第11章・Fürchten machen(怖がらせ)
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「あ、じゃあ、師匠は仁・智・勇のどのあたりになるんですか? シュラさんと同じですか?」
「おいおい、あんな格闘馬鹿と一緒にすんじゃねえよ。俺はここ」
 デスマスクは、最初の三角形の『智』と『仁』の間にぐりぐりぐりぐり、としつこく黒い丸を書き、その横に大きく“D”と書き入れた。
「……『勇』ダメなんですか師匠」
「いきなりマイナス点を指摘する奴は嫌われるぞ小僧」
「痛ああああいだッ、いだ、だいだいだい! スンマセンスンマセンでしたギャ────ッ!」
 目にも留まらぬ早さでもって、ガッ! と盟の顔面を掴み、両のこめかみを挟みこむようにしてギリギリと絞めあげたデスマスクに、盟は本気の悲鳴を上げた。フリッツ・フォン・エリックを開祖とするプロレス技アイアンクローは、師匠であるデスマスクの得意技でもある。プロレスラーみたいな名前だと思ったら本当にプロレス技が得意なんですね、と盟は言ったことがあるが、その時はアイアンクローのままハンギングツリーという地味に凄い大技をかけられたので、二度と言うまいと盟は心に決めている。
 凄まじい力で与えられる痛みに、盟は形振り構わずデスマスクの腕をばしばし叩いたが、やはり絶望的なほどにびくともしない。太い指の間の向こうで赤い目がニヤニヤ笑っているのが、涙でぼやけた視界に見えた。鬼がいる。
 そして盟がいよいよ限界だという頃合いを正しく見極め、デスマスクは手を離した。生かさず殺さずの頃合いを見極める事に関して、自分の師匠ほど熟れた人間は居るまい、と盟は本気で思っている。ヤキ入れのプロと言ってもいい。何で自分の師匠はこんなにヤクザなのか、と盟はつくづく思った。聖闘士とか言って本当はマフィア活動もしてるんじゃないのか、とも。
「まあ、お前の言う通り、俺は喧嘩が弱い」
「どの口で!?」
 痛みに涙目になりつつ、盟は律儀に突っ込んだ。
「だから、黄金聖闘士の基準でだよ。俺は肉弾戦に関しちゃ、下から数えた方が早いぜ? 最下位かもしれん」
「えええええええ、どんだけですか黄金聖闘士……てゆーか師匠、堂々と喧嘩弱いとか最下位とか言わないで下さいよ……」
「うるせーな、いいんだよ俺は体育会系じゃねえんだから。ほら喧嘩とか野蛮だろ。平和主義って素晴らしいよな」
 なんでこの人は口が腐ってないんだろうか、と盟は思った。とりあえず、その胡散臭い微笑みをやめて欲しい。
「いやでも俺、本当に喧嘩嫌いなんだよ。だって痛いじゃん」
「じゃん、じゃありませんよ。なんでそんな堂々としてるんですか」
「弱いものイジメは大好きなんだけどな。一方的な搾取ほど胸がときめくもんもないよ」
「あのすみません、さらりと外道な発言をしないで下さい」
 アンタ地上を守るアテナの聖闘士じゃなかったんですか、と盟が弱々しく言うと、デスマスクはあろうことかビッと親指を下に向け、「犬に食わせろ」とほざいた。下品すぎる。
「理想的なのは自分では手を下さず下のもんにやらせて、失敗したときは上司に責任が行くっていう感じだな。権力は大好きだが責任までは負いたくねえもんな」
「師匠、さすがにもう聞きたくないです!」
 笑顔で少年の夢とか希望とかをぶち壊しまくって行く師匠に、盟はとうとう悲鳴を上げた。盟はこの師匠の事が好きだが、やはり本気でド外道なのも確かである。なんでこんな人間が聖闘士、よりにもよって黄金聖闘士になれるのだろうか、という疑問を抱きながら、盟は無駄に堂々としている師匠を見た。
「まあとにかく、俺はあれだ、頭脳労働組なわけだ。文系聖闘士」
「文系聖闘士……」
 ものすごく弱そうなその響きに、盟は微妙な表情を浮かべた。
「それにな、元々俺は『仁』の才能がアリアリだ。自慢だけど」
