第5章・Glückes genug(満足)
<2>
「私が双子座、ジェミニのサガだ。よろしく、スコーピオンのミロ」
「はい! よろしくおねがいします!」
「うん」
 元気な子供に、サガはにっこりと笑む。
 ミロス島からやって来たこの子供はミロといって、蠍座スコーピオンの候補生、そして最後の黄金聖闘士候補だった。キャンサー、カプリコーンが見つかってすぐにアイオロスの弟アイオリアがレオの候補生となり、さらに立て続けにして、ピスケス、タウラス、バルゴ、アクエリアスの宿星を持った子供が各地で見つかったのである。そしてこのくるくるの癖っ毛の金髪を持つ子供がスコーピオン、十二の黄金聖衣の最後の持ち主、候補生というわけだ。
「よく来たね。……しばらく、家族とは会えなくなるけれど……」
「……はい」
 ミロは、少ししょんぼりとした。黄金聖闘士の候補生、通称“黄金の器”と呼ばれる子供たちは、幼い頃から潜在能力や身体能力に見合った体格をも持っているのが普通だ。顕著なのはアイオロスやタウラスだが、サガもまた、同じ年頃の一般的な少年たちと比べると、驚くほど発育が早い。ハイティーンと言って充分通用する。
 デスマスクは平均くらい、──それでも聖闘士候補生としてはチビの部類だが──しかしミロは、一般の少年と比べても些かチビだった。あっちこっちにくるくると跳ねまくった、短いせいで余計にもこもこになっている濃い色の金髪のせいもあって、ミロはまるで本当に子犬のようだった。
「でも、約束したんだ! うちは前に聖域の兵士を出した“聖出”の家だし、立派な聖闘士になるって家族みんなと約束した!」
「……そうか」
 この少年は、他の少年たちと比べて、明らかに雰囲気が異なっていた。両親どころか兄、姉、祖父、祖母にまで恵まれたごく一般的な……いや、かなりの大家族の末っ子として育ったせいだろう、真っ青なその目には夏のギリシアの空のように一切の陰りがなく、広く、光で溢れていた。
 サガには、それが少し眩しい。
「しかし、こちらに居る間は私たちが家族のようなものだ。それに黄金の候補生は、君と同じ歳の子が一番多いんだ。仲良く出来ると思う」
「ほんと!?」
「ああ」
 サガがにっこりして頷くと、ミロはぱあっと顔を輝かせた。本当に子犬に似ている。
「教皇さまにはご挨拶したね。じゃあ、これからその黄金聖闘士候補の皆を……」
「……なんだ、そいつがスコーピオンか?」
 がさっ、と木がしなる音とともに、まだ高いくせにしっかり悪そうな声が上から振ってきた。ミロが吃驚して振り返ると、逆さまになった真っ赤な目がミロを見ている。
「うわあ!」
「こら、デスマスク、アフロディーテ。脅かすんじゃない」
「コイツが勝手に驚いたんだろ」
 膝を曲げて枝に逆さまにぶら下がっていたデスマスクは、ひょいと宙返りをして地面に降り立った。そして続いて、デスマスクと木の上にいたらしいアフロディーテが、デスマスクよりも随分身軽な動きで下に降りてきた。
「わ、あ……」
 ミロは、青い目を真ん丸にして二人を見た。デスマスクは肌は褐色に近いくせに見事な銀髪で、しかも真っ赤な目をしていた。それはミロがテレビでだって絵本でだってみたこともないものだったし、それにアフロディーテといったら、
「すっごい、綺麗!」
「……はは」
 ミロが素直に声を上げると、サガが何故か乾いたような短い笑い声を上げ、そしてデスマスクがにやにやと笑った。
「けけ、なーにが、きれいきれーいなアフロディーテちゃん、だ」
 あきらかに馬鹿にしたその声には、悪ガキとしての貫禄が十二分に宿っていた。悪口を言うのにかなり手慣れたデスマスクという少年を、余り良い奴ではなさそうだ、とやや警戒しながらミロが認識した時、アフロディーテがデスマスクを見た。
 きゅっと首だけを回して隣のデスマスクを見たアフロディーテは、ふわり、と微笑んだ。それはもう天使も恥じ入るような笑みで、ミロは思わずポーっとしてその表情に見蕩れた。

──ガツッ!

