仔猫の憂鬱（２）
セブルス・スネイプは、これ以上ないくらいに苦い表情で、目の前でしょんぼりと項垂れている少女を見下ろした。
少女の耳からは猫の耳が生え、スカートの裾からは猫の尻尾が垂れている。中途半端に獣化している姿に、わなわなと肩が震えてしまうが、少女と目が合った瞬間、悲愴な顔で怯えるので、何度も己を落ち着かせなければならなかった。
「……ミス・フジミヤ。我輩は別に責めているわけではない」
「は、はい……」
ぷるぷる、びくびく。今にも泣きそうな目で見上げられ、しょんぼりと垂れた耳は、猫ではなくて犬ではなかろうか。
何もしていないのに、いたいけな小動物を苛めているようで、とても────いやかなり、居たたまれない。たとえそれが、彼の毛嫌いするグリフィンドール生ではあっても、人畜無害の幼い生徒を虐めたいわけではない。
だいたい────この少女に、そもそもの罪はないのである。
スネイプは、片手で顔を覆い、天を仰いだ。
事の発端は、あの忌々しいウィーズリーの双子である。二代目・悪戯仕掛け人、というスネイプからすれば、嫌な記憶しか呼び起こさせない名だ。ふざけた名乗りだけでも、腸の煮えくりかえる事実であるのに、さらにはやっていることは悪戯である。
これについて校長のダンブルドアを始めとした教師陣は、彼らの悪戯は人を笑わせるようなムードーメイクの効果もある、などと言って大目に見ている。スネイプの開いた口が塞がらない事態は、今に始まった事ではなかった。
スネイプとスリザリンの一部の生徒は、この双子によって時として甚大な被害を被っている、と何度主張しようが、あの校長はどうも頭のネジが数本くらいかっ飛んでいるのか、聞き入れた試しがないのである。
さらに頭の痛いことに、ウィーズリー兄弟に対してどれほどの罰則を科そうが、減点をしようが、奴らは全く懲りないのである。
むしろあの双子は悪戯をするための知恵を働かせるだけあって、地頭が良く、魔法薬学以外の成績はかなり良い────減点さえされなければ魔法薬学の成績も良い────のである。そのせいで、どれだけ減点しても、けろっとした顔で点を稼いでいくので、減点の意味がない。
だいたい、他の生徒はセブルス・スネイプの存在を嫌うか怖れるのに、この双子は怖がるどころか、むしろ攻撃してくるので余計に性質が悪いのだ。
そして今日も今日とて、小賢しい悪戯を避けながら、スネイプが階段を下りていた時だった。
ちょうどスネイプが階段を降りるところで、グリフィンドールの１年生たちが階段を上がってくるタイミングが同じだった。このままいけば、廊下のあたりで合流するコースだった。 あのハリー・ポッターと幸村精市がセットで歩いてきたので、反吐が出る思いだったので、さっさと一行とすれ違うに越したことはない。
若干、早足になったスネイプは、何かを感じてサッと身を翻した。
「なっ、────全員、避けて！！」
ピン、と張りつめた糸が足に引っ掛かったのを感じ取り、何かの飛来物を避けたはいいが、その直撃コースはグリフィンドールの一行。
無様に悪戯に引っかかる連中の間抜け面でも拝んでやるか、とローブを捌けば、背後に隠れていたウィーズリーの双子が慌てて叫んだのが聞こえた。
愚か者めが。フン、と鼻で笑って、避けられなかった愚図の顔を拝めば────大きな丸い瞳が、きょとん、としたのが見えた。
「紫乃ちゃん！」
「シノ！」
周りが慌てる中、何かの液体を被った少女────藤宮紫乃は、まるで状況を理解できていないらしく、やっと己が何かを被ったことを理解したのか、ローブで顔を拭う。
