第4章・Bittendes Kind(おねだり)
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 キャンサー候補である銀髪の少年は、二、三日その部屋──教皇の間の客間で休まされた。
 きちんとした食事と睡眠、そして清潔さを保つことで彼の体力は回復したが、慣れない食事、そして清潔だけれどやはり常に見張りのついた部屋での生活、何よりあの牢での最低の一週間が、少年の顔つきにきっちりと影を落としていた。トラウマになってもおかしくない体験である、無理もない。
 母と暮らしていた頃にきらきらと地中海の太陽を受けていた赤い目は、暗闇で月のように光るぎらりとした輝きを帯びている。
 そしてそんな彼の部屋に見舞いと称して毎日やって来たのは、アイオロスではなく、サガだった。
「アイオロスはカプリコーンの様子を見てるんだよ」
「カプリコーン? ああ、あの名無しの黒山羊か」
「そんな言い方をするもんじゃない。あれから、可哀想に沈んでしまって」
 サガは眉尻を下げて、ため息をついた。元々あまり口数も多くなく、どちらかといえばおとなしいカプリコーンは、あの一件以来、暗い。訓練にはきっちり出ているし真面目にやるが、ひたむきというよりは何かを振り払うように没頭している。
「部屋から出れるようになったらちゃんとひとこと謝るんだぞ」
「……………………」
「何を言ったかは知らないが、どうせあの子のいやなことを言って煽ったんだろう」
 黙りこくっている少年に、サガはもう一度ため息を吐く。その息の圧力に耐えられなかったのか、少年は不貞腐れたようにぼそりと言った。
「……だって」
「だってじゃない。君も逃げたくて必死だったのは分かるが、それとカプリコーンに酷いことを言ったのは別の問題だ」
 サガがそう言うと、銀髪の少年はサガと目を合わせないながらも、「わかったよ」、とぼそりと呟いた。
 この少年は、こうしてちゃんと理論立てて理由を主張し、そしてそれに納得すれば驚くほど素直だった。
 普通子供というものは、いくら正当な理由があっても感情が先立ってしまうものだ。しかし、この少年はそうではない。それはとても子供らしくない要素でもあったが、サガはそんな彼の性質が好きだったし、自分自身と共通する性質だと親しみを持っていた。だからこそ訓練の前や後にこうして彼の部屋に寄って、色々と話すのを楽しみにしているのである。
「私は明日からしばらく出掛けるからね。私が帰ってくるまでに、カプリコーンにちゃんと謝っておくんだぞ」
「……ここを出るのか!?」
 少年が、目を見開いて大声を出した。
「明日からね。魚座候補の子供がスウェーデンに居るらしい」
「スウェーデン……」
 銀髪の頭の奥では、国名を聞いて正確に地球上での場所を把握している。療養する間、あの世界地図を眺めてサガに教えられるうち、彼はすっかり世界地図を暗記したのだ。国名とその場所、主要首都などはここ数日で既にほとんど網羅している。
「残念だけど、君は連れて行けないよ」
「……っ」
 少年は顔を顰め、悲痛な、そして憎々しげな表情をした。サガはあくまで淡々としつつ、椅子から腰を上げる。
「君は聖闘士じゃないからね」
 椅子を脇に寄せつつそう言ったサガに、少年はハっと顔を上げた。サガは少年の方を見ず、扉に向かって歩き出す。
「じゃあ」
 帰ってくるまでに、カプリコーンに謝るんだよ。
 そう言って扉の向こうに消えたサガの口元が僅かに笑んでいるのを、銀髪の少年は見た。
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BY 餡子郎
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