#077
★王子様の黒歴史★
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「続いて、先日の車両窃盗団事件におけるホワイトアンジェラの発言、行動がヒーローとして問題なのではないか、という件について」
情報番組のキャスターが、原稿を読み上げる。画面の右上にスワイプが出現し、当時の事件の映像が流れ、テロップが表示された。
「ステルスソルジャー、元ヒーローとしてどう思われますか?」
「この話題ね。俺の意見は決まりきってる。言っていいか?」
「どうぞ」
「──“こんなに大騒ぎすることでもねえだろ”」
相変わらずの切れ味鋭いコメントに、情報番組の司会者が、「さあ始まりましたよ」とばかりに、カメラ目線で意味ありげな表情をする。
「彼女の例の発言についても、大した問題ではないと?」
「例の発言ってのは、彼女の故郷の言葉で悪態をついたことかね」
「そのことです」
「確かに、お淑やかとは言いがたい発言ではあるな。でも、ワイルドタイガーの野郎が名前負けに思えるぐらいの彼女のワイルドさは、皆知ってるじゃねえか。しかも、それが好きなヤツのほうが多いだろ?」
今更何言ってんだって感じだ、と、老兵は、後輩を気安くからかいのネタにしながら混ぜっ返した。
「しかし、皆の模範となるべきヒーローとして──」
「HERO TVは、いつからマナー講座番組になったんだ?」
ステルスソルジャーは皮肉げな表情をし、両手を上げて肩をすくめた。
「スリルと興奮、正義の勝利をエンターテイメントにしたのがHERO TVだろう? 多少の過激な言葉はエッセンスじゃないかねえ。建物ぶち壊したり、能力使いまくったり、犯人と乱闘するのは良くて、汚い言葉を使うのはNGってのは、なんとも道理が通らんのじゃないか? ──もちろん、普段の生活ではママのいうことを聞くべきだけど」
顔の皺を深めてにっこりと笑みを作り、ステルスソルジャーは、茶目っ気たっぷりの表情を見せた。
「……また感情のまま倒れ込んだり泣きわめいたりといった態度は、ヒーローとして意識が足りないのではないかとも言われていますが」
「チビッコに対して悪影響だって?」
「はい」
「ふうん? 友達の形見が目の前でグチャグチャにされても黙って立ってるのが、教育にいい? 俺はそうは思わないがねえ。そんなクール過ぎるヒーローが今の流行? やだやだ」
ステルスソルジャーが、大仰に首を振る。
「実のところ俺は、メトロ事件の時、俺は彼女が本当に人間なんだろうかと思ったんだ。天使や聖女って言われてたけど、まさにそれだ。普通の人間は、知らない人間のために餓死するまで身体張ったりできない。あんたはできるか? あんたは?」
スタジオにいるひとりひとり、そして画面を通した人々に対して、ゆっくりと、彼は言った。
「ゾッとしたね。すごいと思うし、感動もした。しかし人間離れしてるとも思った。こんなことじゃあ、彼女がすぐに死んじまうんじゃないかってハラハラした」
スタッフの何人かが、小さく頷いている。
「でも今回、大事なバイクがぶっ壊れちまって泣きわめいてるアンジェラには、人間味を感じたよ。だからこそ共感するし、同情もできる。そして応援したいと思う。少なくとも俺はそうだね」
「ヒーローとて人間である、と?」
「当たり前だ。でも甘やかしてくれって言ってるわけじゃない。ヒーローにも人間性を認めてほしいってだけだ」
真剣な声で、彼は続けた。
「いいじゃねえか、まだ若い女の子なんだから。素直にわあわあ泣く娘っ子のほうが可愛げがあるし、何より健全だ。それともみんな、女に涙を飲ませたいタイプ? 言っちゃ何だが趣味が悪いんじゃないかね」
さあこの話は終わりだ、とばかりに、ステルスソルジャーは次のニュースを呼び出した。
コンコン、という控えめなノックに、飲み物を飲んでいたステルスソルジャーは顔を上げ、控室のドアに近づいた。
「どちらさんだ?」
「ホワイトアンジェラです。ご挨拶に伺いました」
「おお」
その特徴的な声に、ステルスソルジャーはドアを開けた。
予想通り、そこには、私服に頭だけホワイトアンジェラのメットを装着した、非常に細身の娘が立っていた。その後ろには、同じく私服姿で素顔のゴールデンライアン。更に、いかにも地位の有りそうな、ステルスソルジャーよりは若干年下だろう、上等なスーツ姿の男性もいる。
