第12章・Kind im Einschlummern(眠りに入る子供)
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《──ムウ、君は知っているのか!?》
 一輝を先に送ってから暫くして、シャカはテレパスにて問いかけた。ムウ、と呼びかけてはいるが、この十二宮に居る黄金聖闘士全員に聞こえるよう、小宇宙を広げて。
「……何をだね、シャカよ」
 全員に聞こえるようにしているテレパスであるという事を察知して、ムウは重々しく返事をした。先程シャカと二人で離したときとは違い、微笑の欠片も浮かべていない。
《もちろん、今星矢たちが必死に闘っている教皇の正体だ》
 あの沙織という娘の為に命を投げ出してここまで闘い抜いた青銅聖闘士たちを、ムウや童虎老師は陰ながら援助してきた。それは、教皇の正体を見抜いていたからではないのか、とシャカは問う。
《どうなのだ、ムウよ》
「……ならばシャカよ」
 まるで法廷の証言台に立ったように、ムウはおもむろに背筋を伸ばし、胸を張り、言った。
 テレパス、念話においては、よほど苦手でない限り、実際に声に出してものを言う必要はない。超能力において黄金聖闘士いちの実力を持つムウであれば尚更だが、ムウは、わざわざ、いやあえて口に出して続けた。
「今こそ言おう……教皇の正体を……!」
 慎重に重々しくではあるが、あっさりと本題を切り出した返答に、シャカは思わず目すら開けそうになる。それはテレパスを聞いていた他の者たちも同じことで、しかしその驚きが沈静化しないまま、ムウは立て続けに言った。

「──今の教皇は、真の教皇ではない!」

 いつの間にか、別の人間が入れ替わってしまったのだ、と、ムウは少し早口で言った。テレパスであったので皆にはわからなかったが、ムウの声は、震えていた。──10年以上もの間、証拠はないながらも確信を持ち、しかし誰にも言えなかった真実を今、彼は明らかにしたのだから。
 そして、他の黄金聖闘士たちが皆驚愕を大きくして声を上げる中、ムウはやはり淡々と、台本でも読み上げるかのように淀みなく言った。
「この聖域に来て、より一層確信するようになった……守護人が不在とされる双児宮に、巨大な小宇宙を感じてからな……」
 確かにその時の小宇宙は衝撃と感じるほどに巨大かつ異様であったので、皆が頷く。虚空を見つめて朗々と話すムウを、貴鬼が息を飲みながら見遣っていた。
「13年前……アイオロスが反逆者の汚名を着て死ぬ少し前に、突如としてこの聖域から姿を消した黄金聖闘士の事を、皆も知っていよう」
 それは、彼らが黄金聖闘士になるかならないかの頃。正しくは、皆が一斉に黄金聖闘士になる為の試練をそれぞれ与えられ、殆どが聖域から離れたとき、姿を消した彼。
 後に、彼は来るべき聖戦に備える任務の為に聖域を離れたと、そう通知がされた。そのことに納得いかないながらも、しかし疑う理由はなく、ただそうなのだと理解していた。
「そうだ……だが彼は消えたのではなく、依然として13年もの間この聖域に居たのだ」

 ──しかも、教皇に姿を変えてな!

 変わらず静かに、だが腹の底からせり上がったような熱を感じる声で、ムウは言った。
 神の化身とまで言われ、次の教皇として全てのものに認められていながらにして、しかし13年前、突如として姿を消した双子座ジェミニの聖闘士のことを、皆忘れていたわけではない。
 ──ただ、結び付かなかっただけだ。
 決して焦ったり、怒ったりすることは無く、皆の言い分を全部聞いて、そして言い切って静かになってから、ゆっくりと話し出していた彼。彼のやり方はとてもまどろっこしく、しかし誰もが損をしない、納得するやり方だった。そのやり方で損をしている者がいるとすれば、それは何も関係ないのに全員の愚痴を全部聞くことになる彼だけ。
 そんな彼が、女神を殺そうと企み、アイオロスを陥れ、教皇──ムウの師でもあるシオン教皇を殺し、成り代わったなどと!
 ──双子座、ジェミニのサガ。
 神の化身とさえ言われ、やさしく微笑む様しか思い出せない彼が敵だなどと、誰一人として、思いつきすらしなかった。──13年間、一目も会わなくとも。
 それほどに、彼は、サガは皆にとって、かけがえのない存在だった。






 ──教皇の正体は、黄金聖闘士12人のひとり、双子座ジェミニの聖闘士。
 そのあきらかな事実を目にしてなお、星矢は困惑していた。
「な……なぜ……」
 なぜなんだ、と、星矢は呆然とする。だって彼は、同じなはずだ。──自分と同じ、女神の聖闘士のはずだ!
「フッ……小僧、お前などに何もわかりはしない……。また、知る必要もない!」
 ただ女神の為にと、何も考えずに特攻をかけるしか能のない神の狗に、我らの思いを理解してもらおうなどとは思わない。それ故語る必要もない、と、サガは切って捨てた。
「さあ、異次元へ飛んでゆけ! ──アナザーディメンション!

──ガカァッ!

