夜のこどもたち(3)
時刻は間もなく午前0時。時計の針が天辺に位置し、ホグワーツに厳かな静謐をもたらす。高窓から月光が差し込み、それはそれは神聖な明かりであった。
フィルチかミセス・ノリスに出くわすのではないか、とドキドキしながら素早く移動したハリー達は、幸運なことに誰にも出くわすことなく、大急ぎで四階の階段を上がり、抜き足差し足でトロフィー室へと辿り着くことができたのだった。
到着したのは指定された時刻の15分前。マルフォイも、クラッブもゴイルもまだ来ていなかった。
「マルフォイの奴、怖気づいたんじゃないか?」
深夜特有の静まり返った空間で、ロンの声はよく響いた。
ロンは、トロフィー室の部屋の両端にあるドアから目を離さないようにしながら、いつドラコが飛び込んできて、そして不意打ちの攻撃をしてきても戦えるようにと、すでに杖を取り出していた。
「まだ時間じゃないよ」
室内の棚を見上げながら、静かにハリーが言った。
棚には、カップ、盾、賞杯、像などが所狭しと並べられ、月の光を受けてキラキラと輝いていた。ハリーの隣で、ハーマイオニーもまた食い入るようにそれらを眺めている。きっと彼女はいつか自分がこのような栄えある賞を与えられるように努力しようと決意しているんだろうな、とハリーは思った。まさにその通りである。
「すごいわ……ここからあっちはホグワーツ特別功労賞の歴代受賞者よ」
うっとりと呟く声は、心の底から憧れを表していた。
ロンはあからさまに溜息を吐き出した。「マルフォイが来るか来ないかって時に、呑気なもんだね」と小さく文句を言っているが、ハーマイオニーにとって尊敬すべきホグワーツの先輩方の名前を前に、ロンの嫌味は耳に入らないらしい。
「最近でも50年くらい前になるんだね」
「それくらい栄誉あるものなんでしょうね……T……Tom……Mar……volo……R……iddle?」
「トム・マールヴォロ・リドル? どんなことをして受賞したんだろう?」
「ええと……ダメね。文字が小さくて読めないわ……でもきっと素晴らしいことをしたに違いないわ」
自分もかくありたい、とばかりに胸を張るハーマイオニーに、ハリーはくすっと笑って「そうだね」と返した。そして、「僕はあれが欲しいな」と斜め上を指さしてハーマイオニーを見つめる。
「クィディッチの優勝カップ。これからたくさん練習してグリフィンドールに貢献したい」
「……応援しているわ」
「ありがとう、ハーマイオニー」
力強く告げるハリーに、ハーマイオニーは自然と言葉にしていた。応援する、と。不思議な心地だった。同年代の男の子と、ハーマイオニーは仲良く出来るなんてこれっぽっちも思っていなかった。
なぜなら、この年頃の男の子なんて精神年齢は女の子より幼い。ロンのようにハーマイオニーを疎んじるのが普通だ。けれど、ハリーはガリ勉だのお節介だの侮辱しなかったし、本当に自然に接してくれる。
日本人留学生の彼らとは違う。けれど、ハーマイオニーにとって、ちゃんと対等に会話をしてくれることが不思議で、そして何より嬉しかった。
――――だから、なのだろう。
校則破りだと先生に告げ口して、ハリーとロンを突きだすことも出来た筈なのに、そうはしなかった。きっと、小学生だった頃のハーマイオニーだったなら間違いなくそうした筈だった。
でも、しなかったのだ。
ありがとう、と本当に嬉しそうに言ってくれるハリーに、ハーマイオニーは顔が熱くなった。
こんなの、シノから「大好き」だと言われた時以来だ。
「……あー、あー、いいかな? 君たち」
心底呆れたような声で咳払いすらしてみせたのはロンである。
その声に、「なっ、なによ!」と思わずハーマイオニーは噛みついてしまった。
「な、何って……もう0時じゃないかと思って」
急に叫ばれたもので、一瞬怯んだロンはもごもごと口ごもった。
「……道に迷ったのかな」
そんな親友には気付かずに、ハリーは真剣な顔で言った。
「……ハリー。君、正気かい?」