「こりゃまた、お揃いで」
収録前に、共演者が挨拶に来ることは珍しくない。しかも今回はアスクレピオスからの要請で、『品の良い悪態のつき方』などという、話題性充分だが炎上要素も高いテーマでの出演オファーである。
毎週特に代わり映えのしない平和な教育番組に持ち込まれたぶっ飛び依頼に戸惑う面々の中、その依頼を受けるようプロデューサーに掛け合ったのは、長年この番組のパーソナリティを務めるステルスソルジャーだった。
色々な場面で自分が何かとホワイトアンジェラの擁護をすることから、大いにそれを期待してのオファーだろうということはステルスソルジャーも当然予測していたし、歓迎する気持ちもある。
それに、本当に代わり映えのしない番組なのだ。たまには話題性のあることをするのもいいだろうという案に、古い付き合いのプロデューサーやディレクターも鷹揚に頷き、特別に深夜移動枠で番外のような回を設けることになったのだ。
「突然申し訳ない、ステルスソルジャー。このふたりのことはご存知かと思いますが、私は彼らの上席で、アスクレピオスホールディングスシュテルンビルト支部代表の、ダニエル・クラークと申します」
「ご丁寧にどうも」
ダニエルが差し出した名刺を受け取ったステルスソルジャーは、慣れた様子で、自分の名刺も彼に渡した。
そのビジネス的なやり取りが終わってすぐ、待ちきれないという様子で、アンジェラが一歩前に出る。
「あの、その、はじめまして。この度は、番組に出させてくださって、あの、この番組はシュテルンビルトに来てからずっと見て、これで言葉を覚えて、その、それと、ええと、この間の情報番組でもその」
「おうおう、落ち着け。ゆっくり喋らねえと、またいらねえこと口走るぞ」
慌ててまくしたてるアンジェラに、かっかっと笑いながら、おおらかにステルスソルジャーが言う。アンジェラはそれに少し恥ずかしそうな様子を見せたが、やがて微笑みを浮かべると、一度小さな深呼吸をした。
「何年もずっと見ていた番組に出られて、うれしいです。そして、色々なところで私の味方をしてくださって、本当にありがとうございます。とても感謝しています。とても」
「いやいや、オッサンは言いたいことを勝手にしゃべくってるだけさ」
深々と頭を下げるアンジェラに、ステルスソルジャーは大きく笑い、気にするなと声をかけた。
「本当に、ご迷惑をおかけしました。これからは、間違っても◯◯◯◯◯◯などとは言いません。私は美しい言葉遣いを学びます。ちゃんと“尼寺へ行け!”などと言うようにします」
「……うーん、それもどうだろうなあ……?」
課題に出されたという古典名作の台詞を大真面目に学習しようとしているらしい彼女に、ステルスソルジャーは乾いた笑いを返した。
「ま、立ち話も何だ。入んな」
「あっ、ありがとうございます」
「どうも」
「お言葉に甘えます」
そうしてステルスソルジャーは、3人を自分の控室に招き入れた。
ぱたん、と、ドアが閉まる。
そしてその途端、アンジェラはメットを外し、素顔になった。驚くほど鮮やかに赤い髪が溢れると、ステルスソルジャーは、少し驚いた様子で目を見開いた。
「お? いいのか?」
「お世話になった方に、顔を見せずにいるのは失礼だと思います。出来ない時もありますが、出来る限りはそうしたいです」
「そうかい。まああんたと会社がいいならいいけどよ」
生真面目に言ったアンジェラに、ステルスソルジャーは頷いた。そして、まじまじと彼女を見る。
「ははあ、こりゃべっぴんさんだ」
「……ありがとうございます」
はにかんだその表情は童顔というわけでもないのに稚く、それだけに、彼女の性質がよくわかるものだった。とはいえ、実際自分の子供でもおかしくない若さではあるので、ステルスソルジャーもまた照れくさそうな笑みを浮かべた。
「いやしかし、実際、シュテルンの女ヒーローは皆美人揃いだと思わねえか? ブルーローズは言わずもがなだし、キッドも可愛いだろ。二部リーグも美人さんが多いし、ファイヤーエンブレムも若い時はそりゃもうキレーでなあ」
「そうなのですか」
「道踏み外さないように苦労したもんだよ」
