#079
★王子様の黒歴史★
3/3
「はー、やっと一息……」

 トレーニングルーム前のベンチで、アントニオはジャスティスタワーに来る途中で買ってきた、大きなチキンサンドを頬張っていた。
 午前中にクロノスフーズに出社したものの、有り難いことに以前より随分忙しくなった仕事のおかげで朝食を取り損ねたため、早めのランチをとっているのだ。
「んぐ、おっと。拭くもの……」
 たっぷりしたソースがはみ出して手を汚したので、アントニオはウェットティッシュを取り出し、丁寧に手を拭き始める。

 その時、シュ、と音がして、トレーニングルームの扉がスライドして開く。入ってきたのはライアンと、その後ろに続いてガブリエラだった。
「おっ、お疲れ」
「お疲れ様です、バイソン」
「おう」
 ガブリエラはいつもどおりに朗らかに挨拶を返してきたが、ライアンはぶっきらぼうに返事をし、アントニオを見た。その視線がウェットティッシュで拭いている自分の手に向いていることに気付いたアオントニオは、怪訝な顔をする。
「……何だよ?」
 ライアンは返事をせず、ただ目を細めると、黙ってアントニオの近くに歩いてきた。そして置いてあったウェットティッシュを勝手に1枚取り出すと、両手を合わせ、ティッシュをそこに挟んだ。──まるで、水道で手を洗う時のように。

「……“らららキレイにおててを洗おう、おててキレイキレ〜イ”」
「ぐふっ!」
 口にものを入れたタイミングを明らかに見計らってライアンが口ずさんだ歌に、チキンサンドの最後のひとくちを頬張ったところであったアントニオは、盛大に噎せた。
「ぐほ、がっ、おま、ひっ」
 顔を真っ赤にして喉や腹を押さえるアントニオを見下ろしたライアンは、そのまま「フラワーキングの薬用石鹸。小さな手にも、やさしい洗い心地」とナレーションのモノマネを交え、続けて音楽を口ずさむ。

「“キレイになった〜!”」

 ──裏声。
「げはぁっ!」
「うわキッタネ」
 チキンサンドの欠片がアントニオの口から飛び出したので、ライアンは飛び退った。アントニオは巨体を丸め、ひーひー言いながら咳き込んでいる。
「大丈夫ですか、バイソン」
 ガブリエラが背を擦ってくるが、彼女の能力が誤嚥に効くわけもなく、アントニオはツボに入った笑いと、そのせいで止まらない咳に苦しみ続けた。

「ふん」

 ライアンはつんと顎を反らすと、ウェットティッシュをゴミ箱に捨てて、アントニオを放置し、更衣室に入っていった。



 飲み物を買いに行ったアントニオと別れ、ガブリエラが更衣室で着替えてトレーニングルームに入ると、ソファとテーブルのところで、カリーナがテキストやノートを前に真剣な顔をしていた。
「こんにちは、カリーナ」
「あら、ギャビー。お疲れさま」
 ガブリエラが声をかけると、カリーナは顔を上げた。
「勉強ですか?」
「そうなの。学校の期末試験が近くて」
「試験。カリーナはヒーローとアイドルと学校、とても大変ですね……」
「そうなのよ。やんなっちゃう。でも、私が選んだことだしね」
「素晴らしいです。勉強に関しては力になれませんが、私の能力が必要なら、すぐに言ってくださいね」
「ありがと、助かるわ!」
 カリーナは、にっこりと微笑んだ。

「へー。試験ねえ」
 懐かしー、と言って、いつの間にか更衣室から出てきたライアンが、カリーナのテキストを持ち上げてめくった。
「世界史?」
「数学とか化学とか、理数系は得意なんだけど……」
 歴史は丸暗記でも対応しきれないしね、とカリーナはため息をついた。
「特に近代史がややっこしくって。政治の話とか……」
「あんま興味ねえと辛いとこだな。教えてやろうか」
「え、ライアン勉強得意なの?」
「ライアンはとても頭が良いですよ!」
 ガブリエラが、なぜか得意げな顔で言った。僻地の幼年学校しか出ていないと公表しているガブリエラの意見はとても参考にならないとカリーナすら思ったが、ライアンはその言い難いことを「お前に比べりゃ大抵はな」とはっきりと口にする。
 カリーナは若干ひやひやしたが、ガブリエラは「まあそうですが」とけろりと言い、全く気にしていないようだった。

