第12章・Kind im Einschlummern(眠りに入る子供)
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 数千年の昔、険しい岩山に築かれた、堅牢な要塞。黄道十二宮の名をそれぞれ冠されたその砦のうち、己の守護する磨羯宮、その本殿の入り口に立ったシュラは、下方向に蛇行して続く白い階段を眺めた。
 デスマスクが戦い、そして死んだことを、シュラは察知していた。超能力の才能に壊滅的に恵まれず、広く遠く小宇宙を飛ばすやり方が最も苦手なシュラであるが、それでも強大な“黄金の器”の小宇宙の持ち主である。集中すれば、交戦中の小宇宙の動き程度は知ることが出来る。
 そしてその能力でもって、シュラは、巨蟹宮に少年らの小宇宙が辿り着いた時から、その全ての小宇宙の動きを追っていた。アフロディーテも、そしてサガも同様であろうし、他の者もおそらくはそうだろう。
 彼らが積尸気に入って戦いを繰り広げ始めたのは若干の想定外で、超能力が不得手なシュラには、その細かい動きまでも知ることは出来なかった。しかし、十数年来ごく慣れ親しんだあの悪友の小宇宙が、前例のない程大きく膨れ上がって弾け、そして一切感じられなくなったことは、はっきりと察知出来た。
 住処、寝床というものは、持ち主の生気を纏う。自宅の玄関に入った瞬間、家の中に誰か居るかどうかなんとなく雰囲気でわかる、その感覚の延長線上のものでもあるが、小宇宙覚醒者として最も高い位置にある黄金聖闘士が守護し、また住まう守護宮は、聖衣と同じく、守護者の小宇宙が最も馴染む無機物である。よって、守護者が不在の宮はその小宇宙の雰囲気ですぐにわかる。
 そして今、巨蟹宮からは、そういった気配が一切感じられなくなっていた。
 死を扱う特性を持つからだろうか、デスマスクの小宇宙は、ひどく静かだ。時に禍々しく時に寒気を伴ったりもするそれは、墓場の気配にも似ているような気がする。
 慣れない者なら十中八九不気味に思うだろう気配を纏うその小宇宙。しかし、近しい者にはそうではなくなる。近親者の墓を不気味に思いながら参る者はいないだろう、それと同じだ。
 身内にとっては家のように近しく特別でありながら、他人にとってはこの上なく不気味な場所。墓場の霊気を持つ小宇宙は、身内に甘く他人に厳しいあの男の性格を、とてもよく表していたと思う。
 葬式は一日で終わるべきものだと、死神と呼ばれたあの男は言っていた。丸一日は居なくなった者のことを思い、その寂しさを嘆き、想い出を語り、潰れるまで酒を飲んで、そして目覚めれば日常に戻るのだと。それが死に引きずられずに死者を敬う作法なのだと。
「…………」
 シュラは、無言だった。ただ無言で、なんだかんだで17年間もつるんだ、いやつるんでいた──たった今過去形になった──ひとりの男のことを考える。
 生憎と、あの男は“戦死”という死に方をしたので、悠々と葬式をする時間も、酒を飲む余裕もない。
 だから今、シュラは、敵である少年たちの小宇宙を探ることをやめ、ただ、居なくなった悪友のことを考えて、その為に沈黙した。沈黙しようと思って沈黙したのではない。ただひとつの存在について全力で思いを馳せたが故に、結果的にシュラは沈黙した。
 泣くことも嘆くこともせず、思い出を語ることもなく、シュラはただ目を瞑り、沈黙した。戦争中であるが故の慎ましやかな沈黙が、自然と、黙祷という葬送儀式となった。
 サガからも、アフロディーテからも、テレパスや、動揺などによる小宇宙の揺れ動きは感じられない。彼らもまた、シュラと同じように沈黙に徹しているのだろう。
 小宇宙は、普通の人間が一動く間に千を動く事によって音速や光速での身体能力の発動を可能とし、一を考える間に万を考えることで、人ならざる行為を可能にする。
 略式で振り返る17年ではあったが、目を閉じ、小宇宙の全てを集中して行なう沈黙は、まさに光の早さで脳内を駆け巡る。走馬灯というものがあるのなら、きっとこんな風だろう。
 だが、シュラも、アフロディーテも、死んだデスマスクの為に泣かなかった。言葉すら発さなかった。くだらないことで時に気を失うほど殴りあい、馬鹿なことで吐くほど笑い、泣く時はお互いに黙って背を向けてきたように、ただ、腐れ縁の悪友の死に沈黙した。
「…………」
 無言のまま、死者の友人たちは思いを馳せる。
 裏切り者、すなわち世界を統べる神に逆らって死んだ者は、冥界にて嘆きの川コキュートスに堕とされるのだという。よって、冥王ハーデスに挑み散った歴代の聖闘士は、全員が今も氷地獄に閉じ込められているのだという。
 ならばデスマスクは、いや自分たち全員は、そんな彼らよりももっと重い刑を科されるに違いない。聖闘士を名乗りながらもアテナに反旗を翻し、そしてもちろん聖戦にてハーデスにも挑むつもりであったのだから。
 そしてシュラはふと、あの日のことを思い出す。埃っぽい山小屋の、火の消えた暖炉の前で踞って泣いていた姿。腕に食い込んでいた指の力はひどく強く、そして同時にどうしようもなく無力だった。
 あのとき、彼は、すべてを失くした。帰りたかった場所も、参りたかった墓も、全て。
 もしデスマスクがあの日、聖衣も何もかも捨てて普通の人間に戻ろうとしても、サガはきっと止めなかっただろう。しかしデスマスクは、そうしなかった。

