#076
★バイクと自転車と馬の話★
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「来た来たァ! あとは任せとけ!!」

 待ち構えていたヒーローズのうち、虎徹が胸の前で自分の両拳を突き合わせた。

「まずはアタシね。ファ〜イ、ヤァ──ンッ!」
 ファイヤーエンブレムが進み出て、フロントガラスに向かって大きく包むような炎を噴きかけると、ドライバーが恐怖の叫び声を上げて反射的にハンドルを切る。
《ファイヤーエンブレム、炎を使ってトラックを誘導! 待ち構えていた3人にトラックが突っ込んでいく──ッ!!》
「うっし来い! ぬううううん!!」
「いきますよ、タイガーさん!」
「よっしゃあ、ワイルドに吠えるぜぇ!」
 真ん中にロックバイソン、その両脇に、能力を発動させたT&B。待ち構えた3人が、暴走する巨大トラックを正面から受け止めた。
 3人が数メートル押し下がったところで、トラックが止まる。エアバッグが作動した運転席から、バーナビーが気絶している運転手を引きずり出した。

《T&Bとロックバイソン、見事にトラックを止めました! 運転手を確保、ポイントが入ります! ああっ、しかし荷台から犯人が逃走!》
「逃がすか! どっどぉおおおん!!」
「いくよっ、サァ──ッ!!」
 素早くエンジェルチェイサーから降りたライアンとドラゴンキッドが、トラックの荷台から飛び出した2人をそれぞれ確保した。ポイントが入る。

 そして残りのふたりがバラバラに逃げようとした所、片方には巨大な手裏剣が飛び、もう片方は、突如現れた氷の塊によって下半身を凍らされ、完全に捕らえられた。
「あいや、逃さぬでござるよ!」
「私の氷はちょっぴりコールド。あなたの悪事を完全ホールド!」
 折紙サイクロンとブルーローズ、それぞれに犯人確保ポイントが入る。

《おおっとぉ!? トラックから、今度は黒いバイクが飛び出した!》

 マリオの実況通り、トラックの荷台から飛び出したのは、盗まれたアンジェラのバイク。跨っているのは、銃を乱射したあの男、つまり紫のスポーツカーを運転していた、間抜け面の男だった。

「ひっ、あああああああ! 私のバイク◯◯◯◯◯あああああ!!」
「あっヤベ、おいこら待て!」
 サイドカーをパージし、絶叫とともにチェイサー単独でバイクを追いかけるアンジェラに、ライアンが声を上げる。しかしアンジェラの挙動があまりにも素早かったため、彼の言葉が彼女の耳に届くことはなかった。
「待ちくださいこの、……◯◯◯◯◯◯◯!! もう◯◯◯◯◯◯◯うううう!!」
「あっダメだこれ」
「ライアン! 諦めるのが早い!」
 突っ込みを入れてきたバーナビーに、ライアンは「だってさあ」と乾いた声を上げる。
 ただでさえギリギリの状態の彼女が自分というストッパー無しでどこまで理性を保っていられるのか、ライアンにも全く見当がつかない。興奮しきった犬がリードをぶち切って走り去った後、切れた綱を持って呆然としている飼い主のような気分だった。

「く、くそっ、くそ、あ、あれ? う、うわあああ!!」

 猛スピードで追いかけてくる、今世界で最も速いとすら言われるエンジェルチェイサーに追いかけられた犯人は、青い顔をした。
 盗んだ時は高級パーツの寄せ集め、しかも整備しつくされたスピード重視のスーパーマシンだと喜んでいたそのバイクのブレーキが、全く効かなかったからだ。しかもそれだけでなく、次々にパーツが抜け落ちてすっ飛んでいく。
 あまりに有用なパーツばかりだったため、様々なネジや留め具が全体的に緩められ、あとはひとつずつ外していく、という状態だったバイクが、無理にエンジンを掛けて走らされたことによって、空中分解に近いような状態になろうとしているのだ。
 しかもチューブが外れているのか、漏れたガソリンの跡もある。こんな状態では、少しでも火花が起これば引火し、犯人もろとも爆発炎上してしまうだろう。

