第11章・Fürchten machen(怖がらせ)
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 城戸邸は、贅を尽くした、いわゆる豪邸だった。
 最先端の監視カメラによるセキュリティ・システムが門の前に設置され、インターホンで聖域からの使いである事を述べれば、アポイントメントをとっているにも関わらず、たっぷり10分は待たされて扉が開く。
 ミロが居るのだからいきなり邸内にテレポートして驚かせてやろうかとも思ったが、腹に一物抱えた白々しい用件とはいえ、表向きはまっとうな訪問なのだ。必要以上に威嚇するような真似はしなくても良いだろう。
 そして聖闘士にとっては無駄でしかないボディチェックを何度も受けて、門からすると少し高台になっている邸内へ入る。
 スタスタと脇目も振らずに歩くシュラの後ろを、彼なりに抑えているのだろうが、やや落ち着きのない様子でミロが続く。
 そして、しつこいほど豪華な応接間に通された彼らは、これまた20分も待たされた。
「……待たせるのは、日本の様式?」
 じっとしている事に早くも飽きてきたらしいミロが小声でそう言った時、応接間の大きな扉が開き、数人の男達がぞろぞろと入ってきた。そして立ち位置からしてそのリーダー格らしきスキンヘッドの大柄な男が、シュラたちを見て、無い眉を顰める。
「フン、若造ではないか」
 威丈高である。
 まるでプロレスラーのような風体のその男は、辰巳徳丸という、城戸の執事であるらしい。執事という肩書きがこの上なく似合わないその男が向かいのソファに腰掛けたのを折りに、シュラは切り出した。
「今回の用件だが」
「おい、先ず名乗らんか! 挨拶もせんのがギリシャの流儀か? それともただの礼儀知らずか、若造!」
 むっとするより先に、いっそぽかんとしてしまった。
 しかし身体に合わない安スーツや取ってつけた用件で世界的企業のグラード財団を相手にするという決まらなさに気が重くなっていたシュラは、そんな辰巳に、若干気が抜けたという所もあった。プロレスラー崩れのような辰巳の着ているものは、もしかしなくてもシュラよりずっと高級だろう。年齢も、多分辰巳の方が10も上だ。
 しかし辰巳という男が、あまりにも、安スーツを纏い、彼の言う若造という年齢であるシュラにも“不足のない”程度の相手だったので、シュラはいっそホッとした。
 結果的に緊張をほぐしてくれた辰巳を前に、青い目を丸くして口を開けっ放しにしているミロを肘で小突き、シュラはやたら長い脚を組み替えてソファに深く背を預け、すっと息を吸った。
これはこれは、失礼をば致しました。仰る通りの若造でございますればご容赦頂きたく。聖域サンクチュアリから馳せ参じました、シュラと申します。……ご機嫌麗しゅう
 ミロが吹き出した。
 わざわざ全ての接続語やら冠詞やらを慇懃無礼この上なくきっちり発音した、凄まじく早口なスペイン語。呆気にとられてぽかんとした辰巳だったが、馬鹿にされた事を5秒かかって理解すると、スキンヘッドという風体も相俟って、茹で蛸のように真っ赤になった。
「きっ、貴様! 天下のグラード財団にそんな態度をとって、ただで済むと──」
「おやめ下さい、辰巳殿」
 いきり立った辰巳に、柔らかい声が掛けられた。日本語、しかし──
《ギリシア語訛りだ》
 テレパスを使って、ミロが囁いた。シュラが、気配だけで頷く。
