心に孝行ある時は忠節厚し
(四)
あっという間に、夏休みも中盤。
それはつまり、紅梅が神奈川にやってくるということだ。
あまり芳しくないらしい祖母の状態を懸念しながら、弦一郎はやってくるその日をどう迎えるべきか、考えていた。
佐和子は家族に心配をかけないように気丈に振舞ってはいるが、連日の検査や投薬などに耐える闘病生活に、やはり疲れているようだった。
夏休みに入る前、佐和子は病状の悪化に伴い、決定的な手術を受けることが決まった。日にちはちょうど、公演の数日あと。つまり紅梅が帰ったあとである。
手術を控えたからこそ、弦一郎は、祖母の病室に通い、元気づけることを欠かすまい、という思いを強くした。
── 本当は、目一杯テニスの練習だってしたいが。
そして、一年にたった一度しか会えない相手を、弦一郎とて、できれば精一杯持て成したいと思っている。
だが、祖母の手術、出来ない練習、それらのフラストレーションで切羽詰まった弦一郎は、遊ぶとか、更に誰かのために心を砕く、というような余裕が、どうしても持てなかった。
どうしたものか、と更なる煩悶を抱えた弦一郎であったが、その鬱積は、ある日突然に瓦解することになる。
その日は、紅梅がやってくる予定の日の、前日。
ついに明日、というその日、可愛さ余って憎さ百倍──ではないが、本来貴重で楽しむべき機会だからこそ、「なぜ今」と、弦一郎は隔靴掻痒の感を持て余しながら、いつものように練習を早めに切り上げ、病院に向かっていた。
まず感じたのは、やけにざわざわとしているな、ということ。
大きな病院なので人の声が多いのはいつものことだが、いつにもまして人々がそわそわと落ち着きが無い。弦一郎はその様子に怪訝そうに眉を顰め、しかし我関せずと歩みを進める。
「弦一郎君」
病室に向かうためにエレベーターのボタンを押そうとした弦一郎は、後ろからかけられた声に振り向いた。
「義姉さん」
そこにいたのは、兄・信一郎の妻となった由利であった。
妊婦である彼女もまた、佐和子の見舞いと自身の検診のために病院に多く足を運ぶので、ここにいるのは不思議ではない。
「良かった、間に合って。こっちに来て」
だがいつもきりりと引き締まった態度の彼女は、他の人々と同じ、どこか浮ついたような、慌てたような表情をしていた。せかせかと用件を告げるその声もいつもと違ってやや早口で、早く、と急かして手首を掴んですらくる。
弦一郎は目を白黒させながらも、もうずいぶん腹の大きい妊婦のくせに早足で歩こうとする義姉をむしろ諌めつつ、素直に従った。
向かう先は、どうやらサロンのようだ。
遠くに海が見えるよう美しく整えられた中庭と、それが広々と見渡せるガラス張りのサロンはこの病院の売りで、飲み物や軽食を出す食堂も併設され、入院患者、特にリハビリ中の患者のための軽い道具なども揃えてある。
「どうしたんですか」
「ええと、紅椿さんがいらっしゃって。あの、人間国宝の」
「えっ」
弦一郎君はお会いしたことがあるんだったか、と由利は慌てたように呟きながら、説明を続けた。
大きな車で突然やってきた上杉紅椿は、数人の伴を引き連れ、文字通りの「見舞い」にやってきた、とのたまったらしい。
彼女の連れは舞台の設置や伴奏を請け負うスタッフたちで、病院のサロンに、あっというまに小さな舞台が作られた。
病院側には、事前に話は通っていたようだ。
所謂、サプライズ、ということになるだろう。
無論、彼女は佐和子のためにやってきたのだが、公共の場で舞うため、他の入院患者も自由に見物に来て良いことになっている。
ざわざわと騒がしいのはそのためで、よく見渡せば、騒がしいのは“舞踊家・上杉紅椿”をよく知る、比較的年配の人々ばかりだった。
サロンは人々でごった返していたが、最前列のど真ん中に陣取る車椅子に座っているのは、もちろん弦一郎の祖母・佐和子である。
隣には彼女の目線にあわせるように弦右衛門がしゃがんでいて、肘掛けに置かれた佐和子の細い手を、覆うように握っていた。
「おばあさま」
声をかけると、佐和子は「弦一郎」と喜色満面の声を上げて振り向き、紅潮した頬をして、手まで振った。
弦一郎は由利とともに佐和子の側に駆け寄り、弦右衛門が握っているのとは逆の左手を、こわごわと握る。
「突然いらっしゃってねえ、お見舞いですって。しかも、私のために、ねえ! こんなに近くで舞ってくださるなんて、もう、私、本当に嬉しくって!」
夢のようだわ! と喜ぶその様はとても明るく朗らかで、小さな少女のようですらあった。少なくとも、最近の、疲れ果てたような様子とは天地の差である。
佐和子の手を握りながら、「あまり興奮するんじゃない」と窘める弦右衛門もまた、妻の様子が嬉しいのだろう、にこにこと笑っている。──泣きそうにも見えた。
最前列から見えるのは、サロンの椅子とテーブルを退かし、数枚の畳を敷いた簡素な舞台。
その上には、黒地の五ツ紋で正装した、見るからにベテランそうな地方芸姑が数名、一切隙のない背筋で座り、楽器の調子を整えていた。
そして中央、誰よりも思い存在感を放って座っているのが、上杉紅椿である。
もちろん全員白塗りの化粧で、テレビで見る芸姑そのままの姿であった。そんな彼女らがそうして座っているだけでも、サロンの一角が、まるっきり別世界を切り取ったような空間になっている。
──ポン!