肩をすくめて笑う彼に、アンジェラもまた微笑んだ。「ファイヤーエンブレムは、今でもとてもきれいな方ですからね」と続けながら。
「違いない。おっと、茶も出さずに失礼したな。おい若造、小遣いやるから飲み物買ってきな」
まるで近所の子どもに対するようにそう言って、ステルスソルジャーはライアンに小銭を投げた。それをキャッチして、ライアンが片眉を上げる。
「パシリなんざ久しぶりだぜ」
「たまに下っ端扱いされると、いい気にならなくていいだろ? セレブヒーロー様」
年季の入ったにやり笑いに肩をすくめて、ライアンは部屋をいったん出ていった。
「おお、そんなことがあったのですか」
「そうそう、あの頃はいろんなことが決まってないままヒーローやってたからなあ」
ライアンが飲み物を持って戻ると、何やら昔話を語っているらしいステルスソルジャーと、目をきらきらさせてそれに聞き入るアンジェラがいた。
「ちょっとの間に、えらく盛り上がってんな?」
「あっライアン。ステルスソルジャーのお話は、とても面白くて勉強になります」
彼女は基本的に人の話に聞き入るタイプだが、ステルスソルジャーのそれは、特に興味深いものであるらしい。その輝いた表情で、ライアンは正しくそう理解した。
「ステルスソルジャー氏は、レジェンドの引退数年前にデビューして、ワイルドタイガーのデビュー数年後に引退なさったからね。ヒーローという職業の激動の時代の方だから、勉強させてもらうといい」
「ん? 詳しいな」
すかさず口を挟んできたダニエルに、ステルスソルジャーは、元々ぎょろっとした目を更に丸くした。
「ちょうどその世代ですからね、私は。特にあの、夜中の潜入中継は手に汗を握りました」
「おお、その事件か! いやあ、あれは俺の黄金期だったなあ」
「確かにこの時がいちばん派手な活躍でしたが、私はあなたの密かというか、渋い活躍がとても好きでして、その、実は以前からかなりファンで、よろしければサインを頂けますでしょうか」
照れくさそうにダニエルが出してきたのは、年季の入った、ステルスソルジャーのヒーローカードだった。
普段は現場に出たりしないダニエルが腰を上げたのは、自社ヒーローがお世話になったのだから、というのもあるが、どうやらこれが理由のひとつだったらしい。
「おお〜、嬉しいねえ! 喜んで書かせてもらうぜ」
「感激です」
「クラークさん、ずるいです! 私もステルスソルジャーのサインが欲しい!」
きゅっと眉間に皺を寄せて、アンジェラが駄々をこねた。
「お嬢ちゃんもか? 俺がヒーローやってた頃、お嬢ちゃん生まれたばっかりぐらいじゃねえか?」
「はい。私はこの教育番組でステルスソルジャーを知ったのですが、調べたらもうヒーローを引退なさっていて、とても残念に思いました。しかし、現役時代の映像をライブラリで観ました! 潜入中継も!」
拳を握り、アンジェラは熱く語った。
「あの、絶体絶命という時に! ステルスソルジャーが、犯人の後ろからぱっと出てきた時の格好良さ!」
「そのとおりだとも。あのとき私は部屋中を飛び跳ねて歓声を上げたものだ」
「わかります。とてもわかります」
「照れるねえ」
深く頷き合っているダニエルとアンジェラに、ステルスソルジャーは禿頭なのかそういう髪型なのかわからない個性的なスタイルの頭を掻いて、自分のヒーローカードにサインを入れた。
「おお……長年の夢が叶いました。ありがとうございます」
「いやいや」
「ステルスソルジャー! 私にはここ、これにサインをください!」
アンジェラが出してきたのは、何やら使い込まれた手帳である。新しいページを探すべく、ステルスソルジャーは、ぺらぺらとページをめくった。
「おっ、すげえな。現役の奴らのサインは全部あるんじゃねえか?」
アンジェラの手帳には、一部リーグメンバーはもちろん、二部リーグのサインもたくさんあった。
「こいつ、そもそもがヒーローオタクなんだよな」
飲み物に口をつけながら、ライアンはアンジェラを目線で示した。
「そうなのです。私はヒーローが大好きです。ヒーローに憧れて、ヒーローになりたくて、故郷からシュテルンビルトに来ました」
アンジェラは、やはり熱っぽく言う。
