第5章・Glückes genug(満足)
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「……全員が、揃うとは」
シオンはそう呟くことで、己の手が震えていることに気付いた。
常人では考えられぬほどの時を経て皺だらけになった己の手は、もう闘うことなど出来ない。そしてシオンは、その事に安堵を覚えた。
共に前聖戦を生き残った戦友は、遠い五老峰で秘術をその身に宿し、長い役目に就いている。そしてシオンもまた、そうだった。童虎が冥界を監視する間、彼は新しい時代の戦士を育てる役目を持った。
だが、アテナの秘術もなしに二世紀半にも渡る時を長らえるのは、並大抵のことではない。
今、シオンの身体は、生きているのがありえない状態だった。
もちろん物理的にもあらゆる方法を使ったが、そんな彼が今こうして生きているのは、その小宇宙のおかげに他ならない。小宇宙とは、生命のエネルギーだ。全てを凌駕するそのエネルギーは、肉体の限界をも越える。
つまりシオンは今、小宇宙という気力だけで生きている。そしてその気力とは、次代の聖闘士を育てアテナの戦士を揃えること、その気概に他ならない。
デスマスクと名乗り始めたあの少年の小宇宙は、そんなシオンにとってはまるで子守歌のように心地よく魅力的だった。あのまま目を閉じてしまいたい、長い長い役目からの開放を望む己の心。しかしシオンは、その甘美な誘惑を、使命を真っ当せんという気力、シオンと同じだけの時間を滝の前で座している童虎への意地、そして今もなおコキュートスで永遠の氷の棺に閉じ込められているのだろう仲間たちへの誠意でもって撥ね付けた。
──二百年、そうしてきた。
しかしやっとその役目が終わるのか、と、シオンは震える皺だらけの手を握り締めた。
「終わるのだ」
聖戦は、終わらない。神は何度でも蘇り、アテナは何度でも戦い、そしてその度に聖闘士たちは戦い、地獄に堕ちてゆく。しかし、それでも構わない、とシオンは既に思っていた。生きる地獄も死ぬ地獄も、彼にとって地獄には変わりなかった。そしてそれが聖闘士である、とも悟っていた。
そして、新しい聖戦が始まれば。
「わたしの聖戦は、終わるのだ」
屍のような拳の上に、熱いものがひと雫、落ちた。