小鼓がキレの良い音を響かせると、人々が魔法のようにピタリと静まった。
ぴりり、と、説明できない緊張感が全員の背筋に走ったと同時に、地方の芸姑がひとり前に進み出て、前説のような説明をする。言葉はもちろん堂に入った京ことば、いや花街ことばだ。
今から舞うのは、神楽舞。
本来は神社などで神に奉納するために奏される歌舞で巫女が舞うのがよく知られているが、古くから祈雨、家屋の建築、病気平癒といった祈願にも用いられる舞である。
宮中では天皇の病気回復祈願等で舞われ、その際は、伝わっているものではなく、臨時で新たに作られた舞をその場限りで舞うという。
「今からご披露致しますのんは、真田佐和子はんの手術の成功をお祈りしまして、紅椿はんが舞わはるもんどす」
要するに、このためだけに新たに作った、この場限りの、正真正銘の“見舞い”のための一差である。弦一郎がちらりと見れば、佐和子は感動のあまり目をうるうるさせていた。
──ポン!
また、小鼓の音。
空気を瞬時に支配するようなその音が脳天を劈いたと思った時には、前説をしていた芸姑は、すっかり自分の持ち場に戻っていた。
紅椿の人間離れした“妖かし”っぷりをもはやトラウマのように覚えている弦一郎であるが、いま目の前で見たその様に、もしかして芸姑という人々は皆ああいうふうであるのだろうか、とごくりと唾を飲み込んだ。
ぺん、ぺん、と三味線が音を奏ではじめ、前説をしていた芸姑が、唸るような唄を歌い出す。
聞いただけでは詳しい意味など分からない古い言葉だが、端々の単語から、快癒を祈る歌だということは理解できた。
鼓が鋭く空気を切り裂き、太鼓の太い響きが天に道を作る。
尺八の揺るぎない音が流れを導き、高く澄んだ笛の音が、細い祈りを確かに通す。
鈴の音が、時折、華を添えるようにシャンと鳴った。
そしてその全てを引き連れるのが、紅椿、彼女の舞である。
神楽の起源は、古事記・日本書紀の岩戸隠れの段にて、アメノウズメがアマテラスを呼び戻すために舞った舞であるとされる。「かぐら」の語源は「神座」であり、つまりそれは、神の宿る場所のこと。
舞手に神々を降ろすことで穢れを祓ったり、神懸かりとなった舞手、すなわち神と人が交流するための場を作る歌舞を、人の世において神楽と呼ぶ。
いま目の前で舞われているのは、まさしく神楽であった。
今まで弦一郎が見た彼女の舞台はどれも徹頭徹尾この世のものでは無いようだったが、今回のものは、質が違った。
舞台で見た彼女の舞はひどく妖かしめいていて、誰もいない暗がりで百鬼夜行に出くわして硬直するような衝撃があったものだが、神を降ろすというその舞は、あまりの光に思わず呆然と膝をついてしまうようなものだった。
── 神がかっている。
勇気を出して弦一郎がよそ見をしてみると、人々は皆残らず、天女の舞に釘付けになっていた。
一種異様なまでの光景。視界の端に見えた祖母の目から、ぽろりと涙が一粒落ちて、光って消えた。その様を見て、弦一郎は理屈なしに定見する。
これで何も起こらないというのなら、この世には、救いなどない。
そのあとは、舞台を見に来れない佐和子のため、また見物人の人々へ向けて、舞台で披露する予定の演目『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』の一部が披露された。
元々は神事で用いられた曲はリズミカルで覚えやすいが儀式的でもあり、舞自体は、神聖なものとして正月等の晴れの日に上演された能の『翁』がルーツとして強くある。
そのため目出度げな演目として有名で、人形浄瑠璃化したものは国土安穏、天下泰平を祈る景事ものというジャンルに当てはめられている。
つまりは回復を願う患者たち、あるいは出産を控えた妊婦らに披露するにはなかなかにうってつけの演目だったわけで、さらに、神々しすぎた神楽舞の口直しにも調度良かった。
そうしてサプライズは大成功となり、来た時と同じように、あっという間に舞台は撤去され、まるで夢の様なひとときは幕を閉じた。