#078
★王子様の黒歴史★
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「ハァ〜イどうもぉ〜、キューティー王子でぇ〜っす」

 地を這うような低い声で言うライアンは、完全に目が据わっている。しかしその様と単語のギャップにカリーナが「ぶふっ」と噴き出し、イワンやアントニオが笑いを堪えて肩を震わせた。
「お前、結構下積み長いタイプだったのか? 最初からセレブとか調子乗った若造かと思ってた」
「そんなこと思ってたのかよオッサン!」
「お前も苦労してたんだなあ。今までごめんな」
「やめろ謝んなそんな目で見んな」
 生暖かい優しさの滲んだ目でゆったりと声をかけてくる虎徹にライアンは早口で怒鳴り、彼の目線から顔を逸らした。

「えー!! これライアンさんだったんだー! もっと見たい!!」
「アタシも俄然興味出てきたわ。小さい頃のが観たいわね。もっとないの?」
「たくさんありますとも!」
 男の子の正体がかつてのライアンだということがわかるや否や食いついてきたパオリンとネイサンに、ガブリエラはイキイキと輝く表情で端末を操作し、小学校低学年用の教材のCMを再生させた。
《あっ、これ青ペン先生でやったやつだぁ〜!》
「やめろっつってんだろ馬鹿!」
 テストの答案を前に若干わざとらしい演技をする幼い自分が写った映像を、ライアンは取り上げたリモコンで素早く消した。しかしイワンは「ごふっ」と噴き出して膝から崩れ落ちているし、カリーナはソファの背をバンバン叩きながら、耳を真っ赤にさせている。

「ゴールデン君は、こんなに小さい頃から芸能界で活躍していたのかい? だからテレビや映像の業界に詳しいのだね。なるほど、そしてなるほど」
「そうなのです。4歳でデビュー、子役タレントからアイドル事務所に入り、18歳まで歌ったり踊ったりドラマに出たりしていたのです!」
「なんでお前が説明すんだよ」
 なぜかずっと得意げな顔で言うガブリエラに、ライアンは苦々しい顔で突っ込んだ。しかしキースもまた全く意に介さず、「なんと、ベテランの芸歴だね」とただ感心している。

「これがライアンですか……」
 バーナビーは、ガブリエラの端末画面を覗きこむ。待ち受け画面は、例のデビューCMの幼いライアンのスクリーンショット画面になっていた。洗面台までやや背丈が足りず、うんしょと背伸びをしながら、一生懸命手を洗っているシーンだ。
「へえ……」
 そして、現在のライアンをちらりと見る。
 小さな頃と同じ、薄い色の金髪に、垂れ目。しかし不機嫌そうな金色の目は、猛獣もかくやというほどの迫力だ。有り体に言えば、目付きが悪い。普段は、ゆるくてフレンドリーな態度と豊かな表情でさほど気にならないのだが。
 身長は、185センチのバーナビーより更に高い。更に横から見ると身体、特に胸の厚さは尋常ではなく、胸板の段差がくっきりとシャツに浮き上がっている。袖が筋肉で突っ張って、横に皺が入っていた。
 また視線を下げれば、トレーニング用の短パンから伸びる、骨太で筋肉質な太い脚が視界に入る。30センチ近い大きな足が、広い肩幅と同じくらいの幅を取って、ずんと床を踏みしめていた。
「……時の流れとは残酷ですね」
「どう、いう、意味かなァ、ジュニア君ん?」
 真顔で言ったバーナビーに、ライアンが凄んだ。

「昔のライアンは、とてもかわいいでしょう? 見ていると癒やされるのです」
「そういうことだったのね」
 ガブリエラの赤毛の頭を、ネイサンが撫でた。
「アニエスさんたちも協力してくださっています。時々徹夜疲れなどを治して差し上げるのですが、ドキュメンタリーやVTR映像に使うデータベースに古い映像が残っていると、積極的に譲ってくださるのです」
「ギブ&テイクが成立している……。では僕もライアンの画像を探しましょうか。調べ物は得意ですよ」
「おお、本当ですか! 見つけたらぜひください!」
「わかりました」
「ジュニア君ちょっとふざけんなよコラ」
 おそらく肌年齢を下げるか視力を回復させるために自分を売ろうとしている友人に、ライアンは再度凄んだ。
「いいじゃないですか。どうせだいたい既に持っていますよ」
 100枚の画像が101枚や102枚になったところで同じでしょう、と、バーナビーはけろりと言った。