 ── 行こう、デスマスク
 ── 一緒に行こう

 自分たちは、そう言って、デスマスクの手を引いた。身内に甘く、必ず文句を付けながらもなんだかんだで付き合いのいいあの友人に、「一緒に行こう」と言った。そしてここ聖域で初めて彼の胸の内を理解し、そして最後まで変わらずそうであったサガが「力を貸してくれ」と頼んだ。
 自惚れでもなく、感傷から来る思い出の美化でもなく、友人である自分たちがあの日ああ言ったから、デスマスクは13年間ここに居て、結果今日死んだのだ。
 もしかしたら、あの日自分たちに付き合っていなければ、彼はあの日失った墓や死んだ街に、もう一度会えていたかもしれなかった。しかし彼は今、きっと嘆きの川コキュートスに堕とされ、本当に、永遠に、失ったものを取り返すことはできないのだろう。
 欲がない、と、シュラは皆からよく言われる。シュラにはいまいち自覚がないが、確かに彼は昔から自分のものを分けたりすることに躊躇がなく、花も、ケーキも、小さな音楽も、友人や仲間に躊躇なく分け与えた。ただしそこはデスマスクと同じように、友人と認めた者だけに限ってであったが。
 そこの所、思えば、デスマスクやサガは、貯蓄をすることに躍起になる部分がおおいにある、とシュラは思う。シュラは支出は支出としてしか捉えておらず見返りを考えないが、彼らは違う。広い範囲で物事を考える、要するに頭のいい彼らは、収入と支出、貸しと借りはふたつでひとつだと捉え、収入のない支出は決してしない。だからこそ参謀やボスが勤まるのである。
 母から貰った花や音楽、ルイザからのケーキをあっさり分けて寄越すシュラに、デスマスクたちは面食らっていたように思う。シュラにそんなつもりはなくとも、彼らにとって、それはシュラの財産とも言えるものであり、また価値のつけられないものだからだ。そしてだからこそ、価値のつけられないほどの財産を気前良く差し出すシュラは、彼らから信用されていた。
 価値観の相違は時に戦争にすら発展するが、彼らの間の価値観の相違は、非常に良い関係をもたらしていた。
 そしてサガたちは、いくら巨大な見返りがあっても決して表に出さないものを抱えている。シュラにはないそれこそが、正義という、がんと譲れぬ主張であった。
 シュラには、これだけは、というようなものなどない。しかし、彼らは違うのだ。
 デスマスクにとっての譲れぬ正義が何だったのか、語彙が少ないことを自覚しているシュラは、言葉で表すことが出来ない。だが、理解しているつもりだ。そしてその象徴が、デスマスクという名前だったと思う。
 彼が母からつけてもらったのだという名前を、シュラも、サガも、アフロディーテも、とうとう知ることはなかった。溶岩で死に絶えた街の住人が完全に散らばってしまった今、その名前を知るのは、正真正銘、本人だけだろう。つまりこの世にはもう、彼の名を知る者はいない。
 デスマスク、死仮面。その下に隠された何もかもを、彼は誰にも見せないまま、己自身とともに闇に葬った。それは彼の意地であり、矜持であり、正義を守り通す為の保険である。
 デスマスクは、いつ頃からか煙草を吸うようになった。黙って空を見つめながら紫煙をくゆらす友人に、声をかけたことはない。菓子を頬張りながら喋り倒すのもいいかもしれないが、共にした17年間は、女のようなベタベタした馴れ合いで築かれたものではない。
 デスマスクの積尸気冥界波は決して役立たずではなく、むしろ大勢の雑魚相手にはこの上なく合理的な技だ。だからデスマスクの立てた戦法は間違っては居なかった。ただ、敵の実力が予想外だった。
 小宇宙の動きを逐一追っていたのだから、シュラたちは、苦戦しているであろうデスマスクに加勢しに行くことも出来た。しかし、シュラも、アフロディーテも、デスマスクを助けには行かなかった。一歩も動こうとしなかった。
 そもそも、馬鹿正直に守護宮順に敵を迎え撃つ辺りからして、戦法としては愚行に思える。確実に勝とうとするなら、文字通り切り込み隊長タイプのシュラあたりを前線に配置し、まずあらかたの戦力を削いでしまうのが良いだろう。実際、完全なる頭脳労働人員、参謀タイプのデスマスク自身が先鋒になってしまうことからしてもそれはあきらかだが、デスマスクはあえてそれを実行した。アテナに対し、アテナ伝統の戦陣を置く事が、勝利の際有効に働くのだと、そう言って。
 そして、指揮官が最初に決めた戦陣を守り通すことは戦いのプロフェッショナルとして常識であり、その命令を忠実に実行することにおいて、シュラは誰よりも信頼されている。だからシュラは、動かなかった。アフロディーテもまた、殿という、戦において最も重要な役目を任されている。そしてこれはデスマスクの決めた戦陣で、今行なわれているのはデスマスクの戦いだ。
 そして、デスマスクは、死んだ。だが仕方が無い。死んだものは死んだのだ。
 友人がそうして死んだことを、そして彼の秘密を最後まで知らなかったことを、シュラたちは寂しいとは思わない。むしろ、彼が最後まで徹底して秘密を守り通し、文字通り墓場までそれを持ち去ったことを、小気味良くすら思う。
 17年間つるんだ悪友が居なくなるのは、確かに尻の据わりが悪いものだ。……だが、寂しくはない。──あるとすれば、ただ、
(……割にあわんことだ)
 とは、思う。
 支出することに躊躇のないシュラでさえ、そう思う。23年間を生きてきて、守り通せたものの少なさといったらどうだ。確かに13年間の自分たちの働きで聖域は劇的に良くなったが、これはただサガの目的に付き合った結果であり、シュラやデスマスク個人では実現しなかった、実現させようとすら思わなかったことだ。
 しかし、割にあわない少なさではあるけれど、彼の秘密は、正義は、最後まで守られた。神にすら暴かれることのない真の名を守り通したことこそが、彼が正義を守り通して死んだことの証明となる。
「…………」
 何か言おうとしたが、結局シュラは口を噤んだ。デスマスクはもう居らず、墓すらもない。何を言っても感傷にしかならないし、あの男に対して感傷などというものを向けるのは気色が悪い。
 とうとうシュラは、死した友人に一言も発さないまま、踵を返し、宮の中に引っ込んだ。再び小宇宙を広げ、少年たちの動きを探り始める。
 黙した時間は、約十分。十分間の黙祷を捧げたシュラは、それきり、居なくなった友人のことを考えるのをやめた。






