夜のこどもたち(2)
 その後は二人で楽しく談笑しながら、寮への道を歩いた。ぎこちない会話がまるで嘘のように会話が弾んだ。
 ネビルの怖いばあちゃんの話や、ペットのヒキガエルのトレバーの話、ホグワーツに入学するまでの生活の話。日本で生まれ日本で育った紫乃は、同じ魔法族であっても当たり前だが生活習慣などは180度も違うので、ネビルの暮らしぶりを聞いて驚くことばかりだった。
 逆に、紫乃の日本での生活にネビルは驚かされた。異国同士なのだから、生活習慣は違って当たり前だ。
 なにより、詳しく聞くことはしなかったが、ネビルの両親はヴォルデモートによって深い心の傷を負い、聖マンゴでいまなお治療中だそうなので、紫乃と同じように祖母に育てられている、という境遇が似ているため、「おばあちゃんあるある」で盛り上がった。

「ばあちゃんが、ばあちゃんが、って言うと、すぐ古臭いってからかわれるけど、ばあちゃんの知恵ってばかにできないんだよ」
「わかる。たいてい、お祖父ちゃんお祖母ちゃんが教えてくれたことって、けっこう実践的というか……ちゃんが教えてくれる裏ワザもそういう系多いよ」
「ミス・ウエスギが?」
 うん、と頷いて紫乃が言う。
「特にお掃除系で。グリフィンドール寮に近い女子トイレの洗面台の黄ばみが気になるって言ったら、レモンか酢に粗塩がいいって教えてくれたから。部室の掃除でもかなりそういう知識がすごいの」
 前に、紫乃が部室で「これ聞いたことあるやつだ……! おばあちゃんから!」と発言した際に、千石が吹き出し、「なにその進研ゼミでやったやつだ!、みたいな!?」と大爆笑していたのは記憶に新しい。そのくらい、紅梅には昔ながらの知恵が豊富なのである。

「ニホンの貴族みたいな印象だったけど、そうなんだあ」

 組分けの儀式の前、真田と紅梅には世話になったので、ネビルはよく覚えている。軍の上官もかくや、というほど厳めしいがどこまでも正しく頼れる真田に、そっと寄り添うようにたおやかに微笑んでいた少女。
 暗闇で何も見えない自分の手を繋いでくれた、あのほっそりとした手を思い出す。すべすべとしていて細い指先にくわえて、ようやく目が見えるようになったネビルに、「偉おすなあ」と褒めてくれたあのおっとりとした口調から、どこぞのお嬢様なのだと思っていたのである。

「マルフォイがウエスギに絡んだ時も、ウエスギが貴族だからかなと思ってた」
 まあ、サナダが思いっきりやっつけてたけど、と付け加える。
 ネビルにはわからないが、貴族には貴族の何かがあったのだろうか、とも思っていたのだが、「よくわからないけど、違うみたいだよ」という紫乃の言葉を聞いて、ふーんと納得したような声で返事をした。
 実のところ、ネビルも魔法族の中では名家と言われる純血のロングボトム家だが、本人にはまったくその自覚がない。

「夜のホグワーツってなんだか怖いね。昼間と違って暗いから、何度も階段を間違えるし」
 やっと着いた、と言いながら疲れたような声の紫乃は、グリフィンドール寮前の扉に立った。
「本当だよ。階段から落ちないかって、僕、ヒヤヒヤしちゃったよ」

 ホグワーツに来た当初よりかは、ネビルの鳥目は改善された。やはり後天的なものだったらしい。
 あの組分けの儀式の前に「調べてみるわ」と言ってくれた彼女は、本当に調べてくれたのである。そのため、ネビルに必要な栄養を教えてくれ、食事の際には「これを食べた方がいい」とアドバイスしてくれたおかげだ。
 しかし、それでも根っからのビビリな性分ゆえ、道中、それはそれはかなり恐怖だった。