しかし、シュワシュワと煙を上げ始めた液体に、ヒッと息を呑み────ポン！ と軽い破裂音。
「────あ、れ……？」
────そうして、今に至る。
「え、猫耳に、しっぽ……？」
「ものすごい犯罪の臭いがするのは気のせいかな」
戸惑うような白石の声に、幸村が不穏な声を出す。
いきなり叫び声が聞こえたかと思えば、次の瞬間に、紫乃が液体を被って、猫に変身するなんて、誰が予想できただろうか。正確には猫というよりは、部分的に猫に変身したにすぎないが。
だが、猫耳にしっぽが生えるというその現象は、あまりにも悪趣味である。
「一体何処のどいつがこんな────」
「あああああすまない！」
「まさか彼女が悪戯にかかってしまうなんて！」
「由々しき事態だよ！ 我が寮のレッド・アニマルがこんなことになるなんて！」
「なんで藤宮さんが絶滅危惧種に指定されとんの！？」
「アンジェリーナに殺される！」と頭を抱えながら、走ってやってきたのはロンの双子の兄、ジョージとフレッドだった。
即座に反応する白石を始め、１年生たちは知らないが、実は紫乃は、グリフィンドール上級生から絶滅危惧種指定を受けていた。
あのフジミヤ家の末裔である上に、性格や仕草は小動物そのもの。庇護欲を駆り立てる小さな存在に、上級生がこぞって保護指定を声高に叫んだ結果である。
「彼女を怯えさせてはいけない」、「とにかく優しくこっそり愛でる」、等が、絶対遵守項目だったりする。マスコット部長といい、グリフィンドールでも“マスコット”的な地位を確立されていることなど、本人は全く知らなかった。
ちなみに、アンジェリーナ・ジョンソンは、組分け後のピーブスの一件から、何かと紫乃に世話を焼き、紫乃の方も優しい「アンジー先輩」と、アンジェリーナを慕っており、良好な先輩後輩関係を築いている。
もう誰も、何も言わなくても状況は理解出来た。この悪戯仕掛け人たちの仕業なのだ、とわかったからである。
「神のお怒りまで買ってしまったらしいぞ」と幸村の瞳に不穏な光を見た双子。ロンは、真っ青になって今にも倒れそうだ。
「ロナウド・ウィーズリー……君のお兄さんは一体何を考えているんだい……？」
「ご、ごめん……！ でも、たぶん、悪気があったわけじゃないと思うんだ！」
「……日本ではこんな言葉があるんだよ。『ごめんで済んだら、警察はいらない』ってね」
「ヒッ……！！」
もはや泣きそうなロンに、さすがのハーマイオニーでさえ哀れに思ったのか、「ま、まずはどうしてこうなったのか事情を聞くべきよ！」と、擁護する姿勢さえみせている。
その声に、「救世主が！」とウィーズリー兄弟そろって歓喜しつつ、事の次第を明らかにしようとした、が。
「……生徒の往来の激しいこのような場で、悪戯を仕掛けるなど言語道断。グリフィンドール、１０点減点」
あのねっとりとした、低く暗い声が響き、全員が一斉に顔を上げる。陰鬱そうな顔は、この事態を愉しんでいるのか、皮肉げに唇を歪ませている。
「あいつへの悪戯だったのに、あいつが避けたんだよ」、ボソっとジョージが言った。
「なるほど……避けなかったら紫乃ちゃんがこんなことにはならなかったわけだね」
「なんで避けたんだよ」と険呑な眼差しで幸村が言った。スネイプ相手に容赦がない。とんでもない怒りの矛先のぶつけ方だった。
一方、猫耳姿のスネイプを想像したらしいロンは、「オエッ」とえづいた。正直だが、失礼である。
「聞こえているぞ。ユキムラ、ウィーズリー。それぞれ５点減点」
これ見よがしの減点に、双子と幸村の表情が歪む。
「それにしても嘆かわしい。威勢のいいグリフィンドールに、愚図が居たとは」
言外に「避けきれない愚鈍な輩が悪いのだ」と言っているのも同義だった。