「俺もお前みたいに、ハイスクール行きながら仕事してたしな。でも順位いっつもヒトケタだったぜ。要領よくやるコツがあんだよ」
「ホント? バーナビーなんかも勉強できるから時々教えてもらうんだけど、要点だけかいつまむんじゃなくて、ちゃんとイチから勉強しろっていうタイプなのよね……」
「あーまあジュニア君はそうだろうな」
 ライアンは頷くとカリーナの隣に腰掛け、試験範囲をチェックしはじめた。



「──で、さっきのオッサンの政策な。そこの影響がここに来て、戦争が始まるワケ」
「あーそういう! そうやって繋がってるのがわかると理解できるわね」
 そう言って、カリーナはノートに注釈や矢印を書き込み、内容を整理した。
 ライアンの教え方や説明はわかりやすく、しかも試験対策用に要点がまとまっていて、カリーナは短時間でかなりの試験範囲の内容を把握することが出来た。
「ここんとこ、映画になってるしな。そういうの観てると理解しやすいぜ」
「それ折紙も言ってたわ。あいつ小説とか映画とか詳しいせいか、歴史強いのよね。今度観てみる。……それにしても、ほんとあんた要領いいわよね。かなり範囲進められたわ。ありがと」
「どういたしましてぇー」
 せっせとノートに書き込みを入れるカリーナに、ライアンはぞんざいな返事をした。その様子を、ランニングマシンで走っているガブリエラが、にこにこと眺めている。
「で、えっと、こっちは……」
 理解度をチェックするためにテキストに向かうカリーナを、ライアンはじっと見る。そして、おもむろに口を開いた。

「……“あっ、これ青ペン先生でやったやつだぁ〜!”」
「ぶふっ!」
 裏声で発されたその台詞に、カリーナが盛大に噴き出す。ペンが思い切り滑り、綺麗に整理されたノートに歪んだ線が入ってしまった。
「ちょっと!」
「“1日30分の、無理のない学習で成績をサポート! 勉強が、楽しくなる!”」
 今度はアナウンサー口調の、溌剌としたやたら爽やかな声である。ぐっ、とカリーナの腹筋に力が入った。
「おねがいやめて」
「“やったぁ花マルだぁ〜!”」
「やめてええええ」
 再度の裏声、しかも真顔で発されたそれにカリーナは崩れ落ち、腹を抱えてソファに倒れ伏した。ひいひい引きつった声を上げながら、顔を真っ赤にして爆笑するカリーナを見て、ライアンはソファから立ち上がると、やはり真顔で言った。
「“笑顔、100点満点!”」
「いやー!!」
 とどめを刺されたような声を上げ、カリーナは完全に撃沈した。彼女が机やソファをばんばん叩くので、ペンや消しゴムがころころと床に落ちる。
「……“新選ゼミ、小学講座”」
 決め台詞のようにそう言って、ライアンはカリーナから離れていった。



《イー、アル、サン、スー、ウー、リウ、チー!》
「うぐっ!」
「バーナビーさん、身体かったーい」
 ビキ、と脇腹あたりの筋肉がつって蹲るバーナビーに、パオリンが眉尻を下げる。
「バーナビーさん、あんなに高いハイキックができるのに、どうして……」
 忍者として鍛錬は欠かさぬ、と公言し、その身体能力がここ最近高く評価されつつあるイワンが、不思議そうに言う。
「……ハンドレッドパワーを使っている時は、“あらゆる”身体能力が100倍になるので」
「ああ……なるほど」
 納得したのか、イワンは頷いた。