 扉の向こうから姿を現したのは、長身の男だった。少し目尻の垂れた、プラクシテレスのヘルメス像にも似た顔立ちは、すぐにギリシア人ヘレネス──しかも血の濃いそれと知れる容姿をしている。静かな湖面にも似た瞳は、知性的で穏やかな光を宿していた。彼はゆっくりとした足取りで彼らに近付き、清潔感のあるブルネットの髪を蓄えた頭を軽く下げ、日本的な、軽い会釈をシュラ達に寄越した。
「聖域からのお客様に、失礼を致しました。ここは私に免じて、どうかご容赦を」
「ああ、別に──」
「引っ込んでいて頂きたい、ニコル殿!」
 鼻息も荒い辰巳は、ニコルと呼ばれた男を押しのけた。その手には、椅子の陰に潜ませていたらしい竹刀がある。
「礼儀知らずの若造め! この不肖辰巳徳丸、剣道三段の腕をもって」
「剣道」
 ほう、と、シュラは興味深そうな声を出した。
「日本の剣技だな。──俺も、剣は嗜む」
「面白い。俺の三段の腕前に勝てるかな、若造」
 辰巳が、好戦的な笑みを浮かべた。
 しかしミロはというと、必死で笑いを堪えている。シュラが「嗜む」程度なら、世の中の剣士の技は全てチャンバラごっこだ。そしてあろうことか、辰巳が「こいつの分の竹刀を持って来い!」と叫ぶ。ニコルが、額を押さえてため息をついた。
「これが竹刀か。へえ、竹で出来ている。面白いな」
 執事である辰巳の部下なのか、黒スーツを着た男から竹刀を渡されたシュラは、しげしげとそれを眺めた。ソファに深く腰掛けたまま、右手に持った竹刀を振ってみたりバトンのようにくるりと回してみたり、はたまた左手に投げ渡してみたりして感触を確かめているシュラに、辰巳はにやにやと笑う。
「はっ、見るのは初めてか? しかしここは日本だ、日本式でやって貰──」

 ──ぱさ、

「えっ──」
 空気が動いた気配すらしなかった。
 辰巳は、竹刀を構えたままの姿勢で、自分の足下を見下ろした。そして今度はなかなか状況を理解できないまま、恐る恐る正面を向く。
 目の前には、ソファに腰掛けたまま、右手に持った竹刀を横に払った格好の青年が居た。いつその動作を行なったのか、わからない。しかし真横に薙いだ腕が1ミリたりとも微動だにしないことに気付いた辰巳は、全身の毛穴から、ぶわっと汗を吹き出させた。思わずよろけた足が、結び目から切れ落ちたネクタイを踏む。
「な、な、何──」
 腰を抜かしてドサリと尻餅をついた辰巳に、シュラは右手に持った竹刀を、ヒュヒュヒュ、と回した。相変わらず腕は動かない。指の力だけでやっているのである。
 そしてやはり──空気が、全く動かない。それはシュラの操る竹刀が、空気を押しのけるのではなく、小宇宙の闘法によって、空中にある酸素や窒素、二酸化炭素などの分子・原子までをも斬り裂いているからだ。
 この世にあるどんな銘刀でも敵わない刃が、そこにあった。
「ひっ、」
 辰巳が引きつった声を上げると、周りの男達が一斉にジャケットの内側に手を突っ込み、拳銃を抜いてシュラに向けた。
「やめたまえ!」
 ニコルが険しい声を上げるが、男達は拳銃を下ろさない。目にも留まらぬ早さで、しかも竹刀で臨戦態勢だった辰巳の首元を斬るという芸当をやってみせたシュラに、男達は冷や汗を浮かべて戦いている。
 しかしシュラたちはといえば、全く動じていない。相変わらずソファにふんぞり返り、竹刀を玩んでいる。そして、自分たちに向けられた拳銃を眼球の動きだけでくるりと見回したミロの手元が、赤く光った。

 ──ゴトゴトゴトッ、ゴトン!