スネイプに苦手意識を持っているネビルは、半泣きだった。他の生徒は、全員がキッと眦を吊り上げ、睨み返す。
「あの程度の飛来物を避けきれぬなど、闇の魔術に対する防衛術の授業でどうするつもりなのか……一抹の不安を覚える所だ」
「……ご、ごめんなさい……」
饒舌なまでの淡々としたスネイプの語り口が、停止する。
半分、涙声の蚊でも鳴いたような声の主は、被害者こと紫乃であった。
「グ、グズでごめんなさい……先生の、お、おっしゃる、通り、です……」
じわじわと目尻が涙で溢れ、ボロリ、と零れ落ちる。その瞬間を目撃し、スネイプはうっ、と怯んだ。威勢のいいグリフィンドールの連中なら、噛みついてくるか反抗的な態度を見せると思っていたが、全く真逆の反応をされたのは、教師人生で初めての経験だったりする。
逆に、紫乃の周りの────特に、幸村あたりなんかは、視線だけで人を殺せそうな勢いである。言葉にこそしないが、ほとばしる熱き殺意に満ちた視線だった。
スネイプの陰湿な嫌味に対して、いつもなら反抗するはずのハリーとロンでさえ、幸村のただならぬ空気を感じ、賢明にも黙秘している。
――――なんだ、この空気。
スネイプの一言を表現するなら、まさにそれだ。
人に褒められるような正しい行いをしている、なんてことは間違って言えないし、それを自覚した上でグリフィンドールを甚振ってはきたが、こんな風に殊勝にも謝られては、それ以上なにも言えない。
そもそも、紫乃に、何ら罪はないのである。
スネイプから見た藤宮紫乃という生徒は、彼にとっては珍しく、良く言えば無害、悪く言えば有象無象の一生徒であった。
グリフィンドールというだけで彼にとっては嫌いな対象であるが、授業中でも真面目に授業を受け、無駄口を叩かず指示通りに動く。年相応の騒がしさもない。そういえば、この間も幸村の発言を、なんとか諌めようとしていたな、と思い出す。
善良なピクシーと大差ない存在を、わざわざ積極的に害するほど、スネイプは暇ではない。生意気な輩には容赦はないが、スネイプの視界に留まらないところで、癪に障らないのであれば、眼中にはない。
そんな、至って普通の子供を虐めているのは、なんというか気分が悪い。
大人げないことをしている自覚があったが、ぐすぐす泣かれ、全くの無過失である本人から謝られては、小指の甘皮ほどのサイズでかろうじて残っていた、スネイプの良心も疼くというもの。我輩にも良心が残っていたのか、と逆に吃驚しているくらいである。
「……ミス・フジミヤ。我輩は別に責めているわけではない」
「は、はい……」
小動物との付き合いは、まず怯えさせないことから。
ケトルバーンより借りていた、魔法生物の飼育に関する教本の記述を思い出し、スネイプは警戒心を解くことからはじめてみた。
「……いや、責めてただろ」
聞こえるように吐き捨てられた幸村の発言を拾い、スネイプは睥睨する。
黙っていろ、小僧。幸村との視線がぶつかり、バチバチと火花が飛び散る。が、こんなことをしている場合ではない。
ハァ、と大仰な溜息を吐き、スネイプは怒鳴った。
「ウィーズリー！ このふざけた変身薬の解毒剤はあるのかね！ ええ？」
「……ありません」
スネイプにお見舞いする予定だった薬だ。親切にも解毒剤なんてものを用意しているわけがない。
「フン、だろうな」と鼻を鳴らし、スネイプは続ける。
「では、材料はなんだ」
「……満月草に二角獣の角の粉末、それから────」
「たしか、粉末にした毒蛇の牙に、長月石も使いました」
そうだった、と同意するフレッドに、スネイプは頤を摘まみ、思考にふける。