「な……何だ、これは──!!」
 空気が、破れる。
 そのあり得ない様を、星矢は体感した。そして破れた空気──空間の向こうに広がるものも。

 ──それは、全てが異なる空間だった。

 天と地が、有と無が、零と一が、善と悪が、全ての存在のあり方の根本が、星矢の知っている者と違った世界。──異次元空間。
 星かと思うほどに巨大な岩が、無数に空中に浮いている、ということだけが、辛うじて理解できる唯一であった。しかしそれとて星ではなく、岩でもなく、星矢の知らない、理解できない“何か”でしかない。

 これこそが、サガが持つ“仁”の力──“空間操作”の力。

 黄金聖闘士の中でも最も特異、かつ希有で強大な力のひとつだ。双児宮で星矢らが体験した迷宮も、この力によるものである。
 空間歪曲型ワープ、という理論がある。様々なSF作品によく登場する、という意味で最も有名なこの原理はしばしば、紙自体を折り曲げて紙の上に書かれた2点を近づけるという例えで説明される。紙という平面二次元上での距離は変わらなくても、空間三次元内では接近している、という理屈だ。ただしそのA点とB点を繋げる方法は現実に確立されていないので、一般的には机上の空論でしかない。しかしサガの能力は、それを可能にすることができる。
 双児宮の迷宮は、まず双児宮内の空間にAとBの二つの裂け目を作り、それを繋げてループさせる事で、出口のない空間を作っているのだ。Aから出発してBに辿り着いても、AとBは繋がっているので、いつまで経っても出られない。メビウスの輪、いや空間であるから、クラインの壺のほうが例えには相応しいだろう。
 ただし、この迷宮は、攻略法がない事もない。これは切れ目を繋げて作った空間であるので、その切れ目を見つけ、強い小宇宙によってそこを剥がせばA点とB点の直結が解除され、元の状態に戻る。
 視覚に頼らず、小宇宙──第七感によって紫龍が見つけた出口は、その、空間の切れ目だ。紫龍はその切れ目に、小宇宙を発揮した肉体にて体当たりする事で、やや無理矢理迷宮を破った。サガの小宇宙──“智”の力は本来紫龍の及ぶ所ではないが、サガ自身が双児宮内に居らず教皇宮からの遠隔操作であったので、何とか為せた事であった。
 切れ目を失くせばよいではないか、と思うかもしれないが、それは不可能だ。何故と言って、元々この世という次元は、そういう風には出来ていないからである。万物のものは第三者に無理矢理ねじ曲げられると、元に戻ろうとする力が発生する。よって迷宮を維持するにはサガが常に小宇宙でAB点を繋げておく必要があり、それはとても疲れるものだ。
 しかし、サガの持つ“空間操作”の能力は、迷宮作りだけに発揮されるものではない。むしろ迷宮は足止めの為の小手先技でしかない。

 サガの力、“空間操作”の真骨頂。それこそ、この“空間を異次元に作り替える”という技である。

 アナザーディメンションは、そのサガの力をスタンダードにそのまま用いた技であった。
 次元とは、空間の広がりを表す一つの指標である。座標が導入された空間ではその自由度を変数の組のサイズとして表現することができることから、要素の数・自由度として捉えることができ、数学や計算機において要素の配列の長さを指して次元ということもある。自然科学においては、物理量の自由度として考えられる要素の度合いを言い、物理的単位の種類を記述するのに用いられる。
 たとえば一般的に、我々の住む世界は、共時的には3つの向きへの広がりをもった三次元的な空間、と捉えられている。様々な説があるが、サガ自身は、こういった考えを肯定した上で力を振るっている。
 また、各々が持って生まれた“仁”の力を振るう際は、誰もがほとんど直感的な、感覚的な実感に頼るのが普通だ。しかしサガの力は、感覚的なものだけで操作できるものではない。この力を完全にコントロールするには、ごく理論的なアプローチからの理解が必須となる。まず数学への完璧な理解が必須。また物理学、自然科学。相対性理論はその最たるものである。
 聖域に通された上下水道、また新たな建築物のいくつかは、サガの設計である。数学・物理学においては最高学府の教授を言い負かす事すら出来るサガにとって、建築もまた延長線上の分野にあり、習得するのに難はなかった。
 兎も角、この力は、空間の全てを理解した上でないと完璧に使えない力だ。サガはそれを為した上で、空間を自由に操作することが出来た。
 現在学術的に一応の定義が定められている零次元、一次元、二次元、三次元、四次元、五次元──それ以上の未知の世界、存在の何もかもが異なる次元へと、既存の空間を作り替える能力。サガの意向ひとつで、何の変哲もない三次元立方体は、点や線にもなり、平面の四角形にもなり、またマウリッツ・エッシャーの描くような無限空間にも、そしてブラックホールにも変化する。
 それはまさに、王が自由に領地を作り替えるような、──いや、神が自在に世界を作り替えるような様だ。そしてそれは、現在ある全てを把握し、またそれは様々な見方が出来るのだ、という理解がなくては決して使えぬ技でもある。
 先程述べたように、我々の住む世界は、共時的には3つの向きへの広がりをもった三次元的な空間、と捉えられている。事実、地球は三次元的な球形をした物体だ。しかし表面だけを考えれば、緯度・経度で位置が指定できるので二次元空間であるとも言えるし、時間という観点を加えれば、四次元空間に生きているとも言える。
 ひとつの空間に対し数え切れぬ程の捉え方があり、またその全てが事実であり、無限に変化することが出来る。サガはそれを理解しており、主には数学的なアプローチでもって、実際に空間を様々に作り替える事を可能にしている。
 双子座ジェミニの黄金聖闘士・サガは、そんな圧倒的な力を持った男であった。