「……本当に、本っ当に、珍しく奇遇だこと。私もそう思ったわ」
たっぷりの間を置いての二人の反応は、至極まっとうな意見であった。
「いちいち癇に障るな、君って」
不機嫌さを隠さずにロンは言ったが、ハーマイオニーは黙殺することにした。
「ハリー。やっぱりこれは罠だったのよ。マルフォイは来ないわ。あなたをここにおびき出して、深夜にうろうろしているところを先生に捕まえさせようと考えたに違いないのよ」
まるで教師のようのような口ぶりで、言い聞かせるように努めて優しくハーマイオニーは言った。
意趣返し、とばかりにロンが「本当に奇遇だね。僕もそう思っていたところさ」と気取った顔つきで言ったが、ハーマイオニーがムッとしたのは一瞬のことで、すぐに意識はハリーへと向かう。
なにやら真剣に考え込んでいる様子のハリーの方が、ハーマイオニーにとっては心配なのだ。
「僕をおびき出したのだとしたら、どうしてこんな手の込んだことをするんだろう? 僕が嫌いならそう言えばいい。いや、嫌いなら無視すればいい。嫌いな相手に対して、そんな無駄な労力を割いて、どうしてかかわろうとするんだろう……?」
「…………そうね。全くもってその通りだと思うわ」
ドラコ・マルフォイについて本気出して考えてみた。そんな標題が相応しいほど、全力で考察し始めるハリーに、ハーマイオニーはぎこちない笑みでその一言を言うのが精一杯だったのである。
やれやれ、と言いたげにロンが天を仰いだ――――そのときだった。
隣の部屋で物音がして、三人が飛び上がった。間髪入れずに杖を振り上げようとしたハリーに、遅れて杖を取り出したロン。杖先を扉へと向けるよりも早く、二人を制したのはハーマイオニーだった。
「静かに!」
唇に人差し指を押し当て、か細い声で叫んだ。
気配がする。ドラコ・マルフォイ――――では、ないようだ。
「いい子だ。しっかり嗅ぐんだぞ。隅の方に潜んでいるかもしれないからな」
意地の悪そうなその声は、フィルチの声だ。瞬時に悟った三人は、心臓が凍った気がした。フィルチがミセス・ノリスに話しかけていた。
悲鳴が飛び出てきそうだったが、気が動転するのを必死の思いで抑え込み、フィルチの声とは反対側の扉へとさっと移動した。
その後をすぐにフィルチが追いかけているような気がする。ロンはもう泣きそうだった。
「急いで!」
音を立てずに暗闇を移動する。ハリーの手招きに、足が縺れそうになりながらも、ロンとハーマイオニーは必死でついていった。
足音が迫る。どうしよう、どうしよう。退学処分の文字が、容赦なくハーマイオニーを攻め立て、彼女はもうほとんど泣いていた。
「こっちだよ!」
鎧がたくさん飾ってある長い回廊を這い進む。フィルチの気配が近づいてくるのが、振り返らなくても分かる。ぞわぞわと全身から圧倒的な恐怖が襲いかかってくる。耐えきれず、狂ったように叫びだしたい衝動に駆られ、それを押さえようと頭を振って――――ロンがつまづいた。
ガッシャーン!! と、城中の人間を叩き起こすような、凄まじい音が鳴り響く。つまづいたロンが壁横に立つ鎧にぶつかり、倒してしまったのだった。
うつ伏せになったままのロンは、もはやこの世の終わりのような表情だった。
「立って、ロン! 逃げよう!」
「近いぞ! 近くに隠れているに違いない!!」
興奮したようなフィルチの声。ミセス・ノリスが匂いに気付いたのだろうか。
痛いぐらいに打ち付ける心臓を押さえながら、ハリーたちは絶望的な思いで居た。まだたった10を過ぎた少年少女にとって、この状況はあまりにも過酷だった。乱暴にもロンの手首を掴み、走る。
月の光がいくら明るいとしても、この暗闇の中では、普通の精神状態じゃない三人には恐怖を駆り立てるものでしかなかった。精神を削り取ってゆくような足音に暗闇。叫び出す一歩手前を、踏みとどまっていた。
何処に逃げればいいのかまったくわからずに、ただただこの場所から逃れるべく、走り続けた。何もかもから逃げ出したかった。
(どうすればいい……!? どうすれば!!)