「ポリジュース薬の成分を核にしたか」
ポリジュース薬とは、その薬に変身したい人物の身体の一部、たとえば髪の毛を入れて飲むと、飲んでから１時間は、その人物と同じ外見に変身できる魔法薬である。
「二角獣の角を使っているならば、一角獣の角で打ち消すことが可能か……」、と先ほどからブツブツと呟いていたスネイプが、渋面のままで一旦言葉を切る。
そして、この上なく面倒そうな面持ちで告げた。
「……まことに不本意であるが、解毒剤を作ろう」
「えっ」
「なんだね？ 我輩では不服か？」
「いえ！ あの、いいんです、か？」
「良いも何も、貴様ら１年のレベルではそこの双子の薬の効果を打ち消すほどの魔法薬を作れるとは思えん」
言っていることは嫌味そのものだが、「この姿をなんとかしてもらえる！」という喜びから紫乃は気づいていない。素直に喜ばれたので、ますますスネイプには居心地が悪い。
幸村と白石の二人は、乾と柳ならどうにかできるのでは、と思ったものの、新入生では使用を許された材料が限られていることを思い出し、嫌そうな顔で黙った。ここで反抗しては、紫乃はずっとこの姿のままだろう。
「少なくとも一日はかかる。変身したのは耳と臀部のようだが……感覚も猫と共有しているのではないのかね？」
「は、はい……耳と、鼻が、よくなった、ような」
「だろうな。せいぜい、今日一日は大人しくしていることだ」
冷たい反応だが、あのスネイプがグリフィンドールの生徒を助けようとしている事実に、傍観していたハリーたちは、吃驚した表情で固まったままだ。
さらに驚くことに、スネイプはハリーなど見向きもせず、踵を返した。宣言通り、これから紫乃を元に戻すための魔法薬の調合に取り掛かるのだろう。
「スネイプ先生って、優しいんだね」
薄らと目元を赤くさせながら、ポツリと呟く紫乃に、誰も何も言えなかったのだった。
少女の耳からは猫の耳が生え、スカートの裾からは猫の尻尾が垂れている。中途半端に獣化している姿に、わなわなと肩が震えてしまうが、少女と目が合った瞬間、悲愴な顔で怯えるので、何度も己を落ち着かせなければならなかった。
「……ミス・フジミヤ。我輩は別に責めているわけではない」
「は、はい……」
ぷるぷる、びくびく。今にも泣きそうな目で見上げられ、しょんぼりと垂れた耳は、猫ではなくて犬ではなかろうか。
何もしていないのに、いたいけな小動物を苛めているようで、とても────いやかなり、居たたまれない。たとえそれが、彼の毛嫌いするグリフィンドール生ではあっても、人畜無害の幼い生徒を虐めたいわけではない。
だいたい────この少女に、そもそもの罪はないのである。
スネイプは、片手で顔を覆い、天を仰いだ。
事の発端は、あの忌々しいウィーズリーの双子である。二代目・悪戯仕掛け人、というスネイプからすれば、嫌な記憶しか呼び起こさせない名だ。ふざけた名乗りだけでも、腸の煮えくりかえる事実であるのに、さらにはやっていることは悪戯である。
これについて校長のダンブルドアを始めとした教師陣は、彼らの悪戯は人を笑わせるようなムードーメイクの効果もある、などと言って大目に見ている。スネイプの開いた口が塞がらない事態は、今に始まった事ではなかった。
スネイプとスリザリンの一部の生徒は、この双子によって時として甚大な被害を被っている、と何度主張しようが、あの校長はどうも頭のネジが数本くらいかっ飛んでいるのか、聞き入れた試しがないのである。
さらに頭の痛いことに、ウィーズリー兄弟に対してどれほどの罰則を科そうが、減点をしようが、奴らは全く懲りないのである。
