今日から使えるビジネス会話講座(深夜特別移動枠)
──チャ〜チャラッチャラッチャ〜ラ〜♪
本来ならば日曜の昼過ぎに流れるオープニングテーマ、ということを知る者もあまり多くはない、教育番組の音楽。朗らかなそのメロディが土曜日の深夜である今、場違いにテレビから流れている。
《職場で上手くやるために! 今日から使える、ビジネス会話講座!》
パッパラ〜、と明るいジングルに飾られたタイトルコールのあと。
ぱっと切り替わった目に優しい薄水色のCG背景に、ふたりの人物が立っていた。ひとりはノーネクタイでスーツを着たステルスソルジャー、もうひとりは薄い色つきレンズの眼鏡をかけた、優しそうな中年女性である。
丸っこいフォントで、それぞれの下に『ステルスソルジャー』『ルース・タムラ(シュテルンビルト大学国際教養学科教授)』と紹介テロップが入った。
「いつもはこんにちはですが、今日はこんばんは。今日は深夜特別移動枠でお送りします。私もとっても楽しみ!」
「5年以上やってて、初めてですなー」
にこにこと言う女性に、ステルスソルジャーもまた楽しげに返す。
「本当に。では、改めて簡単に自己紹介をいたしましょう。私はルース・タムラ。気軽にルーシー先生と呼んでくださいね」
「俺は元ヒーローのステルスソルジャーだ。この番組は、主にビジネスマナーや、仕事をする上での言葉遣いや気の回し方なんかにアドバイスをする番組だ。新しく社会に出る若者、職場でいまいち上手くコミュニケーションが取れてない気がする奴、いるだろ? そんな悩みを解決するのがこの番組」
「ファッションと同じように、ビジネスマナーも時代によって移り変わっていきます。上司と部下、同僚同士の距離感などもそうですね」
「確かに。じゃあ今日のテーマはこれ!」
──『品の良い悪態のつき方』!
「はい、ねえ〜。深夜枠でないと出来ないテーマだねえ〜」
CG処理ででかでかと現れたテーマに、ステルスソルジャーがにやにやと言う。
「でもこれ、現実的なテーマだと思うのですよ。どんなに上手くやっていても、仕事にはどうしてもストレスがつきまといます。でも誰かが聞いているかもしれない所で口汚く悪態をついていたら、その場のストレスは軽減されても、回り回って後々自分の評判が悪くなってしまいます。そして、それが更なるストレスになることも……」
「それは確かにある」
うんうん、とステルスソルジャーが頷く。
「女子会ランチで悪口大会をして発散するのも定番ですが、その中のひとりがさも偶然聞きつけたような顔をして、“あの人があんなこと言ってたわよ〜”なんて言いふらすこともありますよね。オフィスに戻ったら、評判が下がっていたのはムカつく上司じゃなくて私の方! なんてこともあるあるですね!」
「ルーシー先生もいきなり深夜っぽく攻めてきたね!」
にこやかにブラックなことを言う『ルーシー先生』に、ステルスソルジャーが手を叩いて笑う。
「でも、一切悪態をつかずにいるというのもね。自分もストレスがたまりますし、いっさい愚痴を言わない人というのも、周りの共感を得にくいものです。ひねくれた人から“いい子ちゃん”だなんて皮肉を言われてしまったりしたら、ガマン損ですもの」
「ああ〜」
あるある、とステルスソルジャーが苦い顔で頷く。
「そこで、周りに“わかるぅ〜”、“かわいそう〜”という同情と共感を得つつ、それでいて悪口っぽくない悪態をつけば、逆に“あの人、こんな目にあったのにとっても上品な言い方をするのね”なんて思ってもらえることうけあい。品のいい悪態がとっさにつけるかどうかで、周りからの評価はグンと違ってくる」
「リアルな話だなー……」
「私も楽しくなってきました。ビールを飲みながら話せればもっといいのですが」
「いいねえ! ディレクターに掛け合っとけばよかった!」
わっはっは、と大きく笑うステルスソルジャー。
「はい、では実際に例を挙げてみましょう。スタート!」
画面が切り替わる。
いかにもセットとわかる、チープなオフィス。そこにやってきたのは、かなり細身の女性。服装は、白いブラウスに上下紺色のベストと野暮ったいタイトスカート、踵の低いパンプスという、いかにも地味なOLという装い。そして頭には、三角の犬耳がついた白いデザインメットをかぶっていた。
つまり、首から下は地味OLスタイルのホワイトアンジェラである。
重そうな書類入れを抱え、よたよたとオフィスに入ってくるアンジェラ。電話の音がそこかしこから鳴り響く忙しそうなオフィスの奥には、いかにも上席という感じのデスクがある。そこに座っているのは、せわしなく書類を散らかす、やたら口の大きい、毛むくじゃらのモンスターのパペット人形だった。
