第9章・Ritter vom Steckenpferd(木馬の騎士)
<9>
「さて、ではお前の質問に答えようか」
 “サガ”は悠々と歩き、再び玉座に座った。翼龍の兜は脱いだままにも関わらず、実に堂々とした様子で。
「お前の言う通り、人払いはわたしの正体を知られぬ為、そしてこ奴」
 顎をしゃくって示したのは、床に臥した死体。
「これを邪魔されずに尋問する時間が欲しかったからだ。居なくなってもさほど怪しまれぬ程度の、しかしそれなりに情報を持っていそうな人間。得られた情報はそれなりだが、第一歩としては上出来だ」
「サガ……?」
 呆然と呟いたのは、三人のうちの誰だったか。
「そうだ。何日ぶりかな」
 サガは悠々とした笑みを浮かべながら、首を傾けた。
「今まで、どこに」
「お前の言う通り、崖を登っていた。……あの発言は確かにわたしの失言だ。わたしはあの崖が一番結界が緩いことを知っていた。弟に聞いてな」
「──弟?」
 思ってもみなかった単語が出てきたことに、3人は不思議そうな表情をした。
「わたしには、双子の弟がいる──いや居たのだ、カノンという」
「初耳だ」
「当たり前だ、神官の一部と教皇しか知らぬ最高機密だからな。だがお前達も遇った事があるぞ?」
「え……?」
 サガは、にこりと笑った。
「先日、琴座の白銀聖衣の争奪戦で死んだ娘が居ただろう」
 ぴくり、と3人が反応した。
「あの娘が雑兵3人に襲われたとき、お前達が割って入り、そしてその場を収めたのはわたしではない」
「!」
「そして、殺したのもな。弟は若干血の気が多いのだ。仕方の無い」

 ──じゃあ誰がやったんだ
 ──さあな。サガか、そうじゃなきゃ、サガじゃない誰かじゃねえの


「……もしかして、あの時」

 ──でも俺、あんなサガ初めて見た
 ──俺とか言ってたぞ!


「あれは」
「カノンだろうな。弟は存在を抹消されて生かされていた。表に出るときは常にわたしのふりをしているが、素での一人称は“俺”だ。どうやっても直らなかった──いや直さなかったのか」
 存在を否定され、しかし生かされているという状況に対するささやかな抗い。
「カノンは聖域という場所に、アテナに、抗おうとした」
「……どういうことだ」
「教皇とアテナを殺せと」
「な」
 驚いたのは、シュラとアフロディーテ。デスマスクはひとり、黙ってサガを見ていた。……見定めるような目で。
「弟が存在を抹消されたのは、偏にこの聖域の体制と、閉鎖空間故の時代遅れな価値観によるものだ。そしてその全てはもはやトップのすげ替えでしか改革できない、というのが弟の考えで、そして我らがその先導となるべきだと」
「そしてその通りにしたわけか」
「そうとも、あの崖を登ってな。教皇の間とアテナ神殿を通らずスターヒルに行くには、あの崖を伝って行くしかできない、らしい。カノンが言うには」
 カノンはそこまで具体的な事まで調査して、サガに道を指し示したのだ。ただ野望を子供のように喚くだけではなかったらしいカノンに、デスマスクは人知れず一目置く。もしかしたら、トニが見た訓練服姿のサガというのは、崖の下調べに行くカノンだったのかもしれない。サガは十二宮に居るときは殆ど聖衣か正装用のキトンで、繕って着続ける訓練服は訓練の時にしか着ないので、妙だと思ったのだ。
「……では」
 シュラが、震える声で言った。
「では教皇は、──シオン教皇は」
「死んだ」
 にっこり、と笑みが浮かんだ。子供に悪いことを教えるような、質の悪い、しかしどこか魅力的な笑み。

「殺したのよ、このサガが」

 3人は、絶句した。しかしサガは笑みを浮かべたまま、続けた。
「スターヒルには、教皇の小宇宙に合わせることで教皇しか触れることの出来ぬ結界が張ってある。しかし、わたしにはそんな結界など造作も無いことだ」