「うわああああああ、死ぬ、止まらな、ああああああ!!」
「いやあああああああああああ!! 私のバイク、ああ、あああああ!!」

 犯人とアンジェラ、両方の絶叫が、風に乗って流れていく。

《あああっ、どうやらバイクのブレーキが効かない模様! このままだと海に、──ダイビ〜〜〜〜〜〜ング!!》
「これはいけない、そしていけない! スカァーイ、ハァ──イッ!!」
 海に向かって突っ込み、空中に飛んだ状態のバイクと犯人を、スカイハイが風で巻き上げる。既に恐怖で気絶していた犯人は風によってバイクから離れ、スカイハイに受け止められた。

「ああああああああああああ!!」

 スカイハイにポイントが入ったというマリオの実況をかき消す勢いで、アンジェラの悲鳴が響く。海の上、高い上空に巻き上げられた黒いバイクは空中分解を起こしかけ、いくつかのパーツが吹っ飛んで小さな黒い点にしか見えなくなっていた。
「ああもう、──ええい!」
 悲痛な声を上げるアンジェラを見兼ねたのは、ブルーローズだった。彼女が放ったリキッドガンから巨大な氷柱が伸び、バラバラになりかけていたバイクを氷漬けにする。そしてブルーローズは、素早くそれを港の地面に固定した。

「あ……あ……」
 スローンズモードを解除してチェイサーから降りたアンジェラは、氷の中でぼろぼろになっているバイクを見上げ、ふらふらと歩いた。
 氷で捉えきれなかった何かのパーツや破片が、ぽちゃんぽちゃんと音を立てて海の中に消えていくのが見える。
《なんと、あのバイクがアンジェラのバイクだそうです! ブルーローズ、友人の愛車を見事確保! ──無事、とはいえない様子ではありますが》
「アンジェラ、大丈夫!?」
 マリオの実況が響く中、ブルーローズがアンジェラに駆け寄る。
「あ……ブルーローズ、ああ……」
「ごめん、全部はムリだった!」
「いえ……、いいえ」
 声をかけてきてくれたブルーローズに、アンジェラは力なく首を振った。
「形が残っているだけ、まだ。ありがとうございます……」
 そう言うが、手で顔を覆い、これ以上なく重たいため息をついた彼女の背を、ブルーローズは気の毒そうな顔でポンと叩いた。

「よっ、とっ! ンもう、また角が刺さっちまった!」
「またかよ〜」
 一方その頃、トラックを止めた時に角が刺さり、フロントの大きなパーツが抜けなくなったロックバイソンに、タイガーが呆れた声を上げる。
「悪い、ちょっと手伝ってくれ」
「まあいいけどよ。いくぜー、せー、のっ!! ──あ」
 まだワンミニッツのリミットが残っていたタイガーが、バイソンの角に刺さったパーツを掴んで、思い切り引き抜く。しかし勢い余りすぎたのか、平べったいパーツはタイガーの手をすり抜け、遠くにすっ飛んでいってしまった。

 ──海のほうへ。

「あ」
「あっ……」
「あっ!?」
《あああああああああああ!?》

 ハンドレッドパワーでもってして飛んできたトラックのパーツが、ブルーローズの氷を見事に砕く様。誰もが、その光景に目を丸くし、声を上げる。
 そして氷漬けにされていた黒いバイクは、高い水柱を上げて、どぼんと海に落ちていってしまった。

《こ……これは気の毒! せっかく救出したアンジェラのバイクが、タイガーとバイソンによって海の藻屑と化しました!》
「ギュ、ギュウ……」
「ええええええ俺らのせい!?」
「どう見てもそうでしょう」
 慌てる中年ふたりを、バーナビーが冷たい目で見た。
「し、心中察して余りある……アンジェラ殿、気の毒すぎるでござるぅ……」
「あんなに大事にしてたのに、ひどい……」
 折紙サイクロンが我が事のように悲痛な声を出し、ドラゴンキッドもまた、悲しげに眉尻を下げる。