人間が演じると視聴者の腹立たしさが生々しくなりすぎるというこれもまた生々しい理由で、出演するキャラクターは人力で動かすパペット人形になっているのが、この番組の特徴だった。このモンスターは、いつも嫌な上司役を演じている。
「部長、言われたとおり書類を持ってきました」
アンジェラが硬い声で言うと、毛むくじゃらのモンスターが勢い良く振り向いた。
「遅いぞ、アンジェラ君! 何をやっているんだ!」
下から棒で動かされているパペット人形は、大きな口をぱくぱくさせて言った。書類がばさばさと散らばる。大げさな身振りをするモンスターの透明プラスチック球の目玉の中で、黒目がせわしなくちゃりちゃり動いていた。
「すみません」
「そのくらいさっさと運びたまえ! 5分以内に書類を持ってくるなんて誰でもできる仕事なのに、それさえできないのかね!」
「思ったより重くてですね」
「言い訳をするな! もういい! あっちへ行け!」
「はい」
アンジェラは頷き、オフィスを出ていった。
また画面が変わり、今度はカフェと思しきセット。
小さいテーブルにはアンジェラと、アンジェラと同じOLスタイルでリボンをつけたピンクのモンスターのパペット人形と、同じくOLスタイルで、紫色の毛でまつげが長く、口紅をつけたモンスターのパペット人形が座っている。
「また部長に怒鳴られたの、アンジェラ」
「あんなに重たい書類だなんて。5分以内に持ってくるなんて無理よぉ」
「あの部長って、いつもああよね〜。気にしないで〜。愚痴だったら聞くから〜」
ピンクと紫のモンスターが、何やら無理のある女性の声で喋る。アンジェラは頷いた。
「はい……それでは……」
「うんうん、言っちゃえ言っちゃえ」
リボンつきのピンクのモンスターが囃し立てる。カップを持っていたアンジェラは、ふと顔を上げて口を開いた。
「あの◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯、◯◯◯。◯◯◯◯◯て、◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯」
《あの陰部の老廃物にも劣る男性の頭には、脳の代わりに大便が詰まっているに違いない。その証拠に、彼が口を開く度にとても臭い。今すぐ銃を持ってきて、彼の頭に新しく肛門を増やし、頭に詰まりすぎた大便を早急に排出させるべきです》
ほぼ全てがBLEEP音で伏せられたアンジェラの発言、その下に、彼女の発言をやけに丁寧に直訳したテロップが表示された。ピンクと紫のモンスターは、大きく口を開けて叫んだようなポーズで椅子から転げ落ち、ばたばたと体を動かして驚いたことを表現している。
「はいストップ! 予想以上すぎて先生驚きました!!」
画面が切り替わり、最初の薄水色のCG背景になる。ルーシー講師は驚き半分の笑顔で指示棒を持ち、ステルスソルジャーは完全に笑いながら「すげえな!」と手を叩いていた。
そこに、先程のOLスタイルのアンジェラがとことこ歩いてくる。
「はい、では改めて紹介します。今回の特別ゲスト! ホワイトアンジェラ!」
「こんばんは、ホワイトアンジェラです。よろしくお願いします」
ルーシー講師に紹介され、アンジェラは深々と頭を下げて挨拶した。「挨拶は完璧ですね」とルーシー講師がにこやかに褒める。
「じゃあ、さっそくだけどアンジェラ。さっきのはあなたの故郷の言葉?」
「はい」
こくり、とアンジェラが頷く。
「腹立たしいことがあると、いつもああいう言葉を?」
「いいえ、言いません。汚い言葉だということはわかっています」
「それを聞いて少し安心しました」
「アンジェラの故郷には、もっとマイルドな表現の悪口はないのか?」
ステルスソルジャーが質問する。
「マイルドな表現……思いつきません。もっと短い言葉ならあります」
「例えば?」
「たとえば、……◯◯◯、◯◯◯◯、◯◯、◯◯、◯◯◯……」
《売春婦の息子、肛門から生まれた人、病気持ちの性器、豚の尻、ロバ人間》
「オーケーわかった、もういい」
BLEEP音が鳴るごとに出てきた直訳テロップを見て、ステルスソルジャーが苦笑とともに制止を入れた。
「どぎつい表現しかない言語とか方言はありますね。では、アンジェラは悪態をつきたい気持ちになったときはどうしているのですか?」
「黙っているか、どうしても我慢できない時は、聖書の言葉を唱えたり……、後で、バイクに乗ってツーリングをしたり……」
暗い声で、アンジェラはぼそぼそと言った。
「なるほど、ちゃんと違う手段で発散しているのですね。立派です。……でも、あまりにも感情が昂ぶってしまうと、ついさっきのような言葉が出てしまうときもあるでしょう」
