第6章・Wichtige Begebenheit(重大な出来事)
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 ここのところ、デスマスクとアフロディーテとともに毎日午前中いっぱい図書室に篭ってみるものの、結局何のインスピレーションも得られていないカプリコーンは、そのまま二人と一緒に、日課の訓練メニューをこなしていた。午前中に図書室、午後に訓練、というのが、最近の彼らの毎日である。
 そして、ランニングという名の聖域百周競争の途中、彼らはその光景に出くわした。

「──おい! 何やってる!」
 カプリコーンがまだやや高い声を鋭く飛ばすと、岩陰に居る雑兵たちが、びくりと不審に戦いた。その反応で彼らが何をしているのかの大まかな見当がついた三人は、黄金の器でしか成し得ない神速の機動力でもって、彼らを取り囲む。
 雑兵たち四人の足下には、十代半ばほどの女性訓練生が居た。
 かつては神殿の一部だったのだろう大岩を背にした彼女は打撲痕だらけで、しかし身体中の怪我よりも、俯いた顔を両手で必死に覆っていた。
「……何をやっていた!?」
 先程よりも更に険しい顔でカプリコーンが怒鳴り、雑兵たちがヒィッと小さく悲鳴を上げて縮こまる。まだ十になるかならないかの子供とはいえ、常人にとっては神の領域と言える黄金の小宇宙を滲ませた一喝は、青銅聖闘士にすらなれなかった彼らにとって、充分すぎるほどに畏怖の対象だった。
 黄金の小宇宙が燃える琥珀の目でカプリコーンが彼らを縛り付けている間に、デスマスクが草むらの中に投げ捨てられていた銀色の仮面を見つけ、アフロディーテがそれを持って女、いや少女に駆け寄った。過剰なほど俯いて振り乱した髪で顔を隠し、アフロディーテの手から仮面を受け取る少女の手は、ひどく震えていた。爪が何枚か剥がれて流れた血に草や泥がへばりついて、ひどい有様になっている。
「何をやっていた、と聞いているんだ! 答えろ!」
「……はっ。何やってたかなんて見た通りだろ、山羊」
 赤い目をぎらりと輝かせて、デスマスクが吐き捨てる。
「……どうした? 何の騒ぎだ」
 そのとき背後から聞こえた穏やかな声に、怯えきって何も言えなくなっている雑兵たちを含めた、全員の目線が上がった。
「サガ」
 聖域内では聖衣を纏っていることが多い彼だが、サガは訓練服姿だった。彼はするりと滑らかに目線を走らせ、おそらく正しく状況を見極めた。
「……サガ?」
 太陽の位置は、既に西の方角にある。逆光で陰った彼の表情を覗くことが出来たのは、デスマスクだけだった。
 サガは、デスマスクの見間違いでなければ、目を細めた。その目つきは鋭く、デスマスクが──いや、誰もが見たことのない位に冷たいものだった。
「……大丈夫か?」
 デスマスクが唖然としている間に、サガは静かに、しかし素早く、踞っている娘の側に膝をついた。
「歩けるか?」
「歩けます」
 震えながらも、しかし気丈な声だった。デスマスクはその声にぴくりと眉を上げる。雑兵たちをよく見ると、彼らには何かしら攻撃を受けた形跡があった。一人など顔が鼻血まみれである。
「それは素晴らしい。よく訓練しているのだな」
「……は」
 柔らかい笑みを浮かべてそう言ったサガに、娘は、顔の形をした銀色の顔面を上げた。
「だが、そのままにしておいて後々歩けなくなっては、積んだ訓練が無駄になる。よく鍛えていることを賞して黄金聖闘士三人を供につけるから、手当をしてきなさい」
「──双子座様!?」
 雑兵ですらない訓練生に対して、破格以上の扱いである。ひっくり返った声を上げた娘の表情は誰にもわからないが、サガがにこりと微笑んだ時、激しい訓練で少し形の変わってしまった小さな耳が赤くなったのを、全員が見た。
「まだ小さいが、そちらの四人よりは女性の扱いには長けているだろう」
「当たり前だ。そんなクズどもと一緒にすんな」
 すかさず食いついたデスマスクにも笑みを向けたサガは、しなやかな所作で立ち上がった。
「この者たちについては、この双子座ジェミニのサガが責任を持って沙汰する。行け」
「──双子座様、私は」
「誰も何も見ていない」
 問いも聞かずに、サガは言った。娘が息を飲む。そしてややしてから、ただ深く頭を下げた。
「三人とも、丁寧に手当てしてやりなさい」
 サガがにっこりしてそう言うと、アフロディーテが娘の手を取った。そしてアフロディーテの横にカプリコーン、娘の横にデスマスクが立って歩き出す。デスマスクが何か話しかけてくるのに答えながら、娘は何度もサガを振り返っていた。
 そして彼らの姿がすっかり見えなくなってしまってから、サガは雑兵たちに向き直る。
「──双子座様、」
「ああ、いい」
 慌てて何か言おうとする雑兵を、サガは静かに制した。そしてにっこりと、まるで大理石の聖像のように微笑んだ。細まったブルーグレーの目は、見る者の呼吸を奪うほどに冷たい。雑兵たちがヒッと息を飲み、サガは笑みを深くした。
「あの訓練生を四人で殴り倒して犯そうとした。見ればわかる」
「お、お許しを、お許し」
「いいと言っている」
 美しい立ち姿は、クーロス像のように凛として、どこか神秘的に見えた。
「どうせ初犯でもないのだろう? ……誰も何も見ていない、とでも?」
 先程娘に言った言葉と全く同じでありながら、その声はどこまでも無情だった。
「お前達がやったのは、謝罪も償いも通用しない重罪だ」
「ヒッ……」
 ざわり、と、風もないのに草が動く。それは生命の源から溢れ出るもの、金色の小宇宙に畏敬を評した小さな命たちが震え上がった音だった。
「だから俺は、何も聞いてはやらん」
 真っ赤な夕陽が、西に沈む瞬間だった。
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BY 餡子郎
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