第8章・Am Kamin(暖炉の側で)
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「デスマスク──」
「おーい」
 早朝、日が昇るか昇らないかの時間に叩き起こされてやはり食事の仕込みを手伝わされていたデスマスクは、厨房の外から自分を呼ぶ、聞き慣れた声に顔を上げた。
「おいチビ、お友達のチビが呼んでるぞ」
 トニは窓から顔を出してから、デスマスクに言った。どうやら二人は、窓から見える中庭に居るらしい。



「……サガが居ない?」
 まんまとトニに朝食づくりの手伝いをさせられたシュラとアフロディーテは、そうだ、と頷く。シュラは不精をしてエクスカリバーで人参を剥こうとしたので、トニに一度殴られていた。
「サガなら一昨日見たぞ」
「え、本当か?」
 牛乳をつぎながらぶっきらぼうに言ったトニに、3人の視線が集まる。
「謁見の間に行く廊下が、そこから見えるだろう」
 トニが顎で指したのは、先程シュラとアフロディーテの姿を認めた窓である。確かに、中庭の向こうに教皇の謁見の間へ向かう渡り廊下の一部がちらりと見える。
「聖衣じゃなくて、訓練服だったな。確か昼前、十一時半頃」
 人参が煮えた頃だから間違いない、とトニは言った。彼は太陽の位置でも影の長さでもなく、腹具合と食事の支度のタイミングで時間を計る。
「……おかしいな。その頃はもう俺たちはここに帰って来てたぞ」
 この十二宮では、アテナを守る要塞として有益な備えとして、黄金聖闘士であれば、小宇宙によってどこに誰がいるのか、意識さえすれば把握することが出来る。
 そしてもちろん、双児宮から教皇宮へ登る途中には、磨羯宮がある。しかしサガの気配は、あの日アイオロスとともにシオンに呼び出されてからというもの、全くもって感じられないままだった。そして何より、デスマスクがあんな状態で帰って来ているというのに、サガがそれを無視していくというのは考えられないことだった。
「……探しに行ってみるか」
 ゆで卵を齧りながら、シュラが言う。
「そうしろ、どうせチビどもがいなくてヒマだろう。おい、お前も行けよ」
 スパン、とトニがデスマスクの頭をひっぱたく。その拍子にパンを喉に詰まらせたデスマスクは、げほげほと激しく咳き込んだ。
「ついでに日陰のブロッコリーも日に当てておけ」
 そう言って、早々に朝食を片付けたトニは余った食材を片付けていく。またモヤシ扱いされて、デスマスクは恨めしげにトニを見上げた。



 “下”に降りた3人は、人々にサガの行方を聞いて回った。あまり見ない黄金聖闘士がやって来た事に人々は最初驚いたが、サガの名前を出すとたちまち笑みを浮かべ、あれやこれやと話してくれた。
「……居ないな」
 誰も彼もがサガのことを知ってはいるが、今どこにいるかについては誰も知らず、そして一昨日からここへ来ていないことも明らかになった。そして話しかけられるうちにシュラは候補生たちの訓練を見ることになり、アフロディーテは華やかなものと縁のない人々へ薔薇を振る舞って喜ばれ、サガに負けず劣らずの知識があることを知られたデスマスクは、いつの間にか怪我人や病人相手ににわか医者のようなことをしている。
「皆様方、サガ様のようでいらっしゃいます」
 そう言って拝むようにしてくる人々に、3人は苦笑するしか出来ない。今までも怪我人を見かけたらヒーリングを施してやる位のことはしていたが、シュラは以前“下”の候補生や雑兵と大喧嘩をやらかしてからすっかり恐れ戦かれていたし、デスマスクは牢に入れられていたことが知られているし、アフロディーテは言葉がろくろく話せなかったこともあって、彼らは単独でこうして“下”に降りてきたことはない。
「……サガって、今までコレ全部一人でやってたのか?」