「うっ」
アンジェラが、ぎくりとする。
「安心して! これからは、人前で口にしても問題のない、上品な悪態のつき方をすればいいのですよ! そうすれば、周りの人も驚きません!」
「す、すばらしいです。本当にそんなことが。ルーシー先生、お願いします」
台本があるとは思えない様子でアンジェラが言うと、ルーシー講師も大きく頷いた。
「もちろんです。では私がおすすめする悪態のつき方、VTRスタート!」
画面が切り替わる。
また先程のカフェのセットだ。おもちゃのランチセットを頬張るピンクと紫のモンスターとアンジェラが、同じように座っている。
「あんなに重たい書類だなんて。5分以内に持ってくるなんて無理よぉ」
「あの部長って、いつもああよね〜。気にしないで〜。愚痴だったら聞くから〜」
「はい……その……」
先程はここでBLEEP音で伏せられた悪態が飛び出したが、今度のアンジェラは、ふと顔を上げた。
「こんな目にあっているのは、私だけなのでしょうか」
アンジェラがそう発言した途端、モンスターたちの動きがピタリと止まった。
「そんなことないわよー!!」
「そうよそうよー! 私だってひどいことを言われたわー!」
「私だって! ちょっと聞いてよ!」
「違う課の女の子もムカつくこと言われたって!」
「あっちもー!」
「こっちもー!」
「あなたもー!」
「わたしもー!」
堰を切ったように、モンスターたちがぺちゃくちゃと話し始める。
「そうなのですか」
「そうなのよ! 皆イヤだなって思ってるのよ! アンジェラだけじゃないわ!」
「元気出してね!」
「はい」
ばんばんとテーブルを叩くモンスターふたりに、アンジェラは少し微笑んだ。
「聞いてくださって、ありがとうございます」
「いいのよー! またこうやってランチしましょうねー!」
「私たちの話もまた聞いてねー!」
──チャララン♪
短い音楽とともに、画面が薄水色のCG背景に切り替わる。
「はい、これが特に女子会向けの悪態モデルです。解説するとこう!」
ルーシー講師が空中に指示棒を向けると、ホワイトボードのような半透明の板に、箇条書きで文字が書いてあるものが出てきた。
(1)率先して悪口を言わない
(2)愚痴や悪態をつきあう場こそ情報集めのチャンス
(3)最後に「聞いてくれてありがとう」と言う事を忘れない
「まず言い出しっぺというものは、すべての責任を負わされがちです。特に上司に対して悪態をつく場合、自分の感情を吐き出すよりも、“同じ気持ちの仲間を見つける”ことを目指しましょう」
「その心は?」
ステルスソルジャーが尋ねる。アンジェラも、真剣に聞き入っていた。
「個人差はありますが、女性の多くは“共感する”、つまり感情を理解してもらうことがストレス発散になります。ただ悪口を喚くより、一緒にいる人に“わかる〜”と言ってもらったほうがスッキリする、ということですね」
「なるほど……」
「そして、“わかる〜”と思わせたらこちらのもの。共感力が高い、つまり相手の問題を自分のことのように感じる能力の高い女性の多くは、“わかる〜”と思った事柄については敵に回りにくい。つまり、先程のように“あの人ったら、こんなにキツイ事言って怒ってたわ”と言って回られてしまう確率がグンと減ります」
「な、なるほど」
生々しい解説をするルーシー講師に、ステルスソルジャーが冷や汗を流す。
「そして特におしゃべりな女性は、“わかる〜”と少しでも思ったら、自分の持っている情報をたくさん話してくれることが多い! なぜなら彼女たちもまた愚痴を言いたい、悪態をつきたいからです!」
ふんふん、とアンジェラは大きく頷き、真剣に話を聞いている。
「つまり! 自分の口を汚して悪態をつくより、「あなたたちはどうだった?」と聞き、同じ気持ちや経験を共有することでお互いにストレスが和らぎ、裏切らない仲間ができ、さらに職場での空気に溶け込み有用な情報を得ることもできる、というわけです。一石三鳥! 最後に(3)、聞いてくれてありがとうとお礼を付け加えれば、相手は「いいことをした」と思って気分が良くなり、あなたの印象もアップ!」
「す、すばらしい。すばらしいですルーシー先生! 感動しました!」
両手の指を組んだアンジェラが、ルーシー講師を拝むような勢いで言う。
「それぞれの雰囲気や個人差もありますから、絶対ではありません。共感を得るより、ひとりで悪態をつくほうがストレスが紛れるという方もいるでしょう。その場合は遠慮はいりません! 場所を選びさえすれば、◯◯◯でも◯◯でも◯◯◯◯でも、存分に仰ってください」
「ルーシー先生! さすがにまずくねえか!?」
「深夜ですから問題ありません! イェイ! ◯◯◯!」