「──そうだペガサス! おまえはこの先抜ける事の出来ない異次元の世界を、永遠に彷徨い続けるのだ!」
「う……うわああああ────ッ!!」
 敵である彼の不敵な笑い声さえ、異次元に放り込まれようとしている星矢には恋しい。
 星矢は、恐怖していた。価値観の全てが、存在のあり方の全てが異なる世界。きっと己のあり方の全てがことごとく否定されるだろう、いやなかったことにすらされるかもしれない、もしかしたらまったく思いつきもしないものに作り替えられてしまうのかもしれない。全てが異なり理解不能な世界にただ一人飛ばされ放り込まれる圧倒的な恐怖は、発狂しても何らおかしくはない。むしろ当然の成り行きである。
 ──しかし、星矢が発狂する事はなかった。
(──女神……!)
 祈るように。心の中で呼んだ瞬間、全てが“戻った”。

「うっ……!」
 異次元に放り込まれた感覚は、一瞬にも思えたし、何千年も漂ったようにも思えた。きっとどちらでもないのだろう。
 しかしとにかく、ガン、と顔面に感じた衝撃に、恐怖のせいで汗でびしゃびしゃになった身体、口から飛び出しそうなほど激しく鳴る心臓を感じながら、星矢は震えを堪えて起き上がる。
 そこは元の、教皇の間。何度見渡しても、そこは石床の上に赤い絨毯が敷かれた、間違いなく教皇の間であった。
 ──アナザーディメンションとやらで、異次元に飛ばされたのではなかったのか── 星矢のこの混乱こそが、存在の何もかもが異なる異次元に放り込まれた後遺症であるのだから、それは確かであろう。今でも、きちんと気を張っていなければ、全ての価値観がこんがらがってパニックを起こしそうなのを必死で留めている。
 そしてそんな星矢の混乱を一旦中止させたのは、目の前で膝をつく、彼の姿であった。
「ジ……ジェミニ……」
 はっとして見れば、そこには、膝をつき、震えながら呻く、黒髪の男の姿。それは先程見た、白金色から黒い髮へ、神の化身のような姿から変化した時の彼の苦しみようと同じであった。
 ──一体。
 ジェミニの身体にはどんな秘密が隠されているのかと、星矢は疑問視した。それは、今までひたすら何も考えず、女神の為にとだけ叫んで突き進んできた彼からすると、少々例外的な思考でもあった。──それは、何もかもが異なる異次元、そこに放り込まれたせいであろうか。
「馬鹿め……邪魔をしおって……!」
 呪わしいほどに憎々しげな悪態をついた彼は、相変わらず苦しげに呻きながら、膝をついて震えている。しかしそれは星矢が先程感じたような恐怖によるものではなく、何かに抗っているが故の苦しみのようだった。その証しに、呻き声の合間には、ガチガチと鳴るのではなく、ぎりぎりと噛み締める歯の音が聞こえる。
「せっかくペガサスを異次元に送り込んでやったものを……」

