第4章・Bittendes Kind(おねだり)
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「すげえ」
 山羊座の名に相応しく、磨羯宮は十二宮の中でも、まさに断崖絶壁に建てられている。その庭もまた絶壁に面していて、こうして木に登らなくても、高所恐怖症なら充分気を失いそうな風景が拝める場所だった。しかしデスマスクは悪ガキらしく、その高い場所に満足してにやりと笑う。
 二人の少年は木の頑丈そうな所にそれぞれ腰掛けると、沈みつつある夕陽を眺めた。
「ん」
「……何だよ」
 突然差し出された赤い花に面食らいつつも、デスマスクはカプリコーンからそれを受け取った。
「甘いんだ」
 そう言って、カプリコーンは自分の分の花の根元を唇でくわえ、軽く吸ってみせた。デスマスクは半信半疑ながら、じっと見てくるカプリコーンの視線に耐えられず、同じようにする。途端、透明な甘さが口の中に広がった。
「ほんとだ、甘い」
「だろ」
 驚いたデスマスクの反応に満足したのか、カプリコーンは、初めて笑った。
「ムウの奴にも教えたんだけど、あいつ、花ごと口に入れてさ」
「ばっかじゃねえの」
 夕陽が赤い。二人して赤い光に照らされ、赤い花をくわえながら、げらげら笑った。
「……これ」
 カプリコーンが大事そうに取り出したのは、小さな、マホガニーの小箱だった。宝石箱にしては地味だが、角は銀細工の飾りがあしらってあるあたり、やはり宝石箱なのだろう。
「……母親の」
 きっちりと内緒話の音量で、カプリコーンは言った。母親という単語に、デスマスクはぱっと顔を上げて彼を見る。大事そうに、慎重そうにして宝石箱に触れるカプリコーンに、彼は強い親近感を覚える。
「お前の?」
「もうどこかに出てったけど……多分、もう、死んでると思う」
「……なんで」
「父親の、……」
 カプリコーンは、それきり黙った。そして無言のまま箱を裏返し、裏側についているねじを回し始めた。箱を開けると、オルゴールのメロディが流れ出す。
「だから僕は父親を殺したんだ」
 デスマスクは、目を見開いた。
「切り刻んで、絨毯みたいに真っ平らにしてやった」
「……おまえ、」
「ずっと殺してやりたかった。あいつと同じ名前なのが嫌でしょうがなかった。だからカプリコーンって名前は、お前の言う通り犬って意味でも、何でもいいんだ。あいつの名前じゃなけりゃ何でもいい」
 少し早口で言い、カプリコーンは、はあ、と息をついた。
「……母親が、父親のせいで死んだから?」
「他にも色々あるけど……。……一番は、それだ」
「そうか。なら仕方ねえな」
 うん、と、デスマスクは頷いた。彼にとって、それは充分納得出来る理由だったからだ。
「そりゃ仕方ねえ、殺しても」
「……そうか」
「おう」
 カプリコーンは、深くて重い息を吐いた。彼のまだまだ細い肩が、数センチ下がる。かなり緊張していたらしい。
「……あのひとは、いつも、ピアノでこの曲を弾いてた。一番好きなんだって」
 優しい音色が、真っ赤な夕焼けの中に響いていた。
「僕も好きだ。だから、これだけは持ってきたんだ」
 思いつくままを口に出しているような感じだったが、それは、もしかしなくても、カプリコーンの最大の秘密だった。そしてそれを察知したデスマスクは、その秘密に相応しいように、重々しく頷く。
「……この花が甘いことも、あのひとが教えてくれた」
 ふう、と息を吐きながら、カプリコーンは花の根元を指でつまんで口から離した。それは、煙草を吸う様にとても似ていた。
 だからデスマスクは、思わずそれを真似した。もっと大人にならないと、あの煙草の煙の世界には入っていけないと思っていた。しかし今、彼はその世界にいる。感情で納得出来なくても、理屈で、絶対的な力で押さえつけられ、歯を食いしばりながらやりたくないことをやらなければならない現実の苦み。煙と苦い味の代わりに、オルゴールの音と赤い花の蜜の味。
 甘かった花も、ずっとくわえていると、苦いものが染み出してくる。しかしそれが本物の煙草を思わせるような気がして、デスマスクはそれをもう一度くわえ直した。
 自分たちにはもう、欲しいものをおねだり出来る大人など居ない。一人前の男と同じように一人で生きていかねばならない、夕陽のようなその苦み。
「なあ」
「何だよ」
「……悪かったな」
「……いいよ、もう」
 花をくわえて夕陽を眺めている少年二人は、目を合わさないまま言った。なんだこれ、結構大人っぽいんじゃねえの、とデスマスクは内心少し思いながら続けた。
「なあ」
「何」
「お前さあ、名前考えろよ」
「……名前?」
 カプリコーンは、少し目を見開き、デスマスクを見た。デスマスクはひとりで夕陽を見ながら花を吸うのが酷く気に入ったらしく、じっと動かないまま言う。
「おう、新しい名前。いつまでもカプリコーンってのも何だろ」

 ──新しい名前。

 カプリコーンの目から、鱗が落ちた。名前というものは与えられるものであって、自分で考える、などというのは、彼にはまるでなかった発想だったからだ。
「……うん。いいな、それ。考える」
 しかし、……そうだ。名付け親になり得る親は、もう死んだのだ。そして、それなら自分で名乗れば良いのではないか、と、カプリコーンは深く納得し、目の前が開けた気分でもあった。一人で生きてゆかねばならないということは、自分で自分のことを決めるということでもある。
「俺がデスマスクっていうみたいにさあ、なんか強くて悪そうでかっこいいの考えろよ」
「悪そうはいらないだろ」
「ばっか、お前、いるに決まってんだろ。悪そうな方が絶対かっこいい」
「そうかな」
 でも聖闘士って正義を守るアテナの戦士なんじゃないのか、とカプリコーンが言うと、デスマスクは言った。

「上等じゃねえか。俺は聖闘士にはなるけど、正義アテナの味方なんかには絶対ならねえぞ」
第4章・Bittendes Kind(おねだり) 終
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BY 餡子郎
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