 一斉に銃を弾き飛ばされた男達は、殆ど反射的な動作で、床に落ちたそれらを見た。全ての拳銃に、まるで元々あったかのようにつるりと綺麗な断面をした直径5ミリほどの穴が、それぞれ空いている。
 震え出す者、辰巳のように腰を抜かす者、事態が理解できずに立ち尽くす者と反応は様々だったが、最後の男などは気絶して、ふー……、と、ゆっくりと後ろに倒れていく。
 ドサリと彼が崩れ落ちたとき、ミロは赤く尖った人差し指の爪先に、西部劇のガンマンよろしく、フッと息を吹きかけた。
「おい、あんなにして、中の弾が破裂したりしないのか?」
「そんなへまするか」
 拳銃を手から弾く為に拳銃で撃つというのは映画などでよくあるが、弾丸が装填されている拳銃に強い衝撃を与えると、下手をすれば暴発する可能性もある。シュラはその事を言ったのだろうが、ミロが放った、威力を落としたスカーレット・ニードルによって開けられた穴は、銃身を殆ど歪める事なく拳銃を貫通していた。
 わざわざ威力を落としたのは、あえて原子を砕く力を下げて物理的な反発力を持たせ、彼らの手から拳銃を落とす為だ。
 対象を押し潰すのではなく原子レベルで破壊する事が極意である小宇宙の闘法は、食らったとき、物理的な衝撃を然程感じない。置いたリンゴを全く揺らさず斬ることができるシュラの聖剣と同じく、スカーレット・ニードルも、本気でやれば、吊るした紙を全く揺らさず穴を空けることが可能だ。
「それにしたってなあ」
 どこかわざとらしい口調で、シュラが竹刀をソファの上に放って、足下に飛んできた拳銃を拾い上げた。
「軽い」
「グロック18かな」
 ミロが言った。武器を持たない事が聖闘士の鉄則といえど、ミロも身体を動かすのが好きな年頃の少年であり、そしてそういう少年が興味を持つ対象はいくらか似通ってくるものだ。ものすごいマニアというわけではないのだが、天蠍宮の離宮には、手頃な価格で手に入るエアガンや、そういう系統の雑誌がいくらか散らばっている。
 全長186mm、重量703gの9mm口径拳銃、オートマチック式の銃身バレルに、ミロのスカーレット・ニードルの穴が綺麗に空いているのを見て、シュラは言った。
「ああ、もう使い物にならんのじゃないか、これ」
「どうだかな。確かめろよ」
「そうしよう」
 にやにやと笑っているミロに、シュラもにやりと笑い返す。そして拳銃を右手に持ってセーフティを引くと、──その銃口を、自分の左手の手のひらに向けた。
「うわっ……!」

──ダダダダダダダダダダダダダダダダダダッ!

 フルオートの凄まじい発砲音が響き、金色の薬莢が弧を描いて飛んだ。
 辰巳や男達だけでなく、ニコルも驚いていた。拳銃を片手で持って撃つだけでも相当だというのに、横向きという不自然な姿勢で、しかもフルオートでトリガーを引いたのである。
 それに、この銃は小型である上に弾倉外側がプラスチック製、ポリマーフレームが軽量なため確かに軽いが、その分、連射時の反動が大きい。だがシュラの身体には、反動によるぶれというものが一切無かった。揺れたのはシュラの身体ではなく、彼が座るソファの方だ。
 ──そして、その拳銃で撃ったはずの彼の左手はといえば。
 ゆっくりと細い煙を噴く銃口の前には、原形を留めていない血みどろの手──であれば、まだ現実味があった。そこにあるのは、ただぎゅっと握られた拳である。
 もういっそ意味不明の状況に唖然としている彼らを目の前に、最大装填数18発を全て撃ち尽くしたシュラは、「ああ」と暢気な声を出し、握った左手を突き出した。
「大丈夫のようだ」
 ジャララッ! と金属音がして、開いた左手の中から、18発の弾頭がローテーブルの上に落ちて転がっていく。
「まったく、他所の家のものを壊すなとあれほど言っただろう」
 ゴトン、とシュラは弾倉が空になった拳銃をテーブルに置いた。同時に、左手を軽く振っている。さすがに多少は衝撃があったのだろうか。……しかし、彼の手のひらはほんのりと赤くなっているだけで、全くもって無傷だった。
「申し訳ない。まあ、使えるようだから勘弁してくれ」
 誰も返事をしなかった代わりに、また男が三人ほど気絶してひっくり返った。堪え切れない様子で、ミロが喉を鳴らして笑う。