「うん。しかも絵画の人たちもみんな寝てしまってるせいで、静かすぎるからすっごく怖い」
 両手を抱きしめながら、ブルッと身体を震わせた。
 紫乃の発言に「えっ、こんな夜更けに話しかけられる方が怖くない?」と思ったが、ようやく寮に戻れたという喜びの方が勝り、肩の力が抜けたのだった。

「えーと、“カプート ドラニコス”だったっけ」

 太った婦人の前に立って言ったネビルに、絵画の婦人は眉を潜めた。ただでさえ、こんな時間に戻って来た、ということに非常に迷惑している、と言わんばかりの態度であった。いつものドレスとは違って、ナイトドレスだったので、就寝準備をしていたのかもしれない。
 「遅い時間に戻ってきてごめんなさい」と頭を下げたので、門前払いされなかっただけましである。

「違うよ、ネビル。その合言葉、この間に変更したの」
「あ、あれ? そう、だったっけ……?」

 すっかり記憶が抜けおちてしまっていることに、ネビルは当惑した。
 グリフィンドールに限らず、寮に入室する際の合言葉は、定期的に変更される。例外は、レイブンクローで、謎解きをしなければ入室できないため、正解できなければ締め出されるという面倒な代物だ。

「どうしよう、僕、すっかり忘れちゃったよ」
「大丈夫だよ。合言葉のメモをいつも筆箱に………あ……」
「えっ、シノ?」
「……筆箱、部屋だ…………」
「えええええええ」

 合言葉が定期的に変わるので、その合言葉を書き留めたメモを、紫乃は必ず筆箱に入れている。授業に限らず自習においても、さらに部活動でも筆記具は必要になるので、常に筆箱は携帯しているのだ。携帯していない時は、たいていグリフィンドールの誰かと一緒なので心配はなかった。
 ――――だが、今日に限っては、筆箱もなければ、一緒に居る寮生もネビルである。

「ど、どどどうしよう……!! どうすればいいかな、シノ!?」
「どうしよう!? せんせい……そうだ、マクゴナガル先生か榊先生に!!」
 困った時は先生に頼るしかない。閃いた紫乃は、名案だと目を輝かせたが、
「……先生たち、これから見回りに出てるんじゃ……」
 というネビルの言葉を聞いて、絶望の表情となった。

「……下手に動きまわるのもよくないよね……」
 捕まったら校則違反、ということで退学処分にもなりかねないし、グリフィンドールがかなり減点される。そのくらい深夜の外出は厳禁なのだ。
「聞いた話だと、フィルチはそういう生徒を捕まえるのが大好きなんだって」
 双子の兄から聞いたと言っていたロンからの情報を思い出してネビルはげっそりとする。

「……私たち以外のグリフィンドール生の誰かが戻って来るのを待つしかないよね」
「……そうだね」
 動き回って捕まるよりかは、ここでじっとしていて先生に見つかる方が印象は違うだろう。「合言葉を忘れて入れないんです」と言っても、こちらの方が信じてもらえる可能性が高い。

 呆れたような様子で太った婦人が鏡台に座ったのを見た二人は、しょんぼりと肩を落として体育座りをする。
 ひんやりとした廊下に大理石の壁は、二人の心をいっそうしみた。なんだかとても心細い。

「…………少し、肌寒いね」
「…………うん」
「………………なんか、こう、なにか出てきそう、だよね」
「………………うん」
 妙な沈黙があった。
 そして、何拍かの間を置いて、蒼褪めた表情で二人は向き合った。

「お、おおおおオバケ……! オバケ出たらどうしよう……!!」
「ゴーストとかヴァンパイアとか僕こわいよ……! ピーブスでさえ無理なのに……!」

 迷える子羊二匹は、静かに絶叫。
 ネビルはともかくとして、数ある陰陽師家から希代の才能と太鼓判を押される藤宮家の逸材とは思えない発言であるが、この場にはネビルしか居なかったので指摘する者が居ない。冷静さを欠いている発言でしかないが、暗い場所は苦手なのである。