 サガは、ヒーリングが得意だ。他人の小宇宙の波長に寸分の狂い無く合わせた素晴らしいヒーリング、その要領があれば、教皇の結界を越えることも難しくはないだろう。聖衣も着ていれば、もしかすると無傷で登れるかもしれない。
「役立たずの教皇は、わたしが殺したのだ」
「……役立たず、と?」
「そうだ。神官たちがやっていることに気付かず、外界から布施を貰って回る為だという奴らを信じ、外で贅沢三昧をしている奴らを野放しにした教皇。“下”の者たちの現状を知りながら何もしなかった教皇。そして彼らを助け神のように慕われているわたしではなく、アイオロスを次の教皇に指名した老人は、わたしが殺したのだ」
 強い言葉だった。いつも誰かの言葉を黙って聞いて、そして皆が言いたいだけ言ってから、やっと、ゆっくりと穏やかに、そして控えめに話しだしていた彼と同一人物とはとても思えない。
「仮死の法MISOPETHA-MENOSを受けた天秤座の童虎と違い、何の術も受けていないあの老人が二百年以上も生きていられるのは、自らのその強大な小宇宙によるものだ」
 小宇宙がもたらす肉体の活性化・知覚神経の鋭敏化は、老いを食い止めることにも大いに繋がる。しかし肉体は肉体、限界がある。シオンはなんとか痴呆にはなっていなかったが、その肉体は──いや脳は、既にすっかり凝り固まっていたのだ、とサガは言う。
「あれは既に、この腐りきったアテナの庭をより良く改革しようという気力などもう無かった。ただ次代の聖戦に向けて新しい聖闘士をということだけに躍起になっていたあの老人は、十にも満たぬ黄金聖闘士が揃ったことで一気に気を抜いたのだ。──もしかすると、そうして気を抜いたせいで小宇宙の緊張も解け、脳の老化が一気に早まったのかもしれぬな。なにしろ、どう考えても正気の沙汰ではない。そうだろう?」
「…………」
「そして惚けた老人は、愚かにもまだ14歳の少年、洟を垂らして走り回ることしか能の無い、統治学など露程も知らぬ子供を跡継ぎに指名した。……まだ白銀聖闘士も青銅聖闘士も、一人として決まっていないというのに!」
 3人とも、無言になっている。然るべき所で強調の為に声を張り上げ、まるで歌うように抑揚をつけて話すサガの言葉は、革命家の演説のようにも聞こえた。
「そればかりか、“わたし”が密かに改革を考えていることを見抜いた上でそれをした。二百数十年の勤めに疲れきり、脳の凝り固まった老人は、新しい改革を悪としか見なさなかったのだ」
 あの老人は、わたしの正義を悪と言ったのだ、と、サガは赤い目を光らせた。
「役立たずの教皇に、役立たずのアテナ。どれもこれも不要なものだ」
「アテナのための、」
 シュラが言った。あまりの展開に呆然としたままだった琥珀の目が、いくらか生気を取り戻している。
「アテナの正義を守る為の聖域だろう」
「アテナの正義?」
 はっ、とサガは吐き捨てた。
「その正義とは、世界中の罪も無い孤児を蟲毒の壺に押し込めることか?」
「…………」
「アテナは戦争の神だからな」
 何も言い返せない、シュラとアフロディーテがそう絶望したサガの言葉に真っすぐ意見したのは、デスマスクだった。二人はサガの発したどうしようもない事実に何らかの言葉を返せること、そして聖域の現状に最も腹を立てているはずのデスマスクがそれをしたことに、二重に驚愕した。
 デスマスクは、やはり真っすぐにサガを見ている。見定めるように──挑戦を投げかけるように。そしてそれを受けて立つかのように、サガは僅かに笑みを深くした。
「ほう。どういう意味だ?」
「アテナは戦争と、その知恵を司る神。そして戦争とは軍隊によって為される」
「ふむ」