「一部リーグになってから、現役ヒーローは全員サインをいただきました。しかし、引退したヒーローには、なかなかお会いすることが出来ません。感動です!」
「そうかい、そりゃ光栄だ。じゃあ今度飲み会する時来るか? 引退した奴らもちょいちょい来るぜ」
「本当ですか!? ぜひ呼んでください、ぜひ!」
「ずるいぞアンジェラ! 私こそその世代なのに!」
目を輝かせて立ち上がったアンジェラに対し、ダニエルは頭を抱え、本気で悔しがっている。
「なんだ、あんたもヒーローオタクか」
「お恥ずかしながらそのとおりです。大企業ならばそのうちヒーローを抱えるだろうと思って勤めて早20年近く、やっとうちにもヒーロー事業部が出来て、しかもその責任者に抜擢されて、私がどれほど嬉しかったか!」
「えっマジで。初めて聞いた」
「そうだったのですか」
暑苦しいほどの様子で語るダニエルに、ライアンが真顔で、アンジェラが感心したように言った。
「あー……、なら、あんたも来るか? 飲み会」
「くっ、……いえ! 引退なさっているとはいえ、一般人とヒーローがそうそう顔を合わせるものではない。ほかのファンにも申し訳ない、ここはおとなしく身を引きます」
そこまでしなくとも、とステルスソルジャーとライアンは思ったが、苦渋の決断、と言わんばかりの様子のダニエルは、何らかのポリシーの元そう発言しているのだろう。
誘いをあえて断ったダニエルの判断に感銘を受けたのか、アンジェラが「クラークさん……」と涙が滲むような声で言った。
「アンジェラ、私は行けないが、どんな様子だったのかぜひ聞かせてくれたまえ」
「もちろんですとも。クラークさんのぶんのサインも頂いてきます。あっそうです、せっかくですのでファンレターを書いてはいかがでしょうか! お渡ししてきます!」
「それは良いアイデアだ! ありがとうアンジェラ、最高に熱いメッセージを用意しておく!」
固く手を握り合っているヒーローオタクふたりを、ライアンは半目で見つめた。
「それでは、私はこれで。うちのヒーローをよろしくお願いいたします」
「おう、こちらこそ」
「アンジェラがお世話になったことでもありますし、何かあればいつでもご連絡を」
ダニエルは何度も頭を下げつつ、満足そうな表情で会社に戻っていった。
「いい上司じゃねえか」
「はい。クラークさんはとても良い人です」
アンジェラは、大きく頷いた。既にメットをかぶっているが、その口元だけで、にっこりと微笑んでいるのがよく分かる。
「食えねえヒトだけどな」
「あんな大企業の代表なんだ、そうでないとやっていけねえさ。お、そろそろ行くぞ」
肩をすくめたライアンの背を叩き、ステルスソルジャーは慣れた様子で歩き出した。ヒーローふたりはそれに続き、収録スタジオに向かって歩いていく。
「うう、緊張してきました。本当に故郷の言葉を口にしてもいいのでしょうか」
情けない声で言うアンジェラが見ているのは、今回収録する教育番組の台本である。基本的に、ごく短いシチュエーションシナリオがあり、その中に例文が含まれていてフレーズの紹介。そのあとリピートアフターミーと続く、というよくある構成。
そして今回『品の良い悪態のつき方』というテーマにおいて、アンジェラが故郷の言葉で、時々BLEEP音で伏せられたり字幕をつけられながら悪態をつき、それを品の良い遠回しな言葉でステルスソルジャーと講師役が言い換える、という流れを何度か繰り返すものになっている。ライアンも、スペシャルゲストとして出番が作られていた。
「なーに、デカいバックがついてるんだから安心してやんな」
「汚い言葉を使わないように、あれだけ気をつけていたのに……こんなことになってしまって、お恥ずかしい限りです……泣いたりも……本当に……」
「大したことじゃねえさ、気にするな」
しょんぼりと肩を落とす彼女に、ステルスソルジャーは、大きく笑いながら言った。
「カメラの前でみっともないとこ晒すぐらい、いくらでも挽回できるさ。カメラの前で漏らしたやつだっているんだぜ? 汚え言葉を使ったり泣きわめいたのぐらい、ごくごく健全な範囲だ」
「そうでしょうか」
「そうだよ。どっかの馬鹿は、女房が死んだって時にいつも通りヒーローやろうとしやがって、さすがに殴り飛ばしたね」
「殴ったのですか?」
「おうよ、泣くまで殴ってやった、あの馬鹿め」