 皆の話を聞き、病人の具合を見て、子供たちの訓練をつけ、その他諸々。3人掛かりでやってもやっとのそれをサガはこなしていたのかと呆然と呟けば、皆はまるで自分たちが褒められたかというように、笑みを浮かべて頷いた。
「サガ様がいらっしゃらねば、ここはもっと地獄絵図でございますよ」
 本当に、神のようなお方です、と一人残らずが言う。
 シュラは、アイオロスの言葉を思い出していた。何故サガでなくて自分なのだろうかという彼の言葉は、なるほど真実であるようだ。
(……だけど、)
 シュラは、確かにサガを凄い男だと思う。決して焦ったり、怒ったりすること無く、いつも微笑みを浮かべているサガ。みんなの言い分を全部聞いて、そして言い切って静かになってからゆっくりと話し出す彼は、皆にとって本当に神様なのだろう。とてもまどろっこしく、しかし誰もが損をしない、納得するやり方。何も関係ないサガだけが苦労をするやり方。
(教皇になっても、こうならいいけど)
 そんなことが可能だろうか、とシュラは考える。聖域とは歴史の裏側から世界を守る集団であり、教皇はその頂点である。だから教皇は世界中の人間のことを考えなければならず、その時、サガのやり方が通用するかといえばそれは否だ。シュラは自分がデスマスクのような頭脳を持っていない事実を自覚していたが、そのくらいは言われずとも想像がつくし、何より二百年以上教皇を勤めているシオンは、サガのような行動をとることはない。
 ならば教皇には、アイオロスのように問答無用で頭を殴りつけるやり方をとる男の方が相応しいのではないだろうか。パンを盗んでも人を殺しても平等に死刑を下す『ドラコン』が、法律としてまかり通っているように。
 ──だがそれがいいことなのかどうかまでは、シュラには判断がつかなかった。



「結局、どこにも居なかったな」
 散々人々にもみくちゃにされてぐったりした3人だが、サガは結局どこにも居なかった。夕陽が空を赤く染める頃、ようやく解放された3人は、居住区を離れた結界の森近くを歩く。居住区からも道からも離れたその場所は、人目を避けたい者たちがひっそりと潜むポイントでもある。
「……おい」
「は?」
「おい! 隠れろ!」
 デスマスクが、シュラとアフロディーテの頭を押さえてしゃがみ込む。突然立ち止まったかと思えば突然そんな行動に出たデスマスクに二人は目を丸くしたが、静かにしろというジェスチャーの後に、繁みの向こうをそっと指差した彼に従い、視線を動かした。
(……あ)
 そこに居たのは、訓練服姿の男女だった。男はサガ、もうひとりはあの日雑兵たちに暴行を受けていた所を助けた娘である。二人は断って向かい合い、何か言葉を交わしていた。
「……何度言われようと、私は試練を受けます」
 耳を澄ませて聞けたのは、そんな言葉だった。
「私は、なんとしても聖闘士にならなければいけない」
「死ぬぞ」
「死にません」
「死ぬに決まっている。おまえは弱い」
 サガの声は、3人が聞いたこともないほど低く、忌々しげだった。
「ですが、それ以外に道はありません。……それともあなたがどうにかしてくれるんですか」
「…………」
 サガは苦々しげに顔を歪めた。サガとは思えぬ仕草を再度見ることになり、3人は顔を見合わせる。
「……ああ、確かに俺には何も出来んさ。なら勝手にしろ、馬鹿め」
 そう吐き捨てると、サガは踵を返す。娘は仮面を被っているが、彼を真っすぐに見つめ、呟いた。
「……ありがとうございます」
「……馬鹿だ、おまえは」
 奥歯を噛み締めたのがわかる声だ。サガは娘を見ないまま、森の方へと消えていく。3人は半ば呆然とそれを見送った。

「……それで、覗き見とはいいご趣味ですね」
「あ、バレてた」