「──お前も! いい加減に! しろよ!」
 ライアンは矛先を変え、元凶であるガブリエラの頭を掴んだ。しかし彼女はきょとんとして、そのままライアンを見上げている。
「なぜ怒るのですか。こんなにかわいいのに」
「そういう問題じゃねえんだよ!」
「ええ? わかりません。これは私の癒やしです。小さい子はみな可愛いですが、ライアンが小さい時と思うとさらにかわいいです。今は格好いいライアンがこんなにかわいい。素敵なこと」
 相変わらず正直かつ明け透けでストレートに言うガブリエラにライアンはぐっと詰まり、そしてその様を見て、ニヤニヤ笑っている虎徹が「これは勝てねえなあ」と呟いた。

「……おふたりが仲良くなってから」
「うん?」
「少し、羨ましいなと、思うこともありました。何しろアンジェラさんは、ライアンさんがものすごく好きですし。ラノベの押しかけヒロイン並です。二次元が来てます」
 ぼそぼそと言うイワンに、アントニオは「まあそうだな」と頷いた。──らのべとか、二次元が来た、とやらについてはよくわからなかったが。
 まだ付き合っていないなどとふざけたことを言っているが、傍目から見ればカップル以外の何者でもない。独り者には目の毒であるし、アントニオもまた結婚したい欲が大きくなってきた、ような気もする。
「しかし前言撤回します……黒歴史をこんなに容赦なく掘り返してくる彼女、怖すぎる……」
 まあ笑ってしまったので僕も同罪なんですけど、と目を逸らしたイワンは、若干青い顔をしていた。

 そしてそれからガブリエラのコレクション、もといライアンの過去出演作品の上映会が催された。場は凄まじく盛り上がり、全員トレーニングを放ったらかして延々と大爆笑である。──よって、腹筋だけは異様に鍛えられたのであるが。
 ガブリエラはずっとにこにこと嬉しそうにしていたが、ライアンは死んだような目をして、そしていつの間にかトレーニングルームからいなくなっていた。






「へー、色々あるのね」
「ボクも見てみようかなあ」

 ──後日。
 ライアンがトレーニングルームに入ってくると、ソファとテーブルのある休憩エリアで、カリーナとパオリンが、間に座ったガブリエラが操作するラップトップPCを覗き込んでいた。PCはガブリエラの私物で、少し古い型のものだ。
「上手く使うとすごくいいんですけど、やり過ぎないように気をつけなきゃダメですよ。僕いちど痛い目見ましたから……」
 苦笑しているのは、彼女らが座るソファの後ろに立ち、同じようにPC画面を覗き込んでいるイワンである。
「しかし、宝の山です! ああ、これはなんとしてでも手に入れなければ」
 そして興奮した声を上げているガブリエラにひどく嫌な予感がしたライアンは、そっと彼らの後ろに回った。

 さすがの忍者、イワンはすぐにライアンに気付き、少し目を丸くする。しかしライアンが微妙な表情をしていたせいか、ライアンが来たことを3人娘に教えることなく、気まずそうな顔をして、PC画面を覗き込もうとするライアンに場所を空けてくれた。
「キューティー王子のサイン入りブロマイド!」
「またかよてめえいい加減にしろよ!!」
 すぐ後ろでライアンが怒鳴ったので、カリーナとパオリンが驚き、ソファから少し浮いたのではないかと思うほどビクッと身体を跳ねさせた。しかしガブリエラはへらりと嬉しそうに微笑み、「あっライアン」と振り返る。

「あのですね、折紙さんにオークションサイトの使い方を教えて頂いて、そうしたら」
「折紙」
「ひぃ! すみません!」
 ぎろりと睨まれたイワンは、猛獣に睨まれた小動物よろしくびくついた。
「映像はだいたい揃ってしまったようなので、グッズを集めているのです。しかし、ヒーローになってからのグッズは今もありますが、アイドル時代のものはもう売っていませんでした。どうしたらと思っていたら、オークションに色々と出品されていました!」
 そう言ってガブリエラが見せた落札済みリストには、クリアファイルやら下敷きやら缶バッジ、名前入りタオル、Tシャツ、当時特集記事が組まれた雑誌、ポスター、さらにコンサートの時に振るペンライトまでもが、ずらりと並んでいた。
「このペンライト、すごいですね。スイッチを入れると、ライアンの名前がピンクにちかちか光るそうです。ほら、このハートの所が。届くのが楽しみです」
 画面を指差してにこにこしているガブリエラに、ライアンは頭を抱えた。イワンは気の毒そうな顔をしているが、カリーナは出品者が親切に添付してくれている、ペンライトがちかちか光る動画を見て大笑いし、パオリンも「届いたら見せてね」と邪気のない笑顔を浮かべている。
「つーか、それを買ってどうすんだお前は!」
「どう? どうもしません。欲しいだけです。部屋でたまに振って遊びます。コンサート映像を流しながら。電池式で何度も使えるので、非常用にもなりますね」
「活用する気満々でござる……」
 イキイキしているガブリエラに、イワンがいっそ感心したような声で言った。