「うわあ、すごいですねー」
 棒読みである。しかしそんな弟子を無視して、師匠は続けた。
「俺の積尸気冥界波は、問答無用で相手の魂を引きずり出して積尸気にポイっていう素晴らしい技だ。無駄な労力を使わない一方的な搾取。地球に優しいクリーンな殺人」
「地球に優しいって何ですか……」
 もはや突っ込む気力も失せてきているが、盟は一応言ってみた。
「だってお前、建造物破壊や自然破壊も伴わなけりゃ血飛沫すら出ねえんだぜ? これ以上周りに迷惑をかけない、しかも完璧に“地上”っていう陣地を守れる優秀な戦争もねえよ」
「……あ」
 そういえば、と言いかけて、盟はさすがに口を噤んだ。
「そこんとこ、俺がもっと『智』の修行を積んで小宇宙の絶対量を増やせば、いち都市の人間を一気に積尸気に放り込む事も可能なわけだ。いやあ、本当、核は廃絶すべきだな。俺にやらせりゃ放射能汚染もないんだし。誰か雇ってくんねえかな」
「……ブラックジョークにも程がありますよ、師匠」
「ジョーク?」
 デスマスクは赤い目を細め、まるでカーニバルの道化師のような笑い方をした。
「ジョークだと? それこそ笑えねえ冗談だぜ、メイちゃん。俺は本当にそれが出来るんだぜ、冗談でも何でもなくな。そしてそれが聖闘士だ。神でもないが人間でもない」
「…………」
「ヘラクレスやアキレウスを始めとする英雄達は、片親が人間で片親が神という存在だ。だがそういう子供達が、皆英雄と呼ばれるわけじゃねえ。じゃあなんて呼ばれるか知ってるか?」

 ──ばけものだ。

 デスマスクは言った。笑いながら。盟が、ごくりと息を飲む。
「は、何をびびってんだ? お前はそれになろうとしてるんだぜ、小僧。実に順調にな」
「……順調、に?」
「そうさ。お前はもう小宇宙に目覚めてる」
 あっさりと言われたが、盟は今度こそ、本当に驚いた。
「そんな、……まさか! だって俺、まだ岩もろくに割れない──」
「だから、その考えはとっくに時代遅れだって言ってんだろ」
 ふん、とデスマスクは嗤った。
「俺がお前にずっと課して来た修行は、全部『智』の修行だ」
「……音楽とかゲームとか服とか料理とかナンパとかがですか?」
「そう、宗教学、戦争史、政治学、物理学、数学、科学、数カ国語の習得エトセトラエトセトラ」
 にやにやと笑いながら、師匠は言った。満を持してネタばらしをするぞ、というような風情だった。
「じゃあ聞くがな。……お前の年で、そしてたった4年で、しかもこれだけの節操のないジャンルのものを一から学んで一つ残らず大学レベルで論じるなんて芸当が、“普通”、出来ると思うか?」
「……えっ?」
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした盟に、デスマスクは更に深く笑った。他人をおちょくる事に全身全霊をかける悪魔の笑みである。
「『智』というのはつまり具体的に言うと、小宇宙によって脳を強化することだ。それによって精神力や反応速度が高まり、回転の速い脳での瞑想は更に小宇宙の絶対量を増やす事に繋がる。よって、あまり知られてねえが、一般人の高レベル知能指数保持者なんかは、無意識的に『智』の力を使っている奴らにあたるわけだ。……ほらよ」
 驚いたまま固まっている盟に、デスマスクはどこからともなく──いやサイコキネシスを使ったのだろう、紙束を取り出し、ばさりと投げて寄越した。
「それ、何だと思う?」
「何って……テストでしょ。俺の」
 確かにそれは、先日盟に出題された、テストの答案だった。出題範囲が非常に広いそれを、デスマスクは盟がひとつの課題をこなすごとに一度ずつやらせるのだが、いま投げて寄越したのは、一番新しい答案である。
「IQテストだ」
 驚きっぱなしの弟子を前に、知り合いの大学教授経由で取り寄せてるちゃんとしたもんだぜ、とデスマスクはさらりと言った。