輝くような笑みでBLEEP音だらけの発言をしたシュテルンビルト大学国際教養学科教授に、ステルスソルジャーが手を叩いて爆笑する。
「これを参考にして、職場でのストレスの荒波を乗り切りましょう!」
中年の女性講師は、朗らかな、しかし貫禄のある職業的な笑みを浮かべて言った。
「女のヒトってのも大変だねえ〜」
「女性特有の空気というものは確かにありますが、そんなに特殊なものではないですよ。男性でもあるでしょう、喫煙室や飲み会で、同僚のアイツがどうこう、あの部下は使えない、あの上司があの女性社員にセクハラしてたとか」
「ルーシー先生、ビール飲んだ?」
「いつも飲んでいる時間ではありますわね!」
ホホホ、とルーシー講師は満面の笑顔を浮かべた。
「男性の視聴者も多いと思いますので、男性特有のコミュニティにおける悪態のつき方についてもお話したいところです。しかし私はどうしても女性ですので、説得力のあるアドバイスは自信がありません」
「女性用のはものすごい説得力だったけどな」
「何よりです。ではここでもうひとりのゲスト、といいますか、特別講師! ゴールデンライア〜ン!」
ルーシー講師が紹介すると、画面の端から、ライアンが悠々と歩いてきた。ピシッとのりのきいたシャツにネクタイを締めて、お固い印象のスーツを纏い、黒縁の伊達眼鏡をかけている。
アンジェラはいかにもOLの格好をしているが、こちらはいかにもビジネスマンといった装いである。
「どうも、こんばんは。ゴールデンライアンだ」
野暮ったい黒縁眼鏡も、彫りの深い端正な顔に乗せると一気に印象が違って見える。いつもと違う雰囲気の装いのイケメンヒーローに、いつもお固い教育番組を撮っているスタッフたちから「フゥ〜」と囃し立てる声が上がった。彼らも、常にない企画ににわかに興奮しているらしい。
「ヒーローであると同時に、新進気鋭のやり手青年実業家としても話題の方ですからね。きっと身になるお話が聞けるのではないでしょうか」
「ライアンは、会社でとてもうまくやっておられます!」
「ああ〜、それっぽい」
アンジェラが溌剌と持ち上げ、ステルスソルジャーが半笑いで頷く。「それっぽいってどういう意味?」と、ライアンがじっとりした半目の笑みを返した。
「ではお話を伺っていきましょう。まずはこのテーマから──」
こうしてまた先程のセットやパペット人形の小芝居も交え、ライアンによる、職場での振る舞い方についての解説がなされた。
・
・
・
「なるほど〜。とっても参考に……、なりましたか?」
振り向いたルーシー講師に、ステルスソルジャーが苦笑いをした。
「いやあ……?」
「いやあって何だよ」
曖昧なリアクションを取るステルスソルジャーに、ライアンが口を尖らせる。
「だってお前のってなんかほら、いわゆる……、イケメンしか無理っていうか」
「しょうがねえだろ、イケメンなんだから」
「自分で言う!」
ゲラゲラ笑いながら、ステルスソルジャーがライアンの腕を叩いた。
「まあ、上手いことやってるな〜とは思うね。やり手っていうのもわかる」
そのコメントに、確かに、とルーシー講師も頷く。
「定石にとらわれず、自分という人間を客観的に理解し、職場全体を俯瞰で把握した上で、非常に計画的なコミュニケーションを取っておられますね。ゴールデンライアンならではのやり方だといえるでしょう」
「だってさ。真似できるやつだけ真似してくれ」
ライアンが、片眉を上げて言う。
「ですが、とても参考になるところがありましたので、取り上げておきましょう。──ゴールデンライアンは自分でもほとんど悪口を言わない上に、相手を極力褒める方向に持っていくところがありますね。しかも、悪態をついた人をまず褒めていい気分にさせて、その上で悪態をつかれた対象の同僚をほんの少しだけフォローする」
「ああ、それは俺も思った。これ、順番も大事だよな。悪態つかれた方を先に褒めちまうと、相手の気分をより悪くする」
ステルスソルジャーが頷いた。
「おっしゃるとおりです。お前はあいつの味方をするのか、俺の敵なのか、となってしまいますから。そこをちゃんと理解して、正しい順番で褒めることで、「あんまり悪く言っちゃいけないかも」と相手に思わせることに成功しているのは、とても素晴らしいですね」
ただ、職場全体と個人ひとりひとりを両方把握し理解していないと出来ない対応ですが、とルーシー講師は専門家らしいコメントをした。
「ゴールデンライアンのような人がいれば、ギスギスした空気は非常にできにくくなるでしょう。特にこういう方が上司だと、とってもいい職場になるはず」
ルーシー講師は、にこにこしている。