「おおおお、おお、落ち着いてネビルくん!!」
「おおお、落ち着いてる!! シノこそ落ち着いて!」
「落ち着く! 落ち着くよ、うん!! 落ち着くからネビルくんも落ち着こう!!!」
「僕も落ち着くよ、落ち着くから!!!!」
 錯乱しきった二人は、お互いがお互いの手を握り合い、ひとまず落ち着こうと叫びあった。

 しばし、間。
 落ち着こう。ちょっと落ち着こう、うん。
 呪文学でも此処まで繰り返しはしない。そのくらい「落ち着こう」と言い合って、ようやっと平静さを取り戻す頃、魔法使いの卵とは思えない発言の数々に、穴があったら入りたくなった。

「……オバケって……いつも見てるじゃん、私……陰陽師のくせに……」
「ゴーストとかいっつも見てるよ僕……」

 頭を抱えながら、錯乱状態であったことを受けとめ、冷静さって大事なんだねって再認識しあう。ともかく、冷静にはなれたものの、問題は何一つ解決していない。

「……こうなったら、扉をドンドン叩くしかないかなあ」
「それしか方法ないもんね……ここで寝るのは、私もちょっと――――」
 言いかけた折に、ギィイと不気味な音を立てて扉が開いたので、小心者の小動物二匹はこぞってカーテンへと飛び込んでしまった。



「急ごう。4階のトロフィー室まで結構な距離がある」
「ええ。それに階段の移動の規則性がわからないもの。時間を取られてしまうかもしれないわ」
「もう少し小さい声で話せよ、ハーマイオニー。フィルチに見つかったらどうするんだい」

 聞き知った三人の声に、紫乃とネビルは、はた、と正気に戻り、カーテンからそうっと伺った。声の主は想像していた通りの人物たちで、ハリー達はぱたぱたと走り去ってしまった。
 瞬間、紫乃とネビルは両手をついて廊下に膝をついた。見事なほどの落ち込みぶりだった。

「チャンスだったのに……」
「なんで隠れちゃったんだろう……」

 情けなさすぎて涙すら出て来ない。
 仰天のあまりに気が動転して、カーテンに隠れてしまう始末。扉を叩いて、中に居るだろうグリフィンドール生に内側から扉を開けてもらおうと話し合っていたくせに、自然に開いた扉にビックリするなんて。
 これはもう、廊下で一晩を過ごすしかあるまい、と腹を括ろうとした時である。

「えっ、紫乃ちゃん? うわあ、戻ってくるの遅かったね。おかえり!」

 足元に温かなランプの光が照らされたと気づけば、美しい神様の子どもの姿が其処にあった。
 ――――その瞬間、再びネビルと紫乃のテンションがおかしくなった。

「神様だぁぁああ」
「神様ぁああああ」
「えええ、なにこれ、なに、どうしたのちょっと、ええ!?」

 二人揃って素晴らしく美しい土下座スタイル。
 ちょっとどうしていいのかわからない。扉を開けていきなりの土下座に、さすがの神様こと幸村精市もパニックに陥った。
 迷える子羊は神のおみ足に縋りつき、半泣きで「ありがとう」と「神様」を連呼している。

「えええ……なんなん、この状況……」

 遅れて登場した白石は、まったく理解できない目の前の状況にドン引きしたのだった。



「……とりあえず、怪我が軽ぅ済んでよかったやん」

 廊下に直に座り込んでいるネビルに、殊更に優しい声で白石が言った。憐れみである。
 並んで何故か正座している紫乃と、二人から事の次第を聞いた幸村と白石は、あえて先ほどのことは深くつっこまなかった。これが真田だったら、幸村はこれ以上ないくらいにいじり倒しただろうが、非力な小動物二匹を虐める趣味はないのである。

「新しい合言葉は、“Australis crescens luna, Caliburnus cardia”だよ」
「あ、アウストラリス……?」
「クレスケンス、ルーナ、カリブルヌス、カルディア。南の三日月、鋼鉄の心臓という意味やって」

