第9章・Ritter vom Steckenpferd(木馬の騎士)
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 毎度こっそり目当てのポイントにゴミを投げ捨てていたトニの肩は、非常に正確だった。
 そして結界が施された崖でのロッククライミング、黄金聖衣を着ていても百メートル登れるかどうかというそれを、デスマスクは登りきった──が、その姿は無傷とは言い難い。
「死ぬ……いや死んでねえ……俺すげえ……」
 衝撃波によって所々皮膚が裂け、電撃によって気絶するのを堪え、炎に焙られつつ骨をも凍らす凍気に耐え、そして防御の為に登っている最中ずっと小宇宙を燃やしていたデスマスクは、荒い息を吐きながら這いつくばり、ぶつぶつと呟いた。
「いつまで這いつくばっているのだ。さっさと行くぞ」
「……おい、お前なんで殆ど無傷?」
 あとからやって来たアフロディーテが、崖の下から姿を現した。けろりと立っているアフロディーテは、所々に怪我があるものの、それでもデスマスクに比べれば無傷に近い。デスマスクが唖然として尋ねると、彼は平然と言った。
「薔薇を出して防御に使った」
「ずるっ!」
「何がだ。それともきみを踏み台にした方がよかったのか」
 まあそのほうが心は痛まないが、とさらりと言うアフロディーテに、デスマスクは青筋を浮かべた。この間までろくに話せもしないと思っていたのに、今ではすっかり口が達者になったばかりか、その口から出てくる言葉は顔にとことん合っていないものばかりだ。それもこれも口汚いスパニッシュ・スラングを連発する山羊のせいだ、と、いつも南部イタリア訛りのどぎつい悪態でその彼に対抗している自分を棚に上げてデスマスクは唸ったが、今そんなことを話している暇はない。デスマスクは無傷のアフロディーテを恨めしげに見遣りつつ、痛みを堪えて何とか立ち上がった。



「──……何だ、あれ」
 まだ所々に施されている結界をアフロディーテの薔薇で牽制し、二人は教皇宮の裏手を回ってアテナ神殿にまで辿り着いた。
 そして見上げた先、盛大にぶち抜かれた壁。その場所は、紛れもなく赤ん坊のアテナの寝室だった。アフロディーテが、地面に転がる壁の破片をちらりと見遣る。
「中からぶち抜いたようだな。アイオロスが逃げた時に壊したのか?」
「人が二人は通れる窓があるのにか? いくらアイオロスが大雑把だからって、それはねえだろ」
 デスマスクは怪訝そうに目を細めると、助走をつけ、柱や壁を蹴ってその穴から中に入った。アフロディーテも後に続く。
 寝室には、アテナがいつも寝かされている籐の揺りかごが転がっていた。ひっくり返ったそれを持ち上げてみると、中に敷いてある布と揺りかごの底に、勢い良く何かを突き刺したような、荒々しい破れ方の穴が開いている。
「アイオロスがやったのかどうかはともかく、誰かがアテナを殺そうとしたのは事実……か?」
「いや、ただそれらしい風に現場を作っただけかもしれねえ」
 なんといっても、血痕も何もないのである。ただ空の揺りかごに穴が開いているからと言って、それが誰かがアテナを殺そうとした決定的な証拠だというにはやや弱い、とデスマスクは考える。
「で、アテナはどこにいるんだ?」
「………………」
「アフロディーテ?」
「おかしいな」
 じっと何かを考えるように動かなかったアフロディーテは、ぼそりと言った。
「アテナは夜泣きがひどいんだ。この時間なら必ず泣き声が神殿中に響いてるはずなのに」
「殺されかけたってんなら、もう泣き疲れて寝てんじゃねえの?」
「……そうかもしれないが」
 納得いかないらしいアフロディーテは、首をひねった。しかしこの部屋にはこれ以上の手がかりはなさそうだ、と判断した二人は、とりあえずアテナ神殿の中を探索することにした。
「おい……、ほんとに変だぞ。誰もいない」
 見つからないように極限まで気配を消し、死角から死角へと移動しながら神殿の中を探索していた二人は、今度こそいよいよ表情を険しくした。
 二百数十年に一度降臨する待望の女神アテナ、しかも手のかかる乳児ということで、アテナ神殿には万全を期して、常に何人かの女官が居る。しかしいま、どこを探索しても、アテナ神殿には人っ子一人見当たらなかった。
 誰も居ないということは、アテナも居ないということである。アテナ云々を置いておくとしても、這うこともまだ出来ない赤ん坊を一人きりで巨大な神殿に寝かせておく、などということはあり得ない。
「……おかしい」
 ──何かが。
 シン、と静まり返ったアテナ神殿。神経を研ぎ澄まして気配を探るが、やはり神殿の中には誰もいない。
「……お前達」
「!?」
 突然真後ろからかけられた声に、二人は勢い良く振り返る。しかし、途端に二人同時にガッと頭に衝撃を受け、一瞬身体が硬直した。
「何をしておるのだ、こんな所で」
「……教皇」
 二人の頭を片手ずつ引っ掴んでいるのは、翼龍の兜を被った教皇だった。
(……何だ、今の?)
 頭を掴まれて身体が硬直した瞬間、針のようななにかが、頭の芯を通り抜ける感覚がした。頭にある手の下から、上目遣いに睨むようにしてデスマスクは相手を伺う。しかし、教皇は全くもっていつも通りだった。
「もしや、崖を伝ってきたのか?」
「…………」
 ボロボロの二人を見て、教皇は言った。
「……何を考えているのか知らぬが、何も問題はない。アイオロスの件ならばあとで皆を集める故、自分の宮へ戻るがよい」
「アテナはどこにいるのですか」
 アフロディーテが尋ねた。
「……アテナは、ここには居らぬ」
「ではどこに」
「こんな騒ぎがあった場所へいつまでも居て頂くのも申し訳なかろう。教皇の間で女官が面倒を見ておる」
 教皇の間は、完全に人払いがされていた。この教皇が瞑想中だ、という理由で。しかしアテナ神殿への侵入者のために教皇が瞑想を切り上げるのは当然のことだし、また教皇の間を通って来なかった二人がそれを言及することも出来ない。
「さあ、行け。アテナ神殿への無断侵入への罰については、後ほど沙汰を下す」
 そう言って、教皇は身を翻す。皺だらけの手が頭から離れ、二人は怪訝な顔をしながらもそれに続いた。
 アテナ神殿を出た二人は、今度は教皇の玉座の裏側からきちんと入る。
 しかし、やはり教皇宮にも、赤ん坊の泣き声はしなかった。