むしろあの双子は悪戯をするための知恵を働かせるだけあって、地頭が良く、魔法薬学以外の成績はかなり良い────減点さえされなければ魔法薬学の成績も良い────のである。そのせいで、どれだけ減点しても、けろっとした顔で点を稼いでいくので、減点の意味がない。
だいたい、他の生徒はセブルス・スネイプの存在を嫌うか怖れるのに、この双子は怖がるどころか、むしろ攻撃してくるので余計に性質が悪いのだ。
そして今日も今日とて、小賢しい悪戯を避けながら、スネイプが階段を下りていた時だった。
ちょうどスネイプが階段を降りるところで、グリフィンドールの１年生たちが階段を上がってくるタイミングが同じだった。このままいけば、廊下のあたりで合流するコースだった。 あのハリー・ポッターと幸村精市がセットで歩いてきたので、反吐が出る思いだったので、さっさと一行とすれ違うに越したことはない。
若干、早足になったスネイプは、何かを感じてサッと身を翻した。
「なっ、────全員、避けて！！」
ピン、と張りつめた糸が足に引っ掛かったのを感じ取り、何かの飛来物を避けたはいいが、その直撃コースはグリフィンドールの一行。
無様に悪戯に引っかかる連中の間抜け面でも拝んでやるか、とローブを捌けば、背後に隠れていたウィーズリーの双子が慌てて叫んだのが聞こえた。
愚か者めが。フン、と鼻で笑って、避けられなかった愚図の顔を拝めば────大きな丸い瞳が、きょとん、としたのが見えた。
「紫乃ちゃん！」
「シノ！」
周りが慌てる中、何かの液体を被った少女────藤宮紫乃は、まるで状況を理解できていないらしく、やっと己が何かを被ったことを理解したのか、ローブで顔を拭う。
しかし、シュワシュワと煙を上げ始めた液体に、ヒッと息を呑み────ポン！ と軽い破裂音。
「────あ、れ……？」
────そうして、今に至る。
「え、猫耳に、しっぽ……？」
「ものすごい犯罪の臭いがするのは気のせいかな」
戸惑うような白石の声に、幸村が不穏な声を出す。
いきなり叫び声が聞こえたかと思えば、次の瞬間に、紫乃が液体を被って、猫に変身するなんて、誰が予想できただろうか。正確には猫というよりは、部分的に猫に変身したにすぎないが。
だが、猫耳にしっぽが生えるというその現象は、あまりにも悪趣味である。
「一体何処のどいつがこんな────」
「あああああすまない！」
「まさか彼女が悪戯にかかってしまうなんて！」
「由々しき事態だよ！ 我が寮のレッド・アニマルがこんなことになるなんて！」
「なんで藤宮さんが絶滅危惧種に指定されとんの！？」
「アンジェリーナに殺される！」と頭を抱えながら、走ってやってきたのはロンの双子の兄、ジョージとフレッドだった。
即座に反応する白石を始め、１年生たちは知らないが、実は紫乃は、グリフィンドール上級生から絶滅危惧種指定を受けていた。
あのフジミヤ家の末裔である上に、性格や仕草は小動物そのもの。庇護欲を駆り立てる小さな存在に、上級生がこぞって保護指定を声高に叫んだ結果である。
「彼女を怯えさせてはいけない」、「とにかく優しくこっそり愛でる」、等が、絶対遵守項目だったりする。マスコット部長といい、グリフィンドールでも“マスコット”的な地位を確立されていることなど、本人は全く知らなかった。
ちなみに、アンジェリーナ・ジョンソンは、組分け後のピーブスの一件から、何かと紫乃に世話を焼き、紫乃の方も優しい「アンジー先輩」と、アンジェリーナを慕っており、良好な先輩後輩関係を築いている。
もう誰も、何も言わなくても状況は理解出来た。この悪戯仕掛け人たちの仕業なのだ、とわかったからである。
