第5章・Glückes genug(満足)
<4>
「ああ、カプリコーン、ここにいたのか。おかえり」
 アイオロスとアイオリアの兄弟が風のようにいなくなってしまったあと、カプリコーンとアルデバランはすっかり不機嫌になったムウとシャカを持て余していたのだが、そのとき、声変わりをして間もないためか少し掠れているが、ゆっくりした穏やかな声が投げかけられた。
「あ、サガ」
「無事に聖衣を継承できたようだな。本当におめでとう。……頑張ったね」
「……ありがとう」
 照れくさそうに、だが嬉しそうにぼそぼそと言ったカプリコーンに、サガはにっこりと微笑んだ。
「ムウ、シャカ、アルデバラン、お前達はカプリコーンにおめでとうとちゃんと言ったのか?」
「おいサガ、いいよ別に」
「何を言うんだ、嬉しいことはちゃんと言わなくてはいけない。……その様子だとどうせまた喧嘩をしたのだろう? まったく」
「だって、だって」
 シャカとムウはじたばたしたが、喧嘩の理由すらもう忘れてしまった子供は、そうしてだだをこねるしか出来なかった。
 しかしサガとて、もう何年も小さな子供たちの相手をしてきたわけではない。彼とてまだローティーンの子供ではあるが、その道においては既に玄人だ。このちびたちが喧嘩の理由をすっかり忘れてしまっていること、そしてそのくせ相手のことがとにかく気に入らないということをしつこく思い込んでいるということぐらいは既にお見通しだった。
 サガは「うん」、と首を傾げてから、ひとり所在無さげにしているアルデバランに振り返った。
「アルデバラン、なんでこの子たちは喧嘩を?」
「え……」
「きみは賢いから、きっと覚えてるだろう?」
 サガの笑顔は、いつもきらきらと輝くようだ。そんな彼にそう言われて、アルデバランは照れたように少し顔を赤くし、「あの、」とぼそぼそと言った。
「……4人で遊んでて」
「うん」
「そしたらシャカが、なんでムウのまゆげは自分たちのものと違うんだって聞いて」
「うん」
「そしたらムウが説明してくれたけど、ええと、むずかしくてよく分からなくて、それでアイオリアが「もういいよ」って言ったらムウが怒って」
「なるほど」
「それでシャカの目は何で閉じてるのかってなって、……そしたらシャカの言うこともむずかしくてよく分からなくて、それで」
「……なんとなくわかったよ」
 サガは苦笑して、ちび二人の頭をそれぞれの手で同時に撫でた。
「お前達は歳のわりにものを知っていて賢いから、そのぶん自分の言っていることが伝わらないこともあるね」
「アイオリアがばかだから悪いんです」
「そうだ」
「こら。簡単に人のことを悪く言ってはいけないぞ」
 サガは、柔らかい声のまま二人を叱った。しかし二人にとっては、理屈をぶっ飛ばして「喧嘩するのがそもそも悪い」と問答無用のアイオロスよりも、こうして争いの内容をきっちりと整理して叱ってくるサガの言葉の方により説得力を感じるらしく、きまり悪そうに目を泳がせた。
「アイオリアは馬鹿なんかじゃない。おまえたちがアイオリアより少し物知りなだけさ」
 そしてこうして叱られつつも褒められれば、二人とも幼児らしい丸いほっぺたを赤くするしか出来ないのだ。
「だから二人とも、アイオリアが分かるような言葉で説明してごらん。そうすればアイオリアだって「もういいよ」なんて言わないさ。なあアルデバラン」
「う……うん」
 アルデバランはこくこくと頷いてから、何か意を決したような顔をして、言った。
「……じつは、俺もふたりの説明は、むずかしくてよく分からなかった」
 アルデバランは、俯いた。
「でもアイオリアがばかって言われて、……俺もわからないのに、だけど俺は俺もわかんないって言えなくて、だってばかって言われるし」
「アルデバラン」
「俺が、俺もわかんないってすぐ言えば、けんかにはならなかったんだと思うし、」
 ごめんなさい、と小さい声で言った大きな身体の子供の声は、ひどくしょんぼりしていた。そしてそんな彼を見て、シャカとムウが初めて申し訳ないような顔になった。
「お前は悪くないだろうアルデバラン、それは」
「でも、カプリコーン……」
「そうだな。でももし君が悪いと思っているなら、好きなようにするといい」
 サガがにっこりと言うと、アルデバランはぱっと顔を上げ、ムウとシャカを見て、言った。
「……ごめんな」
「あ、アルデバランはわるくありません!」
「そうだ。わるくない」