 ──よせ。もはやこれ以上罪を重ねるな……

 声が、聞こえる。優美な、悲劇を嘆く聖者のようなバリトン。
 どくどくと鳴るのは、心臓。絶え間なく血を、小宇宙を生み出す源から、声がする。

 ──女神の命を救うまで、星矢を殺させはしないぞ……

 ──あれは、私と同じものなのだから。

「黙れ────────ッ!!」
 ぶつん、と、何かが切れる音を、サガは聞いた。
「……さえ居なければ、私はとっくの昔に大地を支配していたのだ!」
 そうだ、何か決定的に女神に抗う行動をしようとしたとき、“彼”はことごとくそれを阻止してきた。幼い頃は阻まれる前の忠告で怯え、しかし黒髪と赤い目の姿を得てからは、忠告を無視して行なえば阻まれるようになった。
「いつもが肝心な時に邪魔をした、それさえなければ、……ううううううぅぅぅぅああああああっ!!」
 自分の歯を全部むしり取って投げつけんかの様相で、サガは悶え、喚き散らした。
「はぁっ、はぁっ……」
 狂人の所業としか見えない彼の様を星矢が呆然と見遣る中、一頻り喚いたサガは、乱れた息を整える。そして頭に昇った血を抑えると、汗を流しながらも、再度不敵な笑みを浮かべた。
「よ……よぉ〜〜〜し……」
 そして発したのは、どこか赤い目の誰かを彷彿とさせる、戯けたような、人を食った口調。
「そんなにペガサスの命を助けたいのなら、命までは取るとは言わん……」
 そうだ、“彼”とぶつかる度、いつもサガはこうして妥協案を示し、何とかやってきていた。その中途半端な様はサガに多大なストレスをもたらしたが、そうしなければ、“彼”が何をするかわからない。ただでさえ、のだから。
「その代わり、五感ことごとく断ち廃人同様にしてくれるわ…… ク……ククク……」
 こういう、妥協と見せかけて悪魔的な理論展開は、デスマスクの十八番だった。
 更には、既にここまで昇ってくる間の私闘で、少年の五感はことごとく低下している、私の光速拳にかかれば、ペガサスが廃人になるのはものの数秒──とサガがわざわざ伝えれば、“彼”が悲痛な感情を起こすのがわかり、サガは笑みを深くする。
 “彼”に逆らえば逆らうほど、身を引き裂かれるような苦しみは強くなる。しかし今、サガはいつになく決定的に、“彼”に抗おうとしていた。
 サガが“彼”に抗えば抗うほど、苦しみは──“反発”は大きくなる。彼の言うことをきき、同調していれば、何の苦しみもない。だからこそ、幼い頃は彼が絶対に正しいのだと思い込み、また彼に抗う事に恐怖した。
 だが今、あの三人を失い、たった一人になった今、サガに負ける事は許されなかった。そして彼の敵は女神であり、目の前の少年であり、そして“彼”、生まれてからずっと傍らに居た彼に、サガは今こそ打ち勝たねばならないのだと理解していた。
「──まずは、味覚だ!」
「うっ……!」
 ぎらりと赤い目が光り、指先を向けられたと思った時には、既に星矢の舌は一切動かなかった。
「次は触覚!」
 続いて、聴覚、嗅覚、視覚──と、サガはまさに情け容赦なく、畳み掛けるようにして、あっという間に星矢の五感を断ち切った。ムウほどではないが、シャカと張るほどに超能力にも長けたサガにかかれば、この程度は朝飯前である。
 その様はまさに圧倒的、大人と子供以上の差と言っていいだろう。事実、サガは左手にジェミニのメットを抱えたまま、闘う為のまともな構えさえ一度もとってはいない。
 そして、話せず、聞こえず、嗅げず、見えず、何もかもを感じられなくなった星矢は、言うなれば全感覚が麻痺した上での全身不随の状態である。当然立っていられず、その場に上面から、受け身も取れずに倒れ込んだ。
 そして、ぴくりとも動かない少年を見下ろし、サガは喉を鳴らして嗤う。
「さあどうだ、ペガサスの命までは取らなかったぞ…… これで文句はあるまい」
 といっても、星矢はもはや心臓が動いているだけに過ぎない、まさしく生ける屍──いや、筋肉が完全に弛緩した全身不随の状態であるのだから、呼吸さえ補助がなければ本来は危ういということもあり、いつ死んでもおかしくない状態である。
 “彼”の嘆きが聞こえ、サガは獰猛に笑い続ける。
「まもなく、十二宮全部の火が消える! そして女神アテナの命も消え、この私の力が全地上ことごとくを覆うのだ……!」
 まるでオペラの主役のように、朗々と、堂々と、全てに響き渡るような声でサガは言い、腹の底から、王者のごとく笑ってみせた。
「……死に切れぬか」
 そして一頻り笑ってみせた後、サガは、足下の少年が、ぴくりと動いたのに気づく。
 この状態で、僅かとはいえ動けるだけ大したものだ。──だがそれは、少年自身の力だろうか? それとも、彼らを守護しているという勝利の女神、その力故なのか? しかし、だとしたら──
(死に切れずもがいている事こそ、哀れなものはない)
 もしこの少年が、己の意思を持たぬ、ただ神が盤上で進める駒のひとつなのだとしたら。
「やはり、いっそひと思いに頭を潰して殺してやった方が情けというものだ──そうだろう!」
 小宇宙が高まり、星矢に向けられる。“彼”が一層悲痛に嘆きを伝えるが、サガは無視した。──しかし。

──ブァッ!

「うお……!?」
 突然の反発に、サガは一歩後退した。
(な……何……)
 五感をことごとく失ったはずの少年から、小宇宙を感じる。
(何だ、──一体、この強烈な小宇宙は!)
──それは、サガの胸の内から感じる、“彼”の気配と同じもの。
(何なのだ──)
 サガは、ぎりりと歯を鳴らした。
(お前は、……は、何なのだ……!!)
 そして、サガが警戒とともに見守る中、驚くべき事に、星矢は立ち上がっていた。
(ジ……ジェミニよ……たとえオレの五感が全て失われたとしても、まだ命の炎は燃えている!)
 この命ある限り、己の小宇宙は限りなくどこまでも高まってゆくのだ、と、星矢は心の中で宣言した。
(オレの小宇宙が消滅する時──それはオレが死ぬ時以外ない!)
 星矢とて、伊達に聖衣を得ては居ない。最下層の青銅とはいえ、何百、何千という候補生の中から、彼は唯一聖衣を得た。その身の内に秘めた小宇宙の発現、そしてその導きによって。
 そして星矢は、その中で、理解していた。五感、また六感を超える第七感──小宇宙を本当の意味で発揮できたとき、五感がなくとも全てを賄う事など容易な事なのだと。
(五感全て失われようとも、……燃えろ、俺の小宇宙よ! この命、ある限り!)
 見えぬ目が見開かれ、感覚のない身体が起き上がる。少年の身体の中心が炉のように熱くなり、小さな宇宙の爆発が始まる!
「ペガサス、流星拳────!!」
 ──ビッグ・バンの流星が、放たれた。
「馬鹿め、おまえの流星拳など黄金聖闘士には通用しないと、何度言ったらわかる!」
 はっきりと見える星々の軌跡、少年の拳に、サガは嘲笑を浮かべる。数を撃てば当たる、というやりかたのこの技は、小宇宙の闘法を学んだものとしては、ごくスタンダードな技である。しかしスタンダード過ぎて、躱すのも容易い。それが実力者であれば、なおの事。

──パァン!