「タイガーはリズムがちがーう! いっつもワンテンポ遅れてるよ!」
「うーん、おじさんこういうダンス苦手でさあ……」
 こちらもパオリンに指摘されているのは、虎徹である。かつてブルーローズとバーナビーとともにBTBとしてステージで踊った時も、彼はワンテンポ遅れてしまい最後までそれが治らなかったし、ヒーロー試験の運動能力テストでも、体力があるのにリズム感がないせいで、シャトルランや反復横跳びの記録はいまいちだった。
「しっかしこれ、子供向けって思ってたら割とハードだな」
「シェイプアップやトレーニングにもなると話題ですからね」
 だからこそ流行しているのですが、と、バーナビーは床に倒れながら言った。
「ギャビーは上手だね。もう完璧だよ!」
「そうですか、恐縮です」
 ガブリエラもまた、笑顔を返す。

 彼らが今行っているのは、パオリン、いやドラゴンキッドが子供向け番組で披露し流行している、カンフーマスター体操であった。
 大きな液晶画面に彼女の体操コーナーの映像を流し、その下で本人が見本を披露しつつ皆で挑戦しているのである。
 先日ヒーローランドのサプライズステージにて上手く踊れず残念だったので教えてくれ、とガブリエラがパオリンに頼み、彼女が快諾し、そして側にいたイワンと虎徹、バーナビーが巻き込まれて今に至る。

 パオリンと同じくらい体が柔らかく、リズム感もあるガブリエラは2度ほどやれば振付を覚え、難なくこなせるようになった。
 イワンは元々マスターしており軽々としていたが、体が固いバーナビーは所々で呻き声を上げ、リズム感のない虎徹はもたもたと動くばかりで、あまり様になっていない。
 元々は子供向けに作られたこの体操は、体力の有無よりも身体の柔軟性のほうを重視した作りであるため、体の柔らかい子供は割と難なく出来るのだ。

「何やってんの? ジュニア君は床で昼寝?」
「うるさいですよ、ライアン」
 ひょっこり顔を出して嫌味を言ってくるライアンを、脇腹が痛くて立ち上がれないバーナビーがぎろりと睨んだ。
「あー、カンフーマスター。これよくできてるよな」
「……ライアンは、これできるんですか」
「できるけど?」
 流しっぱなしになっている映像に合わせ、ライアンは軽々とリズムを取り、高く脚を上げ、そのままピタリとポーズを止めてみせた。おー、と皆から感嘆の声が上がる。
「ライアンさんって、おっきくてマッチョな割に体柔らかいよね!」
「キッド殿、大柄だからといって体が固いとは限らぬでござるよ。実際、スモウレスラーはあの巨体で非常に体が柔らかいでござるからな」
「へー、そうなんだー!」
 最近注目しているスモウへの薀蓄を披露するイワンに、キッドが感心する。しかし、ライアンは微妙な顔をした。
「おい、スモウレスラーってあのすんごいデブだろ。一緒にすんなよ」
「デブとは心外! スモウレスラーはあの脂肪の下に柔軟かつ強靭な筋肉を備えているのでござる!」
「はいはいわかったわかった」
 余計なスイッチを踏んだと理解したライアンは、彼を軽くあしらってひらひらと手を振った。

「……まあ確かに、ライアンはむちむちしていますよね」
「あんだとコラ」
 カンフーマスター体操ができなかったことで不貞腐れているのか毒を吐くバーナビーに、ライアンが目を眇める。
「マッチョですけど、脂肪もついてるでしょう。体脂肪率何パーセントですか」
「実用的な筋肉って言って欲しいね。つーか、カラダ絞りさえすればいいってもんじゃねえだろ。体脂肪の1パー2パーで一喜一憂するなんざ、見ためだけの筋肉目的のボディビルダーかモデルだけだぜ」
 今年の目標として“体脂肪をあと1パーセント落とす”を掲げているバーナビーは、むっと眉をしかめる。
「ササミやプロテインだけ食って脂肪つかねえようにするとか、逆に健康的じゃなくねえ? 食いたいだけ食って限界まで動いてりゃ、自然にベストな状態になるだろ」
「あ、それはボクもそう思うなー」
 明るい声で、パオリンが口を挟んだ。
「だろぉ?」
「うん。食べたら食べただけ動けばいいだけだよね」
「そうそう」
 賛同を示すパオリンに、ライアンは数度頷く。