「お前のIQな、いま、162。余裕で飛び級入学できるぜ」
「え、ちょ、……え、……マジで?」
「俺の英才教育は完璧だぜ、チャーリィ君」
 会話内容に反してなんだか頭の悪そうなリアクションを取る弟子に、師匠はあっさりと言った。
「そらみろ、やっぱりスゲーのはお前じゃなくて俺さ。だってお前、こうやって結果見ても努力した実感すら湧いてねえだろ」
「…………」
 盟は、言い返せなかった。そして、先程と比べ物にならないほどムッとした。
 ──自分はかつて、誰よりも恵まれた所に居た。まさに上げ膳据え膳の生活、しかし兄弟の為に、そして自分の為にそうであってはならないと幼い決意を固め、ここまで来た。だがどうだ、自分は結局また、父親ではなく師匠が上手く引いたレールの上を走っていたのだ。しかも、今回はそうされていることに気付きもせず。
 それは自分がいかに矮小でちっぽけであるのかということを、盟に重々自覚させる事実だった。結果的に盟の損になったわけではない、むしろ逆だ。だが、いいように踊らされていた結果としてそうである事が、盟には何より不服だった。
「俺ほんと優秀すぎるよなー。知能指数を後天的に劇的上昇させる技術なんぞ、発表したらこれノーベル賞固いぞマジで」
 おちゃらけた口調だが、内容は冗談ではない。知能指数は訓練によって多少上昇させることができるものだが、基本的に、あくまで多少にすぎない。それができていれば、知能障害者は存在しないのだから。
「てゆーか、チャーリィ君って……本当に大丈夫なんでしょうね? アルジャーノンの墓が既にあったら俺泣きますよ」
「心配すんな、俺を信じろ!」
(うさん臭ぇ……!)
 グッと親指を立てた師匠を、盟は激しく不安になりながら見た。煌めく笑顔がどこまでもペテンめいている。
「……でも、具体的にどうやったんですか?」
 不服そうな表情を押さえられないまま、不貞腐れたように盟は言った。
「だって俺、言われた通りに課題やってただけですよ。確かに量は凄かったですけど、これだけでそんな結果が出るわけない」
「まあ、気付かれんようにやったからだがな」
 飄々と、デスマスクは言った。盟が眉を顰める。
「なんで」
「だってお前、努力しなくてもいいってわかっちまったらしなくなるだろ。どんだけ性格が真面目だろうと、逃げ道があるとわかってるのとそうじゃないのじゃ、発揮できる集中力は雲泥の差だ。この訓練の一番大事な所だからな、集中力」
「……ZONE?」
「正解」
 小宇宙を発揮する為の入り口である超集中現象、ZONE。命が危険に晒されたとき、「火事場の馬鹿力」としてこれを発揮することもある。しかし言い換えれば、そこまでの経験に遭遇するくらいしないと発揮できない状態だということだ。だが盟は、ここでそんな経験をした覚えはない。
「そうだ、人間はよほどの目に遭わないと、「火事場の馬鹿力」を発揮する事が出来ない。……何故かわかるか?」
「?」
「人間ってものはな、実際、生物として“ナマってる”んだ」
 デスマスクは、灰皿の中に灰を落とした。
「人間は、いま地球上で食物連鎖の頂点に居る生物だ。文明、技術、これらの進化は他の生物を圧倒的に制圧し、むしろ進化を先走り過ぎて環境をも破壊している有様だ」
「はい」
「よって、人間は“生命の危機”というものから随分遠くなった。食うか食われるかの緊張感を常に味わっている人間なんて、地球上に一握りしか居ねえ」
 盟は、頷いた。第三世界の戦地等ならまだしも、ある程度文明のあるところなら、歩いているだけで生命の危機を意識しなければならない、なんて事はない。
「だからこそ人間はどんどん小宇宙を失い、今となっては第六感を持っている人間はおろか、都会じゃあ、五感が全て鋭敏なのすら珍しい位だ」
「まあ……そうですね。平和ですから」