「紫龍! 紫龍、しっかり!」
「う……」
 抱き起こされて揺さぶられる感覚に、紫龍は呻いた。
 宣言通りあとから追いついてきた瞬は、紫龍が意識を取り戻したことにホッと安堵する。意識を失うまでの闘いをしたらしい割には、それらしい外傷は殆ど無い所にも。
 そしてそんな瞬に起きて早々「あの世の入り口のぎりぎりまで行ってきた」と不敵な台詞を吐き、紫龍は巨蟹宮を見渡した。
「む、この巨蟹宮一面に浮き出ていた、無数の死に顔が消えている!」
 実際は、守護者が居なくなった──死亡したことで小宇宙の供給がなくなり、巨蟹宮が積尸気という異次元との繋がりを持てなくなっただけなのであるが、未だあの死に顔がデスマスクに殺され彼に恨みを持つ死人たちだと思っている紫龍は、デスマスクが死んだことによってそれらが消えたのだ、と当たり前に解釈した。
「これでこの巨蟹宮も、悪の臭いが全て消え果てて、アテナの十二宮のひとつに相応しいものに生まれ変わるだろう!」
 紫龍の声は、石造りの神殿の中に朗々と響き、そしてそれはひどく満足げで清々しい声色であった。
 悪、紫龍はいま、デスマスクをそう断じきった。そして彼の中に今満ちているのは、自分はアテナの正義を掲げる正しい聖闘士としてその悪を完膚なきまでに倒したのだと、それによる充実感と達成感、そして味わったことのないほどの無敵感だった。
 黄金聖闘士であるデスマスクの域まで小宇宙を高めたことによるその現象は、紫龍の気分を、感情を増大させている。
 紫龍の漆黒の目が、先程燃やした小宇宙の残り火で輝いていた。
《──紫龍》
 己の小宇宙に直接語りかけてくるその声に、はっ、と、紫龍は目を見開いた。意識を集中して辿れば、すっかり耳に馴染んだ大滝の轟音までもが、師の小宇宙の後ろで感じられる。
《紫龍、春麗は無事じゃ。案ずることはない》
 春麗。その名前を聞いた途端、紫龍は、頭の中が真っ白になった。
《デスマスクめ! 攻撃的テレポーティションなど、この儂の前でやりきれるわけがなかろうに》
 ホホホ、と童虎は笑った。老人の強大な小宇宙は、彼が気を失った少女をそっと抱えているところまでを知らせてくれる。
「春麗、良かった……」
 しかし紫龍は、戸惑っていた。
 師に礼を言いながらも、紫龍のその声は、震えていた。それは、彼女が無事である、そう聞かされてどっと安心が押し寄せたから。だがそれとはまた別の所で、頭のどこかがぞっとするほど冷えるのを、紫龍は感じた。
(──俺は、今)
《ところで紫龍よ、おまえ目が見えるようになったようじゃの》
「は?」
 ぐるぐると思考が渦巻いている所に声をかけられ、紫龍は少しひっくり返った声を上げる。
「あ、ほんとだ、紫龍の目が……」
 瞬が、紫龍本人よりも明るく前が開けたような声で言った。そして紫龍は、童虎の言う通り、積尸気から戻った今も変わらず視覚があることに、今更になって気付く。
 童虎は、デスマスクという強大な敵を倒す為に小宇宙を最大限燃やしたことが原因だろう、と述べた。そしてそれは、正解である。生命力そのものである小宇宙は、燃焼することで尋常でなく怪我の治りを早め、また病気からも肉体を防御する働きをもたらす。肉体に作用する小宇宙の力、“勇”である。
 自らほぼ完全に眼球を潰した紫龍は、現代医学のどんな技術を用いようと、その視力が元に戻ることはないだろう、と言われていた。しかし黄金聖闘士の域、即ちセブンセンシズの域にまで高めた小宇宙が、壊滅した肉体の再生さえも可能にしたのである。
 身体のどこかを欠損しても、脳はまだその部位があるように働く。ないはずの足に痛みを感じる幻肢痛がそれを証明するが、紫龍の脳もまた視力がある状態であったときのはたらきが残っており、眼球そのものを復元しさえすれば、再び問題なく眼球と脳が連携して視力を取り戻すことが出来るのである。
 そしてまた、小宇宙を発揮するのも脳の働きが非常に大きい。
《じゃが、お前の目を治してくれた一番の恩人はやはり春麗かもしれんぞ。お前の無事と勝利を日夜祈ってくれている、春麗の温かい心のな……》
「は……はい」
 ありがとう春麗、と紫龍は口に出し、嬉しそうな笑みを浮かべてみたものの、それは失敗に終わった。引きつった顔は奇妙に歪み、彼女の名前をはっきりと発音することが出来ない。
 それどころか紫龍は、彼女の名を聞く度に、呼ぶ度に、冷や汗とともに血の気が引いていくのを感じていた。
(俺は)