 しばらくしてから苦笑を含んだ声をかけられて、3人はがさがさと繁みから這い出た。
「や、吃驚した。おまえサガとそういう」
「違いますよ」
 娘は即否定した。彼女の性格からして照れ隠しかと思ったが、あまりに冷静な様子からみて、そうではないらしい。
「私、娘が居るんです」
 突然、彼女はそう言った。
「それでサガ様にはお世話になって──、……サガ様の子供じゃありませんよ」
 目も口も真ん丸にして絶句している3人に向かって、娘はまた苦笑混じりで言う。度肝を抜かれた3人は、それでもすぐに言葉を発することが出来ずに棒立ちになっている。
「十四の時に生んだ子です。今年、四つになります」
「ええ、……ええ!? 知らなかった」
「秘密にしていますからね」
 クスクスと笑いながら、娘は言った。秘密を守るには、周りの女たちが全員で協力してくれているらしい。黄金聖闘士に色目を使いお互いに牽制の激しい女官たちばかり見てきている3人は、女たちのその結束の強さに感心し、また好ましく思った。
「私たちに教えても良かったのかい」
「アフロディーテ様たちですから」
 そう言われて、もちろん悪い気はしない。
「あの雑兵たちには、……そのことを知られて脅された、というのがあります。女を捨てなければならないのに母だなんて、候補生を外されてもしかたがありませんからね」
「なるほど。あいつらが捕まったとき」
「ええ、サガ様が口止めをして下さいました」
 3人は納得して、頷いた。サガのことである、それからちょくちょく様子を見に来ていてもおかしくない。
「でも俺、あんなサガ初めて見たぞ」
「そうですか? いつもあんな感じですけれど」
「えええ!?」
 でも俺とか言ってたぞ! 馬鹿とも言っていた、と3人は信じられないという風に言いあう。だが娘が「冗談ですよ」と言うことはなかった。混乱する3人に、娘は首を傾げる。
「それはそうと──、……聖闘士の試練を受けるってのは本当か?」
「……そこも聞かれていたんですか。参りましたね」
 仮面の下で、娘は、ふう、とため息をついた。
「ええ、受けます」
「相手は?」
 候補生に対してとある条件を満たす試練内容が課せられる“黄金の器”と違い、青銅と白銀の多くは、選ばれた少人数の候補生同士の決闘でその聖衣の所有者を決める。
「イシドロス」
 質問したシュラはその答えを聞いて、ふうん、と頷いた。闘技場にはちょくちょく顔を出す彼は、候補生といえども、頭角を現している者の名前は結構把握している。
「きわどい所だけど、勝てないこともない、というところか」
「修行は欠かしておりません。……必ず勝ちます」
 言った途端、彼女から覇気が立ちのぼる。それを感じたシュラは、にやりと笑ってみせた。
「そうか。試合はいつだ?」
「明日」
「明日!? 何だよ、教えてくれれば──、ああそうか、悪ィ」
 デスマスクは、きまり悪そうに頭を掻いた。デスマスクはずっと五老峰に居たし、そもそも彼らはあまり“下”には降りない。もちろん一介の候補生である彼女が十二宮まで堂々と来れるわけがない。
「とんでもない。……そういえば、デスマスク様もキャンサーの試練を受けられたとお聞きしましたが」
「……あー」
「デスマスクの試練は保留だよ」
 言い淀むデスマスクを押しのけるようにして、アフロディーテが言った。
「私はピスケスの聖衣を賜った」
「そうですか。おめでとうございます」
「うん、ありがとう」
 アフロディーテは、にっこりと笑った。輝くように美しい笑みに娘が気圧されたのがわかって、シュラが密かに笑う。アフロディーテの顔を迷いなく殴れるのはシュラとデスマスク、そしてアイオロスぐらいだ。
「じゃあ、無事ピスケスになった私から、勝利を願ってこれをあげよう」
