心に孝行ある時は忠節厚し
(二)
弦ちゃんへ

こちらは、天神様の梅の花が散って、桜が咲き始めています。
四年生になったら、大会に出られるのですね。弦ちゃんがちゃんとテニスコートでテニスをするところを見たことがないので、いつか見てみたいです。
結果を教えて下さい。

私は、四年生になったので、お座敷に上がります。ふつうはもっと大きくなってからですが、私は屋形の子なので、早めにやることになりました。
でも、おねえはんらみたいにお化粧はしませんし、見学みたいなものらしいので、あまり変わりはないと思います。

 …………




 もうすぐ春を迎え、小学四年生となると、小学生も後半。テニスにおいても、多くの大会へのエントリー年齢に達した歳でもある。
 弦一郎はスクールから、主に神奈川・東京で開催される様々な大会へ精市とともにエントリーして頭角を現し、各方面から注目を集め始めていた。

「ゲームセット! ウォンバイ真田、6ー0!」

 コートに響く、審判のコール。
 弦一郎はネットまで歩みを進めたが、対戦相手は自分のコートに膝を着いたままだ。

 荒い息をついて俯いたままの彼から滴り落ちる大量の汗が、コートに次々としみを作っている。その手にあるはずのラケットは、最後の一球でライン際まで弾き飛ばされてしまっていた。

 しばらくネットの前で待っていた弦一郎だったが、対戦相手はいつまでも立ち上がってこないどころか、そのまま倒れこんでしまった。周りの者が声を上げて駆け寄るのを見届けた弦一郎は、そのまま無言で踵を返し、コートから出る。

「相変わらず圧倒的だね、真田」
「……お前に言われたところでな」
 にこにこと微笑みながら声をかけてきた精市に、弦一郎はぼそりとそう返した。
 圧倒的。弦一郎のテニスをしてそう表現するのは間違ってはおらず、少なくともスクール内、いや神奈川内では、小学生で弦一郎に勝てる選手はいない。──精市を除いて。

 弦一郎のテニスが圧倒的であるならば、精市のテニスはまさに超然的と表現するにふさわしかった。
 弦一郎がスクールに入った時、そして現在も、その評価は「飛び抜けて強い」と揺るぎない。しかし精市のそれは、ただ強いという以上の、それこそ“神の子”という二つ名がつくほどの天賦の才であった。

 凡人が練習し、努力しなければできないことを、神の子・幸村精市は、見ただけで完璧にやってのける。
 現在のスクールに入会した精市は、まず同年代全員に勝ち、次にアンダー9のトップだった弦一郎をこてんぱんに負かし、更にはアンダー12、弦一郎がまだ勝てない年長クラスの殆どを負かした。
 強いとはいえまだ十歳にもなっていない精市の体力が切れなかったらどうなっていたか、信じられないことだが、その想像の先はひとつしかない。そのくらいの強さであった。
 精市の、美少女とも美少年ともつかぬ、夢の佳人のような浮世離れした容姿も、その二つ名を後押しした。

 決して甘やかされた育ちではない──むしろかなり厳しく躾けられた弦一郎であるが、非常に恵まれた環境に生まれたことは確かである。
 そんな弦一郎にとって、精市は、生まれて初めて味わった、絶望ともいえるほどの高い壁であった。
 それはもちろん弦一郎だけが味わうものではなかったようで、精市は前のスクールを、スクール側から請われて辞め、ここに来たらしい。
 その理由は、精市の才能を伸ばせるだけの環境がないことと、精市と試合をした者達が、あまりの才能の差にショックを受けてテニスを辞めてしまうことが相次いだせいであるという。

 その光景を、弦一郎も実際に、その目で見た。
 精市と試合をした相手の殆どは、最後まで試合が出来ない。試合の途中で心が折れ、戦意を喪失してしまうのである。
 泣きながらコートから逃げる者、その場で蹲る者、ラケットを地に叩きつける者。いずれも、二度とスクールには現れなかった。試合をせずとも、そのプレイを見ただけで来なくなった子供もいる。

 精市のあまりの強さ、あまりの才能は、凡人たちに「この先に行っても意味は無い」と思わせる。
 いくらやってもあの頂に至ることはできないのだという絶望が、テニスを始めたばかりの子どもたちの心を折り、時には努力を始めた選手たちの志をも叩き潰す。
 当人の精市がそれを特に気にしていないのも、周りに恐ろしさを抱かせる理由のひとつだろう。
 途中で逃げ出す者たちを、軽蔑するでもなく、笑うでもなく、残念そうにするでもなく、ただ可憐に微笑み、「じゃあ次の人、やろうか」と言う。