  昨夜
  射手座アイオロスが
  逆賊……
  カプリコーン様が追っ手に
  一体何が
  他の“黄金の器”は
  弟のアイオリアは──
  遺体は見つかっていない
  血痕だけが
  サジタリアスの聖衣が行方不明だと──


「…………」
 デスマスクは、フッと目を開けた。どうやら昨夜の出来事はすっかり聖域中に回り、今一番の話題となって皆を騒がせているようだ。おかげで、自分も知らない情報も得ることが出来た。
 あの後双魚宮で身を休め、起きた時には既に夕方近くになろうとしていた。不覚と舌打ちするも、それだけ疲労していたということだろう。アフロディーテも同じようなものだった。
 そしてデスマスクはこうして目を閉じ、情報収集の為に小宇宙を高め、意図して精神を開き、エムパス能力によって聖域中の人間の思念を拾って回った。小宇宙をコントロールする訓練を積んだ聖闘士は無理だが、雑兵レベルの表層思念を拾って回ることぐらいは出来る。
 デスマスクは、顰めた顔もそのままに、じっと床を見つめた。
(おかしい)
 それは確かだ。しかし、何がどうおかしいのかはっきりと断言することが出来ない。
「おいデスマスク、なにか収穫があったか?」
「あー、いくつか……」
 ひょっこりと顔を出したアフロディーテに返事をしようとしたデスマスクは、口を噤んで双魚宮本殿の方向に顔を向けた。