 サガが前に突き出した手に、流星がことごとく弾かれた。
「いくらお前が小宇宙を燃やそうと、黄金聖闘士の域まで高める事は出来ぬ!」
 生まれたばかりの幼い銀河は、確かに、若さに任せた勢いの良い爆発を見せるだろう。しかし、星々の軌道も微塵のブレなく計算され完成された巨大な銀河は、そんな事ではびくともしないのだ。
「ましてや光速の力を持つ黄金聖闘士を、マッハの力しかないお前の力で倒せるか!」
 よくよく見ると、星矢が放った拳はサガの手のひらそのものに弾かれているのではなく、彼の前の空間で散らされている事に気づけるだろう。
 サガは、向かってくる衝撃を空間ごと曲げ、散らしてしまっているのだ。彼の持つ“仁”の力、空間操作の能力が最強と言われる所以はここにある。衝撃自体でなく空間ごと曲げてしまうので、彼に致命傷を与えるには、それこそ空間ごと曲げることも出来ないような巨大かつ超高密度、そしてスピードを兼ね備えた小宇宙による一撃必殺攻撃をするしかない。
 だからこそ、身も蓋もなく言えば“数打ちゃ当たる”をコンセプトにした星矢の流星拳は、サガに対しては非常に相性が悪い技だ。
 常人が1を考える間に100を考え、一歩踏み出す間に遥かを駆けることを可能にするセブンセンシズ。物心つく頃から身につけたそれをはたらかせたサガの視界において、星矢の流星拳は、木から舞い落ちる葉よりもゆるゆるとしたものでしかない。
 しかし、星矢は、拳を繰り出すのをやめない。同じ場所から、真っ正直に、ただ多くの拳をひたすら打ち出してくるのみの少年に、サガはフンと鼻を鳴らした。無駄と言っているというのに、やはり所詮は馬鹿の一つ覚えだな、と。
「両腕が引きちぎれるまで打ち続けるつもりか……っ!?」
 ぴくり、とサガは眉を顰めた。
 サガは、星矢の拳を完全に見切り、それに合わせ、空間を歪めている。しかしその一発が、他の何百発よりも僅かに速かったような気がしたからだ。
(──マッハ1、マッハ10、35、120……)
 数学的な感覚を既に自然に身につけているサガは、星矢の拳をごく正確な数値にして見切ることが出来る。
(ま……間違いない、確かに速くなっている……)
 それは、音速の世界。青銅聖闘士としては上出来以上だろう、しかし注目すべきはそこではない。その速度自体は、黄金聖闘士にはどうという事もない。サガが訝しく思っているのは、そのスピードの上昇の仕方であった。最初の一発から確実に、どんどん速度は速くなっている。
(このままどこまでも高まっていけば……、っ!?)
 そう危惧した瞬間、光が、弾けた。

──パァァアン!!

(こ、これは……光速拳!)
 セブンセンシズを持つ者の世界を詳しく語る場合、アルベルト・アインシュタインが創始した相対性理論が深く関わってくる。
 常人が1を考える間に100を考え、一歩踏み出す間に遥かを駆けることを可能にするZONE、その果てに目覚めるセブンセンシズ。その超感覚の中においては、光の速さの世界を体感する事さえ可能となる。
 光速とは、秒速30万キロメートル。この数値は、セブンセンシズを会得した者が知覚できる速度の限界点でもある。
 ──そう、限界点だ。対処できる限界点、ではない。
 相対性理論の根底には光が深く関係しているが、なかでも特殊相対性理論ににおいては、物体が光の速さに近付けば近付くほど、時空が歪み、知覚したときの見え方が違ってくる。光の速さは、慣性の法則から飛び出すことを可能にし、セブンセンシズを持ってした知覚の中でも、歪んで見えたり、止まって見えたり、また消えたように見えたりもするのだ。
 ごく乱暴な説明ではあるが、実際に光速の世界を体験できる黄金聖闘士たちは、この理論を机上ではなく、実感として知っている。光速拳が恐るるべきであるのは、単に速いからではない。光速の動きは、相対性理論において時空に影響を及ぼし、“速すぎて知覚できない”ということ以上の現象を起こし、セブンセンシズとて、その現象を予測・把握する事は非常に難しいのである。
 そして今、セブンセンシズを発揮したサガの視界の中で、星矢の放った流星拳の数々は、無数の光の軌跡のように映った。まるで二次元世界で線が無数に伸びているかのような光景、しかし時空が歪められた線たちは、辛うじてx−y方向を把握する事は出来ても、前後z方向の角度は知覚できない。更には光速によって時間の感覚が大幅に歪み、いまのこの瞬間、星矢の拳がこの線の中のどの位置にあるのかがわからない。──同時に多数の光速拳が放たれていれば、尚更。

──ドシャアッ!