「悪かったと思ってるさ。でもおまえだって、Mr.辰巳のネクタイをだめにしただろう」
「ああそうだった、悪い事をした。安物で申し訳ないが、代わりに俺のを差し上げようか」
「い、い、い、いや、けけ、けっこう、結構だっ」
 自分のネクタイを摘んで淡々と言うシュラに対し、辰巳はすっかり震え上がり、まともに舌も回っていない。抜けた腰が戻らないのか、尻餅をついたままだった。
「そうか? なかなか可愛い娘が選んでくれたものなんだが」
 そしてシュラは、ソファの上に放ったままだった竹刀を、もう一度拾い上げる。
 拳銃の名前は知らないが、刀やらの原始的な武器にはひどく興味があるらしい彼の私室には、マニアと言って差し支えないレベルで刀剣や剣術関係の書籍があるのを、ミロは知っている。
「貰っても?」
 僅かに笑んでそう言ったシュラに、辰巳は真っ青な顔で、頭がもげるのではないかという程がくがくと頷いた。



 腰が抜けてまともに話す事もままならなくなった辰巳は、部屋の外から慌てて駆け込んできた男達に、引きずられるようにして運ばれて行った。
 そして部屋に残ったのはシュラとミロ、そしてニコルと呼ばれた男である。
「──失礼を致しました。どうかお許し下さい」
 ニコルは9mmの弾頭が散らばるローテーブルを挟んで二人の真ん前に立ち、はっきりと謝罪を述べた。適度な誠意と卑屈すぎない腰の低さが込められた、確りとした謝罪である。シュラは、サングラスの下の目を少しばかり細めた。
「別に構わない、慣れた事だ。こちらこそ、過剰に騒がせて申し訳なかった」
 ダークスーツにサングラスでソファに座るシュラを、片棒を担いだとはいえ、ミロは半分呆れた気持ちで見た。しっかりと暴力的な力を見せつけておいて、物腰は丁寧。普通にやくざの手口だ。しかも、堂が入っている。
 しかしさすがにグラード財団の人間、しかもトップのプライベートである私邸に詰める人間である。ニコルに怖じ気づく様子は然程無かった。
 一般に知られて居ないとはいえ、聖域は既に別次元のレベルで、地上最強の武力組織である。しかしグラード財団もまた、一般に知られている中では国レベルで世界に影響を及ぼすような力を持つ超巨大組織であり、堅気とはいえない面を多く持っている。
「私は、ニコルと申します。……沙織お嬢様の教育係を務めさせて頂いております」
「サオリ」
 城戸光政の跡目を名義上継いだという、今年で10歳になる孫娘。そうシュラが確認すると、ニコルは頷いた。
「その通りです。まあ、教育係と言っても──勉強の方は科目ごとに教師がついていますから、私はお目付役と言った方が正しいのですが。お嬢様は少々活発すぎる所がある方なのですが、執事の辰巳は、お嬢様を溺愛してらした光政翁と同じでお嬢様に頗る甘いので、私が」
「学校には行っていないのか」
 ニコルの雑談を無視して、シュラが切り込んだ。ニコルは一瞬黙り込んだが、すぐに応じる。
「ええ。グラード財団くらいともなると、誘拐などの危険を考えれば当然の事。お嬢様は学校に通った事はありません」
「いま、この屋敷に?」
「答える必要がありますか」
 がんとした声だった。
「お嬢様は確かに名目上はグラード財団の総帥でいらっしゃいますが、まだ10歳の少女なのです。実際の経営は光政翁が生前残したチームが行なっているということは、貴方もご存知でしょう。ただの子供の所在をいちいち確認する意味が?」
「ただの世間話だ」
 シュラは、さらりと切り返した。ニコルがいかにも知的な雰囲気を漂わせているだけに、少し気分がいい。
「そっちこそ、何をぴりぴりしているんだ。「お子さんはご在宅ですか」と尋ねただけで誘拐犯扱いされるほどこの国の治安が悪いとは知らなかった」
「……お嬢様は、グラード財団ご令嬢、……いえ、総帥です。このくらいの警戒は当然なのですよ」
「大変な事だ」
 いけしゃあしゃあ。まさにそんな風情だった。あまりにもやくざにしか見えないので、ミロは思わず、無言で乾いた笑みを浮かべた。
「あなたがたは──」
 ニコルは、少し顔を伏せた。視界に、散らばった弾頭が映る。
「……素晴らしいお力でいらっしゃる」
 恐れを含んだ厳かな口調でそう言って、ニコルはそっと二人を見る。
「もしや聖闘士、……いえ、黄金聖闘士……」