「……キッドはまだ若いですから」
「おっさんのひがみは見苦しいよ、ジュニア君」
「おっさ……!? あ、ああああなただってアラサーでしょう!」
「ジュニア君よりは若いですぅ〜」
「まあまあまあまあ」
 小競り合いを始めたバーナビーとライアンに、イワンが慌てて割って入る。
 男子高校生のような下らないやりとりをするバーナビーとライアンをなんだか感慨深く見守っていた虎徹は、このふたりの仲裁ができるようになっているイワンに対しても、「成長したなあ、折紙」と頷いた。

「……キューティー王子のくせに」
「あん?」
 ぼそりと言ったバーナビーに、ライアンが片眉を上げる。そして、にやあ、と笑った。
「はーん。……そうだな、身体のかったいジュニア君には、もっと簡単な体操からのほうがいいんじゃね?」
「簡単?」
「おい、端末貸せ」
 ライアンはガブリエラに手招きし、彼女から端末を借りると、何か操作した。するとカンフーマスター体操を流していたディスプレイが、ぱっと切り替わる。

《──さあみんな〜! よい子のどうぶつ体操がはじまるよ〜!》
「はじまるよ〜!」
「ぶっ」
 突然始まった古い教育番組、そして映像の中の男性の声真似をしたライアンに、ガブリエラとパオリン以外の全員が噴出した。

《わんわん! 犬さんのポーズ!》
「わんわん!」
「おー、さすが上手上手」
 映像の中の小さなライアンを見ながら輝くような笑顔でポーズをきめたガブリエラに、ライアンがぱちぱちとぞんざいな拍手をした。
《ねこさんのポーズ、ニャ〜オ!》
「ニャ〜オ!」
「ぶはっ!」
 まさに猫なで声で叫んだライアンに、虎徹が盛大に噴き出す。
「おいやれよオッサン。猫だろ」
「いや虎だから! ひー、くそー!」
 “ニャ〜オ”のポーズのまま凄んでくるライアンに、虎徹はひいひい笑いながら崩れ落ちた。
《うさぎさんみたいに跳ぶよ〜! ぴょんぴょん!》
「ジュニア君ほらジュニア君のポーズ! 何やってんだよ跳べよ!」
「勘弁してくださいしぬ」
 バーナビーも、腹を抱えて震えながら蹲っていた。元々脇腹がつっている上、更に腹筋が刺激されて痛みが物凄いことになっているのである。しかし堪えることも出来ず、爆笑と痛みでのたうちまわる彼の乱れた金髪の間から見える耳は、もはや真っ赤だった。

《どうぶつの王様! ライオンさんのポーズだあ〜! がお〜!》
「がおー!」
「がおー!」
 笑い転げる彼らに対し、ガブリエラとパオリンはノリノリだった。特にガブリエラは何度もこの映像を見ているせいで、ポーズもリズムも完璧である。満面の笑みで踊るふたりと、彼女たちの間で真顔、しかもやたらきびきびと踊るライアンに、口を押さえて肩を震わせていたイワンがついに膝をついた。
「おいコラ何座ってんだ折紙。ライオンさんのポーズだろうがオラ、やれよコラ」
「すみませんでしたごめんなさいゆるしてください」
 地を這うような声で凄んでくるライアンに、イワンは土下座に近いような姿勢で言った。彼もまた、白い肌がもはや首まで真っ赤になっている。

《ばいばーい!》
「ばいばーい!」

 画面の中の小さなライアンとともに、仁王立ちのライアンがひっくり返った裏声で叫ぶと同時に、虎徹とバーナビー、イワンが完全に撃沈した。その様子に、ライアンはフンと鼻を鳴らす。

「運動したら腹減ったわ。よーしなんか食いに行くぞー」
「いいですね! この間近くにできた、ハンバーグ専門店はいかがですか?」
「ハンバーグ専門店!? ボクも行きたい!」
「よーしよし、どうぶつ体操ができた良い子は俺様が奢ってやろうなー」
「わーい!」
 床に転がっている男3人を放置し、ライアンはガブリエラとパオリンを連れてトレーニングルームを出て行った。






「ああ〜……ひでえ目にあった……くっ」

 なんだかげっそりしたアントニオは、また噴き出しそうになるのを堪えた。
 チキンサンドで噎せたダメージがまだ喉に微妙に残っている上、その後もあの時のことを思い出して笑ってしまうせいで、今日はまともにトレーニングができていない。