 空の流れ星が軌跡を描いた事に確かに気づいたのに、願い事を一つも言うことが出来ないときのように。軌跡を知覚したその瞬間、サガは流星のいくつかを浴び、床に倒れ伏していた。左手に持っていたジェミニのメットが投げ出され、あらぬ方向に転がっていく。
(バ……馬鹿な、星矢が光速拳を放つとは……)
 青銅聖闘士でありながら、黄金聖闘士の位まで──すなわち光速拳を繰り出せる位まで小宇宙を高めたというのか、と、さすがのサガも、その非常識ぶりに驚愕した。

 ──これが、勝利の女神ニケによる、理不尽なまでの奇跡の力なのか? それとも──

 サガがそう考えを巡らせているその時、星矢は、五感を失ったことによる暗闇よりも深い深淵の世界で、アテナ神殿を目指していた。
 いまの星矢には、前後左右、天地、音もにおいもわからない。しかしそんな中、星矢は一歩踏み出した。間違いなく、アテナ神殿の方向へ。
(おお……)
 星矢には、はっきりと感じられていた。──盾を持った、アテナの巨像が。
(心の小宇宙が、俺にアテナ神殿の方向をはっきりとわからせてくれているんだ!)
 星矢は、感動していた。それはまるで、神の声を啓示として聞いた聖人のように。
 そして事実、星矢は今、導かれている事を感じていた。星矢には確かにアテナ神殿の方向と、そしてそこに立つアテナの巨像の姿が見えた。しかしそれは星矢が小宇宙を強く発揮しているからというよりも、“何か”によって見させてもらえている──その感覚の方が強かった。
 ……例によって、その“何か”が何なのか、星矢が考える事はなかったが。
(も……もうすぐだ、もうすぐ女神アテナの命を救える……)
 たとえ両足の感覚がなくても、あそこまで這ってでも行くぞ、と、星矢は進む。“何か”に導かれ、何も考えず、ただ女神の為にひたすらに進む。

──ガシャッ!

 しかし、その歩みは、止められた。
「ぐ、うう……」
 口がきけない星矢から、生理的な呻きが漏れる。気の毒なまでにパーツの少ないペガサスの青銅聖衣が全く覆っていない無防備な星矢の腹に、黄金の拳が突き立てられていた。
「馬鹿め……! たかがまぐれの光速拳を数発当てただけで、私にとどめを刺したと思うのは甘いぞ……」
 サガは先程、確かに星矢の光速拳を数発食らった。しかしその衝撃は、サガに些かのダメージももたらしてはいない。
 光速拳は、黄金聖闘士であっても知覚するのが限界の領域──それは確かだ。しかし、衝撃をその周りの空間ごと歪め散らす事の出来るサガは、それすらもほぼ問題としない。先程も、同時複数の光速拳を完全に殺し切れはしなかったものの、その殆どは散らしてしまっていた。
 前述したように、サガの力は、制御にかなりデリケートな高いコントロール技術を必要とする。向けられた攻撃的小宇宙を瞬時に捉え空間ごと分解し散らすというのは要するに、出されたパズルをどれだけ速く解いて異次元に散らすことが出来るか。相手の小宇宙の真理を一瞬にして理解し違う次元へ分解するかにかかっているわけで、そうなると無論相手の小宇宙が高密度で速度が速い、つまりパズルが難解で解く時間が少ないほど無効化は難しい。
 だから音速拳程度であればあっさり分解してしまえるため完全なノーダメージであったわけだが、光速レベルで極限まで密度を上げたペガサス彗星拳はそこまで分解することが出来ず、威力のいくらかを食らってしまう。しかしあくまで、“いくらか”に過ぎず、“勇”の力もかなりのものであるサガである。軽く何発か食らった所で、問題にはならない。
「しかし、五感を失ったおまえがここまでやるとは思わなかった……」
 それは、純粋な驚愕。そして同時に、命は奪わぬという生温い真似ではなく、完全に息の根を止める必要がある、とサガに判断させるに十分な理由でもあった。
 身体を起こしたサガが、拳を振りかぶる。
「──死ね、星矢!」
「う、おお────ッ!!」

──グワシャアッ!

 しかし、サガの放った拳は少年に当たる事なく、石の壁を貫いた。
「な……何い、これは……、うっ!」
 あり得ない──すなわち再度の“奇跡”に、サガが唸る。そして次の瞬間、小柄ななにかが、サガを後ろから羽交い締めにした。言わずもがな、星矢である。
(もう一度、もう一度俺に力をくれ、小宇宙よ──)
 星矢は、祈った。小宇宙よ、とは唱えたが、それは神への祈りと言っていいものだった。
 ──神よ、どうか力を!
(女神、アテナよ……!)