 平和ボケ。まさにそれである。
「その通り。だから死ぬ目にあった時、火事場の馬鹿力が発揮されるよりあっさり死んでしまう確率の方が今や高いわけだ。何百年も前の大昔だったらまた違うだろうから、聖域じゃこのやり方が未だまかり通っているんだろうけどな。ぬくぬく育った現代っ子の腑抜けた根性が、崖から落ちた位で超人レベルになるはずねえんだよ」
 ぬくぬく育った現代っ子──という言葉に、盟はぎゅっと唇を噛んだ。もしかしなくても、この師匠は、盟の育ちがどんなものだったかわかって言っている。
「だからお前を崖から落としたって、死ぬ確率のほうが高い。そこで俺考案の小宇宙覚醒法を試したわけだ」
「はあ……」
 盟が、曖昧な相槌を打つ。デスマスクは煙草をひと吸いしてから、言った。
「お前、俺がここに居る時と居ない時じゃ、課題の進み具合が違ったろ」
「……そう……いえば。……はい、そうですが」
 だが、単に師匠が居るので緊張感が増したのだと思っていた、と盟は言った。
「ヒーリングはわかるな?」
「相手の小宇宙の波長に同調する事で小宇宙を分け与え、怪我や疲労を回復させる技術……」
「そうだ。仁・知・勇のどれにも当て嵌まらない例外の使い方でもある。俺はな、少ォしずつ、このヒーリングを施してたのさ。お前の頭に」
 トントン、とデスマスクは自分のこめかみを人差し指で小突いた。
 懸命に集中している脳に僅かに小宇宙を送ることによって、その集中力を増加させZONEまで導く。いわば促進剤のようなものだ、とデスマスクは説明する。
「だが俺の小宇宙で誘導されればZONE状態に入れる、とお前の脳が気付いちまったら、台無しだ。さっきも言ったが、生き物ってのは逃げ道がある、助けてもらえるとわかるとそっちに行く習性がある。一度飼い馴らされて餌を自分で狩る事を忘れた獣が、二度と野生に戻れないように」
 要するに、自力でZONE状態に入っているのだ、と思うよう、デスマスクは盟の脳を騙くらかしたわけだ。そして最初はヒーリングという促進剤の力を借りなければZONE状態に入れなかった盟の脳は、だんだんとデスマスクの力を借りなくても素早くZONE状態に入れるようになっていく。
「そして、もうお前は俺の力を借りなくてもZONE状態に入れるようになった。まだ多少の時間はかかるみてえだがな」
「はあ、……でも俺、そんなことされてるの、全然気付きませんでした」
「そりゃそうだ、気付かれんようにやってたんだから」
 お前の背後に立って、わからないように頭にヒーリングするのくらい朝飯前だ、とデスマスクは新しいタバコを取り出し、口にくわえて火をつけた。
「じゃあ、そろそろ最後の単元に入ろうかね。……神と人との違いについて、だ」
 ふうー、と、白い煙が広がる。それが少し煙たくて、盟は小さく咳き込んだ。
「まず最大の違いは、小宇宙の最大値。人間と神とのそれは比べ物にならない」
「小宇宙の最大値が……ってことは、神は『智』の力が凄いってことですか?」
「その通り。人間の小宇宙からしたら、神の小宇宙なんぞ無限と言ってもいい。誰にもわからない事だがな」
 フン、とデスマスクは鼻を鳴らした。
「そして散々言ったように、『智』こそが小宇宙の根本だ。小宇宙の大きさ、燃焼量。極端な話、この『智』の力が巨大であれば、『勇』や『仁』なんていう技術がなくても、ただ小宇宙をぶつけるだけで相当なダメージを与えられる」
 小宇宙には、反発性がある。ミロの小宇宙はその特性が極端に大きいが、そうでなくても、呑まれるような規模の神の小宇宙をただぶつけられただけで、それは相当のダメージになる。人間は神のように大きな小宇宙を持てないからこそ、『勇』や『仁』の技術でそれをカバーしているのだ。