「──離せっ、一人で歩ける!」
「シュラ!」
 双魚宮本殿の通路には、険しい表情で雑兵の手を振り払っているシュラがいた。どうやら昨夜の報告をしろと引っ立てられてきたらしい。
 そして二人が駆け寄ってくるのを見たシュラは「あ」と一瞬驚いたような顔をし、そして泣きそうな、戸惑いきった表情を見せた。
 デスマスクもアフロディーテも、眉を顰める。誰かに弱みを見せることが少ないシュラが、ここまで無防備にそういう顔をするのは、よほど参っている証拠である。
「おい、あとは俺たちが居る。お前もういいよ」
 こんな状態のシュラが、今どんな伏魔殿になっているのか知れない教皇宮に一人で行くのは色々と危ないだろうと踏んだデスマスクは、厳重にシュラの両側と後ろを固めている雑兵に言った。
「しかし……」
 教皇の命令だとか一刻も早い報告を、とごねる彼らを、デスマスクはぎっと睨みつける。
「黙れ、俺を誰だと思ってやがる。殺すぞ」
 赤い目をぎらつかせてそう言うと、雑兵たちはひっと息を飲み、礼をして慌てて宮を下って行った。
(──誰って、……誰だっつーの)
 デスマスクは、自分の言った台詞に小さく舌打ちした。彼らがさっさと退散したのは、聖域にやって来たばかりで何人もの雑兵を殺したデスマスクが、自分たちを殺すのに何の躊躇いも持たないこと、そして“黄金の器”である彼が自分たちを殺しても何の咎めも受けないだろうことを知っていたからである。
 このとき、デスマスクは初めて自分を黄金聖闘士候補だと、“黄金の器”だと自ら発言し、そしてそれを利用したのだった。
「……おい、シュラ」
 だが形振り構っていられないときもある、とデスマスクは思い直し、聖衣を着ているのにどうにも頼りない風情のシュラを振り返った。
「話せ。全部だ」

 もともと説明することが取り立てて得意ではなく、そして精神的にかなり不安定だろうシュラの説明は得たい情報が出てくるまでまどろっこしく時間もかかったが、デスマスクが的確かつ簡潔な質問を投げかけてフォローすることで、シュラは全てを説明しきった。
「……本当かよ」
 何といっても当事者である。当然新事実が飛び出すだろうとは思っていたが、ここまでだとは思っていなかったデスマスクは頭を抱えた。
 アテナは、やはり神殿には──いや、聖域にはもはや居なかったのだ。
 そしておそらく、アイオロスはアテナを殺していない。操られていたという線がまだ残っているので断言はできないが、少なくとも彼にアテナを殺す意思はなかった。
「おい、シュラ」
「…………」
「単刀直入に言うけどよ」
 ──おまえ、アイオロスを殺したのか。
 ゆっくりと、滲ませるように、慎重にデスマスクは言った。こういう風に、デスマスクは言葉に音楽記号を乗せるのが上手い。まるで役者のように、台詞に別のもう一つの意味を込めて発することが出来るのは、彼の特技のひとつだった。
 そして一瞬激しく動揺したものの、「お前を責めるつもりは毛頭ない、真実だけをそのまま言え」という二重音声を正しく聞き取ったシュラは、ぼそりと言った。
「……わから、ない」
 ただあいつは俺にやられっぱなしだったし、背中を一直線に斬って、崖から落ちた。シュラがぼそりぼそりとそう言うのを、二人は静かに聞いた。
「そうか」
 デスマスクは頷いた。
「シュラ、アイオロスの死体は見つかってない」
 そう言うと、シュラは、ちらりと顔を上げた。
「アテナに関しては教皇宮に居るってことになってる。この嘘を誰が何の為についてんのかは知らねえが」
「……嘘……」
「君がそう言ったんじゃないか」
 きょとんとアフロディーテが言うと、シュラはまた無防備な、呆気にとられたような顔をした。敵対されるとまでは思っていなかったが、ここまで当たり前に信じてもらえるとも思っていなかったらしい。
「サジタリアスの聖衣も見つかってねえらしいが、まあ、それは今いい。とりあえず重要なのは、アイオロスの死体が見つかってねえってことだ」
「…………」
「パルテノンの裏手に血痕があったらしいが、そこから動いた血の跡もないそうだ。動けなくなったからテレポートで逃げたのかもな。死んだのを誰かが──外界の一般人が発見して動かしたっていう可能性はねえだろう」
「なんで」
 シュラは、初めて質問らしい質問をした。するとデスマスクは肩を竦め、片眉を上げた。
「お前ね、世界遺産の裏で人が、しかも14歳つったら外界じゃあばっちりガキだぜ? そんな子供が赤ん坊とわけのわからん金ピカの箱背負って血塗れで倒れて死んでたってんなら、今頃アテネどころかギリシャじゅう大騒ぎになってるに決まってんだろ。もしそうだったら今頃パルテノンは警察と野次馬とテレビカメラとレポーターでごった返してるはずだぜ。なのにCNNどころかローカル局のカメラも来てねえ」
「…………」
 非常に現実的な、しかし長らく遠のいていた次元の話を流れるようにされて驚いたのだろう、ぽかん、とシュラは目を丸くした。
「おいおい、おまえそんなに“ここ”に毒されてたわけ? 大丈夫か、しっかりしろよ、思い出せよ“現実”。世界は電話線も通ってりゃテレビもフルカラー、人類は小宇宙がなくても月に行ってるぜ? ちょっとマクドナルドでバーガーでも食ってきたらどうだ」
 こないだ出た新製品が結構いけるらしいよ、と平然と言ったデスマスクを、シュラは呆気にとられたように見ている。そしてしばらく無言になった後、漏らすように呟いた。
「……そうか」
「そうだよ」
 デスマスクは、片足の膝を曲げて、爪先を地面に立てた。
「それに、確かにアイオロスは外界にツテなんかねえだろうけど、そんな風体でウロついてりゃ、病院なり警察なり、それなりの施設が国から金貰って面倒見るように出来てんだよ。聖域以外のギリシャは概ねその程度にはマトモだぜ」
「……そうか」
「そうだ」
「それもそうだな」
 アフロディーテが、薄く笑いながら言う。
「君は、こういう時は頼もしいことを言うな、デスマスク」
 すとん、と、シュラの肩が小さく落ちた。