 自分は今、老師から聞くまで、春麗のことをすっかり忘れていた。

(俺は、今)
 デスマスクに彼女を害され、それによる激昂で、紫龍はデスマスクを大きく追いつめた。その事実がなくても、紫龍は自分の為に痛々しいほど祈り続けている幼馴染みを、とても大切に思っているはずだった。
 しかし今、彼は、勝利の興奮に酔いしれ、何の罪もないのに滝壺にたたき落とされた彼女のことを、綺麗さっぱり忘れ去っていたのである。
(──そんな)
 ぞっとした。その途端、紫龍は恐怖した。
 紫龍は、小宇宙の燃焼の影響で自分の気が非常に大きくなっていたことを、たった今初めて自覚した。
 自分は、勝利した。だがそれは、つまるところ殺人なのだ。
 一輝が率いていた暗黒聖闘士、そして聖域が寄越してきた白銀聖闘士との戦い。紫龍はその戦いによって、既に数人の人間を死に至らしめている。
 最初は、随分戸惑った。恐怖し、悩み、罪深さに溺れた。嘔吐し、食事を受け付けられず、眠れない日もあった。
 だが段々と、次から次に戦いが起こるに連れて、その感覚は意識の海に沈んでいった。悩んでいては、迷っていては、殺される。それが現状であったからだ。目の前の的を倒す、殺す、それに専念しないと、自分が殺される、死んでしまう。そして戦いの中で強くなるのと比例して、いつしか吐くことはなくなり、そして明日の戦いに備えてぐっすり眠るようになった。
 その果てに、今。自分は敵という人間を殺し、そしてそれを、正義が悪を倒したのだと──正しいことをしたのだと宣言した。人が人を殺すこと、それが正義の前では、アテナの正義の前では肯定されてしかるべきものなのだと、高らかに謳ったのである。
(俺は)
 紫龍は、思わず拳を握る。そしてその手がたった今成し得たことを思い、戸惑った。これは、敵を倒した手。そして、人を殺した手だ。
(俺は、今、なにを)
 紫龍は知らないことであるが、デスマスクが定義した、“アテナの聖闘士”として至上のあり方とは、“何も考えないこと”にある。アテナの正義を守ること、ただそれだけが正義であり、どんな理屈も申し立ても無用、無駄と謳うスタンス。先程の紫龍は、まさにその境地に立ったといえよう。
 だが今、紫龍はこの上なく戸惑っていた。
 幼馴染みの名をすっかり忘れ去り、自分の、アテナの正義の勝利に酔いしれていたという事実。