 そして、がくんとアンジェラが崩れ落ち、地面に膝をついた。
 まさに声もない、といった様子の彼女は口を開けたまま呆然と海を見つめ、──そしてそのまま、地面に横向きに倒れこむ。
「あーあ……」
 ざざーん、と波の音だけが虚しく響く海を見て、ライアンが言った。
 ちらりと目線を港側にやれば、地面にうずくまっている、白い姿がある。その傍らで、ブルーローズがおろおろしている様子も見えた。



「ああ、可哀想に。ひどいわねえ」
「アンジェラ……」
 ライアンが側にやってくると、両手で顔を覆い、胎児のように丸くなって倒れ伏したまま動かないアンジェラの横で、ファイヤーエンブレムが気の毒そうに膝をつき、ブルーローズが困った様子で声をかけ続けていた。

「おう、大丈夫か」
「どう見ても大丈夫じゃないでしょ……全然動かないんだけど」
 蹲っているアンジェラを見下ろすライアンに、困り果てた、そして心配そうな様子のブルーローズが言った。
「みてえだな。おい、しっかりしろ」
 ライアンが声をかけたが、アンジェラは動かない。

「私の……わたしのバイク……ああ……ラグエル……」
「ラグエル? 誰?」
「馬の名前」
「馬?」
「……こいつの友達の名前。あのバイク、その友達の形見みたいなもんなんだよ」
 首を傾げたブルーローズに、ライアンが答えた。
「まあ、そうだったの」
 可哀想に、と、ファイヤーエンブレムがアンジェラの頭を撫でる。メット越しではあるが、聖母のごとくやさしい手付きだった。

「しっかりしろって。……お前はよくやったよ。バイクは残念だったけどさあ」
 彼女の傍らにしゃがみ込んだライアンは、できるかぎり穏やかな声で言った。
「う……」
「犯人を燃やしも爆発させも轢き殺しもしなかっただろ。よく我慢した。えらいぞ」
「うう……」
 アンジェラがあまりにもショックを受けている様子であるからか、ライアンの発言に、もはや誰も突っ込まなかった。

「う……、うああああああああああああああああん」

 アンジェラは、とうとう、声を上げて盛大に泣き出した。
「うえええ、わたしのばいく、あああ、ラグエル、らぐ、うえええええ」
「おい」
 ライアンが再度声をかけたが、アンジェラは泣きながら首を振るだけだ。

「ラグエル、らぐえる、らぐ、あああああ、ああ」

 亡き友である馬の名前を、彼女は愛車に呼びかける。

 本来、彼女がひどく寂しがり屋であることは、もうライアンだけでなく、彼女と仲の良い者たちは大抵理解している。
 一部リーグに上がってすぐの頃まで、過剰に偏った食事のせいで栄養が足りていないというはっきりした理由のため、彼女はいつも無表情気味でぼうっとしており、病的に痩せた姿とそのぼんやり加減から、ろくに友人もいなかった。
 しかし、栄養たっぷりのものを好きなだけ食べ、経済的にも余裕のある生活を送るようになると、いつもにこにことして明るい、人懐っこい犬のような性格がどんどん顕になってきて、友人も増え、今に至る。

 過酷な場所で生まれ、大冒険とも言えるような旅をしてきたというのに、彼女には所謂トラウマであるとか、精神的な傷というものが、医者が驚くほどに見受けられない。
 メンタルはあくまで健全。基本的に人が好きで、食事や飲み会はまず断らないし、親しい人に誘われれば大喜びする。細かいことはいい意味でも悪い意味でも気にしないし、怖いもの知らずで、目新しいものに物怖じせず挑戦していく。