ふん、と鼻を鳴らして、ステルスソルジャーは、現役時代よりも恰幅の良くなった腹を反らした。
「まあ、あいつはいきすぎだけどな。誰だって、なんだ。最近は、黒歴史とかいうんだっけか? そういう恥ずかしい思い出があるもんさ。そうだろ?」
「……まあね」
同意を求められ、ライアンは、やや目を逸らしながら肩をすくめた。
「そういうものなのですか」
「そうそう」
感心したように頷くアンジェラに、ステルスソルジャーは大きく笑う。
「ま、なんてこたぁない。笑われる前に、自分で笑い飛ばしちまえばいいのさ」
扉を開けると、地味めの教育番組のセットが、新旧ヒーローたちを待っていた。
「ふーん、ふん、ふー、ん、ん、ん」
聞こえてきた鼻歌に、シャワーから上がってきたネイサンは足を止めた。
ふと見れば、自動販売機のある休憩エリアのソファのところで、特徴的な赤い巻き毛の頭が、リズムを取って揺れている。
「あーら、ご機嫌ね天使ちゃん」
「あっ、ネイサン」
振り返ったガブリエラは、にっこりとしていた。
本当に機嫌の良さそうなその表情に、ネイサンもつられて微笑む。つい先日彼女の愛車が海の藻屑になるという痛ましい事件が起こり、それはもう大層な落ち込みようであったので、ネイサンだけでなく、皆がとても心配していたのだ。
全損の原因を作った虎徹とアントニオは特に責任を感じているらしく、虎徹は廃車にしようかと悩んでいた自分の愛車をやはり修理して乗り続けることを決めたり、アントニオは可愛い馬の刺繍の新しいポシェットを作ってくれたりしていた。
また、ちょっとした話題になるほど多くのファンたちからのメッセージや、引退ヒーローのステルスソルジャーと共演したことが、彼女をおおいに慰めたらしい。
ステルスソルジャーはファイヤーエンブレムにとっても先輩でもあり、同時期にヒーローをやっていた期間もある相手だ。当時から誰かの相談役になることが多かった彼ならば、娘ほどの年齢のガブリエラくらい鷹揚に受け止めてくれるだろう、と思っていたのだが、やはりそのとおりだったようだ。
番組で共演してからというもの、ガブリエラの口から、ステルスソルジャーが、という言葉を聞くことも多くなった。素直で、年寄りの昔話をきらきらした目で聞く貴重なタイプの若い娘の後輩を、あのロートル・ヒーローはさっそく可愛がり始めているようだった。
「はい! いつまでも落ち込んではいられませんので!」
「いいコね」
その時、ガブリエラの耳からぽろりとイヤホンが抜けて落ちたので、アラ、とネイサンは口元に指先を当てる。
「邪魔しちゃったかしら?」
「いいえ、ちっとも」
「ならいいんだけど。それにしてもそんなに嬉しそうにして、何聴いてたの?」
「聴いていたというか、見ていたのです。とてもかわいいのですよ!」
ガブリエラは、先程にも増して輝くような、満面の笑みを浮かべた。
「かわいい? 動物動画とか?」
「もっと良いものです。そうです、せっかくですので大きい画面で見ましょう」
ややテンションの高いガブリエラは立ち上がり、ネイサンの手を引っ張って、大きなディスプレイのあるトレーニングルームに戻っていく。
「ラグエルがあんなことになってしまい、とても悲しかったです。しかし、皆さんに沢山優しくしていただいて、これではいけないと思いました。そしてこれを見て、私は元気になったのです」
「それは良かったわねえ」
「ネイサンもきっと気に入ります。とても癒やされます。とても」
いそいそと自分の携帯端末を大型画面に無線接続するガブリエラを、ネイサンは、お気に入りの玩具を自慢しようとする子供に対するような慈愛たっぷりの表情で見守りつつ、長い脚を組んでソファに腰掛けた。
そしてその様子に、他のヒーローたちもなんだなんだと集まってくる。
「ギャビー、何してるの?」
「なんだか、すごくかわいい動画があるんですって。それで立ち直ったらしいわ」
「へえ、そんなにかわいいの? なら私も見たい」
「え、動物動画とか? ボクもボクも」
まずカリーナとパオリン、女子組が集まってくる。そして動物動画という声を聞いてキースが顔を輝かせて寄ってきて、イワンが「何か話題の動画ですか?」と興味を示した。また若者組が集まっていることによってバーナビーもやってきて、続いて相棒の虎徹、最後にアントニオと、結局その場にいたヒーローズ全員が画面の前に集まった。
