎が曾爺馬鹿、親馬鹿なことを言っていたが、弦一郎も少しだけ期待している。
 歳が離れているので、佐助がラケットや竹刀をまともに握れる頃には、弦一郎は中学生か高校生ぐらいになっているだろうから、打ち合うというより、教えるような形になるかもしれないが。

 弦一郎は、なんとなく、ごろんと畳に寝転がった。
 普段、いかなる時も常に背筋を伸ばしている弦一郎だが、あぶ、とか、うあー、と意味不明な声を上げてご機嫌な佐助を見ていると、なんとなくそうしたくなったのだ。

「お前は、偉いなあ……」
 佐助の小さな手にちょっかいを出しながら、弦一郎は、ぼんやりと呟いた。

 佐助を見た祖母は、嬉しそうだった。弦一郎が百連勝を告げた時など、比べ物にならないほど。
 その様を見て、弦一郎は、佐助に佐助と名付けた由利と、指を握って声を上げただけで祖母を元気づけた佐助を、心の底から凄いと思った。

「お前、病気とか、するなよ」
 赤ん坊なので、ケガは周りの大人や弦一郎が見て気をつけていればいいが、病気はどうにもならない。まさに、佐和子がそうであるように。
 そしてこの小さな赤ん坊が病気になってしまったらと思うと、弦一郎はもう世界が真っ暗になる気がした。
 それは、祖母の元気の素がなくなってしまうからということもあるが、弦一郎もまた、小さな佐助に元気づけられていたからだ。

 産まれたばかりの佐助の手の皮膚は血潮が透けるほど薄く、ぷにぷにとしている。
 その感触はなんとも心地よかったが、常軌を逸した、とも最近評されるテニスと剣道の練習により、少年のものとは思えない手になっている弦一郎は、自分の荒れた手指が佐助の手を傷つけそうな気がして、指先で突っつくだけに留めた。
 短期間で何度も肉刺が出来ては潰れを繰り返した弦一郎の掌は固く、数度割れた爪はささくれる癖がついていて、親指の爪の根元には、固まった血が青黒く透けている。
 治りそうになる側から激しい練習を繰り返すせいで、ちっとも傷がなくならないのだ。

「俺も、もっと、がんばらないと」

 もっともっと勝たなければ、と、弦一郎は、佐助の手から指を離し、ぎゅっと拳を作った。

 自分は、もう赤ん坊ではない。
 佐助のように、健やかでいるだけで誰かを笑顔にできるような存在ではない、だからもっと、もっと勝たなければ、と、弦一郎は固く思い込む。

 勝つのだ。もっと。
 もっともっと勝って、たくさん勝って、全部叩き潰して、もっと──

 それはもはや、質の悪い信仰に嵌り込むような精神状態と同じようなもの。
 まじない、呪術、気休め、願掛け。しかし、弦一郎は、そうせずにはいられなかった。

 ──それ以外に、できることが思いつかなかった。






弦ちゃんへ

 …………

佐助くんの誕生、おめでとうございます。
来年、真田のおうちに行った時に、会えるのが楽しみです。

 …………

もうすぐ、大会ですね。
弦ちゃんなら、きっと……

 …………




「ゲームセット! ウォンバイ真田弦一郎、6ー1!」

 フゥーッ、と、歯の間から鋭く息をついた弦一郎は、振り上げていたラケットをゆっくりと下ろし、呼吸を整えた。
 冬期、神奈川県内の小学生ジュニアでは年末最後のこの大会、これで、弦一郎は決勝戦進出を勝ち取った。

 この大会で初めて弦一郎から1ゲームをもぎ取った対戦相手は、二つ年上の六年生である。
 何とか立ち上がってネット際まで来ようとしているが、既に足が立たないらしい。膝をついて荒い息をつく彼は、ネットの向こうで、凍てつく冬の空気の中、ぬっと立っている黒い人影を、何とか見上げた。
 彼より年下のはずの真田弦一郎は、肌から立ち上る汗と荒い息が白い蒸気となって立ち上っており、まるで熱した鋼鉄のようであった。
 試合は終わったというのに、黒い帽子に陰った目元が、ぎらぎらと獣のように光っている。

 その姿を見た彼は、何を感じたものか、短い唸り声を上げ、俯き、とうとうコートに手を着く。
 崩れ落ちるようなその有様は、まさに叩き潰された敗者、そのものであった。

(これで、百九十九連勝)
 だが弦一郎はといえば、ただ無言のまま、そう確認しただけだった。
 ただただ勝利にこだわる弦一郎にとって、対戦相手のことなど、単なる星の一つでしかない。いつものように、立ち上がってこない対戦相手をきっちり二十秒待った弦一郎は、そのまま踵を返し、コートを出た。

(──ここまでは、問題ない)
 弦一郎が籍を置くテニスクラブは、神奈川内でジュニア育成に力を入れる、そして強いジュニア選手を有するクラブとして有名だ。
 そこで既に小学生トップの実力を確固たるものにしている弦一郎は、準決勝を勝ち抜いたことを、当然のこととして受け止めていた。むしろ、1ゲーム取られてしまったことが忌々しくてならない。

 なぜなら、次の決勝戦。
 その相手は弦一郎と同じく、神奈川県内、いや全国小学生トッププレイヤー。
 弦一郎が、未だ一度も勝てたことがない、最も遠く、そして常に近くでそのテニスを見てきた相手。

 ──幸村精市である。
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BY 餡子郎
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