 ──祈りは、聞き届けられた。

 星矢が神の名を心で呼んだ瞬間、彼は力を発揮することが出来た。ペガサスローリングクラッシュ、と名付けられているその技は、相手を後ろから羽交い締めにした状態で回転しながら天空に舞い上がり、高所から相手をたたき落とす技である。
 五感を失ったはずの星矢は、自分よりも遥かに大柄で体格の良い、しかも全身を覆う甲冑である黄金聖衣を纏ったサガをしっかりと羽交い締めにしたまま、教皇宮の屋根をぶち抜いて、天空に飛び上がったのだ。
 ──それは、奇跡。
(馬鹿な──)
 満天の星が視界に広がる中、サガは忌々しさに歯を食いしばる。
 サガはもう、神に祈る事をやめて久しい。15年間祈り続け、ついには応えてくれなかった神に、サガはもう祈らないと決めた。祈るとするなら、どうか邪魔だけはするなと思うだけだ。
 だがこの少年ときたら、どうだ。こちらがどんな策を労しようと、力を得ようとも、血を流そうとも、あり得ない、信じられない奇跡を次々と起こし、打ち破ってきた。
 しかしその理不尽さに、サガはまさに神の姿を感じる。いくら祈ろうが、犠牲を捧げようが、一切聞いてはくれない無慈悲な神。そして何も考えず、ただひたすら盲目的に神を信奉する幼い者たちに、理不尽なまでの、無敵の奇跡を与える神!
 サガは眉を顰め、そして次に目線を動かして、にやりとした。火時計に灯された火が、消えようとしている。女神の命のタイムリミットを示す神の火は、今にも消えそうな弱々しい光を放っていた。
 しかしその下の広大な暗闇──聖域には、いくつもの灯が見える。
 灯の形をよく見れば、それぞれ建物や、道の脇に灯されたものだという事がわかる。それは訓練生の宿舎であったり、雑兵の詰所であったり、それ以外の非戦闘員たちの住まいであったり、公衆浴場や、水場を示す灯りであったりする。どれもこれも、この13年の間にサガが造らせた施設だ。
 それより前、この聖域は、闇であった。世界中からかき集められた、親のない子供たち。闇の中でわけもわからず痛めつけられ死んでゆく人々に、サガは灯火を与えたかった。そして、そうした。あの灯火は、決して神の火ではない。
 神に創造されながらも下賎と見なされ蠢く人類に火を与え、数、建築、気象、文字などの知恵を伝えたプロメテウス。そうして人間に力を与えたことにより、彼はゼウスによってカウカソス山の山頂に張り付けにさせられ、生きながらにして毎日肝臓を禿鷹に啄まれる責め苦を強いられた。
 聖闘士として生まれながら女神に反旗を翻し、そしてハーデスやポセイドンからの侵略も阻もうとしているサガは、人生の果てにおいて、コキュートス以上の地獄を強いられるだろう。──プロメテウスのように。
 しかしサガは、後悔しない。そして、屈しない。いくら女神が少年たちに奇跡をもたらそうとも。
 灯が見える。燃え上がる火が、暗闇の中の人々を照らし、導いている。あの火は、神の火ではない。13年間の間に、サガが灯した火だ。 ──人間の火だ!
 無数に燃え続ける人々の火に対して、今にも消えそうな火時計の火。神の命の火が消えかかっているのを見遣り、サガは笑みを深め、少年は絶望の端を味わっていた。

──ドォォオン!

 自由落下の重力加速度に加え、小宇宙による加速が加わった落下は、光速には遠くともかなりのものだ。ペガサスローリングクラッシュは相手を叩き付けても自分はきちんと受け身を取るのが本来であるが、星矢は自分も地面に叩き付けることになり、呻いた。しかし構想ビル並みの高さから無防備に落ちたというのに生きているだけでも、やはり奇跡と言えるだろう。
「ククク……」
 ──しかし、奇跡を上回った男の笑みを背後に感じ、星矢はとうとう絶望した。
「残念だが、最後の技さえも通用しなかったな、星矢」

 何という男だ……!

 全く無傷のサガが、悠々と背後に立っている。相変わらずよく通る声が、聴覚を失った星矢にさえ朗々と響いて聞こえた。
(つ……強い、強すぎる……)
 6年間の厳しい修行に耐え、更には数々の、試練と言うには過ぎる事態を奇跡によって乗り越えてきた星矢であるが、今初めて、絶望、諦めというものを実感していた。
(だ……駄目だ、も、もう……)
 神のように、……いや、神を上回るのではないか、と思うほどに圧倒的な小宇宙を感じる。どんな事をしても叶わないだろう男が、拳を振り上げるのがわかる。
 ──もう、どうする事も出来ない。
「死ね、星矢──……っ!?」
 ハッ、と、サガが拳を止め、振り返る。
「な……」
 投げ出された、ジェミニのメット。左右にそれぞれ違う表情の顔がついたそれを見つめ、サガは固まった。
 それは、幻影なのかもしれない。しかしサガの目には、しっかりと映っていた。