 わざと日本語発音で区切って発声してくれた白石に、二人は揃って復唱した。舌を噛んでしまいそうだが、今回のことで懲りた。メモという名の扉の鍵を持っていなければ、こういう事態を招いてしまうのである。
 何度も復唱して頭に叩き込んだので、安心したのかふにゃりとへたり込んだ。

「つい最近、変更になったばかりなのに、すぐにまた変更したんだよ」
「豚の鼻っちゅー意味のやつやってんけどな。」
「そうだったんだ……。そういえば、どうして二人は外に?」

 願ってもないタイミングでの幸村と白石の登場だったので、疑問だったことを口にする。
 すると、幸村はそれはもう素晴らしい悪戯でも思いついた、というような笑顔になった。真田が嫌な顔をする、そんな笑顔である。
 ますます不思議そうな表情の紫乃に、小さな声で幸村は事情を手早く説明した。

「俺たちが完全に寝てると思ってたみたいでさ」
「半分は寝とったけど、なんやソワソワしとったし、こらなんかあるやろなーて静かにしとったら案の定な」
 ヘラリ、と白石が笑った。「しっかし、ポッターもえげつない毒吐いてたわー」としみじみ白石が言う。
「マルフォイのこと、あれで本気で心配しとったらそれこそポッターが神の子とちゃう?」
「確かに。まあ、確実にマルフォイは来ないよね。そういうところだけ悪知恵っていうの? 働きそうな気がする」
「それ俺も思ったわ。マルフォイがポッターを呼び出してボコるんちゃうかって発想はあんのに、それが罠やって発想はないねんなァ」

 苦笑したような白石に、幸村もまた同調するように肩を竦ませた。
 一方、紫乃とネビルは、先ほどこの場を小走りで去って行った三人が心配でしょうがない。

「止めてあげた方が良かったんじゃ……」
「そうしようと思ったんだけど、間に合わなかったんだ」

 小さく意見した紫乃に、それはもう世の中の争いを嘆くような悲観に暮れた表情で幸村が答えた。
 これっぽっちも思っちゃいない。どころか、野次馬根性丸出しの上、深夜のホグワーツを歩いてみたかったので一石二鳥だ、とさえ思っている。
 白石も基本的には模範生ではあるが、手塚や真田ほどではない。悪戯くらいはするし、こういう悪ノリは大好きなほうだ。なんたって、関西人。ノリこそ命である。つまるところ、バレなければいいとは思っている。もちろん犯罪は除いて。
 いくら年の割には落ち着いている、と感心される二人であっても、まだまだ子ども。夜の大冒険だ、と口にすれば探究心を抑えきれないのである。

「そういうわけだから、三人のところに行くよ」
「わ、私も連れて行って……!」
「僕も!」

 てっきり、「部屋で待っている」と言うと思っていたので、これには白石も驚いた。

「ぼ、僕は、グリフィンドールの生徒だ。友達が危ない目に遭うかもしれないのに、部屋で待ってなんかいられないよ。ほほ、ほら! さっき、ぼ、ボコるって……! 暴力はよくないよ!」
 小声ではあるが、いつになく強い主張。
 へぇ、と面白そうだとばかりに笑う幸村とは違い、彼の発言の真意に気付いた紫乃は、いたく感動した。どうして僕なんかがグリフィンドールに、と悲観していた少年が、グリフィンドールの生徒であろうと行動しようとしているのだから。

「私も、同じだよ。それに、同室のハーちゃんがいなかったら、一人で寂しいもん……」

 人数の関係上、紫乃の部屋はハーマイオニーと二人きりだ。四人部屋を二人で使用しているため、ただでさえ広いのに、一人で寝るとなるとそれ以上に広く感じるだろう。
 いつも一緒に「おやすみ」を言って眠るのだ。出来れば、今日もそうでありたい。

「わかった。じゃあ、絶対に離れちゃダメだよ?」
「うん!」

 幼子に言い聞かせるような声で、手を差し伸べた幸村。
 満面の笑顔で、紫乃はその手を取ったのだった。