 いくらか落ち着いたシュラと共に教皇宮に向かうと、入り口横にトニが仁王立ちしていた。そして3人はそのまま彼に厨房に押し込められ、夕飯には早く昼食には遅すぎる時間だというのにしっかり3人分用意された食事を並べられた。シュラなど聖衣を纏っているというのに、問答無用で席に着かされている。黄金聖衣を纏って厨房で食事をする様は、冗談にしか見えない。
 そして昨日はあれから顔を合わせられなかった彼に、主にデスマスクが中心となって、今までの経緯を彼に説明した。
「外でジャンクフードなんか食って俺の飯を残したら殺してやる」
 まずトニはファストフードに敵対宣言を行なってから、ふうとため息をついた。
「とりあえず、昨日は無事に向こうに着けていたんだな」
「……アンタが大丈夫だって言ったんだろ」
 実はあまり確証がなかったらしい彼に、デスマスクは「勇気づけられた俺の心を返せ」と毒づいたが、トニは黙って彼の皿にスープのお代わりを注いだ。
「まあ、あれが一番無事な確率の高いルートだ。終わってからガタガタ言うな」
「一番……って、他にもあるのか?」
 まっすぐあの窓に案内されたのでてっきりあの方法しか無いのだと思っていたデスマスクは、ジャガイモを頬張りながら首を傾げる。
「屋根越えか、反対側の、木が生えてるほうだ」
「……崖が一番危なくないか」
 屋根や木がある斜面の方が断然登りやすいだろう、と、まだあまり旺盛ではないらしい食欲でパンを千切っていたシュラが、不思議そうな顔をした。
「阿呆、ただの屋根と木じゃねえ、どっちも結界が張ってあるんだぞ。俺はあの崖ならどういう衝撃が来るのか知ってたが、屋根と森は知らん」
 なるほど、とデスマスクは頷く。しかし、ふと感じた違和感に、彼は眉を顰めた。
「……あの時」
「どうした? デスマスク」
「いや……」
 夕方まで寝こけていたので腹が減った、といつもの1.5倍は食べているアフロディーテがデスマスクの顔を覗き込む。口の端にパンくずのついた整った顔を一瞥してから、デスマスクはただ曖昧な相槌を打った。
「あー……。それはそうと、トニ、このこと……」
 デスマスクが呟き、そして3人ともの目線がトニに集まる。伺うような視線には、多大な心配が混ざっていた。今はこそこそとしている上に騒ぎに乗じているから注目を浴びていないが、こんな風に教皇の周辺を嗅ぎ回っていることが公になってしまえば、“黄金の器”と正式な黄金聖闘士である3人はともかく、聖闘士資格を持っているだけの料理人であるトニがそれに加担したとあれば、……“ドラコン”は免れない。
 しかし、トニは背を向けて鍋を掻き回し、フンと鼻を鳴らした。
「ガキの悪戯に付き合ったから何だってんだ。ガキは余計な心配してねえで、好きに遊んでな」