 ──そして、彼女の名を聞かなかったら、自分は今、この事に気付きもしなかったであろうことにも。

《さあ、まだ戦いは長い。行きなさい! 無事を祈るぞ、紫龍よ!》
「はい、老師」
 師の力強い激励の言葉に喝を入れられ、紫龍は未だ戸惑いの残る我が身を奮い立たせ、微妙に震える声でそう返事をした。
 今自分が感じたことは、おそらくとても重要なことだろう。しかし今、事態は非常に切迫している。この状況下、つまり戦争中においては、相手の命を考えるのは自分たちの命を脅かす原因ともなり得、また未熟な自分は、生き残り勝利する為、余計にそうあらねばならないと、紫龍はここ数日の激しい、そして初めての戦争体験の中で重々学び取っていた。
「よかったね紫龍、目が完璧に良くなって……」
 紫龍の状態を把握しているのか居ないのか、瞬がそう話しかけてくる。
「……ありがとう、瞬」
 そして紫龍は彼の薄茶の目、そして戦争には甚だ似合わない可憐な造作の顔を見て、しっかりしなければ、と今度こそ自分を奮い立たせた。
 日本で再開してから彼と過ごしてきた結果、紫龍はこの戦いが終わったら、彼に聖闘士をやめるように言ってみるつもりだった。
 一般人にしても優しすぎるほど優しく、また魂の根底から他人を傷つけることを嫌う彼は、どう考えても戦いに向いていない。己とてこの状況を楽しんでいるわけでは決してないが、おそらく、戦いによってもたらされる精神的な色々な重圧に、瞬は自分よりももっと苛まれているだろう、そう思ってのことだ。
 同じ血を分けた兄弟、聖闘士になる為に同じような辛さを味わってきたこの弟に、紫龍は出来るだけ辛い思いをさせたくなかった。
「それより、先を急ごう! 氷河のことも気にかかる」
「うん、ぼくもそれが心配なんだ……氷河の小宇宙が消えてしまったなんて……」
 二人は眉をひそめて頷き合うと、ダッと階段を駆け上がりだした。
「──次の獅子宮では、星矢が既に戦っているはず! 急ぐぞ、瞬!」
「うん!」



 そして、五老峰。
 春麗を部屋まで運び、同時に遠方にて階段を昇っていく弟子たちの小宇宙を感じながら、童虎は再び大滝の前に座した。
「……素直すぎるのも、厄介なものじゃて」
 童虎は、己の弟子について、本人よりも正しく深く理解していた。
 紫龍は素直で、それ故に覚えが良い。言われたことを忠実にこなし、頭から信じ切るが故に上達が早い。優等生、という評価が紫龍ほど似合う者もそう居ないだろう。
 だがそれだけではならぬ、と童虎は前々から案じていた。紫龍の素直さや真面目さはかけがえのない美徳ではあるが、それ故に自我というものを見失い易い性質でもある。応用、融通の利かない性格、と言い換えてもいいかもしれない。
 そしてそれは、アテナの聖闘士としての適性を何よりも満たす条件のひとつである──とデスマスクは考えていたが、童虎もまた、その意見には同意していた。アテナを守れと言われれば守り、アテナが正義だと言われればそれを信じる。なぜそうなのか、とは考えない。これが、神の戦士として、アテナの聖闘士としてもっとも適した資質であると。
 だがこの資質、人間だとすればどうか。
 人間は生まれて数年もすると、「なぜ、なに、どうして」を連発するようになり、多くは親や大人を困らせる。
 それは大人にとって微笑ましくも面倒なものなので、言われたことを疑問も感じずそのまま飲み込んでくれる素直な子供は、一見、大変可愛げのある“良い子”のように感じられる。しかし「なぜ、なに、どうして」を考えない子供は、人間としての情緒や自我の発達において、例外なく発達が鈍い。どうしてかといえば、「なぜ」と感じることこそが、学習する生き物である人間にとっての進化への階段であるからだ。
 前聖戦の生き残りである童虎は、聖闘士というものがどんなものなのか、痛いほど見てきた。その多くの生き様は、死に様は、いつだって「アテナの為」であり、己の為に、もしくは大切なたった一つの為に生き死んでいく聖闘士は、聖闘士ではないといわれていた。
 だが、童虎は思う。それでいいのか、と。
 自分たちは人間として生まれ、そしてそれでいて小宇宙に目覚め、神と戦う神の戦士、すなわち女神アテナの聖闘士となった。だが聖闘士の最も大事な資質とは、「なぜ」を考えないこと、人間としての発達の一切合切を捨て去ることにあるという。それは、人間として成長する、もっと大きく言えば進化するという事を捨てる行為とも言えるだろう。
 それは、神に仕える聖職者たちが、異性との接触を断つ、という行為にも似ているような気もする。異性を拒むという事は、要するに子孫を残すことをやめること、命のサイクルを止めることである。新たな人間が生まれること、自分の血を引く子供が生まれることを阻止するその行為は、人間という生物の進化を根底から止める行為に他ならない。
 実際、聖闘士も、「少年」であり続けることが重要と特に強く推奨されていた時代があった。異性を断ち、処女神アテナのごとくあれと。
 しかし、ここ五老峰で短い間を過ごし、そしてたった今この世から去ったあの男は、十数年前、童虎の話にも逐一質問を投げかけ、始終「なぜ」を考えていた。なぜそうなのか、どうしてああなのか、これは何か、あれは如何にして。
 学習。人間が進化せんとする行為を、彼は息をするよりも熱心にやり続けていた。
 彼は己の弟子に、「人生の修行」と称した学習を多くさせていた、という。教え込むのではなく考えさせ、言いつけるのではなく、どう思うかと聞き出した。それは聖闘士を育成する方法としては全くもって間違った方法だ。だが、彼はそうした。
(あれは、最後まで人間であった)
 彼が命を落としたいま、童虎が思うのは、つくづくとそれであった。
 デスマスク、彼は最初から最後まで聖闘士であることを拒み、人間であることを貫き通した。そして、男を受け入れず母とならない処女神アテナに一切従わず、子を産む女を敬愛し、人間の子供を育て、そしていま、逝った。
 人として生き、人として、死んだ。
 そのことについて、童虎はいいとも悪いとも思っていない。ただ、新しいことだ、と思っている。
 アテナのあり方、聖闘士のあり方を真っ向から否定する者。人間であろうとする者が聖闘士の中から、しかも黄金聖闘士の中から現われ、そしてこうしてアテナに反旗を翻したこと。これは非常に革命的な現象である、と、二百何十年も聖闘士であり続けてきた老人は、深く感じ入る。
 童虎は、聖闘士だ。二百四十年もの間、、心臓の鼓動すら止めて、ひたすら滝の前に座り続けてきた者だ。
 神にとっては一瞬かもしれない、しかし人間にとっては途方もなく長いその年月の間、童虎が「なぜ」と思わなかったわけではない。
 女神の仰るままに、聖闘士としてこれ以上なく女神に忠実な任務をこなし続けると同時に、童虎は「考える」ようになったのだ。
 最初は、なぜ己ばかりがこんなに辛い役目を負わねばならぬのかという不満から。いくら納得した上でのことだといえども、年月は心を迷わせるようになるものだ。だがその激情が枯れ果てると、童虎は色々なことを考えるようになる。ただただの監視、座り続けるというその行為は、自然と瞑想に繋がった。
 そして童虎は、知った。瞑想すること、「考える」ことこそが小宇宙を確実に増大させるという事を。その事実を、デスマスクたちは仁・智・勇のうちの“智”と呼んだ。