「神のお怒りまで買ってしまったらしいぞ」と幸村の瞳に不穏な光を見た双子。ロンは、真っ青になって今にも倒れそうだ。
「ロナウド・ウィーズリー……君のお兄さんは一体何を考えているんだい……？」
「ご、ごめん……！ でも、たぶん、悪気があったわけじゃないと思うんだ！」
「……日本ではこんな言葉があるんだよ。『ごめんで済んだら、警察はいらない』ってね」
「ヒッ……！！」
もはや泣きそうなロンに、さすがのハーマイオニーでさえ哀れに思ったのか、「ま、まずはどうしてこうなったのか事情を聞くべきよ！」と、擁護する姿勢さえみせている。
その声に、「救世主が！」とウィーズリー兄弟そろって歓喜しつつ、事の次第を明らかにしようとした、が。
「……生徒の往来の激しいこのような場で、悪戯を仕掛けるなど言語道断。グリフィンドール、１０点減点」
あのねっとりとした、低く暗い声が響き、全員が一斉に顔を上げる。陰鬱そうな顔は、この事態を愉しんでいるのか、皮肉げに唇を歪ませている。
「あいつへの悪戯だったのに、あいつが避けたんだよ」、ボソっとジョージが言った。
「なるほど……避けなかったら紫乃ちゃんがこんなことにはならなかったわけだね」
「なんで避けたんだよ」と険呑な眼差しで幸村が言った。スネイプ相手に容赦がない。とんでもない怒りの矛先のぶつけ方だった。
一方、猫耳姿のスネイプを想像したらしいロンは、「オエッ」とえづいた。正直だが、失礼である。
「聞こえているぞ。ユキムラ、ウィーズリー。それぞれ５点減点」
これ見よがしの減点に、双子と幸村の表情が歪む。
「それにしても嘆かわしい。威勢のいいグリフィンドールに、愚図が居たとは」
言外に「避けきれない愚鈍な輩が悪いのだ」と言っているのも同義だった。
スネイプに苦手意識を持っているネビルは、半泣きだった。他の生徒は、全員がキッと眦を吊り上げ、睨み返す。
「あの程度の飛来物を避けきれぬなど、闇の魔術に対する防衛術の授業でどうするつもりなのか……一抹の不安を覚える所だ」
「……ご、ごめんなさい……」
饒舌なまでの淡々としたスネイプの語り口が、停止する。
半分、涙声の蚊でも鳴いたような声の主は、被害者こと紫乃であった。
「グ、グズでごめんなさい……先生の、お、おっしゃる、通り、です……」
じわじわと目尻が涙で溢れ、ボロリ、と零れ落ちる。その瞬間を目撃し、スネイプはうっ、と怯んだ。威勢のいいグリフィンドールの連中なら、噛みついてくるか反抗的な態度を見せると思っていたが、全く真逆の反応をされたのは、教師人生で初めての経験だったりする。
逆に、紫乃の周りの────特に、幸村あたりなんかは、視線だけで人を殺せそうな勢いである。言葉にこそしないが、ほとばしる熱き殺意に満ちた視線だった。
スネイプの陰湿な嫌味に対して、いつもなら反抗するはずのハリーとロンでさえ、幸村のただならぬ空気を感じ、賢明にも黙秘している。
――――なんだ、この空気。
スネイプの一言を表現するなら、まさにそれだ。
人に褒められるような正しい行いをしている、なんてことは間違って言えないし、それを自覚した上でグリフィンドールを甚振ってはきたが、こんな風に殊勝にも謝られては、それ以上なにも言えない。
そもそも、紫乃に、何ら罪はないのである。
スネイプから見た藤宮紫乃という生徒は、彼にとっては珍しく、良く言えば無害、悪く言えば有象無象の一生徒であった。
グリフィンドールというだけで彼にとっては嫌いな対象であるが、授業中でも真面目に授業を受け、無駄口を叩かず指示通りに動く。年相応の騒がしさもない。そういえば、この間も幸村の発言を、なんとか諌めようとしていたな、と思い出す。