 そして、恐る恐る報告の催促に来た雑兵に、シュラが億劫そうに椅子から立ち上がる。その彼に続き当然のように立ち上がったデスマスクとアフロディーテに雑兵は弱り切った顔をしたが、トニは黙々と食器を片付けているし、二人がものすごい目で睨むので、気の毒な彼は泣きそうになりながら「お早く……」とだけ口にした。
「……これ以上コソコソしてても、トニやルイザに迷惑がかかるだけだからな」
 教皇の間への渡り廊下を歩きながら、デスマスクが言った。
「もういっそ堂々と聞くぜ、俺は。どうなってるんだ、ってな」
 どうせ殺されることだけはねえんだから、とデスマスクは言い、頭の後ろで手を組んで、一つ大きな欠伸をした。
「そうか」
「何だアフロディーテ、嫌なら双魚宮に帰って薔薇の世話でもしてな」
「ほざくな」
 ふん、とアフロディーテは細い顎を上げた。
「……シュラ」
 呼びかけられて、シュラが少しだけ振り向いた。
「私は悪戯の途中で抜けるほど付き合いが悪くないつもりだ。多分、こいつも」
 にやり、と、美しい唇が弧を描く。
「共犯さ」
 シュラは、初めて笑みを浮かべた。困ったような、ホッとしたような、そして有り難いような。眉の下がった、複雑な笑みだった。



 教皇宮には、やはり人が居なかった。
 シュラを厨房に呼びにきたのは門番をしている雑兵だったが、他ではどこにも人の姿は見えない。そしてやはり赤ん坊の声は聞こえず、女官の姿などどこにもなかった。
「……アテナが居ねえってのは、やっぱりマジだな。取り繕っちゃ居るが……」
 今回の事件から、アテナへの拝謁は教皇しか許されないこととする、という達しが3人が寝ている間に聖域中に下された、というのは、既にトニから聞いていた。しかしこれも、理屈は通っているがどうしても違和感がある、というのは3人共通の見解だった。
「ああ、あの手のかかるアテナを教皇一人で何年も面倒を見るなんて不可能だ」
 アフロディーテが、小声で同意した。
 そしてそうこうしているうちに、教皇の間の扉の前にとうとうたどり着く、3人は一度歩みを止めた。
「堂々としてろよ」
 まだやはり気が重そうなシュラに、反して気を抜いて怠そうな風情のデスマスクは言った。その仕草がわざとなのかどうかは、彼にしかわからない。
「起こったことだけを、そのまま言えばいいんだ。それが“報告”だからな」
「……ああ」
 腹を決めたような顔で、シュラは頷き、背筋を伸ばした。



 それぞれが入室の挨拶の言葉を張り上げてから、中に入る。
(扉番も居やしねえ)
 いつもは扉の両脇に立っている儀仗兵が、居ない。この徹底した人払いも、違和感の一つだった。アイオロスの事件を警戒してアテナを隠したという割に、警護の兵を配置しない。この大事件の最中だというのに、外界に出ている他の“黄金の器”たちを招集しない。赤ん坊の声がしない。女官が居ない。それから、
(どれがおかしいってんじゃねえ。どれもこれもがおかしすぎるんだ)
 デスマスクは、神経を研ぎ澄ませた。今から起こる全ての動きと発言、全てを聞き逃さないように。
「……私はおまえたちは呼んでいないが?」
 玉座に座った教皇は、まずそう言った。デスマスクは僅かに目を伏せると、息を吸う。
「俺たちも、あんたに用があるんだよ」
「報告が終わってからにせよ」
「そのつもりだ。おい、シュラ……」
 報告しろ、と言いかけたデスマスクは、ぎょっとした顔で固まった。シュラが、何とも言えない形相をしていたからだ。彼は、真っすぐ教皇を見ている。
 ──まるで、化け物でも見たような顔だった。
「……誰だ」
 青い顔で、シュラは言った。

「……おまえは、誰だ!?」
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BY 餡子郎
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