「ううう、脇腹が痛い……完全につりました……」
「僕も、笑いすぎてみぞおちのあたりがものすごく痛いです……」
「俺は顎の関節とほっぺたの筋肉がやばい……呼吸する度に痛え……」
 ぞろぞろと出てきたバーナビー、イワン、虎徹の3人と、アントニオの目が合う。
「おうアントニオ、どうした。ぐったりして」
 虎徹が声をかけると、アントニオはなんと言ったものかという様子で、「あー……」と疲れたような声を出した。
「いや、なんか知らんがライアンが……」
「え、ライアン? お前も?」
「は? お前らも?」
 そうしてお互いに彼のしたことについて話しつつトレーニングマシンのあるメインルームに入ると、そこには、テキストを前にうんうん唸っているカリーナがいた。
「やばい……ライアンのせいで全然頭に入ってこない……くうっ」
 真剣に思い悩みつつ噴き出すという器用なことをしているカリーナは、シャープペンを握りしめた手で、机をドンと叩いた。

「アラどうしたの。皆して景気悪い顔しちゃって」
 そう言ったのは、いつもながら見事なモデル歩きで部屋に入ってきたネイサンだった。
「ファイヤーエンブレム……ライアンに会った?」
「王子様? アタシ今来たところだけど、見てないわね」
「ぶふっ」
「ちょっファイヤーエンブレム、王子様って言うのやめて……!」
「はあ?」
 全員が腹を押さえて噴き出したので、ネイサンは不思議そうな顔をして首をひねる。

「おや、皆揃っているね」
「ファイヤーエンブレム、やっほー!」
「あっネイサン、こんにちは」

 元気よく入ってきたのは、キースとパオリン、ガブリエラだった。

「……3人とも、何なのその格好」

 ネイサンが、怪訝な表情で言った。
 なぜならキースは背中に派手なロゴの入った水色の法被を羽織り、パオリンはプリンス某とデザインされた大きめのタオルを肩にかけ、ガブリエラは鉢巻を頭に巻き、金銀のモールと蛍光ピンクのハートのシールで飾られたうちわとペンライトをそれぞれ両手に持っている、という格好だったからだ。

「ライブグッズです」
 ガブリエラが、淀みなく答えた。
「……何の?」
「もちろん、スター☆プリンスのです!」
 その答えに、全員が嫌な予感を感じた。何かに対してやる気満々になっているガブリエラは、自分の端末や、備え付けのディスプレイ、スピーカーなどをいじり始める。
「ちょっと、何なの。スカイハイ、これ何? どうしたの?」
「いや、私もよく知らないのだが。トレーニングルームに来る前に近くのカフェで遅い昼食を取っていたら、彼らに出くわしてね。なんだか楽しそうなので、仲間に入れてもらったんだ」
「スカイハイ、こっちこっち!」
 にこにこしているキースはパオリンに引っ張られ、入口の扉の前のソファに彼女と並んで腰掛けた。
「用意できました! いきますよ!」
 そう言ってガブリエラが何かのスイッチを入れると、部屋の照明が薄暗くなり、スピーカーから音楽が流れ出す。

《スター☆プリンス! あなたをいつも夢に見て……リーダー王子、フィリップ!》
《なにも言わなくていい、ただキスをしよう……海辺の王子、エリックです》
《真実の愛はただひとつ……。ワイルド王子、アダムだ》
《君に巡り会いたい、ロマンス王子、ユージーン》

 ──やばい。

 ディスプレイに映し出されたその映像に、全員、既にこみ上げてきているものを必死で堪えた。何人かの頬はパンパンに膨らみ、肩を震わせている。
 そしてその時、シュッ、と扉が開いた。薄暗い廊下に、やたらキラキラした、そしてムチムチの筋肉が浮いた衣装を纏った大柄な姿が、ポーズを決めて立っていた。

「──“ワガママごと可愛がってね! キューティー王子、ライアンだよ!”」

 太く低い声で吠えるように言い、星が飛びそうなウィンクをぶちかましたライアンに、パオリンとキースが笑顔で拍手をした。ガブリエラが満面の笑みでうちわとペンライトを振り、「きゃー! ライアーン!」と、蕩けた悲鳴を上げる。
「アラまあ」
 ネイサンは微笑ましげにそう言ったが、他の面々はといえば、もちろん腹を抱えて床に崩れ落ちている。