 サガは、頬杖をついた。笑っている。
「軍隊は市民を守らない」
 政府の人間がどう言葉を和らげて言おうとな、とデスマスクは付け加えた。
「そもそも軍隊と定義されたものの目的は国家を守ることであって、市民を守ることじゃねえ」
「つまり“地上”を守るアテナは、地上を守っても、そこに住む人間については考えていないと」
「そうだ。地上というアテナの陣地、それを奪おうとする他の神々との防衛戦が聖戦だ。アテナが人間の味方だというのはただの結果論。地上を守ればそこに住む人間が生き残る、それだけの話だ。人間は、いや聖闘士は地上を守る為の駒に過ぎねえ」
 デスマスクは、その赤い目で、……赤い目を見た。自分と同じ色をした、ぐらぐらと煮え滾る溶岩のような色をした目を。
「だが結果論としてアテナが人類の味方であることも事実だ。それも殺していいものか? サガ」
「聖闘士が軍隊だというなら」
 毅然として、サガは言った。
「指揮官はアテナだな。役立たずの指揮官ほど質の悪いものは無い」
「何をもって役立たずだと?」
「赤ん坊に陣頭指揮は出来ない」
 サガは、肩を竦めた。
「士気を上げるべく福利厚生策をたてる事も出来ない。脱走者を使って甘い汁を吸う神官とそれに気付かない愚鈍な老人がトップに立ち、最悪の生活環境で疲弊しきった兵士たちはアテナへの信奉も薄い。この地盤の緩みきった軍隊が、もし今どこかに戦争をふっかけられてみろ。敗することうけあいだ」
 何の反論も返って来ない空気をひと吸いして、サガは僅かに顎を反らした。
「馬鹿馬鹿しい。もともとあれが本当に神の化身であるという保障も無いのだ。黄金聖闘士が揃ったことで舞い上がり脳の確かでない老人が、女官が産み捨てた赤子をアテナの化身だと思い込んで騒ぎ立てた、そう考えるのとどちらが信憑性がある?」
「…………」
「だがただの赤子でも、地上全てを守る軍隊の総指揮官となる才能があれば良い。しかしその保障など更に無い。ただの赤子なら小宇宙に目覚めるかどうかも怪しいのだからな。……そんな赤子がかどうか、判断できるまで何年かかる? 十年か? 十五年か? それまで何人の子供が死に、何ユーロの金が神官の懐に入る? それをただアテナの為にと抜かして黙って見ていろと?」
「…………」
「──聖闘士は、赤子の為の木馬の騎士ではない!」
 バン! と、サガは玉座の肘掛けを叩いた。石床が割れんかというほどのそれと、脳を揺らすような、そして腹を貫くほどの大声。怒りに燃える真っ赤な目と、何もかもを飲み込む闇のような、しかし艶やかに美しい黒髪が逆立つ。
(上手い)
 いきなりのそれにシュラとアフロディーテ同様驚きながらも、デスマスクは冷静に感心していた。
 古代のギリシア・特にアテナイでソフィストたちがこぞって研究し、政治家・雄弁家たちの必須技法である修辞学、レトリック。身ぶりや発声法なども重要視され、言語学、詩学、演技論、全てをひっくるめたそれは、演説をより説得力豊かにし、聴衆の心理操作をすべく魅力的に見せるために開発された技術の集大成だ。
 見る限り、サガはそれに非常に長けている、とデスマスクは確信した。素でやっているなら尚のことだ。──この男には、人の上に立つ才能がある。
「そして、わたしだ。折角の小宇宙を洟を垂らして走り回ることにしか使わない奴らと違い、多くを学び、考え、そして現状を改革せんと“下”の者たちを実際に助け、慕われている。そして聖闘士としての武の実力についても覚えがある。そんなわたしがこうして玉座に座るのに、何か問題が?」
 どこにも付け入る隙がない。教皇の間は、彼の独壇場のアゴラと化した。
「──アイオロスを」
 シュラの声だ。アゴラの演説台に立つ帝王に意見する市民のように、その声はぶるぶる震えていた。