 精市のテニスを目の当たりにしてまだテニスを続けているのは、はじめから趣味、レジャーとしてテニスをしに来ている者か、まだ立ち向かう気がある者かのどちらか。

 そして弦一郎は、ほぼ唯一の後者であった。

 弦一郎が精市と初めて試合をした時、試合自体は最後まで膝を屈することなくやりきったものの、辛うじてラブゲームではなかった、というくらいの惨状だった。
 正直なところ、家に帰ってから、ラケットを持つ気が全く起きなかったほどだ。
 しかしその代わりに手にした竹刀を振り、祖父に言われて瞑想をするようになってから、弦一郎は思い直した。

 凡人──、弦一郎が練習し、努力しなければできないことを、精市は見ただけで完璧にやってのける。
 しかし逆を言えば、努力さえすれば、届かないとは言い切れないのだと。

 たどり着いた結論は、真田家のお家芸ともいうべき根性論そのものであったが、弦一郎は今でもこの考えでもってテニスを続けているし、間違っていると思ったことは一度もない。
 なぜなら毎度精市に勝負を挑む際、彼は敗者を見送る時と全く同じ微笑みで「いいよ、やろうか」と言う。そのアルカイックスマイルとも表現できるような微笑みに、真の天才とはこういうものなのだと、理屈でなく理解できるから、弦一郎は努力をやめない。

 相手にとって不足なしとはこういうことをいうのだと、震えを堪え、歯を食いしばるうち、武者震いだと笑えるようになる──とは祖父の言葉で、その言葉とともに祖父から貰った黒い帽子を目深に被り、弦一郎は黙々と努力した。

「勝たなければ意味がない」

 精市にテニスについて質問すると、必ずこのような言葉が返ってきた。
 そして弦一郎も、それには完全に同意である。

 驚くべきことに、精市は“テニスの練習”をろくにしない。
 体力づくりや筋力トレーニングなどは弦一郎と同じかそれ以上にこなすが、要するに、ラケットとボールを用いた練習をほとんどしないのである。

 理由は実に簡単、──しなくても出来るからである。

 精市にとっては、どんなボールも見えて、返せて、当たり前のものだった。未だ幼い身体さえついてきさえくれば、彼はまさしく常勝無敗であった。
 そして、そのようなテニスの神の申し子として、遥か彼方の高みから皆の心を折る選手がそうそう負けることを周囲が許さないのはもちろん、そんなチートとも言えるような初期スペック、才能、ポテンシャルを自覚している精市自身も、負けることは恥であり、絶対にあってはならないことだとしていた。

 事実、精市が負けたことがあるのは体力面でどうしようもない大人相手の、つまり非公式の試合だけで、他は完全なる無敗を誇っていた。条件が揃えば、大人にも勝つこととて珍しくはない。
 そんな精市が常に隣にいるという環境は、弦一郎に、闘争心と、焦りと、他よりも高みに居るのだという高揚感をもたらした。
 実際、精市のテニスを常に隣で見ていたからこそ、弦一郎の実力もまた抜きん出たものとなったことは間違いない。

 精市に勝つために弦一郎が具体的にやったことは、とにかく、多くの相手を、なるべく徹底的に打ち負かすことだった。
“テニスの練習”をほとんど必要としない精市は、弦一郎がラケットを振る間、体力づくりに励むことができ、差は開くばかりになってしまう。
 そのどうしようもないアドバンテージを縮めるために、弦一郎は、想像を絶する、先の全く見えない努力をしなければならなかった。
 高すぎる壁への挑戦を続けるために、弦一郎は我武者羅に心を燃やし、そして、体力づくりとテニスの練習が同時に出来る、試合ばかりを好んでこなした。
 それは明らかな荒行であったが、それしか精市に近づける道はないのも確かであった。

 弦一郎は公明正大な優等生でもあるが、元々は短気で、血の気が多く喧嘩っ早い性格である。
 上下関係の厳しい武道の世界を祖父から教えられ、更に母親から徹底した軍隊式のトップダウン的価値観を叩きこまれたため、その原初の性格は随分品行方正に矯正されている。
 しかし、テニスというスポーツにおいて、弦一郎は、生まれ持ったその獰猛な闘争心を、存分に発揮した。

 美しい微笑みを浮かべ、遥かな高みから対戦相手の心を折る“神の子”幸村精市。
 獰猛な獣のように、剥き出しの牙でもって喉笛ばかりを狙ってくる真田弦一郎。

 この二人の小学生ジュニアは、神奈川、いや関東の大会において当たりたくない選手の筆頭となり、またトップの実力者として確固たる地位を築いていっていた。

「……時々」
 汗を拭き、水分を補給している弦一郎と目を合わさないまま、精市はひとりごとのように言った。
「どう考えても実力が足らない選手が、格上の相手に勝つことがある」
「まぐれだろう」
 ストローから口を離した弦一郎がぶっきらぼうに言うと、精市はフッと微笑んだ。花の香でもしてきそうな、可憐な微笑である。
「そう、そうかもしれない。でもそれには理由があると思うんだ」
 俺はそれが知りたい、と、精市は遠い空を見ながら言う。