――――もしもフィルチに捕まってしまったら、僕のせいだ。
ハリーはこれ以上ないほどに後悔した。
自分のために友達だからと付いてきてくれたロンとハーマイオニーまで道連れにしてしまう。ハリーだけが退学になるのは自業自得だと言い聞かせる事はできるけれど、友達思いの二人まで巻き込んでしまうことが、ハリーには耐えられなかった。
「隠れているのはわかっているぞ!! 捕まえて酷い罰を受けてもらう!!!」
僕の、せいだ。
遅いかもしれないけれど、心の中でハリーは二人に謝った。そして心から願った。僕は罰を受けても、どうか二人はお咎めなしであって欲しい、と。
後悔から眦が熱くなるのを感じ、堪えようと顔を上げた時だった。
「――――改・占事略决……六壬神課、『迷牢陣』」
それはまるで、漆黒に溶けるように囁くような。静かな詠唱が聞こえた瞬間、ハリーの右腕はぐいっと力強く引っ張られ、どこかの部屋へと引っ張り込まれた。
バタン! と大きな音がして扉が閉まり、目を白黒させる。ハリーはいま、自分がどういう状況なのかまったく掴めなかったのだ。
「間一髪、だね」
真っ暗な部屋で、幸村の笑顔が月明かりに照らし出される。もともと顔立ちが美しい幸村だが、まさに救世主というタイミングだったことも後押しして、本当に神様の子どもが降臨なされたのかと錯覚したほどだった。
続いて、白石、紫乃。さらにはネビルまでも現れたので、ハリーたち三人はただただ驚くばかりだった。
どうして彼らが、という疑問は最もだが、それ以上に、鮮やかに登場してみせた幸村に呆気にとられるしかなかった。
「いやあ、自分らのことが気になってん」
「後をつけて正解だったようだね」
自信に溢れた満面の笑顔は、真田あたりが嫌そうにするそれだった。ドヤ顔とでも表現すればいいのか。
ともかく、そんな幸村が目の前に現れ、息が止まるかと思ったが、次の瞬間にはどっと力が抜け、安心感から膝が崩れた。それはたぶん、ロンもハーマイオニーも同じだった。
「大丈夫? ハーちゃん」
可憐な声が恐怖で凍りついたハーマイオニーの心を溶かす。ぶるぶると体は震えているし、全然大丈夫じゃなかったけれど、ハーマイオニーの顎はこくこくと勝手に動いていた。
極度の緊張状態だったのか、全身の筋肉が硬直している。紅葉のような紫乃の手が、ハーマイオニーの冷たい手を温めていく。頷く度に、淵にたまっていた涙がぽろぽろと落下していった。
それを、「怖かったねえ」とわざとのんびりと言いながら、紫乃がぽんぽんとハーマイオニーの頭を撫でる。
「ほんとフィルチがうざくってさ。まあでもこれで当分、こっちには来ないだろうけど。だよね? 紫乃ちゃん」
「初めてだから不安だけど、たぶん上手くいってる……はず。今頃、道に迷ってるんじゃないかな。方向感覚がしばらくは狂うと思うから……」
幸村と紫乃のやり取りをぼんやりと聞きながら、一体何のことだろうとハリーは思った。だが、酷く安心した所為で、さっきからドキドキと心臓が五月蠅いので、すぐに気持ちを落ち着けることに意識を奪われたのだった。
そんなハリーとは反対に、のほほんと会話している紫乃が、白石からすれば信じられない気持ちである。
六壬神課――――それは、式占術だ。
六壬神課は奇門遁甲と太乙神数を合わせて『三式』と呼ばれ、かの大陰陽師・安倍晴明が『占事略决』において撰している。36章にわたって占術の基本的な説明と、如何にして六壬神課を扱うかという解説がなされたそれは、現存する陰陽道に関する書物の中で最古とされる。
かつて安倍家に仕えていた一族こそ藤宮家。かの方の術式、書物を完全に把握することは当然であると噂されているが、千年以上の長い年月において名を残しているのには理由がある。