「アイオロスを殺す必要は、どこにあった」
「馬鹿か。口封じだと言っただろう」
「そんなことの、ために──!」
 悲愴な顔をした。しかし、サガは反して冷静に、険しい顔を作っていた。そうでなければシュラが必要以上に激昂するからだ。
「そんなことのためにアイオロスを、俺に」
「罪も無い子供たちが大勢死ぬのが“そんなこと”か?」
「そうじゃないっ、ちゃんと話せばアイオロスだって味方に──」
「ほう」
 そこまで言ったシュラは、はっとした。まんまとサガのレトリックの技術にはまったシュラに、デスマスクは僅かに目を伏せる。
 やはり、上手い。三流の詐欺師のようにただの言葉遊びで挙げ足を取るような幼稚なやり方とは比べ物にならない、相手の心を自分の側に誘導してから心からの言葉を吐き出させる手腕。そしてその言葉を言ってしまったが最後、その言葉を取っ掛かりにして、彼はどんどん相手を自分の領域に引きずって行く。
「ではわたしの味方になってくれるのか」
「…………っ」
「そうだ、お前にまだ聞いていなかった。聞かせてくれ、シュラ」
 ここで笑み、そして初めて名前を呼ぶという行為。
「異教の正義の神、正義の為に正気すら失った神の名を持ち、悪しきもののみを斬り裂くという聖剣を持つお前なら、見極めることが出来る──そうだろう?」
「──俺はっ……」
「“事実”は全て話した。どちらが正義か断じてくれ、阿修羅。わたしはお前の裁きに従おう」
 両手を広げてみせる。案の定、無防備を晒されたシュラは戸惑っていた。踊らされ放題である。
「俺は、……俺はっ!」
「わからぬか?」
 ここは、嘆くように。言葉に音楽記号を付ける才能は、デスマスクも持っている。サガのやるのはデスマスクがやるよりも若干大袈裟で、しかしそのぶん、誰にも真似できない華があった。
「わからないか? 阿修羅神が怒りのあまりに自分の正義を見失ってしまったように、おまえの目も曇ってしまったのか?」
「…………」
「ああ、違ったか」
 ふう、とサガは息を吐いた。
「おまえは最初から、自分の正義など持っていなかったか」
 シュラの小宇宙が大きく動揺したのを、誰もが感じた。見た目にも、シュラは目を見開き、唇を震わせ、眉を顰めている。
「俺、おれは、」
「アテナの存在は疑っているが、これこそという主張も無い。そういうおまえにどちらが正義かと問うのは酷だったか」
「──俺は!」
 叫んだ声は、震えている。泣きそうな顔を見ていられなくて、デスマスクは目を逸らした。
「俺はアイオロスを殺すのが、正義だとは思わない!」
「ほう」
「アイオロスを殺そうとした。それは悪だ、絶対に」
「これは心外。アイオロスを殺したのはわたしではない」
「──な」
 驚愕。予想通りの反応。
「もしあの赤子が本当にアテナなら、アテナの為に身を呈そうとしているアイオロスをなぜ救わなかった? なぜおまえにアイオロスを殺させた? 友であるおまえに」
「なに、何を」
「なぜアイオロスを殺したのだ?」
「──おまえが殺せと言ったからだ!」
 シュラは叫んだ。……いや、泣き叫んだ。悲鳴と言ってもいい。
「いいや、違うな。実際にアイオロスを倒したのはおまえ。そして殺したのはアテナだ」
 デスマスクは、もういっそ感嘆した。なんて見事な責任転嫁。
「ならアテナが悪だ。そしてわたしはそれに敵対する者だよ」
「……違う」
「何が違う? 、シュラ。おまえはアイオロスを殺すつもりなど無かったのだろう?」
 はっ、とシュラは顔を上げた。サガは憐れみを浮かべた顔をしている。
「だがそういう命令を受けていたから、仕方なく攻撃した。ああ、アテナがアイオロスを見殺しにさえしなかったら、おまえはアイオロスを手にかけずに済んだ」
「死んでない」