 本来そんな性格の彼女の、かつての孤独な時間を埋めていたのが、バイクなのだ。

 地平線まで人影のないような荒野の旅を彼女が成し遂げられたのは、ラグエルという黒い馬がいたからだ。何千マイルもの旅路を共にした、今は亡き彼女の親友。
 そして本来寂しがりで孤独を嫌う彼女が、右も左も分からないシュテルンビルトで精神的に保っていたのも、ラグエルの面影を宿した存在と信じるバイクがあったからこそなのだ。言うなれば、イマジナリーフレンドにも近い。

 つまり、基本的には強靭でおおらかなメンタルの持ち主なのもあってか、その反面、共に荒野を旅した黒い馬のラグエル、そしてその面影を色濃く反映した存在であるバイクに関して、彼女は非常に繊細なのである。

 彼女のバイクはかつて過酷な旅を共にした親友の化身であり、シュテルンビルトでの孤独を埋めてくれた精神的な支えで、何よりの宝物なのだ。
 そして今、彼女はそれを無残にも失ってしまった。──荒野の旅の途中で、馬のラグエルが死んだ時のように。いつも明るくおおらかな彼女のほとんど唯一の心的外傷が今、目の前で再現されてしまったのだ。

「◯◯◯、いやあ、◯◯◯ない、もうあるけない、らぐえる、らぐえる、ああああ」

 地面に伏せて泣き喚く彼女は、完全に子供返りしていた。
 馬のラグエルが死んだ時も、彼女はこうして泣いたのだろうか。ぼろぼろの服を着た赤毛の子供が、地平線が見える誰もいない荒野の真ん中で、倒れて動かない黒い馬に縋って泣きわめくところを、ライアンはなんとなく想像した。

「……よーしよしよし。頑張ったなー、頑張った。よーしよし」
 ライアンはそう言いながら、わあわあ泣く彼女を、ひょいと抱え上げた。それこそ、歩けない子供を抱き上げるように。
「さー帰るぞー、仕事終わり。もう終わりだからなー」
「ひぐ、うええええええええう、ああああ、ひっ」
「ハイハイ、よいしょー」
 泣きわめく彼女を抱え直したライアンは、その背をポンポンと叩きながら歩き出す。そして追いついてきたアスクレピオスのポーターと、エンジェルチェイサーのカーゴポーターのほうに向かっていった。
 カーゴポーターからぞろぞろと出てきたスローンズたちが、悲痛な顔で、「アンジェラ、なんて気の毒な」ともらい泣きをしていた。






「ほんっと、悪かったっ! このとおりだ! 詫びは何でもする!」
「俺も。あー、ほんとにゴメンなあ……」

 ──翌日。
 片や深々と頭を下げ、片や手を合わせて謝罪する大の大人、というより中年の男ふたり。アントニオと虎徹を、ガブリエラは泣き過ぎで未だ腫れたままの目で見た。

「いえ……、わざとではないのですから、おふたりのせいではありません。その……。運が、悪かった、だけで」
「お、おう……そう言ってもらえるのは有り難いけどよ」
「ゴメン、大丈夫か……って、大丈夫なわけねえよな。何も出来なくてゴメンなあ……」
 眉尻を下げるふたりに、ガブリエラはふるふると首を振った。ぞんざいに流された赤毛が揺れる。おしゃれな服を選ぶ気力もないのか、服もよれたエビのワンポイントTシャツである。
「いいえ……見つけてきてくださって、ありがとうございます。感謝しています。本当に……」
 ガブリエラはそう言って、腕の中のものを抱きしめた。それは犯人が剥いで投げつけてきた割れたものを含めたいくつかのパーツと、黒い馬のペイントがされたガソリンタンクである。前者は道路に転がっていたものを、後者はガソリンが漏れていたがゆえに海面に浮いていたものを、このふたりが見つけて回収してきてくれたのだ。