 ムウとシャカは首を振りながら、必死な様子で言った。
「……わるいのは、私です。……ごめんなさい」
「……私にも“非”があった。わるかった」
 照れくさそうな、ばつの悪そうな顔で謝罪を口にした二人にアルデバランはきょとんとした顔をし、そしてみるみる笑顔になった。
「うん!」
「よしよし、皆納得したな? あとでアイオリアともちゃんと仲直りするんだぞ?」
 サガがにこにこして言うと、三人はそれぞれ素直に頷いた。
 カプリコーンは、サガのこういうところが凄いと思う。カプリコーンはダンゴになって取っ組み合っているちびを見るだけでうんざりするし、どちらかといえばアイオロスのように一発ぶん殴って黙らせたい。しかしサガはこういうとき、決して焦ったり、怒ったりすることは無い。みんなの言い分を全部聞いて、そして言い切って静かになってから、彼はゆっくりと話し出すのだ。それはとてもまどろっこしくもあったが、しかし誰もが損をしない、納得するやり方だった。損をしている者がいるとすれば、それは何も関係ないのに全員の愚痴を全部聞くことになるサガだけだ。
「それにしても……二人ともひどい有様だ。お風呂に入りなさい」
 散々取っ組み合ったせいでドロドロのボロボロになっているシャカとムウに、サガは言った。昼間っから風呂だなんて、と二人はごねたが、サガに「もうすぐ教皇の間で挨拶の時間なのに、そんな格好で行く気かい」とこの上なく説得力のある理由を突きつけられ、しかもアルデバランに「おれも行くからさ」と言われ、渋々湯浴みに向かったのだった。



「あのちびども、俺が帰ってくる頃には少しは静かになってるかと思ったのにさ」
「ははは」
 いかにも「どうしようもない」と大袈裟にため息を吐くカプリコーンに、サガは笑った。
 朝から昼にかけての訓練に続いてシエスタの時間が終わったら、黄金聖闘士と黄金聖闘士候補生、その全員が教皇の間の謁見室に集まって教皇に謁見、挨拶する、という、朝礼ならぬ昼礼のような習慣が、ここにはあった。もうすぐシエスタが終わりどうせその謁見なのだから一緒に行こう、と二人は十二宮の階段を昇り始めた。
「いい子たちじゃないか。ちょっとやんちゃなだけで」
「“ちょっと” “やんちゃ”だって! あれが!」
「聖闘士の“やんちゃ”だよ、カプリコーン。序の口さ」
 サガが少し悪戯っぽく笑うと、カプリコーンは肩を竦めた。ここに来た時と比べると、今の彼の動作は一つ一つが随分とアクティブだ。目元を半分以上隠していた長めの黒髪は今や誰よりも短く切られ、一人称はすっかり「僕」から「俺」になった。
「俺に言わせれば、いい子がいるとしたら、アルデバランぐらいだ」
「ああ、確かにあの子はとても優しくていい子だね」
「だろう? あのくそがきどもに比べたら、俺はアルデバランが天使に見えるね」
「こら、汚い言葉を使うんじゃない」
「あれがくそがきじゃなかったらなんだってんだ。他に言葉があればそれを使うけど」
 すっかり口が悪くなっている。上品な刺繍のベストを着こなしていた坊ちゃんはどこに行ってしまったのか、カプリコーンはヘッと口をひん曲げて舌を出した。
 カプリコーンがかつての自分から変化したいと望んでいたことは、彼がここに来た時からサガは察していた。彼は自分で髪を切り、格闘術を積極的に学び、よく笑うようになった。確かにそれはとてもいいことだけれど、とサガはため息をつく。程というものがあるだろう、と。
「──名無しの黒山羊が帰ってきやがった!」
 そしてサガがため息をつききらない間に、デスマスクの声が降ってきた。訓練服を微妙に着崩した銀髪の少年は、磨羯宮の真ん前の階段で、腰に手を当てて仁王立ちをしていた。あっちこっち細かい擦り傷やら汚れやらがついたその姿は、いかにも“やんちゃ”だ。
「なんだよデスマスク」
「なんだとは何だ、せっかく出迎えてやったのに。もっと有り難がれ」
「はあ?」
 ふんぞり返るデスマスクに、カプリコーンは半目になった。しかしそのやり取りを見ていたサガが、にこにこと微笑みながら言う。
「わざわざ友達を待ってたのかい。いい子だねデスマスクは」
 言った途端カプリコーンが吹き出し、デスマスクが苦虫を噛み潰したような顔をした。デスマスクは「いい子」と言われるのが死ぬほど嫌いだ。彼曰く、「かっこ悪いから」だそうだ。
 そしてカプリコーンが同じ段まで階段を昇ってくると、デスマスクは苦々しい顔を更に険しくした。
「……この野郎、また背が伸びやがった!」