 神という存在に対抗し得る唯一の要素、小宇宙。それを成長させる何よりの方法が、人間の進化の方法と同じであったということ。この事実から生まれた疑問の答えを、童虎は摸索し続けてきた。
 考えることなど不要、人間を捨てろ、神の為に命を捧げよと、聖闘士はその存在が生まれた数千年前から言われ続けてきた。
 だが、歴史を振り返って見てみれば、どうか。

 聖戦は、何度同じように繰り返されている?
 いつまでも決着がつかないのは何故か?
 なぜいつも、また破られ繰り返されるとわかっている封印を決着として用い続けるのか?

 答えは、もう出ている。

 ──それは、

 考えることをやめ、学習することを放棄し、異性との交わりを絶ち、子供を残さないこと。成長を捨て、少年であり続けること。──進化を捨てること。
 同じ周期で繰り返され、何かをより良くするでもなく同じように戦い、そして終わらない聖戦。その原因はここにこそあるのではないか、と童虎は既に確信の域に入った“考え”を持っている。
 学習しない者、成長しない者は、同じことを延々と繰り返す。こうすればより良くなる、こうしたら悪い方へいってしまう、そんな事を一切からだ。
 その点、デスマスクたちは、どうだ。
 聖闘士が何千年も前から単なる力の一種として漠然としてしか捉えて来なかった“小宇宙”というものについて、彼らはその性質を考察し、研究し、そしてより効率よくそれを高める方法を見出した。童虎がここに百年座り続けてようやく気付いたそのことに、あの若者たちは、若さ故の「なぜ」の好奇心と、努力と才能をフル活用した向上心によって、約十年ぽっちで辿り着いたのである。
 この事実だけでも、人間という生物が持つ、「考えること」「学習すること」、そしてそれによって「進化すること」の凄まじさは、小宇宙という存在以上に、人間特有の素晴らしくかけがえのない特性であるように思えてならない。
 しかし至上の聖闘士のあり方が「考えないこと」であることが、既に数千年間言われ続けた「常識」であることもまた事実である。
 そして彼らは、いま十二宮の頂点を乗っ取っている彼らは、その常識を覆さんとした者たちだ。長らくの常識を新たな思想で覆すこと、それは覆される側にとっては謀反やテロと呼ぶべきものであり、しかし覆そうとする側は、クーデター、反乱、革命と称する。──どちらもが己を正義と称しているが故に、その対立は戦争と呼ばれる。いまの場合は、片方が神であるからして、アテナが絶対的に正しい──と、されているが。
 その絶対正義であるアテナは、童虎は、そして紫龍たちは今、“彼ら”を反逆の罪人と称し、それを討伐するという名目で戦争を起こしている。
 もちろん童虎はアテナ側の陣営に属し、その勝利の為に動くことに異存はない。しかし、万がいちにもこちらが負けたとき、聖域は、聖闘士は、聖戦は、──いや世界は──どうなるのだろうか、と感じ、何か新しいものが生まれつつある興奮を感じてしまうのもまた、正直な所だった。

 彼らがもしアテナを倒し、真実聖闘士たちの頂点に立つ者として来るべき聖戦に立ち向かったなら、どうなるのだろうか──と。

 たったいま築かれているアテナの正史でいうならば、“畏れ多くもアテナに反逆を試みた重罪人を討伐せん”となっているところだ。しかし、もし万がいちアテナの方が倒され、“人間が反乱を起こし、神たるアテナを倒し革命を為す”と歴史に記される結果になったなら。
 革命とは、常識を覆すことである。すなわち、考えたこともないようなことを実行することにある。
 数千年続いてきた常識、すなわちアテナが絶対であるという事を覆す、などという事を考えた者が、今までの常識の中、聖闘士の中で、存在しただろうか。そしてそれが実行され、万がいちにも成功した時、聖闘士は、世界は、どうなるのだろうか。

 あの銀髪の少年は、童虎が、かつてのどんな聖闘士が考えたこともないことを、矢次早に捲し立てたものだ。

 ──あんたが監視してるハーデスの軍勢、それはどれぐらいの勢力が封じ込められている?
 ──その封印が解けるのは最速でいつ?
 ──封印が解けたら具体的にどうなる?
 ──なぜ封印の周期を長くする方法を摸索しない?