「結局、最後には小宇宙の大きさがものを言う。これは昔から常に言われてる事だ。だからこそ、『智』の力を極めた神は強大な存在足りうる。……一般的な神に対しての形容として、“全智全能”って言葉もあるように」
「あっ」
 盟は、ハッとした。デスマスクがにやりと笑う。
「まあ、これはただの偶然、言葉遊びに過ぎねえがな。だがとにかく、『智』を極める事こそ、小宇宙の闘法においての最強への正道であり──」
 一拍、間を置いた。

「セブンセンシズへの、目覚めの道だ」

 ずっしりと、なんとも神秘的な重さを纏って発された言葉に、盟は息を飲む。
「……セブン……センシズ?」
「そうだ。第六感を越える『第七感』。仏教においては七識、末那識とも言われる」
「そんなものが……!?」
 あるのさ、と、弟子の言葉に被せるようにして、師は言った。
「そしてこれは、コウモリが超音波による視覚を持ち、深海魚が水深何千メートルもの水圧に耐えられる身体の作りをしているように、“神”という生き物が持つ特別な感覚だ。強大な小宇宙を操るために神が持つ超感覚、それがセブンセンシズ」
 さらさらとデスマスクは述べたが、盟が微妙な顔をしているのに気付き、僅かに笑った。
「何だ、“神”を“生き物”と言ったのが意外か?」
「……なんでわかるんですか」
 この師匠は、時々こうして気味の悪いほどに、盟の考えている事を言い当てる。
「わかるさ。俺は『仁』の小宇宙のスペシャリストだぜ。他じゃアリエスやヴァルゴに負けはするが、エムパス能力に関しちゃ誰にも引けは取らねえ。小宇宙の自覚もろくにない小僧の胸の内なんか筒抜けだ」
「う……」
 思春期の少年に対して、色々と酷な言葉である。苦々しさの極地の表情で固まった盟に、デスマスクは、クックッ、と喉を鳴らして笑った。
「聖域じゃ、大昔から、小宇宙をまるで天からの啓示だの星の運命だの、そういう「不思議な力」として──なんとも曖昧な認識で受け止めて来た。だが実際には小宇宙は脳や精神ときちんと連動していることが証明できるし、セブンセンシズだって極めて生物学的な観点からの研究が相応しい力なんだよ。もっと研究すりゃ、脳に何らかの電気信号を送るとか、特定の物質を投与するだけで小宇宙が目覚める可能性だって充分考えられる」
「そんな……」
「聖戦、神、小宇宙、聖闘士、聖域──ああ、確かにファンタジックな響きだよ。だが字面に騙されるなよ。話は極めて現実的なんだからな」
 デスマスクは片眉を上げ、赤い目で盟を見た。
「神とは何か? それは食物連鎖の頂点に立つ人間の更に上に立つ強大な生物のことだ。人間が持たない超感覚であるセブンセンシズを持ち、小宇宙というエネルギーを自在に操る」
「…………」
「そして人間は、その神の侵略に耐え得る為に小宇宙に目覚め、小宇宙の闘法を身につけた戦士・聖闘士を作り出そうとしているわけだ。どうだ、実にわかりやすい話だろう」
「……聖戦は」
 どこか浮かされたような口調で、盟は言った。
「正義……アテナの正義の為の戦争なんじゃ、ないんですか」
「アテナの正義? 馬鹿馬鹿しい。聖戦だろうが何だろうが、戦争は戦争。ただの陣取り合戦だ。生きていくための場所、地上を守る為の戦い」
「……じゃあ、アテナはどうして聖闘士を率いて地上を守っているんですか」
 それは、盟がデスマスクに今までした質問の中で、最も強い口調のものだった。怒りすら込められているようなほどの。
 だがデスマスクは、フンと鼻で嗤っただけだった。
「そんなもんは、知らん。アテナしか知らん事だ。そして神の事はまさに神のみぞ知る事」
「そんな──」
「それになあ、神なんぞどうでもいいんだよ、実際」
 聖闘士としてあるまじき台詞を、デスマスクはわざと大声で言った。
「聖戦は陣取り合戦だ。地上を守る為の戦いだ。そして地上に住んでるのは俺たち人間で、戦うのも聖闘士──すなわち人間の成れの果てだ。アテナなんぞ頼りにしてたら滅ぶぞ。神頼みほどあてにならんものはない。よく覚えとけ」