「わあ、いつの間に皆さん揃っていたのですか」
「え? だって、なんかお前が面白いもん見せるっていうから」
なあ、と虎徹が皆に呼びかける。
「面白いというか、かわいいものです。私のとっておきですよ!」
「へー、そんなかわいいの?」
「かわいいです!」
ガブリエラは満面の笑み、かつ得意げな顔をして、端末を操作した。ピ、という小さな接続音がして、大きな画面に彼女の端末の映像が映し出される。
「まっ、かわいい」
ネイサンが言う。画面に映し出されたのは、幼稚園生くらいの男の子だった。
ふわふわの金髪に、垂れ目がちの大きな目、白い肌。とびっきりの笑顔で、柔らかそうなほっぺが薔薇色になっている。青い襟に黄色のラインが入った、セーラータイプの可愛らしい衣装が、最高に似合っていた。
《かえってきたら、おててをあらう〜》
幼児特有の甘く高い声で男の子はそう言って、石鹸を泡立て、歌を歌いながら、洗面所で小さな手を洗いはじめた。
──“らららキレイにおててを洗おう、おててキレイキレ〜イ”
──フラワーキングの薬用石鹸。小さな手にも、やさしい洗い心地
《きれいになった〜!》
短いフレーズの販促ソングのあと、天使のような、という表現そのものの笑顔を浮かべた男の子が映り、動画が終了した。
「……CM?」
「かわいいでしょう!!」
皆がぽかんとしている中、ガブリエラは先ほどの男の子にも負けないような──いや、更に蕩けるような、満面の笑みで言った。
「確かに可愛らしいですが……」
バーナビーが首を傾げるが、皆概ね同じ意見だった。確かに可愛らしい男の子であったし癒されるCMだったが、同時に特筆するところも特にない、ただ普通に可愛いだけのCMにしか思えなかったからだ。
「あれ? わかりませんか」
「え? な、何か有名な動画なんですか?」
僕は初めて見ましたが、とネット上のミリオンヒット動画は概ね網羅しているイワンが困惑するが、ガブリエラはあっさりと首を横に振った。
「いえ、有名というわけではないと思います。おそらく」
「はあ……」
「そうですか、わかりませんか。まあそうかもしれません、かわいすぎますからね」
ガブリエラはなぜか妙に満足気に言い、また何やら端末を操作した。
「ん? あれは、先ほどの子かな?」
キースが、身を乗り出して言う。
次に映ったのは、幼児向けの教育番組。たくさんの同じ年頃の幼稚園児たちが好き勝手にきゃーきゃーと走り回る中、中央に体操のお兄さんが立っていて、「さあみんな〜! よい子のどうぶつ体操がはじまるよ〜!」と朗らかな声を上げ、音楽が始まる。
そしてその横で先程のCMの男の子がにこにこしながら、そのどうぶつ体操とやらをしようとしていた。
《──ライオンさんのポーズだあ〜! がお〜!》
「アラ、この子上手ね」
「それに、先程から的確にカメラ目線でござる。侮れぬ」
ネイサンが微笑ましげに言い、イワンが見切れ職人らしいコメントをした。
それからさほど長くかからず、お兄さんと幼児たちの「ばいばーい!」という声でコーナーが終了する。
「はい! どうでしたか!」
「いや、だからどうって言われても。これ誰? ギャビーの親戚とか?」
困惑した顔でカリーナが言うと、ガブリエラはまた首を振った。
「違います。全く似ていないでしょう」
「確かに似てないわね。……だから誰なのよって」
「まだわかりませんか? まだまだですねカリーナ」
「……なんだろう、微妙に腹立つわ……」
ふ、と鼻で笑ったガブリエラに、カリーナは眉をひそめて半目になる。
「えー!? これが誰かっていうのが問題なの!?」
「んー、誰か有名人の子供の時、とかか?」
パオリンがぴょんぴょんと飛び跳ねながら言い、アントニオが、一時停止にした画面をじっと睨む。
「先程の、石鹸のCMがデビュー作品です。4歳。そのあと8歳までに、教育番組とCM、ドラマのエキストラで12本。全て見ていただきたいところですが、今回はとりあえず省略しますね」
「あ、うん……」
なぜかイキイキしているガブリエラに気圧され、虎徹が娘によく「ちゃんと聞いてるの!?」と怒られる、ぼんやりとした返事をする。しかし、今回ばかりは皆同じような状態だった。ガブリエラが一体何を見せようとしているのか、全く見当がつかない。