 ──ので、次の瞬間何が起こったのか、すぐに受け入れることが出来なかった。
「ッ……てえ! 何すんだてめえ、何言ったかもわかんねえくせに!」
 天使の笑みのままのアフロディーテに思いっきりグーパンチを顔、しかも鼻の頭に真っすぐ正面から食らったデスマスクは、鼻を押さえて涙目になりながら怒鳴った。サガがふうとため息をつく。
「悪口は、意味が分からなくても何となくわかるものだよデスマスク」
「ぎゃ──!」
 ふわふわの長いブロンドが風に靡き、アフロディーテがデスマスクを連続して殴りつける音が響く。お人形のようなアフロディーテが、いかにもいじめっ子なデスマスクの顔面を殴りつけ、しかもマウントまでとろうとしているその様を、ミロは呆然と見遣った。
 そして、地面に倒されたデスマスクがアフロディーテの手首をがっと掴んだ。
「ぐ、やられっぱなしだと思うなよ、コラ」
「…………………………」
 ぎりぎりとアフロディーテの両手の拳を押さえつつ、デスマスクはそう言ってにやりと笑った。悪ガキらしくなかなか力強そうなデスマスクと力が拮抗しているアフロディーテに、ミロは感心した。
 そしてアフロディーテは冷めた目でデスマスクを見下ろしていたが、突然、ぱかっとその口を開けた。
「ぃいッてェェエ!」
「こら! アフロディーテ!」
 デスマスクの手に思いっきり噛み付いたアフロディーテを、サガがまるで犬を叱るような声で諌めた。拳の硬い所を思いっきり噛まれたらしいデスマスクは、本気で痛そうな声を上げている。
「噛むのはナシだと教えただろう! 手を使いなさい!」
 そこなのか、とミロは心の中で思うも実際に突っ込むことは出来なかった。そしてサガの制止は何の効力も持たなかったらしく、噛み付かれてキレたらしいデスマスクが、アフロディーテの可愛らしい顔をこれまた思いっきりぶん殴り、マウントをとっていたアフロディーテが後ろに吹っ飛ぶ。
「うわ、」
 女の子の顔を殴るなんて! とミロがデスマスクの半端ない悪者ぶりに青くなったそのとき、デスマスクが再度怒鳴る。
「上等だこのオカマ狼、人間の怖さ教えてやらァア!」
「…………………………」
 口の端に血が滲んだアフロディーテは、水色の目を細めて立ち上がり、ファイティングポーズをとった。先程の取っ組み合いとは打って変わって格闘技らしい攻防が繰り広げられ始め、ミロはぽっかりと口を開けて立ち尽くす。
「……やれやれ、しょうのない……」
 サガはため息をつくと、あれが蟹座候補のデスマスクと、魚座候補のアフロディーテだ、とミロに言った。
「二人とも、君よりふたつみっつ年上だから、お兄さんだね」
「ああ、うん……おに……おにいさん?」
 現状がいまいち把握できていないミロは、くるくるの金髪頭の周りにクエスチョンマークを沢山飛ばしながら、振り返ってサガを見上げた。
「アフロディーテはお兄さんだよ、ミロ」
 確かにきれいだけどね、と、驚きのあまりまた目をまん丸くしているサガは苦笑しつつ言った。
「じゃあ、行こうか」
「……ほっといていいの?」
「いつものことだよ。あの三人はいつも一緒にいて、いつも取っ組み合ってるんだ」
「三人?」
「ああ」
 尋ねられたサガは、「もう一人いるんだけど、今はここにはいないのさ」、とやんわり言った。ミロは殴打音が響く土煙をちらりとだけ振り返ったが、サガはミロの手を取って歩き出す。サガは既に聖衣を賜った正規の聖闘士であるはずが、その仕草はとても優しくて滑らかで、とてもあんな風に殴り合いをするようには見えなかった。
「ねえ」
「なんだい?」
 サガは、柔らかい微笑みを浮かべてミロを見た。背の低いミロは、逆光でサガのプラチナブロンドの輪郭がきらきらと輝く様を少し見つめてから、静かに言った。
「……サガは、お兄さんだよね?」
「……お兄さんだよ」
 何かショックだったらしいサガは、やや暗い声でそう言った。
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BY 餡子郎
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