 背水の陣、という諺をデスマスクは思い出した。シュラはいま、まさに水際に立っている。
「確かに俺はアイオロスに深い一撃を食らわせて、……アイオロスは崖から落ちた。でも遺体は見つかってないし、騒ぎにもなってない」
「死んだよ」
 断言だった。今度は、自分の言葉を貸し出されていたデスマスクも顔を上げる。反論する余地のある主張だということは認めるが、一刀両断で切り捨てられるようなヤワな証言ではないはずだ、と。
「わたしの姿が見えていただろう?」
 何が、とは言わない言葉だったが、3人には意味が通じた。この部屋に入った時、シュラには、黒い髪と赤い目をしたサガの姿が見えていた。
「わたしがおまえたちにかけた術は幻朧魔皇拳といって、相手の頭脳を支配することのできる、代々の教皇に伝えられた魔拳だ。相手の頭脳の前頭葉をマヒさせることで、例えば理性のない戦闘マシーンに変えたりすることも可能だが、おまえたちにかけたのは、単にわたしの姿がシオン教皇に見えるようにするだけのものだ」
 そういうことか、と3人は納得した。ちらちらとシオン教皇にはあり得ない断片的な像が見える度に走った針のような痛みの正体は、その技のせいかと。頭に触れることで発動できる、と聞いて、更に納得する。心当たりがあった。
「そして解除法だ」
 ゆっくり、静かに、一音一音を噛み締めるように。
「目の前で、人が一人息絶えること」
 今度は、3人ともが驚愕した。
「そこの男が死ぬのを見た瞬間、わたしの真の姿が知覚できただろう?」
「…………」
「そしてこの部屋に入ったときから、シュラ、おまえはわたしの姿が見えていた」
「──だまれ、」
「アイオロスは、おまえの目の前で死んだのだ」
「黙れッ──……」
 くっ、と、嗚咽のような声が漏れた。もうこれ以上シュラに何か言わせることが憚られ、デスマスクはわからないように小さくため息をついてから、サガの前に改めて身を乗り出した。
「……それで?」
 はあ、と、今度はわかるように息をついてみせる。ごく、自然に。サガほど華々しいことはできないが、さりげなく、そしてひっそりと染み込ませるようにやる自分のやり方のスマートさをデスマスクは気に入っているので、サガを見事と思いつつも憧れはしない。
「俺たちに、何をさせたい」
「おまえは本当に話が早い。余計に欲しくなってきた」
「欲しい?」
 首を傾げてみせた。様式美として。
「改革の一歩を踏み出してみたはいいものの、わたしは孤立無援もいいところだ。味方が欲しい」
「それで俺たちか? なにもわかってないチビどものほうが丸め込みやすいのに?」
「力があっても頭が子供では話にならん」
 残念そうな表情とともに、竦められる肩。つくづく絵になる男だ。
「その点、おまえたちは申し分ない。わたしと同程度、もしかしたら上回る頭脳と証拠の残らない完璧な殺しの出来る技を持つデスマスク、わたしとアイオロスを除いて真っ先にその実力を認められ、いち早く聖衣を得たシュラ、そして全ての植物に作用する特殊な小宇宙を持ち、言葉無くしても完璧に二人の後ろを守ることの出来るアフロディーテ」
「えらい褒められようだな」
「それはそうだ。“私”はおまえ達にずっと憧れてやまなかったのだから。とくにデスマスク、そしてシュラ、おまえに」
 いちかばちかの世紀のプレゼンなのだから相手を持ち上げるのは当然として、しかしここまで言う意味が分からず、デスマスクは本気で首をひねった。
「間違っている、気に入らないということに素直に怒りを露にできる赤い目と、神など居ないのだと真っすぐに言う黒髪に、“私”は憧れていたのだよ」
「…………」
「それで、“わたし”だ。どうだ、中々似合うだろう?」
 サガは笑みながら、つややかな黒髪を摘んでみせた。