「お褒めに預かり光栄だ。……ま、単純に悪口ばっかり言ったり聞いたりしてると気分が荒んでくるし、同じように、褒められて気分が悪くなる奴はいねえってこと。特に男は、自分の手柄を認められると得意になることが多いからな。調子に乗るとも言うけど」
ライアンは、両手を広げて肩をすくめた。
「何もかも笑って流せとは言わねえし、聞き役になれないほどつらい時は、逃げるのも大事だ。無理はするなよ。結局のところ、給料分だけ仕事できてりゃいいんだ」
「ゴールデンライアンを見習えば、だんだん気持ちが広くなってきて、おおらかに他人や状況を受け止められるようになるかもしれませんね」
「視野が狭くなると怒りっぽくなる、っていうのもあるしな。ゴールデンライアンのやり方は、いい悪態のつき方というより、そもそも悪態をつかないようにする精神状態を育てる心構えって感じだな」
ステルスソルジャーがまとめると、ルーシー講師が「そのとおりですね。理想的です」と笑顔で頷いた。アンジェラは、ライアンが褒められたのでにこにこしている。
「では最後に、男女関係なく使えるテクニック。クレーマー対応なんかにも非常に使えますので、是非参考にしてください。ではこちら!」
──『言い換え言葉』のテクニック
ルーシー講師が指示棒を向けると、薄水色のCG背景に、大きなフォントが出現する。
「言い換え言葉?」
こてん、とアンジェラが首を傾げる。
「はい。本当でしたら“◯◯◯!”と悪態をつきたいところを、マイルドな言葉に言い換えるということですね」
「具体的には?」
ステルスソルジャーが尋ねる。
「そうですね。例えば、レストランに来て、理不尽なことで怒鳴るクレーマーがいたとします。店員のあなたに向かって、“もうこんな店来てやらないぞ!”と言ってきた時、どんな気分になりますか?」
「そうだな。できる限り上品に言って、“上等だ、おととい来やがれ”って感じだ」
ステルスソルジャーの返答に、ライアンは腕を組んでにやり笑いをし、アンジェラはうんうんと数度頷いた。
「そうでしょう。店としても、そんな困ったクレーマーにはもう客として来て欲しくはないですからね。でもここで乱暴な言葉を使ったら、他のお客さんの気分を悪くさせてしまい、いいお客さんの足も遠のいてしまうかもしれません」
「確かに。じゃあこういう時は、先生ならどう言うんだ?」
「私も気持ちは同じです。控えめに言って、“上等だ、おととい来やがれ”という気持ちをふんだんに込めた上で──、“お客様のお気持ちに沿うことしか出来ないことでございます”」
「お見事!」
完璧な発音で、完璧なお辞儀を添えて言ってのけたルーシー講師に、ステルスソルジャーが手を叩いて笑う。おー、と声を上げてライアンも手を叩き、アンジェラも「すごい!」と感心して拍手をしていた。
「このような具合ですね。先程アンジェラが言った悪態を言い換えてみましょう」
ルーシー講師が、魔法の杖のように指示棒を振る。CG背景に文字が現れた。
《あの陰部の老廃物のような男性の頭には、脳の代わりに大便が詰まっているに違いない。その証拠に、彼が口を開く度にとても臭い。今すぐ銃を持ってきて、彼の肛門をふたつみっつ増やし、頭に詰まりすぎた大便を早急に排出させるべきです》
「改めて見てもすげえな」
ライアンが、笑いを滲ませながら言う。
「これを、どのように言い換えるのですか?」
アンジェラが、期待いっぱいの様子で身を乗り出してくる。ルーシー講師は頷いた。
「こういう時は、“変わった人ですよね”などが適切です」
「かわったひと」
非常に端的、かつ比べ物にならないほどマイルドになった表現に、アンジェラはあっけにとられている。
「そう。陰部の老廃物にも劣る人間性であり、脳の代わりに大便が詰まっているに違いなく、その証拠に口を開く度にとても臭いため、銃で撃ってふたつみっつ肛門を増やすべき人、という気持ちをふんだんに込めて──」
「“かわったひとですよね”!」
「パーフェクトですアンジェラ!」
挙手して元気に言ったアンジェラに、満面の笑みを浮かべたルーシー講師が上品に拍手する。ステルスソルジャーは笑いをこらえながらゆっくり首を振り、ライアンは腹を抱えて笑っていた。
「横暴だったり、自分勝手なタイプには、概ねこの表現をしてよろしいでしょう」
「で、では、大事なバイクを盗むような人間には」
おそるおそる、アンジェラが訪ねた。
「それは普通に、“犯罪者”でよろしいのではないかと。“この犯罪者め!”と犯人を追いかけるヒーロー。何らおかしいところはありません」
「ほ、本当です! そのとおりです!」
アンジェラは何度も頷いている。
「言葉は的確に事実を表すよう、シンプルに使うのがコツです」