「アレンジ加えとんのかいな……」
元来の術式に加え、改良に改良を重ね、オリジナルの術式を編み出してきた。そうすることで、藤宮一族は陰陽師家さらには魔法族において、独自の発展を築いてきたのである。
ただの占いでしかない術式を応用することで、未来予測を的中させるだけではなく、ある人間を別の方位へと誘導してしまった。ゆえに、「改」の占事略决。六壬神課、迷いの牢。
その新術を編み出しのが、同い年の少女――――それは、とんでもないことであった。
(一体なにをどうしたらそんなん出来るようになんねん……)
陰陽術に明るくないとはいえ、紫乃が平然とやってのけることが、“普通ではない”ことを、白石は肌で感じ取った。ただ、その「何故」を追求することも、何故か“やってはいけないことだ”と感じ取り、なんとなく浮き上がった違和感に、見て見ぬふりをしたのだった。
「マルフォイに嵌められたのよ。ハリー、あなたもわかってるんでしょう? 始めから来る気なんてなかったんだわ――――マルフォイが告げ口したのよね。だからフィルチは誰かがトロフィー室に来るって知っていたのよ」
冷たい壁を背に、ようやく息が整う頃、「言いづらいことだけど」と言い置いて、ハーマイオニーが言った。ゼィゼィと肩で息をしているロンの息遣いが、妙に響く。
ぐっと奥歯を噛んで、ハリーは一瞬だけ瞑目した。
「そう、だよね。うん、そうだと思う…………ごめん、ハーマイオニー。ロンも、ごめん」
認めたくはなかった事実だったけれど、ハリーは素直に認め、二人に向かい合った。
「僕だけじゃなく、二人まで巻き込んでしまった。本当にごめん」
ハーマイオニーは手紙を持って先生のところまで走る、とまで言ってくれたが、フィルチに追いかけられた時、もうそれどころじゃなくなった。そもそもフィルチがこちらの言い分を聞き入れてくれるかさえ、怪しかった。
マルフォイという一人の少年を理解しよう、できれば尊重しようと思っての行動が、二人の大切な友人の将来を奪いかねない行動だったと身を持って体験し、ハリーはこれ以上ないほどに自身を恥じた。
何故かはわからない。けれど、ドラコ・マルフォイという人間は、これまでハリーを虐げ続けてきたダーズリー家の人間と同じように、悪意を持った人間なのだと理解するしかなかった。
人を理解しようと努めることは大切なことかもしれない。だが、目の前の友達を大切にしないことは、それ以前に問題だと痛感する。
僕は、なんてことをしてしまったんだろう。
どうしようもない後悔で吐きそうになっていると、ポン、と軽く肩を叩かれた。汗だくのロンが、苦笑していた。
「謝るなよ、ハリー。ついていくって決めたのは僕さ。ハリーに無理やり連れられたわけじゃない」
「わ、私だってそうよ、ハリー! 私は、私の意思で、そう決めたの!」
ロンの発言に、ハッとしたハーマイオニーは慌てた様子で断言した。
今度は、二人とも同じ発言をしても言い争ったりしなかった。
「友達が、友達のことを心配するのは当たり前なんちゃう? それが友達なんやし」
「それに大前提として、マルフォイ……いやもうめんどくさいな、フォイでいいや、フォイで。フォイのせいなんだし、あんま気にしなくていいんじゃない?」
続いて、穏やかに笑って言った白石と、自然にマルフォイを貶しながら笑う幸村。
「ぼ、僕は、みんなが無事でよかったと思うよ」
「うんうん。マルフォイ君のことは置いておいて、誰も悪くないんだしね」
そしてほのぼのと続けたネビルと紫乃。
「紫乃ちゃん、マルフォイ君なんて呼ばなくていいから。フォイだよ、フォイ」
「えっ」
「名前ディスるてすごいな自分」