 童虎はそれらの質問に、何一つ答えることが出来なかった。そして好奇心旺盛な、すなわち人間として非常に優秀な少年は、そんな事を考えたこともないというかつての聖闘士たちに、理解出来ないものを見る目を向けた。
 人間。十年ぽっちで小宇宙という根本的な存在についてああまで厳密な論理を打ち立て、それに基づく計画的な育成法によって多くの白銀聖闘士を輩出した彼らが、万がいちにもアテナを打ち倒し、聖闘士を総括する存在になり、そしてそれによって、聖闘士そのものが、“女神の”ではなく、“人間の”聖闘士となったなら。
 こ度の聖戦に勝利することが無理だったとしても。──しかし人間は、敗北すら成長の糧とすることができる。失敗は成功の母。人間が生み出した格言だ。
 人間となった聖闘士は、敗北はしても、きっと生き延びるだろう。勝利の為に、神の為に命を捨てることを美徳と重んじる神の戦士と違い、彼らは最終的には生き延びることこそを重んじる。女たちは子供を生み、男たちは命がけで妻子を守り、逃がす。それが人間という生物だ。
 彼らは生き延び、先輩の敗戦から多くを学びとるだろう。そしてそれを子供たちに授け託すことによって、その次の聖戦で、今まで一度も得ることのなかった“完全な勝利”を掴むかもしれない。
 ハーデスの軍勢の詳しいデータを弾き出し、封印のメカニズムを暴き、それによって永久の封印法を編み出すかもしれない。不老不死の神に仕え、聖戦を「終わるもの」と考えたことすらなかった今までの聖闘士たちと違い、寿命を持ちどこまでも人間であるが故に進化を摸索する彼らなら、聖戦を何としてでも繰り返さないように努力するだろう。「戦争」を繰り返さない為に、「平和」を得ることに、奔走しようとするだろう。
 ──だがアテナが、紫龍たちが勝利すれば、決してそうはならない。彼らは命を賭して戦うだろうが、……それだけだ。彼らは決して、
 親を受け継ぎ、先輩から学び、子を、血を残して生を紡ぐ人間。彼らが繰り返す生死のループ、それは経験や学習を受け継いで繰り返す事によって進化を伴い、ひとりひとりの人生の中での成長が、人間、人類という大きな括りでの進化となる。
 しかし、聖闘士の死は、生に一切繋がらない。
 彼らが異性の手を取ることはなく、子供を残すことはない。考えることはなく、成長することはなく、少年のまま、進化を捨てて、ただ死ぬ。神の為に、神が掲げる正義の為に、命を捧げて死地に赴く。それがアテナの聖闘士としての至上のあり方であり、また数千年繰り返し続けてきた「常識」だ。
 聖戦と、それに勝利する事によってもたらされる、期限付きの平和。何百回と繰り返されてきたそのループが、アテナによってまた続く。それはアテナが不老不死の神であり、聖闘士が人間を捨てた戦士だからだ。
 アテナは神だ。故に永遠に変わることはなく、だからこそ絶対である。人間を捨てた戦士は、先輩から何かを学ぶことはなく、後輩に何かを託すこともなく、ただ自分の代を戦って死ぬ。彼らは死ねば全てが終わり、冥界ではコキュートスに落とされ、魂の転生すら出来ない。
 よって、聖闘士の生死によるループは、リセットの繰り返しとも言える。終われば、また一からのやり直しだ。