「でも」
「聖戦は」
 反論を許さない声だった。巧みな意地の悪さも、そして軽妙な論理も何もない、ただ断固とした意思を持って、デスマスクは言った。
「聖戦は、神の戦争じゃねえ。人間が神に抗う戦争だ。いざ聖戦となった時、俺たちはアテナの兵として戦うんじゃねえ。人間という種族の中で、戦う力を持っている者、神に抗える人間代表として戦うんだ」
「……でも!」
「祈るとするなら」
 どこまでも冷たい声で、師は弟子に言う。
「神に助けてくれと祈るのはやめておけ、無駄だからな。俺は10年も神に祈り続け、多大な犠牲を払い、心を殺し、それでも何一つ救われなかった男を知っている」
「…………」
「祈るなら、どうか邪魔だけはしないでくれと祈っておけ。神というのはそういうものだ」
 妙な実感がこもった声に、盟は何も言い返すことが出来なかった。4年前に初めてこの男と出会ったが、盟はデスマスクがどのようにしてこんな人間になったのか、よく知らない。だがデスマスクは盟にとってどうやっても敵わない強い意思と力を持った大人であり、そして盟は、そんな師匠を尊敬していた。……しかし、彼の言う事をそのまま鵜呑みにも出来ないでいる。だがそれも、この師匠が「言われた事を鵜呑みにするな」と様々な意地の悪い出題を散々して来た賜物であるので、盟はもう、どこまでが自分の考えでどこまでがそうではないのか、よく分からなくなって来ていた。
「神がいなくても、人は生きて死ぬだけだ」
「…………」
「生きる事そっちのけで神や宗教に縋るのは、病んでる証拠だ。だから俺はお前にいつも言ってるだろう。人生の、人として生きる修行をしろと」
 神に縋る余地がないように、精一杯人として生きろと。
「……師匠」
「少なくとも俺は、生きるのに忙しい。神に構ってるほど暇じゃねえ」
 デスマスクは、深く煙草を吸った。静かに燃える赤い炎が、一気に紙巻きを浸食して行く。
「……でも」
 ぶはあ、と大口を開けて煙を吐いた師匠を前に、盟は言った。
「……アテナは、います」
 そしてそれは灰褐色の綺麗な髪に灰色の目をした、可愛い女の子だ。一時は妹のように接していたあの娘を、盟は可愛がっていた。血は繋がっていないけれど、二度と親しく名前を呼べる事はないだろうけれど、それでも彼女を愛していた。──いや、今でもそれは変わらない。
 盟は彼女を守る為に、そして何も知らないままその為に死地に向かわされた兄弟達と同じ道を行く為に、今ここに居る。
「アテナは、います」
 だからそれを否定してしまったら、盟が生きている意味はなくなる。人として生きろというのなら、盟はアテナを、沙織を否定するわけにはいかなかった。
「……それが、お前の正義か?」
 問題を出す以外で、デスマスクが、初めて盟に質問らしい質問をした。盟が、ハッと顔を上げる。デスマスクは、まっすぐに盟を見ていた。
 盟は、ぐっと拳を握り締めた。
「はい」
「そうかい。じゃ、せいぜい貫き通せるように頑張りな」
 ひらひらと手を振って、デスマスクはぞんざいに言った。
「お前が強けりゃ、お前の正義も生き残れるさ。力こそが正義を通す唯一の力だ」
 やはり、反論を許さない声だった。盟は、黙って聞いている。
「……さて、ちょっくら話がズレちまったな。セブンセンシズについて──再開するぞ」
 言われて、盟は背筋を伸ばした。講義はまだ終わっていない。
「セブンセンシズは、神なら誰もが持っている感覚だ。神という生き物として、な。だがこれを人間が会得する事も可能だ。実際、黄金聖闘士は全員セブンセンシズを会得している」
「……はあ!?」
 思いっきり素っ頓狂な声で、盟が叫んだ。黄金聖闘士は全員セブンセンシズに目覚めている──ということは、
「し、師匠もですか!?」
「当たり前じゃん」
(じゃんとか言われても……!)