「ただの使い走りだ。俺より強い奴はごまんと居る」
 嘘ではない。使い走りであることも、サガという存在が居ることも事実であり、黄金聖闘士であることを肯定しなかったが否定もしていない。まあ、“ごまんと”というのは嘘だが。
 こういった小賢しい話術は、黒髪のサガやデスマスクから門前の小僧なんとやらで学んだものである。伊達にいつも小言を言われているわけではない。聞き流しているようで、きちんと観察してはいるのだ。所詮は付け焼き刃なのであの二人の巧みさには敵いはしないが、このくらいの受け答えが出来ないなら、サガが仕事を回してくるわけが無い。
「そんな大層な身分の者が、こんな用件でわざわざやって来るわけが無いだろう」
 そう言って、シュラは転がる弾頭をざっと避けてから、封筒から10枚の書類を引き出すと、テーブルに広げた。そしてあと90枚の書類が残っている封筒を、その横にばさりと、重々しい音をたてて置く。開いた口から、上の数枚が滑り出た。
「こちらは、全員死亡」
「…………」
 残酷な言い方だった。見ているだけでも背筋が冷える位の。
 封筒から滑り出た書類の左端には、黒髪の子供の顔写真が貼られている。わけもわからず死地に送られ死んだ、十歳にも満たない90人の孤児達、その一人。
 ニコルは、無言だった。湖面のような彼の目は全く揺らいではおらず、それに対してミロは少なからず憤りを覚える。
 本当は、この90人のうち、半分ほどが既に自分たちによって保護され然るべき施設に送られた事を、ミロは知っている。だが、この男はそれを知らされていないはずだ。
 ミロは、子供が好きだ。そして、最優先して守るべき存在の一つだと思っている。
 だから彼はこの件に関して誠心誠意の心掛けで挑み、必死で奔走した。そして半分を助けることが出来ず、そして助けることが出来た子供達ですら、その多くが既に心も身体も五体満足とは言えない状態だったことに、彼は強く心を痛めた。このうちの一人を彼の親友であるカミュが既に一人弟子が居るにもかかわらずわざわざ候補生として引き取ったのは、ミロがあまりに落ち込んでいたから、という理由もある。
 グラード財団側が脱走兵や神官との詐欺まがいの交渉による被害者である事も、聞いてはいる。しかしそれにしたって人身売買をしたのは確かであるのだから元々グラード財団に対していい印象など無かったが、このニコルの対応を目の当たりにして、ミロは胸にむかむかとしたものが登ってくるのを感じた。
「おい、きさま……」
「ミロ」
 眉を顰めて何か言おうとしたミロを、シュラが制した。
《小宇宙を抑えろ》
 テレパスで言われ、はっとしたミロは声を詰まらせ、渋々と小宇宙を治める。感情によって小宇宙が暴走するのは未熟者の証で、恥ずべき事である。
「ガキじゃあるまいし、じっとしていられないのなら、部屋から出ていろ」
 シュラの厳しい声に、ミロはしゅんとする。17歳といえど、ミロも正式に任務をこなしている黄金聖闘士である。正しい事を言うのにも場所を選ばなければならないことぐらい、子供ではないのだからわかっている──つもりだった。しかし無意識に小宇宙を溢れさせ口出しをしそうになったというその失態の事実に、まだまだ自分が未熟である事を自覚したミロは、叱られた犬よろしく俯く。
「……わかった」
「──ミロ」
 沈んだ顔でソファから立ち上がりドアへ向かったミロは、振り向いた。
「話が終わるまで顔を見せるな。余計な事をする奴は要らん」
《話をしている間、怪しまれない程度にこの屋敷を探れ。テレパスで逐一報告》
 実声と同時に発せられた副音声のようなテレパスに、ミロはきょとんとする。そして、思わず笑みを浮かべそうになるのを慌てて堪え、神妙な表情を作って部屋を出た。

(──まったく)
 手のかかる、と、シュラは内心ため息をついた。
 だがすぐに反省する素直さはミロの長所だし──反省が後々生きるかどうかはまた別としてだが──、良く言えば頭ごなしに叱るよりも褒めた方が伸びるタイプ、悪く言えば調子に乗りやすい性格である事を、シュラは知っている。
 シュラは他人を正面から褒める事が少々苦手なので、そんなミロを結局いつも持て余し気味ではあるのだが、最近やっとコツが掴めてきた。伊達に懐かれているわけではないのだ。