 割れたパーツは、傷だらけ。ぴかぴかだったはずのガソリンタンクは海水のせいか曇っていたが、確かにそれはあのバイクの一部だった。

 普段脳天気なほどに明るく、いつもにこにこと楽しそうな彼女が悲痛に泣きわめく姿は、中年ふたりの罪悪感をこれでもかと刺激した。特に、娘がいる虎徹は自分も泣きそうな顔をしていたほどである。
 そして心配しているのは、このふたりだけではない。ファイヤーエンブレムはガブリエラを優しく抱きしめて可哀想にと何度も言ったし、カリーナとパオリンも、おおいに同情して、気遣わしげな声をかけてくれた。イワンやキースは「モノだからって、失って悲しいのはなんでも同じですよ」「パートナーを失ったようなものだ、さぞ悲しいことだろう」と、強い共感を示してくれた。
 また虎徹とアントニオに、せめて残ったパーツを探しに行こうと提案してくれたのは、バーナビーである。

「いつまでも気にしていても、仕方ありません。……トレーニングをします」
「あー……。無理すんなよ」
「なんかできることがあったら言えな」
 気遣わしげなふたりにガブリエラは再度礼を言い、なんとか少しだけ笑みを浮かべて、トレーニングメニューをこなすためにマシンがあるところに向かう。
 そしてそのとぼとぼとした後ろ姿に、虎徹は、「車、修理しようかな……」と、長年の相棒とまた付き合っていくことを検討し始めたのだった。



 なんとかトレーニングメニューを終わらせたガブリエラは、ソファに座り込み、膝を抱えて大きなため息をついた。
「……そのエビやめろっつったろ」
 上から声をかけてきたのは、もちろんライアンである。ソファの上で膝を抱えているせいでいつもより遥か上にある彼の顔を、ガブリエラはそっと見上げた。
「ライアン……」
「あーあー、まだ泣いてんのかよ。ひでーぞ顔」
 そう言って、ライアンは冷えたタオルをガブリエラの顔に押し付けた。火照った目に触れるひんやりとした心地良さに、ガブリエラはタオルの下でゆっくりと目を閉じ、その感触を味わう。

 あの事件の後、いつまでも子供のように泣きわめいているガブリエラの面倒を彼はずっと見てくれて、護衛だからといって部屋まで送り、ガブリエラが支離滅裂に話す、馬のラグエルの話をずっと聞いてくれた。
 また、カメラがあるところで例の故郷の言葉で思い切り汚い言葉を絶叫し、危うく大炎上するところだった事を会社から怒られた時も、間に入って取りなしてくれた。何よりあの発言の時、マイクを切るというファインプレーを行ったのは彼である。

 更には、事件の最後にガブリエラが泣き喚いた時、彼がマイクを入れたことで悲痛な鳴き声とともにあのバイクが彼女の親友の形見だったとわかり、視聴者から大いに同情が集まった。そのおかげで、僅かながら電波に乗ってしまったガブリエラの下品極まりない発言は、水に流される結果となったのだった。
 ライアンの機転によって、タイヤは犠牲になったが愛車が手元に戻ってきたシュテルンビルトじゅうのライダーからも、感謝の手紙やメールが届いた。メッセージには彼女の愛車が犠牲になったことに対して親身になったコメントがもれなく添えられていて、ガブリエラはそれで幾分か癒やされた。

 彼がいなければ、何もかもどうなっていたかわからない。もしかしたら、一部リーグを干される結果になっていてもおかしくはなかった。そのことはガブリエラもちゃんと理解して反省もしているし、改めてライアンに多大な感謝を感じている。

「しょーがねえな。ほら来い」
「……どこに」
「気分転換だよ。なんか甘いモン食いたい」
 ライアンはガブリエラの腕を引っ張り、トレーニングウェアのまま上着だけ羽織って、ジャスティスタワーを出た。そしてそのまま外に出るのかと思えば、彼が向かったのは、例の駐車場である。

「おら行くぞ」

 そう言ってライアンが押してきたのは、白い自転車だった。
「……自転車など嫌いです。乗れませんし」
 全く良い印象のない乗り物に、ぷい、とガブリエラは不貞腐れた顔を逸らした。そんな彼女に、ライアンは「バーカ」と軽く言って、両頬が膨らんだ顔を片手で掴んでこちらを向かせる。