「お前はちっとも伸びてないな」
 ふふん、とカプリコーンは銀髪を見下ろしながら笑った。カプリコーンの背の高さは彼の身体的特徴のひとつで、その身長はアイオロス、サガと続いてカプリコーンである。そしてデスマスクはといえば、どちらかといえば背丈の伸びは緩やかだ。ごくごく平均的な数値を保っているだけなのだが、カプリコーンとの身長差は既に頭半分近い。そのことが、デスマスクには気に入らないらしい。
「うるせえ、1インチ伸びた!」
「へえ。横にか?」
「言ってやがれ、ガリガリの骨山羊が。体重は俺とそう変わらねえくせに」
 今度はカプリコーンのほうがむっとした顔をした。そう、彼は何故だか骨が伸びるばかりでなかなか肉がつかず、おかげで身軽でスピードはあっても攻撃が軽いのだ。それは格闘術にかなり訓練の比重を置いているカプリコーンにとって、かなりの悩みだった。対してデスマスクはいかにも悪ガキらしい力の強そうな手足をしていて、ウェイトがそこそこあるので一撃が重い。しかもおそろしく頭がいいため、その小回りのよさを最大限に活かして的確な所に重い一撃を入れてくる。そんな風だから、格闘技術自体はカプリコーンの方が上でも、いざ実際に試合をするとなるとデスマスクのほうが白星を半分は持って行くのである。
 つまり二人は、それぞれのプラス点とマイナス点により、常に互角かつ対極の位置に立っているのだった。
「黙れチビデブ」
「オォ? やんのかガリノッポ」
「やめろ」
 チンピラよろしく下顎を突き出して睨みあいをはじめた二人の頭をサガは掴み、引き剥がすようにして遠ざけた。まだまだ自分たちより背が高く力も断然強いサガにそうされると、二人は渋々睨みあいをやめる。
 アフロディーテもそうなのだが、特にこの二人はいつもつるんでいるくせに、その対極にある性質のせいか、ほぼ常に小競り合いのような取っ組み合いをしている。それがチビたちのような感情に任せた本気の取っ組み合いではなく、いわばお互い同意の上でのストレス発散なのだとはわかっているが、ある程度身体が成長していて、しかも将来さぞ強面に成長するだろうという顔つきをしているこの二人がそこいらの格闘家も裸足で逃げ出すようなレベルの取っ組み合いをしていれば、普通はただ事ではないと思われるだろう。
「ふん。……おい、その分だとお前、まだ名前決めてねえんだろ、この名無し」
「……うるさいな。簡単に決められるものじゃないだろ」
「馬鹿いえ、もう地球が何周回ったと思ってやがるんだ、とろくせえな」
 デスマスクは、巨大な柱の根元の段差に無意味に飛び乗り、そして降りた。エネルギーが有り余っている感じだ。
 しかし彼の言う通り、カプリコーンは自分で自分の名前を付けると決めたものの、その候補すら未だに全く思いつかないでいた。一生名乗るだろう名前だから、と真剣に考えているだけなのだが、デスマスクは何故デスマスクなんだと聞いてもちっとも教えてくれないので参考にならないし、とにかくきっかけがないのだ。彼は眉を顰めてため息をついた。
「カプリコーンにも、アルデバランとかアフロディーテとか名前がセットになってりゃ良かったのに。……そういえばアフロディーテはどうしたんだ」
「何で俺が始終あいつの子守りしなきゃなんねえんだよ、知るか。しかしお前正気か、俺だったらアフロディーテなんて死んでもやだね」
 だってアフロディーテだぜ! と、デスマスクはまた無意味にジャンプして、階段を一段登った。
「ただでさえ女みたいな顔だってのにアレ、もう、いっそ女なら良かったのになあ! おれだって、あいつが女だったら朝から晩まで面倒見てやるさ」
「デスマスク……」
「アレ、絶対アテナが間違えたんだぜ」
 サガとカプリコーンが疑問符を頭の上に浮かべると、デスマスクはにやりと笑った。
「間違えてチンチンつけちまったんだろ。さすが処女、男と女の違いもわかっちゃいねえや」
「デスマスク! いいかげんにしろ!」
 聖域中が青ざめる発言に思わずサガが怒鳴ったが、デスマスクは自分の言ったことにうけてげらげらと下品に笑うだけだった。横を見ると、サガがいるせいか堪えている分まだマシかもしれないが、俯いたカプリコーンの肩は、ガクガク跳ね上がるほど動いている。
 ……サガに言わせれば、この二人こそまさしく「くそがき」だった。
BACK     NEXT
BY 餡子郎
トップに戻る

各メッセージツールの用途と使い方
拍手 Ofuse Kampa!