 そう言って、アフロディーテはくるりと手のひらを翻し、二輪の白い薔薇を出現させる。花を贈られることなどない娘は、わたわたと不器用な仕草で二本の薔薇を受け取った。
「一輪はきみの娘にあげるといい。今度会わせてくれる?」
「……は、はい、もちろん!」
「抜かりねえ〜……。お前そういうのどっから覚えて来たの?」
 にこにことしているアフロディーテに、末恐ろしい、とでも言う風にデスマスクが言い、「お前が言うか」とシュラが半目で呟いた。
「……ありがとうございます。きっと聖衣を得てみせます」
「……お前さあ」
 じっと薔薇を見つめて呟く娘に、デスマスクが話しかけた。
「お前は、なんで聖闘士になりたいんだ?」
 それは静かな、そしてやや揺れた声だった。娘は、デスマスクの方を振り向く。銀色の仮面が、夕陽を照らしてオレンジ色に光っていた。
「アテナの為じゃねえだろ、もちろん」
「…………あの」
「いいよ、正直に言って。俺アテナ嫌いだし」
 娘は、驚いたようだった。だがシュラとアフロディーテが聞き慣れたような呆れ顔をしているのを見留め、ふっと肩の力を抜いた。
「……子供の、……娘の、為です」
 恐る恐る、と言った風な声だった。ここは聖域である。無理もない。
「娘は、四歳になります。来年には、候補生として訓練が始まります。……でも私はどうしても、……娘を聖闘士にしたくありません」
「…………」
「その為には、私が聖闘士にならなくては」
 ここ聖域で聖衣を得ることの出来なかった候補生は雑兵になるが、身体を壊すことでそれすら出来なくなると、その暮らしは一気に苦しいものになる。トニやルイザのような例はとても稀なのだ。そして、五体満足で健康な子供一人を聖闘士候補生にせずに普通に養おうとするなら、正式に聖衣を得てそれなりの権限を持たねばとても無理だ。
「そして私は今、十八です。聖衣を得るには、この年齢が上限です。聖衣の争奪戦は滅多に開催されませんから、これを逃したら……」
「……お前は、娘の為に聖闘士になろうとしてるのか?」
 デスマスクが言うと、娘は顔を上げ、仮面越しに、真っすぐに彼を見た。
「そうです」
 その声は揺るぎなく、堂々としていた。
「候補生になれば、半分以上が命を落とすか、五体満足ではいられません。娘はいま、健康です。私は娘をそんな目に遭わせたくありません」
 だから聖闘士になるのだと、彼女は今度こそ、何のてらいもなく言い切った。死ぬかもしれない、五体満足ではいられないかもしれない訓練を乗り越えて、──命をかけて、娘の為に聖闘士になると。
「私は女を捨てましたが、母であることだけは死んでも捨てません」

 ──竃の前に居る女は、男を必要としちゃいないのさ。

 生まれた赤ん坊は、家族として認められる為に竃の前に連れて行かれる。赤ん坊を抱いて竃の前に居る女は、愛おしそうに我が子を眺めるだろう。そこに男の入る余地があるだろうか? ──しかしその光景は、血みどろになって帰ってきた身には、何よりも恋しい光景に感じられた。
「……そうか」
 黄金聖闘士よりも偉大な料理長の言葉の意味を、デスマスクはぼんやりと理解した。そしてヘスティアの眷属である竃の前に居る女は、きっと料理長が崇めるほどに偉大なのだろう、とも。
「では、そろそろ失礼します。明日に備えますので」
「お前はスピードが何よりの武器だ。柔軟だけはしっかりしておけ」
 シュラが的確なアドバイスをすると、彼女は頷いた。
「ところで、聖衣は何座の聖衣だ?」
「白銀です」
 二輪の白い薔薇を大事そうに持ち、娘は言う。
「白銀聖衣、琴座ライラ」
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BY 餡子郎
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