善良なピクシーと大差ない存在を、わざわざ積極的に害するほど、スネイプは暇ではない。生意気な輩には容赦はないが、スネイプの視界に留まらないところで、癪に障らないのであれば、眼中にはない。
そんな、至って普通の子供を虐めているのは、なんというか気分が悪い。
大人げないことをしている自覚があったが、ぐすぐす泣かれ、全くの無過失である本人から謝られては、小指の甘皮ほどのサイズでかろうじて残っていた、スネイプの良心も疼くというもの。我輩にも良心が残っていたのか、と逆に吃驚しているくらいである。
「……ミス・フジミヤ。我輩は別に責めているわけではない」
「は、はい……」
小動物との付き合いは、まず怯えさせないことから。
ケトルバーンより借りていた、魔法生物の飼育に関する教本の記述を思い出し、スネイプは警戒心を解くことからはじめてみた。
「……いや、責めてただろ」
聞こえるように吐き捨てられた幸村の発言を拾い、スネイプは睥睨する。
黙っていろ、小僧。幸村との視線がぶつかり、バチバチと火花が飛び散る。が、こんなことをしている場合ではない。
ハァ、と大仰な溜息を吐き、スネイプは怒鳴った。
「ウィーズリー！ このふざけた変身薬の解毒剤はあるのかね！ ええ？」
「……ありません」
スネイプにお見舞いする予定だった薬だ。親切にも解毒剤なんてものを用意しているわけがない。
「フン、だろうな」と鼻を鳴らし、スネイプは続ける。
「では、材料はなんだ」
「……満月草に二角獣の角の粉末、それから────」
「たしか、粉末にした毒蛇の牙に、長月石も使いました」
そうだった、と同意するフレッドに、スネイプは頤を摘まみ、思考にふける。
「ポリジュース薬の成分を核にしたか」
ポリジュース薬とは、その薬に変身したい人物の身体の一部、たとえば髪の毛を入れて飲むと、飲んでから１時間は、その人物と同じ外見に変身できる魔法薬である。
「二角獣の角を使っているならば、一角獣の角で打ち消すことが可能か……」、と先ほどからブツブツと呟いていたスネイプが、渋面のままで一旦言葉を切る。
そして、この上なく面倒そうな面持ちで告げた。
「……まことに不本意であるが、解毒剤を作ろう」
「えっ」
「なんだね？ 我輩では不服か？」
「いえ！ あの、いいんです、か？」
「良いも何も、貴様ら１年のレベルではそこの双子の薬の効果を打ち消すほどの魔法薬を作れるとは思えん」
言っていることは嫌味そのものだが、「この姿をなんとかしてもらえる！」という喜びから紫乃は気づいていない。素直に喜ばれたので、ますますスネイプには居心地が悪い。
幸村と白石の二人は、乾と柳ならどうにかできるのでは、と思ったものの、新入生では使用を許された材料が限られていることを思い出し、嫌そうな顔で黙った。ここで反抗しては、紫乃はずっとこの姿のままだろう。
「少なくとも一日はかかる。変身したのは耳と臀部のようだが……感覚も猫と共有しているのではないのかね？」
「は、はい……耳と、鼻が、よくなった、ような」
「だろうな。せいぜい、今日一日は大人しくしていることだ」
冷たい反応だが、あのスネイプがグリフィンドールの生徒を助けようとしている事実に、傍観していたハリーたちは、吃驚した表情で固まったままだ。
さらに驚くことに、スネイプはハリーなど見向きもせず、踵を返した。宣言通り、これから紫乃を元に戻すための魔法薬の調合に取り掛かるのだろう。
「スネイプ先生って、優しいんだね」
薄らと目元を赤くさせながら、ポツリと呟く紫乃に、誰も何も言えなかったのだった。
冬野 鶫