 どこまでも軽すぎるノリに、盟は目眩を覚えた。
「神は、小宇宙の規模が半端ない。すなわち『智』の力が凄まじい。よって『智』の力を磨いて行けば、セブンセンシズへの扉が開かれるわけだ。まあ、口で言うのは簡単だけどな。では、黄金聖闘士だけがそれを会得できているのはなぜか? 答えろ」
「……先天的に小宇宙に目覚めている、から?」
「正解」
 短くなった煙草を、灰皿に押し付ける。
「更に補足すると、生まれつき小宇宙に目覚めているという事は、自在にZONE現象に突入することが出来、小宇宙があって当たり前な状態で生まれてくるという事だ。後天的に小宇宙に目覚めた場合、身体が壊れない程度に小宇宙をコントロールするとか、そもそも覚醒してもいざ発動させる時に、まずZONEに入って小宇宙を高めて……という風に、まず小宇宙というエネルギーを身体に馴染ませるのに時間がかかる」
「黄金聖闘士は、違うんですか?」
「違う。……というか、俺たちは常に小宇宙が溢れているのをむしろ留める方に神経を使って過ごしている。……ほら、シュラって普段、すげえボーっとしてる時あるだろ」
「あー……ありますね」
 時々フラリと食材やら仕事の書類やらを持って現れるシュラは、時折、空を見つめてボンヤリしているときがある。そういう時に話しかけても、受け答えもどこか寝ぼけたような風である。最初はもしやラリっているのかと思った位だ。
「あいつはなあ、なんでもかんでも集中しやすいんだ。山羊座はそういうの多いらしいが……。つまりあのボーっとしてるのは、無闇に小宇宙を高めないよう、意図的に集中力を散漫にしてる状態だ」
「ZONEの逆ってことですか?」
「そうだ。ちょっと集中しただけで腕でも切り落とされたら迷惑この上ねえだろうが」
「え……」
 盟は、絶句した。それが本当なら、とんでもない危険人物である。
「びびるなって。黄金聖闘士なんて全員こんなもんだぞ。ガキの頃は、殆どの“黄金の器”が溢れ出まくってる小宇宙を制御する所から始めるからな。昔はそりゃもう凄かったぜー、ちょっとプロレスごっこすりゃ部屋が壊滅するし、ボール投げたら壁にめり込むし、泣いた勢いで宮が全部凍り付くし……。あ、これ、当事者が6歳くらいの時の話な」
「ひっ……」
 いよいよ人間としてありえない事実を聞かされて、盟は引きつった。そんな6歳児、どんなベビーシッターでも手に負えない。
「……ま、そういう事だ。先天的に小宇宙に目覚めて生まれてくる“黄金の器”は、超人的な力を持った英雄たるスーパーマンとも言えるし、ただ単に小宇宙の障害者というばけものとも言える。どっちも事実。……そしてそんな俺たちだからこそ、セブンセンシズに目覚める必要がある」
「……だからこそ?」
 首を傾げた盟に、デスマスクは頷いた。
「セブンセンシズっていうのは、小宇宙というエネルギーを扱う為の感覚だ。小宇宙が溢れまくってる俺らは、どうしたってそれを会得せざるを得なくなる。ばけものだって生きてるからな。環境に適応しないと色々と不便だ」
 自分たちの事をあっさりと「ばけもの」と言ってのける師匠に、盟はどういうリアクションを取ればいいのかわからず、微妙な顔をしていた。
「だから俺たちにとっちゃ、そこまで気合い入れて発動しなきゃなんねえ特別な感覚でもねえんだけどな。五感があるのが当たり前なように、セブンセンシズがある。──俺たちは、そういう風に生まれて来た生き物なのさ」