「それで、今度はこれを見つけたのです! サイン入りブロマイド!」
 ガブリエラが満面の笑みで見せた画面には、半ズボンのキラキラした衣装を着た当時のライアンが、ばちんとウィンクをキメている写真が表示されていた。
「直筆サイン入り! 今のサインと違います! しかもなんだか少しぐにゃっと」
「ぷぷ、確かになんかたどたどしいわね」
「最高です! 最高にかわいい!」
 笑いを堪えながらコメントするカリーナと、興奮するガブリエラ、さらに画面を覗き込みながら「わーサインにハート入ってるー」と言うパオリンに、ライアンは顔を両手で覆って天を仰いだ。
「あのライアンさん、あれ……」
「……まだサインちゃんと決まってなくて考えながら書いたやつ……」
「ウワアアアア」
 イワンが、もはや気の毒というよりは単に恐怖を感じたようなリアクションをした。

「よぅし入札しますよ! 保存ケースに入れて壁に飾るのです!」
「待てコラァ!」
 入札ボタンを押そうとするガブリエラを、ライアンは彼女の頭を掴むことで止めた。
「なんですか?」
 なぜ怒られたのかわかっていない犬そのものの表情できょとんと見上げてくるガブリエラに、ライアンは落ち着くために深呼吸をし、考えを巡らせた。
 悪いことをしていると自覚があるならともかく、本人はただ楽しく遊んでいるだけという犬に言うことをきかせるには、一体どうしたら良いのかと。

「……いいか?」
「え? はい」
「お前そうやって昔の俺を集めまくってるけど、よく考えろ。本物が隣にいるのに、わざわざそんなもん集める必要ねえだろ、ん?」
 言っているうちに、よしこの路線で行こうと方向性を決めたのか、ライアンはにこりと笑ってみせた。若干、引きつった笑みではあったが。
「な? 今の俺は今しか見れねえぞ〜? 映像や写真より生身だろやっぱり。お前ホラ握手会来たかったって言ってたじゃねえか、してやろうか握手。──よし、特別にハグでもいいぞ!」
 さあ来いといわんばかりに腕を広げたライアンに、カリーナが半目で「必死だわね」と呟いた。

「う……はぐ……」
 少し顔を赤くしたガブリエラが、眉を寄せて揺らぐ。ふらふらと手をライアンの方に伸ばしかけては引っ込める彼女に、ライアンはきらりと目を光らせて畳み掛けた。
「ん? 画面の中の昔の俺と、いま目の前にいる俺とどっちがいいよホラ」
「う……うう……」
 ガブリエラは、葛藤していた。
 後ろには、ウィンクをキメた昔のライアン。少年らしい華奢な生足が、半ズボンの衣装から伸びてポーズを作っている。そして目の前には、分厚い胸板でトレーニング用のシャツが突っ張っている今のライアンが、腕を広げて待ち構えている。
「あっ……し、しかし、昔のライアンはもういないですし……、しかしライアン……う……はぐ……う……しかし……」
 ガブリエラは画面のライアンと目の前のライアンを何度も見比べ、困り果てた顔をした。
「あっ、誰か入札したよ」
「締切時間もうすぐじゃない。取られちゃうわよ」
「あ、ああああう」
 パオリンとカリーナが言い、ガブリエラは入札の付いた画面を見て、悲壮な顔になった。そして、再度ライアンを見る。
 あと1歩、さあ来い、とライアンはとどめとばかりに手招きする。しかしその時ガブリエラの灰色の目がじわりと潤んだので、ライアンはぎょっとした。

「うっ……、うえええええ」
「泣くほどかよ!?」

 顔を覆ってしくしく泣き始めたガブリエラに、ライアンは慌てるというよりは驚愕した。
「あー! 泣かしたー!」
「ちょっとあんた何してんのよ!」
 パオリンが指を差して非難し、カリーナがガブリエラの肩を抱き寄せつつ、目尻を釣り上げる。