「お前じゃなくて俺が乗るの。お前は後ろ」
「うしろ……」
「2人乗り。さっさと乗れ」
 ライアンがサドルに跨ると、白いフレームが、ぎしりと可哀想な音を立てた。ガブリエラはすんと鼻を鳴らし、しかし黙って、言われたとおりに後ろの荷台に跨る。クッションのない荷台が尻に食い込んで、少し痛い。
「ちゃんと掴まってろよ」
 そう言ってライアンはペダルを漕ぎだし、危なげなく進み始めた。
 ガブリエラは彼の胴に腕を回し、言われたとおりにしっかりと掴まる。大柄な身体は腕をいっぱいに回さないとしがみつけず、彼の広い背中に、ガブリエラは必然的に顔を押し付けることになった。

 ライアンの背中に顔を押し付け、彼が漕ぐごとにぎしぎしと鳴るフレームの音を聞きながら、ガブリエラはゆっくり進んでいく自転車に揺られた。
 自転車のスピードはバイクとは比べ物にならないほど遅く、風もほとんど感じられない。しかしライアンがペダルを漕ぐごとに、彼の体の筋肉や骨の動きがよくわかった。
 目を閉じて耳を澄ますと、ライアンの心臓の音も聞こえた。走りながら自分のものでない心臓の音が聞こえること、そしてその暖かさ。馬──初代ラグエルに乗る時にしか感じられなかったそのことに、また涙が出そうになる。

 横断歩道を3つばかり渡って、ライアンは、他のヒーローたちもよく利用するドーナツ屋の前で自転車を止めた。ドーナツ屋なのでドーナツがメインだが、サンドイッチやアイスクリーム、クレープなども売っている。
 ライアンはいつものように「ここからここまで」という注文をし、長い箱をいくつか詰めた巨大な袋をふたつ受け取った。そしてひとつを前かごに乗せ、もうひとつをガブリエラに持たせる。袋を抱えるため、ガブリエラは今度は後ろ向きに荷台に跨がった。

「あぐ」

 その時、おもむろにライアンがドーナツを口に突っ込んできたので、ガブリエラは落とさないように反射的にドーナツにかじりつき、慌てて指先で支えた。
「なんでふか」
「ポイントがたまったから貰った。いっこずつな」
 そう言うライアンも、ドーナツにかじりついている。彼のお気に入りの、ナッツクリームが入っていて、穴の空いていないタイプのドーナツだ。
 この店では、ドーナツを買うごとこ貯まるハンコタイプのポイントを、好きなドーナツと交換してもらえる。ガブリエラの口に突っ込まれたのは、彼女のお気に入りの、白いフォンダンの糖がけがしてあるココア生地のドーナツを横半分に割って、ミルククリームを挟んだドーナツだった。
 ヒーローたちはこの店をよく利用し、誰かが皆の分のおやつも買い出しに行ったりするので、多くの一般家庭のように、合同のポイントカードを作っている。カードはトレーニングルームに置いてあり、自分が買った時にポイントが溜まっていれば、買い出しのご褒美として貰っても良いルールになっていた。
 そして、基本的に“ここからここまで”式の注文をするライアンとガブリエラがドーナツを買うとあっという間にポイントが貯まり、こうして一気に2個ドーナツが貰えたりもする。
 ライアンはハンコがいくつも押された新しいポイントカードをポケットにしまうと、大きな口でさっさとドーナツを食べてしまい、また自転車に跨った。

 しかし、口の小さいガブリエラは、まだドーナツを食べきっていない。袋を抱えるため、ガブリエラは今度は後ろ向きに荷台に跨がり、ドーナツを食べながら、ゆっくり流れていく景色を眺めた。