「ルーシー先生のおっしゃるとおりだと思います。……しかし、私は頭が悪いので、その時になって、的確な言葉がすぐに思い浮かぶ自信がありません……」
「なるほど。それなら、言葉を統一してしまうのもひとつの手段ですね」
「とういつ?」
首を傾げるアンジェラに、ルーシー講師は頷いた。
「言いやすくて、響き自体はあまり過激ではなく、しかしこちらが怒っているのだということを伝えるシンプルな単語を用意します。どんな場面でも使えるような」
「た、例えば?」
「“まことに遺憾です”など常套句ですね。不満がある時、怒っている事を伝えたい時。また残念に思っている時など、どんな場合でも使えます」
「アー! アー、なるほど! なるほどー!」
ルーシー講師の打てば響くような回答がいちいち腑に落ちるらしく、アンジェラは大きな声を上げた。
「ビジネスの場でなければ、単に“それはあまり好きなやり方ではありません”とか、子供などが相手なら、“私は怒っています”などでも伝わりやすいかもしれません」
「それなら私も言うことが出来ます! これからはそうします!」
アンジェラは興奮気味に頷き、きりっとした声で言った。
「ルーシー先生のおかげで、これからは汚い悪態をついたり、聖書の文句を言ったりしなくてもすみそうです」
「そりゃ良かった」
本気で胸を撫で下ろしているアンジェラに、ライアンが言う。
「はい。私のように頭の悪い者でも、うまくやれるやり方があって良かったです」
「ああ、それもあまり良くないですね。“頭が悪い”という言い方」
ルーシー講師が指摘した。
「シンプルで直接的な言葉は、逆にショッキングに感じることもあります。今の言い方がまさにそれですね。アンジェラは軽く使っている様子ですが、人によってはぎょっとしてしまうかも。特に自虐で口にされると、言われた方はどう反応していいかわからなくなってしまいます」
「そ、そうですか?」
思ってもみない指摘だったのか、アンジェラが動揺する。彼女が振り向くと、ライアンとステルスソルジャーが「確かに」「あるかもな」と頷いているので、アンジェラは慌ててルーシー講師に向き直った。
メットで顔が見えないにもかかわらず、彼女がすがるような顔をしているであろうことがよく分かる様子である。
「ルーシー先生! どうしたら良いでしょうか!」
「では皆さんで考えてみましょう。ステルスソルジャーは?」
「えっ、俺!?」
「あなたあまり喋ってないでしょう。まことに遺憾です」
仕事をしてください、とさっそくマイルドな言い回しで責められたステルスソルジャーは、ううん、と顎に手を当てて首をひねった。
「頭が悪い、……うーん、そうだな。バカとか?」
「余計ひどくなってねえか?」
ライアンが突っ込みを入れる。間違ってねえけど、というコメントとともに。
「いや、悪気はねえんだよ。でも天然っていうのとはまた違いそうだし」
「天然ではねえかな。どっちかっていうと野生だ、こいつは」
「的確!」
ぶはっ、とステルスソルジャーが噴き出した。
「うーん、バカ、ねえ。言い方次第ではあると思うけどな」
「ゴールデンライアン、良いことをおっしゃいましたね。言い方は大事です」
ルーシー講師が、にこにこして言う。
「ではゴールデンライアン、優しい言い方で“バカ”とおっしゃってみてください」
「えっ」
「はい、カメラに向かってー」
ルーシー講師の指示の通り、カメラがライアンに寄る。
黒縁眼鏡をかけた端正な顔がアップになると、ライアンはふっと短く息をついて表情を切り替える。そして画面に向かって、言った。
「……ばーか」
顔にはやや角度をつけて、目線は流してカメラ目線。少しはにかんだような表情、目を細めて発された低く滑らかな声。スタジオじゅうから、「ほぉう……」という感じの、溜息にも似た声が一斉に漏れた。アンジェラは両手で顔を覆い、「はうう!」と声を上げて悶えている。
「いや、いやいやいや。またこれあれだ、イケメンしかダメなやつじゃねえか」
ステルスソルジャーが半目半笑いで、首を振りながら言う。
「ごめーん、俺様イケメンだからイケメン対応しかできなーい」
「なんだこいつ!」
妙にぶりっ子っぽい仕草で混ぜっ返したライアンの肩を、ステルスソルジャーが軽く叩いた。スタジオから、朗らかな笑いが漏れる。
「んー、まあ、視聴者サービスは置いといてだな。頭が悪い、の他の言い方ねえ」
中空を見上げたライアンは片方の足に体重を乗せて立ち、思案の表情を浮かべる。
「悪い、って言葉が良くねえのかな。頭が弱いとか」
「それでいくと、頭っていうのも直接的か? おつむって言い方は?」
ステルスソルジャーが意見した。