(さて)
 執事であるという辰巳という男は、大した人物ではない。小宇宙が発現している様子も全くなかったが、それ以前の問題だ。一般人だとしても明らかに小物の部類である。
 ──しかし、この男は。
 シュラは目を閉じると、サングラスを取って胸ポケットに引っ掛けた。
 そして、ゆっくりと目を開く。くっきりと鋭い切れ長の形の目は白目の部分が多い三白眼、それだけでも相当な迫力であるのに、その瞳は獣のような琥珀色である。サングラス、次に瞼と、わざとゆっくりとその姿を明らかにする事で、その迫力は一層増した。
 ナルシストなわけではないが、戦いに於いても対話に於いても、相手の腹を探って制するという行為を成す上で、己を相応しく演出してみせるのはある程度必須のスキルである。デスマスクやサガは、こういった仕草が役者レベルで多彩、かつ上手い。しかし真似しようにも簡単にできるものではないので、シュラはこの無駄に威力のある目つきを使った一芸の一点張りである。
 芸人であればマンネリもいいところだが、これはなかなか理にかなった演出法でもある。
 何故か、と言うと。小宇宙には、色がある。
 無論普通の人間には見えないが、訓練を積んだ聖闘士には、個人個人で違うその独特の色の揺らめきや輝きを見る──いや、感じる事が出来る。黄金聖闘士は全員、その宿命である黄金の輝きを持ち、その上で熱いとか冷たいとか、広いとか鋭いとか──そんな個性があったりするのだが、そしてそれは、身体にも現れる。
 ──目だ。
 目は口ほどにものを言うと言われるが、その通り、その者の持つ小宇宙の特性が色や色々な変化となって、その目に現れるのだ。
 例えば積尸気を開く能力を持つデスマスクは、その血色の目の瞳孔の奥に、ぐらぐらと煮え滾るような真っ暗な闇を感じる。煌煌と赤く光る血の奥の深い深い闇、そして血と炎のマグマに溶けてマーブル状に混ざる黄金の輝き。
 小宇宙という炎を燃やしている人間を原子炉とするならば、目はその覗き穴のようなものだ。ガラスの張られた、原子炉の覗き穴。
 デスマスクやミロは意図的に人差し指に自分の小宇宙を集中して技を使い、シュラも手足に集中して聖剣にするわけだが、目からも漏れるそれは無意識のもので、誰も制御しきれない。覗き窓からは熱は伝わって来ないが、光はそもそも窓がある限りどうしようもない。
 だからシャカなどは、小宇宙を高める為、視覚を閉じるという方法を選んだ。もちろん単に一感覚を閉ざすことで他の感覚が研ぎ澄まされるという意味も大きいが、最も外界と己の小宇宙との距離が近くその力が漏れだしている目、小宇宙の炉の覗き穴、それを塗り込めることは、他の感覚を閉ざすより効果は大きいからだ。光を感じない為ではなく、光を閉じ込め漏らさないように、彼は目を閉じているのである。
 そして、シュラの小宇宙の根源は、斬撃。血濡れの剣を携えた1000人の剣士のような凶暴な小宇宙を、シュラは聖剣という一本の刃に鍛え上げ、千人力の力を振るう。そして彼の琥珀色の目には、千の刃の輝きが常にちらついている。
 一般人に近いほど、そんな目は直視できまい。
 その証拠に、“黄金の器”である故に、抑えていても小宇宙の輝きが宿るシュラの目を真っすぐに見てしまったニコルは、冷静を装っては居るが、明らかに戦いていた。
(──?)
 シュラは、表情には出さないながらも、訝しげに彼を見る。
 銘刀の輝きを持つ琥珀の目、それをまさに目の当たりにしながらも、ニコルは目を逸らさなかった。確かに戦いては居る。しかし──
《……ミロ。邸内に小宇宙の気配がないか探れ、何かあるかもしれん》
 早速だがテレパスを送ると、やる気に満ちた了解の思念が返ってきた。

「連れが失礼した」
「いえ……」
 ニコルの声は低く、畏怖しているのがわかった。これが演技ならオスカーものだ。しかし、そんな声ではあるが、彼はシュラの言葉に対し、
(やはり)
 シュラは、確信した。

 ニコルは元候補生、もしくは雑兵だ。
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BY 餡子郎
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