「──シュラ」
 呼ばれて、シュラは僅かに顔を上げた。顔色は悪く、目はどんよりとしている。
「正義を見失ったのなら、わたしが示してやろう」
「誰がっ──!」
 反論しようとするが、最後まで続かなかった。声は、力ない。
「力こそ正義──」
 今度は、デスマスクが反応した。気付いているだろう、しかし気付かないふりをして、サガは続ける。
「インドラ、帝釈天の側につくのは嫌か? しかしわたしは罪も無い娘を衝動のまま蹂躙するような下劣なことはしないし、むしろそういう輩こそ死するべしだと考えている。だからこそこの聖域を変えようとしているのだからな」
「どうして、そこまでする」
 アフロディーテが、問うた。その声が想像以上に冷静で、デスマスクとシュラは妙に安心した。アフロディーテはいつも二人の後ろに、黙って咲く花のようにただ美しく立って前を眺めている。しかしその分、誰よりも動揺しないのが彼だった。
「あなたの言うことはいちいちもっともで、重大だ。しかし、赤ん坊を殺し、老人を殺し、──友を殺し。そこまでして、それは成さねばならぬことなのか?」
「そうだ」
 赤い目が、一瞬にして沸騰した。
「他にやり方は無かったのか」
「ないな」
「なぜ言い切れる」
「知りたいか」
 溶岩のような輝きをもったまま、サガは立ち上がった。
「そうだな、おまえ達には話しておいた方が良かろう。このサガがどこで生まれ、どうやって黄金聖闘士となったのか」
 そしてサガは、話し始めた。



 それはそんなに長い話ではなかったはずなのに、3人は、長い芝居を通しで、しかも夢中で観たような疲労感を感じていた。サガが語ったのはそれほどに濃密で、そして衝撃的な──事実だった。虚構など一つもない、芝居などとは比べるべくもない、心を抉る事実だった。
 3人は、無言である。演説に支配されていたあらゆる知覚がぎしぎしと軋み、目と耳が怠い疲労を訴えている。
「わたしの話は、これで仕舞いだ」
 サガは、演説の締めに入った。
「だが言った通り、そして見ての通りわたしは孤立無援だ。おまえたちがわたしを悪と見なし倒そうとするなら、それは簡単なことだろう。いくらわたしでも、他の黄金聖闘士全員に全力でかかって来られれば勝ち目は無い。わたしを裁くなら好きにするといい」
 判断をこちらに委ねる。締めに入ってなお揺らがない演説は、本物だ。
「アテナと教皇を殺した大重罪人としてわたしを裁くのは、簡単だ。だがわたしがやろうとしていることは、それを成してなお達成すべき、わたしの考える正義だ。わたしが間違っているなら裁くがいい。……だが」
 そして、サガは玉座から立ち上がって、言った。
「だがわたしの正義がおまえ達の正義だというならば、力を貸してもらいたい」
 真剣な目。ずっとにやにやとした笑みか嘲笑を浮かべていたサガは、最後に、一直線に射抜くように3人を見た。
 そして、そのまま、暫くの間。
「さあ、わたしはここで裁きを待とう。時間はまだある」
 ばさり、と、ローブの裾をさばく音。
 優雅に笑みを浮かべて、サガは玉座に腰掛けた。ゆったりとドレープを描くローブの裾が、完璧な軌跡を描いてしかるべき形に落ち着く。
 舞台を辞する勇士の礼に相応しい、実に見事な所作。それは、神々しいほど美しかった。

「赤子の為の木馬の騎士となるか、わたしと共に革命の徒となるか。心が決まったら教えてくれ」
第9章・Ritter vom Steckenpferd(木馬の騎士) 終
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BY 餡子郎
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