「なるほど? おつむが弱い。うーん、弱いってのもマイナス感あるかな〜」
「じゃあ足りてないとかどうだ。おつむが足りてない」
「いい感じじゃない?」
「いい感じなのですか!?」
アンジェラが、困惑と悲痛さの混じった声で言った。
「私のために考えてくださっているのは、わかります! 頭が悪いのも、事実です! しかし、しかし!」
「まあ、あらゆる言い方で頭が悪いと罵られていますからね、今。事実は時に人を傷つけますね」
「そのとおりですルーシー先生! ……あれ!?」
今また罵られたのでは!? とアンジェラが混乱する。ルーシー講師はにこにこと笑顔のままだった。
「何を今更。お前、怒られてもいつもニコニコしてんじゃねーか」
ライアンが、目元を眇めて言う。
「怒られる事自体が好きなわけではありません! 私のことを思って言ってくださっている、というのがうれしいのです! ただの悪口は、その、まことに遺憾です!」
「早速使いこなしていますねアンジェラ! すばらしいですよ」
「え、えへへ」
ルーシー講師に褒められ、アンジェラが照れた。
「つったってなあ。どんな言い方したってバカはバカだし」
「また! ひどい! ひどいですライアン!」
「……ばーか」
「はうう! 素敵!」
ちょんと頭を突かれて言われた途端、ころりと反応を変えたアンジェラに、ステルスソルジャーが「ちょろすぎるだろ」と、完全におつむの足りていない犬を見る目をした。
「しかし、なかなかいい線をいっていますね」
「いい線をいっているのですか!?」
ショックを受けた様子のアンジェラがおろおろするが、そう言ったルーシー講師は相変わらずにこやかである。
「特に、バカ、というのはいいですね」
「本当に!? バカですよ!? 私はバカでいいのですか!?」
「実際、ゴールデンライアンがおっしゃった言い方であれば、傷つくどころかときめいたでしょう」
「た、確かに」
すぐ納得するアンジェラに、またステルスソルジャーが「ちょろい」と呟く。口元を押さえているが、笑っているのはひと目でわかった。
「もちろん、ただバカと言うのは良くありません。言い方は重要です。そう、例えば……」
「たとえば」
「おばかさん、とか」
「おばかさん! なるほど、バカよりマイルドです!」
素直に復唱したばかりか感心しているアンジェラに、もはやステルスソルジャーだけでなく、スタジオのスタッフはほぼ全員笑いを堪えていた。
「おばかさん? まあ、確かにマイルドだけど。自分で自分をおばかさんって、ちょっとこう、ぶりっ子すぎてもう電波っぽくない?」
ライアンが、怪訝な様子で言う。彼の言うことももっともだと思ったのか、スタッフの何人かがまだ笑いながらもそれぞれ頷いた。
「それこそ言い方の問題ではありませんか? アンジェラはとてもワイルドで自由なところが人気のヒーローでしょう。ちょっとぶりっ子なワンフレーズぐらいでしたら、逆にエッセンスになるのでは?」
「うーん、どーかなー」
「では実際にやってみましょう。アンジェラ、なるべく可愛く“おばかさん”とおっしゃってみてください」
「かわいく……? わ、わかりました! かわいく、……かわいくですね!」
真剣に頷いたアンジェラに、ライアンの時のようにカメラが寄っていく。顔をアップで映した状態でカメラ目線になったアンジェラは、まっすぐ証明写真のようなアングルで真正面からカメラを見て、すっと息を吸い込む。
「おバカちゃん!!」
「そっち!?」
非常にはきはきと言い切ったアンジェラに、ライアンがキレのいい突っ込みを入れた。
同時にステルスソルジャーはひっくり返る勢いで笑い出し、自分の太ももをばしばし叩いているし、ずっとにこにこしていたルーシー講師も、とうとう口を押さえて笑いだした。スタジオのスタッフも、もう全員が大笑いしている。
「そう、……そう来るとは思いませんでした。おバカちゃん、……ぶふっ、おバカちゃんですか、ウフッ、なるほど、おばかちゃ、ウッフッ」
「おい、ルーシー先生笑いすぎて泣いてんだけど」
「そりゃ笑うだろ、おバカちゃん……おバカちゃんって、ひー!」
ライアンが指摘するが、もはや立てなくなっているステルスソルジャーはその場にしゃがみ込み、自分の膝を叩いて笑っている。アンジェラはきょとんとしていたが、皆が笑っている状況は悪いものではないと感じたのか、自分も笑顔を浮かべた。
「いかがでしょうか! おバカちゃん!」
「ウォッフッ」
元気いっぱいに言ったアンジェラに、ルーシー講師が太い咳払いをした。「オッサンみたいな声出たぞルーシー先生」といらないことを言ったステルスソルジャーの肩を、ルーシー講師がバシンと叩く。
「……私はいいと思いますよ。ウッフ」
「本当ですか!」