「次は一気に10歳です。これなら少しわかりますよ」
ガブリエラがそう言って再生させたのは、音楽番組だった。イントロとともに、曲名とグループ名がテロップで表示される。
「どこのアイドル? 見たことない」
「アタシも知らないわ。でもこの6人の中にはいないわね、さっきの子」
カリーナとネイサンが首をひねる。確かに、歌って踊り始めた6人の少年アイドルグループの中に、あの男の子と思しき姿はなかった。そもそも全員高校生ぐらいなので、ガブリエラが言った10歳という年齢には合わない。
「あ、いました! あそこ、右から5番目!」
「どこどこ!? ……あっいた! ホントだ!」
イワンが指差した先を見て、パオリンが声を上げる。曲の途中で出てきた子供ばかりのバックダンサーの中に、確かに先ほどの男の子と思しき姿があった。キラキラした生地の半ズボンとベストという皆お揃いの衣装に黄色のスカーフをなびかせ、ダンスを披露している。
「折紙、よく見つけんな〜」
「さすが見切れ職人」
虎徹とバーナビーが感心する。
「さあ、どうですか。わかりましたか」
「……すまん、わからん」
腰に手を当てて胸を張るガブリエラに、アントニオがまいったとばかりに両手を上げた。
「ええっ、これでもですか。むう、あまりアップにならなかったからでしょうか」
「いやそういう問題じゃなくてだな……」
「しかたがないですね。では13歳! もう答えですよ!」
ガブリエラは全く話をきかず、そして何やらノリノリで、また端末を操作した。そして映ったのは、また音楽番組。
先ほどのメンバーとは違うが、また少年アイドルグループだった。今度は5人である。だが先程とセンスの似通ったキラキラした衣装で、ローラースケート・シューズを履いている。
「え、どういうこと? アンジェラ、アイドルファンになったってこと?」
「違いますよ! ほらよく見て下さい、わかるでしょう! ほら!」
疑問符を飛ばしまくっている虎徹に、ガブリエラはソファの背もたれをばんばん叩きながら興奮気味に言う。
そんなやり取りをしていると、画面の中で、サングラスをかけた、ベテランらしい淡々としたテンションの司会者が少年たちに自己紹介をするように促した。
《スター☆プリンス! あなたをいつも夢に見て……リーダー王子、フィリップ!》
《なにも言わなくていい、ただキスをしよう……海辺の王子、エリックです》
《真実の愛はただひとつ……。ワイルド王子、アダムだ》
《君に巡り会いたい、ロマンス王子、ユージーン》
「ウワアーこれはひどい」
呆然と言ったのは、イワンだった。
そのあまりの棒読みぶりに、数人が思わず噴き出す。どうやら全員が何らかの“王子”という設定のアイドルらしいが、決め台詞がどれもこれも歯が浮くような出来すぎて、いきなり見せられると笑いしか起こらない。
「お、だいぶ大きくなったな〜」
虎徹が、完全に親目線のコメントを発する。
最後に出てきたのは、金髪に垂れ目の少年。特徴からしておそらく今まで出てきた男の子の成長した姿のようだが、虎徹の言う通り、確かにずいぶん大きくなっている。顔が幼いので最年少ということはわかるが、身長は随分伸びて、ほかのメンバーとそう変わらないくらいだった。
そして変わったのは容姿とともに、その表情である。いくつの時も愛想よくニコニコしていた男の子だが、今の笑顔は完璧に営業的でこれでもかとあざとく、その上見事にウィンクをきめてみせた。効果音をつけるなら、“きゅるん☆”とでもいう感じ。
《──ワガママごと可愛がってね! キューティー王子、ライアンだよ!》
「てめえコラあああああ! またそれ観てやがんのかふっざけんな!!」
声変わり前の少年の声と、いかにも男らしい低音の怒鳴り声が重なる。
そしてドアを勢い良くぶち開けて入室してきた、これでもかと険しい表情で立っている、かつてのスター☆プリンスとやらの最年少枠アイドル、キューティー王子、現ヒーローのライアン・ゴールドスミスを、全員が呆然と見遣ったのだった。
★王子様の黒歴史★
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