 ──くっついた背中が、温かい。

「悪くねーだろ、自転車も」
「……そうですね。後ろなら」
 優しい味のミルククリームドーナツをむぐむぐと食べながら、ガブリエラは答えた。
「気に入ったか?」
「少し」
「じゃあまた乗せてやるよ。気が向いたら」
 ぎいぎいと、自転車が音をたてている。

「バイクはまあ残念だったけど──ラグエル何号だっけ」
「3号です」
 元祖、馬のラグエルが1号。シュテルンビルトに来て最初に買った中古車、ガブリエラの部屋でインテリアになっているのが2号。
 そして二部リーグ時代の相棒であり、今回海の藻屑になったバイクが3号。エンジェルチェイサーが4号、今回新調した、白い大型が5号である。
「3号な。しょうがねえだろ、形があるもんはいつかなくなるんだって」
「……わかっています」
 ただとても悲しくて残念なだけです、と、ガブリエラはしんみりした声で言う。
 1号から5号まで皆ラグエルで彼女の友達だが、皆それぞれ違うものなのだ、とガブリエラは空想の友達から卒業できない子供のようなこだわりを語った。
 ライアンはそれを否定せず、ただ「そうか」と言って、自転車をゆっくりと漕ぐ。

「んじゃ、次は6号だな、6号。3号の生まれ変わり。ホラ倍数だし」
「ばいすう」
「3かける2」
「ろく……」
「6だろ」
 ライアンの発した、根拠も何もない適当な理論に、ガブリエラはなぜかこくりと頷き、「なるほど」とすら言った。──本人にも、何がなるほどなのかよくわかってはいないのだが。
「……生まれ変わり……。素敵な考えです。さすがライアンですね」
「だろ。じゃ、今度ボーナス出たら6号だな」
「ああ……そうですね。パンフレットを貰ってこなければ」
「スローンズにも相談しろよ。ノリノリで聞いてくれるだろ」
「そうします」
 ガブリエラはドーナツをかじり、少し笑った。

「少しわくわくしてきました」
「そりゃ良かった。ドーナツ食った?」
「まだです」
 ガブリエラは、ちびちびとドーナツを食べる。
「……ですので、もう1周してください」
「しょーがねえな」
 ライアンはそう言って、ジャスティスタワーの前を通り過ぎた。そして白い公園の周りにある、サイクリングコースに入っていく。

「……ライアン、ありがとうございます」
「べっつにぃ」
「やはりあなたは素敵です。好きです」
 一瞬、自転車がぐらりとよろけた気がした。
「ラグエルより、あなたがいちばん好きです」
「……あっそう」
「あなたは、いなくならないでくださいね」
 すん、と鼻をすすった音を、ライアンは聞かなかったことにした。

「ラグエルは、何号でも、ラグエルです。しかし、ライアンは、ひとりだけです」
「……あったりまえだろ。俺の代わりなんざいるわけねえ」
 俺はナンバーワンでオンリーワンだからな、と、ライアンは不貞腐れたように言った。
「代わりがいても、こんなに悲しいのです。それなのに」
「おいおい、縁起でもねえな。なんだよ、センチメンタルにも程があるっつーの」
「すみません」
「まったくだ」
 白い公園の周りをぐるりと回ったライアンは、また横断歩道を渡った。ガブリエラは最後のドーナツの欠片を口に押し込むと、咀嚼して、ごくりと飲み込む。

「……はい。いいえ、大丈夫。あなたはわたしが守ります。絶対に」

 誰の耳にも入らないような、小さな声。しかし魂に刻みつけるかのように強く鋭い声で、ガブリエラは言った。
「バーカ。護衛は俺だろうが」
 ライアンは相変わらずいちいち重たい彼女の言葉を軽く流し、駐車場に入っていった。ガブリエラは微笑み、彼の広い背中に背中を預ける。

 そしてその温もりに、心地よさそうに目を閉じた。
その頃のシュテルンちゃんねる:#074〜076&その後
★バイクと自転車と馬の話★
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BY 餡子郎
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