 そのままローラースケート・シューズで部屋に滑り込んできたライアンは、ディスプレイに映る少年時代のライアンよりも更にキレのある動きのダンスと歌を披露した。

 どこかで聞いたことのあるようなメロディーに乗せて、君を守りたいだの、移りゆく季節がどうのこうの、そばにいたいからああしたこうした、逢いたくてなんたらかんたらひとりじゃない、という感じの、独創性の欠片もない歌詞が展開されていく。
 覚えやすいのと同じくらい忘れやすそうな、毒にも薬にもならないポップス・ソング。しかしライアンがあまりにも完璧にそれを歌って踊るせいで、画面と全く同じパフォーマンスであるはずなのに、完成度は桁違いだった。
 指先から表情まで彼は完璧以上のものをやりきり、最後にポーズを決めてみせる。キレが良すぎたためか、ポーズを決めると同時に胸のボタンがひとつ弾け飛んだ。

「素晴らしかったよゴールデン君! そして素晴らしい!」
「すごーい! ローラースケート、ボクもやりたい!」
「ライアン……! ライアン、素敵です!」

 キースは絶賛して両手を上げ、パオリンはきらきらした目で拍手を贈り、ガブリエラは感動した様子で指を組み、うっとりとしている。
 彼女が手に持っているハート型のペンライトは、ライアンの名前の部分が、ピンクにちかちか点灯していた。






「何のつもりなんですか」

 かすれた声で、ぐったりしたバーナビーが言う。
 きらきらとラメの入ったジャケットを着てスカーフを靡かせたライアンは、ふんと胸を張った。分厚い胸板がシャツを押し上げ、生き残ったボタンも弾け飛びそうになっている。
「ふん。この俺様が笑い者になるなんざ、我慢ならねえ。──何が黒歴史だ。笑われるくらいなら、いっそこっちから笑わせるスタイルで行くことにしたんだよ」
 確かにあの頃は、自分の素と違うキャラを作ることを命じられていた、とライアンは少し遠い目をして言った。

 曰く、子役時代の可愛らしいイメージに加えてグループ内で最年少だったこともあり、当時は可愛らしいコケティッシュな少年キャラを求められていた。しかし実のところ、本人はそれが嫌で仕方なかった。
 しかも、回ってくる仕事は個性の欠片もないどうでもいいポップス・ソングを歌って踊ったり、面白いのかもよくわからないバラエティに出たり、微妙なドラマの端役などばかり。
 ヒーローになってからあえてキャラを作らず素のままで自分を売ることに執心しているのは、そういう過去もあってのことらしい。オンリーワンのナンバーワンになる、という目標を立てたのもこの頃だ。
 だがせっかく作ったキャリアを無駄にするのももったいないので、ワガママ云々を俺様キャラに切り替えてバージョンアップし、王子というワードをそのまま残して売り出していった結果、今現在は無事に彼自身の素そのもののスタイルに落ち着くことに成功した、というわけだ。もはや執念である。

「でもさあ、あの頃はキャラ作ってたとはいえ、俺は必死に、真面目に仕事してただけだし? それを恥じる必要とかなくない? みたいな? どーでもいいような曲も、俺様が歌って踊れば唯一無二ってもんだし」
 その言葉に反論する者は、誰もいなかった。
 それは確かに、彼が先程披露したキレッキレのパフォーマンスがその言葉通りのものだったからだ。またその動きを可能にした筋肉のせいで、先程から彼が動く度にジャケットの縫い目がぶちぶち音を立てていて、皆が笑いをこらえているせいでもある。
「それに、客観的に見て昔の俺ほんとカワイイし!? あーカワイイ! 昔の俺超カワイイ! クァーワーイーイィ〜!!」
「その通りですとも!」
 昔の自分のブロマイドやポスターを正面から、しかし何かに耐えるような険しい顔で凝視しながら語尾上がりに言うライアンを、ペンライトを持ったままのガブリエラが満面の笑みで囃し立てる。
「ヤケクソでござるな」と、笑いすぎて体力を使い果たし、立ち上がれないらしいイワンが言った。虎徹とアントニオの中年組はもう言葉を発する気力もないのか、息を荒げながらぐったりと倒れ伏している。