「いいんだよ、あいつはこの扱いで。とりあえず、ポッター。今後はそんな奴のお誘いの手紙にフォイフォイ乗らないこと」
「ブハッ!!」
最初に吹き出したのは誰だっただろう。ロンだったか、白石だったか。戸惑いつつきょろきょろと伺う様子のネビルだったが、両手を口に押し当てているのでその行動がすべてを物語っている。
「返事は?」
「…………うん」
「そこは“フォイ”やろ!!」
浪速のツッコミが炸裂。耐えきれず、全員が一斉に吹き出した。
「ほな、戻ろか。さすがにねむぅなって来たわ」
ふわぁと欠伸をしながら言った白石に、ネビルと紫乃が同意した。両目が充血しているので、すでに二人とも眠そうだ。幸村と白石に付いていく、と言っていた時点ではハリーたちのことが心配で眠気など飛んでいたのだろうが、安堵しきった今は強烈な眠気に誘われているに違いなかった。
「そういえばすっかり遅くなったけど、ネビル、もう大丈夫なの?」
ハッとした表彰で言ったハリーに、ネビルは口をもごもごとさせながら、照れた様子で頷き、お礼を言った。
「マダム・ポンフリーの苦い薬のお陰だよ」
「魔法薬って苦いんだよなぁ……」
その味を思い出したのか、オエッとロンがえづいた。
「ところで、此処はどこなのかしら……」
「逃げるのに必死でそれどころじゃなかったよ」
ゆったりとした口調で歩きながら、周囲を見渡す。当たり前だが、辺りが暗いので何処をどう歩いているのか見当がつかない。
幸村の「なんとなくこっちかな」という大雑把な意見に、誰も反論することなく従っているのは、全力疾走の疲労感のせいだった。
「蓮二か乾が居ればなあ……」
「えーと、ああ、あのレイブンクローの博士と教授?」
「…………ホグワーツ城内、完全に把握してそうよな」
思い出したように呟いたロンに、引き攣った笑顔で白石が応じた。ピーブスの事件で、真田を完璧にナビゲートした二人だ。秘密の通路も知っていそうだ。
一方でハーマイオニーは、あの誰もが卒倒する乾汁の製作者であり、眼鏡を光らせニヤァと笑う乾を思い出し、密かに身震いしていた。体験入部時にお試しとはいえ、ダンブルドアにあの汁を飲ませてしまったのは本当に申し訳なかったと今でも思う。
「迷路じゃないんだから歩きまわればそのうち着くだろ。最悪、先生に遭遇しても泣き落せばいいわけだし」
神の子の容貌で言い放つ内容はどこまでもえげつない。
唯一同意しているのは紫乃だけで、「そうだね、ちゃんとごめんなさいすれば先生もわかってくれるもんね」という意見である。
そうやって小声で雑談しながら歩いていると、廊下の突き当たりで壁にぶち当たる。どうやら鍵が掛かっているらしく、心底面倒そうに幸村が杖を取り出し、呪文で解錠した。
扉は開かれ、最初の一歩を幸村が踏み出した。
「あ。忘れてた。そういや、明日はピンズの授業だよ。もうこれ寝るしかないよね。確実に爆睡する」
「ゆ、ゆきちゃん……」
「ん? どうしたの、紫乃ちゃん」
幸村のパジャマの袖を紫乃が力強く引っ張った。
不思議に思った幸村が振り返れば、幸村以外の誰もが呆然と“何か”を見上げている。
5人の視線をなぞり、幸村は自身の頭上へと視線を這わせた。
“何か”が居た。
そして、その瞬間にこの場の全員が、いま居る場所が、禁じられた廊下であることを悟った。
扉の先は部屋ではなく廊下で、そしてただの廊下ではなかった。そして何故、「禁じられた廊下」であるのかを嫌でも理解してしまった。
頭が三つ、鼻が三つ、口も三つ。
床から天井までその巨体で埋まり、飢えたような血走った六対の鋭い眼。視線がぶつかる。ぐるぐると唸る獣の声に息を呑む。
――――其処に居たのは、三頭犬だった。