 ジェミニのメットの正義の顔が、泣いている。

 他の黄金聖衣と違い、モチーフのせいか、どこか暗喩めいて抽象的なデザインをしたジェミニの聖衣は、アジアの神を彷彿とさせる、奇妙かつ神秘的な指の形を取って掲げた4本の腕と、また表情の違う面がついている。いわば二面四臂の姿そのものだ。
 そしてその表情の違う二面の顔。どういう意匠なのか詳しい事は不明だが、通称“正義の面”と呼ばれる方の面が、おびただしい量の涙を溢れさせていた。
「バ……馬鹿な、何を泣く……何が悲しい……!」
 それは、聖像が涙を流す奇跡、それそのものでもあった。そして多くの者がそう感じるように、サガもまた、その現象に意味を見出そうとした。──してしまった。
「この私が大地を支配する事が、そんなにいけない事か!?」
 そのありえない──奇跡の涙が、サガには、己を非難しているように感じられた。その癇に障る清らかさもまた、理由のひとつだろう。聖衣がひとりでに流す涙は、黒髪に赤い目をしたサガを嘆き、憐れみ嗜める“彼”を彷彿とさせた。
「力のある者が天下を治めて、何が悪い!? そうしなければ、この地上などとっくに奪われてしまうのだ!」
 それは、実感の伴った言葉である。天と地が誕生したときから、地上は様々な者たち──神々が、支配権を争っている。最も有名なのは、かつてアッティカと呼ばれていた地をポセイドンとアテナが取り合った時。結局オリーブの木を人間に与えたアテナが人々に選ばれ、アッティカは彼女の名を取ってアテナイと名を変え、アテナのものとなったとされる。
 それ以降も、天界のゼウスが、海界のポセイドンが、冥界のハーデスが、地上を我がものにしようと虎視眈々とこの大地を狙い、戦いをしかけてくるのを防ぎ、地上を守る為、ひいては地上の主たる女神アテナを守るために、聖闘士たちは闘ってきた。
 サガも長年調べてはいるが、神々が地上を欲しがる理由はわかっていない。しかし因縁あるポセイドンとの戦い、そして聖戦と称された、二百何十年ほどの周期で起こるハーデスとの戦いを主として、その他の神も地上を狙っている。
 彼らに匹敵する力を持つ者が地上を治めねば、あとかたもなく世界は彼らに侵略されてしまうのだ、というのがサガたちの主張であり、そしてそれは決して嘘ではない。実際、この13年間の間に、オリュンポス12神やティタンに名を並べぬまでも、神話に名を残す程度の小神たちが幾度となく侵略を企ててきたのを、サガたちは何度も討伐してきており、その度に力をつけてきた。
「城戸沙織のような小娘では、守れん! 私こそが──」
 神々たちの脅威がなければ、聖域とて今頃もっと良くなっているはずなのだ。弱りきった聖域内を整えると同時に、いつどこから攻め入ってくるかもわからない神々たちの侵略に、サガたちは、一切神に頼らずに、しかし必死で耐えてきた。
「私こそが、この時代の救世主なのだ!」
 救世主。この世を救うのは、神ではなく人間なのだと、サガは高らかに宣言した。まるで、アゴラで演説する王のように。
「それを邪魔する者は、ことごとく葬り去るだけだ! たとえ誰であろうとな!」

──カッ!

 サガが高めた小宇宙が衝撃波を生み、倒れた星矢の身体を軽く吹き飛ばし、転がした。再度俯せになり、もはや呻き声すら上げない少年を見下ろし、サガは細く息を吐き出した。
「星矢。命のある限り、小宇宙を燃焼させ闘うと言ったな……」
 燃え上がっていた小宇宙が、再度整う。ビッグバンにてただ爆発していた宇宙が雄大かつ整然と、自転や公転の軌道を描くように。
 星矢はぴくりとも動かないが、普通の人間ならばとっくの昔に息絶え、命の炎は消え失せているはずだ。だが星矢は、生きている。
「おまえは生半可な事では死なんようだ」
 ──奇跡。おそらくは、勝利の女神ニケを携えた、女神の奇跡によって!
「これ以上お前をいたぶるのももはや面倒……ならば命の炎を完全に消してやる」
 己の視界の端で翻る黒髪を見て、ふと思いついたサガは、右手を高く振り上げた。親指を曲げて掌にぴったりとつけ、他の四本の指はまっすぐに、平らに伸ばす。まるで剣のような形の手を振り上げると、スウ……と、サガの小宇宙が鋭くなった。
 正義を示す、聖なる剣。正義の守護神を味方に付けた事を表す聖剣を模して、サガは小宇宙を整える。
「首を落としてやれば、いかにお前でももはや二度と立ち上がる事は出来まい」
 真に聖剣と呼ばれるほどみごとなものでなくても、人間の首を落とす程度の手刀ならば、サガにも出来る。この黒髪の姿でもって、サガは示そうとしていた。力こそ正義であり、またその力でもって神の奇跡をも覆し、言うだけの事を成し遂げる実力を示した者こそが、統治者たる資格があるのだと!
「覚悟はいいか……」
 死刑囚に最後の言葉を尋ねるように、サガは言った。
 そして今こそ神を倒し、我こそが王にならんと、断頭台の刃を構える。正義の刃、己の信念こそ正義だと謳う刃を掲げ、サガは赤い目を光らせる。薔薇の香りが、漂った気がした。

「死ね、星矢────!!」

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BY 餡子郎
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