 食物連鎖の頂点に居るが故に精神が緩みきってしまった生物、人間。しかし“黄金の器”は、その人間であるにもかかわらず、小宇宙という力を始めから持って生まれてくる突然変異種といえるかもしれない。
 だから“黄金の器”が神と戦う為に生まれて来た運命の戦士なのだ、などと決めつけられるのもある意味納得は行くが、と、デスマスクは若干うんざりした様子で話した。
「……はあ」
 いまいちピンとこない様子で、盟は首を傾げた。
「うーん……じゃああの、小宇宙を操るって言いますけど、セブンセンシズって、具体的にどういう感覚なんですか?」
「……説明しにくい」
 デスマスクは、軽く唸った。目が見えない者に「目が見えるってどういう感覚?」と聞かれているようなものだからだ。
「……まず、セブンセンシズに目覚めていると、小宇宙のコントロールは格段に楽だ。小宇宙を最大限まで増幅したり、逆に抑えたりすることが可能になる。小宇宙を燃やしに燃やした挙げ句に辿り着けるのがセブンセンシズだが、セブンセンシズに目覚める事で更に高みへの扉が開かれる、というわけだな。上には上があるってことだ」
「はあ〜……」 
 盟は、感心仕切りな様子で聞いている。
「あと、セブンセンシズは五感全ての代わりを果たす事も出来る。仮に五感が奪われて全身不随状態になったとしても、セブンセンシズに目覚めていれば常人以上の動きが可能だ」
「……想像できません」
「だろうなあ」
 頭の周りに疑問符を飛ばしている弟子に、どう説明したもんか、と師匠は銀髪の頭をばりばり掻いた。
「……ああ、じゃあ、手っ取り早く体験してみるか」
「はい?」
 ぼそりと言った師匠に、盟はひっくり返った声を上げた。
「盟、ZONEにはもう自分の意思で入れるな?」
「はい、ちょっと時間かかりますけど」
「んん……じゃ、大丈夫だろ多分。表出ろ」
 多分、などという不吉な言葉に盟は引きつったが、デスマスクはあっさりと席を立ち、がに股でずんずん歩いてドアを開ける。盟も慌ててそれに続き、小屋の外へ出た。
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Annotate:
『アルジャーノンに花束を (Flowers for Algernon)』
 ダニエル・キイスによるSF小説。精神遅滞障害を持つ青年チャーリィ・ゴードンは、手術によって天才の域までの知能を得るも、同時に様々な苦悩をも知る事となる。
 アルジャーノンとはチャーリィの前に手術を受けたハツカネズミ。アルジャーノンに異変が起こり死んだ事で、チャーリィは手術に欠陥があり、自分もアルジャーノンのように元よりも知能を失い死に至る事を発見してしまう。人間として本当に大切なものは何か、を問いかける名作。
「神よ、私たちを助けてくれとは言いません。でも、邪魔だけはしないで下さい!」
 1969年に発表されたポール・ギャリコの小説、及びこれを原作としたパニック映画『The Poseidon Adventure』にて、神父の台詞。
BY 餡子郎
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