第3章 Hasche-Mann(鬼ごっこ)
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「うええ、ひっでえ」
 病気になりそうだ、と、銀髪の少年は、汚物まみれの身体を池の水で洗いながら悪態をついた。
「やっぱアイオロスとか来るまで待っときゃ良かったかな」
 いやでもあいつら怒らすの結構難しそうだしなあ……とぶつぶつ言いながら、少年は服を脱いで、服も自分もひたすら洗った。
 何日も風呂に入っていない上に、自分のものとはいえ膝上まで糞尿まみれになった臭いと不快感はかなりのものだった。切実に石鹸が欲しい所だが、池の水が綺麗なのがせめてもの救いだ。
 少年は汚れ放題汚れてはいるが、無傷だった。
 あの牢には大人の背の高さ程度の所に覗き穴のような窓があるだけで、4インチ程度の網目状である鉄格子は、ネズミか子猫しか通れない。
 そして牢には、不衛生な便所があった。ただ穴を掘ってそこにしろというだけのいわゆる便壷で、おそらく子供一人なら入れる大きさだった。……入ったらどうなるか、その結果は我慢するとしても、とにかく入れることは入れる。
 あとは牢屋ごと吹き飛ばせばいい。
 大胆極まる発想だが、知能と順応性に優れた少年は、その手段が使える事を既に確信していた。
 そしてそれには、サガかアイオロスを利用するつもりだった。カプリコーンに言った通り、少年の小宇宙には、物理的な対象を破壊するような特性が一切ない。だから少年は、懲りずに何度もやって来る彼らの神経を逆撫でし、激昂させて牢屋を吹き飛ばさせようという計画を立てた。しかしアイオロスは多少怒りはしてもキレるということをなかなかしない少年で、サガはひらすら悲しそうな顔をするばかりだったので、計画は思い通りになかなか進まない。さてどうやって二人どちらかの怒りの琴線を弾くことが出来るだろうかと策を巡らしながら小便をしていたその時迷いこんで来たのが、あの名無しの黒山羊だったのだ。
 こいつはいける、と、少し喋ってみてすぐ分かり、案の定、それは成功した。
 逆上したカプリコーンが叫んで小宇宙を発した瞬間、少年は穴に飛び込んだ。爆発源であるカプリコーンとは近距離であった事と、運良くすぐ横にある丈夫な鉄格子が盾になったことで瓦礫で閉じ込められてしまうということはなく、轟音が過ぎ去ったと確信した瞬間、彼は汚物溜めの穴から這い出して、8日ぶりに青空の下を走った。ものすごい臭いがしたが、さわやかな風と温かな太陽の光はやはり心地よかった。
「……よっ」
 所詮水洗いなので完璧に臭いは消えないが、随分綺麗になった少年は、池の中から生えている背の高い細い水草の間を、ざばざばと歩いた。垢が落ちて濡れた銀髪が太陽に照らされて、水面のようにきらきら光る。
 ここには自分の居場所などない。あってもそれはきっとさっきの牢屋くらいのものなのだろう、と少年は思っていた。それもさっき壊してしまったのだから、自分がここにいる必要などない。自分にはもっといい居場所がある。優しい女たちや、期待をかけてくれる男たち、母の墓、自分を特別なものだと思える場所。
「……帰ろ」
 とりあえず、南のほうへ。
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BY 餡子郎
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