「すみません……この間のバイクの件から、何かというとすぐ涙が……」
 ガブリエラは、ぐすぐすとすすり泣きながら言った。
「うう、ラグエル」
「ギャビーかわいそう」
 涙を拭うガブリエラを、パオリンが彼女の肩に手を置いて慰めた。
「……俺もかわいそうだと思うんだけど」
「黙りなさい!」
 ぶつくさ言ったライアンを、カリーナがキッと睨んだ。
「いいじゃないのよそのくらい! ギャビーが元気になるんだったら黒歴史の10コや20コ提供しなさいよ、男らしくない!」
「お前簡単に言うけどさあ! 言っとくけど、お前も自分の今のアイドル姿見てウワアアアってなる時が来んだからな!?」
「わ、私はあんたみたいに恥ずかしい売り方してないわよキューティー王子!」
「キューティー王子と氷の女王様とどう違うんだよ!」
「泥沼でござる」
 現役アイドルと元アイドルの言い争いに、イワンが残念なものを見る目をした。

「っていうか卑怯でしょ!? ギャビーが自分のこと好きなの知ってて待たせといて、こういう時だけそういう手段で気を引こうとするって最低だわ! そういうことするならせめてちゃんと付き合って、堂々と彼氏面できるようになってからしなさいよね!」

 ものすごい剣幕でまくし立てたカリーナに、ライアンがうっと詰まる。その横で、イワンがぼそりと「正論……」と呟いた。
「あーもういいわ! 折紙!」
「えっ僕ですか!? えええと」
 イワンはびくつき、女王様よろしく腰に手を当てて仁王立ちしているカリーナと、じっとりとした目で見てくるライアンを、きょときょとと見比べた。
「落札するのよ! 早く!」
「はい」
 イワンは従順な返事をし、PCを操作し始めた。あっさり裏切った彼を、ライアンが睨む。
「折紙お前……」
「ひいすみませんライアンさん! 拙者スクールカースト最底辺の出身ゆえ! 女子の“ちょっと男子〜”には逆らえぬのでござる!」
「どうでもいいから落札して!」
「はい」
 鋭く命令してくる若き女王様に、イワンは再度PCに向かった。

「……すみません、ライアン」
 ぐすぐすと啜り上げながら、ガブリエラが言った。
「そんなに嫌だったなど。昔のライアンは、とても、とてもかわいいので……あんなにかわいいのに嫌だというのは、やはりよくわかりませんが、……ライアンが嫌だというなら、嫌なのでしょう」
「……こんだけ笑いものにされりゃ、誰だって嫌だろ」
 不貞腐れた様子でライアンが言うと、ガブリエラは涙に濡れた目を丸くして、きょとんとした。
「わらいもの? 違います。ただかわいいので、つい笑ってしまうだけです」
「……あ?」
「かわいいものを見ると、にこにこしてしまいます。それだけです。それがライアンだと思うと、もっとにこにこしてしまいます。悲しいことを忘れるほどです」
 それが何か、とでもいうように首を傾げるガブリエラに、ライアンは微妙な顔をした。なぜなら彼女の言葉は言い訳でもなんでもなく、本当のことだと理解できたからだ。
 他の面々と違い、彼女は昔のライアンの映像に満面の笑みは浮かべるが、爆笑したり、ツッコミを入れたりはしない。ただかわいいかわいいと、いうなれば愛でているだけなのだ。

「……悪かったよ」
 まだいまいち納得は行かないものの、ガブリエラに全く悪気がないことを認めたライアンは、そう言った。その態度に、ガブリエラが笑みを浮かべる。
「ライアン……、いいえ、私こそ」
「良かったわね。ほら仲直りなさい」
 カリーナが、ガブリエラの背を押した。ふらりと立ち上がったガブリエラと、ライアンの目が合う。
「ライアン」
 手を伸ばしてきたガブリエラを、ライアンは受け止めた。細い身体が、腕の中にすっぽりと収まる。ぎゅっと抱きしめれば、赤い顔をしたガブリエラが、「えへ」と幸せそうな声を上げた。

「あ、落札できたでござるよ……」

 イワンが、おずおずと言った。
 こうして結局、ガブリエラは昔のライアンのサイン入りブロマイドと今のライアンのハグ、両方を手に入れた。この時のことを後で聞いたネイサンは、「さすが満足のM、欲しいものは全て手に入れるわね」と感心していたという。
★王子様の黒歴史★
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BY 餡子郎
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