 切り取って絵画にすればさぞいい値段が付くだろうその様を、弦一郎は鼻で笑った。
 彼は今、心の底から「くだらない」と思っている。それは、平民が王族の高貴な憂いを聞いた時に似た心境だった。

「では一度負けてみてはどうだ」
「はは、それはできない相談だな」
「くだらない」
 弦一郎は、とうとう実際に吐き捨てた。
 口元に溢れかけたドリンクの雫を手の甲で乱暴に拭うと、弦一郎はもう一度ラケットを持ち直す。

「上手いから強く、強いから勝つ。下手だから弱く、弱いから負ける、それだけだ」
「……そうだろうか」
「そうだ」
 詩でも吟じるような精市の声を、弦一郎はぶった切った。

 弦一郎と精市は通う学校が違うが、一番近しい友人は、という質問には、迷いなくお互いの名を上げる程度には親しい。
 しかしそれは、いわゆる“仲良し”と表現するようなものではなかった。
 ふたりを繋ぐのは常にテニスであり、そして弦一郎にとっては、精市は友人であると同時に倒すべきライバル、いや敵ですらあった。

 そしてお互いに、テニスがなければ、きっと声をかけることもなかっただろう、というほど、ふたりは相容れない部分が多い。趣味、好み、考え方、全てにおいて彼らはちぐはぐで、意見が合うことが少ない。
 体育会系の男所帯な上に、男以上に男らしい女性に囲まれて質実剛健かつ熱血に育てられた弦一郎と、母や家政婦たちによってどちらかというと女性的なセンスで育てられ、花や詩、優美な絵画や音楽を愛し、優しさと冷静さを身につけた精市。
 本来ならすれ違うことすら無いはずのふたりは、テニスによって隣に立ち、そして時に真向からぶつかることになった。そしてそのぶつかり合いは、あまりにも違うそれぞれの本質ゆえに凄まじい。

 もちろん弦一郎は精市のテニスの強さを認めているし、また家族や周りの人々に対する優しさを尊敬している。
 精市もまた、妥協を一切しない弦一郎の努力家ぶりと誠実さ、他人に対して理屈よりも情で動くことのできる人間味に敬意を払っている。

 弦一郎と精市は、そうそう覆らないような尊敬をお互いに抱きながら、しかし同時に、ごく根本的な所で、どうしても相容れない──、もっと手近な表現をすれば、生理的にいけすかないところがある相手同士だった。

 実際、細々と積もり積もった不満がお互いに爆発し、見るも無残、惨憺たる有様の喧嘩に発展したことも何度かあった。
 その痕跡は、弦一郎の頭にある、もう髪の生えない小さな部分であったり、精市の二の腕の、皮膚を噛み千切られた痕などに見ることができる。

 ちなみに、獣さながらのふたりの喧嘩を、真田家はさすがのものでおおらかに受け止め、致命的な怪我をさせない喧嘩のやり方についてレクチャーし、今度やる時は病院の世話にならない程度にしろと約束させた。──守られたことは、あまりないが。
 精市の母は妖精のように可憐な息子が血みどろになって帰ってきたことに卒倒しかけたが、己の趣味で女の子のようなことをさせていたストレスがあったのか、と考えを改めるようになり、精市にとっては予想外の結末をもたらす結果となった。

 このようなふたりが唯一心から同志となるのが、テニス、そして勝利への執着であった。

「……ふん。心配せずとも、近いうち俺が負かしてやる」
 首を洗って待っていろ、と獰猛に笑う弦一郎に、精市もまた、目を細めて、美しく、しかし冷え冷えと微笑む。
「ふふ、楽しみにしてるよ」

 弦一郎と精市は、こういう、少し捻くれた──しかし何にも代えがたい関係の幼馴染だった。



弦ちゃんへ

大会、おくたぶれはんどした*お疲れ様でした
優勝できなかったということですが、四年生なのに決勝まで残ったと聞いて、とてもびっくりしました。五年生と六年生もいるのに、とてもすごいです。次は優勝するのではないですか?
でも、子供のうちに無理をすると、背が大きくなれなかったり、ひどいケガをしたりすることがあるそうです。私も、重りを入れてお稽古するのは禁止されました。
弦ちゃんは背たけも大きいし、力も強いと思うけれど、私と同じ、四年生です。
上手になるためにがんばっていると、無理をしなければならない時もあると思います。でも、ずっとテニスができるように、ケガや病気をしないように、とても気をつけてほしいです。
体を壊してしまったら、どんなにがんばっても、本当になんにもなりませんので、気をつけてください。おねがいです。

 …………

お座敷にも、少しなれて来ました。
時々、私もごしゅうぎがもらえます。これで自分のラケットを買おうかなと思いましたが、おかあはんに見つかったらぜったい怒られるので、とりあえずやめておきました。

 …………

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BY 餡子郎
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