「衣装はOBCの衣装室で、似たものを借りてきました!」
 ガブリエラが言った。どうりでサイズが合っていなくてピチピチだと思った、とカリーナが痙攣する腹を抱えながらつぶやく。
「本当は当時のまんまの半ズボン履いてやろうと思ったんだけど」
「履かなかったんですか?」
「履いてみたけど、なんか色んなとこが食い込んだりはみ出したりしたから断念した」
「聞くんじゃなかった」
 再度腹を抱えて蹲ったバーナビーは、「筋繊維が断裂する……」と呻いた。

「いいことじゃない。昔の自分を受け入れて、人は魅力的になるのよ。昔のあなたも今のあなたも、ス・テ・キ、よ? 王子様」
「姐さんどうもォー」
「さすが、ネイサンはわかっています!」
 慈愛たっぷりに、そして説得力の重み溢れる言葉を贈ったネイサンにライアンはにやりと笑い、ガブリエラはにこにこして諸手を上げた。

「よーし、もう今日仕事ねえしカラオケ行こうぜカラオケ! デビュー曲からこないだの新作まで、全部歌って踊ってやろうじゃねーの!」
「本当ですかライアン! ど、動画を撮ってもいいですか!」
「おー、カメラでも何でも持ってこい!」
 許可が出たことで興奮したガブリエラは、「OBCに行って、いちばんいいハンディカメラを借りてきます!」と言って、トレーニングルームを飛び出していった。

「ボクも行くー! カリーナも来る? あ、テストなんだっけ」
「……行く。このままだと思い出し笑いで勉強も何もないし……」
 パオリンに言われ、カリーナがよろよろと立ち上がった。
「折紙とジュニア君も来いよ。プリンスの振り付け全部覚えるまで帰さねえからな」
「なんででござるか!?」
「こんな時に限って、仕事のスケジュールが空いているッ……!」
 ライアンに首根っこを掴まれたアカデミー組は声を上げたが、身体に力が入らずされるがままである。そしてそのまま、ライアンは「おいオッサン共起きろ! カラオケ好きだろ!」と、虎徹とアントニオを叩き起こした。
「楽しそうだね! 私も引き続き仲間に入れてもらえるかな?」
「カワイイ子たちが歌って踊るのを見るのはいいわねえ、私も行こうかしら」
 笑顔のキースとネイサンも参加表明をし、その後、結局ヒーロー全員でカラオケに行くことになった。

 そしてこういう日に限って事件は何も起こらず、ライアンは数時間ぶっ続けで持ち歌を全て振り付きで披露し、ガブリエラは動画を撮りまくり、パオリンはローラースケートでのダンスを覚えた。
 さらにライアンの「黒歴史がなければ作ればいい」という発案の元、イワンとバーナビー、また虎徹とアントニオは振りを覚えさせられた挙句、見切れ王子・アラサー王子・オッサン王子・オッサン王子B、というあだ名を付けられた。

「見切れはともかく王子……キャラじゃないでござる勘弁して欲しいでござる」
「ア、アラサー!? ハンサム王子にしてください!」
「図々しいなバニー。俺なんかオッサンだぞオッサンで王子だぞ」
「Bって何!? せめて個性を認めてくれよ!」
「バイソンのBじゃねえの?」



 ちなみに後日、この出来事を聞きつけたアスクレピオスからアポロンメディア、ヘリペリデスファイナンス、クロノスフーズに声がかかり、この新スター☆プリンスが本当に結成されて深夜番組でダンスを踊ることになり、ネットで少し話題になった。
 またタイタンインダストリーの方針で「よりアイドルらしく」と、フリフリの可愛らしい衣装でブルーローズの新曲が発売されたり、『女神様と天使たち』というユニット名でファイヤーエンブレム・スカイハイ・ドラゴンキッド・ホワイトアンジェラが子供たちと可愛らしく踊る幼児向け教育番組のコーナーが出来たりしたが、それはまた別の話である。
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BY 餡子郎
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