「可愛らしいと思います。しばらく思い出すだけで笑顔になれそうフックッ」
ルーシー講師は、笑いをこらえながら言った。アンジェラは輝くような笑顔を浮かべ、今度はライアンに向き直る。
「ライアン! いかがでしょうか! かわいいでしょうか、おバカちゃん!」
「ああ、まあ……」
「本当ですか?」
「おう。つーか、これはなんかもう……ぶりっ子とか電波とか以前に……マジでおバカちゃんていうか……、おバカちゃん以外の何者でもねえっていうか」
「なんでお前は真顔でいられるんだよ!」
フラットなトーンで受け答えするライアンに、笑いすぎて立てないステルスソルジャーが怒鳴るようにして言った。
「ライアンから何度も言われると、またかわいい言い方に感じますね!」
「ゲシュタルト崩壊起こしてるだけじゃねえの?」
ライアンはまた静かに突っ込んだが、“おバカちゃん”というフレーズを思いの外気に入ったらしいアンジェラは、にこにこしているだけであまり聞いていない。
「とてもマイルドでかわいい、良い言い方だと思います。この言い方だと、言われたほうもあまり嫌な気分にならないかもしれません」
「確かに、おバカちゃんにおバカちゃんて言われても、お前がなとしか思わねえな」
ライアンの冷静なコメントに、ぶふー、とステルスソルジャーがまた噴き出した。
「あっ、時間ですか? もう?」
もはやゲストのふたり以外の全員が笑っている中、外部からスタッフが知らせに来た。固い教育番組の撮影のはずが全員がコント撮影のように笑っているという状態に首を傾げていた彼だが、そろそろ他の番組撮影の予約時間なので切り上げてくれ、と説明してくる。
「わかりました。お疲れ様です」
「おつかれー。はいはい、じゃあラスト撮るぞー。ほらみんな、仕事しろよ!」
「仕事をしないのはおバカちゃんですよ! まことに遺憾ですよ!」
「お前言いたいだけだろ。ていうかもう黙っとけ、収集がつかなくなってきた」
もはや完全にツボに入ってしまったのか、アンジェラが何を言ってもおかしいような状態になったスタジオを、ライアンはパンパンと手を叩いて仕切った。
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「はい、それでは、深夜特別移動枠『今日から使えるビジネス会話講座』。いかがでしたでしょうか、ステルスソルジャー」
「勉強になった。あと、5年以上やってて、この番組でここまで笑ったのは初めてだな」
「私もです。いい経験になりました」
なんとか笑いをおさめたルーシー講師とステルスソルジャーは、笑いすぎて疲れが滲んでいるものの、お互いに笑みを浮かべて言った。
「ゲストのおふたりは、いかがでしたか?」
「今日はとても、とても勉強になりました! 悩みが解決して、本当にうれしいです」
始まった頃のしょんぼりした様子とは打ってかわって、晴れやかな様子で言うアンジェラ。「良かったですねえ」「何よりだな」とルーシー講師とステルスソルジャーが頷く。
「実は、昔こちらの言葉を覚えた時も、この番組にとてもお世話になりました」
「最初はビジネスだけではなくて、きれいな言葉づかいのマナー講座でしたからね。懐かしいわ」
「この番組は、私の言葉づかいの悩みをいつも解決してくださいます。本当にありがとうございます。本当に」
「まあまあ、そう言ってもらえて、私達も続けてきたかいがありますねえ」
ルーシー講師は、今度はにっこりと温かい笑みを浮かべた。
「俺も、この番組に出てよかったと思うぜ。テレビの前の皆も、品のいい言葉づかいで過ごそうな」
黒縁眼鏡を外しながらウィンクをきめ、ライアンが言う。イケメンをフル活用して画面を作る若手ヒーローに、ステルスソルジャーが半目になった。
「お前、俺のブーツにキスをしろとか言ってる口で何言ってんだ」
「ステルスソルジャー! それはライアン語で、脱いだブーツはきれいにそろえましょうという意味なのです! 良い子のための言語なのです!」
アンジェラが、すかさず口を出した。
「何だそりゃ。そんな設定なのか?」
「では、お時間です。深夜にお付き合い頂いて、ありがとうございました」
訝しげなステルスソルジャーのコメントを遮って、ルーシー講師が言う。
「私はおバカちゃんですが、きれいな言葉づかいをこれからもがんばっていきます! 今日はありがとうございました。これからも、よろしくお願いいたします!」
「じゃあなー」
「いつもの放送は、日曜日の12:30からだ。そっちも観てくれよー」
薄水色のCG背景に立った4人が、それぞれ笑顔で手を振る。
その映像を撮り切ると、ディレクターが弾んだ声で「カット!」と宣言し、番組が終了した。