「……学ぶがよい、紫龍よ」

 それは、小さな、老人のひとりごとだった。
 しかしそれは、聖闘士の師としては相応しくない言葉だ。子や、孫や、弟子に向けて送る、ごく当たり前の言葉ですら、聖闘士には不必要なものである。
 だが童虎は、アテナの命によって人間の限界を超え、二百数十年を生き、そして密かに考え続けるようになり、……そして紫龍・春麗という人間の子供を育てるようになってから、初めて、そんな事を願うようになった。
 よく学べ、と。
 初めてその言葉を口にしたのがいつだったかは忘れたが、しかし、ごく自然に口から漏れたように覚えている。そしてその直後、なぜだか泣きたいような胸の痺れがあったことも、良く記憶している。
 師として弟子に「学べ」と言うことは、受け継げ、ということである。
 聖闘士たちの中で、師弟というものは絶対的な関係でもある。とくにアリエスの場合は修復師としての師弟でもあるので、一般的な職人の師弟の例に漏れず、その関係は聖闘士の中でも厳しい。
 子を残さず進化を捨てた聖闘士にとって、己の技を受け継ぐ弟子というものは、人間としての本能を唯一残せる場でもある。もちろんデスマスクのように「人生の修行」などを行なわせるのは言語道断だが、それでも、受け継ぐもの自体が人間を捨てて磨いた技でも、自分が生きて築いたものを誰かに託すという行為には違いない。
 初めて弟子を持ち、そして学べと、受け継いでくれと口にした時、童虎は、胸が打ち震えるほどの感動を覚えたのだ。
 何も出来なかった子供が、小さな少年が、己の教えた技を再現出来るようになる度に、童虎は嬉しかった。それは、かつて幼かった頃の己がまた育っていくのを見るような気恥ずかしさと、自分が生きて習得したものが、己が死んだあとも彼によって続いていくという誇らしさでもある。
 また、春麗。虎も出る山の中に捨てられていた赤子の泣き声を聞き留め、放っておけずに拾い上げた女児。
 最初は、そんな事もあるだろう、と軽く思っていた。しかし、立つことすら出来ない、柔らかく、小さく、無力な赤子を抱いたとき、どうしてこんなことをするのか、と、切ないほどの怒りが童虎に沸き起こった。何らかの感情を沸き上がらせたのは、その時で数十年ぶりであったような気がする。
 人間は、いや生き物は、命を紡いでいく生き物であるはずだと、童虎はやるせなくなった。女は子供を産むものであり、そして男はそんな妻子を命を掛けて守るべきであり、親は子供を育てるものであるはずだと。
 しかし、春麗は捨てられていた。童虎が居なければ確実に死んでいたであろう山の中に、放置されていた。童虎は、それが悲しかった。己は聖闘士で、子供を残すことはない。しかし聖闘士でない人間たちは、そうではないはずだと。
 そして童虎は、子供を育てた。人間のように、子供を育てた。
 紫龍も春麗もまだ幼いが、仲睦まじく、十分夫婦に見えることすらある。己の技を受け継いだ少年と、娘のように慈しんで育てた少女がもし命を紡いで子を生したなら、と考えたとき、童虎は泣きそうになった。人間を捨てて聖闘士になり二百数十年の果て、童虎は、孫を心待ちにする普通の老人のような気持ちに至ったのである。可愛い娘に相応しいように、という気持ちだけで紫龍を鍛えた瞬間も、正直をいうと決して少なくない。
 子供を育てるという、聖闘士にあるまじき行為。しかしその中で見出したきらきらと輝く沢山のものは、童虎に様々なことを
 このまま聖戦が起これば、紫龍は死ぬ。何百回と繰り返されてきた聖戦が漏れなくそうであったように、女神に殉じ、聖闘士らしく命を捧げ、子も残さず死ぬだろう。それは神に殉じた英雄として、聖人として、祭り上げられてもいいほどに立派なものだろう。
 だがそれは、童虎が思い描いた人間らしい未来と比べ、なんと殺伐として虚しいものだろうか。すくすくと育ってゆく子供たち。その命は、こんな風に、受け継がれることもなく、ただ消費される為にあるのだろうか?
 ──何の為に生まれてきたのだろうか?
 聖闘士として満点の答えは、「それはもちろん、地上の平和、女神アテナの正義の為に」、である。だが、童虎はここ十数年、どうしても考えてしまうのだ。
 聖闘士とは、──我々は、

 このままで、いいのだろうか?

「……学ぶが良い、我が弟子よ」
 二百数十年聖闘士であった童虎は、今更変わることなど出来ない。人間にあるまじきその年月は、前聖戦でのかつての仲間たちの命を、生き様を背負ったが故の年月である。それを覆すことは、神を裏切るよりも重い罪だと、童虎は感じている。
 だが、子を残せぬ聖闘士が、唯一生きた証しを残せるのが、弟子という存在だというならば。
「学んでくれ、紫龍」
 託したい。この迷いすらも。
 素直で真面目なあの弟子が、数千年続いたアテナの聖闘士としての常識をそのまま飲み込み、何も考えないまま神に殉ずるのは、仕方のないことだろう。だが童虎は、あえて彼に悩み、迷い、そして学び、その中から、見出してほしかった。
「答えを」
 悩み抜いた果ての結果が、今までの常識と変わらないものであれば、それはそれでいい。しかし童虎は、紫龍に、色々なものを見てほしかった。そして自分の側にはいつも春麗が居ることを、ただひたすらに無事を祈って心をすり減らしている人間の娘が居ることを、心に留めておいて欲しかった。
 ──その上で神に殉ずることを選ぶなら、それはもう、仕方が無いとしても。
「聖戦……」
 ハーデスが封印されているというその方角、見飽きた景色を眺めながら、童虎は思いを馳せる。聖闘士は、残すものもないままリセットのループを続けて行く虚しい戦士は、永遠にそうありつづけるしかないのだろうかと。
 神に逆らう言葉かもしれない。かつての仲間を裏切る言葉かもしれない。二百数十年を無為にする言葉かもしれない。
 だが、老人は、祈った。
「……願わくば」
 そうでないように。数千年続いてきたことではあるけれど、願わくば。
「この世界に……、一条の、光明を」
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BY 餡子郎
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